2020年3月20日 (金)

日吉公園と茶ノ木島公園(名古屋市中村区)

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名古屋市中村区の近代の公園を巡った話の続きです。
里山公園の後は南下して日吉公園(昭和10年)を訪ねました。

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公園の南西入口の門柱が独特で、橋の親柱のような形をしています。
もしかしたら当初の門柱なのかもしれません。

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公園の中はこのようになっていて、中央部に森があります。

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その実体は神社。現在の社殿はごく小さなものですが、日吉神社または日之宮といいます。

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隣に石碑があって、由緒ある神社だと分かります。
「日吉丸生母祈願乃址」とあって、つまり豊臣秀吉の母がここにあった日吉権現に、子どもが授かるようにと日参し、生まれたのが豊臣秀吉で、その感謝を込めて日吉丸という幼名を付けたという伝承があるそうです。

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公園の南側に鳥居があって、その横にも「日吉丸生母祈願の跡」という看板が立っています。

『名古屋の公園』(昭和18年)によれば、昭和7年、名西土地区画整理組合が、敬神思想の助長・奨励と旧跡保存を目的に日の宮神社の境内を拡張して公園としたもので、昭和10年に名古屋市に寄附され、由来にちなんで日吉神社と名付けられたそうです。中村公園と似たようなルーツなのですね。
当初は設備が充実していて、公会堂(日吉会館)、四阿、公衆便所、橋梁2つ、国旗掲揚柱1基、ベンチ5ヶ所、滑り台、ブランコ、鉄棒、藤棚、芝生が整備され、吉野桜など633本の樹木があったとのことです。

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古いものとして、鳥居の前に国旗掲揚柱があります。

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裏を見ると昭和8年と書かれているようですので、これが『名古屋の公園』に記載のある国旗掲揚柱でしょうか。

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それ以外の古いものはよく分かりません。
ここにも懐かしい回転ジャングルジムがありました。
もちろん戦前ではありません。

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砂場がひょうたんの形なのはさすがに豊臣秀吉を意識していますね。

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ハードディスク型のトイレもありました。

続いて、名古屋駅に戻りながら、茶ノ木公園(昭和12年)も見に行きました。

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茶ノ木公園は防災公園の米野公園の一部になっていて、恐らくこの写真の左奥の部分がそうではないかと思います。
米野公園はこの時はまだ整備途中で、木々はまだ育っていませんでした。

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米野公園の案内板があります。
このうち「子どもの遊び場」となっているのが旧茶ノ木公園ではないでしょうか。

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なお、米野公園の案内板に「(整備中)」とあるように、実際の風景を見ると案内図のようになっていません。
右側のカーブする遊歩道が柵で囲まれた通路で分断されていて、奥には住宅まであります。2つの異なる風景がパッチワークされているようです。公園を断ち切って道が作られているようですが、もちろん逆で、整備できるところから盛り土して公園が建設されています。なんとも不思議な風景です。

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その隣に茶ノ木島公園はあります。

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ちゃんと茶ノ木島公園の表示が残っています。

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横にちゃんと茶ノ木島公園の解説板が設置されています。
こういうのはうれしいですね。

『名古屋の公園』によれば、日吉公園と同じく名西土地区画整理組合から昭和12年に寄附を受けたものです。当初の施設には、ブランコ、滑り台、鉄棒、藤棚等があり、ヒマラヤ杉など362本の樹木が植わっていたそうです。

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隣接して熊野神社があり、神社と一体的な公園だったようです。

日が沈んだこともあり、この日の名古屋市中村区の公園巡りはこれで終了しました。

 

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2020年3月 9日 (月)

里山公園(名古屋市中村区)

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名古屋の公園めぐりの記事、これも2018年です。
稲葉地公園を見た後、用事があったので一度中村区を離れ、また戻って中村日赤駅から歩き始めました。
元中村町のあたりは古い建物がよく残っていました。
こちらも洋間付きの長屋っぽい建物です。

訪問日:2018年12月8日

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正方形のタイルを埋め込んだ門柱なども。
なんとなく古そうなデザイン。

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こんな風にあちこちにあります。

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途中、遊歩道がありました。
地図を見ても分かるのですが、見るからに水路跡の遊歩道です。
庄内用水の中井筋(惣兵衛川)が暗渠化されて、中井筋緑道として整備されています。
昭和58年から整備が始まっています。

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ほどなく今回の目的地、里山公園(昭和10年開園)に着きました。
里山といいながら、平坦な街中の公園です。

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里山公園の表示は新しいもの。
昭和10年ということで期待したのですが、古いものは残っていないようです。

『名古屋の公園』(昭和18年)によると、中村土地区画整理組合が造成して寄附した公園で、滑り台や砂場があった他、檜・桜など樹木218本があったそうです。

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公園の南側から。奥行きはここから奥に見える住宅の手前まで。
小さな公園なのですぐ見終わります。

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整備工事中らしく、公園の一部が柵で囲まれていました。
この回転ジャングルジムは残ったのでしょうか。

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公園の一角にある集会所はある程度古いかもしれませんが、トタンに覆われていて分かりません。

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よく見かけるグッドデザインな水飲み場。

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何かないかと行ったり来たりするのですが、とくに気になるものはありませんでした。
むしろ奥の長屋が気になります。

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ということで、周辺の長屋などを見ていきます。
洋風の長屋というのか、四角く部屋が張り出していて、その上部の物干し台になっているベランダ柵や敷地境界の低いコンクリート柵にアーチのデザインが施されています。

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家の前がちょっとした前庭になっていて、こういうコンクリートの柵で囲まれているんです。

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玄関扉などもモールガラスを使ったすっきりしたデザインです。
昭和30年代ぐらい?

