2009年7月10日 (金)

初めての北海道(8)釧路の老舗そば店

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釧路での昼食。
どこか面白いところがないかなと探すと、近代建築好きには(一般の観光客にも?)格好の竹老園東家総本店がありました。
旧市街からは丘を挟んで向こう側の、春採湖近くにあります。
私はバスで富士見まで行き、坂を下りました。

上の写真は、坂を下る途中に見た普通の住宅です。
地元では当たり前でも、大阪から来た私には物珍しい。
煙突というと、近代建築か伊達かという地方から来ると、普通に煙突が付いているだけで新鮮です。
ただ、新しい住宅では電化のためか、煙突のないものも多いようでした。

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木の柵にたんぽぽ。
こういう景色にも心ひかれます。

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竹老園東家総本店はすぐ見つかりました。
一般客向けの店舗部分とは別に、(昭和初期の?)石積の武骨な門が総本店の座敷への入口です。

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正面の唐破風付きの建物が、昭和2年にできた主屋です。
建築家は細貝熊吉とのこと。主屋以外の建物は昭和10年以降の増築だそうです。
当時は建物の前まで春採湖が迫り、人家は少ない風光明媚な場所で、蕎麦屋「東家」の当主・伊藤竹次郎の隠居の場として選ばれたはずが、完成後には蕎麦屋を再開して、総本店となったそうです。
(『道東の建築探訪』、p75)

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主屋前に架かる橋は、欄干に木の枝や竹を摸した柱がはさまって不思議な趣味です。

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お店の方にお願いして、建物の中を見せていただきました。
インパクトがあるのが、増築部の廊下が折れる突き当たりにあるステンドグラスです。

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斜めから見れば分かるでしょうか、皿状に凹んでいます。
この部分が特に凝っています。磨りガラスもそれぞれ、いろいろなものを組み合わせていますね。

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廊下は折れ曲がりながら続き、たくさんのお座敷があります(別料金で、こちらでも食事できます)。

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斜面を生かして建てているので、高低差もあります。

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階段も廊下も長く、かなり広いお店です。

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もちろん食事もいただきました(一般向け店舗で)。
奥がソバ寿司、手前が鶏のスープです。
変わってますでしょう。
緑のソバ寿司はさっぱり、スープはこってりした味でした。

東家自体はチェーンで、市内のあちこちで見かけましたが、建築やお庭も見られますし、時間があれば総本店で食べた方がいいかなと思います。


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2009年7月 8日 (水)

初めての北海道(7)釧路の眺めの良い住宅地

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釧路市立博物館から丘の上をたどって歩いていたとき、富士見町で気になる区画を見かけました。

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まずこちらのきれいな建物。
『道東の建築探訪』によれば、昭和20年代に建てられたI家住宅で、釧路市の都市景観賞も受けています。

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向かいの建物は改修の手が加わっていますが、屋根の形といい、似たような雰囲気です。

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その隣の、一番古そうに見えるこちらの建物。
木塀も含めて、古い住宅地の雰囲気を留めています。
このあたりは住宅地としてまとめて開発されたのでしょうね。

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富士見町には、富士見神社もあります。
真っ赤っかのすごいインパクトで、本州の神社とはちょっと違います。

なお、「富士見」の名前ですが、釧路から富士山が見えるわけはなく、「阿寒富士」(阿寒岳)が見えるからだそうです。天気が良ければ。この日は見えなかったのが残念でした。

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同じく富士見の釧路ハリストス正教会は、最初、明治31年浦見に設置され、昭和7年に2代目の教会が建てられていたものが、平成4年に現在の教会に建て替えられています。
この場所の意味を感じさせる教会です。


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富士見のほか、湾を眺める浦見という地名もあります。
このあたりはみな丘の上です。

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弥生町まで歩くと、南斜面に素敵な住宅がありました。

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表に回ってみると、下見板の住宅の妻壁にシンプルな玄関があります。

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このように木の柵に囲まれた住宅というのが、釧路の住宅の原風景ではないでしょうか。
そう感じるだけで根拠はないのですが。
柵の外に花が咲いているのがまた素敵です。

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木の柵のある坂道は延々と海の方まで続いていました。
ここもまたお天気が良ければ海が見えるでしょう。
今回の釧路で一番のお気に入りの場所です。

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弥生米町通を下っていくと、腰折れ屋根の下見板住宅がありました。

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釧路では木柵が多く、あまり石積みを見かけなかったのですが、斜面造成に平たい石を積んだ石垣がありました。

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下見板の住宅はあちこちにあります。
海辺に近い住宅は、南大通の海寄りで見かけた住宅と似ているようです。

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坂を下りきると、目の前を横切って石炭運搬用の線路がありました。

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線路を越えるとすぐ、霧が出てものわびしい海。弁天ヶ浜と呼ばれます。
お天気の良い日に丘上から眺める海は、もっとのどかなものかもしれません。
眺めの良い住宅地から海を眺める休日を想像しました。

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2009年7月 5日 (日)

初めての北海道(6)釧路の原点

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釧路の旧市街は釧路川の南にあり、岬のような地形です。
前回書きました南大通は岬の北側の平地です。
事前に地図は見ていましたが、実際に訪れるとその起伏の大きさに驚きました。

その丘の先端部に「佐野碑園」という公園があります。
「江戸時代末期、ここに釧路の漁業と交易をすすめる「久寿里会所」があり、明治時代にはこの付近に釧路初の学校の「丸太学校」や「電信分局」も建てられました。また、明治41年(1908年)に釧路に滞在した石川啄木がしばしば訪れた料亭「喜望楼」もこの地にありました。」(解説板より)
いわばここが釧路の原点です。(久寿里=クスリは、江戸時代の釧路の呼称)

 →釧路の歴史について、詳しくは「釧路歴史散歩」を参照

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佐野碑園には、「佐野氏紀功碑」、「久寿里会所の跡石碑」、「丸太学校風休憩所」、「東北海道電信創業記念碑」、「石川啄木歌碑」といった記念碑が並び、ちょっとした歴史博物館です。

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中でも「佐野氏紀功碑」は、昭和10年に立てられたもので、江戸時代末期から明治初めにかけて、久寿里場所の請負人(漁場持)として釧路地方の開発にあたった佐野孫右衛門(1841-89)の功績を顕彰したものです。佐野家は新潟の寺泊から移って代々場所請負人を任じられてきましたが、孫右衛門は、昆布漁業振興、自費での道路開削、川湯の硫黄採掘事業も行い、釧路の発展に貢献が大きかったそうです。(解説板より)

釧路の主な産業は、当初は昆布採取、のちに漁業、道東の産物の集散(雑穀の輸出など)、製紙、枕木の製材、石炭採掘だったそうです。
このうち、漁業については新潟漁民の功績が大きかったようです。


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この佐野碑園のあたりから、岬の周辺に街が広がっていきました。

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米町1丁目には、古い町家を曳家・改造した米町ふるさと館があります。
旧称は渡辺虎蔵家住宅で、海産仲買商の店舗兼住宅です。明治33年(1900年)に上棟された釧路市内最古の町家だそうです。
喫茶併設の資料館ですが、訪ねた時間は閉館後でした。残念。

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米町ふるさと館から米町本通をはさんでその先はまた丘になっています。
丘の上には、米町公園があり、昔の釧路崎灯台の形を摸した米町展望台、石川啄木歌碑(昭和9年)、釧路港修築碑(明治42年に滋賀県からの移住者が建てる)があります。

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ほんとは港や米町を一望できるはずなのですが、これも釧路名物の霧の襲来を受け、なんだかよく分かりません。
佐野碑園や港の方を見ています。いちおう。

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丘の並びには、県社の厳島神社と護国神社があります。
江戸時代に佐野孫右衛門が漁場の安全と大漁祈願のため、安芸の厳島神社から勧請したのが始まりで、元は佐野碑園側の高台(南大通7丁目)にあったものが、明治24年にこちら側の高台に移ったそうです。
住吉神社じゃないんですね。

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さらにその先は寺町になっていて、4つのお寺が並んでいます。
海に背を向けた斜面に街を見下ろすように立っています。
どれもかなり大きなお寺です。

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丘の海側には釧路崎灯台があります。
今は管理棟の建物と一体化して、あまり灯台らしくありません。

霧が出ては灯台の光は役に立たず、霧笛がぼおと鳴ります。
釧路らしい情景、音風景です。
GPSの発達で霧笛は廃止の方向らしいですね。
住民の方には騒音なのかもしれませんが、情緒がなくなるのは惜しい気が。

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米町本通の先には石炭運搬用鉄道の踏切があります。
釧路には国内唯一の炭鉱が残されています(露天掘りを除く)。
釧路コールマイン(株)が、2002年に閉山した太平洋炭礦(三井系)の事業を引継ぎ、中国・ベトナムなど海外への採炭技術継承のために残されているそうです。
炭鉱街は釧路の東にあり、坑道は斜めに太平洋の下に潜っています。
石炭の輸送は、太平洋石炭販売輸送(株)が担っています。採炭施設と積出港を結ぶのがこの鉄道です。

しばらく待ってみましたが、貨物列車が来ることはありませんでした。
めったに動くことはないようです。
太平洋は霧にかすみ、カラスが一羽、視界をよぎりました。

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2009年7月 3日 (金)

初めての北海道(5)釧路の南大通

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今回は釧路の旧市街である南大通周辺を紹介します。
この写真は釧路キャッスルホテルから、南大通の方向を見たところです。
南大通は明治・大正時代の釧路のメインストリートでした。
かつては幣舞通や真砂通などと呼ばれていたようです。


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南大通は幣舞橋から港に向かっていく通りです。

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南大通の前にちょっと寄り道。
明治41年、わずか2ヶ月間でしたが、石川啄木が釧路新聞社勤務のため、釧路に滞在しました。
その釧路新聞社社屋が平成5年に復元されて、港文館という郷土資料館・休憩施設になっています。
※話の流れで実際に回った順とは逆に紹介しています。
 既に閉館後で中は見られませんでした。

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港湾部なので古い蔵も残っています。

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ここから南大通です。
ちょっとレトロな雰囲気の建物がありました。
KAビルディングと書かれています。
もともと北陸銀行釧路南支店だった建物を、南大通の雰囲気に合わせて修景したものだそうで、1994年に釧路市の都市景観賞を受賞しています。
今年1月に南大通ギャラリーという画廊・カフェが入っています。
これからこんなお店が増えたらと、ちょっと期待させられます。

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向かいの坂の途中にある建物は、半屋外の通路が木の手すり・柱で雰囲気があります。

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通りでラスカベツという紅茶専門店を見つけました。
15年も前から営業しているそうです。その頃からフェアトレード製品を扱っていたとのことで、今も無農薬の紅茶やフェアトレードのチョコレートを扱う、かなりのこだわりの店です。
元は祖父母の代から酒屋さんをされていたのだとか。

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こんな洋風の店舗もあります。
残念ながら使われていないようです。

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木枠の縦長の上げ下げ窓で、補修したらかなりきれいだと思うのですが。
軒下の持ち送りは、北海道の特徴でしょうか。

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同様の建物で、(有)キヨエさんという事務所があります。
船具を扱っているそうです。

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やはり軒下の持ち送り。

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この建物などもそうです。

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南大通りから港の方に入っていくと、下見板の住宅などが残っています。

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釧路では瓦の建物はほとんど見かけません。
しかし、他でも見たのですが、なぜかこのような鬼瓦風の木の彫り物が乗せてあります。
鬼瓦の代わりなのでしょうか。

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これも下見板の事務所のようです。
港関係の事務所、倉庫などがあります。

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これは新しいかもしれませんが、やはり下見板の建物。

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これも。

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この建物は押し縁下見板です。
『道東の建築探訪』に載っていて、昭和25年のH家住宅です。
海運と港湾荷役業を営んでいたそうです。
古い港町によく似合います。

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最後に蔵を一つ紹介します。
洲崎町なつかし館「蔵」として活用されている旧佐々木米太郎商店倉庫です。食糧雑貨店の倉庫だったそうです。珍しい瓦葺き。大正4年築の蔵でかなり傷んでいますが、市民有志が地道に補修をしながら郷土資料館に活用されているそうです。

南大通周辺はかつて賑わっていたというのが信じられないぐらいに空き地が目立ちます。けれど、気になる建物はちょこちょこと残っていますし、実際、活用もされはじめているようでした。

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2009年6月27日 (土)

初めての北海道(4)釧路の土着的建築

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今回、釧路で泊まったのは、幣舞橋の南たもとにある釧路キャッスルホテル(HP)でした。
できれば近代建築や古いホテルに泊まれたらと探したのですが見つけられず、なんとなく選んだのがこのホテルです(そういうときはローカルホテルを選びます)。1987年の建築です。
船の形をしたホテルというのは、ふーんと読んでいたものの、毛綱毅曠(もづなきこう。毛綱モン太とも)という建築家の作品というのは後で知りました。
この方は釧路出身で、釧路には多くの作品が残されています。
いつもの近代建築と違って、現代建築を紹介します。

まず釧路キャッスルホテルから。
釧路川を望んで立っています。
船と言えば船ですが、色合いもあって、もっと土でできたような土着的なものに見えます。ちなみに右のモダンな建物は日本銀行の釧路支店です。

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ロビーに入ると、天井には布のドームがあります。
土や布の素材を感じさせて落ち着く空間で、私は気に入りました。

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何段にもなったエレベーターの壁。近代建築にも通じるデザインですね。
「掃除しにくそう〜」というのが最初の印象でした。

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部屋(ツインルーム)はこんな感じです。
2色に塗り分けられています。何でしょう、壁の斜めの段差は。

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天井で2つの色がぶつかる部分に小さな波頭が立っているんです。
芸が細かい。他の部屋はどうなんだろうと気になります。

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幣舞橋をはさんで斜め向かいにある釧路フィッシャーマンズワーフMOO(1989年)も毛綱建築です。
とくに夜、照明が入ると未来的な感じがします。

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丘の上にある釧路市立博物館(1984年)もまたそう。
タンチョウヅルが羽を広げたイメージだそうですが、ここも土を感じさせる(古代的なといってもいいかも)建物です。

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釧路市湿原展望資料館(1984年)も土を感じさせます。
モデルはヤチボウズという植物の塊だそうです。

私は地域に根ざした、個性によらない建物を見て回ることが多いのですが、地元出身の建築家が個性的であったがために、個性的な建物群ができてしまったというのも面白いことだなと今回思いました。

余談ながら、毛綱毅曠氏は丸亀の小学校もつくっていて、さすがバサラの丸亀と感心しました。


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初めての北海道(3)釧路の幣舞橋

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再び道東編。
釧路駅に着いた頃には、北国の長い日も既に沈んでいました。
駅前通は北大通りといい、元はメインストリートとして賑わったようですが、今は商店街という雰囲気でもなく、低い通りに銀行が残っています。

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まっすぐ歩いていくと1kmほどで、釧路川にかかる幣舞橋にたどりつきます。
読めますか? 「ぬさまいばし」です。

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釧路を代表する橋で、その存在は、新潟の萬代橋や松江の松江大橋などに似ているかもしれません。旧市街と鉄道駅のある新市街を結んでいること、古くからあり何度も架け替えられていること、近代のデザインであること、町を代表する橋であることなどが共通するためです。規模は小さいですが、存在は大きい。

大阪を代表する橋というと答えはたぶん分かれますね。
難波橋か、淀屋橋か、戎橋か、それ以外か。
幣舞橋はもっと文句なし、な気がします。

幣舞橋は、その前身である愛北橋から数えると6代目です。
順に紹介すると、

○愛北橋(明治22〜31年)
 名古屋本社の愛北物産会社により架設された有料の木橋。
 全長210m、幅3.6m。当時、北海道で一番長い橋だったそうです。明治31年に崩落しました。

○初代幣舞橋(明治33〜42年)
 これ以降、国が架設し、無料橋に。全長203.4m、幅4.2mの木橋。明治34年には橋北に鉄道が開通したそうです。明治42年に崩落。

○2代目幣舞橋(明治42〜大正3年)
 全長203.4m、幅4.5mのトラス型木橋。橋脚につけられた緩衝機能が仇となり、増水、流木・流氷の衝突、凍上で短命に終わったそうです。大正3年に崩落。

○3代目幣舞橋(大正4年〜大正13年)
 全長201.6m、幅7.2mの木橋で、橋脚部は桁橋・二重桁橋の混合橋(図解しないと分かりませんね)。
 永久橋への架け替えのため、大正13年に役割を終えます。

○4代目幣舞橋(昭和3年〜昭和50年)
 全長113m、幅18.3m。初の鉄橋です。短くなったのは、治水の進展で川が埋め立てられたから(これも萬代橋と似ています)。四隅に花崗岩の親柱、袖高欄、袖柱がつき、4基の橋脚は花崗岩で化粧され、その上にはブロンズ製の小塔が乗っていたそうです。この4代目が、札幌の豊平橋、旭川の旭橋と並ぶ北海道三大名橋のひとつでした。道路拡幅のため、昭和50年に架け替え。

○5代目幣舞橋(昭和51年〜現在)
 全長124m、幅33m。4代目の親柱を存続、高欄意匠も引き継がれました。これに加えて、初めて彫刻が載せられた橋だそうです(道東の四季像)。

 ですので、今の幣舞橋は昭和3年のデザインが基調です。

(以上は、釧路市地域史料室編『街角の百年〜北大通・幣舞橋〜』(釧路新書25)、平成20年第2版を参照しました)


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位置関係を地図で見てみましょう。
南が釧路発祥の旧市街に続く南大通りです。
北が駅からのメインストリート・北大通り。
それを結ぶのが幣舞橋です。

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これが4代目幣舞橋を引き継いだ親柱です。
アール・デコのデザインで、これはよく残してくれました。
突き詰めれば、この親柱が橋のイメージになっています。

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橋を下から見たところ。中央に立っているのが「道東の四季像」4体の1体です。
高欄は四角、円、斜線を組み合わせた幾何学模様です。

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なお、4代目の親柱の頂部は戦争時に飛ばされて川に落ちたものが後に引き上げられ、釧路市立博物館に展示されています。ついでにいうと、博物館の門柱にも幣舞橋親柱のデザインが使われていました。

こういう思い出に残る橋をもつ街は恵まれていると思います。

(追記)
この記事は、釧路新書の釧路市地域史料室編『街角の百年〜北大通・幣舞橋〜』を参照しました。
釧路新書は、1977年に第1巻『東北海道物語』が発行されて以来、現在に至るまで、28巻+別冊が発行されているそうです。
安い値段で発行できるのは、釧路市が負担しているのでしょうか。
市史以外に、こうして継続的に地域の記録に残していく取り組みがあるのは素晴らしいことだと思います。
さっぽろ文庫の例などもありますし、北海道の文化なのでしょうか。
(2009.7.9)

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2009年6月14日 (日)

初めての北海道(2)帯広に寄り道

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遅くなりましたが、北海道旅行の報告の続きです。
新千歳空港の非日常に留まるのはもったいない気がして、すぐに一駅先の南千歳に向かいました。ここで途中下車。しかし、意に反して駅前にあるのは巨大なアウトレットモール・レラ(公式HP)のみです。通路のテーブルにはトランプをしている(たぶん)香港からの観光客。ここが帰国前の最終立ち寄り地点になるのかもしれませんね。
私はフードコートで札幌ラーメンだけ食べて戻りました。

ここから特急とかちで、帯広をめざします。

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新千歳空港の近くにはレンタカー各社の巨大な駐車場が並んでいます。
ここが北海道の入口であることを視覚的に実感させます。
(これ以降、車窓越しの写真で汚くてすみません)

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車窓はすぐに郊外の風景に転換。
これからエゾシカなど野生動物の多い区間を走るので急ブレーキをかけることがあるというアナウンスが流れます。
各座席に車内販売のメニューがあって、JR北海道の車内販売は妙に充実しています。

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列車は日高山脈を抜けて十勝平野へ。

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十勝平野に入ると、駅ごとに煉瓦倉庫が目に付きます。

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退屈する間もなく帯広に到着しました。
帯広に立ち寄ることに決めたのは出発後だったので、実は何の下調べもありません。
(持参したガイドブックは帯広のページがないという)
帯広に六花亭の本店があるのは、行ってから知りました。
小豆、小麦、牛乳、バターなど、農畜産物が豊富で、スイーツなどが充実してるんですね。
(私にはあまり関係ないけど)

釧路行き特急の出発までは1時間あります。まず駅の観光案内所でマップと情報の収集をしました。
「帯広の旧市街地はどこですか?」と尋ねると、「旧市街というべきものはないけれど、発祥地は市街北東部で河川港に近い水光園のあたり、昔は大通がメインストリートで、今は駅前通の西2条通が中心」と教えていただけました。
時間の許す限り、北東方面に歩くことにしました。

○関連情報
 →帯広市HP「語り継がれた帯広の歴史」
  帯広市HP「帯広市の都市計画のあゆみ」
  帯広がどこから発展していったのかが分かります。

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がらんと街頭放送が響く西2条通を歩き、藤丸百貨店の4つ辻を曲がって、タウン8広小路という唯一らしきアーケード街に入りました。古そうな商店街があります。

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銀座通あたりには60〜70年代テイストのデザインが見られます。

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アーケードを抜けると薬局。
タイルの赤十字、角の曲面、3本の帯など、印象に残るデザインです。
戦後の古い時代の建築ではと思います。

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ここで左手に、強力に時間を引き戻す下見板の住宅が目に入りました。

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あまり改造されていないようで、これはすごい。

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庭木に隠れて出窓もあります。
上げ下げ窓で手すりも洋風。和洋折衷の住宅です。

・・・そのときはこれだけで満足していたのですが、帰ってから『道東の建築探訪』(2007年)で調べてみると、旧野口医院の住宅部分らしい。でも素晴らしい洋館(昭和4年)が記憶にない。なぜ?とネットで調べると、かたろうさんのブログ「おいしい北海道」で「旧野口医院解体」の記事を見つけました。昨年(2008年)7月に解体されていたのです。
見たかった・・・。見逃しただけだったらまだましだったのに。

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さらにその先の角には改造された洋館がありました。
腰折れの屋根窓が遠目にも目立ちます。
北海道の建物は瓦屋根が少ないので、壁から下が同じでも、受ける印象が違いますね。

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円柱にメダリオン(メダル型装飾)、曲線で交差する格子と、なかなかすてきです。

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窓の下のバルコニー風レリーフに花柄のレリーフなど、細かくみると装飾的。
大正時代っぽいデザインに見えるんですが、どうなんでしょう。

このあたりで時間なので、大通まで引き返します。

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十勝信用組合は文句なしの近代建築。手入れも行き届いています。
かつての安田銀行帯広支店で、昭和8年につくられたそうです。
これが見られたら、寄り道した甲斐があるというもの。

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ペディメント(窓上の半円部)は何やら海の生物を思わせる軟体性の模様です。

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大通を駅に向かうと、商家の町家を改装したような吉川商店がありました。馬具商というのが北海道らしいです。

急ぎ足で帯広駅に戻ったのですが、乗るべき特急は20分遅れだとのこと。
最初から分かっていれば、もっと足を伸ばしたのに。

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余った時間は駅ビルの店を見て回りました。
こういうとき、地元書店で郷土の出版物を見るのが楽しみです。
北海道はとくに地方出版物が多いようですね。

でも書店で気になったのが「宝塚コーナー」
いったいどんな縁が?と思って店員さんに尋ねると、宝塚ファンのサークルがあって、その方々の要望が多かったのでコーナーをつくったのだそうです。
まさか帯広で見かけるとは。

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約束通り(?)20分遅れで特急おおぞらが到着。
後で乗客の会話を聞いたのですが、遅れた理由は、線路に子牛が迷い込んだためらしいです。北海道らしい。

