2016年1月11日 (月)

60年代レストランSun(和歌山県橋本市)

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和歌山県橋本市の紀ノ川沿いに、Sunというレストランがあります。

橋本駅前の通りを下っていくと、紀ノ川沿いを走る国道にぶつかるので、そこを左折してすぐですから、駅から徒歩5分ちょっと。
前からあるのは知っていましたが、あまり気に留めたことはありませんでした。
しかし、初めて入ってみたところ、なかなかいいんです。

まず見ての通り、角丸の窓で60〜70年代の雰囲気を醸し出しています。
観光道路のドライブイン・レストランの風情。

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※クリックすると拡大します

中もまた60年代の雰囲気です。
このテーブルと椅子。
どこかに50周年の文字があったと思います。とすると1965年頃?
スパゲティのナポリタンとか頼みたくなります。

そしてもう一つ特筆すべきはその眺め。
わざわざ2階にレストランを作っているのですが、南側が全面ガラスになっており、紀ノ川の流れが見下ろせるんです。南海電車が鉄橋を越えていくところも眺められます。

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※クリックすると拡大します

記事にしたのはそれだけではありません。
駐車場の下に目を転じると、気になる煉瓦構造物が。
いつの時代のものでしょう。

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刻印も確認できました。
六光星です。加えて、その右にも別な刻印があります。タ?
橋本市では六光星の刻印を見る機会が多いです。

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駐車場から降りていく煉瓦の階段があって、その先に煉瓦の構造物が見えています。
アーチ型の開口も見えていて、気になりましたが、降りていくのはためらわれました。

気になってレストランの方にもたずねたのですが、とくに情報は得られませんでした。
こちら方面にお越しの方、ぜひレストランで60年代の雰囲気に浸って、紀ノ川の眺めを堪能し、古いかもしれない煉瓦も眺めてみて下さい。

<関連記事>
 「六光星を追って津守へ」

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2009年10月 9日 (金)

加太砲台跡など(和歌山市)

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「友ヶ島第4砲台跡」の続きです。
友ヶ島から加太港へは最終便の1便前に戻りましたので、まだ少し加太を散策する時間がありました。
岬に向かって歩いていくと、紀州青石積みの石塀がありました。荒々しく積んだ方が紀州青石らしいのですが、非常にきれいに加工して積んでいます。

紀州青石というのは和歌山付近で採れる緑泥片岩で、同様の青石は中央構造線に沿って、伊勢、阿波、伊予などでも見られます。

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さらに進むと大きな近代和風旅館の吾妻屋旧本館がありました。
昭和8年の建築だそうです。老朽化のため、残念ながら使われていません。

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その向こうには加太淡嶋神社があります。
友ヶ島のところで、元は神島にあったと書いた神社です。
拝殿の外廊下の上と下に何か見えますか?

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境内に夥しい数の人形。この神社は人形供養で有名な神社です。
ここは招き猫ばかりですが、タヌキばかり、舞妓さんばかり、博多人形ばかり、などなど人形ごとにグルーピングされています。ある意味、博物館です。

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ところで、神社の参道に江戸時代・文政13年(1830年)の千度石がありました。側面に「渡海安穏」とあります。廻船問屋が奉納したのでしょうか。
千度石というのもあるのですね。たいへんな願掛けです。

ちなみに参道にも紀州青石が敷かれています。

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まだ時間があったので、吾妻屋旧本館の脇から、山の上にある和歌山市立加太少年自然の家に登りました。1日の終わりには結構きつい登りです。
その入口前にあったのが、この建物。このシリーズを読まれた方はお分かりですね。便所です。
この手前にも数棟の民家があって、それも元は砲台の附属建物だったそうです。そう、ここも砲台跡なのです。

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「関係ない大人は入るな」という趣旨の警告にひるみつつ門をくぐると、すぐに砲台関連施設がありました。友ヶ島で散々見てきましたのですぐ分かります。
勝手に入るわけにはいかないので、事務室に出向いて見学許可をもらいました。ついでに砲台の位置を尋ねて地図をもらいました。砲台とは書かれていませんが、地図の形にははっきり現れています。

