青島・煙台の旅(29)青島湖南路から孔子記念館へ
青島のドイツ式監獄博物館を見た後は、ホテルへの道を引き返します。
もとの道を戻っても仕方ないので、江蘇路を通って、湖南路を歩きました。
まず広西路1号にある総督府学校教学楼が目に付きます。1906年の建築。完全に霧にかすんでますが、石で縁取られた五角形の窓に特徴があります。軍関係の学校らしく、制服を着た学生が歩いていました。
江蘇路と湖南路の角(湖南路4号)に立つ滙豊銀行(今の香港上海銀行)青島支店の支店長宅。青島支店の開設が1912年らしいので、その頃の建築でしょうか。滙豊銀行はイギリス系の有力銀行なので、イギリス企業との取引が多く、支店長は国際倶楽部、英国商会、英国学校などの理事を兼任したそうで、この家にも来客が多かったといいます。
太平洋戦争勃発後は、逃げ遅れた英米人の臨時強制収容所ともなりました。
このあたりは邸宅地だったようです。
湖南路6号にはこの重みのある建物があります。
中国式の灰色煉瓦と石で建てられています。
(こちらは正面ではないのですが)
裏手には「1899」の文字。1899年というと青島の建物の中では最初期のものです。
これはかつての総督府学務委員会(教育委員会)の建物です。委員会は翌1900年にドイツ人子女向けの総督府小学校を設立したのを皮切りに、中国人向けに26ヶ所の小学校、さらには1909年に徳華大学(上海にある同済大学のルーツの一つ)を設立したそうです。たまたま朝つけたTVで徳華大学の歴史を紹介していました。
その斜め向かいの湖南路11号には、赤い壁面のインパクトが強い旧黒氏飯店があります。1924年建設のフランス式建築です。その後つぶれて1932年には徳華大学を卒業した姜如心が買い取り、如心医院となったそうです。
今は幼稚園となり、基壇の石積や階段などがカラフルにペイントされてしまっています。案外、幼稚園にも似合う気がします。
湖南路で見かけた飾りの多い扉。
総督府の前まで戻ってきました。
これは前日に撮った写真ですが、青島路1号の旧ドイツ領事館、今は南園孔子記念館となっている建物です。木が茂っていてかなり見づらいですね。
この建物はもともと1900年に建てられたドイツ人の住宅だったようです。ドイツ撤退後、日本の第一次占領期をへて青島が中国に返還されるとドイツ人が戻り始め、1926年から1945年までドイツ領事館として使われました。その後、孔子の末裔が住み、1986年に青島市に寄贈されて孔子記念館となりました。
南園というのは、孔子の末裔がこの住宅に付けた名前です。門は花崗岩で固められています。
孔子記念館の玄関。
入館料は1元(15円)です。
中に入ると飾り気は少ないのですが、広い吹き抜けがあります。
2階への階段。残念ながら孔子記念館は1階の一部だけで、他は事務所として使われています。2階へは上がれません。
記念館には孔子に関する文物がいろいろと展示されています。係の方も丁寧に説明をしてくださいます。実はそんなに関心がないのですが、さすがに建物が目的で来ましたとも言えず、ふんふんと説明を聞いていたのは係の方には内緒です。
再び広西路に戻ってきました。
オリンピックに向けてか、通常の業務なのか、古い建物の改修工事が行われています。
このように補修されて、青島では今も古い建物が使い続けられています。
霧のためにまち歩きは少なめ。それでもたくさんの近代建築を見ることができました。名残惜しいのですが、青島の探訪はここまで。
最後に近くの新華書店で資料を買い込み、チェックアウトのためにホテルに戻りました。
○参考資料
竇世強・李明『画説 青島老建築』、2004年、青島出版社
魯海『老楼故事』、2003年、青島出版社
『中国近代建築総覧 青島篇』、1992年、中国建築工業出版社
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