2020年1月18日 (土)

石山寺公園(滋賀県大津市)

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大津市の長等(ながら)公園を訪ねた後、もう1ヶ所、ラジオ塔があったという石山寺公園を訪ねました。
京阪石山坂本線に乗って石山寺駅まで。ここに来るのは初めてです。
駅の裏に住友活機園はこちらという案内がありました。
まだ抽選に当たったことがありません。

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駅のすぐ前を流れる瀬田川に沿って歩いて行きます。
石山寺は意外と離れているんですね。10分ほど歩くことになります。
降りたらすぐなのかと思っていました。

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途中にあった大型の鳥瞰図。
「石山寺 岩間寺 西国巡礼道 石山温泉及び近郊全景鳥瞰図」と書かれています。
描かれている時期は、1988年(昭和63年)に開通した京滋バイパスが描かれていること、1995年(平成7年)に着工した大津放水路が描かれていないことから、昭和末から平成初期頃の様子なのかと思います。
後でもう一度触れます。

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石山寺の門前に小さな緑地があって、これが怪しいなと思います。

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公園の中に入るとこんな感じ。
右に見える建物は石山寺のバス停待合所です。
古い建物などはありません。
バス停の手前に銅像が立っていますので見に行ってみました。

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「堀田義次郎氏之像」と書かれています。

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裏側に読みやすい字で説明がありました。銅像ができたのは昭和59年。
説明によると、堀田義次郎氏は大正8年滋賀県知事となり、昭和8年から3期大津市長をつとめたそうです。
大事なところを抜き出すと、
「自然と歴史に恵まれた 大津市の特性を生かす道として 観光事業の重要性に着眼 名所旧蹟の整備拡充に積極的に取り組み 現在の大津市発展の基礎を築かれる なかでも 石山寺門前には二千四百余坪の公園を創設し 瀬田川流域の保全とともに 桜 楓 つつじなどを植栽し 石山寺の美観保持に盡力された」

ということで、ここが昭和初期の公園ということで間違いないよう です。
=石山寺公園ということなのでしょう。

下記論文で紹介されている『大津市観光施設調査報告書』(1933)によれば、料亭・茶店・土産物売店が建ち並び、車の往来が激しい石山寺門前を美化する意図があったようです。

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再び先ほどの鳥瞰図を見ると、石山寺門前に三角形の公園が描かれています。
白いのは桜が咲いているのでしょう。また3ヶ所ほど塔の先に白い点があるのは照明器具か灯籠ではないでしょうか。

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改めて確認すると公園内にはこういう遺構がありました。
これなど、ガス灯が仕込まれた灯籠という感じがします。
鳥瞰図に描かれている照明器具(上の1つ)かも。

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また公園西側はこんな感じで、いくつか灯籠が立っています。

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その灯籠の一つ。ラジオ塔などではなくて、普通に灯籠に見えます。
残念ながらラジオ塔らしきものは確認できませんでした。

石山寺公園は、大津市の観光開発の歴史を示す大事な場所ではあると思います。
この日訪ねた長等公園の改修や琵琶湖ホテル等湖岸の開発など、昭和初期の観光開発の一環ということで、いずれもう少し掘ってみたい気もします。

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せっかくここまで来たので、西国三十三ヶ所観音霊場第十三番札所である石山寺も見学しました。

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石山寺の境内図。谷と丘の上に各種の建造物が配置されています。

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中に入るといきなりこんなものがあります。
「くぐり岩」と書かれていて、説明によると大理石でできていて、くぐることができ、前の池は天平時代のものだとのことです。
私もくぐってみました。

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ここからは谷底の道で、右上に見えているのが本堂です。

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注連縄を巻いた岩がありますが、隣に解説板があって、ここは660年代、天智天皇の時代に飛鳥の川原寺の礎石を切り出した採石場で、この切り出し途中の岩は石山寺縁起絵巻の第4巻(室町時代?)にも描かれているとのことです。ずっとこのままなんですね。

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谷の奥には円形の池があり、八大龍王社が祀られています。
ここも石山寺縁起絵巻に登場するそうです。

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本堂は斜面に張り出すように建っています。
現在の本堂は平安時代の1096年に建てられ、滋賀県で最も古い建物という解説がありました。紫式部が源氏物語を執筆した部屋というのもあるようです。時代的に再建前のようですが。外陣は淀君の修補だそうです。