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やがて線路は丘陵地を抜け、太平洋岸に出ました。
後で知りましたが、帯広と釧路を直結するこのルートが、十勝川河口の大津を衰退させ、釧路を繁栄させたそうです。

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20分あった遅れを6分まで縮めて、釧路に到着。
夏の遅い夕暮れも、既にこの地に訪れていました。

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2009年6月 9日 (火)

初めての北海道(1)はじめに

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3泊4日の北海道旅行から戻りました。
今回は往復とも飛行機です。
ただ、行きは神戸空港発で、帰りは関西空港着。
神戸空港を利用するのは初めてです。

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神戸空港は、空港から六甲の眺めがいいですね。
絵になる眺めだと思います。

施設が小さいので歩く距離が短いのもいい(私の家からは遠いけど)。

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この日(6月4日)はあいにく、全国的な曇りや雨で、富山上空を除き、延々と雲を眺めていました。
上の写真は佐渡島上空を抜けて、新潟あたりです。

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広々した新千歳空港に着いてもやはり曇り空。
旅行中、網走以外は、ほとんど曇りや雨で、お天気の面では残念でした。

初めての北海道ということで、今回の行き先は道東メインにしました。
(なんとなく、「より北海道っぽい」というイメージで。建物を見るなら、小樽や函館が良いのでしょうけど。)
かつ、うんざりするほど景色を眺めようと、列車の旅にしました。
新千歳空港駅から釧路・網走経由で札幌行きの切符を買い、南千歳と帯広で1時間ずつ途中下車、釧路で2泊(1日強滞在)、網走で5時間の途中下車、札幌泊(1日滞在)というパターンです。

滞在中はひたすら歩きに歩きました。
いい風景にも出会えました。

今回、とくに印象に残ったのは「倉庫」、です。
どこの駅にも巨大な農業倉庫があって、牧場にはサイロがあって、港には煉瓦倉庫、漁業倉庫があって、街中にも札幌軟石の倉庫があって。鉄道から見た風景だったからというのも理由かもしれません。
作って,貯めて、送り出す。

これまでの記事がたまっていますので、間に挟みながらぼちぼちと報告していければと思います。


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2009年5月23日 (土)

潮騒の神島(鳥羽市)

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答志島から船で20分、さらに先の神島に向かいました。
神島は、「歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。」で始まる三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台として知られています。

島の大きさは変わりませんが、今は人口500人ほど。
海の向こうに渥美半島・知多半島が見える三重県の端の島です。名古屋港や四日市港に出入りする船が目の前を行き交っているので、寂しい離島ではありません。
(カメラの電池がなくなったので、携帯で撮った写真も混じってます。しかも携帯カメラの調子が悪い)

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神島という名前から聖なる印象を受けますが、実際、このように祭られている石の神様を見ると、古い信仰が息づいているのを感じます。

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神島の集落は一ヶ所に密集しています。
島の斜面にへばりつくようにぎゅうぎゅうと家が建っています。

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ですから集落の中でも階段が非常に多くみられます。
車の走れるような道は海沿いの1本だけでしょうか。
自転車やバイクですらほとんど入れないところです。
街あるきの旅人には魅力的な階段ですが。

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非常に狭い路地に下見板の住宅が建っています。
自転車は島の裏側にある小中学校に通うためでしょうか。

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味のある店構えの商店。
ここも狭い路地にあります。

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店の裏側。

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このような下見板の建物がたくさんあります。
もう一つ特徴はカラフルにペイントされていること。
こちらはライトグリーン。

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こちらは青・青・青。

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この島でも鍾馗さんを見かけました。
京都文化はここまで及んでいます。

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多くの離島同様、神島でも水が貴重で、こんなに立派な六角形の煉瓦の井戸がありました。

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この階段は眺めの良い八代神社まで続いています。
残念ながら集落内だけで携帯の電池もなくなりました。

この日はいいお天気で、神島灯台や観的哨(かんてきしょう)から眺める伊良湖水道は、観光パンフレットのようだったのですが、写真には収められませんでした。観的哨(監的哨)は、対岸の伊良湖岬の向こうから試射した砲弾の着水点を観測するために陸軍が昭和4年に建てた建物で、「潮騒」の重要な舞台です。
 →伊勢志摩きらり千選「監的哨」

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集落内にあるユニークな形の時計台跡は、観的哨の完成記念に、同じ昭和4年、建てられたものだそうです。もしかして砲弾の形?
 →神島小の小学生によるレポート

狭い島ですが、絵になる光景がたくさん見られる島です。

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2009年5月17日 (日)

答志島・答志の路地(鳥羽市)

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4月、とあるツアーで、三重県鳥羽市の答志島に出かけました。
答志島というのは、鳥羽の沖合2.5kmに浮かぶ周囲26.3km、面積約7平方kmの細長い離島です。島には答志、和具、桃取の3つの集落があり、鳥羽港から市営の定期船で、近い桃取・和具なら15分、今回出かけた答志でも30分の手軽な船旅です。
この日は天気に恵まれ穏やかな旅でした。

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答志の港に入ると、小高い丘と松が目に入ります。
こんなに小さくても、もとは離れ島だったようです。
昭和初期に島を訪れた砂田代議士がこの松を惜しんだことで残され、「砂田松」と呼ばれています。規模は違いますが、浜寺の松は大久保利通が惜しんで残されましたので、そういう時代もあったのですね。

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そして、この丘には港を見つめる石像があります。
観音様でしょうか。いい風景だなと思います。

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答志島は漁業の島です。観光の島でもあります。

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答志地区の中心部。
答志島の人口は約3000人で、そのうち半分は答志地区に住んでおられます。
平地は少ないので密集して暮らすことになります。
この日は春霞がかかっていますが、お天気はよく、遠くに神島が見えていました。

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近づいてみると密集具合がよく分かります。

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このような狭い路地が縦横に。
旅人には魅力的です。
路地裏を「島の旅社」のガイドさんに案内していただきました。

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狭い路地で活躍するのがこの手押し車。
「じんじろ車」というそうです。ほんとにたくさん見かけます。
鉄工所のオーダーメイドなので、1台3万円ぐらいするそうですよ。
収納スペースにぴったりサイズ。

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答志島は伊勢と同じく注連縄を1年中飾るそうです。

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集落には銭湯もありました。
旅館にはもちろんお風呂がありますが、こういうところで入るのもいいかもしれません。

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お風呂屋さんの戸の脇に炭で書かれた丸八の印。
これは答志の風習で、八幡神社の祭りで炭を奪い合い、その炭を使って家などに丸八の印を書いて魔除けにするそうです。至る所にあります。

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玄関の両脇に木製の部材が取り付けてあります。
これは省スペースのために、門松を取り付ける器具だそうです。
いろいろ工夫されていますね。

ちなみに上の旗立てからぴょこんと飛びだしているのは2本のめざし。
これも魔除けで、窓の数に応じて立てておくそうです。
古い慣習がいろいろと残っています。

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離島で切実なのが水の確保です。
今は鳥羽市から海底の水道管で送水されているようですが、以前は水が貴重でした。

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ですから、あちこちに井戸が掘られています。
面白いのが陶器製の井戸枠。
どこで作られているんでしょうね。

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煉瓦製の井戸枠もあります。

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また歩いていて気になったのが、青石の石積です。
地図で確認すると答志島は中央構造線のすぐ南で、青石を産するようです。

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路地裏ツアーの後は漁港の方へ。
ワカメ漁の季節で、ワカメやメカブ(ワカメの付け根)がたくさん干されていました。

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奥にある青い小屋は、海女小屋だそうです。
海女さんが休憩などに使うスペースです。
今は観光用の海女小屋なども作られていて、ツアーに参加すれば中で食事ができるようになっています。

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こちらは、天日干しのひじき。

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港に並んだタコ壺。
タコ壺漁は年中行われているそうです。

生業が活き活きと行われているのを見るのはうれしいものです。
とくに答志島は漁業がまだ元気なようで、季節ごとに多様な漁が見られます。
いつもは「昔、○○が盛んだった」という過去の記憶を追う旅が多いので、今回はその意味でも新鮮でした。

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2009年3月26日 (木)

多治見散歩

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多治見の昭和町を見た後も、多治見の市街を散歩しました。
そこで見かけた、コンクリートブロックサイズのタイルを貼ったブロック塀、なんでしょうか。ちょっとおしゃれなブロック塀です。

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古びたビルの1階がトンネル路地のように、向こうの路地に続く不思議な通り。

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アーケードのある銀座商店街には、大きなお屋敷もあって、歴史を感じさせます。石組みが美しい。

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これは少し離れた場所ですが、屋号の入った丸い門灯です。
上のお屋敷も含めて、あちこちで見かけました。

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小路町に出て、洋品店のみの周さん。
クリーム色のタイルが年代を経てきた雰囲気です。

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この青白の磨りガラス、木製桟の分割パターンは、ショーウィンドウでも見かけるものです。どこかの時代の流行かと思いますが、まだ分かりません。

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お向かいも似たような感じの下廣商店さんがあります。
こちらは化粧品・石けん・洗剤のお店だそうです。

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テラコッタらしき飾りが2ヶ所付いています。
解像度が悪くて何の図案かよく分かりませんが。

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多治見は蔵がたくさん残っていて、なおかつ活用されています。
この場合は飲食店になっていました。

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これはなんだか不思議な蔵でしょう?
写真に撮っていたら、そばにいた方に声を掛けられたんですが、実はその隣にいた方がオーナーさんで、これは蔵を改造したチャペルなんだそうです。3月にオープンとおっしゃってましたから、もうオープンしているでしょう。ある意味、現代版擬洋風の感がないでもない。

伝統的町家から70年代建築まで、多治見は散歩して楽しいところです。
また5月か6月に出かけようと思います。


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2009年3月16日 (月)

多治見の昭和町

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多治見の出張最終日。
あいにく雨の日でしたが、仕事が終わる頃に雨も上がり、日も長くなりましたので、少し町を歩きました。

多治見の真ん中を北東-南西に土岐川が流れています。元々の多治見の町は川の南側(写真の右側)で、多治見駅のある川の北側は昭和9年に合併するまで豊岡町という別の町だったようです。

この写真は駅前通の陶都大橋から撮っています。向こうの橋は昭和橋で、右に渡ったところは昭和町です。多治見は面白いことに昭和町、大正町、明治町が揃っています。
今回は旧の多治見町側にある昭和町を紹介します。

右手にこんもりしたヒマラヤ杉が見えますでしょうか。

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近づくとこういう洋館があります。
Reverie(レヴェリ)という、雑貨店、レストラン、ギャラリー、英会話教室の複合施設です。
ホームページによると、元は大正末期から昭和初期にかけて建てられた演劇場らしく、その後、税務署、裁判所、陶器関連の会社事務所などに使われ、空き家になっていたところを活用されているそうです。

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陶器の町・多治見だけあって、タイルがふんだんに使われています。
とくに玄関の柱はびっしりと豆タイル。

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廊下はずっとこの市松模様です。
下にはギャラリーが入っています。
お話でも聞こうと思ったのですが、無人でした。

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2階建てでギャラリーは地下室なのかと思うと、裏から見ると3階建て。違う建物に見えます。
表は土岐川の堤防に面して建てているので、2階が入り口になっているのですね。

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ちなみに、Reverieさんが入られたときに敷かれたのかと思いますが、玄関前には耐火煉瓦が敷かれています。焼き物の窯にたくさんの耐火煉瓦が使われているので、その再利用だと思います。KTK、TRC、STR、YRKなどと刻印がありますが、何という会社の略号なのか分かりません。

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また近くに旧昭和橋郵便局があります。
昭和9年頃の建物らしい。
残念ながら今は使われているふうではありません。

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すごいのがタイルで埋め尽くされているところで、軒裏にもびっしりタイルです。
一部スクラッチタイルも使用。

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昭和町から少し外れます。
町家もまたびっしりとタイルが貼られています。

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こんな感じです。
右端は改築部分のようです。

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上は浴室用タイルのような気がしないでもないですが。

昭和町はその名の通り、昭和レトロの雰囲気ある町でした。


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2009年3月11日 (水)

新潟ふゆ歩き(6)下町(しもまち)へ

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今回、新潟の旅の最後は下町(しもまち)方面に歩いていきました。
とくにテーマもなく、とりとめなく。
Uさんから下町はいかがですかというご提案をいただき、お勧めには無条件に従ってみる方針の私は、そちらに向かったのでした。新潟で上というと白山神社の方で、下は水路の下流なんでしょう、北の方です。下町方面は、昔は花街があったようです。
(写真の順番は分かりやすく入れ替えてあります)

まず本町通を歩いていきました。
気になった片桐小路の朱色のダクト。
とてもインパクトがあります。

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御祭堀のK邸。大きなお屋敷です。

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波模様のブロック塀に海が近いことを感じます。

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少し離れて湊町通の裏手。
蔵のようで、洋館風でもあり、でも新しそうな不思議な建物。
最近の流行なのでしょうか、古い洋館風の新築をちょくちょく見かける気がします。

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彌五左衛門金刀比羅(ことひら)神社。
文政4年(1821年)、廻船問屋・鈴木彌五左衛門の船「白山丸」が、島根県大海崎沖で暴風雨に遭いました。船が沈没寸前になったとき、金刀比羅大権現が現れて、暴風雨が止み、船に金の御幣が残されたそうです。その御幣を祀ったという神社です(説明板より)。
北前船の港町ならではの神社といえるでしょう。

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古いはずがないけれどレトロ感の漂う住宅。
もしかして洋館付き住宅を建て替えたときに元の意匠を生かしたのでしょうか。

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元祝町の願随寺。
湊口にある大きな寺ということで外国使節の接待場所とされ、安政6年(1859年)4月22日に来航したロシアの軍艦ジキット号、翌日来航したオランダの軍艦バーリー号(案内板の説明ではどちらと会談したのかよく分からず)、10月に来航したイギリス船2隻の船長たちとの会談場所となり、新潟の最初の対外交渉の場となったそうです。

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方向転換場所かもしれませんが、ちょっと考え込む丸印。

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海岸の松林。
海沿いには砂丘だった丘があり、松林が続いています。

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その向こうには寒々とした(実際は寒くないのですが)海岸が広がっていました。

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昼間はいいお天気だったのに、既に冬の空。
さあ帰りましょう。
次はどの季節に新潟を訪ねることになるでしょうか。

新潟の皆さまにはたいへんお世話になりました。
とりとめない記事となりましたが、お読みいただいた皆さまもありがとうございます。


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2009年3月 9日 (月)

新潟ふゆ歩き(5)ラーメンとイタリアン

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今回は珍しく食べ物の話です。

新潟の2日目。宿泊に朝食を付けなかったので、外に食べに出ました。
喫茶店でモーニングでもと考えるのが大阪人的発想なのですが、ビジネス街だったためか、日曜日は喫茶店が開いてません。
でも街中を歩いていると、人の出入りしている店がありました。何かなあと近寄ってみるとラーメン屋さん!

こちらは「くら田」さんというお店です。
新潟のラーメン屋さんは朝7時からやってたりするんですね。そして午後3時には閉店だったりする。ラーメン=昼・夜のイメージだったので意外でした。
私はワンタン麺をいただきましたが、とてもあっさりして朝にはぴったりでした。

考えてみると中国だと朝からラーメンは普通です。ワンタンもあります。
そしてあっさりしたスープです。
新潟が大陸への窓口だったことと関係あるのかなあなどと想像するのですが、確かめてはいません。

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前日、「昼ご飯は何がいいですかねえ」と地元の方に相談すると「みかづきのイタリアンを食べてください。新潟のソウルフードです。」と教えていただきました。

「文化祭で出された、冷めてまずいイタリアンが思い出。でも暖かければおいしいはず」というような微妙なお勧めもいただきましたが。どこで食べられるかというと「万代のバスターミナルの2階」をまず挙げておられて、たぶんシチュエーションも大事なんだろうなということで、そちらの「みかづき」さんに行きました。

カフェテリア風のファーストフード店です。

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これがみかづきのイタリアン。320円。安いですね。
期間限定越後みそ味とか、カレーソース、ホワイトソースなどもあるんですが、ここはスタンダードなトマトソースを。
このイタリアン、なんと焼きそばにトマトソースがかかっているというものです。焼きそばは普通にソース味の焼きそばなんですが、あっさり味なのでマイルドです。一口食べると「う」と思いますが、何口か食べると慣れます。

見ている間にもまとめてテイクアウトしていく方がいて、このバスターミナルから思い出の味が方々に散っていくのかもしれません。

みかづきのイタリアンについては、みかづきさんのホームページに解説があります。
昭和34〜35年に誕生したんですね。

こういう食文化は行ってみないと(そして教えてもらわないと)分からなくて楽しいものです。

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2009年3月 7日 (土)

新潟ふゆ歩き(4)港の方へ

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朝の怪しい雲行きはどこかに去り、いいお天気になりました。
沼垂を自転車でさまよった後は、かつての栗の木川跡に沿って河口まで出ました。

そこには万国橋という地名と片方の欄干が残っています。しかし、もはや橋ではありません。
名前からして、昔は港に向かう重要な橋だったんでしょうね。
欄干には鉄の幾何学模様が入っています。

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河口部には漁船がつながれ、冷蔵倉庫があり、漁港の様相です。

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ここから東は新潟西港の港湾地区です。このような港らしい雰囲気の事務所も建っています。ちょっと覆面をかぶったような派手な見た目ですが。

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港には倉庫が立ち並んでいます。その中でもこの日通倉庫のたたずまいが気に入りました。一番左の倉庫には「南六号倉庫」の木札が掛かっています。

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さらに港に入り込むと新潟西港の記念公園があります。
開港百年記念碑、新潟港開発先覚者・川原乙松翁寿像、スクリューなど様々な展示物があり、さながらミニ野外博物館のようです。

新潟は江戸時代、西廻り航路の重要な港町でした。近代の新潟港は開港5港の一つとして、明治元年に開港、明治2年に新潟運上所(税関)が開設されます。ただ、河口港のため水深が浅くて外航船が入れず、改修の連続でした。大正6年に着工した県営埠頭が大正15年に完成、昭和4年に北朝鮮航路が開設されると、大陸への玄関口として栄えました。それが今の新潟西港です。しかし、終戦後は荒廃します。

川原乙松翁寿像の碑文によれば、弱冠31歳で川崎汽船の外航船船長となった翁は、昭和4年、37歳の時に新潟県の招きで港務嘱託・初代の水先案内人となったそうです。81歳まで43年間、港一筋に水先業務を行い、多くの水先案内人を育てました。新潟港の改修に超人的精力を注ぎ、とくに終戦後、廃港寸前だった港の復興改修に努め、新潟港が国際貿易港となるのに大きな功績があったそうです。

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前回紹介した昭和9年の地図をもう一度。
この時代は鉄道が港まで伸びています。
東京と満州を結ぶルートとして賑わい始めた時代の新潟港が描かれています。

大陸への玄関口だった新潟の港を体験するには、船で出港してみるのがいいかもしれません。

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2009年3月 2日 (月)

新潟ふゆ歩き(3)沼垂をさまよう

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新潟の駅前通りをまっすぐ進むと分岐路にぶつかります。左斜め方向に曲がると、万代地区の繁華街を左に見つつ、萬代橋で信濃川を越え、新潟の中心部に向かうメインストリートです。右に曲がると延々と古びたアーケードが続いています。この道は沼垂(ぬったり)に向かう道です。

沼垂(ぬったり)。
足を踏み入れると抜け出せないような響きをもつこの町は、今では新潟市の一部ですが、江戸時代の終わり頃までは対岸の新潟と信濃川河口の権利を争うような港町でした。新潟は長岡藩、沼垂は新発田藩の町だったそうです。

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昭和9年の地図を見ても、はっきりと一つの町であることが分かります。
新潟港の後背地のようにも見えます。
沼垂駅ができたのは明治30年で、北越鉄道の終着駅として、旧新潟駅(明治37年)より先に設置されたそうです。しかし、昭和33年には旅客営業はなくなりました。

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拡大するとこのような感じ。
この町が今どうなっているのか気になり、またレンタサイクルを借りて出かけました。

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まずアーケードを走っていくと、古くていい感じの美容室が目に留まりました。入り口を斜めに構えています。

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「伊原美髪館」と右→左の文字で、戦前のもののようです。(小道さんによれば昭和初期)

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角のアールがモダンです。

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沼垂の町に入ると今度は写真館がありました。

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正面はスクラッチタイル張りです。

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「勝山写真館」という名前です。
スクラッチタイルは凹凸を付けて貼られています。スクラッチタイルが傷んだところも新しいスクラッチタイル(でこぼこの小さいもの)で補修しているようでした。

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2階隅の屋根瓦は松のデザイン。

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この脇の道は「ぬったり古町通り」の名前で修景された道です。

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その「ぬったり古町通り」には看板建築らしき建物がありました。
オレンジ一色に塗りつぶされていますが、2階にエンブレム状の装飾(メダリオン?)が見えます。

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かつての栗の木川に面して、倉庫のような建物が並んでいます。

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南の方を見たところ。この道路がかつて栗の木川で、この川をはさんで沼垂の町がありました。

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昔の川跡を東に渡ると「沼垂定住三百年記念碑」が立っています。
要約すると、沼垂の発祥は、日本書紀・大化3年(647年)に登場する渟足柵(ぬたりのき)で、以後、日本海の物流拠点の商港として発展したのですが、阿賀野川・信濃川の浸食で再三・再四の移転を迫られ、ようやく貞享元年(1684年)に現在地に定住し、300年になるということです(昭和59年建立)。

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その近くにいい建物がありました。
桟入りのガラスがふんだんに使われている近代の商家です。

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とくに角の部分がみどころ。
何の商売をされていたんでしょう。

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さらに近寄るとこんな感じ。
角は違い棚のあるショーウインドーのようで、もうお店はされていませんが、夫婦の松の盆栽が飾られていました。

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南の方に行くと、新潟同様(かなりコンパクトですが)、大きな寺が並ぶ寺町があります。

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寺町の南には市場の並びがありました。
この市場の背中側は飲み屋が並んでいます。新潟絵屋のUさんに伺ったところでは、ディープな飲み屋だそうです。

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ところで、市場の店先で面白いものがありました。
漁にでも使う物かと思ったのですが、新潟絵屋で伺うと、田んぼに苗を等間隔で植えるための道具だそうです。なぜここにあるのかは不明。

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向かいの家では1階の屋根の上下にこの道具を吊していました。

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東に向かうと錆びた線路にぶつかります。
昔は港に直結していた線路も途中で切れて、今は最果て感が漂います。
向こうは大規模な石油工場や製紙工場の世界。
この線路が結界のようです。

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線路の向こうには古い煉瓦倉庫がありました。
沼垂日石の赤煉瓦倉庫で、大正時代のものだそうです。

沼垂の町は、新潟の町に比べてさびしい感じがしますが、味のある街並みです。もう少しゆっくり歩き回っても良いかなと思いました。

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2009年2月19日 (木)

新潟ふゆ歩き(2)出窓と階段の町

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新潟絵屋にごあいさつしたあと、レンタサイクルを借り、新潟の町の西にある西大畑方面に向かいました。
このあたりは、新潟まち遺産の会の発行している「まち遺産マップ 異人池・ドッペリ坂界隈」がカバーしている近代の町です。マップには近代の和風住宅、洋風住宅、洋館付き住宅をプロットしていただいているので、見て回るのに便利です。

あちこち見ながら、田中町のあたりにたどり着きました。
狭い道に、出窓のある洋館付き住宅が建っています。
落ち着いた色調のくっきりしたデザインが美しい。

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こちらも出窓のある和洋折衷の住宅です。
庭には松の木。このあたりは昔は松林だったでしょうか。松林を切り開いた住宅地では、庭木に松をよく見かける気がします。

