2019年2月16日 (土)

アールデコの紫野柳児童公園(京都市北区)

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話の流れで、3年前に訪ねた京都の紫野柳児童公園も紹介しておきます。
昭和10年に区画整理事業でできた公園です。
地下鉄の北大路駅から近く、訪ねやすい場所です。
周辺の住宅地には近代の住宅もあり、周りをぶらぶらするのも楽しいと思います。

住宅地を歩いて行くと、紫野柳公園の低く長い塀が現れます。
既に遅い時間だったので写真が暗くてすみません。

訪問日:2016年2月6日

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東西に長い長方形の紫野柳公園は、南側に2つの入口があり、どちらも同タイプです。
アーチ型の門柱に、塀がアールを描いてつながっています。これは下鴨森ガ前児童公園とも全く同じタイプです。
新しい公園表示がかかっているところまで同じ。

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西側の入口だけが小振りで、内側に4分の1の円弧を描いているのが違います。

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この公園での鑑賞ポイントは、やはりラジオ塔のあるテラスです。
恐らくオリジナルのデザインが残されています。

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スリットやラジオ塔の尖塔アーチ、丸窓に格子といったデザインが盛り込まれています。

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ラジオ塔の正面には面格子のような飾り。

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ラジオ塔の背後には国旗掲揚の柱が取り付けられていたようで、国旗掲揚台を兼ねたデザインになっています。

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丸窓に鉄格子のデザイン。
これは地蔵本児童公園でも似たようなデザインを見ました。
(いずれ記事にします)

160206murasakinoyanagi8テラスはそんなに高くはないのですが、公園全体を見渡すことができます。

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象を抽象化したようなジャングルジム兼滑り台。
紙屋児童公園で見たのと同タイプの遊具です。
滑る面が手のひらの幅ぐらいしかなくて、よくこれで滑ることができると思います。

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そしてこの公園のもう一つのポイントは、洛北中部五地区土地区画整理碑(昭和10年)と、その右にある池田新兵衛・舩越嘉右衛門顕彰碑です。前者は(たぶん後者も)公園開設と同時に設置されています。

ありがたいことに京都市歴史資料館のデータベースに、碑文が紹介されています。
○洛北中部五地区土地区画整理碑
○池田新兵衛・舩越嘉右衛門顕彰碑

洛北中部の紫野門前(T10〜S10)・賀茂(T15〜S11)・紫竹芝本(S4〜11)・東紫野(S4〜11)・上堀川(S7〜12)の5つの土地区画整理組合が共同で建てていて、共同で碑を建てるのは珍しい気がします。
ちなみにこの公園があるのは、東紫野土地区画整理事業の施行区域です。

石碑を囲む石は石庭のようで、何かを表しているのでしょうか。

【参考】下村康史氏・飯塚隆藤氏「京都市の土地区画整理事業地における町割方法の歴史的変化について」(『ランドスケープ研究』7(5)、p559〜564、2014年)

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区画整理の碑と書かれています。


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それに続く部分は、楕円形のスペースで、幼児用の滑り台やベンチが置かれています。

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ベンチは中央が低いタイプ。

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中央には藤棚があり、テーブルとベンチが置かれています。
テーブルの方は下鴨森ガ前児童公園のテラスで見たものと同じ形で、これはオリジナルなのかもしれません。

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土管を縦半分に割ったような遊具?
六条院公園で見たものと同じ形です。

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そしておなじみ人研ぎの滑り台も。

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もちろん地蔵堂もあります。
他の公園より立派な出世地蔵尊が祀られています。

他にも遊具はありますが、気付いたところはこれぐらいです。

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公園の周辺には古そうな住宅があります。
南側の住宅は煉瓦の透かし塀付き。

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西側の住宅は門扉、玄関のアーチや丸窓が古いデザインを示しています。

公園のデザインとともに、周囲の住宅も当時の区画整理事業の雰囲気を伝えています。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2019年2月11日 (月)

アールデコの下鴨森ガ前児童公園(京都市左京区)

