そば粉工場の門の来歴
天下茶屋の駅から西を見ると、信濃屋そば製粉という、とても目立つそば粉工場があります。
たまたま、この会社のホームページに行き当たったのですが、気になる記述があったので見に行って見ました。
上の写真とは逆の側、会社の正門です。
インパクトのある石臼の列も、洋館風の事務所も今回は横に置いて、この門柱、実は新町橋の柱だというのです。新町橋というのは、西横堀川の四ツ橋の北側にかかっていた橋で、江戸時代は新町遊郭の東の出入り口として賑わい、最後は昭和2年に架けられた鉄筋コンクリート造のアーチ橋が昭和46年頃の西横堀川埋め立てで消滅したそうです。
このそば粉工場は、その橋の柱を大阪市から払い下げ受けたそうです。
新町橋がかかっていた場所にも、このように記念碑として橋の一部が残されています。
現地でないということを除けば、記念碑よりも、門としての再利用の方が面白く思います。
橋は多くの人を迎え入れるものですから、招き猫より御利益があるかもしれません。
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