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境内は起伏に富んでいて、硅灰石の露頭があります。
硅灰石とは石灰岩が花崗岩と接触し、その熱で変質したものだそうです。通常は大理石に変化することが多いとのこと。
石山寺の名前はこの石から来ています。

以前訪れた那谷寺とも似たところがあります。

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境内には本堂とは別に琵琶湖を望む月見亭や鐘楼、多宝塔など各種の建物があります。

西国三十三ヶ所は、景色の良い特異な場所に建てられているという思いを強くしました。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2020年1月15日 (水)

長等公園(滋賀県大津市)

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ほぼ1年前になりますが、ラジオ塔の探索のため、滋賀県大津市の長等(ながら)公園を訪ねました。
長等公園は浜大津の南西500mほどの山麓にあり、明治35年に国有林の払い下げを受けて大津市の公園として開園したものです。
先に結果をお伝えしておくと、ラジオ塔は見つけられませんでした。もっとも上のマップを見て分かるように敷地は非常に広いので、「ラジオ体操する場所はこのあたりかな」と目星をつけて回っただけで、全域を回った訳ではありませんので、ないとも言い切れずです。

以下の話は、このマップを参照していただければ多少位置関係が分かりやすいかなと思います。

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公園の一番下から見たところ。
右は滋賀県神社庁ですが、左はおそらく見えている範囲の山まで長等公園です。

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下から順に紹介していきます(実際の回り順は逆でした)。
公園の主要部分は谷に沿って作られており、段々になっていて、いくつかの池をせせらぎがつないでいます。
おそらく後年改修の手が加わって、上の写真のような現代的な庭園になっています。
あるいは石組みは当初からかもしれません。

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下から2段目にある石橋。
コンクリートではなく石橋なので古いのではないでしょうか。

 

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片方は石段になっています。

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橋を下から眺めたところ。
池には鯉が泳いでいます。

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主要部分の一番上の段。とはいえまだまだ序の口。
この公園は桜の名所として知られているそうで、この周りは桜かなと思います。

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振り返ると東屋。新しいものです。

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流れの底には玉石が敷き詰められていて、飛び石や所々の岩などは古いものかもしれません。

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せせらぎの最上部は滝のようになっています。
このあたりも古いかも。

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そして階段を登って振り返るとこんな景色。
向こうに大津市街と琵琶湖が見えます。

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この谷の反対側にはゲートボール場があります。
奥に見えるのは何だろうと近づくと。

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こういう構造物でした。
近づいても何かよく分かりません。

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園内で見かけたやや古そうな柵。
こういうのは残りやすいですね。

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改めて先ほどの階段を登ったところ。
ちなみにここの道、東海道自然歩道のルートの一部になっています。
谷の奥は長等不動尊になっていて、その両脇にさらに上に登る階段があります。

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左側の階段を登っていくと、桜広場というところに出ます。
ここには展望台と平忠度(ただのり)の歌碑「さざ波や志賀の都は荒れにしをむかしながらの山桜かな」が置かれています。
大正天皇御大典記念として、大津市により大正3年に建てられたものです。

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展望台からの琵琶湖。
ここまで登ると結構遠くまで見渡せます。

公園はまだまだ奥まで続きますが、山なので引き返しました。

公園内には、長等創作展示館・三橋節子美術館といった施設もありますが、今回は行っていません。

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再び公園の入口。最後に2つの記念碑を紹介します。
ここに柳谷観音両国寺というお寺があり、境内に「興利養化」と書かれた記念碑が立っています。
後で(というより最近)読んでみると、冒頭に「宇野保太郎君碑」と書かれています。
宇野保太郎という方は、日本の製麻業に貢献された方のようです。明治時代に海外の情勢を見て麻業振興の必要を感じて、近江麻絲紡織会社の設立(明治17年創業)に関わり、北海道製麻会社(明治20年創業)の取締役にもなり、合併により帝國製麻会社(現・帝国繊維(株))になってからも取締役として経営に腕を振るわれた方のようです。この記念碑は彼が大正6年に56歳で亡くなった後、大正8年に建てられています。
日本の製麻業が滋賀県から始まったというのは初めて知りました。