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京都の公園の話はしばらく後かなと思ったのですが、興味深い公園があったので先に紹介します。
左京区の下鴨森ガ前公園です。位置的には、下鴨神社の北に当たります。

写真は北側の入口です。こちらが正面のようで、唯一、公園名が表示されています。
正式な入口は南側にもう1ヶ所。あとは道路に面する三方を大人の腰の高さの低い塀で囲んでいます。

訪問日:2019年2月9日

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門柱はオリジナルっぽいですが、公園名表示は新しいものです。

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(「今昔マップ on the web」より加工。25000分の1地図「京都東北部」、昭和6年部分修正、昭和7年発行)

ここで公園の位置を確認しておきます。
下鴨神社の西側には昔から下鴨村がありましたが、下鴨神社の北側は、大正時代頃にようやく都市化した所です。
下鴨森ガ前児童公園があるのは都市化の境界部分で、ここから北が昭和5年から下鴨地区土地区画整理事業の施行区域として、今の北大路通の整備と一体的に急速に都市化していきます。言い換えると自然発生的に都市化した地域と計画的に都市化が進められた地域の境界です。その土地区画整理事業の公園として、昭和10年にできました。

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公園に戻ると、公園の門柱や塀にアールデコの雰囲気が感じられます。
門柱に穴が開いていて、何が取り付けられていたのか(内側は門扉かと思いますが)、気になります。

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【参考】紫野柳児童公園(2016年2月6日撮影)

ちなみに同じくアールデコの意匠のある公園として紫野柳公園もそうだったなと思い、写真を確認したところ、門柱と塀のデザインが全く同じでした。同じ昭和10年開設で、こちらもお勧めです。ラジオ塔があります。

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ここからまた下鴨森ガ前公園の写真です。
南側の入口についても全く同じデザインです。

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敷地の南西より。交差点部分は隅切りされています。

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デザイン的に面白いのは、塀に所々入っている帯状の装飾が、外側では途中で止まっているのに対して、内側では地面まで降ろされて柱のようになっています。

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あとこの公園のユニークなのは公園の真ん中にこういう植え込みに囲まれた区画があることです。

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真ん中に十字型の砂場と、それを囲むL字型×4の植え込みがあります。
開設当初のものかどうかは分からないのですが、この十字型の部分は噴水池などではなかったのでしょうか。

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また公園の北西側には半円形の藤棚のテラスがあります。奥にベンチとテーブル、両端に花壇が配置されています。

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ベンチの脚が逆アールを描いているのもポイントです。テーブルは角餅を載せたようなシンプルな形。

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テラスの背後から。公園全体が見渡せます。
保護者がここから子どもを見守ることを想定して設計しているのでしょう。
ただ、今の季節は寒いので、お母さん方は陽の当たる向こうの砂場に腰掛けておられました。

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もう一つ見どころはこの国旗掲揚台。
シンプルながら、しっかりアールデコのデザインが入っています。

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裏側。柱を支えていた金具がまだ残っています。

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テラスと国旗掲揚台の位置関係はこんな感じ。

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あと気になる痕跡としては、公園北東部にこういう囲みがありました。
ありえるものとしては水飲み場でしょうか。

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あと公園西側に踏み台のようなもの。
子どもの避難用の踏み台というのは考えすぎでしょうか。

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人研ぎの滑り台もあります。

ふんだんに施されたアールデコのデザインが残っていて、興味深い公園でした。
このままデザインを踏襲して使われていくと良いなあと思います。

なお、こんな風に障害物が多いので、かくれんぼや鬼ごっこで遊んでいる親子が多くて、楽しそうでした。

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2019年1月31日 (木)

一条町児童公園(京都市上京区)

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西町児童公園の後は、天神川を西に越えて、一条町児童公園に行きました。

一条町児童公園は、昭和15年にできた公園です。
昭和13年に都市計画決定されて昭和35年に完了した西第五土地区画整理事業の区域内にある区画整理公園と思われます。京都の土地区画整理は、市街地を帯状に巻いてます。
京都市の土地区画整理事業施行区域図