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並びには洋間付き長屋らしきものもありました。
コンクリートの柵が似ていながら少し違うデザインなのも面白いところ。

 

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次の公園に向かうため、ジグザグに南下していきます。
こちらも洋間付きの長屋のようです。

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このようなタイプが周辺には多いようです。

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とくに右端の一軒が古い姿を留めているようでした。
板塀も足元に四角い開口が並ぶ、洋風っぽいデザイン。

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こちらも下見板張りの洋間付きの長屋。

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こちらは真ん中の一棟が前に出ています。

公園自体に古さを感じ取ることはできませんでしたが、周囲の住宅に古くモダンな雰囲気を感じることができました。

 

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2020年2月11日 (火)

配水塔の稲葉地公園(名古屋市中村区)

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もう少し名古屋の近代の公園の話題を続けます。
日を改めて中村区の公園をめぐりました。

以前、中村公園には行ったことがあり、それ以来です。
「中村公園のラジオ塔?」
改めて確認したら、ラジオ塔を紹介しただけで、中村公園自体はちゃんと紹介していませんでした。
いずれ機会がありましたら。

さて、地下鉄の中村公園駅から西に歩いて行くと稲葉地公園に着きます。

北側正面から見るとなんとなくギリシャ風の列柱の向こうに、列柱に囲まれた名古屋市演劇練習館アクテノンが見えます。
この建物はもともと昭和12年に建てられた稲葉地配水塔で、この改修事例は有名なので私も写真では見たことがありました。
もちろん塔の列柱にちなんで、手前の列柱を並べたのでしょうね。

訪問日:2018年12月9日

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この公園の平面図を見ると面白い形をしています。
つまり公園が南北に突き出しているんです(右が北です)。
この南北軸は稲葉地配水塔の中心を通っていて、配水塔を中心に据えた設計になっていることが分かります。
現在の配置というだけでなく、当初の図面を見てもそうなっています。

『名古屋の公園』(昭和18年)によれば、昭和13年に稲葉地土地区画整理組合から寄附を受け、昭和17年に着工、昭和18年に完成したとのことです。当初の設備としては、配水塔の他、池、野球場、花壇、徒渉池、ブランコなどの遊具があったそうです。

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こちらが北に延びる街路。

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こちらは南側に延びる公園から見たところ。
こちらは完全に公園です。旧配水塔が真正面に見えます。

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旧稲葉地配水塔は昭和12年にできました。名古屋汎太平洋平和博覧会が開かれた年です。名古屋市西部で区画整理による都市開発が進み、水需要が増大して市街地東部・東山の配水場ではまかなえなくなったため、市内2番目の配水塔として計画されました。当初は貯水容量590立米で計画されてもっとシンプルな形だったのですが、計画中に水需要の増大が見込まれたため、改めて4000立米のタンクに変更され、大きなタンクを列柱で支えるという特徴的な形になったようです。(『愛知県の近代化遺産』(平成17年)p242〜244より。以下も主に同書による)

しかしながら、昭和19年に市内西部に大治浄水場が完成し、配水方式がポンプによる圧送に切り替わったため、わずか7年で稲葉地配水塔は役目を終えてしまいました。

その後、水道局の管理のまま約20年間放置されていましたが、名古屋の一区一図書館の施策により、改修を経て、昭和40年に中村図書館として開館しました。この時、吹き抜けだった2〜4階にスラブを打つ改修が加えられています。図書館としては26年。中村公園内に新図書館が建設されたため、平成3年(1991年)に閉館しました。

しかし演劇関係者から市民向けの演劇練習場確保の要望を受け、大小の練習室を設け、2階中央のスラブや屋根スラブ、柱の一部を撤去して鉄骨で置き換えるなどの工事を経て、平成7年(1995年)に名古屋市演劇練習館アクテノンとしてオープンし、今に至っています。今年で25年ですね。もうすぐ演劇練習館としての利用期間が一番長くなります。

この日も演劇の練習で使われていて、わずか7年で役割を終えてしまった建物がこのように使い続けられるというのはありがたいことです。
ちなみに演劇練習館への改修を決断したのは当時の西尾市長。実は水道局出身で、中村図書館への改修の際に担当課長だったというのは不思議な巡り合わせです(施設紹介パンフより)。

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勝手に見て回ってもいい感じの建物ではないので、事務所で建物の見学に来ましたと申し出ると、職員の方が案内してくださいました。
1階には図書館時代を思わせる書架が並んでいます。
そして中央にはタンクを支えていた柱。

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柱は吹き抜けになった2階、3階を突き抜けています。

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4階が一番、配水塔らしさを感じられる空間です。
タンクを支える構造が見えています。

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さらに配水塔時代の配管が今も残されています。

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タンクだった5階にはリハーサル室があります。
この日も練習が行われていましたので、外して撮っています。

