津偕楽公園
出張で時間ができたので津偕楽公園(三重県津市)を見てきました。
丸石の敷かれた階段・坂道を登っていきます。
この公園、起伏が多くて、見どころがたくさん。
なぜかというと、古くは津藩藩主の鷹狩場で、11代藩主藤堂高猷(たかゆき)の山荘があった場所だから。偕楽公園という、江戸っぽい名前も、園内の亭舎に“偕楽園”の扁額がかかっていたからだそうです。
園内には「三重県公園記」の石碑が建っています。
この公園はもと三重県公園と呼ばれ、開設されたのは明治10年(1877年)4月といいますから、日本でもかなり開設の早い公園です。この石碑も当時のもの。
碑文は漢文で記されていますので、意味を取りにくいのですが、公園開設の経緯のほか、日曜日はこの公園で英気を養って、再び勉強に励めといっているようです。
三重県公園記 礼曰一張一弛文武之道也夫人之勉強也其張気力己久則不 得不憊然弛之一日逍遥遊息悦其耳目則気力復振比諸日日 操業而気力萎茶者則其功百倍是其所以有張弛之訓也 朝廷之制亦本此意給日曜之暇以養其気力設公園之観以悦 其耳目此二者相須而後民浴偕楽之化矣我三重県公園者在 伊勢国安濃郡部田村本係旧津藩主藤堂氏別墅及藩廃其地 入 官蕪穢不治県令岩村君惜之稟請為公園藤堂氏亦献其 亭館樹石於是下花時開園之令園傍居民聞之争鋤理之以復 旧観蓋有甘棠之感而然歟今茲四月花方発乃卜曜暇以開園 園踞山枕海堂廡壮麗卉木蕃而泉石潔風雨雪月之観皆宜是 日也天気和照士女填咽酒如澠殽如邱助以琴棋書画而鶯歌 燕舞花気酒香苾苾乎薫於恵風驩虞之象可掬也鳴呼今日遊 此園者誰不享快楽然享快楽者固由勉強苟不勉強而徒享快 楽則其快楽必為愁苦之具矣西哲曰人之享快楽是天賞其勉 強也怠惰之人天豈賞之乎信哉余切望県下人民居恒勉強各 勤其業以暇日遊息於此悦耳目養気力然後又復勉強益致富 裕其相交如兄弟怡怡愉愉同福共慶猶今日偕楽於此也果能 如是張弛之訓行而偕楽之化洽矣吾故為之記鐫之貞珉以諗 於来遊者 明治十年四月 伊勢 福井過*撰弁書 |
※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。
写し間違いがあるかと思いますので、
おおまかに意味を取る程度でお願いします。
*草冠に過
この公園では、別の解説板によると、明治11年に三重県内物産博覧会を開催、明治20年に倶楽部を建設、明治40年に第9回関西府県連合共進会(企業が産物や製品を競う展示会)が開催されたそうですから、天王寺公園と似ています。
公園にはこのような池があります。
こんな橋がかかっているのも天王寺公園に似ています。
このような池は山荘の名残ではないでしょうか。
ところどころに灯籠が立っています。
何これ?と思いますが、丸石を積んだ井戸の跡のようです。
危険なので石材で蓋をしています。
遠目に石棺かと思いました。
近くには空っぽの動物舎もあります。
そしてここにも逆円錐の水飲み場が。
やはり古い公園には共通して置かれています。
いつかその由来と名前を知りたいものです。
津偕楽公園は、津駅の西口を出るとすぐ。
大きな石碑がいくつも立っていますので、歴史散策にも面白い公園だと思います。
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