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そしてこのあたりは砂丘のすそだったようで、ゆるやかな傾斜にあちこち階段があります。自転車用にスロープつき。車は無理ですね。

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奥の方は崖になっていて、階段が崖上の二葉町に上がっています。湧き上がるように建つ建物が面白い。階段も表情豊かです。自転車を置いて、階段を上がりました。

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上にはまた出窓のある洋館付き住宅があります。
ここに限らず新潟のまちなかでも出窓はよく見かける気がします(まちなかでは裏手の庭側に)。なぜなんでしょうね。

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隣にも出窓付きの和風住宅。縦板張りに出窓ってちょっと変わった感じです。

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突き当たりにも洋館付き住宅があります。
隣の小さな階段がアクセント。

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同じ並びの和洋折衷の住宅。兜のような屋根です。

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このあたりで引き返し、階段に戻りました。
上から見ると一面に屋根が広がって、そのまま屋根を歩いて行けそうに見えます。

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見下ろすと階段と道がうねるように伸びています。
こういう階段は登るときと降りるときの印象がまるで違うのが面白いところです。

この日は予定が盛りだくさんだったので次の目的地に向かいましたが、もうちょっと階段を登ったり降りたりしたい気分でした。

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2009年2月16日 (月)

新潟ふゆ歩き(1)暖かい冬の新潟へ

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昨年5月に初めて訪ねた新潟ですが、新潟絵屋のUさんのお誘いに厚かましく乗って、1泊2日で真冬の新潟に出かけてきました。
 →前回の「新潟まち歩き」シリーズはここから

前回は電車とバスでしたが、今回は往復とも飛行機(出張パック)でした。
プロペラ機に乗るのなんて久しぶりです(帰りはジェット機)。

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伊丹空港を飛び立った飛行機は日本アルプスを越えていきます。
美しく冠雪した日本アルプスを眺められて得した気分。

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しかし、新潟が近づくとなぜか雪が消えていきます。
阿賀野川に降りるのかのように新潟空港に着陸しました。
相当覚悟したのに、いつもの大阪の冬ほども寒くない拍子抜けのお天気です。

空港バスで新潟駅へ。
再び信濃川の萬代橋を渡ります。
この橋を渡るとき、ぱーっと視界が広がり、「新潟に来た!」という実感が湧きます。電車で淀川を渡るとき大阪に帰ってきたと思う感覚に近いかもしれません。でも歩いて渡るので、それ以上の開放感です。

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再び新潟絵屋にお邪魔しました。
月刊フリーペーパー「まちの日々」発刊30号記念の「まちの日々てん」が開催されていました。
別冊「まちの日々180」も発刊されています。

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そして夜は縁のある方々が集まりました。こちらが一番の目的。
新潟のまちでアクティブに活動されている方々が集まっていました。
居心地がよくて、興味深いお話もたくさんで、本当に参加してよかったと思います。
逃れられないなという感もありますが。
新潟のおいしいもの、おいしいお酒もたくさんです。

桜餅が関西と同じタイプだったことに、文化的につながっているんだなあと親近感を覚えました。

お二組ほど大阪に遊びに来られるという話もあって、また次にもつながっていきます。
Uさんはじめ、新潟の皆さま、本当にお世話になりました。

寒くないだけでなく、雨も予報に反してほとんど降らなかったので、思いがけずまち歩きも充実しました。
前回同様、まちあるきの話もぼちぼち書こうと思います。
前みたいにたくさんにはなりませんが、またお付き合い下さい。

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2008年12月31日 (水)

懐かしの土岐

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<土岐市駅前の東西の通り>

部屋の片付けもありますが、年内の記事は年内にということで・・・
今年は仕事で何度か岐阜県の土岐・多治見を訪ねる機会がありました。
多治見は名古屋から30分で快速の本数も多いことから、マンションが建ち、名古屋のベッドタウンになっているようです。川を越えるとちょっとレトロな街並みがあります。

土岐は一駅向こうにあるだけなのにずっと静かです。駅前から既に、多治見より一時代古く、懐かしい街並みがあります。住む人には分かりませんが、旅人には魅力的なところです。
出張の前後に土岐の街を歩きました。

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駅前からまっすぐ伸びる商店街を歩いていると、右手に古そうな建物が目に入ります。

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近づいてみるとお医者さんで、森川歯科と書かれています。
1936年(昭和11年)に建てられたものだそうです。
切妻の角がちょこっと折り込まれているのが洋風です。

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壁面はボードのようなものが打ち付けられています。
なんだろう。

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住宅の玄関に向かっては、お庭を通ってきっちりした石畳が敷かれています。

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一方、医院の入り口は建物よりは新しそうで、全てタイルで仕上げられています。土岐も美濃焼の産地ですので、土岐らしい素材。

日が暮れてからもう一度通りがかったところ、この建物は裏側からも眺めることができ、出窓などがありました。

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もう少し歩いていくと、左手にヒマラヤ杉が目に留まり、その下に下見板の和洋折衷の建物が建っています。
左右対称で、両翼に車庫と倉庫が張り出す個性的な構えです。
グレーの色合いは先ほどの森川歯科と同様。

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こちらは山森清水商店と書かれていました。
陶器商さんらしいです。今は傷んでいますが、瀟洒な雰囲気があります。

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旧道には古い建物が並び、2階には干し柿。

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夕暮れの土岐川を南に渡ります。

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民家の壁に残る「衛生伍長」のプレート。
電話番号だって3桁しかありません。

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県道69号にかかる明楽寺橋。1939年(昭和14年)に架けられた橋です。
欄干のアーチは普通ですが、親柱にくらげのようなインベーダーのようなデザインが付いています。

このあたりに近代建築の土岐津陶磁器工業協同組合の建物があったはず、と思って見ましてみましたが、見つかりません。ようやく気付いたのは、向こう側にコンビニの看板が立っていて、重機が整地をしていること。取り壊されていたんです。2ヵ月前に、ちゃんとあることを確認していたのに!

対面にあったという土岐郵便局も既にありません。
時が止まっているように見えても確実に時間は経過しています。

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気を取り直してさらに南へ。
すると下街道にぶつかりました。下街道というのは中山道と名古屋を結ぶ脇街道で、上街道=中山道に対する下街道です。善光寺参拝に使われたため、善光寺道とも呼ばれました。明楽寺橋の上流側に、これも古そうなコンクリート橋が架かっています。欄干のアーチが広く、こちらの方が私好み。残念ながら橋の名前も建設年も分かりません。

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欄干は宝石風? 丸い珠を4つの爪が支えています。
大正時代の橋などで時々見かけるデザインです。

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下街道に沿って東の方へ歩いてみました。
このあたりは街道沿いの古い集落だと思います。
すぐに遠山医院というお医者さんがありました。
和洋折衷の雰囲気があり、窓にダイヤモンド型の桟が入っているのが変わっています。

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木製の文字の雰囲気がいいのですが、日も暮れて撮影は限界。

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引き返して近くを歩いていると懐かしい感じの蔵がありました。

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床下換気口を覗き込むと、繰り返しパターンの面格子がはまっています。明治時代ぐらいのものかもしれません。

今回はここまで。
いずれプライベートで訪ねてもいいなと思います。


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2008年11月28日 (金)

伊勢竹原の駅前セット

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三重の津市美杉町(旧美杉村)に出かけた帰り、コミュニティバスで伊勢竹原駅に降り立ちました。この駅前は、「懐かしの駅前」のセットのようです。

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駅舎はこじんまりしています。
昭和10年に開業したときの駅舎で、「伊勢竹原驛」と右→左に書かれたタイル、洋風長屋でよく見る丸窓に二本の手すり状金具といったものが残っています。トイレも古い。

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待合室から駅前通りを眺めると、ここが自分の田舎ではないのに、田舎に帰ってきた感覚があります。

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駅前には総2階建ての大きな商家。

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2階の戸袋に壺の絵が残っています。
昔はお茶を商っていたのでは?


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タバコのショーケースには、木格子でアールデコ調のデザインがありました。
こういうデザインを何というのか知らないのですが、歯車などが読み込まれて、「工業万歳」の気分が感じられます。

懐かし気分に浸っても乗り遅れにはご注意。
次は2時間後です。

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2008年11月20日 (木)

止まれのある風景(三重県津市一志町)

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まちかどのいろんなものに興味を持つ人がいます。
飛び出し坊やであったり、マンホールであったり、禁止表示であったり。
私の場合は、足形などで示される、歩行者用の「止まれ」表示です。
所によって表現やタイミングが違う、テンプレート・手描きの味わいが好きです。

 →出雲市の場合
 →大阪狭山市の場合

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2008年11月18日 (火)

近代産業発祥の村(四日市市室山地区)

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四日市市の四郷地区は近代産業発祥の地のひとつだそうです。
四郷の4つの集落の中でも、産業は室山地区に集中しています。
室山地区には小さな集落には不釣り合いなほど大きな酒蔵、工場が建ち並んでいます。

産業の源流は、江戸時代の明和元年(1764年)に味噌・醤油の醸造業を始めた初代伊藤小左衛門にたどれるようです。伊藤家の醸造業から様々な業種が派生しますが、醤油は享和元年(1801年)に創業したヤマコ醤油(旧株式会社伊藤醤油部)に引き継がれて、今も製造されています。

多いのは造り酒屋で、上の写真はその一つ、天保3年(1832年)に創業した合資会社笹野酒造部「白梅」です。道になだれ込んでくるような大屋根が見事です。残念ながら2008年3月31日に廃業されました。近くに「ザ白梅クラシックガーデン」という広い敷地の結婚式場がありますが、関連しているのでしょうか。

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こちらは山手にある神楽酒造で、安政5年(1858年)の創業。清酒「神楽」をつくっています。隣では昭和30年に酒造権を復活させた(株)ナカムラが、清酒「三瀧川」などをつくっています。

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同じ醸造で、田中酢店というお酢屋さんもあります。少なくとも明治にはさかのぼれるようです。

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でもやはり地区で目立つのは製糸業です。
文久2年(1862年)に五世伊藤小左衛門が始めた家内の手繰り製糸は、明治7年(1874年)に工場となり、後を継いだ六世小左衛門と甥の小十郎が器械製糸を完成、明治16年(1883年)に蒸気機関化しました。伊藤製糸場は明治33年に焼失してしまいますが、その後、明治36年(1903年)に建てられたのが上の伊藤製糸場新工場です。のち昭和16年に亀山製絲と合併して亀山製絲(株)室山工場となり、平成7年に操業停止するまで現役でした。壊される計画もありましたが、幸いまだ残されています。白い下見板の擬洋風の工場です。正門も当時のもの。

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旧伊藤製糸場の南側玄関の三角破風には、華やかな植物のような装飾が入っています。

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同じく南面の2階の軒には、ブックエンドのような持ち送りが並び、軒下には透かしなど、工場なのに(?)凝っています。2階屋根から飛び出た部分は通風用でしょうか。

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南側から見ると建て込んで見えるこの工場も、北側から見ると広々した空き地が広がっています。文化財の工場以外が取り壊されてしまったためです。

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一部煉瓦の構造物が残されていました。
旧伊藤製糸場は、おそらく傷みが激しくて大幅に補修しないと中が利用できないのではと推測しますが、せっかく残ったので活用していただければと思います。

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工場はまだあります。集落の遊歩道を歩いている見えてくるノコギリ屋根。

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東洋紡績グループのトーヨーニットの倉庫です。
十世伊藤傳七が明治13年(1880年)に北隣の川島村で始めた三重紡績所(川島紡績)は苦しい経営でしたが、明治19年(1886年)に渋沢栄一の援助を受けて三重紡績(株)として再出発、明治21年に四日市の浜町工場、明治23年に第2工場を立ち上げ、経営が軌道に乗ると周辺の紡績会社を次々買収、大正3年(1914年)には、大阪紡績(株)と合併して東洋紡績(株)になりました。

このトーヨーニットの倉庫は、もとをたどると十世伊藤傳七が創設した伊藤メリヤスの第1工場です。大正12年(1923年)に建てられました。下部は煉瓦で、上部は鉄筋コンクリートという、時代の過渡期を表すような構造です。
名古屋で設立された伊藤メリヤス商会は、明治37年(1904年)にここ室山工場を新設、明治39年にはこちらに本店を移して伊藤メリヤス合資会社となりました。

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隣に立つ第2工場(大正13年(1924年))の下部です。
周辺の民家と同じ川石の石垣が積まれ、花崗岩の切石、煉瓦、そして鉄筋コンクリートが重なっています。地層のようです。

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この道は第1・第2工場から続く構内道路で、右手に古そうな下見板張りの建物が並んでいます。この先にかつて室山駅がありました。明治44年(1910年)に村の有志の出資により軽便鉄道(三重軌道(株))の工事が開始され、翌大正元年に八王子〜室山〜日永間が完成。大正5年には四日市まで線路がつながりました。貨物主体の鉄道だったようです。

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再び西日野駅から帰りの電車に乗り込むと、今度は学校帰りの高校生で賑やかでした。
四日市駅では入れ替わりに四日市の高校生が乗り込んできて、今は高校生がこの電車の主役になっているようでした。

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2008年11月13日 (木)

紡績で建った旧四郷村役場

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四日市で用事を済ませた後、市内の四郷地区に向かいました。
産業遺産の村をみるのが目的です。

近鉄四日市駅で八王子線に乗ります。
高架駅の他の線とは別に、八王子線と内部線だけ地上です。
やってきた電車はおもちゃみたい。軽便鉄道の生き残りなんだそうです。軽便鉄道の名前は郷土史などに出てきますが、ここでは現役。

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もちろん中も狭くて一列ずつの座席しかありません。座席の向きが←−→の三両編成で短い路線を行ったり来たり。ワンマンなので終点に着くと運転手さんがかばんを持って反対端の車両へ。

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のんびり3駅で終点の西日野駅に到着します。
昼の小雨はやんで、空も明るくなってきました。
駅を出たまま、まっすぐ天白川沿いを歩きます。

今は四郷という地名はありませんが、明治22年から昭和18年までは四郷村がありました。天白川沿いに東から東日野、西日野、室山、八王子の四つの集落があるので四郷村です。四郷村は昭和18年に四日市市に合併されます。しかし、今も地区としての一体感を持っているようです。

天白川は低い丘陵地に細長い平地をつくって流れ、旧集落は川の北側に並んでいます。
昔は八王子まで線路が伸びていましたが、昭和49年の豪雨で道床を崩され、短縮されてしまいました。

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途中、丘の上に塔が見えます。
室山地区まで歩いてくると右手(北)に坂道があり、登っていくとこの建物が建っています。
旧四郷村役場の建物で、今は四郷郷土資料館になっています。開館日は土曜日のみ。ここがとりあえずの目標です。

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この役場は大正10年、東洋紡績社長だった第十世伊藤傳七翁が、地元に6万円を寄付して建てました。当時、全国一の村役場ともいわれたそうです。伊藤傳七翁は室山の出身で、四日市で三重紡績を興し、三重紡績と大阪紡績が合併して東洋紡績となったのでした。ちなみに綿業会館建設に多大な寄付をした東洋紡績の岡常夫専務も、三重紡績出身だったようです。寄付に積極的な気風があったのでしょうか。

設計者は野田新作といわれます。

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床下換気口を覗き込むと、ユニークなデザインです。
○に×のマークに意味があるような、ないような。
「四」が5つで「四郷」・・・というのも苦しいか。

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館内に入ると、地元のおじさま方が事務所に詰めておられました。
ボランティアで入っておられるようです。
無料なので記名だけして、「四郷ふるさと史話」という冊子があったので買い求めました。

近代化遺産の日の一斉公開に入っているので、2階にも登れないかなあと淡い期待があったのですが、普段通り1階のみの公開でした。2階は傷んでいて危険があるそうです。「二階にはアールデコ風の装飾が施された天井をもつ村会議場や小会議室」があるそうなので、見れなくて残念です。

階段も眺めるだけ。
踊り場の大きなアーチ窓がポイントになっています。
面白いのは木の階段の手前の部分に、雷紋?の布地が貼ってあることです。もしかして地元の絹でしょうか。

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裏側から眺めると1階は下見板、2階はハーフティンバー(木の骨組みを露出させた様式)の縦長格子に窓がぴったり納まっています。リズムのある壁面。

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展示室はいくつかに分かれていて、展示品がぎっしり。
それも養蚕、製糸、製茶、醸造(酒・醤油・味噌)、農業など、産業関連のものがいっぱい。ここ四郷は、近代産業発祥の地のひとつと言われています。明治の「殖産興業」という言葉が目に見える形であります。

四郷の近代化には、伊藤小左衛門翁(生糸と茶の工場生産)、伊藤傳七翁(紡績)という2人の先覚者の功績が大きかったそうですが、何が彼らを生んだのか、それが気になります。

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吉田初三郎風の鳥瞰図も飾られていました。
もう一枚、さらに大きな鳥瞰図もありました。
村のレベルを超えています。

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旧四郷村役場のある丘からは四日市の工場群を眺めることができます。
この村の人たちは役場の塔の3階から、発展していく四日市の様子を見ながら、自分たちの始めたことを誇りに思っていたかもしれません。

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2008年11月 9日 (日)

諏訪公園と旧四日市市立図書館

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四日市に用事がありましたので、ついでに諏訪公園を見てきました。

近鉄四日市駅の東は繁華街で、幾筋ものアーケードが縦横に走っています。
イオングループの前身・岡田屋の店舗もこの一角にありました。しかしイオンなどの郊外店化でこの四日市駅前も寂しくなり、創業の店も閉鎖されて空き地になっています。

そのアーケードのひとつは旧東海道です。四日市の産土神である諏訪神社が旧東海道沿いにあり、参道として賑わっていたからでしょう、表参道スワマエ商店街となっています。

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こちらが諏訪神社。1202年に信州の諏訪大社から勧請されて創建と伝えられています。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
この神社を鍵型に囲むように諏訪公園があります。
日露戦争時の明治37年(1904年)、諏訪神社がつくった「保光苑」という公園が前身のようです。(1905、6年という説も)明治40年(1907年)に四日市市の公園になりました。

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神社側から公園に入ると目に入ったのが大きな石の山。
「富士塚」か?と思ったのですがそうではなく、近寄ってみると「誓之御柱」と書かれています。
石段があって登れますが、登って何をするのでしょう。

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てっぺんには五角柱が建ち、「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ」に始まる「五箇条の御誓文」が刻まれています。よくあるものなんでしょうか。私は初めて見ました。誓之御柱は、琵琶湖の多景島に立つもの(大正14年)が有名のようです。

この御柱は、四日市で肥料・製油・石炭・運送などの事業を手がけた村山清八氏により、市民壇(今は南部丘陵公園に移築)・国旗掲揚塔とともに私財を投じてつくられたもののようです。(『発掘街道の文学四日市・楠編』)市民壇は昭和9年だそうですので、同時期でしょうか。

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公園にはどの方向からも入ることができます。南側部分は1990〜95年に、地下調整池を設置するのに合わせて、中世ヨーロッパ調に改修されています。ただシュロがたくさん植わっているのは元からではないでしょうか。

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その広場に向かって、スクラッチタイルの建物が建っています。
立ち上がる4本の柱が印象的。
旧四日市市立図書館です。昭和4年(1929年)に昭和天皇御大典記念として、地元の実業家・熊澤一衛氏が建設・寄贈したものです。熊澤一衛氏は、昭和6年には四日市銀行(のちの三重銀行)、伊勢電気鉄道など37社もの会社経営に参画、四日市を代表する財界人でした。

この図書館はその後、様々な用途に使われます。
もともと諏訪公園には大正5年に建てられた木造の図書館がありました。しかし、昭和20年の空襲で木造建物は蔵書もろとも焼失、鉄筋建物は空襲負傷者収容のため、市立病院に転用されます。昭和24年に返還されて、昭和48年の新図書館建設まで図書館、昭和51年から児童福祉施設「こどもの家」、平成15年に登録文化財に指定されるとともに大改修を行い、すわ公園交流館として生まれ変わり、今に至ります。

以上、すわ公園交流館の概要を参照しました。

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この建物、結構いろいろと遊び心ある装飾があるんです。正面2階には本の形のレリーフに2588と刻まれています。起工の年である紀元2588年=昭和3年を示しているそうです。
軒下の飾りも装飾的です。

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左の壁にはモチをつくうさぎ。熊澤氏の雅号「月台」に由来するそうです。銅像を建てるより、こっちの方が素敵です。

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右手には藤川勇造作「小児像の噴水」。最初からあったものだとか。藤川勇造はロダンに師事した彫刻家です。
2階バルコニーもいいですね。

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内部はかなりきれいになっていて、昔の様子はよく分かりません。東側の階段室の手すりも真新しいものでしたが、デザインは踏襲されているかもしれません。窓からは公園の緑が目に入ります。この軸線上に誓之御柱があります。

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面白いのは、図書館の裏に1階分の盛り土があり、2階に直接入れるようになっています。のちの改造だとは思いますが。2階では子供たちが卓球で盛り上がっていました。

諏訪公園には、昭和戦前期を物語る寄贈物が並んでいます。時代背景にも関わらず、親しみやすい旧四日市市立図書館は、これからも愛されつづけることと思います。

○関連ブログ記事
 ぷにょさんのまちかど逍遥「近鉄内部線」

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2008年11月 5日 (水)

多治見60年代

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出張で多治見へ。
あまり時間はありませんが、駅前の下街道(善光寺道)を少し歩きました。
中山道=上街道に対する下街道というネーミングだそうです。

通りには多治見ながせ商店街と表示されています。
この通りには60年代の匂いを感じました。
商店街の店舗数のピークが昭和40年代だそうですので、その頃に建築・改修された建物が多いのでしょう。

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レトロな雰囲気ですが、売り物になっていないレトロ。

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古そうな陶器屋さんですが、きれいにされています。
上の窓には型板ガラスがはまっています。

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左が下街道で、右から別の道が合流しています。
間の壁面を装飾されていて、ガラスブロックがやはり60年代風です。

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そちらの道に入ると、全面、型板ガラスのはめられた町家がありました。中から洩れる光がとってもきれい! 
よくこれだけ割れずに残っていることと思います。

型板ガラスは1960年代に売り出されて大流行しますが、今はほとんど使われません。
時代を特定するのに役立つ化石を示準化石といい、ある時期に急激に増えて、急激に滅んだものが適していますが、型板ガラスなどそれに近いかもしれません。

今回初めて知ったのですが、大阪板硝子販売(株)さんのページで、型板ガラスのデータをまとめておられます。これは便利。
ここで、今まで時々見かけたこの型板ガラスが1964年製造の「のみち」という型だと知りました。名前と時代が分かってなんだかとってもすっきりしました。ありがたいことです。

多治見にはまた行く機会があるので、もう少し歩いてみたいと思います。
土岐川の南には古い街並みがあるようですし、明治町、大正町、昭和町も揃ってます。

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2008年8月23日 (土)

中山道・加納宿のあたり(岐阜市)

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岐阜に出張に行ったついで。
仕事が早く終わったので、中山道の加納宿あたりに立ち寄りました。
上の写真は街道筋ではありませんが。

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街中なのにちょっと大きなお屋敷などもあります。
朽ちているようなのが残念。

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加納桜道から江戸に向かう街道に入り、しばらく歩くと唐突にこの建物。旧加納町役場です。武田五一の設計で大正15年に建てられました。
シンメトリーをかなり崩したデザインです。玄関のアーチやディオクレティアヌス窓(半円を2本の柱で分割した窓)にも目が行きますが、それよりも建物全体の発する古び方の凄みに圧されます。

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玄関脇には登録文化財の表示が立っています。

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でも老朽化の問題で立ち入り禁止。あまり近づくこともできません。
建物の無事を祈ります。