さて、公園のある土地は若干傾斜しているらしく、南側では階段の入口になっています。

訪問日:2018年9月22日

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曲線を多用した門柱で、デザインだけからいうと、少しアールデコっぽいデザインです。

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西側の入口。こちらはほぼフラット。
見えているのがほぼ公園全体です。

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東北の入口。
ここもフラットです。
ここにきてやっと公園名が表示してあります。

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縦に「一條町児童公園」と花崗岩ぽい石に彫ってあります。
「條」は旧字体ですが、「児」の字が新字体なので、戦後のものではないでしょうか。

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公園内に国旗掲揚台跡などないかと思いましたが、それは見つけられませんでした。
縁の丸いコンクリートの砂場。

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コンクリートのベンチ。コンクリート自体に着色されていますし、座りやすいように窪ませているので、進化型のよう。昭和中期ぐらいではないでしょうか。脚はとても単純です。

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ここにも人研ぎの滑り台。

・・・ぐらいです。
ないというのも記録なので。

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公園の西側には道を挟んで、大将軍小学校があります。
このいかめしい名前は、地名です。
門柱がとても立派。

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また、すぐ近くに入口が唐破風の椿湯さんがありました。
一瞬営業されているのかと思ったものの、2018年の6月末に廃業されていて、訪問時点でも既に営業しておられませんでした。

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側面に煉瓦の壁が現れています。

今回の京都の近代公園シリーズはひとまず以上です。
実はこの日、あと2公園回ったのですが、写真が暗すぎるので、また出直します。
また1月にも京都の4公園を回っていますが、あまりこればかり続けてもなんですので、次の記事は場所も話題も変えます。

近代の公園については、自分のテーマと思って記録に回っていますので、またお付き合いよろしくお願いします。

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2019年1月30日 (水)

西町児童公園(京都市上京区)

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衣笠南道児童公園の後は、紙屋川に沿って1.3km一気に下り、西町児童公園を目指します。
途中、北野天満宮の脇を通り、ここから天神川と名前が変わります。近くに小松原児童公園がありますが、それは以前に行きましたのでパス(ラジオ塔のある公園です)。

西町児童公園は天神川から道路を挟んですぐ東側です。
この写真は北西角からで、右側を天神川が流れています。

訪問日:2018年9月22日

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西町児童公園は昭和16年に開設された公園です。

見た瞬間、これは思うのは、公園のコンクリートの柵(塀?)。
この写真はメインと思われる北側の入口で、門柱に向かってアール、てっぺんもアール、門柱にはドームと何重にも丸みを帯びています。

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門柱から柵に連続する造形がそのまま残っています。
この写真では分からないかと思いますが、公園をぐるっと取り巻く柵が残っています。

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公園名は右からの文字で「西町兒童公園」。
完璧ですね。おそらくオリジナルでしょう。

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東側の入口。

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そして西側の入口も小さいながら、カーブして人を呼び込むデザインです。
所々にアクセントのように角張った柱が連続しています。

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公園全体を北東側から見たところ。
残念ながら中の見どころはそれほどないのですが。

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ここにも脚がアーチのコンクリートベンチがありました。
他にもあります。

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三本脚のコンクリートベンチ。
珍しいですね、三本脚は。

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ここまでくると意味不明な遺構。
何とも判断付きません。

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ここも人研ぎの滑り台。
要注意は、滑り台の横にコンクリートの基礎みたいなのがあること。
何の痕跡でしょう。

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砂場は変わった形です。状態が良く、比較的新しそうです。

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ちなみに途中で見た一条橋。
親柱は昭和14年と書かれていました。

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このあたりの天神川はまっすぐで随分、行儀の良い流れです。
しかし、恐らく昔は暴れんぼうだったんでしょうね。


地図を見ると、公園の東側の道が折れているのが気になります。
もう少し北の大将軍八神社のあたりでは、川が西に振ってますので、その次は東に振りそう、と考えるとこの公園のあるのは旧河道ではないのでしょうか。そういう場所に公園を持ってきているように思われます。

