2017年8月14日 (月)

加賀石の里めぐり(4)大聖寺の近代建築など

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2017年5月の加賀旅行の記事です。
今回は石はあまり関係ありません。

金沢に行く途中に大聖寺という駅があるのは知っていましたが、降りたのは初めてです。
かつてあった大聖寺という白山信仰のお寺が地名の由来であるものの、その存在感はあまりなくて、大聖寺城の城下町という性格が強いようです。江戸時代は加賀藩の支藩・大聖寺藩でした。

大聖寺駅のホームに降りると、古い工場建築が目に付きます。
チェーンを作っている大同工業の大きな工場が駅の南側一帯を占めています。

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このようにノコギリ屋根が連なっているのが壮観です。

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本社事務所も近代建築です。

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町は駅の北側に広がっていて、歩いて行くと塔屋のある建物があります。
現在はヘアーサロンオダです。
あまり古そうに見えないながら、写真に撮って後で確認すると、近代建築総覧にも載っていて、大正4年に建てられた旧物産館となっています。最初は旧八十四銀行としているページもありますが、未確認です。

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明るい色の蔵。
色合いからすると観音下石(日華石)でしょうか。

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やや行き過ぎて、旧市街に戻ってくると、旧大聖寺川に趣きのある橋が架かっていました。
福田橋という名前で、親柱には昭和11年と書かれています。鋼ボーストリングトラス橋という形で、大聖寺にはもう一つ同じ形の二天橋(昭和6年)があるそうです。私は未確認です。

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真横から見たところ。
美しくて、渡ったり、くぐったり、ぐるぐる回って眺めてしまいました。

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こちらは水口製材所さん。
小さな事務所があって、母屋から渡り廊下でつながっているのが面白いなと思いました。

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西に進むと大聖寺流し舟八間道船乗場。
左に電車が見えますでしょうか。待合室に使われています。
今回、舟には乗っていません。

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また旧大聖寺川を渡った先に、深田久弥山の文化館として使われている、旧山長織物会社の事務所がありました。
新緑の銀杏の大木との取り合わせが絶妙です。樹齢650年とか。

山長織物会社事務所は明治43年に建てられ、昭和50年代半ばに工場が移転した後も、平成10年までは住居として使われていました。その後、加賀市が取得して現在に至っています。

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敷地の端には、生糸保管庫として使われていた石蔵があります。
ここが展示室です。明るい石は観音下石(日華石)? でもちょっと時代が合わないかも。

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蔵の内扉には、打出の小槌の鍵穴隠しが付いていて、チャリンと小判の蓋を動かして鍵を差し込むという遊び心ある仕掛けになっています。

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深田久弥は山長織物会社とは関係なくて、もう少し南に行ったところに深田紙店という実家が残っています。
日本百名山の著者として知られています。
白山を眺めながら育ったのですね。

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大聖寺には立派な商家がたくさんあり、その一例として大野保平商店。
今も現役のようです。

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ちょっと面白い蔵の換気口金物。
泣いているみたいです。

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大聖寺中新道の西野縫製工場も古い工場のようです。

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そして大聖寺に行くなら訪ねて見たかったのが、彫金工房「月」・カフェサロン「銀」となっているこの建物。
昭和10年に建てられた牧野歯科医院をリノベーションしたものだそうです。
インスタグラムなどで見かけていて、ぜひ行ってみたいなと。
帰る日にお茶しに寄りました。

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廊下には長い栗材が使われていて、ほとんど狂いがないそうです。

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シャンデリアの根元の飾りも透かしの入ったモダンなもの。

今は彫金工房とカフェになっていますが、歯科医院時代の道具なども壁にオブジェのように飾っていて、うまく継承されているという印象を受けました。

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最後に帰る間際、たまたま通りがかった旧那谷医院。
小さくてとてもかわいらしい診療所です。
今はなんとタビト學舎という塾になっているそうです。
この時は写真の設定を失敗したので、改めて撮りに行きたいと思います。


大聖寺はゴールデンウィークというのが嘘のように静かでした。
街並みも美しく、もっと評価されていい街のように思いました。


<関連記事>
 「加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡」
 「加賀石の里めぐり(2)ハニベ巌窟院」
 「加賀石の里めぐり(3)遊泉寺銅山跡」

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2017年7月 3日 (月)

鳴門の石材

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鳴門の記事の(たぶん)最後に鳴門で見かけた石を紹介します。
鳴門を歩いていると、緑がかった石をよく見かけました。
上の写真は撫養町斎田にあるお寺の裏の石垣です。

「和泉砂岩ではないか」と教えていただいて調べてみると、和泉砂岩系の撫養石(むやいし)ということが分かりました。


(日本シームレス地質図より)

凡例が被さってて見にくいですが、
鳴門周辺の地質をみると、グリーンのところが和泉砂岩ということになると思います。
撫養石の産地は大毛島の真ん中辺りにある三ツ石だとのことです。

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撫養石の石垣がよく見られたのが、撫養街道から一本南側の通りです。

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撫養街道側が高くて、裏通りには勝手口から階段を下りる形になります。
昔は水路が流れていたのではないでしょうか?