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5階の平面図。
当然ながらこういう丸い形の配置です。

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4階には、配水塔時代、図書館時代など時代ごとの写真・資料が展示されていました。

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4階からの眺め。
この下にはかつてプールがありました。
水道施設にプールは付きものみたいですね。

高層ビルが建ち並んでいるのが名古屋駅のあたり。

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紅葉の季節は過ぎていましたが、きれいな並木道がありました。

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公園を歩き回って気になった遺構も少しあげておきます。
こちらは公園の西側。ここにも入口があったのでしょうか。

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敷地の北西あたり。土管のようなものが突き出しています。
水飲み場?かとも思いましたが分かりません。

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こちらは私にはなじみ深いグッドデザインな水飲み場。

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名古屋らしく、富士山型遊具もあります。
赤富士です。

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懐かしい回転ジャングルジム。

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最後に、感心したのが名古屋には遊具を寄附する「まごころ遊具事業」という制度があるのですね。
私的なメッセージを書いたプレートを取り付けることができるのですよ。

稲葉地公園は今も配水塔が主役の公園でした。

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2020年2月 5日 (水)

港北公園と博覧会(名古屋市港区)

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このところ公園ブログみたいになっています。
古い話ですみませんが、名古屋の公園めぐりをした日のラスト、港区の港北公園を訪ねました。
白鳥西公園の後です。
既に日没で画像が暗くてすみません。

名港線の港区役所駅を降りると、すぐそこが公園です。
人工の築山に設置された滑り台が興味をひきました。

港北公園は昭和17年にできた公園です。
ただし今の形とはかなり異なります。

訪問日:2018年10月8日

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港北公園はこういうかなり変則的な形です。
東園と西園に分かれていて、地図上では移動させられていますが、西園は平和橋の左(西)に続いています。

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南端の港図書館のあたりから探索を始めました。
見たことのない大がかりなシーソー?があります。
ネットで吊されるタイプ。

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北に向かって進んでいきます。

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すると平和橋というアールデコデザインの橋があります。
橋といっても現在は陸橋。

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橋のたもとに解説板が設置されていました。
昭和12年に開催された名古屋汎太平洋平和博覧会にあたって約13万円を投入して建設された橋で、博覧会の記念として残る唯一のもの、とのことです。

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振り返ると、名古屋汎太平洋平和博覧会の写真入りの解説板もあります。
この博覧会は名古屋市の主催で昭和12年3月15日から5月31日までの78日間にわたって開催され、会場は現在の港北公園周辺の50万平方m、総事業費1600万円(博覧会自体には300万円)、国内の各道府県や外国29カ国が参加、総入場者数は約480万人という戦前の名古屋で最大規模の博覧会です。

解説の写真を見ると、運河の真ん中に掛かっているのが平和橋です。
主会場の西側部分はのちに東邦ガスの工場をへて、現在はららぽーと名古屋みなとアクルスとなっています。
たまたまこの時は、ららぽーとのオープン後10日ほどで、結構な人出でした。
また港区役所もこの会場跡地に建っています。

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名古屋汎太平洋平和博覧会の栞。
その序文を読むと「日本の名古屋から世界の名古屋へ!此の大飛躍の記念として花の“なごや”の春の空にありとあらゆる太平洋文化の粋を集めて築き上げる豪華なる文化の殿堂。これが我が「名古屋汎太平洋平和博覧会」である。
 熱田神宮、釈尊遺骨奉安塔、名城の金鯱は云うも更なり、百十万を突破する人口、近郊を合わせて十一億円に達する年工産額、聖世の隆運に疆りなく伸び行く大名古屋に昭和十二年からは海の玄関たる名古屋港と、陸の玄関たる名古屋駅とが世界的都市に相応しい壮麗さを以て登場して新たに世界交通の要衝となる、その他、国際飛行場、観光ホテル、さては世界屈指の大動植物園、大水族館等が相次いで竣工し、今や新興名古屋は躍進日本を表徴しつつ文化に産業に世界的都市としての新たなる発展の段階に入らんとしている。そしてこの画期的大飛躍の首途に当たって、太平洋の平和と新文化の建設を目指す一大事業、これが我が「名古屋汎太平洋平和博覧会」である。」
と当時の勢いを感じさせる非常に熱いメッセージが書かれています。

ちなみにこの時の参加国は、満州国、オランダ領インド、フィリピン、ブラジル、タイ、中華民国、オーストラリア、フランス領インドシナ、イギリス領インド、ビルマ、スリランカ、南アフリカ連邦、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、コスタリカ、サルバドル、パナマ、ヴェネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、チリ、アルゼンチン、マイソール(インド)、シンガポール、トラヴァンコール(インド)、カナダ、アメリカ合衆国、その他となっています。汎太平洋なので、アジアと北中南米、オセアニアということのようです。

名古屋汎太平洋平和博覧会については、あちこちに書かれているので深入りはしないことにします。
興味ある方は、下記のページなども見てみてください。

港区HP「ミナトガタリ 第10弾なごや古道・街角案内人 第7章 汎太平洋平和博覧会について」

 

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さて平和橋に戻ります。
親柱はアールデコのデザインで、ラジエーターのような形が取り込まれています。
会場のシンボルであった平和塔とも似たデザインのようです。

