2017年2月15日 (水)

大毛島から高島へ(鳴門市)

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(訪問日:2016年9月11日)

前回、鳴門の渡船の記事で省略した、大毛島から高島までのサイクリングについて紹介します。
大毛島の北端は鳴門公園で、大鳴門橋が架かり、大塚国際美術館もある観光地ですが、そちらには行かず、小鳴門海峡沿いを走りました。

土佐泊の渡船場に着いたところから。
渡船はすぐに引き返し、タラップだけが残されます。

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土佐泊の集落で写真を撮っていると、近くで作業中の漁師さんに声をかけられました。
有名な鳴門わかめの養殖をされていて、今は網の手入れ中だそうです。
太いロープにビニールのひもをくくりつけたりされていました。

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別の家の前にはたくさんのブイ。

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徐行の手描き標識。
左上に少し写っているのはイカリ?

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前回も紹介した徳岡造船。
今も現役の造船所で、この時も船を建造中でした。

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海辺にはわかめの水揚げ・加工設備が並んでいます。

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収穫してきたら、浜ですぐゆでてしまうということもしているようです。

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穏やかな海辺の道を走ります。
車も来なくて快適。

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こちらは大毛島ですが、本土とは3本の橋で結ばれています。

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船溜まりがあるのは狭い海峡で、ここを渡れば高島です。

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島のお地蔵さん。
松明のような台座が面白いなと思います。

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鳴門の「鳴」の瓦?

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高島は島の名前であり、その中心の集落の名前でもあります。
高島は製塩業の集落で、塩水の水路に囲まれて、古い街並みが残っています。

この石垣のカーブなど美しいですね。
緑泥色の撫養石(大毛島の三ツ石で産する和泉砂岩・鳴門砂岩)と思われます。

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またこういうカラフルな石垣もありました。

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蔵もあります。

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最後に、鳴門塩田公園に塩田の遺構が残っていると知り、それも訪ねてみました。
集落のすぐ近くにあるのかと思ったら意外と離れていて、見つけるのに少し手間取りました。
江戸時代末期の塩田屋敷(福永家住宅)が塩田とセットで残っていて、重要文化財に指定されています。
煙突は製塩用の煙突。

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すぐ脇は水路で、向こうはすぐ海です。
見えているところは製塩作業場です。
右の茅葺き屋根は鹹水溜、その裏に釜屋でいずれも復元、左の小屋は塩納屋です。

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海側から見たところ。居住スペースと蔵。
美しい石垣に囲まれて水に浮かんだようなお屋敷です。
公開されることもあるようなので、見てみたいなと思います。

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こちらは入浜式塩田の跡。
水中にあるコンクリート製の構造物は沼井(ぬい。濃い塩水を抽出するための設備)で、大正時代のもののようです。

江戸時代の塩田屋敷と入浜式塩田がセットで残っているのはここだけらしいので、鳴門に来られたらぜひ見学をお勧めします。レンタサイクルと渡船を使えば、それほど行きにくくはありません。

鳴門塩業HP「これまでの製塩法」

<関連記事>
 「鳴門の渡船に乗る」

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2017年2月 5日 (日)

鳴門の渡船に乗る

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(訪問日:2016年9月11日)

鳴門に行く下調べをしていたとき、鳴門に市営渡船があることを知り、ぜひ乗ってみたいと思いました。
渡船は橋が架かったり、利用者が減るなどして廃止されていきますので、あるうちに乗っておかないと。

鳴門市営渡船は現在3本あり、全て小鳴門海峡を渡る船です。
黒崎・島田渡船は昭和22年に民間から、岡崎渡船は昭和37年に県から運航を引き継ぎ、市道扱いとして、昭和31年から無料で運航されています。コスト削減のため、平成15年から運航が民間(といっても母体は漁協)に委託されて現在に至っています。

渡船は駅からも相互にも離れていますので、観光協会のレンタサイクル(なると街なかレンタサイクル)を借りました。鳴門駅近くのなると物産館で借りられて、1日500円です。名前はらっきょ号(笑)。

最初に向かったのは岡崎渡船です。
結論から言うと、ここが一番雰囲気があってお勧めです。
本土側の岡崎と大毛島の土佐泊を結んでいます。

上の写真は岡崎の乗り場です。
のどかでしょう?

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こちらは待合室。
早い時間からおじいさん、おばあさんが時間待ちをしていました。

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待合室の中はこんな感じ。人が写るので撮ってませんが、左側にテレビもあります。
暑い日でしたが、ここはクーラーが効いています。乗務員の控室も兼用になっているみたいです。

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こちらは時刻表です。
朝6時40分から晩は19時50分まで、朝夕は20〜30分ごとに1日24往復です。
私は昼時に行ったのでちょっと不便な時間帯。

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時間が来ると、船の前をタラップにつけて乗船です。
自転車ごと乗り込みます。

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舳先を上げることなく走って、3分で対岸の土佐泊に到着。
乗客、船員から船、周りの風景まで、のどかさに溢れています。

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土佐泊の待合所は簡易で、バスの待合所程度。

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ここからは自転車で次の渡船に向かいます。
大毛島については改めて紹介したいと思いますが、自転車で走るには気持ちの良い道です。

こんな造船所(徳岡造船)のクレーンの下を回り込むように走り抜けます。
まさに船を建造中でした。

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左手に穏やかな小鳴門海峡を見ながら、橋を次々くぐっていくこの道は車も通らず、サイクリングロードのようです。