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メインの建物のすぐ脇には加太砲台跡があります。ここが砲座のようです。
加太砲台は明治35〜37年に建設された砲台なので、友ヶ島の砲台よりは10年ほど新しい砲台です。

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中に入れる部分もあります。
ここは観測所だとのこと。

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くぐり抜けて振り返るとこうなっています。

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ここから園内の歩道をさらに登っていった先に家族の広場とアスレチック遊具があります。
ここは同じく明治35〜37年に建設された田倉崎砲台跡だそうです。
アスレチックと一体で冒険心を増しています。

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棲息掩蔽部というそうです。
倉庫に使われている風。

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弾丸置き場のくぼみにはバーベキューの薪がぎっしり。
しっかり活用されています。

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極めつけはこの滑り台。
砲座跡の池と海を眺めながらの絶景滑り台。
すごいレイアウトやなあと思います。
子供がいなかったので、私も一回滑ってみました。

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戻る途中、来るときには気付かなかった遺構がありました。
右翼観測所の跡だそうです。

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この上は、みはらしの丘として紀淡海峡を眺めることができます。
さっき渡ってきた友ヶ島も全景が見えます。
この景色を目に納めて山を下りました。

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加太駅に向かって歩いていると、側溝になにやらゆらゆらするものが。
なんとイソギンチャク! しかし、いくら海が近いと言っても・・・

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不思議に思って川上に目をやると、貝屋さんがあって、海水を掛け流していました。なるほど。

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加太の集落にはこのような旅館風建築もあります。

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落ち着いた町並みがあって、加太の町を歩くのもまたいいと思います。
加太の集落については、このシリーズの最初「加太港へ」でも紹介しました。

肝心の六光星の煉瓦刻印は確認できませんでしたが、多くの砲台跡・附属建物など近代化遺産を見ることができ、とても充実した一日でした。加太・友ヶ島はかなりお勧めできます。
歩くには遠いので訪れませんでしたが、加太の北には深山第1〜3砲台跡などもあります。
こちらも元気がある方はどうぞ。

なお、由良要塞や友ヶ島砲台、加太砲台については、図解入りなど、もっと詳しい解説をされているページがたくさんあります。「由良要塞」、「友ヶ島砲台」などで検索すると見つかりますので、ご覧になってみて下さい。とくに「由良要塞」のHPが分かりやすいです。

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2009年10月 7日 (水)

友ヶ島第4砲台跡(和歌山市)

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第3砲台跡を出れば、後は第4砲台跡のみ。
しかし、既にいろいろ紹介しましたように、島には砲台跡だけでなくいろいろな遺構があります。例えば、この穴などやはりわざわざ掘ったものではないでしょうか。ちょっと不気味。

他に探照灯(サーチライト)跡といって、夜間、敵艦を照らし出すための設備の跡があるのですが、入る道を間違えて下まで降りてしまいましたので、今回探訪はあきらめました。

下にはまた芝生のキャンプ場があります。
第4砲台跡は少し離れていて、島の東側の山にあります。
再びゆるやかな道を上っていきます。

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木々の切れ目から神島が間近に見えます。
以前にも書きましたが、加太淡嶋神社がもともとあったとされる島です。

この道は沖ノ島(この島)の東にくっついている虎島まで続く本道で、途中、鋭く切り返すように、第4砲台跡に向かう道がついています。

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歩いていくとすぐ壁が現れました。
昔は建物が建っていたのかもしれませんが壁だけ。

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そこから左に折れると門と、向こうに崩れた建物がありました。
瓦屋根が落ちてしまっているので中には入れません。

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崩れた建物の右横に掘りこまれた道があり、また弾薬支庫らしきものが現れます。
ここは小規模です。明治23年に着工して、明治25年に竣工した砲台だそうです。ただ、終戦まで使われていた他の砲台と違い、大正時代に既に放棄されたという記述も見ました。

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奥まで行って後ろを振り返ったところ。
ここには誰もいないので、遺跡に浸れます。

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またこれも第3砲台跡で見たような構造の地下入口と階段がありました。

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井戸の跡?