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昭和十一年十月竣工となっています。

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建設は名古屋市の石原鈼治郎となっています。


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現在、平和橋の下は、港北公園の東園と西園をつなぐ通路のようになっています。
橋の構造を下からも眺められるということになります。

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車止めはアールデコのデザインを踏襲しているようでした。

『名古屋の公園』(昭和18年)によれば、港北公園は、名古屋汎太平洋平和博覧会の会長から寄附を受けた8万円で、敷地のうち4207坪を買収し、それ以前に港北土地区画整理組合から寄附を受けていた5000坪を合わせて工事費6万円で昭和16年に完成させたとのことです。当初は運河を短艇場として、そこを中心に北側に緑廊、露壇、運動場、相撲場を設け、南部にはテニス場、徒渉池、藤棚、ブランコ、滑り台等運動器具を備えていたそうです。

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また、平和橋の隣には公園の由来を示すこんな石碑もあります。

「港北公園は、中川運河の支線として開さくされた港北運河の一部を埋立て、公園として整備することにより、災害時における避難場所の確保、地域住民のレクリエーションの場の確保等“ゆとりとうるおいのあるまち”を目指し整備したものである。
 昭和59年3月 名古屋市」

 港北運河の東部が埋め立てられて港北公園が完成するのは、この石碑より後、昭和61年のことだそうです。(名古屋市HPの中川運河に関する年表

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平和橋の上から埋め立てられた運河の部分を臨む(東方向)。

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さて橋をくぐって西園にも行ってみます。

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平和橋をくぐった先にも遊歩道が続いています。
ここも埋め立てられた運河です。

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その先には運河の残りと、きれいな夕焼けがありました。
ここにはみなとアクルスの船着き場があって、中川運河の水上バスが着くようになっています。

今度は船で来ても良いかもしれません。

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2020年1月12日 (日)

笠岡の海辺の建物(岡山県笠岡市)

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時系列では笠岡住吉のりばから笠岡諸島に向けて出発する前になりますが、笠岡の街の山陽本線より南側をぐるっと回りました。
線路の北側は、前に来たときに回っていたためです。>「笠岡駅前の建物など」 など
線路の南側は、江戸時代以来の干拓地・埋立地で、近代の倉庫などが建ち並ぶ港の風景です。

笠岡駅から港へはいったん線路沿いに東に進んだ後、地下道をくぐっていきます。
地上に出た後、最初に気になったのは、国道2号線に面する住吉理容院でした。
レトロな散髪屋さんらしい扉と窓です。

住吉はこのあたりの地名ですが、ふと思い返すと住吉神社を見た覚えがありません。
あれ?と思って調べてみると、もともと江戸時代に干拓された時にその先端に勧請されたのですが、恐らく明治時代に移転させられて、現在は古城山の麓の神社に合祀されているとのこと。道理で記憶にないはずです。
>(参考)かさおか遊歩さんの記事

干拓地に住吉神社というのは大阪と似ていますね。

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旅客船のりばのあたり、板張りの建物が多いです。
例えばこちらとか。アパートのようです。

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看板建築っぽい商店。
たばこの自販機やペプシコーラの看板があるので、雑貨店でしょうか。

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こちらも古い商店のよう。富士産業と書かれています。
灯油を扱われていたみたい。

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港に古そうな塔がありました。
燈台というには小さいですが、照明用ではありそうです。
石積の雁木もあります。

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港に板張りの事務所がありました。
笠岡渡船の待合所です。磯渡しや海上タクシーで今も営業中です。

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さらに西に進むと2つ近代の建物が並んでいます。
左の和風の建物が駒口肥料店の店舗(昭和12年?)、右が関藤商店店舗(昭和4年)です。
駒口肥料店の方は岡山県の近代化遺産総合調査報告書では住所が違っているのですが、そちらの住所に別にあるのか、誤記なのか不明。

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フォントの大きさがインパクトの大きい関藤謙治商店。
石炭・セメント・煉瓦・土管と書かれていて、明治29年創業の建築資材卸会社です。
現在も関藤商店(株)として、セメント販売を中心に営業されています。

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その関藤商店のすぐ裏には赤煉瓦倉庫がつながっています。
こちらは昭和14年らしいです。意外に新しい。

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そして関藤商店の向かい、跨線橋の下が笠岡市交通公園(現在は西ノ浜北児童遊園地)になっていて、保存車両が1台置かれています。
日本道路公団の立神弘洋夫妻が横浜で交通事故で亡くなられたのを悼み、ご遺族の寄附により昭和43年にできた公園です。
ということは笠岡にご縁のある方なのでしょうか。

保存車両は、車内の解説によると旧井笠鉄道のホジ9号です。
昭和7年に大阪の梅鉢鉄工所(のちの帝国車輌工業、東急車輌に合併)で製造されたそうです。堺ですね。
ガソリンエンジンで、前後に鮮魚台という荷台が付いているのが特徴だそうです。

旧井笠鉄道跡については、前に記事にしました。
>日常旅行日記「井笠鉄道跡」

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中にも入れます。
車窓から関藤商店を眺めながら弁当を食べられるかな、などと妄想。

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その先にある前川製材所事務所。古そうですが詳細不明。
笠岡はかつて桐下駄や家具などが特産だったそうで、それと関係があるのでしょうか。