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細い水路を越えると大毛島とほぼ地続きの高島。
いろいろ高島で寄り道しましたが、それは別の記事で。

やがて黒崎渡船の高島の乗り場に到着します。
黒崎渡船は、四国側の黒崎と高島を結んでいます。
桟橋が長くて、半分渡ってしまっているのでは?と思うぐらい。
航空写真を見て分かったのですが、桟橋のある部分は浅瀬なんです。

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先端まで行くと待合所があります。

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振り返ったところ。
向こうは高島。

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対岸から渡船が到着。
学生でいっぱいです。
高島には鳴門教育大学があり、その学生が渡船の主要なお客さんのようです。
おかげでこの渡船が一番賑わっていました。

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船の最後尾。

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わずか2分で対岸の黒崎に到着します。

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脇には待合所がありました。

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ここから今度は小鳴門海峡の西岸を北上します。
向かいの高島には、かつて塩田が広がっていました。

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途中、紛らわしい船着き場に迷いながら、ようやく島田渡船の堂浦の乗り場に到着。
ここは四国側の堂浦と島田島(面白い名前ですね)の島田を結んでいます。
他の2つの渡船と違って拠点が島側にあります。
向こうからやってきて、向こうに戻ります。

しかし、船が来る気配がない。

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乗り場を見ていると注意書きがあり、なんと、船が来ないときはこのボタンを押して下さいと書いてあります。あくまで島田島の人の足なんですね。
さすがに渡船に乗りたいからという理由だけで来てもらうのもはばかられ、乗るのはあきらめました。

浮いた時間で北泊まで走り、帰りに小鳴門公園を見つけたのだから良しとします。

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最後に市営渡船ではないのですが、面白い渡船がありました。
島田島にある鳴門シーガル病院に渡る病院渡船です。
病院に通うために専用渡船というのもすごいですね。
すごく興味ありましたが、面白半分に乗るものでもないので、これもあきらめました。

鳴門シーガル病院アクセス


上の地図で赤い線が市営渡船、緑の線が病院の渡船です。

昔の航空写真を見ていて、どういう場所に渡船があるのかなと確認すると、街道の先にあるのですね。
鳴門から北と東に街道が延びていて、岡崎・黒崎の渡船はその先にあります。
渡船は「道」だということがよく分かります。

繰り返しになりますが、とくに岡崎渡船がお勧めです。
気候のいい時にレンタサイクルを借りてぜひ。

<関連HP>
  鳴門市HP「渡船」


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2017年1月14日 (土)

隠れた名所・小鳴門公園(鳴門市)

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昨年9月に鳴門を訪れました。
観光案内所でレンタサイクルを借りて旧街道を走り、古い建物を探したり、市営渡船に乗ったりと走り回ったのですが、その中で印象深い場所に出会いましたので紹介します。

それはほぼ見たい場所は見て、小鳴門海峡の北の入口にある北泊の漁港まで走った帰りでした。
道の脇に煉瓦の不思議なモニュメントが立っているのに気付きました。
それは唐突にあって場に不似合いなぐらい立派。
右から小鳴門公園と書かれています。
が、その向こうはすぐ森で、公園という感じではありません。

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何か解説板などないかと探しましたがありません。
ただこの門があるのみ。
門の中に、説明板があったような痕跡は確認できました。
(もしかして、金属供出された?)

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見上げると木組みが見えます。

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裏側に回るとまた文字があります。
右から「美妙」と書いてあるのでしょうか。

後で『徳島県近代化遺産調査報告書』のリストを調べると、昭和30年以前のものとされています。

しばらく門を眺めていると散歩で通りがかった方がおられました。
「この上に何かありますか?」と尋ねると「広場になっていて、忠魂碑がある」とのこと。
何もないように見えた森ですが、右に登っていく坂道がありました。
それならと、せっかくだから登ってみることにしました。

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落ちている枯れ枝を拾い、蜘蛛の巣を払いながらこんな道を登っていきます。
登山道みたいですね。

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果たして、ぱっと視界が開け、忠魂碑のある広場がありました。
忠魂碑には大正8年と書いてあります。
意外と古い。

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そしてもっと私には興味をひくもの、公園の記念碑がありました!
こちらは昭和4年です。

読んでいる時間はないので、写真に収めておきます。
後で書き起こしてみました。
写真にちゃんと撮れていなくて、判読に難儀しました。
もっとたくさんに分けて撮っておくんだった。


 御大典紀念
 阿波十五景之一
 徳島日日新報社選

阿州の地古来勝景に富む。此処小鳴門峡神燈岩に立つ若葉の鼻より北泊口に至る十八町、処として奇勝ならざるなく絶景ならざるはなし。試に長江此の道に立って眺めるが、俯して千○の碧潭に涖(のぞ)み、仰いで古蹟鐘懸の高峰に対し、左は島田の翠巒遠く連り、右は遥に塩焼く煙騰る竹島を望む。影浦は波穏にして○乎たる六神の社を蘸(ひた)し、船泊間に白鴎と眠る。而して源平の旧址船隠を擁する○霧湾は峡中第一の勝景にして、松翠に水清く、晩岩聳え、錦鱗常に碧淀に○る。若し夫れに潮の満○らんか春○の鼻の近、大小の塩渦洶湧し、波激しては白○を噴き、響轟いては萬雷一時に落つ。忽ち見る一葉の扁舟、矢の如く駛(はし)り来って岩際を掠むるや、瀾跳(なみおど)り舟舞い、将に覆るを免るるを。而して此処を過ぐるは海上已に平遠、一碧萬頃、唯漁○相望み、○乃互に答え、山水愈緑なるを覚ゆるのみ。蓋し潮流の激迅にして盤潮の千変萬化なる他に其比を見ざる所。而も観潮は何れの季として佳ならざるなく、春暁よく秋夜よく雨日亦よし。昭和三年秋、徳島日日新報社広く県下の勝景を募るや、地峡即十五景中の三位に当選す。○つに碑を山上に建て以て之を紀念せんとし、予に嘱して文を撰ぜしむ乃景を○し由来を証して以て之に与うと云う。