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こちらも同じく。
石垣が表面がきれいに揃っています。
階段の色が違うのは耐久性重視で花崗岩を使っているのかもしれません。

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同じ並びに市杵島姫神社があって、ここの石垣も撫養石。

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一方、県立の鳴門高校の校門では阿波青石(緑泥片岩)が使われていました。
徳島=阿波青石ということで、地域の素材として使ったのだと思いますが、どのスケールで考えるかですね。現在撫養石は入手しにくいのかもしれませんが。


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他に、撫養川の東側(林崎のあたり)で、こういうカラフルな石垣がありました。
赤い石はチャートでしょうか。

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さらに塩田の町、鳴門町高島に行くとこんな美しい石垣がありました。
絵画作品みたいです。

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同じく高島の撫養石の石垣。
塀のカーブがきれいです。

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撫養町小桑島のあたりでしょうか。
石造のお地蔵さんの祠で、これも撫養石だと思います。

地元の石材が使われていると、町の色合いが出て良いですね。


<関連記事>
 「鳴門の近代建築など(1)」
 「鳴門の近代建築など(2)」
 「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」
 「隠れた名所・小鳴門公園」

 「加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡」
 「来待石の町」
 「竜山石を訪ねて(1)石切場めぐり」

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2017年6月30日 (金)

鳴門の近代建築など(2)

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近代建築などを中心に、鳴門の記事の続きです。
これも2016年9月11日の記事です。

まずは撫養川に架かる文明橋から。
この橋、昭和13年に架けられたもので、渦潮のデザインが良いです。
この頃から既に渦潮を推してたんですね。

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出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
   「鳴門海峡」USAーM263-23 昭和22年米軍撮影 を加工

位置を確認します。
前回は撫養川の西側を紹介しましたが、今回は撫養川の東側から撫養港まで近代建築などを中心に紹介します。
お遍路さんの通り道である、撫養街道に沿う地域です。

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橋の欄干はアーチの連続です。

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橋の東側はちょっと広がって渦巻く装飾がありました。

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文明橋から撫養川に沿って少し北上すると、美奈登橋があります。こちらは昭和10年。「湊橋」と書けばよいところ、少し気取った漢字を当ててます。

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橋の下には雁木の荷揚場がありました。
左側の岸壁もアールの付いた縁石を使っていて古そうです。
ちなみに対岸右手に見えている丘は、これから向かう方向にある妙見山です。
その向こう側に撫養港があって、港の目印になる山です。

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撫養川を渡って、林崎の集落に入りました。
養老湯の跡を確認するためです。
ここには事前確認して行きました。
2009年末に廃業されたとのことで、緑の侵食を受けつつありました。

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2階の窓には色ガラスが使われています。
洋風の雰囲気です。

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この時はレンタサイクルでの移動なので、寄り道していると、北浜集会所というのがありました。昭和20〜30年代といったところでしょうか。潮風に色あせて味が出ています。

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撫養街道に沿って進んでいくと、モダンな住宅がありました。
古いようなのですが、かなりきれいにしています。

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玄関周り、水平、垂直の線で構成されていて、とてもシュッとしています。

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妙見山が近づいて来ました。
左側から回り込みます。

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港のすぐそばまで来ました。
これは元料亭などでしょうか。

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撫養港の周辺には今も旅館がありますが、関西方面から船でやってくるお遍路さんで賑わった昔は、もっとたくさんの旅館があったのでしょう。朽ちかけています。

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緑に埋もれている建物は、水の旅館の旧館です。
2棟のうち1棟は戦前の建物だそうです。
右に新館が建っています。

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小屋裏の換気口はちょっと変わったデザイン。
中を見学できれば良いのですが。

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水の旅館の前で撮ったパノラマ写真です。
左に大毛島、遠くに淡路島が見えています。
ここが撫養の港です。

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昔は船が着いたのですね。
フェリー待合室が閉め出されてトマソン化しています。

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前に「渡船の記事」で紹介した岡崎渡船
の隣に元幼稚園らしき廃屋がありました。
下見板張りです。

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左側の建物。
下足箱があるので、幼稚園かなと思ったのですがどうでしょう。
気になります。

鳴門で気になった主な建物は以上です。
よほど生育環境が良いのか、植物の強さが印象づけられました。

<関連記事>
 「鳴門の近代建築など(1)」
 「隠れた名所・小鳴門公園」
 「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」
 「鳴門の石材」

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2017年6月29日 (木)

鳴門の近代建築など(1)

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随分間が空きましたが、鳴門の記事の続きです。
訪問日は2016年の9月11日。
鳴門の近代建築などを紹介します。

