かつてのリゾート−大浜公園(堺市)
堺市の大浜公園は、明治12年(1879年)に開園した、堺市では府営浜寺公園に次いで2番目、市営では初めての公園です。明治36年には第5回内国勧業博覧会の会場となり、堺水族館が設置されたこともあります。そのほか、海水浴場、土産物屋、料理旅館、公会堂、潮湯、歌劇団などが並ぶ戦前のリゾート地でした。しかし、今はそんな印象は全くありません。
大浜公園にリゾート地の面影を見に行ってきました。
ずっと昔は直接乗り入れる市電がありましたが、今は南海本線堺駅から徒歩です。土居川に架かる橋を渡り、旧堺港の南側にあります。
(上の写真は現在の案内図)
左手に進んで、まず登ったのが蘇鉄山。標高6.84m(笑)。
でも公園以上に由緒があって、安政元年(1854年)にロシア船の天保山沖進入に対応して築かれ、元治元年(1864年)に大改造された南台場(砲台)の一部なんです。南台場の跡は大浜公園の4分の1ぐらいを占めていて、跡地利用といってもいいぐらい。旧堺港の北側には北台場もありました。
少し南に行くと菖蒲園がありますが、この右手の石垣、上段の方は台場の石垣だそうです。
蘇鉄山の麓には古い石碑があります。
古い公園には記念碑がつきもの。でもこの記念碑はちょっと変わっていて、「擁護璽(ようごじ)」といい、南海地震の教訓が記されています。嘉永7年(1854年)11月5日に発生した南海地震では、津波により大きな被害が出たのですが、堺は比較的被害が小さかったそうです。神社の境内に逃げた人は助かり、川船に逃げた人は被害に遭ったので、船には逃げないようにという戒めと神様への感謝の記念碑です。翌安政2年(1855年)に立てられました。
(追記)
大浜公園にもラジオ塔があると聞き、確認してきました。
これがそう?「擁護璽」の近くにあります。昭和8年に建てられたそうですが。
見落としても仕方ない感じです。
本当にこれがラジオ塔なのか自分の中では保留です。
(2009.4.19記)
また公園に入ってすぐ左の林の中には、「大阪窯業煉瓦工場之跡」の碑(昭和27年再建)が立っています。大阪窯業のあったのは大浜公園のすぐ東側です。
他にも明治天皇の記念碑や南極観測隊のカラフト犬の記念碑などがありますが、省略します。
蘇鉄山の南側にはひょうたん池、松林の日本庭園があります。
西側の端まで歩いて振り返ったところ。
背中側が浜辺で、影になっている部分に料理旅館、のち大浜潮湯の関連施設が建ち並び、グラウンドのあたりが遊園地、丸い屋根は相撲場ですが右手からそのあたりに阪堺電車が乗り入れていました。
昔の低い堤防の跡のようです。
ところどころ登れるように階段がついています。昔は向こうに砂浜があったのでしょうが、埋め立てられて道路です。
ちょっと面白いものがありました。
両側から階段が付いていて、壁にうねうねした飾りがあります。海に出る主要な入り口だったのではないでしょうか。
再び入り口に戻って、今度は右手(北)の方へ。
乙姫橋(昔、公園内を車道が通っていたのでそれを越えるための橋)の上から、昔の水族館跡を眺めています。昔を偲ぶものは右手のサル山だけ。
サル山は昭和12年の改修時のもののようで、そのときの案内図にも載っています。
せっかく残っているのですが、サルが引っ越すというニュースが! 隣にサルの新飼育施設ができるそうです。そうなるとサル山はあっさりつぶされそう。元はというとエサをやる人のせいで、割り切れない気持ちがします。
(追記)この記事を書いて1年後、2009年6月にサル山は建て替えられたようです。(2024.8.11記)
水族館跡の周りは昔も今も小高い丘に囲まれています。これも南台場の一部です。登り口に門のようなものが残っていました。
見晴らしの良い丘の上。ここに休憩所が建っていました。松林が昔の雰囲気を残しています。
○参考リンク
堺市立図書館デジタル郷土資料展「むかしの堺港と大浜」
| 固定リンク
「日常旅行(大阪)」カテゴリの記事
- 2022年もよろしくお願いします(2022年初歩き)(2022.01.02)
- トンガリ屋根の市営住宅(東大阪市)(2021.08.02)
- 野里を歩く(大阪市西淀川区)(2021.07.25)
- 姫島を歩く(大阪市西淀川区)(2021.06.13)
- 住吉大社門前の道(大阪市住之江区)(2020.01.03)
「公園」カテゴリの記事
- 元代用公園の耳塚児童公園(京都市東山区)(2024.06.14)
- 元代用公園の松原橋児童公園(京都市東山区)(2024.06.12)
- 高原児童公園の改修前と後(京都市左京区)(2024.05.30)
- 飛鳥井児童公園(京都市左京区)(2024.05.28)
- 明田児童公園と殿田公園(京都市南区)(2024.04.30)
コメント