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2006年8月 9日 (水)

塩飽・山寺の夏祭り

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塩飽本島の話はこれで最後ですので、もう少しお付き合いを。
私が訪れた日はちょうど山寺の夏祭りという、この島でたぶん一番のお祭りの日でした。その日に合わせて出かけたわけではないので、私にとってはラッキーなタイミングでした。

060716sandou山寺の正式名称は正覚院。天平年間(729〜748年)、行基の開山と伝えられています。山寺に至る道はかなり急で、途中で自転車を乗り捨て(後で拾いましたよ)、歩いて登るのでもかなり難儀でした。最後はあじさいの咲く参道が、林の中を一直線に登っています。
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ようやく右手に仁王門が見えました。山に囲まれた境内は、祭りのクライマックスを前に人でいっぱいです。やはり年配の方が多いようです(港からバスの送迎があります)。そうめんのお接待の話を思い出しましたが、並んでまでも・・・と思ったので、そこは素通りして、寺の裏手に回ってみました。

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するとそこは目の覚めるような絶景! 今まで薄暗い山道を歩いてきたので、突然視界が開けて驚きました。ここまで山火事で焼けたらしく、向こう側はほとんど木が生えていません。びょうびょうと吹く風。お寺は、山を風よけのようにしてうずくまっていたのです。よくここに寺を建てると決めたものだと思います。後で遠見山の展望台というところに行こうと思っていたのですが、もうこれで十分という気分になってしまいました。

ちょっと雰囲気を味わってもらうために風の音を。
「山頂の風音」をダウンロード

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山頂からはぐるりを見渡すことができます。反対側(東側)はこんな景色。瀬戸大橋が見えます。手前にいくつか池が見えます。これは昔の塩田ではないでしょうか。四国化成の所有で、塩飽勤番所で見た地図にはクルマエビ養殖所と書かれていましたが、今は遊休化しているように見えました。

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そろそろと尾根を降りると、祭りのクライマックス、大護摩供養が始まりました。法螺貝とともに山伏が入ってきます。密教の作法で、様々な呪文が唱えられ、刀が振るわれます。私はずるして、境内の上の方から眺めていたところ、いきなりこちらに矢が飛んできてあわてました(先は丸い矢です)。おそらく四方と天地の魔を退散させるのだと思います。

060715gomaようやく護摩壇に点火。風がきつくて、ろうそくの火もすぐ消えていました。苦労して火を付けるともうもうと白煙が上がります。そこに願いを書いた護摩木を次々に放り込んでいきます。

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護摩木があらかた燃え終わると、丁寧に道を整えて、火渡りが行われました。まず山伏が渡ります。

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一通りの祈祷が終わって、それだけかと思ったら、皆さんも渡ってくださいと声がかかり、今度は一般の人たちが火を渡り始めます。慣れたものです。

帰る前に売店で水でも買おうと並んだところ、なんと昨日、祭りのことを教えてくれたおばさんが店の担当です。すかさず「そうめんは食べた?」「いえ・・・」(ちゃんと食べなきゃだめじゃないの)と言わんばかりに、これをお食べなさいと寿司と飲み物をいただきました。そうめんを食べておけば良かった。でもありがたいことです。また、寺の裏手に回って、景色を眺めながらいただきました。

下り道は楽なもの。自転車で島の裏側に抜け、海岸線に沿って、島の残り半分を走りました。

のども渇いたので、最後にまた例の喫茶店に立ち寄りました。昼に来たときよりも人数はますます増えて、10人ぐらいのおじさんたちが宴会真っ最中です。マスターは「まだ、フェリーの時間まで間があるだろう」と、よく冷えて甘いしゃりしゃりのスイカを2切れ出してくれました。コーヒー1杯なのに、申し訳ないような。おじさんたちはすっかり盛り上がっています。名残惜しさを感じつつ、フェリーの時間が迫っているので、お礼を言って再び自転車に飛び乗りました。

フェリーは祭りを見に行った人たちで満員でした。
雨雲の迫る島から脱出するように、私は島を離れました。
海風のように気持ちの良い2日間でした。

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