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出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
    「鳴門海峡」USAーM263-23 昭和22年米軍撮影 を加工

鳴門を訪ねるにあたって、事前に空中写真で旧市街を確認しました。
写真を見ると東西に延びる市街地と南北に延びる市街地があります。
その交点が上の写真の場所です。
道路元標を置くならここしかないという場所ですが、道路元標は見あたりませんでした。

まず東西の道は撫養街道です。関西方面から船でお遍路さんに来るとまず上陸したのが撫養港で、そこから撫養街道をたどって札所を目指したそうです。
南北の道は渡船場につながっていて、その先は高島です。

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まず南北の道を北上しました。
すぐに現れたのがこのピンクの建物。
とても目立っています。
窓の桟や水平線も主張しています。

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玄関脇にはダイヤの窓も。

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途中で裏道に入って、造り酒屋の花乃春酒造さん。
登録有形文化財のプレートを掲げておられました。
創業文化11年(1814年)で、正面に見えている仕込み蔵と左手にある瓶詰め蔵は昭和18年のもの。
お酒の販売もされています。

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撫養小学校の裏門。
元は正門だったのではないかという重量感があります。

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小学校の向かいにある斎田集会所はそこそこ古いのではないでしょうか。
サイディングに覆われていますが、後ろに回ると下見板張りです。

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撫養街道まで戻ってきました。
ダルマヤ薬局の磨りガラス文字。

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医院の建物に隣接してピンクに塗られた下見板張りの建物がありました。
元は医院関係で使われていたのではという気がします。

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またこちらも裏通りにある、住宅にしては立派な建物。

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玄関上の破風部分に亀甲模様が入っていたり、漆喰細工のようなものがあったり、凝っています。

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再び撫養街道に戻って、西に向かいます。
初めて見るとインパクトのあるおたふくさんの鏝絵看板。

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洋風付き町家。
町家で部分的に洋風なのが面白いです。

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これはたぶん銭湯跡でしょう。
屋根が落ちていて残念です。

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西に歩いて行き、三拍子酒造の煙突に誘われていくと、レトロな浜田煙草店がありました。大正9年の建物だそうです。

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玄関脇のこの小窓は何でしょう。
たばこの販売窓口?
このあたりで引き返しました。

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鳴門市街中心部に戻ってレンタサイクルを借りた後、渡船をめぐって、小鳴門海峡の北の入口にある北泊まで走りました。その途中にあった、瀬戸小学校の門柱。左側の門柱には「瀬戸幼稚園」と書かれています。

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堂浦の集落にあるよろず屋。
漁村にしっくりきます。

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玄関上の磨りガラスと桟が凝っていました。

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モダンデザインの塀。
建物がかなり傷んでそうで気がかりです。

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再び市街地に戻ってきて、古い排水施設。

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今では鳴門で唯一の銭湯となってしまった東浜温泉。
1965年の開業だそうです。
私も入りました。たぶん開業時の雰囲気が今も残っています。

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最後にもう一つ。
鳴門市役所の建物がかっこいいなと思ったら、1963年に完成した増田友也設計の建物だそうです。
docomomo Japan選定。
鳴門は増田友也の建築がたくさん残っているそうですが、この時の旅行ではそこまで回る余力はありませんでした。
ご興味のある方はこちらもどうぞ。

「鳴門の近代建築など(2)」に続きます。

<関連記事>
 「隠れた名所・小鳴門公園」
 「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」
 「鳴門の近代建築など(2)」
 「鳴門の石材」


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2017年6月25日 (日)

加賀石の里めぐり(3)遊泉寺銅山跡

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※クリックすると拡大します(以下同様)

鵜川・遊泉寺地区で3ヶ所目、遊泉寺銅山跡を見に行きました。
ここには江戸時代から銅山もあったんです。
鵜川石切場跡を案内してくださった鵜遊立活性化委員会の方など地元の皆さんがこつこつと遊歩道を整備して、2006年から銅山の遺構を見て回れるようになりました。


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現状はというとこんな感じの森。
まさかここに銅山町があったなんてイメージできません。

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案内板によるとこんなに大きな町があったそうなんです。
大正5年頃には従業員1600人、人口5000人に達していたとか。

江戸時代の安永元年(1772年)に開坑し、盛衰はあったものの、加賀藩の有力な財源だったようです。

明治になると採掘権は、土佐藩の竹内綱のち長男の竹内明太郎氏に渡りました。
竹内明太郎氏は鉱山の近代化につとめ、明治40年には鉱山から小松までの軽便鉄道を敷設、神子清水発電所を建設して機械化を進めました。

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この方が竹内明太郎氏です。
氏はまた機械工業の重要性を認識し、諸外国を視察して、遊泉寺銅山の私設鉄工所として小松鉄工所を設置しました。

