« 瓦屋さんの招き猫(河内長野市) | トップページ | 文化的な文化住宅 »

2007年8月 4日 (土)

帝塚山万代池公園の周辺

070722mandai1
戦前の公園を求めて、万代池公園に出かけました。
万代池は上町台地の谷をせきとめてつくられた灌漑池と考えられています。
こんな静かな雰囲気からは想像できませんが、大正時代には帝塚山共楽園という遊園地で、大プール、スケート場、食堂まであって、春夏は賑わったそうです(住吉区HP)。
昭和16年の地図にもまだ共楽園という表示があります。
昭和15年(1940年)、大阪市の万代池公園となりました。

 


より大きな地図で 近代の公園 を表示

 

070722mandai12
池の中には島が3つほどあって、そのうち1つには橋で渡れます。
島には古池龍王が祀られていて、「ああ、雨乞いの神様かな」と思っていると、管理に来ていた方が、「これは女の子を助けようと溺れた先生を供養するために近くの住職さんが建てたものです」。昭和28年のこと。その隣にある小さな灯籠は、「矢の刺さったアヒルとカモが埋められています」。伝統は意外と新しい。

 

この公園は帝塚山音楽祭の会場でもあるようで、あちこちに帝塚山音楽祭の名前入りの灰皿などがあります。

 

070722mandai2
公園の一角に「整地記念」の記念碑がありました。
昭和16年に住吉第二耕地整理組合が建てたものです。
碑文によると、周辺は錯雑した農地でしたが、住吉第一次(明治45〜大正3年)、住吉神一(大正14〜昭和3年)、住吉第二(大正14〜昭和16年)の3つの耕地整理組合による区画整理が行われ、碑文の建ったときには既に宅地化していたようです。総面積は36万2112坪、道路延長25.2km、水路延長8.8kmと記されていますから、かなり大規模。天下茶屋の南に続く宅地開発で、住吉第一は帝塚山中1〜3丁目、住吉神一はその南の4〜5丁目にほぼ該当します。住吉第二はその後を受けた熊野街道東側の大規模な開発のようです。今の地名では、帝塚山東、万代、万代東、大領あたりにあたると思われます。

 

070722mandai3
万代池の周辺を歩いていると、このような廃墟っぽい学校が目にとまりました。
しかも戦前のものらしい。

 

070722mandai4
表に回ってみるとこんな立派な校舎が現れました。
2階建てなのに3〜4階建てに思えます。

 

いろいろ調べてみると、大正14年(1925年)に完成した大阪府女子専門学校の校舎だと分かりました。
のち、昭和24年に大阪女子大学となり、その移転後は府立看護短大、府立貿易専門学校の校舎として使われて、2004年の専門学校廃校後は使われていないようです。ということは、大阪府の持ち物でしょうか。大阪女子大学の図書館は、大阪府公文書館として使われています。また南側のグラウンドには老人ホームが建っています。東側に1984年まで関西外国語短大があったそうですが、その位置はよく分かりません。あるいは万代幼稚園のあたりなんでしょうか。

 

もともと1923年(大正12年)に地主の山田市郎兵衛という方が、土地と建設費用の寄付を申し出たそうで、帝塚山開発の一環と言えるのかもしれません。

 

070722mandai5
玄関の上には壺が乗っています。

 

070722mandai6
こちらの入り口も立派なもの。
大正時代らしい意匠だと思います。

 

(追記)

120103joshisen1
久しぶりに通りがかるとこの校舎は既に解体され、特別養護老人ホーム・養護老人ホームが建設中でした。既に2009年には解体されていたようです。

 

120103joshisen2
かろうじて門柱の一部と塀に名残がありますが、これも最終的に残されるのかどうか。壊されるときに話題になったという記憶はなく、もともと土地・建物とも寄付で建てられた建物が、こうしてひっそりと取り壊されて売却されてしまっていることに悲しい思いがします。(2012.1.3記)

 

070722mandai7
ついでに周辺も見て回りました。
これは万代池の西に隣接する区画。住吉第一耕地整理組合の地区です。
郊外住宅の立ち並ぶ雰囲気が残っています。
ちなみにこの道路は熊野街道でもあります。

 

070722mandai8
こちらのお屋敷は新しいかも。
でも雰囲気あります。
住吉神一耕地整理組合の区域。

 

070722mandai9
こちらはたぶん古い洋館。
急傾斜の屋根が特徴的です。
こちらも住吉神一。

 

古い公園の周囲は要注目です。

|

« 瓦屋さんの招き猫(河内長野市) | トップページ | 文化的な文化住宅 »

建築」カテゴリの記事

日常旅行(大阪)」カテゴリの記事

公園」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。

小さい頃からよく泊まりがけで遊びに行った叔母の家が万代池公園のすぐ近くにあったので(今もありますが)、万代池には親しみがあります。昔は従兄弟とここでモロコなどの小魚を捕まえたり、池の周りを駆けっこしたりしました。

大阪女子大学は姉が受験の時に合格発表を見に行ったりしたことを覚えています。

この界隈は立派なお宅が多いですね。
今でもときどきブラブラ歩いて家を眺めたりします。

投稿: ひろ009 | 2007年8月 5日 (日) 15:18

ひろさんには馴染みのある公園なんですね。
昔から変わらない雰囲気でしょうか。
大阪女子大学の中にも入られたんですね。
せっかくいい環境なのに今は遊休化しているようなので、大阪府にうまく活用してもらえたらと思います。

投稿: びんみん | 2007年8月 5日 (日) 16:32


万代池の近くに、以前帝塚山短期大学があり、その学校の女学生(淡路島出身の人と記憶している)と話をするようになり、池でボート遊びをしたり、時には阿倍野へ映画を見にも行ったが私の勤務箇所の異動で会えなくなった。40数年前のことだが、もう一度逢ってみたい。

投稿: 万代公園池愛好者 | 2012年1月30日 (月) 00:29

万代公園池愛好者さま
思い出のご紹介ありがとうございます。
万代池は思い出深い場所なのですね。
その方も気付いていただけたら良いのですが。

投稿: びんみん | 2012年1月30日 (月) 00:44

共楽園から万代池公園になったのが昭和15年、ちょうど「皇紀二千六百年」ですね、公園内には忠魂碑や国旗掲揚台(紀元二千六百一年の彫り込みあり)などがあるのでこの公園化と関係があるのかもしれないですね。

投稿: あのまのかりす | 2012年3月19日 (月) 13:54

あのまのかりすさま

たしかに皇紀2600年の記念事業の一つなのかもしれませんね。忠魂碑や八紘一宇の柱は見たのですが、その時は国旗掲揚台と気付いていませんでした。
ありがとうございます。

投稿: びんみん | 2012年3月20日 (火) 00:05

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 帝塚山万代池公園の周辺:

« 瓦屋さんの招き猫(河内長野市) | トップページ | 文化的な文化住宅 »