090815no4houdai9ここに刻印がありました。
放射状の五本線は堺煉瓦の刻印です。
これで大阪の代表的な煉瓦会社は揃い踏みです。

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井戸から先、道は左回りに台地を回って裏側には井戸のある広場がありました。
草に覆われて砲座の跡などもあるようです。
位置関係をよく把握できないまま撤退しました。

その後も落ちている煉瓦に気はつけていましたが、六光星の刻印はとうとう見つけることはできませんでした。
絶対ないのかというと、ないとも言い切れないのですが。
残念ながら、もう戻らないといけません。

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路側に石を並べて整備された道を歩きます。

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ちなみに路側の石は道路を開くときに出た石らしいというのが、この露頭を見ると分かります。

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ほぼ見るべき所は回りましたので、16時30分の最終便を待たず、15時30分の臨時便で加太に帰りました。

六光星の刻印の煉瓦を確認するという最大の目的は達成できませんでしたが、友ヶ島の砲台跡などの遺構群は非常に見応えがありました。友ヶ島砲台については、たくさんの人が私よりずっと詳しく解説され、美しく写真に撮られていますのでご覧になってみてください。そしてできれば実際に見に行ってみてください。懐中電灯をぜひお持ちになって。

六光星の刻印についてはまた別の手がかりを探そうと思います。

お読みいただきありがとうございました。
この旅はもう少し、加太の話を続けます。

この続きは、「加太砲台など」

(追記)
 2009年11月14日に南海電鉄が主催の友ヶ島ウォークが開催されるのですが、50人の定員が10月中に既に満席。人気が出ているんですね。(2009.11.1)

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2009年10月 2日 (金)

友ヶ島第3砲台跡(和歌山市)

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いよいよ友ヶ島第3砲台跡−最も規模が大きく、整っている砲台−に入ります。
タカノス山から降りてくると、2つの池が目に入ります。
まるで庭園のようですが、池になっているのはたまたまで、ここは大砲の置かれていた砲座の跡です。大砲が撤去されたくぼみに水がたまったという訳です。

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裏側なんですけど、降りてみることにしました。
大砲の据えられていた空間をぐるりと煉瓦の壁が取り巻いています。
向こうにトンネルが見えます。

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興味をひかれてトンネルをくぐってみました。

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トンネルの先にはまた大砲の置かれていた空間があります。
ここは乾いた庭です。

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さらにトンネルをくぐると沼地のような中庭。
映画だったら沼からワニぐらい出てきそうな不気味さです。
もう1つくぐってそれ以上進めなくなり、横の土手を登って表側の通路に降りました。

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表に出てみるとしっかりした案内板が立っていて、ようやくどうなっているのかが分かりました。私は右上のメガネ型の中庭(砲座)に降りて、左端の砲座までくぐったわけです。
こういう配置図があれば非常に分かりやすいのですけど、設置されているのはここだけです。
第3砲台は、明治23年に着工して明治25年に竣工したそうです。

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全体配置が分かったところで先に進みます。
通路は所々掘りこまれて地下に入口が口を開けています。
これは先ほどの砲座につながっていたと思われます。
今はふさがれていますが。

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階段は石で、角が丸められています。
丁寧に作られていますね。

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先に進むと一段下がって、弾薬支庫が連続する空間です。
友ヶ島の砲台ではここの写真が最もよく紹介されていると思います。
煉瓦の構造物、そして絡まる緑が美しいので。

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私が気に入ったのはこの階段です。
とても美しいカーブ。

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突き当たりは行き止まりのように見えて、左側にトンネルがあります。

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トンネルを抜けて振り返るとこんな感じです。
ルートが逆ですね。

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トンネルを抜けると、屋根の抜けた廃屋があります。
これは発電所の跡らしいです。

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そしてその斜め前には監守衛舎跡、あるいは将校宿舎跡。
煉瓦と木造折衷の住宅です。

