メタセコイアの三宝公園(堺市)
堺市の三宝公園は昭和16年(1941年)につくられた三角形の公園です。
湾岸部である三宝地区は室戸台風(昭和9年)で大きな被害を受け、三宝公園はその復興事業の一環として整備されました。この三宝公園運動場には総工費4万6887円が投じられ、トラック、テニスコート、バックネット、相撲場などが備えられました。遊具ではブランコ、遊動円木、シーソー、滑り台、砂場があったそうです。
4年前の冬に訪れ、私が近代の公園に興味をもつきっかけになった公園なので、改めて訪ねてみました。アクセスは南海本線の堺駅から北の方に徒歩15分ほどです。
「三宝公園」の門柱が立つ入り口です。涼しげな木陰をつくるメタセコイア並木の向こうには広場。4年前はここにプールがありました。
この公園の象徴となっている、メタセコイア並木。メタセコイアは生きた化石として中国で再発見され、1949年に日本に入ってきたので、比較的新しい品種です。
ひょろ高くシュロが育った小広場。
時の流れを感じさせます。
今回、公園の案内板が書き換えられているのに気付きました。
以前はあった「約100種の熱帯植物の温室」という表現が消えています。4年前も温室はなかったと思います。どこにあったのでしょう。
野球グランド越しには広々した光景が広がります。頭一つ抜け出ているシュロの木。
北側の門には荒々しい石積の門がありました。古そう。
前回は気付かなかったのですが、東側の木立の下に、水路の流れていたような庭園が埋もれているのに気付きました。いくつか石橋も渡されています。小規模ながら住吉公園で見たような設計です。
庭園には鳩のオブジェもありました。痛々しい・・・
今回4年ぶりに訪ねてみて、公園の変わりように驚きました。
<2004年2月の写真>
本当はこの遊具が見たかったんです。石を粗く積んだ非常にごつごつした遊具で、戦時中を思わせるようなつくりでしょう? 戦争ごっこをしたような場所ではないでしょうか。戦争遺産かどうかまでは分かりませんが惜しく思います。奥に見えるのがプールなので、プールの撤去と同時に改修されてしまったのでしょう。左奥の休憩所も撤去されていました。
<2004年2月の写真>
また、以前あった公園事務所も撤去されていました。
手入れがされるのはいいのですが、さびしく感じられた今回の再訪でした。
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コメント
三宝公園は戦時中に高射砲の陣地となり、今のグランドのダイアモンド附近に高射砲が据えられていました。東から入る道があったので門があったのでしょう。
メタセコイアのある南からの長い道も陣地への通路でした。
今はその遺物は見られませんが、もしかして石の門はその名残かもしれません。
その目でもう一度ご覧になるとまたなにか発見があるかもしれませんね。
投稿: きー坊 | 2013年5月12日 (日) 16:28
きー坊さま、コメントありがとうございます。
三宝公園にも高射砲があったのですね。
そう思ってみるとまた新たな発見があるかも。
貴重な情報ありがとうございます。
投稿: びんみん | 2013年5月12日 (日) 22:32
35年ぶりに9月ごろ生まれ育った町を訪れました。
バスで、三宝公園前で、降りて懐かしく思いました。
よく遊んだ懐かしいトンネルの滑りだい!
胸が詰まる思いです!
後ろには、プールがあり小学校の授業では、いつも公園まで歩いて、授業してました。
本当に懐かしいです。
投稿: ヒチャコ | 2015年12月20日 (日) 13:21
ヒチャコさま、はじめまして。
思い出のご紹介ありがとうございます。
利用されていた方のお話を伺うと、写真がまた違って見えてきます。
投稿: びんみん | 2015年12月21日 (月) 02:14