鉱脈の不足や第一次世界大戦後の不況を受けて、遊泉寺銅山は大正9年に閉山に追い込まれますが、小松鉄工所は銅山の施設・物資と人員を引き継いで、大正10年に小松製作所として分離独立しました。これが今のコマツにつながっています。
ー以上、遊泉寺銅山跡記念碑より。

あのコマツはここから出発したんですね。
今回初めて知りました。


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銅山跡の入口には立派なトイレが整備されています。
また駐車場もあります。
駐車場はもっと奥にもあります。

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このあたりは公園になっていて、遊泉寺銅山のカラミ石も展示されていました。
ここのは四角柱になっているのが特徴だそうです。
他の鉱山では大型の煉瓦の形だったり、尾小屋鉱山の場合は六角柱だと聞きました。

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最初に現れる遺構は真吹炉です。
銅鉱質の分析炉と説明されています。

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周辺にはシャガが群生していて、ちょうど花の季節だったため、写真を撮りに来られている方もいました。

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銅山町の跡は、石垣で階段状になっています。


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次に現れるのは、この銅山跡のシンボルともいえる、巨大煙突と煙道窓です。
煙突は高さ20mあるそうです。

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あちこちに立入禁止看板が立っています。
鉱山跡なのであちこち穴が開いていたりして、危険があるようです。

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例えば、これは分かりにくいですが、窪地になっています。

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遊歩道の足元には煉瓦やカラミ煉瓦が落ちていたりします。


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これは何か分かりにくいですが、鍛冶屋の炉跡です。

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竪坑跡。深さは150mあったそうですが、危険なため、今はコンクリートで覆われています。

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ここから遊歩道は上りになります。
急な登り坂です。

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登り切れば、平坦な尾根道になります。
精錬所から出るノロ(不純物)を引き揚げた巻き上げ装置の台座が残っています。

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尾根筋からは小松市街と海が見えます。

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今度は谷筋を下っていくと、水源地跡があります。
ちょっと分かりにくいでしょうか。
谷が堰堤で堰き止められています。


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解説のないところにも、斜面に穴が開いていたりしましたので、まだ遺構は埋もれているかもしれませんね。

遊歩道は一周1.5kmで、所要時間1時間程度です。

なお、小松市ではこの6月に5000万円の予算を盛り込み、今後5年かけて遊歩道を整備するそうです。
北国新聞社「遊泉寺鉱山跡を整備 小松市、煙突や炉巡る遊歩道」
今でも見て回るのに不都合はないので、こういう森の中の遺跡の雰囲気が好きな方でしたら、今のうちに行っておいた方が良いかも。

<関連記事>
 「加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡」
 「加賀石の里めぐり(2)ハニベ巌窟院」

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2017年6月24日 (土)

加賀石の里めぐり(2)ハニベ巌窟院

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鵜川石切場跡の案内人の方を紹介していただいたお礼もあり、この地域一番の観光地であるハニベ巌窟院も見学しました。
入口の正面に立つ仏頭のインパクトが大きいです。私は詳しくないのですが、北陸随一の珍スポット、B級スポットとして有名なんだそうです。

ハニベ巌窟院は、昭和26年、鵜川石の石切場跡をアトリエとして、初代院主・都賀田勇馬氏によって開洞され、二代にわたってひたすら作り続けられた仏像などで満たされた空間です。ハニベとは、埴輪を焼く人、彫塑家のことだとか。

入口にある仏頭は二代目によって制作途中の大仏で、完成すると高さ33mになる予定だそうです。

巌窟院自体はここではなくて、右手にあります。

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洞窟に至るまでも彫像などが並んでいます。
これは金沢市金石浜に立つ銭屋五兵衛の銅像の原型で、昭和8年、初代によるものだそうです。

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洞窟は丘の中腹にあるので、階段をあがっていきます。
途中、斜面を利用したかっこいい建物も。

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メインの洞窟の他にも周囲に小さな洞窟があって(こちらも採石場跡)、塑像などが祀られています。

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ここがメインの洞窟の入口です。
仁王様が門番です。

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入ると石切場跡というのがよく分かる通路で、壁や天井など、そのまま使われています。
洞窟の全長は約150mです。

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床に耐火煉瓦が敷き詰められている場所もありました。
窯に使ったものの再利用でしょうね、たぶん。

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洞窟はいくつかのパートに分かれていますが、たぶん一番人気のあるのが地獄を再現したパートでしょう。
この地獄門から始まります。

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鬼たちの食事風景。
食べているのは人間の目玉とか耳とか血とか。
洞窟の中という状況がぴったりですね。

洞窟の様子をレポートしておられる方はたくさんおられますので、そちらをご覧下さい。
悪いことをすると地獄でこうなりますよという教訓で、面白いといえば面白いです。


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こういう通路があちこちにつながっていて、所々、柱として石が残されています。


