新潟まち歩き(16)ハンノキ島を歩く
新潟の古町と信濃川の間に礎町通、下大川前通などのある緩い山型の街区があります。ここは江戸時代には榛島(はんのきじま)や梨島と呼ばれた信濃川の州で、明治以後、街区が割られて都市化した地域のようです。運河が埋め立てられて、今は完全に町の中です。
そこに木揚場教会があります。
以下、説明は新潟のDaaさんの紹介されている記事によります。
「木揚場」という言葉を私は、ここが材木置き場になっていたのかな、ぐらいに思っていたのですが、実はもっと特定の意味を持つ言葉だと後で知りました。つまり、明治の10年代、京都東本願寺の両堂を再建するために全国30ヶ所に設けられた用材の集積地=木揚場の一つだったということです。新潟の木揚場は明治14年に開場し、その作業を手伝いに来た方の説教場として教会が置かれたのが始まりなのだそうです。
新潟の木揚場は明治23年に閉鎖されますが、教会は残りました。現在の教会は大正14〜15年に再建されたものだそうです。洋風の教会といっても真宗大谷派の教会なのです。国の登録有形文化財でもあります。
斜めから見ると、車寄せのように玄関部分が出ているのが分かります。
玄関正面から。3本ずつの円柱が立ち、柱頭はデザイン化されています。玄関上部には石でアーチが組んであります。正面から見るとまるきり洋風なのですが・・・
後ろから見ると真宗寺院らしい大屋根です。面白い折衷の仕方。
さて、ハンノキ島を歩いていると、旅館、料理屋などが目に付きます。今は空き地も多いのですが、そこから昔の雰囲気が伺えます。
こちらも旅館っぽい建物。
石垣の彩りが美しいです。
石垣ついでに、この黒い屋敷と白い蔵の対比が目立つお宅。
木材のような縞模様の石を貼ってあるのが特徴的で、きれい。調べてみると、群馬の多胡石(砂岩)に近いようです。
倉庫もまた港町・新潟らしい建物ではないでしょうか。
ツタの絡まる塀は、煉瓦塀です。
最後に近代建築をひとつ。
ハンノキ島には風流な雪月花を冠した雪町、月町、花町があるのですが、その花町にある、ひらの理容です。
妻部分の装飾が洋風で、何か意味が込められているのかと気になりますが、この日はご旅行とのことで不在でした。
通りなどに雰囲気のあるハンノキ島です。
(新潟の方がこの地域を何と呼んでおられるか分からないのですが。ハンノキ島ではないでしょうね。)
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コメント
周回遅れで書き込みしてますが・・・
ハンノ木!
恥ずかしながら、はじめて聞きました。調べてみます。
木揚場教会は一般の人も利用できるので、
友人はここでヨガ教室を開いています。
内部も不思議な空間ですよ。
花町のひらの理容店。コアですね〜。
数年前まで、この隣の小さい藤家ビルの2Fに仕事場を持っていました。
いまは上の喫茶店「砂場」の近くに移転したのですが。
ああ、つい長くなってしまう。
すみません!
投稿: uoo | 2008年5月31日 (土) 10:54
榛島(梨島)の他に秣島などの名前も出てくるので、どのあたりがどの名前なのかよく分かりません。
木揚場教会はオープンなんですね。
内部がどんな空間なのか知りたいです。
長い書き込み歓迎ですので、どうぞどうぞ。
投稿: びんみん | 2008年5月31日 (土) 17:35