ターミナル・ホテル(下関)

下関への出張が決まってから簡単に下調べをして、まず行ってみたいと思ったのが、ここ旧山陽ホテルでした。
明治35年(1902年)に日本初のステーションホテルとして開業、皇族が泊まるほど格式が高かったそうです。火災で焼失後、大正12年(1923年)に再建されたのが、現在の建物です。設計は辰野葛西建築事務所。
今は建設会社が入っています。
(追記)

<営業時の姿> (2010.11.22記)

建物そのものも、もちろんなのですが、かつての下関駅という場所、ここから船に乗って大陸に旅立って行った場所が見たいと思いました。下関駅は、明治34年に馬関駅として開業した山陽鉄道(神戸〜馬関)の終着駅です。翌35年に下関駅と改称し、昭和17年に現在の下関駅の位置に移転するまでここにありました。
上の手描きの地図は絵はがきからすると、こんな位置関係かなという推測です。
最初の写真でいうとホテルの左手前あたりでしょうか。
ちょっと写真多めに紹介します。

まず目をひくのが、角にある車寄せ。
当初の面影を残してくれています。

近寄るとこんな感じ。細い鉄骨で構成されています。ところどころ渦巻きのような飾りが入ります。

建物の側面。こちらにも入り口があります。
また、地階に降りるスロープがあるのですが、埋め立てられたのか、もともとスロープだったのか。

側面入り口の柱の拡大です。
正面ほどではありませんが、ちゃんとデザインが施されています。

1階部分と地階部分のあたり。
建物の南西角です。

地階の面格子。
ここにも渦巻きのモチーフ。

壁面はこんな感じ。どこかで見たような、ですね。
大阪の大阪屋ビル(ひろさんの記事)、崎山ビル、京町ビルのような。
窓と窓の間の四角い飾りはセセッション・スタイルだと、海野弘さんの『モダン・シティふたたび』で知りました。
この旧山陽ホテルの位置からは今も海が見えます。
周辺はそれほど開発されているわけではありません。
早々に鉄道から切り離されたことでホテルの経営は傾いてしまったようですが、かえって今に残ることになったのかもしれません。
(追記)

<絵葉書 下関駅埠頭>
※右端に見えているのが旧下関駅舎ではないかと思います。その裏にある山陽ホテルは見えません。(2010.3.10記)
(追記)
旧山陽ホテルの解体が決定したそうです。@roadexplorerさんから情報をいただきました。
>JR西日本のプレスリリース 解体工事2011.1.14〜3.20。 一部を大阪・弁天町の交通科学博物館に収める。
(2010.12.27記)
| 固定リンク
「建築」カテゴリの記事
- 四国村の灯台エリア(香川県高松市)(2025.04.06)
- 野外博物館・四国村(香川県高松市)(2024.07.14)
- 屋島ケーブル跡(香川県高松市)(2024.06.24)
- 北白川の住宅地を歩く(京都市左京区)(2024.06.06)
- 岡ビルから南の建物(愛知県岡崎市)(2024.02.16)
「国内旅行(山口)」カテゴリの記事
- 唐戸の近代建築(下関市)(2011.04.24)
- 中は畳の旧秋田商会(下関市)(2011.04.21)
- 山口・長崎(2009.08.10)
- 見せる魚市場(下関・唐戸)(2007.04.23)
- 2つの旧英国領事館(下関と長崎)(2007.04.22)


コメント
素敵な建物ですね!今はホテルとして営業してないのですか?そのまま使えそうですが。是非泊まってみたいですね~
エントランスの屋根の繊細な鉄骨と軒飾りがしびれます。
投稿: ぷにょ | 2007年3月16日 (金) 01:13
ネット情報では、残念ながら玄関ホール以外の内部は改装されているようです。
JR西日本の所有みたいなので、うまくホテルに戻してもらえたらありがたいことなんですけどね。
投稿: びんみん | 2007年3月16日 (金) 02:39
未だに残る渡船の下関側のあたりですかね?
門司から渡船に乗ったら、下関の街にちかい港に着いてしまってバスで下関駅まで戻った記憶があります。
投稿: 虹のパパ黒山羊 | 2007年3月18日 (日) 12:06
黒山羊さん、こんばんは。
このあとまた紹介するつもりですが、渡船の着くのはもう少し遠い唐戸という地区です。
そちらには市役所や旧英国領事館などがあります。
下関駅ができて、市の中心が西に移動したのではないかなと思います。
投稿: びんみん | 2007年3月18日 (日) 21:39