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危険なので中には入れませんが、覗き込むことはできます。
ここは炊事場の土間でしょう。一部畳が張ってあったであろう床が分かります。

ここでもやはり煉瓦の確認を忘れてはいけません。
先ほどの煉瓦の弾薬支庫はきちんと残りすぎていて刻印は確認できませんでした。

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地面には住友マークの貝塚煉瓦、住宅脇の壁には×印の岸和田煉瓦。

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ここでは日本煉瓦(堺市)と推定される四弁花の刻印もありました。
しかし、これだけいろんな種類があるのにどうして六光星の刻印はないんでしょう。

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出口は切り通しになっていて、いざとなれば閉じられるようになっています。
いや出口ではなくて、ここが入口なんですね。
全く逆ルートをたどってしまいました。

この第3砲台跡はさすがに見応えがあります。
オンシーズンといってもここまで登ってくる人は少なく(多くは海水浴と磯遊び)、静かに煉瓦建築にひたれました。


*ところでこの記事で500本目の記事となりました。
 ここまで4年ちょっと。記事が1000本を越えるとステージが上がるそうなので、1000本に向けてこつこつ書いていきたいと思います。

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2009年10月 1日 (木)

友ヶ島第5砲台跡と展望台(和歌山市)

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海軍聴音所跡を見た後は本道に引き返し、山道を登ります。
途中、第5砲台跡を見るため、野奈浦の方に下る道をたどりました。
どこまで降りればいいのだろうと不安に感じだしたころ、森の中に煉瓦の門柱が現れました。
奥にはまたしても便所が見えます。

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これは洗い場でしょうか。

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第5砲台跡自体は草木に覆われてどこか東南アジアの遺跡みたい。
この砲台は最も新しく、明治36年着工、翌年竣工だそうです。
津守煉瓦(明治30年創業)が使われたとすれば最も可能性の高い砲台ですが。

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ドーム状の横穴の入口に、煉瓦の壁が立っています。
なんとか煉瓦の刻印を見つけようとしましたが、見つけられませんでした。

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横の山に登って全体を眺めると、ますます密林の遺跡みたいです。

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また本道に戻って山を登ります。
それにしても歩きやすい。軍用車両が通るからでしょう。このように平坦に整備されているので、想像したよりかなり楽に歩けます。
この道の向こうに小さな展望台がありました。

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野奈浦に泊まる定期船とその向こうに神島が見えます。

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道路の話をしましたが、路側はこのように石を組んで側溝がつくられています。すばらしい。

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登っていくと道の脇に便所がありました(もういいですか?)。

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第3砲台跡を横目に見つつ、まずは島の最高点・タカノス山に登ります。
頂上は芝生の広場で大展望台があります。しばし休憩。

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最高点だけあってさすがの眺め。
東の方は隣の地ノ島から紀伊半島につづく山並みが眺められます。

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西は淡路島、四国が眺められます。
さっきいた友ヶ島灯台が小さく見えます。

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最高地点には一等三角点が置かれていました。
標高119.9m。明治18年に設置されたそうです。
この石積は味がありますね。

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なお、このタカノス山の隣には航空用無線標識のVORがあります。
これは関西国際空港の開港時に設置されたそうです。
海だけでなく、空の交通でも要衝になっているのが面白いですね。

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2009年9月30日 (水)

友ヶ島灯台と第1砲台跡(和歌山市)

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第2砲台跡を見た後は友ヶ島灯台のある高台に登りました。
昔は小島だったのがつながったのでは、と思う地形です。
ちょっとした坂道を登ると、ほとんど頂上近くで道の脇にトンネルが現れます。
残念ながら扉が閉じられていますが、これが友ヶ島第1砲台跡の入口です。

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扉の隙間から覗き込むと暗い煉瓦のトンネルの向こうに明るい中庭が見えます。

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階段を登り、中庭を上から覗き込むと、このようにいくつもの窓が中庭に開かれているのが分かります。上からも入ることはできません。
友ヶ島第1砲台は明治22年に着工して翌年竣工した、友ヶ島で最初の砲台だそうです。
(すみません、ピンぼけです)