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加納は城下町でもあります。
大手前通りで街道は北に折れ、この広井橋で小さな清水川を渡ります。この広井橋は昭和27年の橋で、まだこの頃の橋は味わいがあります。

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中山道と御鮨街道の分岐で、再び中山道は東に折れています。東の中山道を見たところ。
御鮨街道という言葉を私は初めて聞きました。江戸の将軍家に長良川の鮎鮨を運んだルートだそうです。鯖街道と似てますが、こちらは鮨にしてから運んでいたようです。
もっともそんなに頻度のある話ではないでしょう。

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私は御鮨街道を北に逆走します。
名鉄の線路を渡ると花街の名残らしき3階建ての町家。

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銅の戸袋、名前入りの瓦など凝っています。

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加納東広江町のあたりは古い町家が残っていました。
2階建てで、両袖の木の壁が出て、前のめりでという特徴は共通しますが、なぜか高さ、出方がばらばら。今、気付きましたが、菱の穴あきコンクリートブロックが合ってます。

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こちらはゆったりした家。塀に品があります。
このあたりでも石垣は丸石です。

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こんな穴あきコンクリートブロックもあるのかということで。花に雲の図案化でしょうか。

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清水川をたどって岐阜駅に出ました。
自然の河岸を再現した川で、岐阜の街中を流れながら、とてもきれいです。

岐阜駅の表は表で、60〜70年代の建築群に見どころを感じますが、岐阜駅の裏の加納地区も戦前の風情があっていいものです。

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2008年8月22日 (金)

岐阜の小さな公民館

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岐阜に出張でした。
岐阜市というのはどうも車型の街で(中心部は違うけど)、縦横に立派な道路が走って街が拡散しています。寄り道しようにもとっかかりがなく、地図で見つけた近くの旧集落に飛び込んでみました。

長良川沿いの下奈良という集落です。
そこにあった丸石積みに高野槙の石垣と古そうな建物。

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地図には旧下奈良公民館と書かれていました。
和風屋根ながら、2階の半分まで下見板張りです。
懐かしさあふれる建物。

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妻部分に梁が飛びだしたようになっていて、そこに屋根がかけてあるのがかわいらしい。滋賀、岐阜、三重で見かけますが、いまだ名前と意味を知りません。

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窓の桟に一工夫があります。
こういうところも味のある建物の隠し味になっているんでしょうね。

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2008年6月 4日 (水)

新潟まち歩き(21)心ひかれる街角

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2日間のことを長々書き連ねてきた新潟まち歩きの記録も20回でキリよく終了・・・でいいんですが、最後に心ひかれる街角を、雑感的に取り上げておきます。これが次の旅のスタートになるかもしれないので。

上の写真はホテルイタリア軒からみた寺町です。
寺の屋根が並んでいます。
今回、寺町は散策しませんでした。

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各寺には大通りから長い通路が伸びていて、その並びに心ひかれます。

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路地に面した家が多いので、目隠しは必須です。
てっぺんを山型に切った板を並べた目隠しをあちこちで見かけました。それもちょっと外に傾けているのがよくあります。このしつらえも心ひかれます。

他にも、心ひかれる街角はいろいろ・・・

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長らくお読みいただいた皆さま、ありがとうございました。
見残したものはいろいろありますので、いずれ新潟には再訪したいと思います。
そして、新潟に行ったことのない方、ぜひ足を運んでみてください。

最後に新潟絵屋のUさん、いろいろと教えていただいてありがとうございました。

<新潟まち歩きインデックス>
 (1)新潟へ
 (2)まずは新潟絵屋から
 (3)みなとぴあで歴史を知る
 (4)移築された銀行
 (5)上から眺める
 (6)小路の魅力
 (7)堀を想像する
 (8)街なかの近代建築
 (9)街なかの看板建築?
 (10)若者の上古町
 (11)花街のなごり
 (12)擬洋風の議事堂
 (13)日本で最初の白山公園
 (14)白山神社とポッポ焼き
 (15)近代公園いろいろ
 (16)ハンノキ島を歩く
 (17)信濃川クルーズ
 (18)砂丘をサイクリング
 (19)石油王の迎賓館
 (20)丘の上の近代建築
 (21)心ひかれる街角(完)

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2008年6月 3日 (火)

新潟まち歩き(20)丘の上の近代建築

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新津記念館を出た後は、さらに丘の上を歩きました。
新潟の丘というのは、かつての砂丘ということになります。

まずは新潟大学内にある、あさひまち展示館(旧新潟師範学校記念館)です。昭和4年に同校の創立50周年記念に建てられました。スクラッチタイル貼りの鉄筋コンクリート建築です。設計施工は清水組。1階は児童教育のための陳列室、2階は集会室だったそうです。(案内板より)
登録有形文化財。火・木・土は、資料館として公開されていますが、この日はお休みでした。

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側面も正面も同じようなデザインです。
実際以上に柱がたくさんあるように見えて、縦の線が強調されています。
これで完結しているように見えるんですが、この右側(奥)に木造部分のついた和洋折衷の建物だったそうです。その方がむしろ不思議。

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新潟大学医学部には、新潟医科専門学校時代の明治44年につくられた煉瓦塀と大正3年につくられた講堂正門が残されています。これも登録有形文化財。

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(追記)昔は門の向こうにこのようなこぢんまりと、でも立派な校舎が建っていました。のちに門の間隔を広げたようですね。(2009.5.13)

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右側の門柱です。煉瓦と花崗岩の、赤白の対比が美しい。
定番の組み合わせですね。古い写真で見るとさらに両側に一組、一回り小さな門柱が立っています。

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古い煉瓦塀も移築しつつ、新たに煉瓦塀がつながれています。
煉瓦にツタもお似合いの取り合わせ。

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招魂坂(ワルツ坂)の上には出窓のある洋館が建っていました。
新津記念館もそうですが、洋館はこういうロケーションが似合います。

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壁は1階、2階で塗り分けられています。
格子など直線的ですっきりしたデザインです。

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シンプルな洋館付き住宅もあります。

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ドッペリ坂。ドッペリはダブルのドイツ語だそうです。坂の上に旧制新潟高校の寮があり、学生がこの坂を下って町に遊びに行くと落第するという意味で名付けられたとか。正面にNEXT21が見え、町の中軸線上にあることが分かります。

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雨脚が強まり、逃げ込むように砂丘館に入りました。
旧日本銀行新潟支店長役宅で、昭和8年に建てられました。元々は丘の下にあったそうですが、移築されて残っています。今は新潟市が買い取って、ギャラリーやレンタルスペースに使われています。夜9時までオープンしていて、利用しやすいのではないでしょうか。

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和室より。この家の魅力はいろんなところからお庭を眺められることだと思います。

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2階からもこんな具合に、木々の緑が広がります。
コーヒーも提供していて、応接室でも、和室で庭を眺めながらでもいただけます。
雨降りでも、庭を眺めている限りはいいものです。

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さて、雨は降り止みませんが、また歩き始めます。
砂丘館の並びに洋風の建築がありました。随分細かく縦の線が入っています。窓は上げ下げ窓のよう。
今は何に使われているのか分かりませんが、エイボックという人材派遣会社の看板がかかっていました。

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大きく張り出した玄関の庇と、直線デザインの持ち送りが特徴的です。

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さらに坂を下りかけて、これは新潟市長公舎だと思うのですが。
新潟市長公舎は、大正11年に建てられた和洋折衷の中廊下式住宅だそうです。今も新潟市の所有で活用が検討されているようですが・・・どうなっているんでしょう。

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ドッペリ坂の下まで下ってきました。
この地区のシンボル的な新潟カトリック教会の双塔があります。昭和2年にスイス人建築家ヒンデルの設計で建てられました。木造だそうです。この日の天気はあいにくでしたが、どこかメルヘンチックな印象を受けます。晴れていればなおさらでしょう。

日も暮れて、雨脚もさらに強まり、今回の探訪はここまでとしました。かなりたくさんの地域を見残してしまいました。いずれ続きはここからスタートしようと思います。


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2008年6月 1日 (日)

新潟まち歩き(19)石油王の迎賓館

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新潟の町の西には丘があって、大学や住宅などが建っています。
その一角にある新津記念館は、新潟の「出雲崎町出身の石油王・新津恒吉が、外国人用迎賓館として昭和13年に建てた西洋館」(パンフレットより)だそうです。「石油王」というのが新潟らしいところ。設計は大友弘、施工は清水組。鉄筋コンクリート造で地下室もあります。

この写真は庭園からで、右側が正面です。

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立派な車寄せです。
下から粗い石張り、タイル、テラコッタ。

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テラコッタ部分を拡大してみました。
かなり凝っています。

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玄関部分。ゆるく優雅なカーブを描いています。
玄関上部にはこれまた繊細な金属装飾。
内部は推して知るべし。

内部撮影は禁止なので、内部の様子は新津記念館のHPに一部紹介されているものか、『日本の洋館 第六巻 昭和編Ⅱ』のp134〜141をご覧ください。

1階はジャコビアン様式のイギリスの間、2階はロココ調のフランスの間、3階はシンプルなドイツの間(非公開)と呼ばれる部屋があり、暖炉・階段柱など木には彫刻、天井には漆喰細工、床には絨毯、窓にはステンドグラスで、これでもかという装飾密度です。私などはあまりの濃密さに「うっ」となってしまいました。もう少しシンプルな方が好みなのですが。

ただ、アメリカ製だという2階のステンドグラスは、泰山木にブルージェイがとまっている伸びやかな図案でとても気に入りました。(鳥の名前まで特定しているのは、ネットで調べていて、川越にある山崎家別邸の小川三知作のステンドグラスが全く同じモチーフだと分かったからです。この組み合わせは梅にウグイスみたいなお決まりなんでしょうか)

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また外に出て、床下換気口のグリルを見ます。
植物をモチーフにした、ここも細かい装飾です。

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庭園の方に出てみます。

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ヴェランダから見た庭園。
広々した庭の向こうに新潟の町が見下ろせます。

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ヴェランダ部分に上がるところの踏み石。
龍が彫刻されています。

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ヴェランダの側面部分。
こんなところにもタイルを使っています。

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こちらは屋敷全体の入り口のよう。
昭和初期っぽい直線的なデザインです。

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すぐ隣には和館も建っていて、こちらは今もお住まいなので当然非公開です。でも和館のお庭は公開されています。

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記念館の方にいろいろと庭の解説をしていただきました。
この庭石は「佐渡の赤玉」という石(チャート)だそうです。今は採掘できません。ほんとに赤いですね。

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石臼に木が生えてますが、ただの石臼ではなく、金山の石臼だそうです。説明してもらわないと分かりません。とことん凝ってます。

私の想像を超えるようなこてこてな世界でした。
これぞ石油王の迎賓館、といえるでしょうか。

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2008年5月31日 (土)

新潟まち歩き(18)砂丘をサイクリング

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新潟ふるさと村に到着したわけですが、時間の関係でふるさと村はパスして、自転車で帰ります。
にいがたレンタサイクルは使い勝手がよく、市内20ヶ所のステーションのうち、自転車をどこで借りてどこで返してもいいんです。私は新潟グランドホテルで借りましたが、駐車場がステーションになっている場合もあってユニーク。料金は3時間100円、以後1時間100円と格安です。

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左岸の広い河原をもと来た方向に走り出しました。爽快。

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なかなか渡れる橋がないので、平成大橋まで戻って右岸に渡りました。


大きな地図で見る
もともとこのあたりを走ってみたいなと思ったのは、地図を見ていて、数kmにわたってうねうね続く道、しかも林に囲まれた道が気になって、どんな風になっているのか見に行ってみたかったからでした。恐らく防風林のある旧集落が古い砂丘上に並んでいるのではないかなあという推測です。

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川を渡ったところにある鳥屋野の旧集落。鳥屋野神社の近くです。道は入りくんでいます。

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立派な蔵がありました。このあたりは、蔵の上に大きな屋根を架けるんですね。屋根との間に隙間が開いているようにも見えました。

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うねうね道を走り出すと木杭の列が。博物館で、「はさ木」を見たのですが、それに近いものでしょうか。昔、低湿地だった新潟の田では、並木を植えておいて、そこに棒を渡し、稲束をかけて乾燥させていたそうです。そういう並木を見たかったのですが、今回は見られませんでした(車窓からはそれっぽいのを見た気もします)。

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屋敷林はたいてい松でした。
防風林というだけではなくて、砂丘が動かないように固定する意味もあったかもしれません。

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道に沿って、煉瓦塀もありました。

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それぞれの屋敷は深い屋敷林に囲まれています。門柱がちょっと近代っぽい。

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ところどころ、こんな蔵もあります。新潟の蔵は、立派な蔵です。

うねうね道はやはり想像したような道で、ゆるいアップダウンがあり、車通りは少なく、サイクリングするにはいい道でした。ところどころ、大きな道を横断するために迂回しなければいけませんが。こういうところ、サイクリングコースにしたらいいなと思いました。地元の人には迷惑かな。

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さて、ここまで来たので少し寄り道して、鳥屋野潟を見に行きました。今では少なくなった潟の一つです。湖岸(潟岸?)には桜並木があり、桜の季節は美しそうです。

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湿地帯には多くの水鳥がいました。
朝方、夕方などとくに情緒がありそうです。

このあと新潟の町に向かって一直線に北上、ミニミニサイクリングを終えました。


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新潟まち歩き(17)信濃川クルーズ

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「新潟まち歩き(16)ハンノキ島を歩く」のつづきです。
水の都・新潟の堀は埋められてしまいましたが、まだ信濃川があります。
信濃川には信濃川ウォーターシャトル(株)の運行する水上バスが走っています。お勧めもあって、乗ってみました。萬代橋をくぐりたかったので、萬代橋西詰(新潟グランドホテル前)で乗船。始発はみなとぴあです。

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船はアナスタシア号でした。
前方は室内の椅子席、後方は木のデッキです。ちょっとした売店もあります。
風が気持ちいいので私はずっとデッキにいました。

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面白いのがデッキに自転車も積めるんです。
普通の自転車で200円、レンタサイクルなら100円で乗せられます。私もレンタサイクルを借りて積んでいきました。

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船は出航するとすぐに萬代橋をくぐります。
萬代橋は昭和4年に竣工した鉄筋コンクリートの6連アーチ橋で、全長は307mです。国の重要文化財に指定されています。

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橋の上部はこんな感じ。とても開放感があります。
現在の橋は3代目なのですが、初代、2代目は木造で782mもあったそうです。(十三大橋より長い木造橋ってぞくぞくします。)3代目になる頃には、大河津分水の完成で水量の減った信濃川の南半分が埋め立てられて、今の万代地区になっています。

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橋の欄干が低いので(腰の高さ)、非常に広々と開放感があります。

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信濃川の川岸は、やすらぎ堤と呼ばれる緑地になっています。この堤防の低いこと! 信濃川の水をこの高さの範囲でコントロールしているのですから。おかげで、圧迫感のない水辺になっていると思います。多くの人が散歩やサイクリングに利用していました。
信濃川の北岸にはマンションが並んでいます。南に信濃川を望む部屋は気持ちがいいでしょうね。

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この日は河原でお祭りが開かれていました。

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ちなみに、やすらぎ堤にはベロタクシー(自転車タクシー)も走っているそうです。
そんな感じの自転車を見たような。

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船の乗降はこんな風に簡単にできます。県庁前の乗船場にて。

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クルーズのハイライトはこの信濃川水門をくぐるところ。この写真はくぐった後です。

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さらに離れるとこんな感じ。
信濃川水門の左が関屋分水路で、信濃川が増水すると水門を閉じて、水を関屋分水路から日本海に流すわけです。これがあるので、あの程度の堤防で大丈夫なわけですね。

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別の水上バスともすれ違いました。
調べてみると「湖姫」です。
運行区間、料金はほぼ一緒。

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最後に北陸自動車道のときめき橋をくぐります。

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このあたりまで来ると両岸に木が多くなってきます。投網を打っている人もいました。

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新潟ふるさと村の乗船場に到着。
ここが終点です。ここまで運賃は650円でした。50分ほどのクルーズですので、結構安いのではないでしょうか。

レンタサイクルと船との組み合わせでかなり行動範囲が広がると思います。

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2008年5月29日 (木)

新潟まち歩き(16)ハンノキ島を歩く

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新潟の古町と信濃川の間に礎町通、下大川前通などのある緩い山型の街区があります。ここは江戸時代には榛島(はんのきじま)や梨島と呼ばれた信濃川の州で、明治以後、街区が割られて都市化した地域のようです。運河が埋め立てられて、今は完全に町の中です。

そこに木揚場教会があります。
以下、説明は新潟のDaaさんの紹介されている記事によります。
「木揚場」という言葉を私は、ここが材木置き場になっていたのかな、ぐらいに思っていたのですが、実はもっと特定の意味を持つ言葉だと後で知りました。つまり、明治の10年代、京都東本願寺の両堂を再建するために全国30ヶ所に設けられた用材の集積地=木揚場の一つだったということです。新潟の木揚場は明治14年に開場し、その作業を手伝いに来た方の説教場として教会が置かれたのが始まりなのだそうです。

新潟の木揚場は明治23年に閉鎖されますが、教会は残りました。現在の教会は大正14〜15年に再建されたものだそうです。洋風の教会といっても真宗大谷派の教会なのです。国の登録有形文化財でもあります。

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斜めから見ると、車寄せのように玄関部分が出ているのが分かります。

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玄関正面から。3本ずつの円柱が立ち、柱頭はデザイン化されています。玄関上部には石でアーチが組んであります。正面から見るとまるきり洋風なのですが・・・

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後ろから見ると真宗寺院らしい大屋根です。面白い折衷の仕方。

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さて、ハンノキ島を歩いていると、旅館、料理屋などが目に付きます。今は空き地も多いのですが、そこから昔の雰囲気が伺えます。

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こちらも旅館っぽい建物。

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石垣の彩りが美しいです。

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石垣ついでに、この黒い屋敷と白い蔵の対比が目立つお宅。

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木材のような縞模様の石を貼ってあるのが特徴的で、きれい。調べてみると、群馬の多胡石(砂岩)に近いようです。

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倉庫もまた港町・新潟らしい建物ではないでしょうか。
ツタの絡まる塀は、煉瓦塀です。

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最後に近代建築をひとつ。
ハンノキ島には風流な雪月花を冠した雪町、月町、花町があるのですが、その花町にある、ひらの理容です。

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妻部分の装飾が洋風で、何か意味が込められているのかと気になりますが、この日はご旅行とのことで不在でした。

通りなどに雰囲気のあるハンノキ島です。
(新潟の方がこの地域を何と呼んでおられるか分からないのですが。ハンノキ島ではないでしょうね。)

「新潟まち歩き(17)信濃川クルーズ」につづく

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2008年5月28日 (水)

新潟まち歩き(15)近代公園いろいろ

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「新潟まち歩き(14)白山神社とポッポ焼き」の続きです。
日本で最初の公園、白山公園を見たわけですが、新潟には他にも戦前の公園がありますので、見てきました。

新潟で2番目の公園は礎公園です。
礎町通六ノ町にあります。柳都大橋のたもとにひっそりと、誰もいませんでした。
大正13年に、当時皇太子だった昭和天皇のご成婚を記念して作られた公園です。ここに、明治11年、明治天皇の新潟巡幸で行在所(宿泊所)となった白瀬家の別邸があったことにちなんでのことだそうです(公園の案内看板より)。

左奥に見える幼稚園の敷地も公園内でした。

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公園の門柱は恐らく当時のデザインでしょう。

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そしてアールデコビルのようなご成婚記念碑。
大正13年につくられたもので、随分かっこいいデザインにしたものです。

ほかに昭和10年に立てられた明治天皇新潟行在所の記念碑もあります。

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こちらは礎町通五ノ町の大円寺公園。
新潟市下町案内所さんによれば、同じく大正13年にできた公園で、昭和天皇ご成婚記念の報時塔があったそうです。
ここ、明治時代の堀跡ではないのでしょうか。小さくて何もないけど、樹木が立派な、不思議な公園です。

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こちらは本町通十三番町の曙公園。
明治27年につくられ、大正元年に移転した湊小学校の跡地に、昭和5年につくられた公園です(公園案内板より)。

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ユニークにも相撲の土俵があります。

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どんな由来があるのか分かりませんが、入り口には石像。

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そして地盤沈下の観測所があります。

官のつくった公園と地域の人たちがお金を出し合って柵や樹木を提供した公園。対照的な3つの公園でした。

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2008年5月20日 (火)

新潟まち歩き(14)白山神社とポッポ焼き

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白山公園と一体的に白山神社があります。白山神社は平安時代創建といわれ、新潟の総鎮守です。
境内には松林があります。

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参道の狛犬に備前伊部焼の大きな狛犬がありました。大正6年の寄進です。

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摂社の一つに住吉神社があります。言わずと知れた海上安全の神様。白山神社は舟運とも関連が深く、船を描いた大絵馬が奉納されています。ここも港町・新潟に縁の場所といえるでしょう。
上の写真は溝があって、太鼓橋などが架かっていますが、昔は水路で堀につながっていたのではと思われました。

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脇にやられていますが、出雲狛犬もあります。
ほんとに各地の文化が集まっています。

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本殿は立派な建物です。
(雨の中だったので実はよく見ていません)

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さて、話が変わりますが、ポッポ焼ってご存じですか?
私も知りませんでした。新潟絵屋のUさんに、「白山神社でポッポ焼を売ってたら食べてみてください。おいしいですよ」と教えていただいていたのでした。あえてどんなものかは尋ねず、楽しみに出かけました。
白山神社の参道にありました。ポッポ焼の屋台が。

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これです。ポッポ焼。
ベビーカステラを棒状にした感じで、ほんのり黒砂糖の甘みがあります。見た目に素朴ですが、やさしい味でとてもおいしいお菓子です。
9本300円。1本でベビーカステラ5個分ぐらいありそうなので、ベビーカステラ換算45個ぐらい?結構なボリュームですよ、これは。でも一人で食べました。

名称の由来には定説はないみたいです。
面白いものがあるものです。
皆さんも新潟にお出かけの際にはどうぞ。

「新潟まち歩き(15)近代公園いろいろ」につづく

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新潟まち歩き(13)日本で最初の白山公園

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新潟市の一番堀通町にある白山公園(旧新潟遊園)は、明治5年に起工し、明治6年にできた日本で最初の公園と言われています(外国人専用の公園としては明治3年の横浜山手公園)。今回の旅行の大きな目的が、この日本最初の公園を訪ねることでした。

この一帯は白山神社を含め、新潟のまちとは堀を隔てた島になっていて、江戸時代にはこのあたりが荷揚げ場だったようです。

詳しい話は後にして、まずは園内を歩いてみましょう。
裏口の東堀口から入りました。自然石の車止めがいい感じ。

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オランダ式庭園と言われているのですが、和風に見えます。
灯籠があり、庭石が配されています。
ここであいにくの雨模様。
でもどちらかというと雨の似合う公園です。

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人工の滝も作ってあります。
滝は当初からあったようです。

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ひょうたん池には藤棚の橋がかかっています。
ちょうど藤の花が咲いていました。


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池には噴水があります。
そのあたりは洋風。

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池はもう一つあります。藤棚、そして東屋があります。

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(追記)池の中に立つ屋根を持つ塔は、ラジオ塔らしいです。ラジオの普及を図るために全国に立てられたもので、塔からラジオが流れました。日本放送協会新潟放送局は昭和6年に開局し、開局1周年記念として昭和7年にこのラジオ塔が立てられたそうです。(2009.1.11)

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公園の真ん中に築山があるので、登ってみました。
この築山は当初からあります。
この石段が面白かったので、ちょっとお付き合いください。

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一段一段、石の配置が違うんですよ。面白い!(と思うのは私だけ?)。石臼も活用されています。角の石はまた緑色凝灰岩のようにも見えます。
雨が降りかけでまだら模様なのが残念。乾いてるか、濡れてるか、どっちかの方が良かったのに。

