2021年1月 3日 (日)

八幡公園と擬木(滋賀県近江八幡市)

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今年BIWAKOビエンナーレが開催されたのを機会に、前にどなたかの投稿で気になっていた八幡公園に行ってきました。
近江八幡の市街と琵琶湖の間にある八幡山の東麓にある古い公園です。
公園の入り口には自然石を利用した公園標示がありました。

訪問日:2020年11月8日

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裏面には土に埋もれて全部は見えませんが、「昭和5年 花」の文字が見えます。
この公園は、昭和天皇の御大典記念事業として計画され(昭和3年に八幡町議会で公園設置を決議)、昭和5年に1.5haが完工しました。
その後、数度の拡幅を経て、現在は総面積4.76haとなっています。

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なぜこの場所に公園ができたかというと、こちら。
羽柴秀次の館跡及び家臣団の館跡があるためです。
山頂に城郭があったとのことです。

城が築かれたのは1585年ですが、1590年に秀次は尾張清洲に移り、秀次が謀反の疑いをかけられ高野山で自刃させられた1595年には廃城させられています。わずか10年。

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公園内には羽柴秀次の銅像(昭和54年)も建てられています。

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全体の配置はこのようになっています。
公園は棚田状に造成されていて、秀次・家臣団の館跡と隣接しています。

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他にも史跡はいろいろあって、公園を登っていくと石碑が並んでいます。右が高田義甫(よしなみ)、左が宮田義昌(初代蒲生郡長)の記念碑です。
高田義甫は江戸時代には勤王派として活動し、明治に入ってからは法律相談所を開設したり、水産会社の会長をしたり、新聞社や銀行を設立したりした方だそうです。この碑は没後の明治27年に帝国水産株式会社によって立てられています。

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こちらは西村太郎右衛門供養塔。
慶長8年(1603年)近江八幡に生まれた商人で、20歳の時に朱印船に乗って安南(ベトナム)に向かい25年。鎖国になったため、国に戻ることができず、安南で没したそうです。この供養塔は太郎右衛門の兄が弟を偲んで屋敷内に建てたものです。その後、公園内に移築されました。

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こういうお社もあります。
杉春稲荷大明神と書かれています。

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公園の東の端にはちょっとした段の奥に2つの蔵が並んでいます。
ここは公園の案内では、北脇邸跡と書かれています。
北脇家というのはどういう家かと調べてみると、住友鉱山の近代化に功績のあった広瀬宰平の生家のようです。ただし、元は八夫村(現在の野洲市)にあり、北脇本家は明治32年頃にこの八幡山麓に移ってきたそうです。

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公園内には東屋が何ヵ所かあり、公園内だけでなく、近江八幡の市街が眺められるようになっています。

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公園内で標石以外に公園当初のものを確認できなかったのですが、この公園で気になったのが(最近気になっている)擬木です。
これは新しいタイプの擬木ベンチ。あちこちに擬木が使われています。

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こちらは輪切りにした擬木をテーブルと椅子にしたもの。

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こちらも写真では分かりにくいかもしれませんが、角材風の擬木ベンチです。

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こちらは丸太風の擬木の柵。
これはよく見かける気がします。

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このテーブルなどは普通にコンクリートのテーブルじゃないの?と思いますが。

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よく見ると年輪が入っていて板材・角材の擬木です。

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このひょうたん池も周りは石ですが、橋は木橋風の擬木です。
昭和61年竣工の「きぼうのはし」と書かれています。

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公園からは八幡山に登る登山道が伸びています。

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その階段の土留めがまた擬木です。
5本セットのユニットになっているようです。

と擬木に注目してみましたが、上の方に上がれば、近江八幡市街を望める眺めの良い公園です。

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2021年1月 2日 (土)

