10年ぶりのハノイ(3)都神社
見た目にそれほど変わらないこの村ですが、このような大きな道が建設中でした。
10年前は最初にたまたまフールウ村に入り込んで子供達との出会いがあり、その後、ディンバン村まで戻りました。今はその逆の道をたどろうとしています。村の路地を抜けると見覚えのある運河が現れました。
1010年にベトナムで初めて独立王朝を打ち立てた李朝がここディンバン村を本拠としていたそうです。そしてこの運河はハノイにつづく運河の名残なのだとか。
その意味でこの村はやや特殊です。
<1996年>
実は前回に来たときにこのような弧を描く堤があって、これは何だろうと気になっていたんです。今回、その謎が解けました。
このDEN DO(都神社)の一部だったのです。
DEN DOは、李朝8代の皇帝を祀る神社だそうです。対仏の独立戦争時に破壊されたそうで、最近、修復がなったところ。前回、気づかなかったのも無理ないわけです。
入口でお供え物(モチ)と線香を売るおばさんがいて、しきりに勧められ、いつもは断るのですが、思い立って買うことにしました。中に入っていくと、管理者のおじいさんがおられて、お参りの仕方を教えてくれます。まず正面で線香を供えて拝礼、次に左手の建物に供えて拝礼、最後に奥に入って、8人の皇帝像が並ぶ前で、お餅と線香を供えて拝礼します。神社とはいいながら、中国の道教的なお参りの仕方です。
お参りしておいて言うのもなんですが、私が李朝の皇帝に何をお願いすれば良いんでしょうね。
本殿には境内の見取り図や周辺の地図が掲げられていて、疑問がどんどん解けていきます。来て良かった。この図でお分かりのように、建物の前面で、運河を丸く囲み取っているのです。それが堤の正体でした。
建物の南側に半円形の池を掘るというのは風水的な発想です。それが運河の一部を切り取っているというのは面白い構造ですね。
正門を背にするとこのような眺めになります。中軸線上に一直線に建物が配置されています。
この建物は水亭と呼ばれるそうで、1000ドンコインの図案に同様のものがあると、帰ってから知りました。
中軸線上の一番先(つまり半円のてっぺんあたり)には、このような碑が建っています。
そしてその向こうには運河と遙かな水田。すばらしいロケーションです。皇帝達はここから遙かにハノイを望んでいるのでしょうか。
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