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他の登り口もまた違う石段なんです。

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こちらはノミ跡を付けた切石。これも緑色凝灰岩か。

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築山に登ると新潟県令楠本正隆の銅像が建っています。
彼がこの公園の発案者です。楠本正隆は長崎・大村藩出身で、明治5〜8年まで新潟県令として活躍し、新潟遊園をはじめ、国立第四銀行の設立など新潟の近代化に尽くしました。新潟での実績が評価され、明治8年に東京府知事に転任します。

明治6年には太政官布達16号が公布され、群衆の遊覧場所を公園に指定せよという指示が出たのに応え、全国25の公園が用地設定・開設されたそうですが、その一つに新潟遊園も指定されました。布達が出る前から取りかかっていたので、日本で初めてという訳です。

公園の設計には、同じく大村藩の長岡安平の関わりが推測されていますが、決定的な証拠は明らかになっていないようです。長岡安平は当時新潟におり、のち東京府知事となった楠本正隆により東京府の土木職員に任命され、東京の公園はもちろん、のちに全国の多くの公園を手がけました。

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築山にはもう一つ、「新潟遊園碑」も立っています。
新潟遊園の開園を記念して、明治6年に建てられたものです。公園で身体と精神を養って、勉強に励めという調子で、読んでいると当時は公園で憩うのも随分肩に力が入っていたのだと思います。
長いですが、解説板の読み下し文を引用します。




        新潟遊園記
         太政大臣従一位 三条実美卿表額
 嗚呼、園や遊ぶ可き也、鬱乎たる其の樹は酸素を噴き、
割乎たる其の境は大気を通ず。螺径は歩む可く、沼沚は、
眄む可し。亭樹は憩う可く、橋梁は倚る可し。以て其の
精神を養い、以て其の身体を健やかにす。神之養と体之
養とは勉強に資する所以也。夫れ人之世に在る也、貴と
無く賤と無く、皆な力むることを以て自ら食し、而して
人に求めず。貧と無く富と無く、天下を以て己の任と為
し、而して衆に譲らず。蓋し天下は人を以て立ち、独り
政府を以て立たず。故に一人一日之遊惰廃業は、即ち天
下一人一日之損傷に係る。若し幾千人幾百日之遊惰廃業
を以て之を計れば、則ち天下幾千万之損傷を招かん。
以て交際す可からず、以て戦闘す可からず。地の大なる
こと魯米の如きと雖も、何ぞ東洋の一孤島と異ならず物
の阜なること英仏の如くと雖も、北海の僻地に過ぎず。
故に余謂えらく、開化之本は勉強に在り。勉強之本は身
体を健やかにし、精神を養うに在り、遊園之設け其れ止
む可けん乎と。余嘗て海外を歴遊するに皆な遊園有り、
林樾は茂密、沼地は清瑩、異芳発して蘚は、麗しく佳木
は秀でて掩暎す。貴族は往き、豪商は馳せ、美女は玉の
如く車馬は織るが如し、恍として人の世間に亦、何の遊
観が有りて以て此に代る可きやと疑えり。而して荷蘭の
制は、博物館、動植物を其の中に寓し、運動之間に古今
を証し、物理を窮め使む。最も簡にして、且、該と為す。
今茲癸酉、余、越後に遊ぶ。新潟県令楠本正隆君は励精
して治を図り、凡そ、旧貫にして改む可きは亟かに之を
改め、新たな利の興こす可きは速かに之を興こす。県の
西南に隙地有り、周囲は寛宏、眺瞩明眉、信水は引流し
彦山は青を送る。天然の風景巻まりて園中に供せり。
詢に形勝之区為り。頃、政府に請りて、以て遊園と為し、
方に土工を興こす。官吏は給を捐て、費に責する者あり。
県民は金を醵まって、役を助くる者有り。而して、其の
規模は略ぼ、荷蘭之制に倣うに倚れり。乃ち、衆に告諭
して曰く、凡そ、此の園に遊ぶ者は運動を以て務めと為
し、遊惰を以て嬉しみと為すこと無かれ、養生を以て限
りと為し、業を廃するを以て恬と為すこと無かれ。汝の
精鋭を蓄えて汝の職業に施せ、是に於て、治下の民、奮
起せざる莫し、勉励して各、其の職に服す。夫れ、越後
は大国なり、山を負い海を枕とす。若し、夫れ、鉱を鑿
ち畜を牧し、港を整え、路を修める之類には、州民能く
力を勉めて従事し、県令の意を奉ずれば、則ち、越後全
州、一百里之内の民力は尽く挙がらん。推して之を日本
全国に及ぼせば、三千万之人民、皆な越人の如くならん。
則ち、三府六十県之民力は尽く挙がらん、夫れ此くの如
くして然る後、以て交際す可く、以て戦闘す可く、以て、
各国与並び立つ可し、遊園之設け、其れ止む可けん哉。
県令、余に属して文を為り、之を記さしむ。余、県令之
治に励み、州民之協力を美しとして、是に於て書す。
           従四位 秋月種樹 撰文

白山公園(旧新潟遊園)内には、他にも様々な石碑や灯籠、記念物などがあり、ちょっとした歴史資料館のようです。後から様々なものが追加されながらも、当初の公園の雰囲気をとどめているのを嬉しく思いました。


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2008年5月18日 (日)

新潟まち歩き(12)擬洋風の議事堂

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白山公園の一角に新潟県議会旧議事堂があります。
明治16年(1883年)に建てられた擬洋風の木造建築で、設計・監督は新潟県巻町出身の星野総四郎という方です。星野氏は鉄道関係の橋や建築の専門家として活躍されましたが、この建物が現存唯一だそうです。設計にあたっては旧大阪駅や東京の明治会堂を参考にしたそうですよ。

県会議事堂は各地に建てられましたが、これが府県議会開設期のものでは唯一の遺構とのことです。
今は新潟県政記念館として無料公開されています。
彩度を抑えた落ち着いた配色で、仏教風と洋風が混ざったような装飾が個性的です。堂々たる明治建築。

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門の前から。
正門は煉瓦の柱に屋根みたいな石が乗っています。

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玄関部分を斜めから。
中心には八角形の尖塔が乗っています。
なお、玄関前の敷石は、もともと県庁玄関前と県議会前の階段に使われていた花崗岩(倉橋島石・議院石)を再利用しているそうです。

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玄関軒下の拡大。
細かい透かし模様の板、軒下にも飾りが連続して擬洋風らしい装飾です。

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中に入る前にちょっと外観を見ておきます。
窓は上下窓。窓の周りには窓枠石が貼られています。解説によれば、津川産の谷沢石。でも谷沢石が何ものかは検索しても分かりませんでした。緑がかった柔らかそうな石で、緑色凝灰岩のようなんですが。渋い緑の色合いが落ち着きを与えています。

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そして例のごとく、床下換気口のグリル。
この細やかさが明治風です。緑青色と渋い煉瓦色、目地の白との組み合わせもいいですし、ほとんど円形のアーチも美しい。

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さて靴を脱いで内部に入ります。
天井には漆喰細工が施されている部屋もあります。これは「松」。

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この部屋は「梅」。

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多くの部屋が公開されているのですが、資料展示室に使われているので、写真は割愛させていただいて、見どころは何と言っても議場です。建物の向かって右側の部屋、2階まで吹き抜けの広々した空間になっています。開かれた議会、という言葉が浮かびます。奥が議長席。

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2階から1階に降りる階段と手すり。
左の通路は八角塔屋に通じる通路です。係の方に声をかければ、自己責任で入らせてもらえます。せっかくなのでお願いしてみました。

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両翼の大屋根にさえぎられて、そんなに眺めがいいわけでもないですが、こういう所に登れるというのも面白いものです。

この塔屋は平成16〜18年の平成の大修復で直されています。
地盤がゆるいため、不同沈下の対策工事も施されたそうで、貴重な古い建物を残していこうという意志には頭が下がります。

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議場の窓からは隣の白山公園の緑が眺められます。
こちらの眺めが一番快く思えます。白山公園は明治6年からありますので、変わらぬ眺めです。
次は白山公園に行ってみましょう。

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新潟まち歩き(11)花街のなごり

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本町通を歩いていたとき、小路の向こうにレンガの壁が見えました。
東堀通八番町のあたりです(つまり元は東堀沿い)。

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近づいてみると、レンガは釉薬がかかっているよう。後で調べてみると、施釉煉瓦は耐寒性があるそうです。新潟ならではかもしれません。全て小口を向けた積み方なので、あまりしっかりした積み方ではなさそう。

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例によって床下換気口のグリルを見ると、明治時代っぽい美しいデザインです。煉瓦で簡単なアーチまで作っています。

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さらに隣には巨大な和風建築が聳えていました。
普通の町家ではありません。

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気になったので、表側に回ってみると、料亭の鍋茶屋さんでした。創業は江戸末期の弘化3年(1846)。私が知らなかっただけで、登録有形文化財です。

主屋と煉瓦蔵、離れ土蔵は明治43年頃で、何度か増築がなされ、応接室棟と離れ座敷が昭和6年、表門と外塀が昭和12年の建築だそうです。昭和12年には主屋の増改築もなされています。いずれにしても戦前です。

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港町に花街は付きもの。新潟の花街は日本有数の花街だったそうです。
それを伺わせるのが、西堀前通九番町の三業会館。「三業」とは、料亭、芸者置屋、待合の3つの業種のこと。新潟には今も芸妓さんがいるそうです
緩くカーブするタイルの壁がインパクトのある昭和39年の建築です。建て替え計画があるそうです。

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本町通十一番町にある日本料理「大橋屋」さん。
江戸末期慶応2年(1866)の創業です。外観を見ても花街の雰囲気が漂っていますが、内部も趣向が凝らされています。内部はリンク先をご覧ください。
昭和10年完成で、登録有形文化財です。

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ちょっとこの写真はよくありませんが、古町通の両側に平行する裏通りとして、東新道、西新道があり、料亭・割烹、飲み屋が建ち並んでいます。

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古町通のアーケードには、2005年オープンの古町演芸場がありました。大衆演劇の劇場です。
このような芸能の場も、花街のなごりと言えるのかなと思います。

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新潟まち歩き(10)若者の上古町

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「新潟絵屋」さんで、上古町のあたりに若者の出している店が集まっているという話を伺い、見に行ってみました。上古町というのは、古町通の上=川上側です。
この写真は、ちょっと小路に入ったところの「カフェ砂場」。長屋カフェです。今回は休む間も惜しんで歩き回ったので入れなかったのが残念です。
見た感じ、大阪の中崎町や空堀のような、長屋を前面に出したカフェでもなさそう。

古町は繁華街ですが、上古町になるとちょっと外れ。
空き家があって賃料の安いところに若者が入ってきているのかなと思います。大阪のアメリカ村も始まりはそんな感じですし、他の都市でもあると思います。

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お隣も同様に、長屋改造型の、服のお店のよう。
雰囲気がつかめますでしょうか。

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こういう古い町家の1階がもともと商店で、そこに昔からの店に並んで、若者の店が入り込んでいます。

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また、コミュニティビジネス的な店も入ってきている様子。
元酒屋のスペースを利用した「ワタミチ」さんというお店。残念ながら、この日はお休みでしたので看板のみです。

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こちらの「もめんの花束」さんも文化発信型。なんと20年もされているそう。

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普通に昔からされているお店もあります。

昔からのお店と若者のお店とコミュニティビジネス的なお店が渾然一体となって、不思議な街の魅力になっていると思います。上古町には、面白いことが生まれてきそうな街という雰囲気がありました。

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2008年5月15日 (木)

新潟まち歩き(9)街なかの看板建築?

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引き続き街中の建物です。
上大川前通十一番町です。2階に4本並んだコリント式っぽい円柱が目立っています。タイルもスクラッチ風タイル。タイトルに「看板建築?」とあるのは、横をのぞき込むと後ろは普通の和風町家だからです。(どこまで看板建築と呼んでいいものか分からないので「?」を付けました。)
いいんですが、列柱の重みで庇がたわんでいるのが気がかり。

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意外と見どころの多いのが、この村田医院。本町通八番町にあります。
いろいろと凝ってるんです。まず1階左の茶色のボーダーになっている部分はスクラッチタイルです。

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1階の玄関上にはこの模様。
簡略化されていて分かりにくいですが、波に千鳥でしょうか。花に蝶でしょうか。

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2階正面には花かごがあります。

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そして2階窓の下には植物模様。

この建物も後ろは和風建築です。

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こちらは本町通四番町の建物。
大型の(前だけ)スクラッチタイル貼りの建物です。

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最後にこれも本町通四番町の建物です。上の建物の斜め前ぐらい。これは看板建築ではありません。見た目はそれほど変わってませんが、この建物も一部スクラッチタイルが使われています。

新潟の町家の丁字造りは、道路に面した部分だけを道路に平行にして、後ろは道路に直角の(在来の)建て方をしたといいますが、これら看板建築(?)も同様な発想に感じられます。あくまで私の感想ですので、根拠はありませんが。

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2008年5月12日 (月)

新潟まち歩き(8)街なかの近代建築

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新潟の街は、和風の町家(と現代の建物)が主体ですが、ちらほら近代建築も見られます。今回は、江戸時代以来の新潟の街とその周辺に建つ近代建築を紹介します。

まず本町(ほんちょう)通五番町にある(株)クワバラ社屋。昭和8年のアールデコ風建築で、設計施工は清水組です。登録有形文化財。
小道さんによると旧太平生命保険新潟支社なんだそうです。
昭和25年には(株)クワバラの支店になったようです。

なお、本町通は名前通り、新潟町のメインストリートで、白山神社のある川上の一番町から十四番町まであります。今は古町通あるいは西堀前通の方がメインのようですが。

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逆光で見にくいですが、本町通十番町の健生薬局です。
周りがなくなって孤立してしまっています。反面、360度から眺められます。
基壇部は花崗岩貼り、上部はタイル貼り。左右対称のすっきり美しいバランスです。
あまり薬局っぽくない気もするんですが。

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この建物でちょっと気になったのが、建物前の石畳です。
玄関部分は花崗岩ですが、その両側の緑色の石材は緑色凝灰岩でしょうか。この色の石を今回、新潟のあちこちで見かけました。緑色凝灰岩の産地は限られ、新潟もその一つだそうです。石油層と関係があるともいいます。後日紹介しますが、旧新潟県会議事堂に緑色の石が使われ、説明によると津川の谷沢石と説明されていました。しかし、谷沢石がどんなものかがよく分かりません。見たところ、この石も同系統の石ではないかと思っています。

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古町通十番町の吉野印刷(株)。
ベージュ色に所々あしらわれたミントグリーンが爽やかな建物。きれいに手入れをされていて、気持ちのよい建物です。円柱に「吉野オフセット印刷所」と書かれていたのを塗り込めて、復原的にきれいにされていることからも、建物への愛着を感じます。

明治36年の創業で、大正5年に建てられた木造モルタル建築。新潟で初めてといわれるエレベーターも残っているそうです。

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正面のレリーフ模様です。
花のランプはおまけ?

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西堀前通三番町の角に立つ中村写真機店。
昭和11年の建物。スクラッチ風の白いタイルで覆われています。

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東中通一番町のJA新潟県厚生農業協同組合連合会。
飾り気は少ないものの、足下に連続模様が彫り込まれています。
昭和32年に移転してきたそうですが、その前は何だったんでしょう。
最後の最後に撮ったのでかなり限界です。

なお、この左にも近代建築があったはず。
確認してみると、昭和15年のやまと生命新潟支店。最近取り壊されて、マンションになります。新潟はそれほど街中の開発圧力が強いわけではないようですが、それでもマンションへの置き換えは進んでいます。

こじんまりした建物が多いものの、きれいに手入れされている建物が印象に残りました。

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2008年5月11日 (日)

新潟まち歩き(7)堀を想像する

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新潟の街は縦横に堀のある街でしたが、昭和30年代に全て埋められました。
しかし、街区割自体にはほとんど手を付けていません。
ですから堀跡の道路は、「堀があるものと想像して」眺めると、いろいろ見えてくるのではないかと思います(大阪でやってることの応用)。

ここは東堀前通九番町のあたり。東堀の跡です。
3軒の町家が並んでいます。それぞれ2階が張り出していて、川を眺める座敷になっていたのではと想像します。

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堀跡が道路になっていない珍しいケース。
白龍大権現は水の関係でしょうか。その後ろは商店街となっています。
ここは新津屋小路で、新津屋堀がありました。

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こちらは本間町二丁目のあたり。こちらは近代の堀ですが、堀に沿って倉庫が並んでいた様子がうかがえます。

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早川町二丁目のあたり。堀が蛇行する様が想像できます。

昔の様子を知って想像を加えると、ちょっと楽しい。

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新潟まち歩き(6)小路の魅力

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新潟の街の魅力に小路があるようです。
江戸時代の小路を今に引き継ぐ歴史性・・・によらずとも感じ取れる郷愁、生活感、潤い、そんな心地よさを感じます。大阪でいうと野田・福島に近いでしょうか。
例えば江戸時代の街並みが残っている、建築史的に貴重、とかなら公的に残す理由が立ちやすいですが、普通の小路を残す理由付けは難しいことと思います。やはり市民の「小路が好き」という感覚が鍵になるのでしょう。その意味で、新潟の市民グループが小路の魅力を発信し、それを新潟市がサポートしているのは画期的なことだと思います。

小路については個々に解説するのもなんですので、いくつか写真を示しておきます。
(どこの小路かメモるのを忘れたという事情もありますが)

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ところで、新潟の町家の特徴は、丁字造りというものだそうです。
改築されているのでいい例ではないかもしれませんが、上の写真がそうです。屋根の向きを見てください。表通りに平行した棟の後ろに、通りに直交する棟が続いています。そして全体の平面は長方形です。これが丁字造りです。元々、新潟は通りに建物が直交していた(妻入り)文化圏だったのが、明治以降、通りに平行して建てる(平入り)文化が入ってきて、表通り部分だけ変更したものらしいです。

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小路に面する町家にも見どころがあって、この近代町家など、各種の窓の組み合わせが魅力的です。

新潟は小路を巡るだけでも、十分楽しめると思います。


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2008年5月10日 (土)

新潟まち歩き(5)上から眺める

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港町の新潟で行っておきたいと思っていた場所が、日和山です。
日和山というのは港町に特有のもので、港が見渡せる小高い所です。江戸時代には、船乗りがここに上り、日和(天候や風向き)を見て出航の判断をしていました。
新潟の日和山は標高27m。今は街中で目立ちませんが、江戸時代は名所で賑わったそうです。
砂丘があるとはいえ、平坦な新潟では他に適当な場所がなかったのでしょう。

この階段を登れば山頂です。

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日和山の上には、日和山住吉神社があります。
昔はこの上にさらに船見櫓が組まれていたようです。
眺めは多少いいのですが、残念ながら海は見えません。
明治時代にはもっと海寄りの新たな日和山が使われました(そちらは今はなくなったそうです)。

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海の方を見ると展望台が。
ここまで来たら海が見たいと、この展望台(日和山展望台)まで足をのばしました。
標高は30mぐらいかな。海岸砂丘の上に立ち、ここはかなり眺めがよいです。
にいがたなじらねっとさんによれば、昭和11年に完成したそうです(のち改修)。

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東の方、日本海の海岸と、砂丘に守られているような新潟の街が眺められます。この先に現在の新潟港があります。海岸に構造物が多くて景観的には残念ですが、強い潮流に砂が浸食されるので、致し方ないのでしょう。

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いらかごしに遙か遠く、雪を抱いた山並みも望めます。

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新潟には他にも展望台がたくさんあります。
少し離れた海岸近くにあるのが日本海タワー。
1970年に設置され、展望台の高さは63m。20分で一回転する展望台です。
これ、下の建物は南山配水場という水道施設なんです。かなり意外な取り合わせです。

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万代地区にあるのが、レインボータワー。
2階建ての展望室が回転しながら上昇し、100mの高さまで登ってしばらく止まり、また降りてくるものだそうです(その間、約10分)。これはちょっと乗ってみたかった。
かなりインパクトのあるタワーです。
1973年の設置。大阪万博の時代を感じさせます。

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旧市街中心部のかつて新潟市役所があった場所に建つNEXT21、その19階に展望ラウンジがあります。
新潟の街のランドマークといってもいいでしょう。
1994年のオープンで、展望台の高さは101mだそうです。
北半分のみの展望(南側はレストラン)ですが、無料で夜遅くまで開いていますので、夜景スポットにもなっています。また、寺が並ぶ寺町を眺めるならここ、と教えていただきました。

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展望ラウンジからの夜景。万代方向です。

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新潟市で最新・最高の展望台は、万代島地区(信濃川の対岸)の朱鷺メッセにある万代島ビル31階の朱鷺メッセ展望室です。夜10時まで無料で開いています。展望室は125mの高さにあるそうです。
2003年のオープン。

ここには行ってません。

こうしてみると、平坦で、でも信濃川や日本海など地形の変化に富んだ新潟では、上から街を眺めたいという気持ちが強くて、こんなにたくさんの展望台がつくられたのかもしれません。まだ他にもあるはずです。


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新潟まち歩き(4)移築された銀行

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みなとぴあにある旧第四銀行住吉町支店です。
いかにも銀行らしい建物。
第四銀行は新潟の地方銀行ですが、第四国立銀行を前身とする、日本で最も歴史ある銀行だそうです。
第一銀行は東京、第二銀行は横浜、第三銀行は大阪(の予定が開業できず東京)で、その次ですから、当時の新潟の先進性が分かる気がします。

解説によると、この建物は昭和2年(1927)に竣工し、2002年まで銀行支店として使われてきましたが、都市計画道路のルートにかかるため解体移築が決定、2002年に解体、2003年に組立復原工事が竣工しました。元々の設計者は地元の長谷川龍雄、施工者も地元の武田組だそうです。

新潟市歴史博物館配布の解説に詳しく書かれていますが、鉄筋コンクリートの建物から表面の石材や青銅飾り、漆喰飾り、木の腰板、照明器具などを取り外したうえ、新しく作られた強化鉄筋コンクリートの躯体に取り付けたそうです。何という手間!