2021年もよろしくお願いいたします

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皆さま、新年あけましておめでとうございます。

いろいろ出掛けたいところはありますが、制約もありますので、今年も自分の動ける範囲で引き続き、近代のかけらを記録していくつもりです。

写真は泉大津市のとある民家の塀に乗っていた瓦です。
波が宝珠を運んでくるおめでたい意匠ですが、波とともに貝殻が描かれているのが面白いところです。

本年もよろしくお願いいたします。

 

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追記情報

主立った追記・変更についてお知らせします。
トップページのちょっと下あたりに表示されるように調整します。

2021.1.31 大阪市住吉区の牡丹湯さんが残念ながら廃業されました。「万代の牡丹湯」に追記しました。

2021.1.28 大阪市港区の、もうひとつの旧住友倉庫(大正4年)が解体されました。「もうひとつの住友赤レンガ倉庫」に追記しました。

2015.2.24 阿倍野のレトロアパート一富士荘が解体されました。「松崎町のレトロアパート」に追記しました。

 

2014.2.19 上野芝の旧木村清邸は既に解体されたそうです。MANAZOUさん情報で、「上野芝住宅地(堺市)」に追記しました。

 

2014.2.15 高岡駅前ビルが昨年11月から解体されているそうです。「高岡の駅前ビルと換気塔」に追記しました。

 

2013.5.28 6/15に旧ジョネス邸の2回目の内覧会及びシンポジウムが開催されるそうです。「旧ジョネス邸の内覧会に参加」に追記しました。

 

2013.3.5 ニッケ工場の解体が進んでいるという知らせを聞いて、「加古川の近代を訪ねて(2)ニッケ工場」に追記しました。また一部写真を拡大しました。

 

2012.12.30 「粋な夜間サービス」に追記しました。鹿児島銀行大阪支店が10月に解体されたそうです。
       「大阪中央郵便局の見学会に参加」に追記しました。大阪中央郵便局は一部を残して解体されました。

 

2012.1.3 「帝塚山万代池公園の周辺」に追記しました。旧大阪府女子専門学校の校舎が2009年に解体されていたようです。

 

 

 

 

 

 

 

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2020年12月31日 (木)

2020年を振り返る

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<大阪市東住吉区針中野の洋館付き住宅>

 皆さま、本年もお世話になりました。
 更新の少ないこのブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 この記事で1157本目の記事となります。
 この1年で23本の記事。前半は良かったのですが、最終的に昨年より減ってしまいました。

 やはりコロナで出掛けられなくて・・・というのは一般的にはそうなのですが、私の場合は昨年までのストックがあるのであまり関係ないです。
 意外とストックが消化できなかったのが不本意です。

 そして近況ですが、今年は大阪市内南部、泉州など近場を現存確認を含めて丁寧に回りました。
 遠出したのも滋賀県の彦根ぐらい。
 ついつい遠くに目が行くので、目配りする機会にはなったかと思います。
 ここにこんなものがという発見もありました。

 今まで町を歩けばこの程度は近代の住宅などを見つけられると思っていたのが、解体が進んで疎らになっていくのを見ると、10年前は恵まれていたのだなとか、改めて記録に残さなければという思いもあります。

 新年も辛抱強くお付き合いお願いします。

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<大阪市東住吉区田辺の洋風長屋>

<関連記事>
 「2012年のまとめ」

 「2013年のまとめ」  

 「2014年のまとめ」

 「2015年のまとめ」

 「2016年のまとめ」

 「2017年のまとめ」

 「2018年のまとめ」

 「2019年のまとめ」

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2020年8月 2日 (日)

須磨離宮公園(神戸市須磨区)

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昨年春、神戸の須磨離宮公園を訪ねました。
名前に「離宮」と入っているように、終戦まであった武庫離宮の跡地を公園化したものです。
その来歴や見どころなどについては公園自身の紹介などもありますのでここでは簡単に紹介します。

この時はJR須磨駅から坂を登りましたが、最寄り駅は山陽電鉄の須磨寺駅か月見山駅です。

この写真は歩道橋の上から。
正門の向こうに見える森が須磨離宮公園です。

訪問日は2019年4月28日。
間もなく令和を迎えようという時でした。

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正門の門柱。亀甲積み(六角形に切った石をぴったり積む積み方)の石垣とともに、離宮時代からあるものらしいです。