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砲座だけでなく、両翼に観測所があり、このような装甲掩蓋まで残っています。先ほどの中庭からこの観測所までは浅い通路でつながれているようです。

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第1砲台跡の隣には友ヶ島灯台と旧吏員退息所があります。
この灯台は英国人技師ブラントンの設計で明治5年に建設され、明治23年に第1砲台の建設に伴って東に移設されたものです。

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高さ12.2mで、近くで見ても大きな灯台ではありませんが、
石造(花崗岩)の貴重な灯台です。
毎年5月と11月に一般公開されるようですよ。

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灯台にはプレートがはまっていて、

 明治五季六月廿七日初点灯於旧台
 明治廿三季八月五日再点灯於新台

とあります。先ほどの移転の記録です。

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旧吏員退息所は明治3年に建設され、昭和55年に改修されているそうです。
明るい石積みの建物。

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灯台の先は眺めの良い芝生になっています。向こうは崖。
この灯台にはもう一つ特徴があって、ほとんど東経135度上にあります。つまり明石の真南。東経135度・日本標準子午線の標識が近くに立っていました。また、東経135度が通る日本の陸地としては最南端なんだそうです。本州でも四国でもなく、ここ友ヶ島を通っているのも不思議で、いっそう特別な場所という感じがします。

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ところで、灯台のそばの地面を見ていて、刻印煉瓦が落ちているのを見つけました。
この刻印は丸に3本線の最大手・大阪窯業です。またしても六光星ではない。しかし、第2砲台跡では岸和田煉瓦でしたので、使われた煉瓦は1種類だけではないということですね。

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頂上を一回りして、別のルートで丘を下りました。
坂の途中の脇道に廃墟があったので寄り道をしました。
煉瓦の積み方からして便所かもしれません。

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丘の下は池尻浜のキャンプ場になっています。
池の脇に建物跡がありました。
住宅だったのでしょうか。基礎と便所らしき建物(またか)だけが残っています。

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島にはあちこち井戸が掘ってあります。
こんな風に年代物のポンプが今も現役です。
キャンプ場にはぴったり。

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ここからが本格的な山道(といっても知れていますが)です。
島の最高点に続く遊歩道を上っていくと、途中に分岐があって「海軍聴音所跡」の矢印があります。
興味をひかれる名称なので、もちろん寄り道します。
途中、唐突に上の写真のような貯水槽が現れました。
島なので水が貴重だったのでしょう。

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そして岬の先に海軍聴音所跡はありました。
いかにも軍事施設然としています。
昭和16年頃といいますので、砲台の作られた時期から50年ほど下ります。
島で唯一の海軍関連施設で、砲台はみな陸軍の施設とのこと。
なんと2002年に「発見」されたらしい。

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荒廃していてちょっと怖い雰囲気。
全く注意書きがなかったので、ずんずん入っていきましたが、もう少し注意を払うべきだったかもしれません。

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海が見渡せる部屋。なぜか壁の煉瓦はところどころ抜いてあります。節約のため?
海軍聴音所とは、紀伊水道に進入してくる潜水艦のスクリュー音を聴いて発見するための施設だそうです。実際に入ってきた潜水艦はなかったようですが。

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外から見ると目立たぬようになっています。
壁に石を積んでみたり、工夫をしています。

090815todai19海軍聴音所の前に赤煉瓦が落ちていました。刻印は、私は初めて見る分銅型です。東京の小菅集治監(監獄)製の煉瓦には、桜とともに分銅型があるそうです。海軍は調達先が違うのでしょうか。

刻印はいろいろ見つかるのに、肝心の六光星の刻印はありません。
ここである考えが浮かびました。砲台ごとに使われている煉瓦が違うのでは、という。
期待しつつ、第5砲台跡に向かいました。

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2009年9月27日 (日)

友ヶ島第2砲台跡(和歌山市)

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友ヶ島の話の続きです。
いよいよ遺跡めぐりに出発します。
砲台の遺跡は島に散らばっているので、まずは行きやすいところから、海岸沿いに歩いていける第2砲台をめざしました。

