塩飽牛島・栄華のあと
塩飽本島(しわくほんじま)の沖合には、周囲4kmの牛島があります。
旅客船で5分のこの島には、10世帯18人が暮らしているそうです(『シマダス』による)。
桟橋に降りたのは私だけでした。一見して寂れています。
島を全周する道路はありません。東西の山の間を抜ける道が1本、両端の集落、里浦と小浦を結んでいます。
港には崩れた公共建築がありました。
今では寂しい里浦ですが、寛永年間(1624-44)から約100年、瀬戸内海随一の船持ちと呼ばれた丸尾五左衛門三代の屋敷があったそうです。たぶんこれが玄関。
里浦にある屋敷は朽ちているものも多いですが、たいへん立派です。
小浦に向かう道の途中、地図上に学校跡と書かれている場所があります。ヒマラヤスギがある場所が運動場だったのではないでしょうか。今では森の一部と化しています。
かつてはミカンの島だったそうで、道の両脇にミカン園らしきものに登る階段があります。
森を抜けると水田があります。塩飽本島でも同じなのですが、道路脇に田んぼ1枚に1つぐらいの割合でこのようなため池があります。水の貴重な島ならではでしょう。石垣にはたいがい弓なりの石が刺さっています。水を汲むための仕掛けでしょうか。
小浦の集落に入りました。集落の掲示板です。簡潔な伝達事項。
人口の少ない島ですが、宿泊施設があります。それがこの「アイランド・ガール」。古民家を改築した施設だそうです。お話を聞こうと思ったのですが、出かけておられました。
この島に住んでいるのは人間だけではありません。ヤギもいます。(牛は見ませんでしたが)
このヤギはひもでつながれていて、道の半分まで来るのが精一杯です。
水田の先には湿地帯があります。鳥がいて、カエルがいます。ススキのさわさわという音が絶えません。
音を拾ってみました。1分あるので、やや長いです。
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牛島の南の端には多くの墓が並んでいます。しかも、全て四国を向いて。墓石の見つめているのは、讃岐富士(飯野山)か、金比羅さんか、それとも故郷でしょうか。今、この島に住む人が少ないのも自然の流れに見えます。
この小さな島を2時間余り散歩して、塩飽本島に戻りました。
帰りの船には私だけ。私を迎えに来るためだけに船を動かしてくれたようなものです。
栄華の時代と現在の落差を思い、やや感傷的な気分でこの小さな島を後にしました。
「夕陽は海に沈まない」に続く・・・
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