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2008年5月20日 (火)

新潟まち歩き(13)日本で最初の白山公園

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新潟市の一番堀通町にある白山公園(旧新潟遊園)は、明治5年に起工し、明治6年にできた日本で最初の公園と言われています(外国人専用の公園としては明治3年の横浜山手公園)。今回の旅行の大きな目的が、この日本最初の公園を訪ねることでした。

この一帯は白山神社を含め、新潟のまちとは堀を隔てた島になっていて、江戸時代にはこのあたりが荷揚げ場だったようです。

詳しい話は後にして、まずは園内を歩いてみましょう。
裏口の東堀口から入りました。自然石の車止めがいい感じ。

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オランダ式庭園と言われているのですが、和風に見えます。
灯籠があり、庭石が配されています。
ここであいにくの雨模様。
でもどちらかというと雨の似合う公園です。

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人工の滝も作ってあります。
滝は当初からあったようです。

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ひょうたん池には藤棚の橋がかかっています。
ちょうど藤の花が咲いていました。


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池には噴水があります。
そのあたりは洋風。

(追記)
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噴水は古い絵葉書にも描かれています。(2010.1.3記)

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池はもう一つあります。藤棚、そして東屋があります。

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(追記)池の中に立つ屋根を持つ塔は、ラジオ塔らしいです。ラジオの普及を図るために全国に立てられたもので、塔からラジオが流れました。日本放送協会新潟放送局は昭和6年に開局し、開局1周年記念として昭和7年にこのラジオ塔が立てられたそうです。(2009.1.11)

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公園の真ん中に築山があるので、登ってみました。
この築山は当初からあります。
この石段が面白かったので、ちょっとお付き合いください。

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一段一段、石の配置が違うんですよ。面白い!(と思うのは私だけ?)。石臼も活用されています。角の石はまた緑色凝灰岩のようにも見えます。
雨が降りかけでまだら模様なのが残念。乾いてるか、濡れてるか、どっちかの方が良かったのに。

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他の登り口もまた違う石段なんです。

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こちらはノミ跡を付けた切石。これも緑色凝灰岩か。

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築山に登ると新潟県令楠本正隆の銅像が建っています。
彼がこの公園の発案者です。楠本正隆は長崎・大村藩出身で、明治5〜8年まで新潟県令として活躍し、新潟遊園をはじめ、国立第四銀行の設立など新潟の近代化に尽くしました。新潟での実績が評価され、明治8年に東京府知事に転任します。

明治6年には太政官布達16号が公布され、群衆の遊覧場所を公園に指定せよという指示が出たのに応え、全国25の公園が用地設定・開設されたそうですが、その一つに新潟遊園も指定されました。布達が出る前から取りかかっていたので、日本で初めてという訳です。

公園の設計には、同じく大村藩の長岡安平の関わりが推測されていますが、決定的な証拠は明らかになっていないようです。長岡安平は当時新潟におり、のち東京府知事となった楠本正隆により東京府の土木職員に任命され、東京の公園はもちろん、のちに全国の多くの公園を手がけました。

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築山にはもう一つ、「新潟遊園碑」も立っています。
新潟遊園の開園を記念して、明治6年に建てられたものです。公園で身体と精神を養って、勉強に励めという調子で、読んでいると当時は公園で憩うのも随分肩に力が入っていたのだと思います。
長いですが、解説板の読み下し文を引用します。




        新潟遊園記
         太政大臣従一位 三条実美卿表額
 嗚呼、園や遊ぶ可き也、鬱乎たる其の樹は酸素を噴き、
割乎たる其の境は大気を通ず。螺径は歩む可く、沼沚は、
眄む可し。亭樹は憩う可く、橋梁は倚る可し。以て其の
精神を養い、以て其の身体を健やかにす。神之養と体之
養とは勉強に資する所以也。夫れ人之世に在る也、貴と
無く賤と無く、皆な力むることを以て自ら食し、而して
人に求めず。貧と無く富と無く、天下を以て己の任と為
し、而して衆に譲らず。蓋し天下は人を以て立ち、独り
政府を以て立たず。故に一人一日之遊惰廃業は、即ち天
下一人一日之損傷に係る。若し幾千人幾百日之遊惰廃業
を以て之を計れば、則ち天下幾千万之損傷を招かん。
以て交際す可からず、以て戦闘す可からず。地の大なる
こと魯米の如きと雖も、何ぞ東洋の一孤島と異ならず物
の阜なること英仏の如くと雖も、北海の僻地に過ぎず。
故に余謂えらく、開化之本は勉強に在り。勉強之本は身
体を健やかにし、精神を養うに在り、遊園之設け其れ止
む可けん乎と。余嘗て海外を歴遊するに皆な遊園有り、
林樾は茂密、沼地は清瑩、異芳発して蘚は、麗しく佳木
は秀でて掩暎す。貴族は往き、豪商は馳せ、美女は玉の
如く車馬は織るが如し、恍として人の世間に亦、何の遊
観が有りて以て此に代る可きやと疑えり。而して荷蘭の
制は、博物館、動植物を其の中に寓し、運動之間に古今
を証し、物理を窮め使む。最も簡にして、且、該と為す。
今茲癸酉、余、越後に遊ぶ。新潟県令楠本正隆君は励精
して治を図り、凡そ、旧貫にして改む可きは亟かに之を
改め、新たな利の興こす可きは速かに之を興こす。県の
西南に隙地有り、周囲は寛宏、眺瞩明眉、信水は引流し
彦山は青を送る。天然の風景巻まりて園中に供せり。
詢に形勝之区為り。頃、政府に請りて、以て遊園と為し、
方に土工を興こす。官吏は給を捐て、費に責する者あり。
県民は金を醵まって、役を助くる者有り。而して、其の
規模は略ぼ、荷蘭之制に倣うに倚れり。乃ち、衆に告諭
して曰く、凡そ、此の園に遊ぶ者は運動を以て務めと為
し、遊惰を以て嬉しみと為すこと無かれ、養生を以て限
りと為し、業を廃するを以て恬と為すこと無かれ。汝の
精鋭を蓄えて汝の職業に施せ、是に於て、治下の民、奮
起せざる莫し、勉励して各、其の職に服す。夫れ、越後
は大国なり、山を負い海を枕とす。若し、夫れ、鉱を鑿
ち畜を牧し、港を整え、路を修める之類には、州民能く
力を勉めて従事し、県令の意を奉ずれば、則ち、越後全
州、一百里之内の民力は尽く挙がらん。推して之を日本
全国に及ぼせば、三千万之人民、皆な越人の如くならん。
則ち、三府六十県之民力は尽く挙がらん、夫れ此くの如
くして然る後、以て交際す可く、以て戦闘す可く、以て、
各国与並び立つ可し、遊園之設け、其れ止む可けん哉。
県令、余に属して文を為り、之を記さしむ。余、県令之
治に励み、州民之協力を美しとして、是に於て書す。
           従四位 秋月種樹 撰文

白山公園(旧新潟遊園)内には、他にも様々な石碑や灯籠、記念物などがあり、ちょっとした歴史資料館のようです。後から様々なものが追加されながらも、当初の公園の雰囲気をとどめているのを嬉しく思いました。

(追記)
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<大正2年 新潟市全図>

参考まで、大正時代の白山公園周辺の様子です。
西に新公園というのができていたんですね。
(2010.2.21記)

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