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須磨離宮公園の案内図。本園は元武庫離宮ですが、植物園は岡崎財閥の旧岡崎邸跡です。
この時は時間がなくて植物園までは回れませんでした。

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公園内の要所要所には、このように解説板が立っています。
離宮100年を記念して立てられたもののよう。

もともとこの場所は西本願寺月見山別邸があった場所です。
月見山別邸は明治35年から37年(36年?)にかけて造成・建設されましたが、神戸周辺で離宮適地を探していた皇室の目に止まり、明治40年に売却、代替地として紹介された岡本に建てられたのが有名な二楽荘という流れです。3、4年しか使われなかったんですね。

明治40年に隣接地とともに買収後、離宮の建築設計には片山東熊ら、庭園設計には福羽逸人らという錚々たる顔ぶれで建設が進められ、大正3年に完成しました。その後、大正天皇や満州国皇帝溥儀の宿泊などに利用されましたが、昭和20年の空襲で焼失しました。そのため、現在残っている遺構はほとんど福羽逸人が手がけた庭園関連です。

戦後神戸市に下賜されましたが、昭和21年から31年まで進駐軍に接収され、射撃演習場として使われていたそうです。
神戸市への返還後、当時の皇太子御成婚事業として整備が進められ、昭和42年に須磨離宮公園として開園しました。ですので、公園としてはそれほど古い公園ではありません。

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公園の正門を入ると直線的な馬車道が伸びています。
奥で右に折り返して中門広場まで続いています。
解説板によると、この道の縁石も左側のカイヅカイブキ並木も、鉄筋コンクリートの壁も、右側の石積も武庫離宮当時のものだそうです。

以下、主に解説板に従って説明していきます。

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このあたりの石は自然の露頭に見えますが、フランスの庭園にならって人工的に石を配置した装石(ロカイユ)というものらしいです。

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庭園の名残らしき石塔がありました。

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中門広場。この大きなクスノキは、離宮造営前からあったものだそうです。
写真に写っていませんが、オリーブ栽培を導入した福羽逸人にちなんで、オリーブの木なども植えられています。

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中国風の獅子が迎える中門。
中門は建物としては唯一焼け残ったものです。

この左手にはかつて玄関口の車寄せがありました。

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中門の奥は潮見台(当時は物見台)という広場になっています。
この石垣風の手すりは当時のもの。柱の石材は小豆島産花崗岩です。

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潮見台(物見台)は、海に向かって弧状にベンチが設えられています。
遠くに紀淡海峡・友ヶ島まで見えていました。

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ベンチも小豆島産花崗岩でできています。

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休憩所では「よみがえる武庫離宮展」という展示が行われていました。
離宮時代の写真などが展示されていて、展示品の一つはかつての武庫離宮の配置図です。この図で赤で記された施設等が現存しているとのこと(推定)。結構いろいろなものが残されています。この図は公園のHPでも見ることができます。

他に植栽略図などもありました。

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遺構である鞍馬産自然石の灯籠。

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月見台にある四阿「傘亭」。
屋根は戦災で焼失して柱だけになっていましたが、平成23年に復元されました。

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この柱、立木に似せた青銅製の擬木(松?)でなかなかリアルです。

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他の遺構として、天皇の階段という園路があります。
天皇陛下が歩みやすいように踏み石を互い違いに組んだという「噂」です。
園路はいくつも残っています。

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見逃せないのが煉瓦の隧道。
一説には有事の避難路とか。
今はこのトンネルを抜けると長い滑り台になっています。

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そして敷地の上の方にはかつて浄水場だった広場。
階段はかつての遺構だそうです。

さらに1km上流に「天王の池」という水源地があるそうです。

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かつて離宮の館が建っていた場所は、噴水のある洋風庭園になっています。
竜巻型の面白い剪定の植木がありました。