 徳島県立中学校長
 従五位勲六等中原宇三郎撰
    勲八等中瀬○太郎書
 昭和四年十月    


 ※旧字体はできるだけ新字体に変更しました。
  ○は判読できなかった文字です。
  カタカナをひらがなに改めました。
  適宜、改行や句読点を追加しています。
  たぶん読み取り間違いがありますので参考程度にご利用下さい。

 要するに、昭和天皇の即位御大典を記念して、徳島日日新報社という新聞社が昭和3年秋に、徳島県民対象に徳島の名所を募り、十五景を選んでその3位に入ったのがこの小鳴門峡だったということです。

公園といってもこれだけかなと、それほど見通しの良くない広場を見渡して、周囲を歩き回ると、裏に下っていくもう一つの道と、忠魂碑の右手奥に続く道がありました。
まだ奥があるのか、と忠魂碑の右手の道をたどっていきます。

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するとコンクリートのベンチが。
「御料理 日之出旅館 仕出し」と広告が刻まれています。
花見弁当の宣伝でしょうか。

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他にもベンチはありますが、広告は入っていません。
ちょっといい眺め。

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突然、鮮やかな赤いベンチが現れた時はびっくりしました。
真新しさが怖いです。

公園には誰一人いない割には整備されていて、後で調べると地元のボランティアの方が毎年草刈りをされているようです。ありがたいことです。

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そしてその先にぱあっと目の前が開けて、眼下に小鳴門海峡を見下ろすベンチがありました。
ここは岬の先端です。絶景ベンチ。

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視線を右に転じると小鳴門海峡がカーブを描いています。

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帰り道からは海峡の出口も見えます。
以前は周囲の木が低くて、もっと海峡が一望できたのかもしれません。

地図で確認すると、小鳴門海峡の真ん中あたりに突き出している岬がこの小鳴門公園です。
近代の公園好きとしては、貴重なものを見ることができました。
普通に景色を眺めてもいい場所です。
記念碑の碑文の撰者が褒め称えるようなことを味わうにはもっとゆっくり過ごさないといけない気がします。気軽に訪ねられる場所ではないですが、再訪する機会があればと思います。


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2016年10月22日 (土)

小豆島・草壁本町から安田へ

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小豆島の草壁本町の近くで見かけた持ち送り。
よく見ると花とトゲのある茎が表現されていて、工芸的です。ノイバラでしょうか。

草壁本町を歩いた後は、バスで小豆島北東部の港町・福田に向かおうとしたのですが、ここでハプニング発生。腕時計の時間がずれていて、バスに乗り遅れてしまったんです。
幸い、瀬戸芸期間ということでバスが増発されていて、2時間待ちぼうけということにはなりませんでしたが、それでも次のバスは1時間後です。
せっかくなので次のバス停まで旧道を歩くことにしました。

これが意外な収穫になりました。

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まず出会ったのが片城橋。
別の親柱に昭和2年と書かれています。

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全体として、こんな風に親柱と一部欄干が残っています。
もう少し先に新しい片城橋があったので、移設されたのかと思いましたが、地図をよく見ると旧片城橋を通る旧河道が確認できます。おそらく河川改修によって河道が直線になり、新たに橋が架けられたのですね。

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佃煮工場の島乃香(株)片城工場の通用門跡?
大正風なデザインです。

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さらに進むと大きな敷地が見えてきました。
歯科医院です。

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下見板張りの建物があって、旧診療所かなと思いました。
戦後っぽい質感です。

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カラフルな石で門柱が作られています。

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破損した部分から煉瓦が顔を見せていて、壁が煉瓦造であることが分かります。

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さらに不思議な建物が。
「内海町片城車庫」と書かれています。
何の車庫なんでしょう。ボンネットバス?

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車庫本体の前に、かわいらしい建物が附属していて、こちらは事務所でしょうか。

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斜向かいにはロープウェイの車両を転用した集会室がありました。
寒霞渓ロープウェイの車体らしいです。
オリーブ畑の中に置かれた車体は、窓が大きくて眺めが良さそうですね。

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安田の町に入ったところで、洋館+和洋折衷住宅がありました。
好みの住宅です。

バスに乗り遅れたおかげで、得る物の多い時間になったと思います。

<関連記事>
 「小豆島・草壁本町を歩く」
 「夏の香川・島めぐり(14)小豆島へ」
 「夏の香川・島めぐり(15)小豆島の醤油工場」
 「夏の香川・島めぐり(16)小豆島の洋館付き住宅・煉瓦」

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2016年10月19日 (水)

小豆島・草壁本町を歩く

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7月の終わり、小豆島に瀬戸内国際芸術祭見学を兼ねて出かけました。
利用したのは神戸発・坂手港行きのジャンボフェリーです。
夜に神戸を出発し、早朝に高松を折り返して坂手港に着きますので、時間が有効に使えます。

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坂手港周辺は前回の瀬戸芸2013の時に見ましたので、すぐバスで草壁港に向かいます。
草壁港のバス停にはびっしり描き込まれた手描き商工地図がありました。