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歩き始めてすぐに神社がありました。
明治の中頃、陸軍による要塞工事に送り込まれた人たちが工事の無事を祈願して建てた神社だそうです。神社もまた近代化遺産です。

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道の脇を見ていると排水溝なども石できっちり組んであって感心します。

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用途不明の煉瓦建築がありました。
窓が小さいので倉庫でしょうか。

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道は非常に歩きやすい道です。
例えば、ここなど小さな入り江を突っ切って土手道がつくられています。軍用道路を踏襲しているのでしょうか。

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小さな岬を回ると淡路島との海峡が目に入ります。
左側の岬の先端に破壊された第2砲台跡があります。
タンカーの大きさと比べれば、海峡の狭さが分かるでしょう。

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岬の手前に旅館と食堂があります。

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第2砲台跡に到着。
当たり前ながら、どの砲台も目立ちません。

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間近まで近づいてようやくその様子が分かります。
友ヶ島第2砲台は明治31年に竣工したそうです。紀淡海峡防衛のために設置されたのですが、第2次大戦では船より飛行機が主体になったため、戦闘には関わらないまま終戦を迎えました。しかし、終戦直後に爆破されています。物騒だからでしょうね。

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さらに近づくと地下にもう1層あることが分かります。
明治の煉瓦建築は美しいですね。
残念ながら立ち入り禁止です。

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反対側に回ってみると、破壊されてごとごと崩れた様子が分かります。
廃墟の美を感じます。
私はイギリスの海岸のお城をイメージしました(要塞はフランス式らしいですが)。

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岬には芝生が張られていて気持ちの良い公園になっています。
ここでのんびり海峡を通る船を眺めるのも良さそう。

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さて、私の今回の目的は砲台を見ることではありません。
煉瓦の刻印を確認する(六光星の刻印*を探す)ことなので、もう一度戻ります。
一番崩れているところで確認します。
煉瓦の刻印はたいがい「平」の面にあって、きっちり積んであれば隠れて確認できません。だから崩れている場所がチャンスなのです。

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あちこち眺めてようやく1つ見つけました。


・・・が、×印の岸和田煉瓦・・・

落胆しつつ次の砲台を目指します。
今さらですが、津守煉瓦の創設は明治30年。第1・3・4砲台はそれ以前なので、明治27〜31年に建設された第2砲台、明治36年に建設された第5砲台しか該当しないのですよね。

*:これまでの経緯
 大阪で時々見かける六光星の刻印がどこの煉瓦会社なのか知りたくなった私は、消去法で津守煉瓦ではないかと推測しました。大阪の津守煉瓦工場跡では決定的な証拠を見つけることはできず、津守煉瓦が友ヶ島の要塞建設に使われたという噂をもとに友ヶ島に向かいました。
 →詳しくはこちら


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2009年9月23日 (水)

友ヶ島上陸(和歌山市)

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前回の続きです。
終戦記念日の8月15日、要塞のあった友ヶ島を訪れました。
目的は煉瓦の刻印を確認するためです。(→「六光星を追って津守へ」からの流れ)

友ヶ島は紀伊半島と淡路島の間、紀淡海峡に浮かぶ4つの島(沖ノ島、地ノ島、虎島、神島)の総称です。上の写真で左が沖ノ島、右が地ノ島です(奥が淡路島)。船が大阪湾に入る交通・防衛の要衝のため、明治22年以降、友ヶ島には紀伊半島側、淡路島側とともに砲台が設けられました。その砲台が煉瓦でできているわけです。以後、友ヶ島は第2次大戦の終結まで一般人の立ち入りが厳しく制限された要塞の島でした。

今回訪れたのは沖ノ島です。
今は海水浴とキャンプの島になっています。
(他の島には公共交通はありません)

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交通手段は友ヶ島汽船(株)の船のみ。
通常期は1日4往復、GWと夏場は7往復に増便されます。
(冬場は2往復のみ。火・水は運休)

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運賃は往復2000円でした。
戻ってくるしかないので往復で買います。
やや高めですが、やむなし。