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最後は切り出された階段を登って地上へ。

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丘の上に上がると広場になっていて、涅槃仏がおられます。
後から来た若い女性が「これが見たかったんです」と駆け寄っていたので、有名なものみたい。

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私はこちらの方が気になりました。
天神牛の台座だけ残っているもの。
上野公園に代表作の天神牛があったとのことなので、そのレプリカなのか、もしかすると金属供出されて台座だけが戻ってきたのか。

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台座の下段はひときわ大きな煉瓦で、半分隠れているので刻印が読めませんが、HASEGAWAと書いてるのかなと推測します。

他にもたくさん紹介記事があるので、簡単にはしょりましたが、多くの彫像・塑像があって、見応えがある施設です。
石切場跡の見学としても良いと思います。

<関連記事>
 「加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡」

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2017年6月22日 (木)

加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡

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※クリックすると拡大します

ゴールデンウィークの3日間、石川県の小松市・加賀市を、石をメインテーマ、北前船の里をサブテーマに巡ってきました。
どれだけ紹介できるか分かりませんが、ランダムに紹介します。

今回訪問した先は、
小松市の東酒造(神泉)、遊泉寺町・鵜川町、観音下、尾小屋、那谷寺、滝ヶ原、
加賀市の大聖寺、吉崎、塩屋町、瀬越、橋立、片山津温泉、動橋などです。

今回の旅行では一日だけ珍しくレンタカーを使いました。
回る場所が散在していたためです。

石切場跡や鉱山跡が集まる鵜川・遊泉寺・立明寺地区(鵜遊立地区)をめざして、その中でも観光地になっているハニベ巌窟院に車を停めました。
そこで目にしたのが、上の看板。
「珠玉と歩む物語」小松 〜時の流れの中で磨き上げた石の文化〜というストーリーで、平成28年度に日本遺産の認定を受けています。

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※クリックすると拡大します

その右側には、鵜川・遊泉寺・立明寺地区の真新しい案内板があります。
この鵜川石切場跡を見てみたいなと思って、ハニベ巌窟院の売店のお姉さんに「ここを見学できませんか?」と聞いてみました。すると案内人の方に連絡を取って下さって、すぐに来ていただけました。急にお呼び立てすることになってしまって申し訳なかったのですが、せっかく来てくれたのだからと歓迎して下さいました。
鵜遊立地区の活性化委員をされている方だそうです。

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ヘルメットと懐中電灯を用意したら、軽トラに乗せていただいて、数百m東にある近くの石切場跡へ。
この擁壁の向こう、森の中にあります。ぱっと見には分かりません。

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上に上がるとこのこの坑口。
冒険活劇映画のシーンのような。
案内者の方は子供の頃によく遊びに来たそうです。
松明をたいて洞窟探検をしたり、この崖にロープをかけて登ったり、地下水でスイカを冷やして食べたり。
夏は涼しく、冬は暖かいようですし、私がここの子でも絶対入り浸ります。


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入口付近の空間。人工の洞窟なので、広々としています。

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※クリックすると拡大します

何よりいいのが、採石跡の四角い穴に澄んだブルーの水が湛えられていること。
ほんときれいです。

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こちらは土砂が流れ込んでいます。
ぐるっと一回りしたのですが、未整備なので、足を滑らせたら水没です。
どきどきしながら、進みました。

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※クリックすると拡大します

水中に没していく石の階段。
どこから水中なのかよく分からないぐらいで、底まではっきり見えています。
ここが一番気に入りました。

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あと洞窟にはコウモリがいます。
固まってぶら下がっているので、シャンデリアみたいです。
昼間なので全く動きません。

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ここの湧き水は飲めるぐらいきれいな水らしくて、ここから水道が引かれています。
また、水を引いてワサビの栽培などもしていたそうです。

鵜川で採れる石材は鵜川石という角礫凝灰岩で、飛鳥時代の古墳の石室から小松城の石垣、近代建築に至るまで、長い期間にわたって利用されてきました。
この石切場が現役だった時代には、集落の中まで長いスロープが作ってあって、切り出した石を引っ張り降ろしたそうです。

昔の様子や遊んだ思い出なども語っていただいて、とても興味深い見学になりました。
大変お世話になり、ありがとうございました。
一般の観光利用のためには転落防止対策をしたり、照明をつけたりしないといけませんが、やりすぎるとつまらなくなるので、どの程度にするか考えておられるところだそうです。

ぜひ宣伝してくださいとのことでしたので宣伝します。
何といっても地下水のプールがきれいです。

直接ハニベ巌窟院に来てもらっても、空いていたら案内するけれど、できれば小松市の観光交流課に「鵜川の石切場跡が見たい」と申し込んでください、とのことでした。

なお、鵜川の集落の下にも坑道が走っていて、何度か小学校のグラウンドが陥没したことがあるそうです。
ハニベ巌窟院も石切場跡ですし、向かいの山には遊泉寺の石切場跡といって、戦時中は中島飛行機が地下工場として使っていた総延長10kmに及ぶ坑道があるそうで、そちらも見てみたかったのですが、天井が崩落している場所などもあり、危険なので観光客には勧められないとのことでした。(ネットではいくつかレポートなども上がっています)