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前川製材所はかなり広い敷地でたくさんの倉庫が並んでいます。
こちらもその一つで現在は貸倉庫になっています。
岡山県近代化遺産総合調査報告書で、明治45年の木造倉庫があるという記載ですが、どれがそれにあたるのか分かりません。

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ちょっと笠岡市郷土資料館にも立ち寄りました。入館料50円。
1室だけですが、販売の地図や資料などが充実しています。
屋外には江戸時代、笠岡港の船積み・荷揚に従事する浜仲仕が鍛錬し、力を競ったという力石を展示しています。
それで給金が決まったといいますから真剣勝負。

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再び西の浜に戻って、高野山真言宗の光明山遍照寺。
以前、街中で多宝塔とイチョウの木だけが残されているのを見たお寺です。
>日常旅行日記「笠岡駅前の建物など」
昭和52年に土地区画整理事業によりこちらに移転。
多宝塔を移築する予定なので、余裕のある境内です。
山門には仁王像もあって立派なお寺です。

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西の浜は江戸時代から昭和50年までという長い期間をかけて埋め立てられました。
おそらくこの堤防はその途中の名残でしょう。

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残されていた煉瓦塀。
竹原の吉名煉瓦らしき刻印がありました。

この向こうに旧井笠鉄道の関藤社長のお宅があったということで、隣の洋風住宅とともにグーグルストリートビューでは今も見られますが、残念ながら解体されていました。

>(参考)ぼっけえ笠岡「西の浜・倉庫群」

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このあたり土壁板張り、煉瓦、漆喰土蔵と様々な様式の倉庫がたくさん残っています。

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こちらは煉瓦と土蔵の倉庫が並んでいます。ともに第一金属倉庫で、煉瓦が大正10年、土蔵が昭和6年だそうです。

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最後に旧中備素麺同業組合事務所(昭和5年)。組合から笠岡市に寄贈され、現在はNPO法人ハーモニーネット未来(旧子ども劇場笠岡センター)が入居されています。
立ち寄りたかったのですが、船の出発が迫っていたので今回はあきらめました。

西の浜には、街の北側とはまた違った港らしい倉庫・建物の風景が広がっていました。

今回の笠岡の記事は以上です。
読んでいただきましてありがとうございました。

<関連記事>

 日常旅行日記「笠岡諸島へ」
       「古城山公園」
       「笠岡駅前の建物など」
       「隅田川沿いの建物など」
       「井笠鉄道跡」

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2020年1月 5日 (日)

北木島の金風呂(岡山県笠岡市)

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岡山県の笠岡諸島の旅で北木島の話の続きです。
(写真は実際回った順とは異なります)
豊浦からさらに先の金風呂(かなふろ)集落を目指します。
この両集落の間が最も盛んに採石が行われていた地域のようです。

この池、何かなと思ったのですが、バイパス(手前の道)ができたために海が区切られてできた池だそうです。
北木島のトレビの泉という別称まで付けられているらしいです(どれだけ広まっているかは不明)。
捨て石の浄化作用で水が澄んでいるのだとか。

他に今回通らなかった場所で、北木島のベニスと呼ばれる船溜まりもあるらしいです。

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バイパスではなくて山手の道を取ると採石場の前を通って行きます。
こちらは馬城採石場。

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建物の向こうに採石場跡と丁場湖(地下深く掘り進んだ穴に水が溜まったもの)が見えます。

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さらに隣に北木の桂林(今岡丁場跡)という場所があります。
わざわざ書いてあるので一応観光地となっているようです。

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なお、なぜ桂林かというと、削り残されている岩が屹立して、中国の観光地の桂林を思わせるからだそうです。
ここにも丁場湖があります。水深は40mあるそうです。

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別の入口から。
丁場跡には立入禁止のロープが張られています。
逆にいうと、ロープの手前までは行ってもいいのかなと判断しました。観光ののぼりも立っていますし。

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道の脇にはこんなものも。
採石の島らしく、削岩機の店があったのですね。

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さてここから金風呂の集落。
この写真は通り過ぎてから振り返って撮っています。
左手の大きく山肌が削られているあたりがさっき通ってきたところです。
そして右側の湾奥が金風呂の集落です。

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ここには現役の鶴田石材さんの採石場があります。
しかも、奥に階段が見えていますが、観光用に展望台まで設置されています。
ツアーに申し込まないといけないのかなと思って私は今回はパスしていたのですが、予約するか昼休みの12〜13時なら見学できるらしいです(有料)。機会あればぜひ見たいと思います。

>詳しくはこちら→ 鶴田石材HP

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現地に看板があって、実は裏から見るとこんなことになっています。
奇観ですね。

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この方が社長さんでしょうか。
北木石が使われている建物の一部が紹介されています。
大阪だとこの中央公会堂の他に、北浜の証券取引所や南海の難波駅などにも使われているようです。

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現役の採石場なので、こういう標識も出ています。
数字がちょっとイメージできません。

と、以上の採石場(跡)を衛星写真で見ると、こんな風に穴ぼこだらけです。

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さて、金風呂の集落についても少し。
金風呂はなぜか空襲を受けているそうです。
私は通り過ぎてしまったのですが、このストアーつるたの向こう側に昭和20年代後半から昭和42年まで営業していた木造の映画館を転用した「光劇場」があって、上映施設として利用されているそうです。