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この日は夏休みなので50人ぐらい乗っていたでしょうか。
結局、弁当を買うことができず、港の売店でスナックを買って乗り込みました。
加太の漁港を後にします。

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船は地ノ島と小さな虎島の間を抜けます。この写真は虎島。
虎島は満潮時に水没する道でかろうじて沖ノ島とつながっています。
今回は訪ねませんでしたが、虎島にも保塁跡があります。

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沖ノ島の北側に浮かぶ小さな神島。
加太の淡嶋神社はもともとここに祭られていたそうです。
加太淡嶋神社はできれば後日紹介します。

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船は20分ほどで北岸にある野奈浦の桟橋に到着しました。
港はここだけです。先に到着している人たちもいて賑わっています。

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ここで地図を確認。左下が北なのでご注意を。
曲線の先が現在地・野奈浦です。

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さっそく砲弾がお出迎えです。
友ヶ島の第3・第4砲台に配備されていた8インチ砲の弾丸と説明されています。

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ここ野奈浦には民宿・友ヶ荘が冬季を除いて営業しています。
実は食堂があって、ここで昼食を食べることはできるのでした。
灯台の近くにもう1軒、冨士屋という民宿・食堂もあります。
島には何もないと思いこんでいました。
もちろん自販機もありますし、缶ビールすら売っています。

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あと、もう1つの思いこみは、見るべきものは5つの砲台だけだと思っていたことです。実際には他にも様々な建物・遺構が残っているんです。
例えば野奈浦の奥にもこのような建物群があります。
奥に煉瓦の煙突なども見えますでしょう。兵舎だったのでしょうか。

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近づくとこのようになっています。
当然ながら立ち入りは禁止です。
今はどう使われているのでしょう。

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この建物は恐らく便所。
島のあちこちで見かけました。
片側だけ腰まで煉瓦を積んでいるのが特徴です。

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広場の奥にある縦板の木造建築。

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押し縁下見板の木造建築。

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桟橋を振り返ると、ちょっとした芝生の広場が広がります。
この広場も軍事用に使われていたのでしょうね。
あるいはもっと建物があったのかもしれませんが。

一休みしたら島内の探索に出発します。

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加太港へ(和歌山市)

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終戦記念日の8月15日、行っておきたかった紀淡海峡の友ヶ島を訪問しました。一般の人には夏のキャンプ地、マニアには友ヶ島要塞(由良要塞)で知られる島です。
そして私にはレンガの刻印を確かめるという目的がありました。(→「六光星を追って津守へ」の続きです)

友ヶ島に行く船は加太港から出ます。加太港には電車の場合、南海本線で和歌山市駅まで行き、そこで加太線に乗り換えて20数分の終点・加太駅から歩きます。
加太線は思ったよりは混んでいましたが、多くの人は海水浴場がある駅で降りていきました。明らかに砂地の畑と住宅が続く紀ノ川沿いを走り、最後に目の前に現れる山に切り込むように加太駅に到着しました。

加太駅は開業時の明治45年(1912年)の駅舎で、のどかな雰囲気があります。

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駅前には昔ながらの土産物屋などが並んでいます。おにぎりを買おうか迷いましたが、海はまだ先ですので、お茶だけ買って、もう少し進むことにしました。

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幹線に出て道なりに歩いていくと、旧加太警察署があります。
これも加太駅と同時代で、明治末か大正初めの建物といいます。
当時は友ヶ島だけでなく、本土側にも要塞がありましたので、加太は自由に出入りできない地域だったそうです。駅が離れているのはそういう事情もあるのでしょうか。警察署の持つ意味も通常より重かったと思います。なんとなく筋肉質な印象も受けます。
戦後、警察署が移転した後は払い下げられて民宿「中村荘」となり、残念ながら今は閉じて個人宅となっているそうです。

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港への道は大阪に向かう幹線を離れ、静かな道に入ります。
角には道標が立っています。

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ところで、この家の玄関先の敷石が変わっています。
短冊状の石を並べていて、その石の手前一つ一つに凹みがあるんです。何かの再利用でしょうか。

