新長田の路地の煉瓦
今日は狭山の煉瓦トンネル群を見て歩きました。また、下関の話も残っています。
けれどどちらも時間がかかるので、短いものをご紹介します。
新長田を歩いていると、路地の煉瓦が目に入りました。
ぷにょさんが紹介されていたな、と。
煉瓦敷きにモルタルを塗ったのがはがれているのは同様。
ただ、敷き方はシンプルです。
その中に刻印の判別できる煉瓦がありました。
拡大するとこんな感じ。
「大」の刻印です。(2つあるのは、たぶん右の「大」を押すのに失敗して薄かったのでもう一回押しただけだと思います)
製造所が分かれば、あるいは来歴が推測できるかもしれません。
震災で建物は壊れても煉瓦敷きや石畳は過去の路地の記憶を留めています。
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コメント
ほんとだ、レンガ敷きですね。
刻印はっきりわかりますね。かなり古そうに見えます。
私も、刻印レンガがないか、今度入り口近くで見てみます。
投稿: ぷにょ | 2007年4月 1日 (日) 01:54
ぷにょさん、こんにちは。
ぜひ刻印煉瓦を確認してください。
ちょっと調べてみたら、気になる記述がありました。
「昔は路地裏にレンガ筋市場、えびす市場といった市場がたくさんあったのですが、丸五市場ができて、つぶれていきました。」
(「神戸・ながた まちの情報館」HPより引用)
http://i-town-nagata.com/02/cont-02-07.htm
丸五市場は大正7年(1918年)にできたそうなので、レンガ筋市場は明治か大正。レンガ筋市場の遺構だったりしたら面白いなと思いました。
投稿: びんみん | 2007年4月 1日 (日) 10:38
レンガ筋市場という名前は、推測ですが、レンガ塀の脇の道を「レンガ筋」と呼び、その道の奥の路地裏に市場があったのではないでしょうか。市場自体は路地裏の小さな市場ですから仮設小屋の集まりみたいなものだったのでは。
そしてそのレンガ塀は、周辺にあった何かの建物の塀だったのでは、と想像します。
丸五市場ができてレンガ筋市場はつぶれてしまいましたが、レンガ塀の本体である何かの建物はその後も残っていたでしょう。そしてその建物が壊されたときに、レンガを路地の床に敷いたのかもしれませんね。
路地の所在地から、昔あった洋館が確認できるかも?
あくまで私の想像ですので事実は違っているかもしれません。あしからず。
投稿: ぷにょ | 2007年4月 1日 (日) 19:36
なるほど。ありえる推測ですね。
私は単純にレンガ敷きの通りだったのかなと思いましたが、でもそんなこと普通はしないですね。今ならともかく。
レンガ塀の本体は、場所柄、工場の塀というのがありえるかなと思います。
投稿: びんみん | 2007年4月 1日 (日) 22:40