予約すれば見学できるらしいですよ。
>詳しくはこちら→笠岡市HP

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現在の北木小学校には石の二宮尊徳像がありました。
背面に「紀元二千六百年記念 昭和十五年四月建之 金風呂青年團」と刻まれています。

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せっかく自転車なので、金風呂からもう少し足を伸ばしてみます。
途中、石材の置き場などもあって、「ああ、山羊の石像などもあるのか」などと思っていたら本物で少しびっくりしました。

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ここまで来ると目の前に白石島が見えます。
その向こうに見えるのは本州です。これぐらい近い。

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白石島との海峡は川みたいです。

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こんな標識があって何かと思ったら、海底の水道管がここを通っているという表示でした。
うっかり切ったら大変なことですものね。

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最後にもう一つの丁場湖。
ここは手前が金網になっているので見やすくてお勧めです。
石を吊り下げたのか、簡易なクレーンのような遺構もあります。
自転車でないとちょっと遠いですが。

北木島及び笠岡諸島の記事としては以上です。
この後、大浦港まで戻り、定期旅客船で笠岡に戻りました。
今度は真鍋島まで行ってみたいなと思っています。
次回、笠岡の話が少し続きます。

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北木島の豊浦(岡山県笠岡市)

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笠岡諸島の北木島を訪ねた記事の続きです。
レンタサイクルで北木島の西海岸に回り込むと、テクノスケープというのか、採石・加工関連の施設が増えてきます。しかも今まで見てきたものよりも新しく見えます。山も採石による崖が目立ちます。


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こんな風に海岸に工場が並んでいます。
外周道路と海の間には広い空き地があり、ここに石材を積んであったのでしょうか。

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内側にも細い道があって、こちらを自転車で走りました。
工場の裏はすぐ丁場(採石場)です。

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石切場はどこもこんな感じで、崖の手前に池があります。
地下に掘り進んだところに水がたまったもので、すごく深いのではないでしょうか。

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ぽつんと立っていた鳥居。

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豊浦の集落に入るとすぐ、鮮やかな水色の近代建築が目に入りました。

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「公会堂」と書かれた古い額が掛かっていて、ここは豊浦公会堂(昭和9年)です。
現在も使われているようです。

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その隣には旧豊浦幼稚園があります。
見た感じ昭和20〜30年代の建物に見えるのですがどうでしょう。
現在は、NPOのかさおか島づくり海社が入っています。

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広いグラウンドがあって、片隅に備前焼の二宮尊徳像がありました。
刻印を見ると、伊部窯元の興楽園となっています。
大浦の神社で見た備前焼狛犬と同じ窯元です。

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ここには北木島小学校豊浦分校がありました。
明治15年開設で、昭和16年の古い校舎がありましたが、学校統合に伴い平成13年3月末で廃校となり、校舎は解体されて写真左に見える集会所が建てられています。
>出典「想いでの校舎 笠岡市立北木小学校豊浦分校」

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隣接して八幡宮があります。
ここの石灯籠がかなり巨大。

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さらに集落に入っていくと洋風な住宅がありました。
洋館付き住宅の一種と言っていいのでしょうか。

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逆の方向から。
独立した玄関があって事務所っぽいです。

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さらに北木島郵便局。古く見えますが、1957年(昭和32年)らしいです。
>(参考)文化遺産オンライン

出典が昭和32年に撮られた写真ということでもないのでしょうか。

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階段にも石材が使われています。
玄関ポーチ支柱の束石も。

この郵便局、島にとっては大事な意味を持っていて、後で出てくる畑中平之丞という人が、石材を全国に売って行くには郵便局が必要ということで明治31年に郵便局を作り、初代局長になったそうです。

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集落を歩いている面白い塀がありました。
これは舗装に使われるインターロッキングではないでしょうか。
実際、入口にはインターロッキングを敷いています。
こういう風景を見ると産地らしいなと思います。

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共同井戸とポンプ室らしきものもありました。

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港には畑中平之丞(天保14年〜昭和5年)の像というものがあります。
北木石の採掘と販路開拓の祖と呼ばれる方なので、こういう形で昭和54年に顕彰されています。
碑文によると児島湾干拓にも北木島の石が使われたのですね。
彼の尽力により、日本銀行本店、横浜正金銀行、靖国神社大鳥居など数々の有名建築に使われています。

>(参考)北木ノースデザインプロジェクトHP「北木石の先人達」

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最後に豊浦港の遠景。
この港には笠岡からのフェリーが入ってきますので、豊浦に来るならそれが便利。
海岸にある豊浦公会堂の空色は遠くからも目立っています。

豊浦は島の中でも近代建築的には一番見どころが多いと思います。

 

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2020年1月 4日 (土)

北木島の楠へ(岡山県笠岡市)

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年を越してしまいましたが、瀬戸内海の笠岡諸島の旅の話を続けます。
前回紹介した北木島の大浦集落を回った後、島の西海岸にある採石遺構を見に行くため、大浦の旅客船待合室でレンタサイクルを借りました。
1日500円だったと思います。保証金の代わりに帰りの船のチケットを買うことが条件という合理的なシステムになっています。