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この公園にはいくつか入口があって、先ほどの入口から東側にもひっそりした階段があります。
その途中、脇に登る階段があって、何か石碑があったので見に行ってみました。

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これも後で確認したのですが、「孝子宇野修自之碑」と書かれているそうです。
明治40年に建てられています。宇野修自がどんな方かというと、大垣の人で、幼くして母をなくし、兄も病気で失って、病弱な父を看病しながら大津地方裁判所の給仕として働いて家計を支えていたそうです。看病と家事と職務に励みながら努力が認められて職員に採用されたものの、22歳の若さで病気でなくなったということです。十年一日という言葉が出ていて、それが言葉通りなら12歳ぐらいから働いていたのでしょうか。碑文は大阪控訴院の部長が寄せていて、22歳の若者にこんな立派な石碑を建てたということに、職場の人の優しさ、彼を可愛がっていたこと、惜しむ気持ちを感じます。先ほどの石碑とは違って、歴史に名を残している人のものではないですが、印象深いものです。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2016年1月 2日 (土)

日牟禮八幡宮の仙人彫刻(滋賀県近江八幡市)

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※今回の写真は全てクリックすると拡大します
 写真撮影は2014年10月。

日牟禮(ひむれ)八幡宮の楼門には、前回紹介した動物彫刻の他に、各面2人、計8人の仙人の彫刻があります。八仙ということになりますが、中国の八仙とはメンバーが異なり、日本人の好みが加味されているようです。

正面右側の彫刻から時計回りに紹介していきます。

まず蝦蟇仙人。
これは分かりやすいです。
蝦蟇と親しげに語り合っています。

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亀の欄間をはさんで、亀仙人(黄安仙人)。
亀の背に乗り、穏やかな顔で巻物を広げています。

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船に乗り疾走する仙人。
はためく衣、逆巻く波にスピード感があります。
これは芭蕉扇を持っているので、鍾離権でしょうか。
鍾離権は、死者を蘇らせることができたそうです。

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その隣は李鉄拐。
杖を突き、口から魂を吹きだしています。
お決まりの表現らしいのですが、小さな分身を飛び出させている表現が面白いです。
李鉄拐は、魂を遊離させて出かけている間に身体を焼かれてしまい、仕方なく、近くにあった杖をついた物乞いの死体を借りたのでこの姿になっているそうです。

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後ろに回って、鶴に乗った王子喬(鶴仙人)。
巻物を広げ、旋回するところが描かれています。
笙の名手だそうですが、笙は描かれていません。

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鯉の欄間を挟んで、琴高仙人(鯉仙人)。
手に巻物を掲げ、鯉の背に乗って今にも水中から飛び上がろうとする瞬間のようです。
琴の名手だそうですが、琴は描かれていません。
亀の欄間の左に亀仙人、鯉の欄間の左に鯉仙人と、並びが考えられています。

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最後の面は、剣を振るう呂洞賓のようです。
松の木の向こうに3匹の動物(ネズミに見える)が顔を出しています。これを払おうとしているのでしょうか。
犬が呂洞賓を噛むということわざがあるそうですが、犬には見えないのでどうなんでしょう。

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最後に瓢箪から駒を出す張果老。
実際はロバだそうです。
ロバに乗って移動するのですが、休むときにはロバを小さくして瓢箪に入れていたそうです。

全体として躍動感のある表現で場面が捉えられていて、見応えがあると思います。
近江八幡にお出かけの際にはぜひご覧下さい。

<関連記事>
 「日牟禮八幡宮の動物彫刻」

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2016年1月 1日 (金)

日牟禮八幡宮楼門の動物彫刻(滋賀県近江八幡市)

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※今回の写真は全てクリックすると拡大します

明けましておめでとうございます。
本年も当ブログをよろしくお願いいたします。

新年最初の記事は、お正月らしく神社の話題にします。
滋賀県の近江八幡市にある日牟禮(ひむれ)八幡宮の楼門の動物彫刻を取り上げます。
撮影は2014年10月。
日牟禮八幡宮は近江八幡の市街地の北側、八幡山の麓にある神社です。
ここの楼門の動物彫刻がすごいんです。
楼門は江戸時代末期の1858年に焼失し、同年再建されたそうです。