公園としては古いわけではありませんが、離宮時代の見どころは多いですし、変化に富んで良い公園だと思います。

<参考>
 ・須磨離宮公園公式HP「離宮公園の歴史」

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2020年5月26日 (火)

橘土地区画整理事業と立花駅(尼崎市)

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昨年夏から今年にかけて、以前から気になっていたJR立花駅(尼崎市)のあたりを探索しに行きました。
このあたりは昭和初期、橘土地区画整理事業によって開発された地域が、立花駅を中心に広がっています。

駅南側の広場には大きな楠(?)があり、その足元に記念碑が立っています。

訪問日:2019年8月31日、9月16日、2020年1月4日

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こちらの「土地區劃整理整理記念碑」と書かれた石碑です。

 

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 裏側には「事業の経過」として橘土地区画整理事業の経過が書かれていて、昭和15年に建てられたことが分かります。
 せっかくなので全文を記しておきます。

 


        事業之経過

昭和八年八月二十五日 立花駅設置請願採択
同  年十一月十五日 土地区画整理組合設立認可
同 九年七月一日   工事着手
同  年七月二十日  立花駅旅客取扱開始
昭和十年十月十日   工事完了
同十四年五月三日   土地区画整理換地処分認可
同  年七月二十四日 同 賃貸価格配賦済
同  年十月十一日  同 登記完了

本事業は省線立花駅の開設を主眼とし、駅の周囲部
十八万五千坪に亘り土地区画整理を施行せしものに
にして祖先伝来より耕耘し来りたる農耕の地を利用
方法を変じて宅地となす画期的事業なりしも、幸い
所期の目的を達成し得たり。茲に事業経過概要を録
して記念とす。

昭和十五年七月吉日 橘土地区画整理組合
             


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。
  送りがなはカタカナをひらがなに改めました。
  適宜、改行や句読点を追加しています。
  不正確かもしれませんので参考程度にご利用下さい。

ここに概略が書かれていますが、新駅を誘致して周辺を宅地化する開発方法を戦前に実施したということです。

Web版「図説 尼崎の歴史-近代編」の「新しい住宅地の形成」には、もう少し詳しい経緯とともに、図版などが紹介されています。

また、尼崎市立地域研究史料館の第37巻第1号(2007年)には、巻頭グラビアとして「立花駅の新設と橘土地区画整理事業」の記事があり、そこに開発当初の写真がたくさん出ています。

とくに橋の写っている写真に添えて「当時の住宅地販売パンフレット『橘案内』には「モダン小橋を架設して風致を添えた」と記されている。このとき架設されたものは現在も区画整理地区内に見ることができる。」とのキャプションがあり、実際、この橋は現地で見ることができます。

水路にかかる小橋は3タイプ確認できました。

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まず最初はこちら。道路側から見ると家形の凹みに穴が開いたデザインです。

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水路側から見ると凹みは五角形と三角の組み合わせになっていて、むしろこちらの方が正面のようです。

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2番目は分割されたアーチ型のデザインです。

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これも水路側から見ると、より凝ったデザインになっています。

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三つ目はシンプルに、四角い凹みに三角の開口部があるデザイン。
これが写真で紹介されていた小橋のデザインです。
なお、親柱のデザインは、全て同じデザインのようでした。

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ほとんどは1つの橋に1つのデザインですが、1ヶ所、水路が分岐している所で、L字に2つのデザインが併用されている所がありました(地域の北西)。

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<Web版「図説 尼崎の歴史-近代編」に引用されている『立花駅30年のあゆみ』の区画整理後の図版をもとに加工>

確認されたデザインを地図にプロットするとこんな風になります。
アーチになっているタイプ(赤丸)が最も多くて9ヶ所。五角形(青四角)が5ヶ所。三角(黄三角)が3ヶ所でした。
合計17ヶ所。

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それ以外に気になったものとして、水路脇の国旗掲揚台のようなものがあります。
地区の西南部にありました。

