昭和の下関(細江町周辺)
<都市機能の移り変わりのイメージ>
下関の話の続きです。
下関の町を見て思ったのは、核がたくさんあること。
おおまかに図に落としてみたのが上の図です。
江戸時代は長府が城下町で、古来の港町は唐戸のあたり、18世紀後半に北前船が走るようになって港は下関駅より西の伊崎に移ったようです。明治になると唐戸のあたりが開港して賑わい、明治34年に旧下関駅と関門連絡船、明治38年に関釜連絡船が運行されるようになると賑わいは旧山陽ホテルのある細江町のあたり、昭和17年に関門トンネルが開通して今の下関駅に鉄道駅が移転しています。当然、中心地もそちらへ。一方、九州側も今、門司港レトロと言われている地区が明治22年から戦前まで賑わっていたようです。その後も昭和50年に山陽新幹線が通ると一部都市機能は新下関へ、そして商業機能などは小倉などにも引っ張られているのではないかと思います。
そういうわけで、中心地が移動したために、建て替えがあまり行われず、各時代の遺物が違う地域に残るという、観光客にはありがたい結果になっているのですが、行政はたいへんでしょうね。
出張の翌日、朝の2時間ほど、下関駅から唐戸まで散歩(途中はバス)しました。
今回は昭和初期から30年代ぐらいに出来ていると思われる細江町のあたりの紹介です。
まず気になったセントラルビル。
ちょっとかっこいい感じがしませんか。
給水タンクのカバーにもデザインが行き届いています。
大洋船具のビル。
昭和12年(1937年)の建物。
十字の線と丸窓の配置が、非対称でありながらバランスをとったデザインです。
船具の会社は大阪の川口あたりにもありますが、戦前を感じさせます。
すっきりしたデザインの医院。
窓枠は木製でした。
山口県銀行協会の下関手形交換所。
窓の金属の装飾が特徴的です。
ここまで来ると下関駅と唐戸の間ぐらい。
大通りに面した岬之町に気になる建物がありました。
増築に増築を重ねてという感もあります。
近寄っていないのでビル名も含め、詳細は不明です。
細江町周辺は、1960年代、70年代の建物も多く、ついつい時間を取ってしまいました。
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コメント
下関にはおもしろい建物がたくさんありますね。
セントラルビルかっこいい!!
大洋船具のビルは、境川の近くのみなと通沿いの元ガス屋の
建物に似てると思いました(細部はよくわからないのでぱっと見だけ)。
こんな建物は歩いて見つけられたのですか?本とかには
載ってないですよね?
投稿: ぷにょ | 2007年4月 1日 (日) 01:50
下関はおもしろい建物がかなり多いです。
今回は歩いて見つけました。でも「近代建築ガイドブックの西日本編」などには載っているのかも。持ってないので。
大洋船具の情報は、山口県の近代化遺産リストに載っています。
このリストは結構役立ちそうです。
http://www.pref.yamaguchi.jp/gyosei/kyo-shabun/bunka-h/06.htm
後で確認したら、前村さんのブログには大洋船具、下関手形交換所、最後の謎の建物、小道さんのHPに下関手形交換所が紹介されていました。
「境川の近くのみなと通沿いの元ガス屋の建物」、また確認してみたいと思います。
投稿: びんみん | 2007年4月 1日 (日) 10:56