それでいて無料公開されています。

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花崗岩の壁面に所々銅が配されていてメリハリがついています。
外壁は茨城県笠間市の稲田石(花崗岩)だそうです。
私には花崗岩の違いはよく分かりません。

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正面、1階と2階の間には、鳩(?)の銅板がはまっています。

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内部は長いカウンターのある、2階までの吹き抜け大空間です。この広がりは私の腕では表現できません。2階にはぐるりとギャラリー。白・黒・茶のきれいな配色です。
カウンター内がレストラン「ぽるとカーブドッチ」で、カウンター外が自由観覧ゾーン(一部物販コーナーやカフェコーナー)になっています。

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カウンター外から。
カウンター天板は高知産の暁石(花崗岩)だそうです。
なお、失われた照明器具なども昔の写真をもとに製作されたとのことです。

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カウンター内から。

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天井もこのように装飾されているんですよ。

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カウンターの足下部分です。
床面モザイクタイルに、カウンター腰壁の大理石。大理石は岐阜県大垣市赤坂産だそうです。こうしてみると全国から石材が集められています。

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2階の会議室なども開放されているのですが、ここでは2階天窓のステンドグラスを紹介します。こんなところにきれいなステンドグラスを持ってくるとは。

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階段を登ってきて、ステンドグラスはこの位置にあります。なかなか意表を突いた使い方です。

こういう建物を残してほしいとは簡単に思いますが、実際に移転して残されたものを見ると、その労力の大きさに敬服せざるをえません。末永く使っていただきたいと思います。

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2008年5月 9日 (金)

新潟まち歩き(3)みなとぴあで歴史を知る

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1日目のハイライトは、みなとぴあ新潟市歴史博物館でした。
ここには博物館と旧新潟税関庁舎、旧第四銀行住吉町支店(移築)が集まっています。
博物館は、明治44年に建てられ、昭和8年に焼失した新潟市の二代目庁舎の外観イメージを取り入れています。基壇部は中国産花崗岩、屋根は宮城の玄昌石(スレート)+銅板を使っているそうです。写真ではよく分かりませんが、手前には堀も再現されているんですよ。

常設展の展示では、ボランティアガイドの方が説明をしてくださいました。
よく分かりましたので、概略記しておきます。
何とも複雑な歴史です。

・新潟の地勢の特徴は、信濃川と阿賀野川という日本でも有数の流域面積を持つ川が1つの河口を共有して日本海に注いでいたこと、日本海岸に何列もの砂丘が連なり、広大な湿地帯を形成していたことです。

・室町時代になってようやく日本海海運と信濃川・阿賀野川の水運の結節点として、新潟の町が形成されます。職人が多く住む町だったそうです。この時点ではまだ農業には不適でした。

・江戸時代、新潟は長岡藩、信濃川の対岸の沼垂(ぬったり)は新発田藩の町で、港の権利を巡ってたびたび争ったそうです。新潟は、堀を巡らした水の都でした。1731年に新発田藩が掘削した阿賀野川分水が本流になったことで水量の減った新潟湊に土砂の堆積が進み、港湾機能が低下。

・幕末、薩摩藩への2度の密輸事件で新潟は天領に召され、それが幸い(?)して開港5港に選ばれることに。しかし、外国との取引は流行らず、居留地はできませんでした。新潟税関を設置。

・明治時代、信濃川堤の決壊による水害に悩まされますが、大正11年に大河津分水が完成してからは安定、流量の減った信濃川の埋め立てが進みます。

・昭和に入って港湾の近代化が完成。上越線も開通。満州開発が進むと、新潟は東日本から最短ルートの玄関口として賑わいました。

・第2次大戦中、空襲を受けなかった新潟は、原爆投下候補地でしたが、幸い無事に終戦を迎えます。(つまり多くの町家が残った)ただ、1955年の大火、1964年の地震など度重なる災害に襲われます。

・昭和30年代に、天然ガス採掘に伴う地盤沈下により堀の水がしばしばあふれるようになり、やむなく全ての堀が埋められます。(しかし、堀跡が車道となったことで、町割りはほとんど残りました)

 そして現在に至る・・・
 かなりはしょって不正確かもしれませんが、そう理解しました。

 ちなみに特別展で「酒蔵展」を開催していました。
 新潟は酒どころですが、新潟の街に酒蔵があるわけではないんですね。農村部に散らばっているようです。ただ、沼垂は北海道向けの酒造地として、日本酒や焼酎の酒蔵があったそうです。
 なかなか興味深い展示でした。

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旧新潟税関庁舎は、明治2年に新潟運上所として完成した、開港当時のものとしては現存唯一の税関庁舎です。形式は擬洋風の木造建築です。中央部がトンネル状になっていて、視覚的にも関所なのが面白く思います。

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白・黒・ベンガラの鮮やかな配色です。

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窓にはベンガラ色の鎧戸がはまっています。

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棟瓦部分の拡大です。かなり高くして瓦で青海波模様を作っているのが面白い。

ところで旧税関庁舎は博物館と一体的に入場料を取られるのかなと思っていたら、出入り自由で無料です。一部ですが、内部も公開しています。その気前よさにちょっと驚き。

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また、税関と同じ明治2年に建築された石庫(保税倉庫)も敷地内に解体・復元されています。
外壁は耐火用に福島県の野沢石だそうです。明るい青灰色の石みたい。

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石庫も裏に水路が復元されています。

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みなとぴあには、市の中心部から移築されてきた昭和2年の旧第四銀行住吉町支店があります。こちらも無料で内部を公開。長くなりますので、その紹介は改めて。

みなとぴあは、新潟の街の歴史を頭に入れ、近代建築を見るには最適な場所です。
信濃川河口に面して開放的で、対岸の佐渡行きフェリーなど行き交う船を眺めることもでき、気持ちのよい公園になっています。

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2008年5月 8日 (木)

新潟まち歩き(2)まずは新潟絵屋から

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今回、私には珍しく下調べをしました。
どうもギャラリー「新潟絵屋」に情報が集まっているらしい、ということが分かり、まずはそちらを目指しました。(実際にはあちこち寄り道してますが)
大正時代の町家を改造したギャラリーだそうです。

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期待通り、ここではたくさんのまち歩きマップ類が入手できました。
多くは市民グループの手になるものです。

左から、
「改訂版にいがた湊下町めぐりマップ」
 2003年改訂。「市民の声の会」発行。300円。
 主な建物、味どころ、バス路線、堀の跡など、全般的な情報が載っています。

「にいがた町家マップ2007」
 2007年、「新潟まち遺産の会」発行。200円。
 丁字造りなど新潟の町家の解説や、町家店舗の紹介。

「新潟の町 小路めぐり〈新潟市中央区本町通界隈編〉」
 2008年。企画製作「roji-ren niigata」、製作協力:新潟市まちづくり推進課。無料。
 新潟の本町通界隈の小路の名前の由来や特徴をイラストで紹介。これは画期的です。観光施設はもちろん、書店でも配布していました。

○「にいがた寺町から 「寺」まちあるき地図」
 2002年。「にいがた寺町からの会」発行。100円。
 寺町の各寺を紹介しています。

「まち遺産マップ 異人池・ドッペリ坂界隈」
 2006年。「新潟まち遺産の会」発行。100円。
 近代建築ファンにお勧め。西大畑地区の洋風住宅を中心に紹介しています。洋風、和風、洋館付き住宅が塗り分けられていて、至れりつくせり。

 と、まちあるきマップだけでこれだけ発行されているのですから、たいしたものです。

 さらに「新潟絵屋」の方には、おいしいものから見どころまで、懇切丁寧に教えていただきました。お勧めいただいたものはほとんどトライしました。ありがとうございました。

 このような資料に大いに助けられながら、手持ちの1万分の1地図、持って行くのを忘れましたが「新潟市全図」(昭和9年・コピー)、観光案内所の地図も参考にまち歩きをしました。

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2008年5月 6日 (火)

新潟まち歩き(1)新潟へ

<新潟まち歩きインデックス>
 (1)新潟へ
 (2)まずは新潟絵屋から
 (3)みなとぴあで歴史を知る
 (4)移築された銀行
 (5)上から眺める
 (6)小路の魅力
 (7)堀を想像する
 (8)街なかの近代建築
 (9)街なかの看板建築?
 (10)若者の上古町
 (11)花街のなごり
 (12)擬洋風の議事堂
 (13)日本で最初の白山公園
 (14)白山神社とポッポ焼き
 (15)近代公園いろいろ
 (16)ハンノキ島を歩く
 (17)信濃川クルーズ
 (18)砂丘をサイクリング
 (19)石油王の迎賓館
 (20)丘の上の近代建築
 (21)心ひかれる街角(完)

新潟ふゆ歩き(1)〜(6)>
 2009年2月14日〜15日の旅行もどうぞ。

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お知らせしましたように、GWの休みを利用して新潟に出かけました。
行きは寝台急行きたぐに、帰りは夜行バスで、現地1泊の1泊4日?の旅です。実質現地は丸2日。全て新潟市中心部のまち歩き(一部サイクリング)に費やしました。

急行「きたぐに」は私には思い出の電車です。以前、福井に住んでいたときにこれが大阪からの実質最終列車で、時々使っていました。途中から車内放送がなくなるので、乗り過ごしそうになって慌てたことも。いつかそんな心配をせずにゆっくり寝ていきたいという願いが実現しました。席もそのときのように自由席ではなくて、B寝台です。

大阪駅発は23:27です。

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急行なのにこんなロゴだと、なんだかすごくいい列車みたいです。ちなみに上にある楕円形のものはB寝台の窓です。

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狭いし、意外と揺れましたが、完全に横になれるのはかなり楽。夜が明けるともう新潟です。狭い窓から覗いた田園風景。新潟県に入ってからが長いですけど。

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8:30に新潟駅に到着。(最初のうち、カメラの設定がずれていて低解像度です。すみません)こちらが新潟駅の表側です。

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駅から駅前通を見たところ。大きなビルが整然と並んでいます。

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ちなみに駅の裏側では、再開発が進もうとしていました。

新潟の中心市街地は3つに分かれていて、この駅前のほかに、ショッピングセンターなどの集まっている万代、そして古くからの商業中心地・古町があります。新潟駅と古町は2kmほど離れていて、間に信濃川が流れ、万代はその手前です。旅行者からみて面白いのは古町地区ではないでしょうか。逆に新潟駅前では時間を潰すのに困りました。

今回、宿は古町に近いホテル・イタリア軒に取りました。(近代建築でもあればと思ったのですが、見つけられなかったので、由緒あるところということで)

1日目は写真を見ていただいても分かるように暑いぐらいの陽気、気温は26度まで上がりました。中心部のまち歩きと新潟市歴史博物館みなとぴあなど。
2日目はくもりで午後から雨。このため、近代洋風・和風住宅がたくさんある西大畑を回りきれなかったのが心残りです。朝からレンタサイクルを借りて、ウォーターシャトルに乗り、町はずれをサイクリングしたのも時間のなくなった一因ですが。白山公園や、雨やどりするように新潟県政記念館、新津記念館、砂丘館なども回りました。

けっこう回りましたが、まだまだ見残しはあります。
新潟の魅力の一つ(私にとってはかなり大きい)は、数限りなくある路地と趣きある木造町家だと思います。とても歩ききれません。もう一つの港町・沼垂(ぬったり)も見たいですし。

心を残しながら、新潟駅から大阪に向かう(苦手な)夜行バスに乗りました。
そうそう、往復とも夜だったので間の風景も見れませんでした。これも次のテーマ。
東京からだと新幹線もありますし、高速バスは1時間に1本ペースで出ています。でも大阪からだとバスは1日1本。昔は日本海航路で結ばれていたのに随分遠くなったものです。

それでも。
こんなに面白い街なので、遠からずまた来ようと思います。

ということで、新潟まち歩きの話をぼちぼちとつづっていこうと思います。

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2008年4月14日 (月)

坂越のぼり、おり

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私たちは赤穂から電車で1駅戻り、坂越(さこし)へ。
駅前では桜並木が出迎えてくれました。
坂越は瀬戸内の廻船、とくに赤穂の塩廻船で栄えた港町・・・というイメージをもって駅を降りても、そこにあるのは千種川、その向こうには低い山。海は見当たりません。河原に菜の花、山には桜。のどかな風景です。

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歩いていく途中に建っていたのがこの市営住宅。
そこまで景観に配慮しているのに驚きます。とくに美観地区というわけではありません。

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かわいい坂越小学校の校章。
海が近づいてきました。

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坂越は、名前通り、低い坂を越えたところにあります。坂を越えると海が見えるというのも、なかなかの演出です。この坂道は坂越大道といって、両側に古い街並みが連なっています。

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この街並みでいいのは、その色合いです。石垣は赤みの石と青みの石が混ざるのがこの辺ふうのようです。お寺の土塀の色も落ち着いていい色。車の色まで調和をとっているようで、騒がしい色が一切ありません。

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山に張り付いたような町ですから、至る所に石垣と階段があります。
思わず、のぼってみたくなります。
石垣はざくざくと積んであるようでいて、あまり隙間なくかみあっています。
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坂越まち並み館で「歩いてほのぼの+しみじみ写真展 坂越でお散歩」を見せてもらった後、旧坂越浦会所に向かいました。江戸時代の天保年間(1830〜43)に建てられた旧坂越村の会所で、いくつもの中庭があり、落ち着く空間です。かつては、すぐそこが海でした。2階には赤穂藩主の休憩した「観海楼」という名の座敷があります。

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坂をのぼると屋根越しに海が見えます。向こうに見えるのは生島。

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和風のものだけでなくて、レンガ塀などもありました。斜めに積んだり、透かしを入れたり、凝った積み方をしています。

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氏神の大避神社の参道から振り返る。道の向こうには生島が見えます。

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境内にはこのように廊下が伸び、大きな船絵馬が数多く奉納されています。
蘇我入鹿の乱を避けた秦河勝を祀っているそうですが、航海安全の神として崇敬を集めています。厳かな雰囲気のよい神社です。

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例えば、こんな船絵馬が飾られています。

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さらに、ちょっと山をのぼって、妙見寺観音堂まで連れて行ってもらいました。ここからも生島が見え、その向こうには一昨年訪れた家島諸島が見えます。舞台のような眺めです。

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またくだって町なかへ。使われていない井戸を見かけました。ここで洗濯などしていたのでしょうね。台になる石が置いてあります。

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海岸にも出ました。すぐそこに生島が見えます。風除けになっているのはもちろんでしょうが、この生島は昔からの神域で、原生林におおわれているそうです。
ちなみに自然な砂浜ですが、最近造成されたもので、昔は海岸線がもっと手前でしたし、石がごろごろする海岸だったそうです。大がかりな埋め立てと駐車場の整備が進められていました。高潮を防ぐ防災工事の意味もあるそうですが。

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再び坂越大道。両脇には深い溝が掘られています。ここの石垣はきっちりした亀甲積みです。家に渡るために切石の橋が渡されています。

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しつこく側溝(笑)。ゆるやかに曲がりながら連なる溝と少しずつ違う橋が美しいと思います。

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再び坂を越えて千種川に戻る頃には既に夕暮れになっていました。坂越大道はこの千種川の水運と坂越浦の海運を最短距離で結んでいたそうです。

坂越の町は、坂や階段をのんびりのぼり、おりしながら、しみじみ味わうのがいいところなんだなということが分かりました。

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2008年4月13日 (日)

赤穂の塩の役所

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赤穂というと塩で有名なところ。
江戸時代の17世紀、浅野家時代に、塩の干満を利用する入浜式塩田が大規模開発され、赤穂の塩は全国的に知られるようになったようです。
赤穂の塩業は明治以降も受け継がれ、日露戦争(明治37-38年)の戦費確保を目的に塩の専売制が敷かれた明治38年(1905)から3年後、明治41年(1908)に赤穂の塩務局庁舎が完成しました。

その建物が今も残っています。
これほど赤穂らしい建物もないでしょう。
Iさんが、私が近代建築が好きだからと案内してくださいました。

いい建物なので多めに紹介します。
折良く向かいは素晴らしい桜並木。明るい明治建築に、桜がよく似合います。

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建物は複雑な形をしています。
全体に優美なデザインが施されていて、外観も見どころが多いものです。通用口(?)の玄関も凝ったものですし、窓もとりどり、半円形の換気口もおしゃれです。ちなみに石材は赤穂城からも運ばれているらしいです。

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こちらが玄関。塔のようになっています。2階手すりの曲線が優美。ちょっとアールヌーヴォーが入っているのか。

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そう今は「赤穂市立民俗資料館」となっているんです。入場料は100円で、申し訳ないぐらい安い。

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玄関ホールは吹き抜けになっています。
外観同様、淡いブルーと白のパステル調。

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館内は廊下も展示スペースになっていて、ほとんどフル活用されています。全体を見て回れるので、本当にありがたいことです。

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外ではお花見。塩田は1972年に塩が工場生産(イオン交換膜製塩法)化されると不要になり、(塩分を含むためか)工業用地に転用されたようです。工業用地と住宅地・農地の間にはグリーンベルトが整備されたと思われます。ここに見える緑がそれです。

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2階に上がる階段室。ここも高い吹き抜けになっています。

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2階の屋根を支える部分。ハンマー・ビームと呼ばれる構造だそうです。いかにも留めてますというデザイン。

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資料館は裏にも出られます。
裏から見た全景。裏から見ても複雑な形をしています。

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付属の文書庫。オランダ積みのレンガ建築です。

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同じ型の草刈り機が並べられているのがなんだか面白い。
後ろの壁は塩倉庫です。全景を撮り忘れましたが、2階建てぐらいの高さで、切り妻屋根です。

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塩務局の近く(グリーンベルトの外側)には、日本塩回送(株)赤穂支店がありました。これも、塩業の歴史を感じさせます。木製サッシなので古いのかなと思ったのですが、「国土変遷アーカイブ」で確認したところ、昭和36年時点ではまだ建ってないので、それほど古いわけではなさそうです。

うまく伝えられてないですが、赤穂市立民俗資料館と向かいの桜並木との組み合わせは素晴らしく美しいものです。

なお、11棟並んでいたという塩倉庫、「国土変遷アーカイブ」の米軍撮影写真で確認すると、西(最初の写真でいうと右手)方向に2列で並んでいます。新聞記事では、改造されて事務所に使われている塩倉庫があるとのことで、実際、最近の地図でもそのような形の建物が何棟かありますので、出かけられる方はついでに確認されるといいと思います。


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2008年4月 8日 (火)

赤穂でお散歩

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先週の土曜日、Iさんの案内で兵庫県の西の端、赤穂に出かけました。
今日は、赤穂でお散歩編。いつもはかなり編集しているのですが、今回はお散歩らしく、あまり編集なしにお送りします。

赤穂の駅を降りると大きなロータリーの先に、赤穂城跡までつづく大通りがあります。最近できたばかりで、20年がかりの難事業だった・・・と写真展を見に来ていた地元の方に教えていただきました。昔はかなり狭い道だったそうです。(個人的にはそちらの方が好きなのですが。勝手ながら)

上の写真は、その道沿いにある中国銀行赤穂支店です。支店開設は1957年らしい。銀行らしく整ってていいなあ。

これは普通に銀行ですが、新しく拡幅された通りは町家風のデザインが施されていて、花屋も町家風、中華料理店も町家風、文具店も町家風で、ぱっと見には何屋さんか分かりません。

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この日は青春18切符の旅で、着いたときにはお昼時。穴子料理を推しているお店でお昼にしました。穴子は好きだけど、これにはひるみました。

大通りには、「さくらぐみ」の本店もあって、賑わっていました。
今日は人出が多いそうです。(人混みではないですよ)

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赤穂城跡に入り、大石神社へ。
城跡では、城内に建っていた住宅を撤去して、修景工事の最中とのことでした。町のあちこちで「きれいにしよう」という意志を感じます。

大石神社の大石とは大石内蔵助のこと。大正元年、赤穂四十七士を祀る神社として鎮座したそうです。意外と新しいのですね。

そのせいか、娯楽性に富んだ神社になっています。占いの種類の多いこと。私は水に浮かべる水占いで大吉を引きました。仲間と旅行して吉と書いてあったのでぴったり。
怒りの絵馬という、怒りの川柳コンクールのようなものから、義士祭、浅野内匠頭御命日祭のような厳かな行事まで、イベントもかなり多いようです。神社にもいろいろあっていいのでしょう。

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入り口には四十七士の石像が並んでいます。なんとなく雰囲気は兵馬俑。

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帰りは赤穂城の裏手から出たのですが、古そうな石垣がありました。花崗岩でしょうか。切石の隙間を細かな石で埋めるような積み方をしています。ちょっと色の付いた石が混じるのがアクセント。

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駅への帰り道は先ほどの大通りとはうってかわって、旧街道を案内していただきました。ところどころ町家が並んでいます。

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昭和レトロな雰囲気の町家。

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自転車屋さん、ホクセン輪業社のレトロな琺瑯看板。この自転車はいつもここにあるそうです。このカーテンの向こうはいかに。

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今どきの町家活用店舗ではなくて、年季の入った雑貨店。トイレットペーパーなどがメインでしょうか。驚いたのは、店の中にいくつもツバメの巣があったことで、昔ながらのおおらかさを感じます。

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赤穂義士ゆかりの花岳寺で休憩。藩主浅野家の菩提寺です。バランスの整った建物。

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角地にピンクの下見板の建物がありました。ちょっとかわいらしい感じです。

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駅まで戻ってきました。駅前には大きな自転車預かり所があります。広いので学校別にゾーンが決められているほど。貸自転車もやってます。最近の整然とした駐輪場にない懐かしさを感じます。学生には思い出の場所のひとつなんでしょうね。

観光地ながら、あまり「これを見なければ」などと気合いを入れて回らない方が楽しめそうな赤穂の街です。

あまり編集せずと言いましたが、1ヶ所だけ郷土資料館の紹介を飛ばしました。それはまた回を改めてご紹介します。

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2008年3月18日 (火)

下呂の鉄橋

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下呂温泉の街を旧街道に沿って南に向かうと、古い鉄橋がありました。
六ツ見橋といいます。鉄骨に「株式会社大阪鐡工所製作 昭和6年」のプレートが溶接されています。(大阪鐡工所は今の日立造船)

高山の話をしたときに、鉄道の開通が昭和9年と書きましたが、下呂まで鉄道が来るのは一足早く昭和5年です。翌年に架かった鉄橋なわけで、鉄道の到来に合わせて開発が進んだのでしょう。

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当時の橋柱も残っています。
時代の雰囲気濃厚なデザイン。

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当然、橋に続く道路は主要な道路だと思われます。
面白いのが、街路樹に桜が植えられていて、アーチを描くように道をまたいでいることです。
お辞儀をしているようにも見えます。

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あと一つ、近代の雰囲気を持つものに、下呂市森の牧医院がありました。
これも旧街道沿いです。外壁に縦の板が貼られて、白いペンキを塗っています。
庭木でよく見通せません。

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窓はこんな感じ。壁は白、窓枠や柱は茶色にすっきり塗り分けられています。軒下が板張りで白いペンキ塗りなのが洋風らしい感じ。でも屋根は瓦です。

温泉街とはまた違った、下呂の落ち着いた風景です。

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2008年3月 1日 (土)

下呂温泉のタンク

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このところ仕事で何度か下呂温泉に出張しました。
下呂の町は、北から南に飛騨川が流れ、その両岸にせまる山に這い上がるように温泉街がそびえています。

下呂温泉は発見が平安時代の天暦年間(947~956年)に遡るという古い温泉。(延喜年間(901~ 923年)発見説もあるそうですが)このときの温泉は山の中腹だったそうです。鎌倉時代中期の1265年に突然出なくなり、飛騨川の河原で再発見されたとのこと。
(以上、下呂市観光サイトの説明を参照)

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今も河原に源泉の名残(とその復元モニュメント)があります。
手前のものが本物でしょう。
河原にあるために飛騨川に洪水がおこると泉源が埋もれてしまってたいへんだったようです。

下呂温泉は飛騨街道の宿場町でもあり、湯之島宿と呼ばれました。川の中州に湯が湧いているという意味なんでしょうね。

日本中どこでも深く掘れば温泉が湧くといいながら、伝統ある下呂温泉は無理がない気がします。あちこちの噴水などにも温泉を使っています。

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さて、そんな湯の町らしさを感じさせる景観は、温泉のタンクだと思います。
町中あちこちに温泉のタンクがあります。
河原にもタンク。

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山の中にもタンク。

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湯量が豊富なので、駅前には温泉スタンドがあって、市民が利用できるようになっています。

ほとんど温泉一色のような下呂の町です。

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2007年12月24日 (月)

津偕楽公園

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出張で時間ができたので津偕楽公園(三重県津市)を見てきました。
丸石の敷かれた階段・坂道を登っていきます。

この公園、起伏が多くて、見どころがたくさん。
なぜかというと、古くは津藩藩主の鷹狩場で、11代藩主藤堂高猷(たかゆき)の山荘があった場所だから。偕楽公園という、江戸っぽい名前も、園内の亭舎に“偕楽園”の扁額がかかっていたからだそうです。