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地区内で見かける古い住宅では、平屋の二戸一長屋が多いように思いました。
例えばこれなど。

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これも同じく。

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これも。石張りの門柱の造りや板塀のデザインなど古いもののように思います。
それに郵便新聞受が右書きになっていました。

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こちらは小松公園南側の住宅。
平屋の一戸建てに見えますが、二戸一住宅です。
下見板張りですし、古そう。

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地区内で最も本格的な近代建築はこちら。
地区の南側にあります。元は医院ではないでしょうか。

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煉瓦塀の大きなお屋敷もあります。
住宅自体は建て替えられているようでした。

 

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駅南側にはスクラッチ風パターンのタイル貼り二階建て長屋もあります。中央に奥の住宅への門があって、大家さんでは?と思えました。

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地区南西の住宅。こちらも屋根など改修されていますが、古そうです。

 

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こちらも地区南西側の大きめの平屋一戸建て。

こんな風に、とくに地区の南側に古そうな住宅が多く思えました。

地区北側の放射状街路パターンや公園配置なども開発当初の形を引き継いでいる訳ですが、やはり小橋のデザインが最も開発時の雰囲気を感じられると思います。

 

<関連記事>
 目次「近代の郊外住宅地と別荘地、社宅」  

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2020年5月 3日 (日)

下鴨中川原児童公園(京都市左京区)

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京都市街北部の近代の公園めぐりの続きです。
あおい公園(旧下鴨膳部公園)の後、中川原公園(昭和12年)、正式には下鴨中川原児童公園を訪ねました。

写真は、途中で見かけた2階建て洋館付きの大きな建物です。
売り家になっていました。旅館などされていたのかななどとも思ったのですが、窓は割れていますし、かなり傷んでいます。
今はどうなっているのでしょう。

訪問日:2019年2月9日

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途中見かけた不自然な空き地。
道路予定地にこういう状態の土地があったりしますが、近年廃止された計画道路の図を見てもここは載っていませんし、どういう経緯なのかは分かりません。

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南北に帯状に続いています。

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そこを抜けて中川原公園に着きました。

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昭和12年の公園ということで期待したのですが、あまりそれっぽい雰囲気はありません。
公園の門は煉瓦タイルの新しいものです。

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訪れたのが真冬というのもありますが、すっきりした公園内です。
ネット上の情報によると、以前は鬱蒼としていたのが、2018年の台風でスズカケノキの大樹が倒れ、安全のために他の木も刈られてこの状態になったようです。

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強いていうと、藤棚下のこの分厚いコンクリートのテーブルが昔ながらのデザインかなと思います。

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砂場は縁の丸いタイプです。

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ベンチは真ん中の凹んだコンクリートベンチ。
昭和中期ぐらい?

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おなじみのお地蔵さんもあります。
ここは延命地蔵さんです。

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手洗い場は新しそうで、ビー玉を埋め込んだデザインに手作り感があります。

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コンクリートブロックを積んだようなトイレ。
青海波ブロックが窓に使われています。
この表裏どちらからも使える手洗いは他の京都の公園でも見ました。

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今は珍しくなってしまったジャングルジム。

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そして京都でおなじみの人研ぎ滑り台もあります。

公園内はこんなところで、国旗掲揚台など古そうなものは見つけられませんでした。

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近くにあった2階建て洋館付き住宅。
やはり古い公園の近くには古そうな建物があります。

この日は最後に下鴨森ガ前児童公園に行きましたが、それは既に記事にしましたのでそちらをご覧下さい。

 

<関連記事>
 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2020年4月30日 (木)

あおい公園/旧下鴨膳部公園(京都市左京区)

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京都市の近代の公園めぐりの続きです。
地蔵本児童公園の後、疎水分線沿いに進み、高野川を越えて、この日は京都工芸繊維大学や写真の松ヶ崎浄水場に寄り道しました。
松ヶ崎浄水場は昭和2年、蹴上浄水場に次いで京都で二番目にできた浄水場です。この建物は昭和2年当初の旧最高区ポンプ室(電気室)とのことです。