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鵜川の集落内にも石の蔵がありました。
地元だから鵜川石なんでしょうか。よく分かりません。

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2017年2月15日 (水)

大毛島から高島へ(鳴門市)

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(訪問日:2016年9月11日)

前回、鳴門の渡船の記事で省略した、大毛島から高島までのサイクリングについて紹介します。
大毛島の北端は鳴門公園で、大鳴門橋が架かり、大塚国際美術館もある観光地ですが、そちらには行かず、小鳴門海峡沿いを走りました。

土佐泊の渡船場に着いたところから。
渡船はすぐに引き返し、タラップだけが残されます。

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土佐泊の集落で写真を撮っていると、近くで作業中の漁師さんに声をかけられました。
有名な鳴門わかめの養殖をされていて、今は網の手入れ中だそうです。
太いロープにビニールのひもをくくりつけたりされていました。

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別の家の前にはたくさんのブイ。

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徐行の手描き標識。
左上に少し写っているのはイカリ?

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前回も紹介した徳岡造船。
今も現役の造船所で、この時も船を建造中でした。

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海辺にはわかめの水揚げ・加工設備が並んでいます。

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収穫してきたら、浜ですぐゆでてしまうということもしているようです。

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穏やかな海辺の道を走ります。
車も来なくて快適。

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こちらは大毛島ですが、本土とは3本の橋で結ばれています。

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船溜まりがあるのは狭い海峡で、ここを渡れば高島です。

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島のお地蔵さん。
松明のような台座が面白いなと思います。

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鳴門の「鳴」の瓦?

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高島は島の名前であり、その中心の集落の名前でもあります。
高島は製塩業の集落で、塩水の水路に囲まれて、古い街並みが残っています。

この石垣のカーブなど美しいですね。
緑泥色の撫養石(大毛島の三ツ石で産する和泉砂岩・鳴門砂岩)と思われます。

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またこういうカラフルな石垣もありました。

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蔵もあります。

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最後に、鳴門塩田公園に塩田の遺構が残っていると知り、それも訪ねてみました。
集落のすぐ近くにあるのかと思ったら意外と離れていて、見つけるのに少し手間取りました。
江戸時代末期の塩田屋敷(福永家住宅)が塩田とセットで残っていて、重要文化財に指定されています。
煙突は製塩用の煙突。

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すぐ脇は水路で、向こうはすぐ海です。
見えているところは製塩作業場です。
右の茅葺き屋根は鹹水溜、その裏に釜屋でいずれも復元、左の小屋は塩納屋です。

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海側から見たところ。居住スペースと蔵。
美しい石垣に囲まれて水に浮かんだようなお屋敷です。
公開されることもあるようなので、見てみたいなと思います。

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こちらは入浜式塩田の跡。
水中にあるコンクリート製の構造物は沼井(ぬい。濃い塩水を抽出するための設備)で、大正時代のもののようです。

江戸時代の塩田屋敷と入浜式塩田がセットで残っているのはここだけらしいので、鳴門に来られたらぜひ見学をお勧めします。レンタサイクルと渡船を使えば、それほど行きにくくはありません。

鳴門塩業HP「これまでの製塩法」

<関連記事>
 「隠れた名所・小鳴門公園」
 「鳴門の渡船に乗る」
 
「鳴門の近代建築など(1)」
 「鳴門の近代建築など(2)」
 「鳴門の石材」

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2017年2月 5日 (日)

鳴門の渡船に乗る

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(訪問日:2016年9月11日)

鳴門に行く下調べをしていたとき、鳴門に市営渡船があることを知り、ぜひ乗ってみたいと思いました。
渡船は橋が架かったり、利用者が減るなどして廃止されていきますので、あるうちに乗っておかないと。

鳴門市営渡船は現在3本あり、全て小鳴門海峡を渡る船です。
黒崎・島田渡船は昭和22年に民間から、岡崎渡船は昭和37年に県から運航を引き継ぎ、市道扱いとして、昭和31年から無料で運航されています。コスト削減のため、平成15年から運航が民間(といっても母体は漁協)に委託されて現在に至っています。

渡船は駅からも相互にも離れていますので、観光協会のレンタサイクル(なると街なかレンタサイクル)を借りました。鳴門駅近くのなると物産館で借りられて、1日500円です。名前はらっきょ号(笑)。

最初に向かったのは岡崎渡船です。
結論から言うと、ここが一番雰囲気があってお勧めです。
本土側の岡崎と大毛島の土佐泊を結んでいます。

上の写真は岡崎の乗り場です。
のどかでしょう?