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2019年1月29日 (火)

衣笠南道児童公園(京都市北区)

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紙屋児童公園の後は、紙屋川の右岸(西側)を下り、すぐ近くにある衣笠南道児童公園を目指しました。
右奥に見えているのがそうです。周囲は住宅地で囲まれています。

「京都市の近代化遺産・産業遺産編」、p70に載っている衣笠南通児童公園(昭和12年)と同じ公園ではないかと思います。
この辺りは、京都市の西第二土地区画整理事業(昭和9〜16年)の施行区域のようですので、区画整理に伴う公園かと思われます。

訪問日:2018年9月22日

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公園の北東入口には「衣笠南道公園」。

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しかし、公園の南西入口には「衣笠児童公園」
名前がいくつもあって、どれが正式名称なのか迷います。


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この公園も高低差があります。
公園の立入できる部分は一番低いところで平坦なのですが、斜面も含めて公園になっているようです。
ここもおそらくは紙屋川によって削られた段丘崖なのでしょう。

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公園の上から見るときれいに木々が並んでいます。
ずっと柵なので、公園には入れません。

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公園内の南端に崖を上がる階段があって、ここで見える石垣などはもしかしたら古いのかもしれません。


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公園の南入口。
水玉模様の痕跡があって、何の痕跡か気になります。
石でも貼り付けてあったのでしょうか。

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もう一つ不思議なのは、公園内が二重になっていて、空堀のようなもので囲まれていることです。

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こんな風に低い部分にベンチが置かれていて、不思議な構造です。
周囲の道路との間には柵があるので、このベンチに座ろうとすると大回りしないといけません。

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お地蔵さんもあります。
ここでは外を向いています。

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公園内は2段になっています。
下に広場、上に遊具が配置されています。

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砂場。コンクリートで平らな縁取り。

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ここも人研ぎの滑り台です。

この公園内では古そうなものは確認できませんでした。

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ただ、ちょっと気になったのは、この公衆便所。
コンクリートの本体に木造の屋根が乗っています。

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手洗いが内外どちらからでも利用できるようになっていて、そこが変わっています。

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ちなみに公園の上では、このような古い長屋が確認できました。
区画整理事業に伴う開発と言われればそう見えるような住宅です。

まだ公園の記事が続きます。

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2019年1月27日 (日)

紙屋児童公園(京都市北区)

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上柏野児童公園の後は、すぐ近くの紙屋児童公園に向かいました。
まっすぐ行けば近いのですが、少し回り道をして、北側から回り込みます。

近づいていくと立派なケヤキが枝を広げていました。
公園の入口に人が腰掛けておられるので、その大きさが分かりますでしょう。

紙屋児童公園は、昭和16年開設です。

訪問日:2018年9月22日

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しかし、公園の入口まで行ってびっくり。
とても高低差のある公園なんです。
紙屋川の谷の傾斜地を利用した公園で二段に分かれています。
つい最近知ったのですが、このあたり、紙屋川の左岸(=今立っている側)を京都を囲む御土居が通っていたらしいです。それで余計に高低差があるのかもしれませんね。

「京都歴史散策マップ 御土居跡」(PDF)

さっき見たケヤキは、ほぼ一番下の段から立ち上がっているので、なんと樹高は27mとのことです。
見えていたのは上の10mほど。
もう一本、樹高22mのケヤキもあります。

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公園の入口には「紙屋兒童公園」という大理石っぽい標示が掛かっています。
たぶん当初からのものではないでしょうか。

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まず上の段に降りて、探索していきます。
階段も天然石を使ったもの。

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背もたれ付きのコンクリートベンチです。
そこそこ古そう(たぶん昭和中期以前)ですが、足がアーチになっているベンチとはまた違います。
シンプルな2本足。

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見慣れてきた人研ぎの滑り台もあります。
しかし、注目すべきはその後ろです。