訪問日:2019年2月9日

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松ヶ崎浄水場の南側を流れる疎水分線にかかる橋。
煉瓦の構造物も気になります。

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住宅地に入ると焼きすぎ煉瓦の塀を持つ家がありました。
凝ってます。

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蔵と洋館付きの住宅。

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こちらも2階建て洋館付きの住宅。
窓の格子が面白い形です。

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古い住宅の眺めながら歩いて行くと正面に、あおい公園(旧下鴨膳部公園・昭和10年)がありました。
さすがにこの時期の公園は凝っていて、ここも門柱脇の壁が手前に広がるカーブになっている上に帯の模様が付いています。

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この公園前は住宅地設計上のポイントとなる場所らしく、ハの字に開く石橋が架かっています。
先ほどの住宅はこの右手にあり、住宅地の中でも重要な通りなのではないでしょうか。
ちなみに流れる川もただの川ではなくて、高野川の宝ヶ池付近で取水され、下流では下鴨神社の糺の森を流れる泉川です。
この水路が公園に沿うように折れています。

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あおい公園の南側の門も同じデザインでした。

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公園のほぼ全景。
そんなに目立つものがないように見えるかもしれませんが、面白いものがいろいろありました。

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なんといってもこれ。
大きな岩に「記念」とだけ書かれています。
一体何の記念?と疑問ですが、そういうときは裏に回ります。

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裏側に碑文がはめ込まれていました。
右側の石には関係者の名前が刻まれていました。

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そして左側の石にはこの碑文です。
書き起こしてみます。


昭和六年二月、下鴨土地区画整理組合成立
時は市長を組合長に推し、鞍馬街道以東高
野川右岸に至る下鴨学区の北部及び松ヶ崎
学区の一隅を画して、農耕地帯の市塵化を
図りしが、市当局の援助と組合員二百余家
の協戮とに因り、諸般の準備著著緒に就き
翌年二月興工十月完竣。所投の資金十七万
二千余円。所整の地面十四万七千七百余坪
街路溝渠井井縄縄居住安便、方域殷賑の基
を開けり。乃ち梗●を石に●して新開の遊
園に安し、以て永遠の記念に備う。
昭和八年三月誌す


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。
  送りがなはカタカナをひらがなに改めました。
  適宜、改行や句読点を追加しています。
  不正確かもしれませんので参考程度にご利用下さい。

 つまりは下鴨土地区画整理事業の竣工記念碑です。

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また、国旗掲揚台も残っていました。

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裏側に回るとちゃんと旗竿を固定する凹みと金具が残っています。

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また隣の葵小学校との間に石柱が立っています。
小学校と行き来できるように門があったのでしょうか。

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もう一対、南側にもありました。

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シンプルな砂場。

公園には、平成になってから設置された三等三角点などもありましたが、記事のボリュームの関係で省略します。

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公園から続く葵小学校の塀は、アーチの小窓のような装飾が付いていて古そうです。

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もう一つ、周辺の見どころとして、先ほどの泉川にかかる石橋があります。
公園沿いの住宅は泉川を石橋でまたいで正門というつくりになっていて、この石橋が立派なんです。
蔵・洋館付きの住宅自体も良いですが。

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こちらもきれいな石橋です。
下鴨土地区画整理事業の区域内には古い住宅が多数あるようですが、この日は公園メインでしたので、次の公園に向かいました。

 

<関連記事>
 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2020年4月29日 (水)

地蔵本児童公園(京都市左京区)

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一乗寺公園の後は、第二太田川・疎水分線を下ったところにある地蔵本児童公園(昭和13年)を訪ねました。
(途中、マヤルカ古書店があります)
ここはアールデコ・デザインの門がきれいに残っているようです。
手前に開くようにカーブさせた門壁に、カーブさせた花壇を組み合わせ、丸窓を2つずつ。
金属は後から付け直しているかもしれませんが、どうなんでしょう。