遠目には全体に茶色いのでよく分かりません。

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楼門の正面部分。

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まず目につくのがバクです。
これはお寺の門などで見かけるでしょう。

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正面の欄間のような部分、よく見ると亀がいます。
波の間から振り返っている亀と見上げる亀。

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波に乗るように滑り落ちる亀。

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そして粟?の下から遠くを眺める亀。
それぞれの亀のポーズといい、波や植物の表現といい、とても生き生きしています。

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次いで裏側です。
こちらには何があるかというと・・・

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同じく、欄間のような部分に鯉がいます。
こちらに顔を見せていたり、波の向こう側だったり、体をひねっていたり。
愛嬌のある表情です。

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さらに梁の先端部分(木鼻)には獅子がいます。
これが一匹一匹個性的なんです。
左の方は鞠を抱えていますね。
右はポーズを取っています。

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こちらは怖い目をして飛びかかろうとしています。

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かと思うとこんな風にふざけた獅子も。
こんな獅子がぐるりと一周しています。

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さらに上を見ると斗栱の下にも何かいます。

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波乗りうさぎです。
こちらに向かってきています。
一匹ずつの違いはよく分かりませんでした。
これも四周にいます。

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さらに上、屋根下の隅にはサルがいました。

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楼門の中に入るとここには鳥がいます。
これは孔雀と牡丹でしょう。

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これは何の鳥でしょう。
木は松でしょうか。

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これは鳳凰ですね。
植物は梧桐?

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これは鷹と椿でしょうか。

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側面の欄間のような部分に雲のような彫刻がありますが・・・

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よく見るとこれも鳥の群れです。
全部で11羽。
反対側にも9羽いました。

全体でいったい何匹(何羽)の動物彫刻があるんでしょう。
しかもそれぞれが生き生きとした描写で見飽きません。

日牟禮八幡宮に参拝されるときはぜひご覧下さい。

そしてこの楼門にはあと一群の彫刻があります。
それは次回の記事で。

<関連記事>
 「日牟禮八幡宮の仙人彫刻」

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2013年5月12日 (日)

旧伊庭家住宅のディテール(近江八幡市)

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近江八幡市の安土で、春の特別公開が行われている旧伊庭家住宅(大正2年、ヴォーリズ設計)を見学した記事の続きです。
前回は引手を紹介しましたが、今回はそれ以外のディテールを紹介します。

まず暖炉まわりから。
暖炉には4種類のタイルが使われています。

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中でも目を引くのが床面のモザイクタイル。
こんな暖炉は初めて見ました。
教えていただいたところでは、京都の泰山タイルらしいです。

泰山タイルは大正6年創業らしいので、そうだとすると後の改修?

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こういう赤絵風のタイルもあって楽しい。

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暖炉の上の縁にも植物文様のタイルが使われていて、それ以外にはボーダータイル、熱を受ける部分にはたぶん耐火の白いタイル(か煉瓦)が使われています。

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2階のアトリエには、もっと素朴で荒々しい石張りの暖炉があります。

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次に照明器具。
シャンデリアは陶器製で面白いのですが、本体は明らかに新しいですね。
陶器部分は元からあったのでしょうか。

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暖炉脇にも同じデザインで、単体のランプです。

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階段室の天井には切り子のガラス照明器具。

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2階の和室に手毬状の切り子のガラス。

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2階廊下にはスズラン(?)のランプ。
こういうアールヌーヴォーな茎のデザインは玄関灯で見たことがあります。

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2階寝室のガラスランプ。
これはよく分かりません。

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続いては階段の親柱。
近代建築を見に行くと必ず見るところです。
装飾はありますが、ごくシンプル。

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階段室の壁面。
所々に刷毛目を走らせているのが面白い塗り方です。

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欄間は至ってシンプル。
これはこれで高い技術がいるという説明をしていただきましたが、よく分からず。
ちょっとでも歪むと目立つのは確かです。

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最後に大理石の洗面台です。
足がぶつからないように前面部が斜めに後退しているのがよく考えられているなと思いました。