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こちらは待合室。
早い時間からおじいさん、おばあさんが時間待ちをしていました。

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待合室の中はこんな感じ。人が写るので撮ってませんが、左側にテレビもあります。
暑い日でしたが、ここはクーラーが効いています。乗務員の控室も兼用になっているみたいです。

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こちらは時刻表です。
朝6時40分から晩は19時50分まで、朝夕は20〜30分ごとに1日24往復です。
私は昼時に行ったのでちょっと不便な時間帯。

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時間が来ると、船の前をタラップにつけて乗船です。
自転車ごと乗り込みます。

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舳先を上げることなく走って、3分で対岸の土佐泊に到着。
乗客、船員から船、周りの風景まで、のどかさに溢れています。

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土佐泊の待合所は簡易で、バスの待合所程度。

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ここからは自転車で次の渡船に向かいます。
大毛島については改めて紹介したいと思いますが、自転車で走るには気持ちの良い道です。

こんな造船所(徳岡造船)のクレーンの下を回り込むように走り抜けます。
まさに船を建造中でした。

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左手に穏やかな小鳴門海峡を見ながら、橋を次々くぐっていくこの道は車も通らず、サイクリングロードのようです。

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細い水路を越えると大毛島とほぼ地続きの高島。
いろいろ高島で寄り道しましたが、それは別の記事で。

やがて黒崎渡船の高島の乗り場に到着します。
黒崎渡船は、四国側の黒崎と高島を結んでいます。
桟橋が長くて、半分渡ってしまっているのでは?と思うぐらい。
航空写真を見て分かったのですが、桟橋のある部分は浅瀬なんです。

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先端まで行くと待合所があります。

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振り返ったところ。
向こうは高島。

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対岸から渡船が到着。
学生でいっぱいです。
高島には鳴門教育大学があり、その学生が渡船の主要なお客さんのようです。
おかげでこの渡船が一番賑わっていました。

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船の最後尾。

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わずか2分で対岸の黒崎に到着します。

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脇には待合所がありました。

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ここから今度は小鳴門海峡の西岸を北上します。
向かいの高島には、かつて塩田が広がっていました。

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途中、紛らわしい船着き場に迷いながら、ようやく島田渡船の堂浦の乗り場に到着。
ここは四国側の堂浦と島田島(面白い名前ですね)の島田を結んでいます。
他の2つの渡船と違って拠点が島側にあります。
向こうからやってきて、向こうに戻ります。

しかし、船が来る気配がない。

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乗り場を見ていると注意書きがあり、なんと、船が来ないときはこのボタンを押して下さいと書いてあります。あくまで島田島の人の足なんですね。
さすがに渡船に乗りたいからという理由だけで来てもらうのもはばかられ、乗るのはあきらめました。

浮いた時間で北泊まで走り、帰りに小鳴門公園を見つけたのだから良しとします。

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最後に市営渡船ではないのですが、面白い渡船がありました。
島田島にある鳴門シーガル病院に渡る病院渡船です。
病院に通うために専用渡船というのもすごいですね。
すごく興味ありましたが、面白半分に乗るものでもないので、これもあきらめました。

鳴門シーガル病院アクセス


上の地図で赤い線が市営渡船、緑の線が病院の渡船です。

昔の航空写真を見ていて、どういう場所に渡船があるのかなと確認すると、街道の先にあるのですね。
鳴門から北と東に街道が延びていて、岡崎・黒崎の渡船はその先にあります。
渡船は「道」だということがよく分かります。

繰り返しになりますが、とくに岡崎渡船がお勧めです。
気候のいい時にレンタサイクルを借りてぜひ。

<関連HP>
  鳴門市HP「渡船」

<関連記事>
 「隠れた名所・小鳴門公園」
 「大毛島から高島へ」
 「鳴門の近代建築など(1)」
 「鳴門の近代建築など(2)」
 「鳴門の石材」

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2017年1月14日 (土)

隠れた名所・小鳴門公園(鳴門市)

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昨年9月に鳴門を訪れました。
観光案内所でレンタサイクルを借りて旧街道を走り、古い建物を探したり、市営渡船に乗ったりと走り回ったのですが、その中で印象深い場所に出会いましたので紹介します。

それはほぼ見たい場所は見て、小鳴門海峡の北の入口にある北泊の漁港まで走った帰りでした。
道の脇に煉瓦の不思議なモニュメントが立っているのに気付きました。
それは唐突にあって場に不似合いなぐらい立派。
右から小鳴門公園と書かれています。
が、その向こうはすぐ森で、公園という感じではありません。

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何か解説板などないかと探しましたがありません。
ただこの門があるのみ。
門の中に、説明板があったような痕跡は確認できました。
(もしかして、金属供出された?)

