青島・煙台の旅(12)煙台・東太平街
煙台の海岸街の東の端は海で、そこから南に東太平街が伸びています。
その最初にあるのが旧イタリア領事館です。イタリア領事館のできたのは、煙台の領事館では最も遅く、1906年です。鉄筋コンクリート造の2階建て。
ぽこっと半円の車寄せを4本の円柱で支え、明るくメリハリのある建物です。今はレストランになっています。
ここで煙台の領事館についてまとめると、煙台に領事を置いた16か国のうち、イギリス、ドイツ、デンマーク、アメリカ、日本、ロシア、ノルウェー、スウェーデン(あるいはフィンランド)、イタリアが領事館専用の建物を建て、火災で焼失したドイツ以外の8領事館は現存しています。すごいことですね。ドイツはのちに盎斯洋行に領事館を復活させますが、それは残っています。
また、フランス領事館(1901年〜)は、煙台山のカトリック煙台教区主教府(1960年代に解体)内で、オーストラリアハンガリー帝国領事館(1902年〜)は、張裕公司(ワイン製造業)の中で執務を行いました。
オランダはドイツが代理、ベルギーはフランス・日本が代理、フィンランドはノルウェーが代理、朝鮮はフランス・日本が代理、スペインは朝鮮代理領事が代理・・・していたそうです。
東太平街はまさに改修の真っ最中。
こちらは旧東太平街カフェー(カフェというよりカフェーと言った方が雰囲気に合います)。
1920年代の初めに建てられ、カフェスペースはもちろん、ダンスフロアも備えていました。
入り口上部の花のような桟や装飾、2階バルコニーの繊細な模様など、華やかな雰囲気が漂っています。海岸近くの一等地ですので、カフェとして復活することを期待したいところです。
さらに近くには旧東太平街ダンスホール。
1920年に建てられた鉄筋コンクリート3階建ての建物です。施工は徳成営造廠。壁面は花崗岩で化粧され、アーチ型の窓が並び、2・3階には繊細な金属製フェンスをもつバルコニーが付いています。玄関頂部の家型飾りはちょっと中華風の雰囲気も。
1階はレストラン、2階はダンスホール(ダンスフロアと舞台)、3階は職員宿舎でした。
煙台の賑わいを体現するダンスホールでしたが、その活躍は戦後も続きます。1945年には煙台市政府大礼堂(ホール)となりました。1947年に連合国の米国籍運転手が人力車夫を事故死させた事件では、ここが臨時法廷になり、アメリカ側が罪を認め、治外法権を覆した初めての事件として記憶されています。
1950年に中ソ友好条約が締結されると、同年、煙台市に中ソ友好協会が設立されました。毎週土曜の晩にはここでダンスパーティーが開かれ、煙台に支援に来たソ連の専門家が招かれました。中ソ蜜月時代の一コマです。
なお、東太平街は、太平街とともに妓楼が集中する通りでした。それも外国人向けの最も高級な妓楼が集まっていました。今は寂しい通りですが、往時のカフェーやダンスホールなどから、通りの華やいだ雰囲気を感じることができます。
さてそこからちょっと裏道を朝陽街の方まで歩いてみました。
裏道に入ると急に中国風の通りが現れます。
改修中の道で遊ぶ犬たち。なぜか煙台で見かけるのは犬ばかりで、猫は見かけませんでした。
ここの通りは老電報局街(建徳街)にあたるのかなと思いますが確信がありません。
2階建ての建物が並んでいます。ここの通りも改修中で、工事が終わればかなりきれいになるのではないでしょうか。
2階部分には華麗な鉄製のバルコニー手すりがあり、昔は華やいだ雰囲気があったことがうかがえます。
雨戸は青く塗られていて、裏から点描で模様が打ち出されています。
ここも改修に期待したいところです。
朝陽街と東太平街を結ぶこの通りも、昔は人波が絶えなかったのではないでしょうか。
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