ひらパーの2日間
もう2ヵ月以上も前の話になるのですが、思い出深い2日間だったので書き留めておきたいと思います。
ひらかたパークは1912年(大正元年)に開業した遊園地です。同じ年に開業した新世界のルナパークは11年の歴史で既にノスタルジーの彼方なのに、こちらはいまだに現役。すばらしいことです。
1910年(明治43年)に京阪電車が天満橋〜五条間の営業を開始したとき、香里園の香里遊園地で始まった菊人形展をルーツとするそうです。ニューヨークのコニーアイランドに第2の遊園地・(本家)ルナ・パークが開業したのは1903年。遊園地の競争が始まるのですが、10年たたないうちに関西でも香櫨遊園地(1907年)、玉手山遊園地(1908年)、宝塚ファミリーランドの前身の宝塚新温泉パラダイス(1911年)などが続々と生まれています。
しかし、それから100年。何度かのブームで開園した遊園地も次々に閉園し、残るものはわずかとなりました。子どものときに連れて行ってもらった遊園地が、自分が子どもを連れて行くときにも残っているのはとても意味のあることだと思います。
集客の目玉だった、ひらかた大菊人形は職人の高齢化のため2005年(平成17年)に幕を閉じ、昨秋、ひらかたパークは、初めて菊人形のない秋を過ごしました。ひらかたパークの今後が気がかりなところです。
・・・といいながら、私にとっては初めてのひらかたパークだったんです。
始まりは1本の電話でした。中国の知人から、10月、唐突に電話がかかってきたのです。
聞き取りに苦労しながら、どうやら知人の姉の子どもが雑技団に入っていて、大阪の「メイファン公園」で公演をしているので、訪ねてほしいという用件だと分かりました。「メイファン公園」が「ひらかたパーク」だと気づくのにはさらにしばらくかかりました。
中国の知人の縁がひらかたパークにつながるなんて。
さっそくひらかたパークのホームページを確認すると、たしかに少年少女雑技団の公演があります。
期間は11月23日(祝)まで。仕事の関係でなかなか訪ねることはできず、ようやく11月19日にひらかたパークを訪ねることができました。
しかし! 非情の雨天中止です。
といってこのまま帰るのもあまりに残念なのでお願いしてみたところ、宿舎に案内してくれました。
彼らは会期中、遊園地の一角に寝泊まりしています。
そこで初めて彼に会うことができました。彼は劉くん15歳(中国だから数えかな)。8歳から安徽省蒙城県の親元を離れ、200km離れた省都・合肥にある安徽省雑技団の下部組織に入っています。少年雑技団は先生15人に学生60人。3人1部屋の共同生活です。朝6時に起きて22時に眠るまで、みっちり練習(勉強も)があります。入団の年齢はバラバラですが、7年間の訓練と決まっているとのこと。つまり劉くんは最終年です。一つ言っておかないといけないのは、家が貧しい子が雑技団に入るわけではありません。日本で子どもにスケートを習わせるような感覚で習わせる人もいるようです。スカウトされて参加する子もいます。
安徽省雑技団は馬鞍山などで年に10数回の公演を行い、年に1〜2回、ヨーロッパや韓国などに海外公演するそうです。
今回は劉くんにとっても先生にとっても初めての日本。
9月27日に来阪し、11月25日に帰国するまで、ひらかたパークでおよそ2ヵ月の公演です。
安徽省雑技団からは、先生2人、少年団員6人が来日。今回は上海馬戯学校の女の子7人との連合チームです。それだけでなくて、上海からは通訳さん、同時開催の中国物産展関係者も含めての大所帯で来日しています。
この日はいろいろお話を伺って、家に戻りました。
次の機会は11月23日(祝)。
公演最終日で、まさに最後のチャンスでした。
お天気はいつ雨が降ってもおかしくないベタ曇り。
公演は平日は2回、休日は11時、13時、15時の3回公演。
この日は祝日なので3回公演です。
11時の公演は無事に始まりました!