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園内には「三重県公園記」の石碑が建っています。
この公園はもと三重県公園と呼ばれ、開設されたのは明治10年(1877年)4月といいますから、日本でもかなり開設の早い公園です。この石碑も当時のもの。
碑文は漢文で記されていますので、意味を取りにくいのですが、公園開設の経緯のほか、日曜日はこの公園で英気を養って、再び勉強に励めといっているようです。




         三重県公園記

礼曰一張一弛文武之道也夫人之勉強也其張気力己久則不
得不憊然弛之一日逍遥遊息悦其耳目則気力復振比諸日日
操業而気力萎茶者則其功百倍是其所以有張弛之訓也
朝廷之制亦本此意給日曜之暇以養其気力設公園之観以悦
其耳目此二者相須而後民浴偕楽之化矣我三重県公園者在
伊勢国安濃郡部田村本係旧津藩主藤堂氏別墅及藩廃其地
入 官蕪穢不治県令岩村君惜之稟請為公園藤堂氏亦献其
亭館樹石於是下花時開園之令園傍居民聞之争鋤理之以復
旧観蓋有甘棠之感而然歟今茲四月花方発乃卜曜暇以開園
園踞山枕海堂廡壮麗卉木蕃而泉石潔風雨雪月之観皆宜是
日也天気和照士女填咽酒如澠殽如邱助以琴棋書画而鶯歌
燕舞花気酒香苾苾乎薫於恵風驩虞之象可掬也鳴呼今日遊
此園者誰不享快楽然享快楽者固由勉強苟不勉強而徒享快
楽則其快楽必為愁苦之具矣西哲曰人之享快楽是天賞其勉
強也怠惰之人天豈賞之乎信哉余切望県下人民居恒勉強各
勤其業以暇日遊息於此悦耳目養気力然後又復勉強益致富
裕其相交如兄弟怡怡愉愉同福共慶猶今日偕楽於此也果能
如是張弛之訓行而偕楽之化洽矣吾故為之記鐫之貞珉以諗
於来遊者
 明治十年四月 伊勢 福井過*撰弁書


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。
  写し間違いがあるかと思いますので、
  おおまかに意味を取る程度でお願いします。
  *草冠に過

この公園では、別の解説板によると、明治11年に三重県内物産博覧会を開催、明治20年に倶楽部を建設、明治40年に第9回関西府県連合共進会(企業が産物や製品を競う展示会)が開催されたそうですから、天王寺公園と似ています。

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公園にはこのような池があります。
こんな橋がかかっているのも天王寺公園に似ています。

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このような池は山荘の名残ではないでしょうか。
ところどころに灯籠が立っています。

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何これ?と思いますが、丸石を積んだ井戸の跡のようです。
危険なので石材で蓋をしています。
遠目に石棺かと思いました。
近くには空っぽの動物舎もあります。

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そしてここにも逆円錐の水飲み場が。
やはり古い公園には共通して置かれています。
いつかその由来と名前を知りたいものです。

津偕楽公園は、津駅の西口を出るとすぐ。
大きな石碑がいくつも立っていますので、歴史散策にも面白い公園だと思います。

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2007年12月21日 (金)

高山の昭和9年

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雪の降る前ですが、出張で高山に行ってきました。

高山というのは飛騨地方の中心地です。
高山駅に到着したのは、とうに日が暮れた後でしたのでその日はよく分からなかったのですが、高山は山の中にもかかわらず周囲の山が低く、空が広く、山間を縫うように走って高山までくるとほっとする気がします。そんなことも人が集まる理由なのかなと思いました。

明治初期、高山は岐阜県で一番の人口を誇ったそうです。(岐阜より多かった)
しかし、その後、鉄道の時代になると高山は近代化に遅れていきました。
南の岐阜、北の富山から延びてきた鉄道が高山でつながったのは昭和9年のこと。これ以後、高山の遅れた近代化が始まったそうです。(その後、戦争に突入して、近代化が足踏みするのですが)

現在の高山駅の駅舎は昭和9年のもの。
つまり開業時そのままです。
小振りでごく飾り気の少ない駅舎です。

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高山の市街地を南から北に宮川が流れています。
高山駅は川西にある市街地の西寄りにあります。川東は“さんまち”と呼ばれる城下町です。駅前の北寄りを東西にメインストリートの一つ「国分寺通・安川通」が通り、宮川を越えるところに“鍛冶橋”という橋が架かっています。

鍛冶橋の架け替えられたのは同じ昭和9年。
上昇する親柱が当時の街の気分を表しているように思えます。何をモチーフにしているのでしょう。私には傘に見えるのですが。

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橋を渡らず、宮川沿いに南へ行くと、天狗総本店という建物がありました。
やや違和感を感じる精肉という筆文字が隅に書かれています。
この建物は昭和11年に建てられたそうです。こう見えて木造。
昭和2年創業の肉屋さんなので、この建物は最初から肉屋さんということです。

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トレードマークはもちろん天狗。
なぜ肉屋で天狗なのか。

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天狗総本店の向かいにはこんな建物がありました。
今はmotifという雑貨屋さんですが、建物の来歴はよく分かりません。

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近くにはこういうスーパーもありました。
アーケードの上の部分に円柱が残っています。
こういうのが高山の近代イメージだったのかもしれません。

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2007年10月21日 (日)

宮の浦と大山祇神社

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しまなみサイクリングでは、大三島の宮の浦に泊まりました。
かつての大三島町の中心地、2005年に合併して今治市です。
「宮の浦」はその名の通り、「神社のある入り江」で、神社とは大山祇(おおやまづみ)神社でしょう。島なので、昔、といってもつい最近までは海が玄関口ですから、港は神社の表玄関ということになります。そんな港の第一埠頭は神社風です。ユニーク。

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港に建つ商工会館も日本建築風。

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港から大山祇神社までは、参道が続いています。
参道にはこのような建物が並びます。これは酒屋さん。
表の木部はベンガラ塗りで、ちょっとあでやか。
これも神社を意識してでしょうか。

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深い軒下に床が張り出しています。
通りゆく参詣客を眺めながら憩っていたのではないでしょうか。

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洋風の装いをしている棟もあります。
両開きの木製雨戸が町家には珍しいか。
建物本体は和風なんですけどね。

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古い官公署風の建物もあり。
今は使われていないようです。

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海の町らしく、波か帆の形をした棟飾りを乗せた家がありました。
ここは港町ではあっても漁村ではなく、海の宿場町または海運の町ではないかと思います。

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岩山に囲まれたふもと、川の先にある杜が、大山祇神社です。

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大山祇神社には、クスノキの巨木群があり、天然記念物に指定されています。

この神社は歴史が古く、伊予一宮の格の高い神社で、説明には日本総鎮守をうたっています。
祭神の大山積大神は海上安全の神様だそうです。
源義経奉納の鎧をはじめ、武将の奉納した武具で有名らしいですが、時間がないので、今回はパス。

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とくに説明はありませんが、この神社は背後の岩山とも関係がありそうです。
古い神社ほど、地形的に特異な場所にあるので。

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もちろん海とは関わりが深く、棟飾りには波が渦巻き、紋の「三」も波打っています。

海に関わる神社があることで、いっそう海に近い宮の浦でした。

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2007年10月14日 (日)

しまなみサイクリング

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先週、今治から尾道へ、しまなみ海道を渡るサイクリング・ツアーに参加してきました。
団体行動なので落ち着いて写真を撮れなかったのですが、その中から少し紹介をします。

今治へは神戸からダイヤモンドフェリーを利用しました。
船はスターダイヤモンド、9463t。
金曜の夜遅くに出て、土曜日の早朝に着きますので、芸予諸島を旅行するには便利です。
難点は仕事から直行するので荷物が増えること。
今回は輪行(自転車を持ち運ぶこと)だったので、さらにたいへんで、仕事中は大阪駅の手荷物預かりに預けました。

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最初に渡るのは来島海峡大橋(1999年)です。
今回のサイクリングでは、しまなみで7つあるうちの6つの橋を渡りました。
(2つ、3つつながっている橋があるので、細かくいうと9つ)
一番大きいのがこの来島海峡大橋です。

すばらしいお天気でしょう?
白い橋が、空・海の青、島の緑に映えています。

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大島大橋(1988年)の上から。
それぞれに違う形の橋です。

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多々羅大橋(1999年)。
愛媛県と広島県の間にかかる橋。

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今回初めて知ったのは、自転車向けにつくられている部分が多いということ。
もちろん車が最優先なのですが、その次が自転車のようです。
橋は海面からかなり高いので、地上から橋の上まで数十メートル上らないといけません。そのため、自転車用にゆるいスロープの側道がつくられています。歩いても渡れますが、歩行者なら階段の方がよいでしょう。自転車向けの設計です。整備費用を考えると、手放しで喜べませんが、ありがたいことだと思います。ちなみに利用料金は全ての橋を渡っても500円。非常に安いです。

景色がよく走りやすいこと、レンタサイクルが各地にあること、連休であること、季節がよいこと、天気が良いこと、いろいろな条件が重なったためでしょう、かなりの数の自転車とすれ違いました。
せっかく整備された自転車道なので、こうして利用されていることはうれしいことです。

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2007年9月 1日 (土)

名張のお店はもてなし好き?

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名張では観光企画として「なばり町和菓子食べ歩き」という企画を実施しています。
これは、500円でクーポンを買うと、参加している和菓子屋さんや酒屋さん、お茶屋さん9店のうち、好みの5店で和菓子やお茶などをいただけるというものです。やや恥ずかしいのですが、ものは試しで参加してみました。

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最初は鳥居近くの「はなびし庵」へ。酒屋さんです。
前を通りがかっただけで、ご主人に招き入れられました。築170年の町家や江戸時代の夫婦の見事な生人形(いきにんぎょう)、戦前の観光絵はがき(大量です)などを見せていただきました。この時代、絵はがきを買うのは、今の時代、写真を撮るような感覚なのかもしれません。観光地に混じって、○○銀行の本店など建築の絵はがきもあります。クーポンを出す前にお茶をいただき、クーポンで地酒と酒肴をいただきました。(地酒はそれでなくても試飲できます)

ご主人の話で、「そこに板東英二さんが座られて・・・」、まあこういうお店だから取材にも来るだろうなと思ったのですが、やがて分かったのは、ついさっきのことだということ。「板東さんどっち行った?」と聞きに来る中学生グループがあったり、この日は静かな町がちょっと浮き立っていました。名古屋のCBCテレビが撮影に来ていたようです。

新町の星安新町店は月2回の営業で、この日は営業日ではなかったのですが、通りがかると暑いなか鯛焼きを焼いています。またも呼び止められ、和菓子とタンポポコーヒーの接待を受けてしまいました。とうとうクーポンは出しそびれ。撮影のために特別に店を開けたとのこと。板東さんさまさまです。ここも古い町屋で、中を見せていただきました。

街のあちこちで「さっき板東さんが・・・」といううわさ話を聞きつつ、街を歩き回った後に立ち寄ったのが、トップの写真にかかげた、「お茶の福田本店」。大正8年(1919年)の創業。左下にある線路が見えますか? 昔は店頭で茶農家から買い付けた茶葉を、トロッコで奥の加工場に運んでいたそうですから、かつての繁盛ぶりがうかがえます。今は静かな通路に座ると、ひんやりした風が抜けていき、とても快適です。

お店のご主人と奥さんが、水出し煎茶、そして低温で丁寧に淹れた煎茶を出しながら、おいしいお茶の入れ方や商売の話などいろいろなお話をしてくださいました。大阪に卸の仕事に出かけた話、某関西系スーパーにお茶を卸していた話、小売りの話などなど、この80年は激動だったようです。今は静かに営業されています。

出されているお茶は、京都と奈良のお茶のブレンド。このあたりの方の味の好みは関西系で、今は伊勢茶は扱っていないそうです。行政区は三重県なので、行政からは伊勢茶も売ってくださいと言われるそうですが。
お茶の値段の違いは?とたずねると、「香り」の違いとのお返事。味は肥料でうまみを出せるけれど、香りは難しいとおっしゃっていました。

しまいには、秋になったら長谷寺に行くといい、など観光案内までしていただきました。
秋にまた来るのも良いかもしれません。
すっかり長居をしてしまいました。

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帰ろうとして表に出ると、店頭にこんな石の「猫」が置いてあります。名張の街のあちこちで見かけるので気になっていました。
「お茶の福田本店 おぶう上ってだーこ」と書かれています。「お茶召し上がってください」でしょうね。「だーこ」は伊賀弁です。

こういうのは作者がお店の人と話をしながら作ると思いますでしょう。

ちがうんです。

正解は、ある朝、店の前に置いてある、です。
お店の方も誰が作っているのか知らないそうです。
素敵なプレゼントの仕方!
名張を訪ねる方はぜひ道端の白い「猫」に注目してみてください。

この日は板東さんのおかげも少しはあったのかもしれませんが、どうも名張のお店はもてなし好きらしいと知ることができました。
また涼しくなったら再訪するのもいいかも、と思っています。

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2007年8月26日 (日)

名張の街並み

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名張は初瀬街道の宿場町です。
初瀬街道は大阪側からみると初瀬(長谷)寺を通って伊勢に向かう道。
街道は名張の街をクランク状に通り抜けています。
上の写真は新町の街並み。

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<名張中心部の地図>

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旧市街の中心は、この宇流冨志禰(うるふしね)神社の鳥居がある交差点です。(分かりにくくてすみません)
この写真は北向き。初瀬街道は右から来て正面に向かいます。左手には大正11年(1922年)に開通した伊賀鉄道の名張駅(のち西名張駅)が1964年まであったそうです。昭和5年(1930年)に参宮急行電鉄(今は近鉄)の名張駅ができるまでは名張の表玄関だったようです。

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鳥居から宇流冨志禰神社に向かう道には唯一のアーケードがあります。
表通りだったのでしょうね。
今は空き地が広がって不安定な感じ。

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本町通りにはこのような大きな商家が並びます。
ここは大和屋という羊羹屋さん。

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初瀬街道筋の所々には、その付近の昔の写真が掲示されています。
その場にあるというのがポイントで、ありがたい配慮です。

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町家は奥に長く、裏には庭があります。
これは新町の町家。

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高台には名張藤堂家邸跡があります。
一部が残るのみですが、けっこう広い邸です。

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今回見た中で一番気に入った洋館はこちら。
シュロの木があって、お医者さんらしい。
お隣の米屋さんで聞いてみると、やはり、以前は耳鼻科のお医者さんをされていたそうです。大正時代の建築だろうとのこと。

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正面から。西日が強くて、これ以上下がって撮れませんでした。
この元耳鼻科があるのは元町通りで、映画館などもあるモダンな通りだったようです。

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元町通りには、3階建ての写真館「川地写真館」もありました。
そびえるような建物です。大正10年の木造モルタル塗り建築で、当時は2階屋上にテラスがあったそうです。昭和35年頃に内外装を改修、昭和45年には正面部分をタイル張りに改修したとのことです。元々は正面玄関にガラスの三角庇、窓枠はアーチ状だったらしいのでかなり印象が違います。

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写真館のてっぺんには鳩(の形の瓦)。
当時の店主の好みなのだとか。
なかなか楽しい建物です。
残念ながら現在は写真館ではなく、住居として使われています。
(※2008年6月20日に登録文化財に指定され、いろいろ情報が出ていましたので追記しました)

名張は近代の洋風建築はあまりなく、和風建築がほとんど。
街道筋には和菓子屋、酒屋、料亭などが見られ、松崎町のあたりは宿屋だったようです。街の西の方に行くと製材所が多く見られます。

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2007年8月19日 (日)

名張の水路

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猛暑の中、一度歩いてみたかった名張の街を歩いてきました。
名張は大阪のベッドタウンとして有名ですが、名張藤堂家の城下町(城ではなく藩邸ですが)や、初瀬街道の宿場町としての顔もあります。ベッドタウンとして開発されたのは周辺の丘の上で、旧市街の街並みはほぼそのまま残っています。

名張の街を特徴づけているのは水だと思います。
単に水に恵まれているというだけでなく、巧みに城下町に水を引き込んでいます。
上の写真は名張川から堰で導いた水の取水口付近です。

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取水口のすぐ近くには延喜式内社の宇流冨志禰(うるふしね)神社があります。
取水がいつの時代まで遡れるのか分かりませんが、位置的には水分(配水)の位置にあり、水と関係があるのではないかと思われます。
この神社は名張の鎮守的存在です。

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取り込まれた水は、城下(じょうげ)川として街を流れます。
面白いことに、このように家の下を流れている部分もあるんです。家の裏というのはよくありますが、家の下とは。鉄板の通路は奥の家に続いています。

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ここでは家の裏を流れています。
向こうに簡易な屋根付きの橋が見えますね。
どうも家の中の渡り廊下のようです。これも面白い。

小振りながら、このアーチの意匠はいい。
古びぐあいもいい感じ。
この橋は昭和7年(1932年)に架けられています。

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この橋も小さいながら、3連のアーチが刻まれています。
小さいのに名前は立派に「大手橋」。昭和5年(1930年)に架けられた橋です。

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このように修景された区間もあります。
城下川には、季節によっては花筏が飾られるそうです。

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水路はいくつにも分かれながら街を流れ、再び名張川へと帰ります。
名張では、この写真のような細い路地を「ひやわい」という涼しげな名前で呼ぶそうです。水が流れているといっそう涼しげです。

名張には造り酒屋も多く、水の恵み、だけでなく水の利用の巧みさを感じさせます。

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2007年8月 3日 (金)

東京・近代公園めぐり

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最近、近代の公園が気になっているので、東京でも戦前の公園を見てきました。
東京では関東大震災の後、昭和初期に新しい土地区画整理の手法によって復興小公園52ヶ所がつくられ、原型をもっとも留めているのが、文京区本郷の元町公園だそうです。昭和5年(1930年)の完成。
しかも、取り壊される計画があり、保存運動が進められているとのことなので、最優先で見に行ってきました。
公園は本郷台地が神田川で分断されるあたりの台地上及び斜面を利用しています。
最初の写真は斜面下の入り口です。

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見上げると、期待感を高めるテラス。
公園全体はセセッション様式だそうです。

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元町公園というと必ず登場する階段。
公園内の起伏をつかってうまく変化を付けています。

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神田川を望むテラス。
十字に窓が抜かれています。

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こちらは逆に十字の凸模様。
また逆円錐と扇形を組み合わせた水飲み場もユニークです。

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礎石のように見えますが、これは何か不明。

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砂場。奥側が助走路で、走り幅跳びができるようになっているようです。
ちなみに左側は、旧元町小学校の校庭と一体的になっています。小学校とセットになっているのが、復興小公園の特徴だそうです。

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見物の遊具は、この滑り台。
両側に滑り降りる左右対称のデザインです。
こんな美しい滑り台はあまり見ません。
子どもたちのことより、表現意欲が勝っているようではありますが・・・

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そしてこちらは旧元町小学校。昭和2年(1927年)に建てられた復興小学校です。
半円の柱が外壁にすっとのびています。
こちらも公園と一体的に取り壊される計画が。
歴史の記念物として、うまく活用してもらえないものでしょうか。


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もう一つ、こちらは本郷台地の先にある駿河台の斜面を利用した錦華(小)公園です。
元町公園と違って、斜面と斜面下の平地を利用した公園です。
入り口にこのような抽象デザインの門柱が残っています。
ちなみにこの位置から振り返ると山の上ホテルがあります。

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斜面を利用して日本庭園がつくられていて、広さの割に広がりを感じさせる公園です。
このような橋もかかっています。

大阪の区画整理公園の特徴はまだ捉えられていないのですが、東京の区画整理公園は、震災によって一気に整備された分、時代の特徴をはっきり示しているように思いました。

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2007年8月 2日 (木)

学士会館に泊まる(東京)

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先日、オフ会があり、東京に出かけてきました。
いつもはビジネスホテルに泊まるのですが、今回はちょっとこだわって、神保町の学士会館に宿泊。
高橋貞太郎、佐野利器による昭和3年(1928年)の建築です。旧帝大卒業生・教員の親睦のためにつくられた学士会の施設で、今はレストランなど一般利用できるスペースもかなりあります。
4階の宿泊施設は当初からあり、会員外でも利用できます。

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エレベーター・ホール。裏の(でも立派な)玄関から入るとここに出ます。
鋲を打ったような柱が変わってます。

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こちらがロビー。落ち着いた空間です。
照明器具のようにステンドグラスが使われています。

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階段室にもステンドグラス。

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エレベーターで4階に上がると、目の前には本棚。
大学関係者の宿泊施設らしいしつらえです。
表現も女子更衣室・男子更衣室に宿泊室。
この階は宿泊者と会員のためのフロアです。

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宿泊室のロビー。
奥の区画は女子更衣室で、クラシックな雰囲気。
ここにもステンドグラスがはまっています。

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あちこちに本棚が置かれているのが、普通のホテルとの違いといえるでしょう。それぞれ古いもののようです。

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廊下は至ってシンプル。

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室内も白黒基調の落ち着いた雰囲気です。洗面所、トイレ、バスと順に増設されたらしく、それぞれ独立しています。ユニットバスではありません。そして天井が高い。
現在、学士会館は改装中。また何か変わるのでしょうか。

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宿泊は9200円で和洋いずれかの朝食付き(一般価格)。
私は洋食を選んでみました。卵はスクランブル・エッグ、ボイルド・エッグ、オムレツから選べ、肉はハムかベーコンを選択、そしてサラダ、パン、シリアル、ジュース、コーヒー、ヨーグルトというしっかりしたボリュームです。
1階のセブンズ・ハウスで食べる朝食は空間も贅沢です。

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食後は談話室で新聞を読みながらのんびりと。
パブリックスペースがしっかりしています。
このほか屋上庭園もあります。

アカデミックな雰囲気なので、ちょっと場違いかなという感じもありますが、落ち着いて過ごせるホテルです。
ちなみに他の宿泊客は、(年齢層高めの)大学関係者と若い女性グループが多いようでした。

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2007年7月22日 (日)

松江の医院建築

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長々と出雲の建築を紹介してきましたが、
最後に松江の医院建築を紹介します。

街中を歩いていて、すぐに目に付くのが、こちら。
末次本町の浅野小児科医院です。
大正元年(1912年)の木造建築で、小道さんによれば、平成元年に外部の復元工事が行われているそうです。

いかにも品のあるお医者さんという風。
装飾のバランスがよく、窓の桟など美しい分割です。
ピンク基調ですが、ポイントでグリーンを配しています。

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入り口には白い円柱が3本×2。花崗岩でしょうか。
支えるのは地元の大根島石です。

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両脇にはうろこ状の装飾。

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道路との間にはシンプルなデザインが施された石柱(来待石?)が並んで、このスペースに石庭があります。
足下だけをみたら、全体とは違った印象を受けます。

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床下換気口のグリルには、「丸に違い鷹の羽」の紋。おそらく家紋なんでしょう。
この紋は大名の浅野家の家紋らしく、この医院も浅野小児科医院ということは、もしかして浅野家の関係?
そこまでは確認できていません。

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もう一つ、西茶町に気になった建物があり、帰ってから旧三原歯科医院と知りました。大正15年(1926年)の建築。
角の3本の円柱と2階まで伸びる窓、アーチ状の窓が印象に残ります。
アイストップになる場所で、場所がいいので、何かに利用してもらえるといいんですが。

松江にはまだまだ近代建築があり、文化的素養の豊かそうな街で、ストックを活用する民間の動きも見られましたので、これから近代建築も観光資源や商業・文化施設として活用が進むことを期待します。

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2007年7月 9日 (月)

松江の洋風町家

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松江の町を歩いていて、気になる町家がありました。
これです。場所は石橋町。なんとなくスケールが和風ではない気がします。
また側面のデザインも洋風です。

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もう一ヶ所、西茶町にも、同様の町家がありました。
側面に隣の町家の痕跡がありますが、こちらが通常のスケールのように思います。

洋風仕様で建てた町家という感じがするのですが、どうなんでしょう。

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2007年7月 7日 (土)

地元素材の擬洋風(松江・興雲閣)

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今回ご紹介するのは、松江城二の丸に建つ、興雲閣です。
明治36年に工芸品陳列所としてオープンしましたが、その実、明治天皇の山陰巡幸の行在所として建てられたそうです。でも巡幸は中止になり、代わりに皇太子(のちの大正天皇)が滞在、それに合わせて改修されたそうです。
以後、展覧会場や教育委員会の事務所に使われ、昭和48年以降は松江郷土館になっています。

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入り口の車寄せ部分。
建築としては擬洋風建築で、県の技手が設計したと推定されるそうです。
石材などは地元のものが使われています。

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さらに拡大。柱を支えるのは、松江から近い、大根島の島石ー多孔質で黒色の玄武岩質安山岩です。こんなに穴だらけで大丈夫なの?と思いますが、壁や柱を支えているので、強度は十分なのでしょう。床面には来待石が使われています。松江らしい取り合わせです。

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床下の換気口は吉祥模様の分銅をかたどっているようです。
このあたりの部材も大根島石。

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こちらは2階部分。車寄せの真上です。ここは拝謁所として使われたそうです。

なお、郷土館には、昔の貴重な写真などが展示されていて、参考になりました。
白潟の大火や、のち住宅地になった競馬場の写真、橋の模型などを見ることができました。

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2階のベランダ部分。かなり密に持ち送りを入れています。
隣は松江神社。

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瓦屋根には千鳥破風。懸魚までぶらさがって和風ですが、換気口の○と波紋模様?は洋風ですね。

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さて、松江城まで来たので天守閣にも登ります。
天守閣は1607年の築城当時のものらしいです。

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天守閣は他のお城と同様、博物館になっています。街歩きする人に参考になるのが、昭和34年当時の街並みを記録した巨大なジオラマ。映画館の位置や当時残っていた建物などが分かり、非常に参考になると思います。
江戸時代のジオラマもあります。

県立博物館は出雲に移転してしまいましたので、松江の街歩きの参考になるのは、松江郷土館と松江城天守閣の2ヶ所だと思います。

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2007年7月 2日 (月)

松江の銀行建築

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今回は銀行建築です。
お堀越しに建つこの建物は、旧日本銀行松江支店。設計者は長野宇平治なので正統です。昭和13年に建てられました。

平成12年からはカラコロ工房として、体験型の観光スポットになっています。

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もうちょっと近寄ってみましょう。
窓の格子の模様などかなり幾何学的。

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内部は銀行の空間そのままに、工房や店舗をはめこんでいます。窓口などもそのまま。

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2階からみるとこんな感じになります。

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階段室。大理石が張り回されています。
大理石はまだぴかぴか。あまり使ってなかったのでは?

