« 青島・煙台の旅(6)煙台山の建物-2 | トップページ | 青島・煙台の旅(7)煙台を眺める »

2008年7月13日 (日)

松林の浜寺公園

080706hamadera1
伽羅橋を見に行った翌日、今度は浜寺公園を見に行きました。
住吉公園と並び、大阪では一番古い公園です。明治6年の開園で、全国的にみても近代公園第一期生。

 

実際には南から北へ縦断したのですが、真ん中の南海本線・浜寺公園駅からご案内します。この駅は1907年(明治40年)につくられた明治建築の美しい駅舎として有名です。設計は辰野片岡建築事務所。この力の入りようから、当時の浜寺のステータスの高さが感じられます。

 

浜寺公園駅は今も現役。ただ、鉄道の高架化が決まっていますので、この視界で見られるのは今のうちです。

 

080706hamadera2
駅からはまっすぐ公園が見通せます。かつては海水浴場に向かう道でした。

 

080706hamadera3
公園の入り口。両側には延々と松林が続いています。
門のように立つモニュメントは、皇太子殿下御成婚記念碑で、昭和34年に毎日新聞社と浜寺スイミングセンターが寄贈したものです。

 

080706hamadera4
そして左を見ると、お寺・・・のような交番。昭和7年(1932年)、平林亀五郎の設計です。鉄筋コンクリート製。「浜寺」を意識したのでしょうか。

 

080706hamadera15
近づくと洋風のデザインです。屋根の警察マークも面白い。
戦前はともかく、この場所だと道案内するのが一番の仕事になりそうです。

 

080706hamadera5
ずどんと海まで続く大通り。このあたりまで来ると、昔は海が見えて、期待が最高になったのではないでしょうか。子どもは一目散に駆けだしたはず。

 

海水浴場は昭和36年の海岸部埋め立てにより幕を閉じ、昭和38年にオープンした府営浜寺公園プールがその代わりをつとめています。

 

080706hamadera6
公園に入ってすぐ左手に、浜寺公園碑が立っています。
明治33年(1900年)に立てられたもので、浜寺の松が江戸時代に防風林として植林されたことや、公園の由来などが漢文調で記されています。浜寺公園はまず貴重な松林を残すために開設されました。

 

080706hamadera7
そのエピソードを記すのが、この惜松碑です。明治に入り、当時の堺県令はこの松林を伐採し、開墾しようとしていました。しかし、明治6年にこの地を訪れた大久保利通が「音にきく高師の浜のはま松も 世のあだ波はのがれざりけり」と詠み、松林を惜しむ気持ちを県令に伝えたところ、県令は伐採を中止し、太政官にこの地を公園にすることを願い出たのです。この石碑は明治31年(1898年)、大阪府知事・西村捨三によって立てられました。公園に入って右手にあります。

 

080706hamadera8
松林の保護がきっかけでできた公園ですから、この公園の主役は松。
子どもの頃に連れられてきたときは感じませんでしたが、改めて訪ねてみると、松林の広がりに感嘆します。よくこれだけのボリュームで残してくれたものだと思います。

 

080706hamadera9
道幅が広いのは米軍の伐採によるもののようです。どこまでも続くような松林は貴重です。この公園は愛されていて、休日のこの日はたくさんの人々が遊びに来ていました。保護されている松林にもかかわらず、園内でのバーベキューが許可されているのも思い切った判断だと思います。

 

080706hamadera14
一面に広がる松でも、一部特別なものがあって、根元が白いポールで保護されています。この松は、惜松碑の向かいあたりにあり、鳳凰松と名前がついています。

 

080706hamadera10
何か古いものが残っていないかなと思って見ると、目立つのがあちこちにある消火栓です。ヘルメットをかぶったような形が面白い。アメリカのROCK社製です。でも「6」って・・・「ROCK」のしゃれ? でもアメリカだしなあ。

 

080706hamadera13
最初は大事な松林を火災から守るためかと思ったのですが、違いました。上の消火栓の隣に説明板があります。明治時代には松林の間にたくさん(60ともいう)の別荘が建っていて、別荘を火災から守るためだったんだそうです。なんと明治時代の消火栓も。明治41年(1908年)のプレートが残るものというのは発見できませんでした。