これは南側の入口です。全部で3ヶ所の入口がこの形でした。

訪問日:2019年2月9日

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地蔵本児童公園と縦書きの銅板っぽいプレートがはまっています。
丸窓には井の字の格子。これは北東側の門です。

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疎水分線から見るとこういう位置関係です。
奥が地蔵本児童公園。

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こちらは北東入口。全く同じデザインの門です。

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北東入口の門の左側。
この角度が形が分かりやすいでしょうか。
花壇に2本の線を入れているのがアクセントになっています。

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こちらは西側入口。同じデザインで、どれもきれいに残っています。

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間の柵はコンクリートの角柱を鉄パイプと低い壁でつないでいますが、角だけは五角形の柱でした。

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破損した柱。内部の鉄筋が露出しています。

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この公園で門以外に気になったのはこの遺構です。
今では何の役目も果たしていませんが、形からして国旗掲揚台ではないでしょうか。

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背面側から見たところです。
柱を取り付ける凹みがあれば確実なのですが、それは確認できません。

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あと謎の石柱。

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この石柱はこの場所にあります。
それ以外に気になるものは見つけられませんでした。

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京都の公園でよく見かける人研ぎの滑り台。

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円形の砂場。公園は手前(東)半分に遊具があり、奥(西)半分がベンチのある広場です。

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コンクリートのベンチ。昭和中期ぐらいか。

ネット情報では、かつて市電車両が児童館として置かれていたらしく、その状態が見られなかったのは残念です。

 

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2020年4月26日 (日)

一乗寺公園(京都市左京区)

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久しぶりの更新は、京都の近代公園編に戻ります。

現在、外出を控えているとはいえ、全く誇れることではありませんが、取材して記事にできていない写真が大量にあるので、たぶん一年以上それで記事が書けます。

ということで、今回は1年前に京都市街地北部の公園を巡った記録です。

まず最初は、京都市左京区の一乗寺公園です。
叡山電鉄のすぐ側にある公園ですので、車窓から見ている方もおられるかも。一乗寺駅の南側です。
昭和17年に防空緑地として整備された公園です。

上の写真は公園の北東角入口です。公園は西側が叡山電鉄、北・東・南は道路に接していて、北側の道沿いに、疎水分線に注ぐ第二太田川が流れています。

訪問日:2019年2月9日

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公園の表示はこんな感じ。
たどたどしく見えるのはなぞったから?
アールを描いていますが、非常にシンプルなのでアールデコなのかというとそこまで言いにくいところ。
昭和17年という時期的にそれほど凝った装飾はしていないと思います。

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公園の南東入口の公園表示は大理石に彫られているようで、こちらの方がオリジナルに近そうです。
こちらもアール。

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公園の南東入口。公園の門柱から鉄パイプでつながれて、シンプルなコンクリートの壁と柱が続いています。

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車止めに使われている花崗岩の石柱がちょっと気になります。

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公園東側の入口。門柱脇の壁に逆三角形の窓が開いているシンプルなデザインです。

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このデザインは何カ所かにあって、こちらは北西側入口です。

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公園内部はというと非常に整然としています。

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看板が立っていて、この公園の地下は第二太田川調整池として、平成27年に整備されたそうです。
写真のようなコンクリートの柱が並び、川の増水時に水を溜める空間にされたので、工事の際に公園は掘り返されて、埋め戻されたのかと思いましたが、平成21年(2009年)のGoogle streetviewの画像を見てもあまり変わりませんので、それ以前からこのようになっていたようです。

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公園の南半分は野球場になっていて、通常の公園部分とはヒマラヤ杉、隣接する一乗寺保育園との境は弧を描くケヤキ並木?で縁取られています。

 

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ベンチも古いものは確認できず、こんな木のベンチでした。

公園内部については、気になるものを見つけられずです。

 

 

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