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草壁港内には移築された蔵が2棟並んでいます。
左が宝食品天川亭(旧天川家住宅土蔵)、右が宝食品福井亭(旧福井家住宅土蔵)です。
ともに昭和10年頃。
元の場所から切り離されて港に建っていると浮いた存在感があります。
瀬戸芸の会場になっていました。

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近くを歩いていると古い防潮堤が残っていました。
つまり昔の海岸線はここ。
近くには塩田もありましたし、時代ごとに海岸線が前進しています。

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ここからが本題。草壁本町の旧道沿いを何かないかと歩いてみました。
さっそく現れたのが古そうなショーウィンドウです。
現在の商売は建築資材屋さんです。

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星城小学校の校庭に備前焼の二宮金次郎像を見つけました。
備前焼のは初めて見ました。他地域では金属供出後の代替として作られた場合もあるようです。
備前は小豆島の対岸なので運びやすかったのですね。
備前焼というと狛犬も作っていて、商売の広げ方が面白いと思います。

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街道を歩くと、立派な看板建築がありました。
トキゾウと書かれていて、トキゾウ呉服店です。
営業はされていない様子。

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さらにナカヲ時計店。

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裏側に回ると、隅櫓のような洋風の部屋が立ち上がっています。

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さらに山地呉服店。
右から左の文字で銅板で書かれています。

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その先にアールデコ風の橋があります。
一つ上流に元楊柳橋が架かっていて、たぶんここは楊柳橋なのだと思います。

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楊柳橋から上流を見たところ。
向こうは寒霞渓です。

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旧街道から脇道にも逸れてみます。
立派な門柱のあるお医者さんがありました。

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ここのお宅は地元の名士の方のためか、お庭が面白くて郷土資料館みたいです。
たとえば、こちらに「ときわはし」の親柱があったり。奥にも親柱が見えます。

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さらに草壁町道路元標までありました。
移設でしょうね。

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70年代風の角丸窓がきれいな荒井写真館。

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窓はぷっくりしたタイルで縁取られています。

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カラフルな石を固めた石垣。
暑い日だったのでアイスバーに見えました。

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道脇につな引石というものも。
綱引きの基準線だったのか、あるいはこれ自体を引き合ったのか、詳しいことは分からないようです。

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虎の飾り瓦。面白い。

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このあたりは肥田牛乳エリアで、牛乳箱もありました。

草壁本町は本町と付くだけあって、歴史の蓄積を感じさせる町でした。
この後、旧街道を安田まで歩いたのですが、その話は次回に。

<関連記事>
 「小豆島・草壁本町から安田へ」
 「夏の香川・島めぐり(14)小豆島へ」
 「夏の香川・島めぐり(15)小豆島の醤油工場」
 「夏の香川・島めぐり(16)小豆島の洋館付き住宅・煉瓦」

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2016年8月 7日 (日)

瑞浪の近代建築など(岐阜県瑞浪市)

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先月、多治見市笠原にオープンしたモザイクタイルミュージアムを訪ねる機会があり、翌日、瑞浪の街を歩きました。多治見・土岐については2008年に訪ねていますので、今回は瑞浪を紹介します。瑞浪は周辺の街と同じく陶器の街のようです。

瑞浪の駅前は昭和の雰囲気も残しつつ、駅前広場は明るく整備されていました。

>日常旅行日記「多治見60年代」
     「懐かしの土岐」

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駅前にある地図です。
瑞浪の街は中心部を土岐川が蛇行していて、街が分かれています。
昔の空中写真を見ると、旧市街は川の西側と、瑞浪駅の南側の半島状の地域、線路の北側を平行して通る旧街道のあたりのようです。

駅からは東に本町通り、南西に元町通り、新しく南へ公園通りが伸びています。
旧市街を意識しつつ歩きました。

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まずは東の方、駅前を東西に横切り、角度を変えて土岐橋に向かう、本町通りの周辺を紹介します。
こちらはタチ医院です。
診察室と後ろに続く自宅の2階が下見板張りです。

タチ医院HPの「ごあいさつ」によると、ここは昭和9年に建てられた大竹医院という眼科医院で、その後、外科の「桜井医院」の時代をへて、昭和42年からタチ医院となったそうです。
真新しく見えるのは、平成17年にバリアフリー対応改修をされたからで、それでも古い外観を維持されているのはありがたく思います。

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もう少し駅寄りで気になった建物に、犬養産業(株)瑞浪営業所があります。
これなどもサイディングを外せば本体は古いのではと思ってしまいますが、自分の目に補正をかけすぎかも。

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本町通りは、現在の幹線と分かれた後、角度を変えて、一直線に土岐川に向かっています。

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その道の先、土岐川の向こうに洋風建築と黒い建物があり、アイストップとして呼んでいます。
始禄というのはお酒の名前で、元禄時代創業の中島醸造という造り酒屋さんです。

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手前に架かる土岐橋は昭和5年竣工。
洋館とともに味がありますが、点検結果が良くなく、掛け替えが検討されています。

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この洋館も中島醸造さんの持ち物のようですが、使われている雰囲気ではなく、心配です。
こういう立地の建物は街の顔なので、風景として残ってほしいところ。

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壁には面白いタイルが使われていました。
アフリカで干上がった池の底のような。

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さらに先に進んでみました。
広大な酒屋の敷地を周りこむと、正門前からまたまっすぐ道が伸びて、きれいな水路があります。

