青島・煙台の旅(18)青島の広西路
青島の桟橋から中山路を少し北上、広西路を東に入ります。
中山路から青島路まで、西から東に歩きました。
広西路は、ドイツ租借時代はプリンツ・ハインリッヒ通り、日本占領時代は佐賀町と呼ばれていました。青島のドイツ期につくられた街には、結果的に1つの通りに3つの名前がつく場合があります。
まず中山路の角にある建物から。
本などでは見つけられませんが、興味をひかれたので紹介します。
中国的要素を少し加えたモダン建築という感じです。
今は青島市動物衛生監督所などが入っています。
入り口部分を見上げると、幾何学模様と植物模様のデコレーション。
面白いなと思ったのは、1段高くなった屋根の部分に、中国風の斗拱(日本でもお寺で使われているような)のデザインが使われていることです。地味な戴冠様式なんでしょうか。
窓枠には花柄、面格子は中華風です。
その南東向かいにあるのが、旧マキシムビル(馬克西姆大楼)。
ちなみにドイツ租借時代の都市計画では、この通りは3階建て、高さ18mに規制されていたそうです。
左側の浙江路側には、ドイツ人の経営するマルクスレストランがあり、ステーキやビールを出していました。右側=西側はアパートでした。
交差点を挟んで斜め向かいの広西路37号は、旧侯爵庭院飯店です。右(東)隣は旧医薬商店。
木に隠れていますが、隅に塔が立っています。
このホテルは1910年に竣工しました。
近くから撮った写真がこちら。
楽しげな気分になる建築です。
若い娘さんでも住んでいそう。
でも今は青島市南区公安分局、つまり警察署です。
(造花とはいえ)花を飾ってきれいにしているのに。
1922年に警察署になり、それ以来ずっと警察署です。
旧侯爵庭院飯店の隣には、赤い建築が3軒並んでいます。
左は既に紹介した旧医薬商店です。青島解放後、旧医薬商店には第一軽工業局が入り、新しい事務所ビルを隣に建てました。それが真ん中のビルです。そして右角は広西路27号の旧プリンツ・ハインリッヒ通り理髪店です。
この理髪店は、1905年以前の建物だそうですが、昔の写真を見ると壁面は白で、角に丸みを帯びた塔が立っています。壁の色については、旧医薬商店の色に染まってしまったようです。
きれいな配色だと思うんですけどね。
三角破風に花柄などがあしらわれてきれいです。
階段も古い木製のものが残っていました。
安徽路を挟んで理髪店の向かいは、旧ドイツ膠州郵政局です。
初めは馮・提帕斯基希(フォン・ティパスキス?)社商業ビルとして建てられました。施工はドイツ・ハンブルグのF.H.シュミット社。(案内板より)
ということは、初めからの郵便局建築ではありません。
いくぶん硬い印象を受けます。
煙台では文化財のプレートがはまっていましたが、青島では主要な建築には「歴史優秀建築」のプレートがはまっています。
さらに東に歩いていくと、旧ユダヤ会館の隣(広西路9号甲)に旧カール・ベディガー商会があります。重ね餅型に立ち上がった壁に1903の年号が入っていて、1903年の建築と分かります。ベランダが植民地建築らしい雰囲気を出しています。
近寄ってみると装飾はシンプル。
ドアには植物風の模様が鉄棒で表現されていました。
彫刻は素人が彫ったような素朴さです。
壁にはスクラッチ風のタイルが貼られています。
やがて、旧ドイツ領事館が見えてくると、いよいよドイツ租借地の中枢部。
ドイツ領事館については、翌日再訪しましたので、改めて紹介します。
広西路は特色ある建築の見られる密度の濃い通りです。
○参考資料
『中国近代建築総覧 青島篇』、1992年、中国建築工業出版社
竇世強・李明『画説 青島老建築』、2004年、青島出版社
魯海『老楼故事』、2003年、青島出版社
魯海『老街故事』、2003年、青島出版社
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