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2008年5月 1日 (木)

聖天坂通〜晴明通を歩く

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昭和町で昭和の日イベントがあると聞き、出かけてきました。
でもその前に寄り道。前から気になっていた、聖天坂通を歩くことにしました。阿倍野の上町から天下茶屋にくだる東西の坂道の一つなのですが、その道沿いにはかつて天王寺村役場がありました。1897年(明治30年)に天王寺村の北半分が大阪市に取り込まれてから1925年(大正14年)に完全に大阪市に編入されるまでの約30年間です。
その間、この通りはいわばメインストリートだったのではと思ったわけです。
手許に「阪南郊外精図」(大正10年、大阪市立図書館所蔵)のコピーがあり、それも参考にしました。

私は天下茶屋から歩き始めました。
坂の下は阪堺線の聖天坂駅です。その向かいに鉄工所がありました。

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鉄工所なのに(なのにといっては失礼ですが)きれいな石塀です。

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聖天坂の登り口です。期待を抱かせます。そば屋や長屋があって雰囲気たっぷり。

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坂の下には日本基督教団の天下茶屋教会。大正時代には既にこの場所に教会があります。

080429shoten5h坂を登っていくと、○○庵、○○坊という名前の建物があります。なんとなく場所のイメージが伝わります。大正時代には周囲に丘や池があり、建物もそれほど建て込んでいません。

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坂を登り切ると朝暘幼稚園、向かいには晴明丘小学校があります。大正時代には第一小学校として存在しましたが、その一角に天王寺村役場もありました。このあたりが天王寺村の中心ということになるのでしょう。

幼稚園の門の奥には、「朝暘館」と書かれた石碑が立っていました。旅館でしょうか。

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ここで横道へ。晴明丘小学校の東を回り込みました。するとこんな住宅が。古いとも何ともいいがたいのですが、気になるデザインです。

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ハーフティンバー(壁面に木を露出)の意匠もですが、アーチ窓や丸みのある庇も気になります。

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さらに行くとこんな洋風住宅が。こちらも一部ハーフティンバーの意匠。でも煙突はないなあ。

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反対側から見ると小学校と緑のトンネル、さらに、なにわいばら(たぶん)が溢れるように咲き乱れています。なんて素敵な。

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お隣はレンガ塀の洋風住宅。新しいような、でも・・・
一帯はとても良い環境です。

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同じ家の蔵ですが、こちらでも左の小学校から緑のトンネルができています。

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さて、元の通りに戻ります。このあたりは晴明通になっています。純和風の不動産屋さんがありました。

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見どころは銅板の戸袋。麻の葉と七宝(?)の組み合わせです。繊細に仕上げられています。

080429shoten15hこの通りの路側は切石が並べられています。側溝の一部には煉瓦敷きもありました。刻印も一つだけ発見。六光星です。心当たりなし。

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阪堺電車上町線の東天下茶屋駅までやってきました。どちらも通りとクロスする位置に駅があります。そこにかわいらしい派出所が立っていました。正式名称は「阿倍野警察署東天下茶屋警ら連絡所」だそうです。

(追記)かなり前に解体されました。(2017.12.31記)

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晴明通の端まで来ました。古い町家をつかった骨董屋さんがあります。「工房チンチロリン」・・・松虫? 大正〜昭和初期のカップ&ソーサーを置いておられて、そのデザインがモダンなのに驚きました。普通に使えそう。一番いいのは、大倉陶園の大正時代のものだそうです。場所と時代が合っていてうれしくなります。向かいには若者向けに揃えた店も出しているそうです。

(追記)現在は、マタニティフォト専門の大森カメラ店になっています。(2017.12.31記)

聖天坂通〜晴明通は期待した通り、趣のある通りでした。
今度は別の通りも歩いてみます。


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コメント

朝暘館は、”かつて小西久兵衛翁が皇族方のお宿として提供していたところで、通称「御殿」と呼ばれる和・洋式二つの建物と回遊式の庭園とを持つ大阪でも数少ない緑豊かなところ”だそうです。

http://academic1.plala.or.jp/chouyou/2pezime.html

私は名前を知っていましたが、内部などは知りません。かつてどこかの本(? 雑誌? 大阪人?)に少し紹介されていたような記憶があります。ただ、幼稚園があることなどから、密やかに静かに守られているのかなとも思います。

投稿: ひろ009 | 2008年5月 1日 (木) 21:31

ひろさん、情報ありがとうございます。
ちゃんと建物もあるんですね。
昭和21年という時代に幼稚園を始めるとは。
園庭開放の言葉に釣られましたが、園児の父母向けでした。当たり前か。

『大阪人』2007年5月号(特集「道頓堀グルメ」)に「発掘 the OSAKA(60)「朝陽館」」掲載となっています。私の手許にはないんですよ。

投稿: びんみん | 2008年5月 2日 (金) 00:14

確かに『大阪人』2007年5月号に載っていました。再読しましたが凄いです。私が知ったのはその2年くらい前でしょうか。

『大阪人』最新号は買っていないのですが、バックナンバー販売はあるのでは?

投稿: ひろ009 | 2008年5月 2日 (金) 00:26

凄い建物なんですか。
門の所からは距離があり、よく分かりませんでした。
バックナンバー入手も考えてみます。

投稿: びんみん | 2008年5月 2日 (金) 00:57

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