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さらに歩いて行くと、古い公会堂がありました。
益見公会堂という看板がかかっています。
今も使われている様子。

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瓦は益見の「益」の字入りです。
益見というのは地区の名前です。

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街の東側はこれぐらいとして、次は街の中心部です。

古い町屋はたくさんありますが、寺河戸町のこの洋風住宅が気になりました。
煉瓦積みの塀があり、2階建ての洋風建築から和風の部屋が突き出しています。

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川の西側は元町という地名が見えますのでどうも古そう。
美濃窯業の2本の煉瓦煙突が目立っています。
奥が大正9年の角形煙突、手前が昭和10年の丸形煙突です。
東濃地方に残る最大級の煙突として、ともに登録有形文化財になっています。

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元町通り沿いの、たぶん元散髪屋さん。

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川の西側は河岸段丘になっていて面白い地形です。

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段丘の上には古い住宅もありました。
とくにこの建物、すごく良い洋館付き住宅です。
洋館部分だけが目立つことなく、和館の中に取り込まれています。

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和館にサンドされた洋館付き住宅も。
たぶん、右側の和館は後から建てられたものでしょう。

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戦後のものという感じですが、消防団の消器庫が下見板張りの建物でありました。

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玄関部分が下見板張りになっている建物もあります。
面白い構造ですが、なぜ玄関が2つ?

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これは何ともいいがたいですが、川沿いに目立つ洋風住宅がありました。
新しそうにも見えますが、気になるので参考に載せておきます。

とくにあてもなく訪ねた瑞浪でしたが、いい建物に出会えました。

<関連記事>
 日常旅行日記「多治見・土岐の記事一覧」

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2016年4月29日 (金)

まちかどの近代建築写真展 in 名古屋Ⅰ 開催中

Machikadonagoya
(名古屋市・敷島湯)

まちかどの近代建築写真展の第1回名古屋展が開催されています。
大阪展では展示しきれなかった「小さな建物たち」の写真800点に加え、地元愛知県の近代建築の写真200点以上、合計1000枚以上の写真が展示されています。

関連イベントもありますので、名古屋でご都合のつく方、ぜひお出かけください。

■まちかどの近代建築写真展in名古屋Ⅰ
 愛知・名古屋の近代建築 & 想い出の商店街
「小さな建物たち」 

開催概要
 場所:公益財団法人名古屋まちづくり公社 
    名古屋都市センター 
    11階まちづくり広場(ボストン美術館同ビル)
 住所:〒460-0023 
  愛知県名古屋市中区金山町一丁目一番一号 金山南ビル内
 TEL:052-678-2200 
 会期:4/26(火)~5/8(日) ※5/2(月)は休館
 開館時間:10時〜18時(最終日15時まで)
 入場料:無料

 招待作家:大場典子氏(針穴写真家)、加美秀樹氏(考現学写真家)、クレメンス・メッツラー氏(イラストレーター)、宮井周平氏(近代建築スケッチ会主宰)

 主催:まちかどの近代建築写真展in名古屋実行委員会
 協力:まちかどの近代建築写真展実行委員会・近代建築探訪メーリングリスト・名古屋スリバチ学会

<関連イベント>
■講演会「あきなうみせがまえ」
 考現学的見地から商店建築(各種商店、遊郭含む)を解説します。
 講 師:フリーライター・考現学 加美 秀樹氏
 日 時:2016年5月1日(日)13:00-14:00(開場12:30)
 参加費:無料
 定 員:60名(先着順)
 場 所:名古屋都市センター11階ホール

■発表会「近代建築~私の1枚」
 自分の好きな建物の写真を1枚持ってきて、語っていただきます。
 発表者は自由参加。
 日 時:2016年5月1日(日)14:00-15:00
 参加費:無料
 場 所:名古屋都市センター11階ホール
 お申込は下記まで。
 E-mail tatemono2016@gmail.com (写真展実行委員会)

■ギャラリートーク
 全国の近代建築を撮り歩いてきたお二人による写真解説
 スピーカー:岡崎紀子氏、前村敏彰氏
 日 時:2016年5月8日(日)
    第一回 10:30〜  第二回 11:30〜
 参加費:無料

■講演会「まちの宝物・産業遺産の魅力を探る
    ~熊本地震を機にまちなか建築の価値を考えよう~」

 講師:市原猛志氏(九州大学百年史編集室助教、
     北九州市門司麦酒煉瓦館館長、産業考古学会理事) 
 日 時:2016年5月8日(日)13:30-14:30
 参加費:無料
 定 員:60名(先着順)
 場 所:名古屋都市センター11F ホール

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2016年3月25日 (金)

大正の鶴舞公園(名古屋市)

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鶴舞公園平面図、大正初期(佐藤昌『日本公園緑地発達史・下巻』、1977年、p349)
※クリックすると拡大します

名古屋の鶴舞(つるま)公園探訪の続きです。
鶴舞公園は第10回関西府県連合共進会の会場となった後、明治45年から跡地の本格的な整備に入り、大正時代にほぼ完成しました。
今回の記事では大正時代の鶴舞公園について紹介します。

今回の写真もとくに注釈がなければ、2015年1月のものです。

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公園内に掲げられていた私立名古屋図書館の解説板。
※クリックすると拡大します

大正年間には公園内に文化・スポーツ施設が整備されていきました。
大正2年、共進会時の林野別館を改造して、竜ヶ池畔に私立名古屋図書館が開館しました。
写真を見て分かるように、浮見堂のたもとにありました。