床の間なども凝っていますが、ほかのディテールは皆さんでお確かめ下さい。

6/2(日)までの毎週日曜日10〜15時まで公開されています。

<関連記事>
 「旧伊庭家住宅を見学」
 「旧伊庭家住宅の引手コレクション」

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旧伊庭家住宅の引手コレクション(近江八幡市)

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前回は、ヴォーリズ設計の旧伊庭家住宅について、全体的な紹介をしましたが、今回と次回はディテール編です。

和風建築を見る時に私がいつもチェックする箇所があって、それは「ふすまの引手」、「釘隠」、「欄間」、「床の間」です。今回、恐らくお住まいだった伊庭慎吉氏が風流人だったからでしょう。引手に見どころがたくさんありましたので、まとめて紹介したいと思います。

まずこの引手。
風合いからいって七宝焼きに見えるのですが、どうでしょう。
とても細かく渦巻きが描き込まれています。

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こちらは、付け書院にあった地袋の引手です。
漆塗りのような質感です。
この写真でも実物大より大きいぐらいで、非常に細かな描画です。
盆栽のようにも見えます。

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一転、非常にシンプルな引手。
「光琳梅」と呼ばれるデザインのようです。
秋のふすまに描かれていました。なぜ秋のふすまに梅なのか不思議です。

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裏側の春のふすまにはこういう引手です。

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奥の和室にあった引手。
花柄と思っていいでしょうか。

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同じく奥の和室の引手。
引き開ける取っ手が、スライドロックのつまみも兼ねています。

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柿のヘタを思わせる引手。
色も柿渋色です。

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これは新しいものに見えますが、釘は古いですね。

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最後に2階のアトリエ入口の引手。
どうも系統が違うような凝った引手です。
どこかで骨董を入手してきたようにも見え、非常に細かい細工です。

旧伊庭家住宅にいらっしゃる機会がありましたら、ぜひご確認ください。

この春は6/2(日)まで、毎週日曜日の10〜15時に公開されています。

<関連記事>
 「北の玄関・伏木港(2)北前船資料館」
 
 「旧伊庭家住宅を見学」
 「旧伊庭家住宅のディテール」
 
<関連サイト>
 安土町観光協会「旧伊庭家住宅」 ・・・公式

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2013年5月11日 (土)

旧伊庭家住宅を見学(近江八幡市)

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安土にあるヴォーリズ設計の旧伊庭家住宅が公開されていると聞き、連休中に出かけてきました。
例年、春と秋には一般公開されているそうです。
今年はまだ6/2(日)まで毎週日曜日の10〜15時に公開されていますので、ご興味を持たれた方はぜひ。

詳しくは > 安土町観光協会「旧伊庭家住宅」

旧伊庭家住宅は安土駅を東側に出て徒歩10分、集落が途切れそうな所にあります。
山をバックにのどかなところです。

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入口は西角にあって、これは昭和初期の増築部分だそうです。

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屋根は天然スレート葺きなのですが、きっちり四角に整形してあって、結構手間なのではないでしょうか。
(東京駅屋根と同じ雄勝石とのこと)

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今年は伊庭家住宅が築100年で特別なのだそうです。
一時は解体の危機にあったのですが、篤志家の寄付で修繕され、こうして時々公開されています。(そういう特別な個人がおられないと残らないのでしょうか)
最近ではアニメの「中二病でも恋がしたい」のロケ地の一つとして聖地になっていると、行ってみて初めて知りました。

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入口を入ると瓦敷きの玄関。

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そのまま廊下につながっています。

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廊下の天井は網代で、竹籠のような編み方です。

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和室に入るとこの家にお住まいだった伊庭慎吉夫妻の肖像画が飾られていました。柔らかなタッチです。
その父親は住友の総理事だった伊庭貞剛氏で、この家の建築主です。(彼の屋敷は大津の住友活機園
伊庭慎吉氏は、学生時代、絵画の勉強でフランスに留学、帰国後、八幡商業の絵の教師になります。結婚後、近くにある沙沙貴神社の神主となり、この伊庭邸に移り住みました。その後、安土村長も務めたそうです。経歴から分かるように風流人で、この屋敷にも芸術家が出入りしていたようです。

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旧伊庭邸の前から、沙沙貴神社の森が見えます。

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風流人らしさはあちこちに伺えて、例えば、このふすま絵は菜の花咲く春の情景。