訪問日:2019年9月8日

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ちなみに帰りの切符。行きの船の切符と違って、昔、国鉄で使っていたような厚い硬券です。
何で違うんでしょう。

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走り出してすぐ石材工場が現れます。
海岸沿いに点々と工場がありました。
前回も触れたように、北木島は国会議事堂などにも使われている花崗岩「北木石」の産地です。
今は輸入石材を加工しているようです。

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石材の加工場跡。
石材を吊すフックが残っていました。

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スナックがあるのも賑わいの証拠でしょうか。
隣の表札には富士真珠株式会社の北木養殖場と書かれています。
真珠の養殖産業もあったのですね。少し調べてみると東京の会社で、元々の養殖場は三重にあったのですが、そちらの品質低下により、新たな養殖場として昭和35年に北木島と宇和島にも養殖場を開設したという流れらしいです。北木島では養殖だけでなく加工も行われていました。

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こういう採石の作業小屋?の跡も所々に見られます。

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これは石切場の跡のよう。
現在、採石が行われているのは金風呂の1ヶ所のみとのことなので、ここは休止しているはずです。

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海沿いの道は、採石遺構とともに、瀬戸内海の島を眺めながらのサイクリングになります。
二つ並んでいる左の島は大島。その右側に一部見えているのが今度行きたいと思っている真鍋島。その向こうが佐柳島(2013年に行きました)。左奥に見えているのは小手島で、その向こうの大きな島が広島のようです(そちらも石材の島)。

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走っていくと岬が見えてきます。
もともと島だったものが陸続きになったように見えます。
その付け根に楠集落と漁港があります。
ここに寄港する旅客船もあります。

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かつての旅館などもあります。
営業中の旅館は前回の天野屋旅館のみと聞いていますので、ここはやっておられないはず。

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楠集落の中心部。漁船が引き揚げられています。

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この中心部は帰りに寄ったのですが、映画のシーンに出てきそうな風景でした。

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こちらの商店などとても雰囲気ありますでしょう。
入ってみたかったのですが、誰もおられない様子だったので(また帰りの船の時間も迫っていたので)、様子を見ただけで立ち去りました。

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中心部には蛭子神社があって、その隣にはまた商店というセットのような風景です。

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行きの時は楠では立ち止まらず、先を急ぎました。岬の反対側も入江になっています。
湾口に杭が並べてあるのは、ネットで調べたところ、一時期金網を張ってフグ養殖をしていた跡だそうです。
出典(聞き書き)
砕石がまかれてあって、ここにも石材産地らしさを感じました。

 

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2019年10月27日 (日)

石の島・北木島の大浦(岡山県笠岡市)

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初秋の笠岡諸島の旅の続きです。
白石島から次は北木(きたぎ)島に移動します。
今度は高速船のニューかさおかに乗ります。
ニューかさおかは2012年建造の比較的新しい船です。

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すぐ隣の島で、定期旅客船でもたいして時間は変わらないので割高感がありますが、直近の便ということで高速船の利用になりました。

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北木島の大浦港に到着。
名前の通り、開けた湾です。
定期旅客船・高速船は島の東側の大浦港(と楠港)に停まり、フェリーは島の西側の豊浦港・金風呂港に停まります。

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こういう形をしています。(右上方向が北なので注意)
右上に白石島が一部見えています。
この地図で言うと下の大きく凹んだ湾の奥が大浦です。

今回の目的は花崗岩「北木石」の石材の島として有名な北木島の採石産業遺構を見ることで、それはこの地図でいうと上側の海岸に集まっています。
その前に漁業集落の大浦を歩きました。

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さっそく大浦の集落を歩き始めます。
ここにもアーケードを持つ食料品店がありました。
味噌づくり用の糀を売っているのがちょっと特色かも。

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この集落には大きめの諏訪神社があります。
漁業の神様としてでしょうか。

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ここで備前焼の狛犬一対を確認。
伊部の興楽園の刻印があります。


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戦前っぽいデザインの忠霊塔もあります。

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屋根の棟の飾り瓦は左に龍、右に二頭の虎がにらみ合うような構図で、見事です。
白石島の鯛の瓦と同様、龍は波の中に体を沈めている立体的な表現です。

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小川に架かる小橋。石柱や石を切る丸鋸刃の使用済のものが置かれていて、石材の島らしさが出ています。
この丸鋸刃は井戸の蓋とか、あちこちで鉄板代わりに使われていました。
石についても端材らしきものが、家や畑の脇にごろごろしています。
漁業集落とはいえ、石材産業は大きな産業ですので大きく影響が及んでいます。

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シュロの並木に誘われて見に行ったところ、社宅のようなものが2列に並んでいました。
どこかの石材会社のものでしょうか。
サッシは木製のようでしたので、昭和30年代とかかなと思いました。

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こういう面白いものも。
一見、普通の木製の小屋ですが、よく見ると扉の上に「操舵室」と書かれていて、船の操舵室を移築(?)したことが分かります。
陸に上がっても、海上での仕事を懐かしむ気持ちがあったのでしょうか。

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また、歩いていて目立ったのが門柱。
工夫を凝らした石の門柱が多かったのは、やはり石材の島ならではかなと思いました。

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この鉄杭もなんとなく採石場で使われるもののような。

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石塀にはめ込まれた戎・大黒さんの石のレリーフ。
見たのはここだけだったので、風習まではいかないのかな。

