青島・煙台の旅(28)青島ドイツ監獄など
旅行4日目の朝。最終日です。
前に書きましたが、桟橋・王子飯店に泊まっています。
霧は昨日以上に深く、目の前の壁が霞んでいます。
これではまち歩きどころではありませんので、屋内を見られるところを目指すことにしました。
海岸通りの太平路を東へ。
写真の建物は太平路と江蘇路の角です。
1902年に建設された(山東鉄道会社と)鉱務会社の事務所だそうです。
江蘇路の対面、太平路23号には旧坂井貞一宅があります。
1929年に建てられたそうですが、坂井貞一という人物については、日本商人であること以外分かりません。(「中国近代建築総覧・青島編」にはM.高橋宅となっていますが、2003年に青島市が設置したプレートが坂井宅になっているのでそちらを採ります)
なかなか素敵な建物ですが、開放されているわけではなさそうなので、門のところから眺めるだけです。
その隣には青島天后宮。かなり古くて、明の成化3年(1467年)の建物です。航海の神様、媽祖を祀っています。天后宮(あるいは媽祖廟)は中国や台湾などの沿岸部によくあります。日本でいうと住吉神社みたいなものでしょうか。
恥ずかしながら、媽祖が実在の人物だと初めて知りました。宋代(10世紀)に生まれ、病を治すなど奇跡を起こした女性だそうです。
極彩色の伝統建築です。
そしてこれが目的地の青島ドイツ式監獄博物館です。入場料は25元(375円)(閑散期はなんと5元)。
ここは欧州人の囚人を収容する監獄として、1900年に建てられたようです。
中国人を収容する監獄は公安局の近くにありました。
これが博物館の配置図です。
仁・義・礼・智・信の5つの監房と工場、浴室、事務棟、裁判所があります。
上の3つの建物はレストランなどに使われているようですが、そこも監獄の一部とは気付きませんでした。
裏から撮ると素っ気ないこの建物は、旧ドイツ膠澳帝国裁判所です。
内部には「青島司法歴史沿革陳列展(1897-1949)」が展示されていて、ドイツ租借時代、第1次日本占領時代、北洋政府・国民党政府時代、第2次日本占領時代、中華民国時代(アメリカ軍駐留時代)、中華人民共和国時代へと目まぐるしく支配者の入れ替わる青島の司法の歴史が展示されています。
いよいよ監獄へ。
円錐屋根を載せた丸い塔が印象的な「仁」字監房。
側面から見たらこんな感じです。
塔の部分が取って付けたような感じでもありますが。
展示室は上から順に見ていきます。
鉄扉をくぐって囚人房へ。
囚人房の扉。この博物館の開館は昨年の4月と新しく、のぞき窓からのぞくと、ドイツ人囚人の様子が写し出されるなど映像的な演出があります。
開放されている囚人房。波打つ天井になっています。
壁は冷たいですが、そんなに居心地が悪そうでもない?
一部、装飾的な部分も見られます。暖房装置?
表から見た円筒部分は、らせん階段の階段室です。
ぐるぐる降ります。
下の階は第二次日本占領時代の展示です。
これは水牢。拷問室もありました。凄みがあります。
つらい展示です。
前にハノイのホアロー務所博物館を見たときもそうでしたが、植民地の監獄というとどうしてもそんな展示になります。
一通り見ると運動場に出ます。
裏側から眺める監獄。
眉毛のような窓の上部が単調さを救っています。
右が「義」字監房、左が「礼」字監房。「礼」字監房は1924年に建てられました。
右手前の見張り室は戦後のものです。
実は1995年までこの監獄は現役でした。それはそれですごい。
手前の赤い花崗岩張りの監房は「智」字監房で、1931年に建てられています。
こちらの方が古いのかと思いました。
最後に監獄浴室です。
監獄本体と同じ1900年に建てられています。
監獄を見るのは気分のいいものではありませんが、歴史の一面がよく分かる場所ではあります。
霧に包まれて、いっそう厳かな雰囲気が漂っていました。
○参考資料
竇世強・李明『画説 青島老建築』、2004年、青島出版社
魯海『老楼故事』、2003年、青島出版社
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