神戸で最初の公園
<神戸市役所から見た東遊園地>
神戸市で最初の公園は、明治元年にできた東遊園地です。
もっとも最初は「公」園ではなく、外国人専用でした。
公園自体は、市役所のすぐ南側ですし、ルミナリエの会場の一部にもなっているのでご存じの方は多いと思います。
旧外国人居留地の東の端で、写真左側のフラワーロードを流れていた旧生田川の堤防敷3.13haを、米国人の申請で借地して始まったものです。当初は「外国人居留遊園」「内外人遊園地」などと呼ばれ、明治8年に内外人公園、外国人から返還されてからは加納町遊園地、そして大正11年に東遊園地と改称されました。
居留地にはこのほか、明治3年に海岸遊園、明治5年に西公園(前町公園)という小さな公園ができましたが、その後、消えてしまいました。
<公園平面図>
神戸市役所が建っているところも元は東遊園地で、戦後分割されました。
元はスポーツのための施設で、競馬、ローンテニス、サッカー、クリケット、野球、陸上競技など近代スポーツがここから始まったそうです。
今は広場があるほかは静かな公園です。
<公園の最南端から>
左手に見える近代建築風の建物は、居留地時代の在留外国人の社交クラブ(神戸クラブ)を摸した公園管理事務所です。
その隣にはこれも居留地時代のスポーツクラブ(神戸レガッタ・アンド・アスレティック・クラブ)を摸したレストハウスがあります。
参考にした建物の写真が解説とともに掲示されています。
昔、ここに川があった名残として、加納橋の橋柱が立っています。
公園内には記念碑が非常に多く、例えばこれは、A.C.シムの記念碑です。
スコットランド出身のシム(1840-1900)は、30年にわたって神戸に住み、神戸で亡くなっています。事業の傍ら、公共事業、スポーツクラブ、消防組織、大阪の水害・岐阜の地震・東北の津浪など災害復興支援などに尽くしました(碑文より)。神戸市のHPによれば、シム商会は日本で初めてラムネを発売したそうです。
「神戸・横浜・長崎の外国人及び日本人の友人たちによって建てられた」と刻まれているのがいいです。
こちらはモラエス胸像。
ポルトガル海軍将校にして作家であったモラエス氏(1854-1929)に1983年、ポルトガル海軍から送られた胸像です。1898年(明治31年)から1913年(大正2年)まで神戸に住み、徳島に移ってそこで亡くなったそうです。
ボウリング発祥の地のモニュメント。
何気なく置いてあります。
日本近代洋服発祥の地のモニュメント。
ベンチも兼ねているようです。
この付近で、明治2年に英国人カベル氏、ついで英国人スキップ氏、中国人其昌号氏、日本人の泉小十郎氏が洋服店を開業、続いて明治5年に西田正太郎氏が開業したそうです(碑文より)。
昭和49年に設置されました。
このモニュメントは水道が1900年(明治33年)にこの付近から給水を始めたことを記念するもので、縁石は創設時の北野浄水場で使われていたものだそうです。
新しいところでは、阪神淡路大震災の1.17希望の灯り、メモリアルモニュメントなどもあります。
スポーツに湧いた当初の姿からは変わってしまいましたが、神戸で最も多くの記憶をもつ公園なのは間違いありません。
○参考資料
辰巳信哉『神戸からの公園文化 兵庫の公園1868-2000』、2000年、ブレーンセンター
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