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見上げると木組みが見えます。

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裏側に回るとまた文字があります。
右から「美妙」と書いてあるのでしょうか。

後で『徳島県近代化遺産調査報告書』のリストを調べると、昭和30年以前のものとされています。

しばらく門を眺めていると散歩で通りがかった方がおられました。
「この上に何かありますか?」と尋ねると「広場になっていて、忠魂碑がある」とのこと。
何もないように見えた森ですが、右に登っていく坂道がありました。
それならと、せっかくだから登ってみることにしました。

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落ちている枯れ枝を拾い、蜘蛛の巣を払いながらこんな道を登っていきます。
登山道みたいですね。

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果たして、ぱっと視界が開け、忠魂碑のある広場がありました。
忠魂碑には大正8年と書いてあります。
意外と古い。

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そしてもっと私には興味をひくもの、公園の記念碑がありました!
こちらは昭和4年です。

読んでいる時間はないので、写真に収めておきます。
後で書き起こしてみました。
写真にちゃんと撮れていなくて、判読に難儀しました。
もっとたくさんに分けて撮っておくんだった。


 御大典紀念
 阿波十五景之一
 徳島日日新報社選

阿州の地古来勝景に富む。此処小鳴門峡神燈岩に立つ若葉の鼻より北泊口に至る十八町、処として奇勝ならざるなく絶景ならざるはなし。試に長江此の道に立って眺めるが、俯して千○の碧潭に涖(のぞ)み、仰いで古蹟鐘懸の高峰に対し、左は島田の翠巒遠く連り、右は遥に塩焼く煙騰る竹島を望む。影浦は波穏にして○乎たる六神の社を蘸(ひた)し、船泊間に白鴎と眠る。而して源平の旧址船隠を擁する○霧湾は峡中第一の勝景にして、松翠に水清く、晩岩聳え、錦鱗常に碧淀に○る。若し夫れに潮の満○らんか春○の鼻の近、大小の塩渦洶湧し、波激しては白○を噴き、響轟いては萬雷一時に落つ。忽ち見る一葉の扁舟、矢の如く駛(はし)り来って岩際を掠むるや、瀾跳(なみおど)り舟舞い、将に覆るを免るるを。而して此処を過ぐるは海上已に平遠、一碧萬頃、唯漁○相望み、○乃互に答え、山水愈緑なるを覚ゆるのみ。蓋し潮流の激迅にして盤潮の千変萬化なる他に其比を見ざる所。而も観潮は何れの季として佳ならざるなく、春暁よく秋夜よく雨日亦よし。昭和三年秋、徳島日日新報社広く県下の勝景を募るや、地峡即十五景中の三位に当選す。○つに碑を山上に建て以て之を紀念せんとし、予に嘱して文を撰ぜしむ乃景を○し由来を証して以て之に与うと云う。

 徳島県立中学校長
 従五位勲六等中原宇三郎撰
    勲八等中瀬○太郎書
 昭和四年十月    


 ※旧字体はできるだけ新字体に変更しました。
  ○は判読できなかった文字です。
  カタカナをひらがなに改めました。
  適宜、改行や句読点を追加しています。
  たぶん読み取り間違いがありますので参考程度にご利用下さい。

 要するに、昭和天皇の即位御大典を記念して、徳島日日新報社という新聞社が昭和3年秋に、徳島県民対象に徳島の名所を募り、十五景を選んでその3位に入ったのがこの小鳴門峡だったということです。

公園といってもこれだけかなと、それほど見通しの良くない広場を見渡して、周囲を歩き回ると、裏に下っていくもう一つの道と、忠魂碑の右手奥に続く道がありました。
まだ奥があるのか、と忠魂碑の右手の道をたどっていきます。

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するとコンクリートのベンチが。
「御料理 日之出旅館 仕出し」と広告が刻まれています。
花見弁当の宣伝でしょうか。

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他にもベンチはありますが、広告は入っていません。
ちょっといい眺め。

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突然、鮮やかな赤いベンチが現れた時はびっくりしました。
真新しさが怖いです。

公園には誰一人いない割には整備されていて、後で調べると地元のボランティアの方が毎年草刈りをされているようです。ありがたいことです。

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そしてその先にぱあっと目の前が開けて、眼下に小鳴門海峡を見下ろすベンチがありました。
ここは岬の先端です。絶景ベンチ。

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視線を右に転じると小鳴門海峡がカーブを描いています。

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帰り道からは海峡の出口も見えます。
以前は周囲の木が低くて、もっと海峡が一望できたのかもしれません。

地図で確認すると、小鳴門海峡の真ん中あたりに突き出している岬がこの小鳴門公園です。
近代の公園好きとしては、貴重なものを見ることができました。
普通に景色を眺めてもいい場所です。
記念碑の碑文の撰者が褒め称えるようなことを味わうにはもっとゆっくり過ごさないといけない気がします。気軽に訪ねられる場所ではないですが、再訪する機会があればと思います。

<関連記事>
 「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」
 「鳴門の近代建築など(1)」
 「鳴門の近代建築など(2)」
 「鳴門の石材」

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