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大正12年、図書館は市立名古屋図書館となって鯱ヶ池(今はベビーゴルフ場)畔に移転し、現在の図書館は昭和59年に新築された名古屋市鶴舞中央図書館です。

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大正2年には運動場も整備されます。
平面図で見ると今の運動場をトラックと野球場の2つに分けたような状態です。
さらに昭和7年、鶴舞公園運動場が開設されます。
スタンドがとても低い。

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運動場外周の石垣。
どの時代かは分かりません。

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小さな門。古そうにも見えます。

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運動場の土手上にあった水飲み場。
石造なのがレアに思います。

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園内解説板によれば、大正7年、私立浪越動物園より寄贈を受けて、市立動物園が開園しました。
現在、通用門の門柱のみが残っています。

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動物園があった場所。
面積1.2ha、飼育動物は250種800点に及びました。
動物園は昭和12年に東山に移ります。

日常旅行日記「東山公園・動物園」

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※クリックすると拡大します

大正12年には沼沢地を改造して菖蒲池ができました。
戦時中はイモ畑、麦畑になりましたが、戦後復元されました。

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※クリックすると拡大します

胡蝶池から流れる川をまたいで、石積の橋があります。

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橋の親柱はアーチのデザインです。
未来派といえば良いのでしょうか。
菖蒲池ができたのと同じ、大正12年の文字が入っています。

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※クリックすると拡大します(再掲)

前の記事でもこの写真を使いましたが、関西府県連合共進会の会場の北部18406坪は明治44年に県立愛知医学専門学校・愛知病院の用地として譲渡され、大正3年に新築移転してきました。
現在は名古屋大学医学部と附属病院です。

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※クリックすると拡大します

建物は新しくなっているものの、校門が残っています。

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愛知県立医学専門学校の正門。

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正門両脇の壁と柱は、スクラッチタイルとテラコッタ、石の組み合わせで、は虫類の皮膚のようです。

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こちらは県立愛知病院の正門。
学校の正門との違いがほとんど分かりません。

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※クリックすると拡大します

もう一つ、鶴友会館の門があって、こちらは塀と同様のスクラッチタイル+テラコッタ+石の正門です。

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※クリックすると拡大します

ゆるやかな傾斜がついているので、塀が少しずつずれて上がっていくのが面白いところです。

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『名古屋市全図』(大正15年)より鶴舞公園周辺
※クリックすると拡大します

そして大正末年にはこんな配置になっていました。
右端の八幡山古墳が公園に取り込まれたのは、大正8年のことです。
既に周囲の都市化が進んで、学校や住宅地に囲まれています。

(参考)
 名古屋市みどりの協会HP「鶴舞公園の歴史」
 愛知県教育委員会『愛知県の近代化遺産』(平成17年)
 佐藤昌『日本公園緑地発達史・下巻』(昭和52年)

(関連記事)
*名古屋の近代公園
 「中村公園のラジオ塔?」
 「名古屋のラジオ塔、再び」
 「東山動物園の旧モノレール」
 「東山動物園の恐竜像」
 「東山公園・動物園」
 「東山植物園の温室」
 「道徳公園のクジラ像」
*全国の近代公園
 「近代の公園」(目次)

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2016年3月20日 (日)

明治の鶴舞公園(名古屋市)

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2015年1月に名古屋の鶴舞(つるま)公園を訪ねました。
明治42年開園の歴史ある公園で、広い園内には近代の遺産がたくさん残されており、近代の公園好きとしては外せない場所です。
数回に分けて紹介します。

なお、写真はとくに注釈のない場合は、2015年1月時のものです。
古い記事となってすみません。

鶴舞公園は軸線が強く意識されている公園で、この写真は鶴舞駅前の入口から、ヒマラヤ杉の並木を通って噴水塔に至る中央の軸です。ヒマラヤ杉のうち何本かは、後で紹介する明治43年の関西府県連合共進会の際に植えられたものだそうです。

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この中央軸は公園の外にも続いていて、JRの高架に、明治42年の開園時に作られた扁額の復元品が掲げられています。開園時の内閣総理大臣だった桂太郎の筆によります。元々のものは戦時供出されたそうです。

さらにこの先、軸を延長すると新堀川(旧精進川)に至るのですが、そこには記念橋が架かっています。
新堀川とは、新堀川を掘るときに出た余った土砂を、鶴舞公園造成に使ったという関係にあります。

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※クリックすると拡大します

これが現在の鶴舞公園の配置図です。
噴水塔を中心に放射状に軸が伸びているのが分かります。
大きく分けて、左上が洋風公園、右上が和風公園、下が運動公園になっています。

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「第10回関西府県連合共進会会場全図」(愛知県教育委員会『愛知県の近代化遺産』(平成17年)、p331より引用)
※クリックすると拡大します

元々鶴舞公園は、第10回関西府県連合共進会の会場として整備されました。
京都の岡崎公園、大阪の天王寺公園(ともに内国勧業博覧会を機に整備)と同じ成り立ちの公園です。

関西府県連合共進会は、内国勧業博覧会(万博のといった方が分かりやすいか)の地方版で、明治16年の大阪開催から2〜5年ごとに各府県持ち回りで開催されていました。

明治43年の名古屋開催は、名古屋開府300年記念事業として、愛知県は前回の三重県開催から予算規模を4倍に増やすという熱の入れようでした。共進会は入場者236万2748人を集めて大成功し、「名古屋が近代的城下町から近代都市へと発展する契機になったと評価され」ています。