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歩いていくとガレージに海藻を干していました。
調べてみると、どうもテングサのようです。
町中にも海苔など海藻関連の問屋の看板があり、この町の漁業には海藻が欠かせないようでした。

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脇道を覗き込むと漁港らしい、狭くうねる通路が私を誘いますが、時間に余裕はないので先を急ぎます。

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潮風に当たると古いものでなくてもたちまちレトロな雰囲気に。

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門前の商店街。右端の店に看板はなく、大鍋に揚げ油の用意をされていたので、何の店かなと思い、聞いてみるとあげパンの店だそうです。キシモト店というそうですね。有名店とは知らないまま、「帰りに寄りますね」と言って立ち去りましたが、帰りにはもう店じまいされていました。惜しい。

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道は海の香りのする川沿いの道に出ます。
下調べで見ていた洋館付き住宅がありました。
洋館を突っ込んだようにも見えます。

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同じ並びには煉瓦倉庫もあります。

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丸治醤油という醤油屋さんだそうです。
大正12年だとか。マークがきれいです。

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振り返るとこのような道になっています。
この川は運河だったのでしょうか。

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なかなか港にはたどりつきません。
生け簀で貝を売っている店や名物のよもぎ餅を売っている店があります。
気持ちがあせっているので買い物をする間なし。

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行き先を見失いかけたとき、右手駐車場の向こうに加太港が見えました。
ほんとに小さな港で、客船といえば友ヶ島行きの船だけです。
オンシーズンなので、既に島に遊びに行く人たちの行列ができていました。

いよいよ友ヶ島に渡ります。

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2007年5月 9日 (水)

寄らされて新宮、西村伊作邸

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寄り道はいつものことですが、今回は寄らされ道。
7分遅れで熊野市に着いた特急のドアが私の目の前で閉まってしまったのです。
何てこと・・・
そのまま新宮まで連れて行かれてしまいました。
おまけに戻る列車は1時間後。
怒っててもどうしようもないので、ここは街あるきです。
観光案内所で地図をもらい、商店街をたどって歩き始めました。

少し歩いたところで、目に入ったのがこの界隈。
まず、塀の石積が目をひきました。
近づいてみると、そこは西村記念館(西村伊作自邸)でした。

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玄関に上がる同心円の石段が異国の雰囲気。
西村伊作自邸は、大正3年(1914年)に建てられています。
『日本の洋館 第三巻 大正篇Ⅰ』に載っているぐらい有名な住宅らしい。

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この居間(手前)を中心にした家族主体の間取りが画期的なのだそうです。
奥は食堂。

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この部分はイングルヌックと呼ばれるそうです。
電車のコンパートメントみたいというのが私の第一印象。
普通は大邸宅に付けるものだとか。
暖炉の代わりにストーブを置いてます。

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居間からは南国らしい緑濃い庭が眺められます。

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2階の階段回り。細い手すりです。

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広々とした2階の寝室にはベランダ、その向こうに緑が広がっています。
ロッキングチェアが気持ちよさそう。

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2階には和室もあります。

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庭側から見た外観です。赤と白のコントラストが鮮やか。
手前に張り出した部分が食堂のベイウィンドウ(出窓)です。

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勝手口に降りる階段は逆の同心円階段です。
赤い扉がヨーロッパを思わせます。
向こうに見える白い建物も古そう。

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このカーブ、散歩したくなる道です。
向こうに見えるのは、これも西村伊作による旧宣教師チャップマン邸。
1926年に建てられています。

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さらに近づいてみます。
こちらは公開されていないので、外から眺めるだけです。

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お向かいの建物もちょっと独特です。
大島虎之助設計による岡邸というのがこれにあたるのでしょうか。

この一体は伊佐田という地区で、とても趣きある一角でした。
全く予定していなかった新宮でしたが、満足いく寄り道になりました。
新宮は熊野大社、汽船、木材、漁業などかつての街の構成要素の多い、面白そうな街なので、次は目的地として再訪したいと思います。


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