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地下の金庫室も見ることができます。
さすがに分厚い扉。
内部はギャラリーに使われています。

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金庫はアメリカ製でした。
運んでくるのがたいへんそう。

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続いては山陰合同銀行北支店(旧八束銀行本店)です。
角の丸みや窓と窓の間の飾りなど、親しみやすく感じるのは、大正15年という時代のせいか、民間の銀行のせいか。たぶん両方なんでしょうね。

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大正らしい窓間の飾りです。

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次はしまね信用金庫旧本店。
駅前の通りにあります。
こちらは昭和元年の建築です。
「おいしそう」と思う感覚は間違っているでしょうか。
左上の窓がアンバランスに大きいのは頭取室なのかも。

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拡大してみました。
窓の間に控えめに花の模様が入っています。
大正から昭和への過渡期という感じがします。

(追記)うんせきブログさんの記事で、2007年10月にしまね信用金庫旧本店が解体されていたことを知りました。好きなタイプの建物だったので残念です。(2008.7.7記)

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最後にこれも銀行建築です。
明治35年に土蔵造で建てられた旧第三国立銀行松江支店(かげやま呉服店)です。
むしろ呉服店の方がぴったりのような気がします。

まだ他にも銀行建築があったそうで、かつての豊かさがしのばれます。

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2007年7月 1日 (日)

松江堀川めぐり

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今回はいつもと違って(?)表の観光です。
松江といえば水の都。堀川めぐりを紹介しないといけません。
松江城の内堀、外堀をぐるっと回る形で屋形船が運航されていて、途中3ヶ所の発着場があります。料金は1,200円ですが、1日乗り放題というありがたい設定。

上の写真はカラコロ広場発着場です。
船は15分間隔で運行されています。

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船には靴をぬいで乗り込みます。大阪のアクアライナーと比べると、船も小振りなら、水路も小振り。しかしながら、同様に屋根が下がる機構がついています。ここまで下がるので、床に伏せないといけません。ちょっと楽しい。

路線の東半分は民家の裏を通ります。昔は「裏」ではなかったはずですが、船を通すことになったときは反対もあったそうです。今は、船から見えるように、窓際にぬいぐるみをディスプレイしている家もあります。

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到着したのは大手前の発着場。ここから松江城に入れます。

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こちらは路線の西側。緑豊かな水路を走っていきます。

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そして、もう一つの見所がここ。
狭い水路をくぐり抜けます。
ほんとうに狭いでしょう?

堀川めぐりは今年で10周年を迎えるそうです。
神戸出身の市長が、この堀川を生かさないのはもったいない!と始めたそうです。
細々と始めた遊覧船も今ではかなりの船が走っています。

また、楽しいのが船頭さんの解説。
報酬は出るようですが、ボランティア的に運営されていて、例えば、最初に乗ったときの船頭さんは居酒屋のご主人でした。基本的な解説はあるものの、それぞれ方の個性的な解説が入り、特技の歌を披露する方もいたり、何度も乗る楽しみを用意してくれています。

次に来たときもきっと乗ってしまうと思う堀川めぐりでした。

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2007年6月24日 (日)

夕陽の街・松江

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松江は宍道湖の東岸にあります。
逆にいうと、松江の西には宍道湖が開けています。
なので、松江は夕陽の街として知られるそうです。

湖岸の島根県立美術館も夕陽を意識していて、閉館時間は日没後30分に設定されています。これはいいシステムだと思います。閉館時間を覚えていなくても、日の高さを見て、まだ間に合うとか判断できるわけですから。

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大阪も西に開けた夕陽の街ですが、海との違いを感じたのは、この湖面を見たときです。えもいわれぬ色合いは、ここに住む人の美的感覚にも影響しているのではないでしょうか。

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2007年6月23日 (土)

松江モダン

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松江の街といえば江戸時代の城下町。
そして明治の小泉八雲。
それだけでも十分観光できてしまいます。
カラコロ工房という旧日本銀行の建物はありますが、昭和初期というのは、ここではほとんど観光の対象ではありません。

そんな松江で昭和初期のモダン建築が立ち並ぶのが白潟本町。
城下町の中心部からは川向かいで、宍道湖の東岸にあり、江戸時代は廻船問屋が建ち並んでいた商人の街でした。
昭和2年に白潟の大火があり、その後、耐火建築に建て替えられたために、鉄筋コンクリートの建物が並ぶことになります。

最初に紹介するのは尾原ビル(旧尾原呉服店)。昭和7年の建築です。最上階にはかつて宍道湖を眺めるカフェがあり、屋上庭園が今も残っているとのこと。

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松江で最初のエレベーターが付いた、当時かなりモダンなビルだったようです。

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中に入る時間はなかったのですが、入り口のステンドグラスは、微妙な色合いが美しいです。宍道湖の色を思わせます。

※追記
 この尾原ビルが既に取り壊されたことを知りました。
 5月の連休明けに取り壊しになったとのこと。旅行が4月だったので、1ヵ月ほどで消えてしまったことになります。次に行ったときには中も・・・と思っていたのに。はかないものです。(2007.7.10)

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次いでは山陰合同銀行旧本店営業部。
こちらは戦後建築で、昭和28年のものです。

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現在は白潟ギャラリーとして、天井の高いスペースが展示スペースに活用されています。

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そしてこちらが昭和12年の出雲ビルディング。
最上階は増築されているようですが、味があるビルです。
2階にはバルコニーがあります。

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2階以上の部分です。
簡略ながら、ところどころ装飾があります。

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メインの階段。狭いです。
いろんな素材を使っています。
左にある緑色のものは何か分かります?

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ちょっと面白い郵便受です。
がばっと開いて、裏から取り出すようになっています。
ビルの使われ方は大阪などと同じく、ちょっとしたライブハウス&スタジオなどが入っています。

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正面に戻ります。
松葉菱に“I”のマーク。
もちろん、“I”は出雲ビルの“I”で、松葉菱は松江ということではないでしょうか。

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同じ通りに松江バザールというお店があります。
こちらは松葉菱に“B”。同じ空気を共有しています。

尾原呉服店のネオンにしてもそうですが、かつての繁華を想像させる華々しい字体です。今は寂しい商店街ですが、いずれこの資産をもとに復活してもらえばと期待します。

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2007年6月19日 (火)

つぶぞろいの石垣(木曽岬町)

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出張で出かけた木曽岬町、桑名市長島町はいわゆる輪中地帯。
水に漬かることを考えて、高い石垣の上に家を建てています。

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その石垣をみると丸い石がつぶぞろい。
どこもかしこもこんな石垣でした。
川の下流ですから丸い石が多いのでしょうが、この積み方をみると、ここに住む人はまめなのではないかと思います。

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リクエストにお答えして石垣の拡大。
元の写真も拡大していたので、ちょっと厳しいか。
少しずつ違う色の石が混ざっているのがよいです。

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2007年6月17日 (日)

石州瓦と来待石

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来待石についてもう一つ。
島根県は、日本の三大瓦産地の一つ、石州瓦の産地で、赤い瓦が特徴的です。(あと2つは愛知の三州瓦と淡路瓦)
倉吉や津和野など日本海側の街並みを彩る赤瓦が、来待石の粉を釉薬に使っているというのは、今回初めて知りました。来待石そのものよりも広く行き渡っているわけです。

それとともに、島根県内を旅行して気になったのは、鬼瓦に福の神がレリーフされていること。顔の部分だけ来待釉薬がかからず、肌っぽいので生々しくてどきっとします。しかもそれぞれの棟の先に付いていますので、顔がいっぱい。鬼瓦というと、入ってくる邪を払うものと思っていましたが、ここでは逆に福を呼び込むという、発想の違いが面白く思えます。

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軒瓦の端には、よく太陽のような模様が入っていますが、太陽ではなくて唐草らしいです。


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2007年6月 4日 (月)

来待石の町(松江市宍道町)

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出雲旅行のつづきです。
出雲市から松江に移動する途中、松江市宍道町の来待(きまち)に立ち寄りました。ここは宍道湖南岸で、出雲石灯籠の石材である来待石の産地です。来待石は、凝灰岩質砂岩で、非常に柔らかい石材です。

その採石場跡地のひとつを利用して、平成8年にモニュメント・ミュージアム来待ストーンがつくられました。石切場跡、博物館、体験工房、陶芸館(来待石は石州瓦の釉薬にも使われる)などからなる施設です。

博物館には右下に見えるトンネルをくぐって入る演出があります。(私は知らずに、裏から回ってしまったのですが)

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来待石のトンネルを抜けるとこうなっています。
左に見えるのが「三才谷の大岩」と呼ばれた石切場跡。右に見えるのが博物館の建物です。
この石切場では、明治25年頃から昭和30年頃まで、10軒の採石業者によって来待石が切り出されていたそうです(解説板より)。今、広場になっている場所も、元は石山でした。左の壁の高さは約25m。

博物館は来待石の解説から、県内の他の石材まで展示してあって、石好きには参考になりました。
館長さんは熱心な方らしく、自筆の資料がたくさん置いてあります。

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片隅には石切用の機械も置いてあります。
大谷石用のチェンソーを改造したものだそうです。

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採石場跡の壁。四角い石材を縦に切り出していくので、このような形になります。表面にマサカリの跡がついています。この写真ではスケールが分かりませんが、間近で見上げると迫力があります。

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来待石の採れるのは、このような低い丘陵地です。
普通は車で訪れるところ、私は来待駅から歩きました。こういう道は、距離以上に遠く感じられます。

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来待石は江戸時代、松江藩で重用され、採石は来待、加工は松江、と分けられていました。明治以降、来待に松江の石工が呼ばれ、来待にも加工業が根付いたそうです。来待石は今も掘られていて、来待のあちこちに石材店があります。

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水辺に近いというのは、石材産地にとって有利な条件です。来待石が積み出された痕跡を見たいと、宍道湖岸を歩きましたが、ちょっと場所を間違えたようです。恐らくこの写真の右手の方。この写真の中央より左方向が松江です。

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宍道湖のしじみ漁の船がたくさん浮かんでいました。

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来待の集落。
来待石が塀として積まれています。

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地蔵堂にも来待石が使われていました。
来待石なので柔らかみがあります。夕陽が射してなお暖かみがプラス。出雲石灯籠はもっときっちりしてますが、この石灯籠は愛嬌があって、子どもみたいです。

石材産地では、石材がこのようにゆるく、ふんだんに使われていて、町の魅力になっています。
合併によって松江市の一部になりましたが、来待石の資源は、うまく活かしてほしいと思います。

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2007年5月30日 (水)

出雲市今市の用水路

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出雲市の中心部は、今市という町です。
玄関にあたるJR出雲市駅は高架化されて、両側(写真は南側)に広い駅前広場が取られています。
こちらに泊まったのですが、工場の作業服を着た人たちと多くすれ違いました。

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駅前こそ新しいものの、商店街に入るとこのような豪快な商家が並んでいます。かなりの奥行き、そして高さ。この豊かさをもたらしたものは、繊維産業なのでしょうか。今市というからには、“古市”があるはずですが、まだ確認していません。

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商店街に平行する通りに、酒蔵がありました。
旭日酒造の大正15年の酒蔵か。
かなり大きな酒蔵です。

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旧市街の北側に接して、ジャスコと専門店の入るショッピングセンター「パラオ」があります。テナントは、先ほどの商店街の店が入っているとのこと。典型的なパターンです。
この町唯一の映画館(2スクリーン)もこの中にあります。
来年にはさらに北に大型のショッピングセンターができて、10スクリーンのシネコンが入るそうです。これも最近のパターン。

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旧市街の北(パラオの手前)には、江戸時代につくられた人工の用水路「高瀬川」が流れています。高瀬舟が使われたので高瀬川の名になったといいます。京都の高瀬川は、水面が高いから“高瀬”川になり、そこで使われるから高瀬舟と呼ばれると思うのですが、船を介して地名が転写されたとしたら面白いことです。

この川は出雲大社駅の記事で紹介した砂丘地帯の開拓のために、斐伊川から12kmにわたって引かれたそうで、出雲大社に向かうバスから、この川が別の自然の川を越える面白い光景も見られます。

今市の高瀬川沿いは、ちょっとした観光スポットになっています。
ちなみに写真の左にある長田染工場は明治初期の建物です。

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高瀬川を遡るように歩いていくと、こんな写真館がありました。
ちょっとアンバランスな感じですね。でも洋館へのあこがれは伝わります。旧加藤写真館で、大正12年に建てられた、木造の洋館風建築だそうです。

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斐伊川のそばには大津という昔の宿場町があります。
名前からして川の港だったのでしょう。

大津と今市の間には「大正」という地区があります。文字通りにとれば、大正時代に開発された地区。
古い木造の工場があったので、近くの人に聞いてみると、旧カネボウの建物だそうです。数年前に撤退して、今は産廃業者が入っています。昔は女工さんたちで賑わい、集団でジョギングする姿も見られたとおっしゃっていました。このほか、今市には、大和紡の出雲工場(出雲製織(株))、出雲グンゼ(郡是製糸(株)今市工場)もあり、大正時代の木造工場建築が残っているそうです。江戸時代来の雲州木綿、斐伊川の水、そして労働力の条件が重なって繊維産業が集積したようです。

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これが大津の街並みです。斐伊川側から見た写真。
大津にも本町・中町・元町という地名がありますので、立派な町といえます。
宿場町で本陣の建物も残っています。
もう一本左手の道が旧道なのかもしれません。

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斐伊川の土手です。取水口があり、水路に水が導かれています。
これは高瀬川ではありませんが。

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斐伊川に着きました。河原も含めるとかなりの川幅です。
正面に見える橋は、昭和13年の神立橋。全長417mのゲルバー式鉄筋コンクリート桁橋とのことです。

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2007年5月20日 (日)

出雲大社境内

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出雲旅行の話は、まだ続きがあります。
今回は出雲大社の話。やっと境内に入ります。

参道を登り切ったところに現れるのは、正門鳥居、そして、その背後の神苑です。
いよいよ境内という気分。

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ところが鳥居をくぐると松林の長い下り坂。
こういうパターンは珍しいのではないでしょうか。
たいがいの神社は、拝殿・本殿まで登っていくか、あるいは水平だと思います。
砂丘の地形なのか、神苑を担当した伊東忠太の演出か。(伊東忠太が関わっていたと知ったのは後のことで、知っていればもっと注意深く見たのに)

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本殿一帯はこのように山に囲まれています。
一つの山塊というより、たくさんの小さな山に囲まれているよう。正面も丘になっているわけですから、小さな盆地のようなもの。古代以来の神社の空間は、何か特別な場であることが感じられて好きです。

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神社の北には、2つの池が掘られています。正面の広々とした白砂の空間に対して、鬱蒼とした森です。
この日は平日だったのでとりわけ静か。

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その一画には、森の雰囲気に合った彰古館が建っていました。大正3年(1914年)に建てられています。

近道しようと思えば本殿脇の駐車場から歩けばすぐですが、こういう雰囲気全体を楽しむなら、やはり参道から歩いてきた方がいいのではないでしょうか。

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2007年5月12日 (土)

木本・本町通り散歩(熊野市)

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熊野市の話のつづきです。
レンタサイクルを4時半に返し、まだ電車の時間までは1時間あまりありましたので、熊野市の中心部・木本の市街を歩きました。観光案内所で教えてもらった昔の中心地は、その名も本町通り。
海岸沿いに走る国道から平行して1本入ったあたりの通りです。辻では国道越しに四角い海が見えました。

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そして反対側には丘があります。波で浸食された奇岩が街なかにそびえています。
なんと印象的な街でしょうか。
鉄道はこの丘の向こうです。

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あまり分かりやすい写真を撮ってなかったのですが、これが本町通りです。
またの名は木本古道通り。熊野古道が通っていたから。

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そんな通りに近代建築もありました。
西衣料品店です。昭和3年に紀新銀行が木本初のコンクリート造りの店舗として建設したもの、だそうです。つまり元銀行。

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正面2階には、格子戸の通りに異彩を放つディオクレティアヌス窓。

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柱の上部に配されているこのデザインは何のモチーフなんでしょう。

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そして、いつも撮っている床下換気口のグリル。
しゃれてます。

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こちらは新しいものですが、加田捨鉄砲火薬店の看板。
ユニークな看板でしょう。
野生動物の多い熊野らしいお店です。
でも昔は呉服店だったそうです。昭和30年頃に廃業し、昭和36年頃に火薬業を開業。

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もう1軒近代建築がありました。
総合雑貨・消防用品の丸田商店。
でももとは明治39年に建てられた木本町役場だそうです。

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2階部分はその頃のもので、2階内部も残っているという話です。

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こちらは林業家の旧奧川邸。
びしっと組まれた亀甲積み(六角形)の石垣が見事です。
林業をやっていただけあって、建物も立派なもの。

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庭もこんな風に重みのある庭です。
背景の石垣が苔むして独特の雰囲気を醸しています。
今は紀南ツアーデザインセンターが運営するビジターセンター(兼事務所)になっていますので、自由に入れます。古い町家をビジターセンターにするのはよくあることですが、それにしてもぜいたく。

毎朝、釜炒りするというおいしい番茶もいただけます。

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歴史的な街を紹介したあとにこんなお店も紹介しておきましょう。
片岡シェーク店というお店で、シェーク、ラーメン、ハンバーガーという高校生に最適化されたようなメニュー。それもそのはず、近くにこの地域唯一の高校、木本高校があります。
きっと高校生の思い出の店だったりするんでしょうね。
抹茶シェーク180円をいただきました。

最後、時間がなくなって駅まで走ったのでこれ以上紹介できませんが、細い路地など、散歩して面白い街です。

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2007年5月11日 (金)

オープンガーデンがいっぱい(熊野市)

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新宮ではなくて、熊野に行った目的は「オープンガーデン熊野2007」の見学でした。
三重県熊野市が進めている花いっぱい運動の一環で、今年で7年目です。(でも私は初めて)
29ヶ所の庭が4月1日から5月13日まで公開されるという、大がかりなものです。

熊野市駅前の観光案内所にレンタサイクルがあるので、それで回りました。

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オープンになっている庭はガイドブックで分かります。
目印にこんな看板が出ています。
山に波は熊野市の市章。明るく力強いデザインです。

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ゴールデンウィーク中なのでお客さんもちょくちょく訪れます。
ここの方は特に熱心で、仲間で自主的に大阪まで講習を受けに行ったりされるそうです。

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日本庭園に洋風の花が混ざるのが熊野流。
元々、日本の庭は男の領域ですよね。そこに奥さんが鉢やプランターを並べ始めて、和洋折衷になるという様子があちこちで見られました。日本庭園は押され気味です。

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来た人はスタンプを備え付けのシートとガイドブックに押します。
シートには日付とどこから来たという情報を書き添えます。
「あら、大阪から来たんですか?」という会話が楽しみなのでしょう。
いい記念になります。これは今年からの試み。
ちなみに中段に入っているのがガイドブックです。

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こういうのもあります。
ガードレールの下に延々200メートル。
ホースを使って自動散水できるようになっていました。

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手前はオープンガーデンですが、奥は違います。
オープンにしているところ以外にも、何倍もの家が積極的に花を並べています。
通行人の目を意識していますが、「たいしたものじゃないから恥ずかしい」と謙遜してオープンにされない方もおられると聞きました。

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ここは金山地区といって、けっこうきつい坂を上り、トンネルをくぐった向こうにあります。
こちらの方は毎年キャラクター花壇を作られるそうです。
今年はトトロ。もう花も終わりなので、崩れているとのこと。
左手にある東屋は、わざわざつくってもらったのだとか

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同じ家の庭。かなり広いです。
女性の方が、退職後に始められたそうで、道端の植栽から始まって、畑をしていたところも庭にしてしまったそうです。だんだん面積が増えていくという話もあちこちで聞きました。
オープンガーデンは、人口の少ないこの地域で、観光という意味だけではなくて、そこに暮らす人に、人が訪ねてくる楽しみとやりがいをもたらしてくれているようです。

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こちらの庭は車庫の壁面を活用。
市の主催する園芸講座(月1回×10回)を受講して始めたそうです。

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こちらは上の写真と同じ地区。
元々、このような見事な高野槙の生垣がつづく地区です。
高すぎないのがいいです。

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こちらはこの道何十年のベテランの方。
オープンガーデンは勧誘されて始めたそうです。

出遅れたこともあって、回ったお庭は7ヶ所。
どの庭を回っても世話する方がいらっしゃって、お話を伺うことが出来ました。
南国で雨量の多い熊野市では、雑草の育ちもいいので、草ひきが大変とはおっしゃいますが、美しい花を眺められることや、いろいろな人が訪ねてくることで、それ以上の大きな楽しみをもたらしているようでした。


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2007年5月 9日 (水)

寄らされて新宮、西村伊作邸

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寄り道はいつものことですが、今回は寄らされ道。
7分遅れで熊野市に着いた特急のドアが私の目の前で閉まってしまったのです。
何てこと・・・
そのまま新宮まで連れて行かれてしまいました。
おまけに戻る列車は1時間後。
怒っててもどうしようもないので、ここは街あるきです。
観光案内所で地