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裏側はススキに月の秋の情景となっています。

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障子の桟なども繊細なものです。

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2階に上がる階段は、丸みをおびたやさしいデザイン。
当初はこの右側に玄関があり、他の部屋を通ることなく、2階のアトリエに上がって行けたようです。

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洋風の食堂。
奥に暖炉があり、その両脇にベンチが作り付けられています。

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逆に暖炉側から庭の方を見たところ。
左の窓の向こうがキッチンです。

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外にはサンルームがあります。

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2階に上がると広いアトリエがあります。
端に小部屋がありますが、元はそこも含めてアトリエだったようです。

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庭から眺めた屋敷。
緑の壁の部分がもともと玄関だったようです。
改築後は閉じられました。

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サンルームは石積のような壁面です。一般的なサンルームはもっと軽快な、ガラス温室みたいなイメージがあるのですが。
端に洋風の丸い池があって、サンルームから連続的な見どころになっています。
その間に平台がありますが、端に取っ払われたような煉瓦の列があるのは何だったのでしょうか。

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丸池にはライオンの吐水口が付いています。
恐い表情のライオンです。

このように旧伊庭邸は和洋の入り交じった魅力的な建物です。
次回はディテールを紹介します。


<関連記事>
 「旧伊庭家住宅の引手コレクション」
 「旧伊庭家住宅のディテール」
 
<関連サイト>
 安土町観光協会「旧伊庭家住宅」 ・・・公式
 まちかど逍遙「旧伊庭家住宅」
  ・・・すごくポイントを押さえて紹介されています
 光の射すほうへ「旧伊庭家住宅」
  ・・・同じく今年訪問されています

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2012年6月 5日 (火)

新緑の疏水歩き(1)琵琶湖から三井寺まで

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もう1ヶ月前になりますが、ネットの仲間にお誘いいただいて、「疎水沿いに琵琶湖から鴨川まで山ゴエ 昭和の日に明治の偉業を辿る」という企画に参加しました。
かなり他の皆さんの記事と重なるのですが、私もご報告しておきます。

まずツアーの最初はJR大津駅から。
坂を下って、旧東海道を少し歩き、浜大津に出ました。
ここまで歩くだけでも結構楽しめます。
旧大津公会堂(昭和9年築)が昔の賑わいを感じさせます。
今はレストランになっています。

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広々とした浜大津港。
今は視界が開けているのですが、モデルルームがあるのはマンションが建つのでしょうか。

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実際には結構時間がかかってますが、琵琶湖疏水の取水口です。
高いマンションの方に水が流れています。

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向こう岸にいい感じの艇庫があります。
三って「三井寺」の三かと思ったら違って、旧第三高校(京大)の三なのだそうです。
大正元年に建てられたものなのですね。
ひろさんの記事で以前見ました。

>宮本慎宏氏・石田潤一郎氏・西澤英和氏
「旧第三高等学校端艇部(現神陵ヨットクラブ)艇庫について」
 2006年度建築学会(PDF)

(関連ブログ)
 ひろの東本西走「神陵ヨットクラブ艇庫」

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これは水位の監視塔をしているようです。
琵琶湖疏水第1水位局ってこれ?

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琵琶湖第一疏水揚水機場。
琵琶湖の水位が低いときはここのポンプで汲み上げるそうです。
ここから第一疏水をたどっていきます。

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途中の橋も古いものが架かっています。
これは三保崎橋といって、昭和12年と記されていました。

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京福石山線を越えます。

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やや古びた周辺の見取り図。
琵琶湖疏水は一直線に山に向かい、三井寺の下をくぐっています。

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ここで水が二手に分かれ、左が大津閘門、右が大津制水門です。
閘門の方は船が通るためで、制水門は水位調整のためのようです。
すぐ向こうで合流していて、あれっとなります。

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こちらが大津閘門。

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※クリックすると拡大します

琵琶湖疏水に沿っては、この詳しい案内板が随所に立てられています。
設置者は京都市上下水道局なんですね。いま気付きました。

この琵琶湖第一疏水は、琵琶湖から京都の蹴上まで、明治18年から23年まで5年がかりで掘られた水路で、全長は9kmあります。
京都市の飲料水、発電、物資輸送、農業用水など多目的利用のために立案されたと解説板には書かれています。