 

080706hamadera11080706hamadera12
ただ1946年の銘がある消火栓は見つけました。
スマートなものなどいろんなタイプの消火栓があります。
ひょっとして、消火栓マニアには聖地でしょうか。

 

080706hamadera16
ほかに気に入ったのはこのベンチです。とてもさりげないベンチで、松風に吹かれると気持ちよさそうに思えます。

 

080706hamadera17
最後にごく新しいものですが、スパニッシュな色合いのトイレ。いくつかの建物はスパニッシュの雰囲気で建てられています。別荘地の浜寺には似合う気がします。

 

園内には交通公園やスポーツ施設、飲食店、もちろん遊具など様々な施設があります。でも浜寺公園はなんといっても松林。これを体感するだけでも行く価値があると思います。

 

 

|

« 青島・煙台の旅(6)煙台山の建物-2 | トップページ | 青島・煙台の旅(7)煙台を眺める »

日常旅行(大阪)」カテゴリの記事

公園」カテゴリの記事

コメント

やはり浜寺公園の松林はすごいですね。
浜風の影響でしょうか幹の曲がり具合・倒れ具合も絶妙。

諏訪森の実家にいた頃、浜寺公園はランニングの練習にもってこいで、家から公園北まで走り、浜寺大橋を渡って運河沿いに南下。高石大橋を渡ってそこから浜寺公園内の松林の間を縫って走るのを常にしていました。

古い消火栓があるのは気づいていましたが、それをじっくり眺めたことはなかったです。
小学生の頃には進駐軍の住宅跡が当時の「浜寺青少年の家」として子供会のキャンプなどに使われていました。

投稿: ひろ009 | 2008年7月26日 (土) 08:56

ひろさん、おはようございます。
たしかにランニングコースにはいいですね。
街中を走るよりかなり気持ちよさそうです。

ひろさんの小学生の頃には進駐軍の建物が残っていたんですか。驚きです。

投稿: びんみん | 2008年7月26日 (土) 09:40

 びんみんさん こんばんは
高校野球予選も終ったので今週は公園巡りです(笑)

チン電で恵美須町~浜寺駅前まで乗り、海水浴場や“新東洋”、“羽衣荘”を知る世代には懐かしい場所です。
松林ですので大きな木蔭は無いものの、樹間を涼風が吹き抜けそんなに暑くありません。
私には“コンバット”の米兵に視えた消火栓 面白いですね(笑)。
流石に元別荘地、瀟洒な住宅地を通り抜け大鳥羽衣濱神社を南下すると伽羅橋に出ました。
初めての高師浜線、東羽衣支線と乗り継いでJR難波に帰って来ました。

明日は住吉公園から“住吉祭・夏越祓”を観る予定です(感謝)

投稿: 難波のやっちゃん  | 2012年7月30日 (月) 18:51

難波のやっちゃんさま、おはようございます。

コメントありがとうございます。
私は、浜寺海水浴場や“新東洋”“羽衣荘”の記憶はありません。もっとリゾート地らしい時代をご存じなのですね。
浜寺公園は夏が似合いますので、出かけるのに良い時期と思います。
消火栓面白いでしょう?(笑)
住吉公園、夏越祓もいいですね。

投稿: びんみん | 2012年7月31日 (火) 07:21

子供時代、親父に毎年連れて行ってもらったプールのあった施設の名が思い出せず、何年も検索をかけていました(笑)
そう“新東洋”!!でした。嬉しくて、嬉しくて、過去の記事についコメントを。有り難うございました。

投稿: 新東洋 | 2015年2月18日 (水) 17:09

新東洋さま、コメントありがとうございます。
役だって良かった、というか、難波のやっちゃんさま、役立つコメントありがとうございました。
数年来の疑問が解決されたとは素晴らしい(^^)

投稿: びんみん | 2015年2月20日 (金) 01:11

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 松林の浜寺公園:

« 青島・煙台の旅(6)煙台山の建物-2 | トップページ | 青島・煙台の旅(7)煙台を眺める »