最後の公演日とあって、これが終われば帰れるという安堵が入り交じっている様子。
でも怪我だけはしないで。
彼らの最初の演目は“爬桿(パーガン)”<棒のぼり>。
登って、飛び移って、回転。頭を下に急降下しながら地面すれすれでブレーキ、などなど。ハラハラする演技です。
最後に全員で決めのポーズ。
女の子の最初の演目は中国独楽(こま)。空中に放り投げて交換したり、回転しながらキャッチなど、新体操のような演技です。
グラスを載せて、シーソーの上に乗るというバランス演技。究極の、と表現したいところ。
彼女は最年長20歳です。
最後に全員で組みの演技、そして縄跳び。
公演が終わったらみんなで片づけです。
通訳さんも一緒。
片づけが終われば昼食。私も呼ばれました。
シーズンオフで営業していないプールの食堂が中華食堂に。
食堂のスタッフも中国から帯同しています。
この日のメニューは、鶏とじゃがいものソテー、野菜炒め、そしてスープでした。
おいしかったですよ。
片隅では中国のビデオが流れていました。
小さいのに少食で大丈夫かいな。
たくさん食べる人はたくさん食べています。
演技中と違ってくつろいだ様子。
食後は宿舎でひと休み。
彼らの間ではNARUTOがブームだそうです。
漫画の絵を描いたり、模型飛行機を作ったり、そのあたりは中学生らしい。
でも昼休みは短く、腰掛けたと思ったらもう次の公演時間。
2回目の公演。13時。
今度の彼らの演目は“地圏(ディーチュエン)”<輪くぐり>です。積み重ねた輪をジャンプしてくぐり、回転して着地します。床演技の一種といったところ。最終的にはこんな高い輪をくぐるんですよ。
2回目の公演が終わると、彼らのお世話係をしているひらパーのスタッフが、園内のボウケンジャー・ショーに連れて行ってくれました。
楽屋でボウケンジャーと記念撮影のサービス。
でも彼らは「(仮面ライダー)カブト」のショーを見るんだと言ってましたから、ボウケンジャーはもしかして知らないかも。ショーの観客の多くは幼稚園〜小学校低学年ぐらいかと思いますから、彼らの目にはどう映ったのでしょう。私から見ると彼らの演技の方がキレがあるけどなあ。
ともあれ、毎日ではないけれど、こうやって空き時間には園内を案内してくれたりもするようです。ときには彼らとふざけてみたり、ひらパーの対応にはビジネスライクでない暖かみが感じられました。
休園日の火曜日には、京都や大阪などあちこち連れて行ってもらえるようです。気に入ったところを聞いてみると「USJ」。やっぱり。
そうこうするうちに次の公演が近づき、ショーの途中で退出します。
いよいよ最終公演。15時。
少女が吊り下げられた2本の布を身体に巻いて、くるくると舞います。
こちらは別の少女のバランス演技。手足と口にグラスを載せたまま、身体を回転させるというものです。人間離れしています。
そして彼らの最終演目は再び“地圏”。
無事にすばらしい演技を終えました。
終了後はコーチの先生にひらかたパークからの花束贈呈。
その後は団員、スタッフ、観客まで入って延々と記念撮影。
2ヵ月にわたる公演を終えた喜びにあふれ、またひらかたパークや通訳さんとの別れを惜しむ彼らに、一日だけ来てちゃっかり乗るのはずるい気がして、もっぱら撮影係に徹しました。
この2ヵ月はいい思い出になったかな。
通訳さんが「天に感謝する」と言っていました。
ほんとにそう。今にも崩れそうだった天気は、最後まで持ちこたえてくれました。
やはり誰もが最後まで演技をして帰りたいはず。
劉くんは、雑技団とプロ契約を結び、今年からはプロの雑技団員としての道を進むそうです。
再びひらかたパークで公演することはないでしょうが、将来、日本公演に来たときに、ひらかたパークを訪ねてもらえたらと思います。
そのためにも、ひらかたパークにはまだまだ歴史を重ねてほしいと希望します。
かなりの長文を読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。
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