多くの施設は仮設でしたが、噴水塔、奏楽堂、貴賓館(聞天閣。戦災で焼失)の3つが永久建築として建設されました。図は左が北なのでご注意下さい。

共進会終了後、永久建造物を残して仮設建築を解体し、本多静六博士、鈴木禎次工学士の設計で、公園の再整備が行われました。

会場の左側(北側)部分は、明治44年に愛知医学専門学校、愛知病院の敷地として譲られ、現在は名古屋大学医学部・附属病院となっています。また後に八幡山古墳が公園に追加されました。

(参考)愛知県教育委員会『愛知県の近代化遺産』(平成17年)
    佐藤昌『日本公園緑地発達史・下巻』(昭和52年)
    名古屋商工会議所HP「第10回関西府県連合共進会」

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共進会の絵葉書(著者蔵)。写真が裏焼きだったため、反転。
※クリックすると拡大します

ちょうど共進会開催時の絵葉書がありましたので、紹介しておきます。
手前が噴水塔で、当時は側面の小池と背面の大池はありません(大正3年に付加)。

左に一部見えているのが会場入口、その奥が展示館の南翼、一番奥に見えるお城は愛知県売店で、右に見える立派な建物は大阪府売店です。

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さて現在の噴水塔全景です。
地下鉄鶴舞線の建設工事の際に一度解体されましたが、元通りに復元されました。

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※クリックすると拡大します

もう少し近くから。
全体的には西洋古典様式のデザインです。
設計は鈴木禎次・鈴川孫三郎。

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中央の噴水塔。
足元には木曽川から運んだ岩が配されていて、ここだけ和風です。

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名古屋市章が入った水盤。
カラスの水飲み場に。

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噴水塔のステージ上から公園入口を見たところ。

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絵葉書より(筆者蔵)。

前池の両脇にある塔には、元は照明器具が付いていました。

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絵葉書より(筆者蔵)。

夜はこのように灯りが灯っていました。

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(2016年1月30日撮影)

こちらは共進会時のもう一つの記念物、奏楽堂です。
こちらも鈴木禎次の設計。ルネサンス風で、細部にはアールヌーヴォー風のデザインも入っています。
当初は木造だったのですが、昭和9年に室戸台風で大被害を受けて取り壊され、昭和12年にRC造のシンプルなものに建て替えられました。その後、2代目の奏楽堂も取り壊され、現在は平成9年に創建当初の形に復元(ただし柱は鋼柱に)された3代目奏楽堂が建っています。

奏楽堂が重要な意味を持つのは日比谷公園と同様で、「当時は公園の奏楽堂で軍楽隊の演奏を聴くことが文化の先端を行く風潮であったと考えられる」(『日本公園緑地発達史』)そうです。

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周囲の柵には音符が配されていて、君が代の楽譜になっているそうです。

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奏楽堂の脇には、2代目奏楽堂の棟飾りと舞台の縁石を利用したモニュメントが立てられています。
こちらはアールデコですね。

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※2万分の1迅速図「名古屋」(明治24年測図)。この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。
※クリックすると拡大します

ところで、少し話を戻して、鶴舞公園がどんな場所に作られたかということも見ておきます。
開園前の敷地は名古屋市街地の外、御器所村です(明治42年名古屋市に編入)。
台地沿いの低湿地で水田や大根畑が広がっていました。
そのため、新堀川の土砂で埋め立てたわけです。

公園内にはその時の痕跡もあって、竜ヶ池は潅漑用のため池でした。

>もう少し広範囲の地図はこちらをどうぞ
 「今昔マップ on the web」鶴舞公園付近

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古写真「愛知医学専門学校及び愛知病院全景」(筆者蔵)
※クリックすると拡大します

この古写真は恐らく大正初期のものです。
大正3年に移転してきた愛知県立医学専門学校と附属病院を写した写真ですが、手前に鶴舞公園の竜ヶ池が大きく映り込んでいます。
右の小川から水が流れ込み、左の堰堤で堰き止めているため池の様子がよく分かります。

右下にはたぶん護岸用の石、左奥には多くの土管が積まれていて、改修工事進行中の様子が伝わってきます。

なお左に映っている浮見堂は、空襲時の爆風で飛ばされましたが、同様のものが再建されています。

周辺の下水道が整備されるとともにため池に流入する水が減り、水質が悪化したため、昭和30年には近くのビール工場から冷却水の余り水をパイプで引いて、落差4mの酒勾の滝というものが設けられました。ビール工場が平成12年に閉鎖されたため、今は水を引いていません。

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現在の竜ヶ池を北から写したものです。正面に浮見堂が見えます。

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浮見堂を近くから。

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竜ヶ池に流れ込む水路。

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日本庭園には、共進会開催に合わせて作られた池があります。
その一つが胡蝶ヶ池。
鈴菜橋を中心に、蝶が羽を広げたような形をしています。
この写真に写っている南側部分は、終戦後、進駐軍により埋め立てられ、ベビーゴルフ場になっていましたが、昭和30年に復元されました。

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また胡蝶ヶ池から出た水は秋の池に注ぎます。
秋の紅葉が美しい樹木を植えた池です。
その後、春の池、夏の池へと水を流す予定でしたが実現していません。
春の池・夏の池は、今の庭球場、公会堂のあたりです。

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最後にちょっとユニークなものを。
公園の北東にあるソテツです。
公園開設時に鬼門を抑えるために植えられたらしいです。
江戸時代の残像を感じる、初期の公園らしい設計配慮だなと思います。