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海岸近くの鳥居くぐりの松。

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集落の中心部。消防倉庫のようです。
これも昭和30〜40年代の雰囲気。

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こちらは戎さんの祠です。
囲む壁が煉瓦になっています。
刻印は四弁花でした。

戎さんが多く祀られているのは漁業集落らしいといえます。

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大浦の漁港の船溜まり。正面奥に三階建ての建物が見えますでしょうか。

 

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天野屋旅館といって木造三階建の現役の旅館です。
明治初年の創業で、戦後すぐに三階建てになったらしいです。
このあたりで泊まるならここがよさそう。

だいたい見て回ったので、次の集落に移動します。

ちなみに大浦の北木中学校には、北木石記念室があり、採石産業に関する展示があるそうです。
平日のみ入れますので、平日に訪ねる方はよろしければ。

 

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2019年10月23日 (水)

観光の白石島(岡山県笠岡市)

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笠岡諸島を訪ねた旅の続きです。
最初の目的地、白石島に上陸しました。

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港の前には白石島回漕店と書かれた建物があります。
中は雑然とした感じだったので写真は遠慮しましたが、右手に切符売場のようなガラス張りのスペースがあり、元々はこちらで船の切符なども売っていたのかもしれません。今は小さなプレハブ小屋が切符売場です(白石島に関する郷土史的な調べ物が貼られていますのでぜひご覧を)。

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入り口に「味附海苔と島パンツのお店」とか、「本日おすすめ 白石島特産 桑の実たっぷり マルベリー&ブルーベリーシャーベット販売中」とか書いてあって気になったのですが、誰もいなくて買えませんでした。
お土産ものなどは置いてありました。
島おこしのような活動が行われているようです。

山にほとんど木がなくて、石のごろごろしていた昔の山上での集合写真なども飾ってありました。

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その隣には島の案内地図や記念碑、「名勝白石島」の石柱があります。
とくに石柱は昭和18年と書かれていて、戦前からの観光地だったのですね。

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次の船が来るまでの間に、集落を散策します。
白石島は芸術祭「笠岡諸島アートブリッジ2019」の会場になっていて、この松浦邸のカラフルな糸は展示作品のようです。

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ここで気になったのが棟の瓦です。
瓦のタイ?が泳いでいます。水から頭と尻尾が出ている表現が面白い。

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歩いていくと下見板張りの白い建物が見えてきました。
白石島郵便局の斜め前にあって、旧白石島郵便局(昭和4年)だそうです。

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洋風の瀟洒な建物。明るい島に似合います。

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集落は漁村とはちょっと違う雰囲気の建物が並びます。
切符売場の展示の中に、白石島は江戸時代の瀬戸内海航路の中で、良質の水を産するため、水の補給地点となっていたとか、海の本陣という説明がありました。伊能忠敬も測量の旅の途中、立ち寄ったそうです。

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部活動の合宿中らしき学生とすれ違いながら歩いて行くと、あまのストアという食料品店が。

食料品店は島ではとても存在感がありますね。
食品に限らず必要なものが売られていて、卒塔婆の販売を始めましたという張り紙がありました。

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その向かいにあって心ひかれた理容院。
もう営業されていないと思います。
食料品店前の分かれ道にあって、階段を上がっていく特別感のあるアプローチです。

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腰壁のタイルとかもいいですね。
古い木製の扉も残っています。
これだけでも満足していたのに、

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その先にあった素敵な苅田理容院。
旧白石島郵便局にも似通う窓の白い桟、そして何より現役というのが驚きです。

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その先まで、船の時間まで行けるところまで進んでみました。
高台の小学校に続く道、振り返っての写真。
左手の湯気抜きのある建物は何の建物なんでしょう。

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この道は昭和6年に改修されたということで、道路改修記念碑が立っていました。

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このあたりから白石島の石がごろごろしている山が見られます。
この石が白く輝く様子が白石島の名前の由来だそうです。
時間があったら登ってみたかったところ。この日は次に北木島に行く予定があるので、眺めるだけにしました。

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その山の下に開龍寺があります。
神仏習合の跡か、境内に荒神様、四社明神様など神社も混在しています。

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この狛犬とてもシュッとしてます。お見事な腕前です。
開龍寺や神社を歩き回る時間まではありませんでした。


後ろの看板は、阿波徳島23ヶ所霊場の案内図です。
この鳥居から山上を巡ってまたお寺に降りてくるコースになっています。
四国八十八ヶ所のうちの阿波23ヶ所にちなんだ祠か石仏が配されているのだと思いますが、なぜ阿波徳島だけなんでしょうね。
大正末期1925年に建て始めて、70年の空白を経て平成8年に完成と書かれています。

船が途中に寄った神島には江戸時代に島四国八十八ヶ所霊場が開かれています。

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まだ船の時間があるので、低い峠を超えて西側の浜にも出てみました。
途中で見かけた瓦の塀。

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瀬戸内海を望む白石島の海水浴場。
この日もバーベキュー客などで賑わっていました。

あまりのんびりするわけにも行かず、海水浴場を見たら急いで港に戻りました。
白石島は笠岡諸島の中では観光客の多い島で、訪ねやすいと思います。

 

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