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桜や紅葉の季節も美しいそうですが、新緑もまたきれいです。
一直線に山に向かっています。

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第1トンネルの入口。
このように各トンネルの入口・出口には立派な門が造られ、当時の有力者の扁額が掲げられています。
ここの場合は、伊藤博文。
設計者の田辺朔郎の名前も刻まれています。

疏水はトンネルでくぐりますが、私たちは峠を山越えしました。

(一緒に歩いた皆さんのブログ)
 気まぐれblog
 「琵琶湖疏水〜昭和の日に明治の偉業を辿る〜(1)」

 「琵琶湖疏水〜昭和の日に明治の偉業を辿る〜(2)」
 いっこうがこっそりブログ
 「琵琶湖疏水を辿ってみた(滋賀県編)」


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2012年1月28日 (土)

守山の駅前散歩(滋賀県守山市)

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滋賀県の守山は中山道の宿場町でした。
中山道は守山駅の西500mほどの所を通っています。
駅と中山道の間も、歩くと意外に面白いところですので、少し紹介します。

まず駅前ビルの北裏に小さいながら味のある建物があります。
三角形に近い形をしているようです。

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ベージュの色合いがいい建物。

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玄関の上には木製桟に型板ガラスがはまっています。
この建物は使われていないようで、元は何の建物だったのかもよく分かりませんでした。

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守山のまちなかは水路がたくさん流れていて、その流れも気ままですし、石垣の護岸があちこちに残っています。歩いていると、この水路と何度も交差して楽しくなります。

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水路の底にはたくさんのカワニナ。

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ホタルのモニュメントなども。
守山は明治時代からホタルを皇室に献上するほど、ホタルで有名だったようです。

ホタルが住めるように石垣護岸を残してきたのかと思ったのですが、ホタルは一度絶滅しているらしいので、そうともいいきれないかも。

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水路には赤煉瓦の護岸もあったりします。
左にはコンクリートで埋めた部分があって、さらに分岐する水路があったようですね。

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これはちょっと気になった橋のトマソン。
両岸を壁と柵で塞がれて、通れなくなっています。
その代わり鉢植えが並んでいます。

*トマソン→wikipediaの説明

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中山道まで歩いてきました。
ここでもまた一風変わった赤煉瓦塀に出会います。
街道沿いの医院の塀です。

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門柱の部分には陶製のライオンが。

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こんな顔です。

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煉瓦自体変わっていて、私にはグリコのアーモンドチョコに見えました。

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中山道沿いの家には凝ったものがあって、例えば玄関扉の鍵が巾着のようです。

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呼び鈴もまた凝っています。
同じ扉の別の部分です。

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中山道の宿場町は紹介できませんでしたが、水路や赤煉瓦にも魅力を感じた守山でした。


より大きな地図で 守山 を表示

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2010年6月18日 (金)

春の彦根(7)芹川の並木

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彦根の街を南に歩いて行くと、土手にぶつかります。
芹川(せりかわ)の土手です。


より大きな地図で 彦根 を表示

上図で緑に着色したところが芹川ですが、もともとは彦根城の東を北流して、松原内湖に注いでいました。それが井伊家の城下町建設に伴い、慶長8年(1603年)に現在の河道に付け替えられたそうです。

(参考)ひこねっと「芹川の観察ガイド」

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芹川付け替えのとき、土手の補強のため、ケヤキ、エノキなどが植えられました。その木が今も残っています。樹齢400年余り。

その後に植えられた木もあり、現在はエノキ、ケヤキ、アキニレ、サクラ、ムクノキ、サイカチ、カジノキなどが混在する並木道となっています。

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それにしても、ここの木は何度折れては再生してきたか分からないほどの節くれ立った姿で、長年の苦労を感じさせます。森の中ならこんな姿にはなっていないでしょう。

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どの木もです。

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土手の上は車道ですが、河川敷はいい散歩道です。
でも私は木々の肌を間近に見られる車道を歩きました。

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河川敷は春色で菜の花の季節。
並木は両岸に続いています。

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河原の外では田植えが始まっていました。
この田んぼも芹川の並木に守られてきたのでしょう。

長くなってしまいましたが、今回で彦根編は終了です。
また大阪に戻ります。

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