青島・煙台の旅(23)青島の家と海を眺める公園
再び八大関の別荘地に向かって歩いていきます。
まず魚山路を歩いていきます。
道の左手に大きな建物が見えました。(木が邪魔で見にくいけど)
1934年から1940年にかけて建てられた旧世界紅卍字会青島支部です。世界紅卍字会は、赤十字と似ていますが、道院という宗教の慈善団体だそうです。山東省発祥なので、本拠地に近く、煙台にも支部がありました。
今は青島市美術館ですが、残念ながらこの日は休館日。開いてたら絶対に入ってます。
建物は前後に分かれていて、後方は1933年に建てられた中国宮殿風建築(未確認)、写真が前方に1937年から1940年にかけて建てられた洋風建築部分です。前方部分の建築家は王翰で、施工は公和興営造廠ですので、中国人の手になる建物です。
世界紅卍字会はここを拠点に、救済院、慈善医院、職業学校、女子小学校、救済隊などの慈善活動を行っていました。
中国風の塀越しに正面を見ることができました。
古典建築+アール・デコという感じ?
このあたりは小魚山と呼ばれる丘の住宅地で、著名人の住宅がたくさんあるところです。
やがて、立派すぎる門が見えてきました。
中国海洋大学の門です。
木々の上から赤い屋根と塔屋が顔を出しています。
実は日本の青島中学校だった建物です。第一次青島占領期の1920年に建てられました。もともとは清の広武中営という兵営があった場所だそうです。
ドイツ風の建築ですが、設計者は日本人の三上貞で、施工は公和興営造廠です。
当時は日本の男子学生だけを受け入れていました。建設費は19万元余りが投じられ、当時の中国の日本人学校では最も設備が良かったそうです。旧制とはいえ、大学の校舎に使えるほどの中学とはすごいものです。
魚山路を歩いていくと、切り通しで岩盤の露頭を見かけました。上に同じ色の石垣が積まれていて、生えてきたみたいです。やはり赤い石は地元の石材を使っているのですね。煙台で見た花崗岩の毛鼓石にも似ています。
小さな峠を越え、ふと覗き込んだ敷地の奥に気になる建物が見えました。
左手には入場券売り場があります。この建物を近くで見たくて、小魚山公園の入場料15元(225円)を払って入りました。しかし、実はそこは公園の外なのでした・・・しまった。
膠海関(税関)所長のエルンスト・オルマー(中国名:阿里文)の邸宅という掲示が出ています。多才な人だったらしく、設計者も本人です。1899年に建てられました。
オルマーは、1847年、ドイツのヒルデスハイム生まれ。1868年に中国で税関の仕事に就きました。1898年に税関設立準備のために青島に来て、1899年から青島の初代税務所長を務めています。1914年の日本による青島占領の直前にドイツに帰国しました。中国文化にも造詣が深く、多くの陶磁器を故郷に持ち帰ったそうです。
出窓からは海が眺められたでしょう。
せっかくですので、小魚山公園の中にも入りました。
頂上には中国風の塔の形をした展望台があります。
この公園も眺めがよく、西にはさっき登った信号山が見えます。
南にはドイツ風住宅のコンクリートの躯体ができあがろうとしていました。
中身は鉄筋コンクリートの塊なんですね。
東は海水浴場の砂浜海岸があります。
青島はぼこぼこした半島に広がる街ですが、南海岸はさらに岬と浜辺が交互に繰り返して変化があります。これから向かう八大関は、左右のビルの間にある緑の岬です。
展望台を降りて、一息ついていたところ、にわかに海霧が来襲してすっかり周りが真っ白になってしまいました。頭も真っ白です・・・
○参考資料
竇世強・李明『画説 青島老建築』、2004年、青島出版社
魯海『老楼故事』、2003年、青島出版社
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