(参考)
 名古屋市みどりの協会HP「鶴舞公園の歴史」
 愛知県教育委員会『愛知県の近代化遺産』(平成17年)
 佐藤昌『日本公園緑地発達史・下巻』(昭和52年)

(関連記事)
*名古屋の近代公園
 「中村公園のラジオ塔?」
 「名古屋のラジオ塔、再び」
 「東山動物園の旧モノレール」
 「東山動物園の恐竜像」
 「東山公園・動物園」
 「東山植物園の温室」
 「道徳公園のクジラ像」
*関連する公園
 「博覧会跡の岡崎公園」
 「日比谷公園の明治」
*全国の近代公園
 「近代の公園」(目次)

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2016年2月14日 (日)

名古屋のラジオ塔、再び

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以前、名古屋の中村公園にラジオ塔らしきものがあったと報告しました。
「中村公園のラジオ塔?」
ラジオ塔というのは戦前、ラジオの普及を目的に公園など人の集まる場所に設置された街頭ラジオです。

再び名古屋に行く機会があり、ラジオ塔がありそうな公園をまとめて回ってきました。
資料は、『ラジオ塔大百科』のイチマンさんに教えていただいた『名古屋の公園』です。
昭和18年5月発行の冊子で、昭和18年4月1日現在の公園の状況が載っています。

それによると、ラジオ塔があったのは、
・鶴舞公園
・中村公園
・志賀公園
・南久屋公園
・道徳公園
・松葉公園
・上名古屋公園
の7ヶ所です。

既に中村公園、志賀公園を確認しました。
南久屋公園の場所はよく分かりません。
ということで、再訪の鶴舞公園を含めた4公園を見に行きました。

最初の写真は志賀公園です。
和風の池があります。その池畔に立って見渡したところ、すぐに特徴的な塔に気がつきました。
気持ちを落ち着けながら、近づいていきます。

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これは間違いないでしょう。
背面を除く3面の開口部。灯籠に似た姿。中村公園、道徳公園のラジオ塔に共通する4本足です。
こんなに目立つところに普通にあるとは。

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もう少し近寄ります。

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※クリックすると拡大します

逆に背後から、ラジオ塔目線で見ると、グラウンドに向かって建てられています。
これならラジオ体操をするにも最適です。

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さらに土台の背後に銘板がはめられていました。
非常に読み取りづらいのですが、
「贈西志賀土地区画整理組合
 昭和十七年八月竣功」
と刻まれているようです。
つまり区画整理事業の竣功記念に建てられたと。
これは貴重な記録だと思います。

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ラジオ塔近くの縁石はつぶつぶの丸石を表面に貼ったコンクリート。
これも昔のものかもしれません。

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※クリックすると拡大します

公園の地図でいうと、ラジオ塔は、池の左下の位置にあります。

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次に松葉公園。
最後に回ったので日が暮れかけていました。
こちらも和風の池が雰囲気のある公園です。
池の周りをぐるっと回りましたが、ラジオ塔らしきものはありません。

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公園の入口にはよく育った森がありました。
気になる広場がありましたが、ここにもありません。

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あきらめ加減で、遊歩道を歩いていると、道の脇に隠れるようにそれはありました。

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これもラジオ塔に間違いないでしょう。
背面を除く3面開口で、基本的な形は、志賀公園のものによく似ています。
ただし、4本足ではなく、アーチ型に凹んでいます。

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背面から見たところ。
埋めたというより、こういうデザインのような気もしますが、どうでしょう。
くりぬけば志賀公園のラジオ塔にそっくりです。

ただ気になったのは、向きが不自然なことで、どこかから移動させられたのではないでしょうか。
例えばグラウンドを整備する際に邪魔になったとか。

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※クリックすると拡大します

地図でいうと、ラジオ塔は野球場に東側の遊歩道脇にありました。

以上、2公園でラジオ塔らしきものが確認できました。

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鶴舞公園のラジオ塔は情報が多いです。
『名古屋の公園』の中に一項目立てられており、
「胡蝶ヶ池北辺に設備し燈籠の型を為し利用頗る多い」
位置も形も明治されています。

ただし、胡蝶ヶ池の北側に行ってもそれらしきものはありませんでした。
このあたりの開けた場所にあったのでしょうか。

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池の北に、うち捨てられた灯籠の台座らしきものがありました。
気になりますが、ラジオ塔にしては支えが小さい気がします。

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また池の南には灯籠があり、電気もついていたようですが、やはり普通の灯籠でしょうか。
鶴舞公園はラジオ塔の収穫なしでした。

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上名古屋公園は、相当大きく改修されていて、門柱以外に目立った古いものを見つけられませんでした。小さな公園なので、そう見落としもなさそうです。

トイレの裏に、ひとつ何かの台座の遺構があり、気になりました。

これまでのところ名古屋では、
中村公園、志賀公園、松葉公園の3ヶ所でラジオ塔らしきものを確認し、道徳公園ではラジオ塔の台座らしきものを確認しています。元にした資料はあくまで昭和17年4月1日現在のものであり、それ以後に建てられたものがないとは言い切れません。
今後も名古屋の近代の公園をめぐるついでに、ラジオ塔についても探していきたいと思います。


<関連記事>
 ○ラジオ塔について
  「中村公園のラジオ塔?」
  「円山公園のラジオ塔」ほか
  「中崎遊園地(明石市)のラジオ塔」
  「大浜公園(堺市)のラジオ塔」
  「萩児童公園(京都市)のラジオ塔」
  「諏訪山公園(神戸市)のラジオ塔」
 
 ○近代の公園について
  「近代の公園目次」

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