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これ。鉄筋が出ていて、国旗掲揚台だと思われます。
たいがい国旗掲揚台は後ろ側か真ん中に挟み込んでで固定していますが、ここは手前で固定しています。
それほど装飾的ではありませんが、アールの入ったモダンデザインです。

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こちらは何の遺構か不明。
パイプが2本出ていたようです。

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こちらは何か特別な木が植えられていたのでしょうか(記念植樹とか)。
公園のデザインになっています。

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滑り台はもう一台あって、見たところ幼児用です。
丸い砂場と一体型。周りを動物遊具が囲んでいるので、オアシスの水場のようです。

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続いて、下の段にも降りていきます。
この木が最初に見えていたケヤキです。

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独特なジャングルジム兼すべり台?
これ滑るのはかなり技術がいりますよね。
前に紫野柳児童公園でも同じタイプを見たことがあります。

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コンクリート枠の砂場もあります。
ここは縁が丸いタイプ。縁が丸いのと、直角のとどちらが古いというのはまだ分かりません。風化具合からすると縁の丸い方が古そう。

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公園の西側の入口を出て、紙屋川沿いを歩いていくと、波打った階段が現れます。
この上を通っているのが、鞍馬口通で、紙屋川にかかるのが金閣寺橋。
右に行くと金閣寺、左に行くと上柏野児童公園という位置関係です。

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階段から振り返れば、向こうの森が紙屋児童公園。
かなり湿気を感じます。

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金閣寺橋を、金閣寺の方を向いたところ。
親柱には昭和5年と書かれていました。

こんなに立体的な公園だとは、来てみないと分からないものです。

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2019年1月26日 (土)

元・代用公園の上柏野児童公園(京都市北区)

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まだ京都の近代の公園の記事が続きます。(この日だけで11公園回りましたので)
橘公園の後、北上して上柏野児童公園を目指しました。
紙屋川の両岸に近代の3公園が固まっています。

訪問日:2018年9月22日

千本鞍馬口から斜めに入る鞍馬口通を進むと、街を出て山道に入って行く趣きがあります。
大正末の地図を見ると、建物はぽつぽつで全くの田畑。

このあたり、気になる建物がいくつもありました。
例えばこれ、3つの住宅で1つの建物を構成しているように見えます。
一体的に設計されたのでしょう。

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またこちらの住宅も。
玄関まで結構高い階段があります。

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煉瓦積みの基礎に乗っている建物。
玄関まで直角に登る階段が付いています。
絵になる建物です。

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こちらの長屋、向こうに見えている緑が、上柏野児童公園です。
ちなみにこの道をまっすぐ行くと、紙屋川を越えて金閣寺につながります。

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この長屋も基礎部分に煉瓦が積まれています。
階段の取り付け方といい、さっきの建物と同じ造り。
お店が入っていましたが、時間がないので先を急ぎました。

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さて、上柏野児童公園です。

タイトルに元・代用公園と書きました。
土井勉さんの「京都市の公園形成史 -第二次大戦前まで-」(『土木史研究』、1991年)によれば、「代用公園」というのは、大正8年の都市計画法施行後も公園の整備が遅々として進まない中、寺院などの土地を借用してブランコや滑り台などの公園遊具などを置いたものらしいです。その時点で判明しているものとして、大正時代に6ヶ所(すべて寺院)、昭和時代に11ヶ所が挙げられています。公園の予算獲得が難しい状況で、臨機応変に場所を確保したため、後に消滅したものもありますが、いくつかは後に用地確保がなされて公園となったらしく、この上柏野公園もその一つです。

この公園は三角形をしていますので、道路除地だったのでしょうか。

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公園の門柱はちょっとアールがかかっていますが、そんな凝った風でもありません。
上柏野児童公園の文字は毛筆で書いたような書体。

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コンクリート柱に鉄パイプのフェンスで囲まれています。
これは昭和中期ぐらいか。

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敷地北側の入口。

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公園の北の端から見たところ。
公園に面した住宅があるのが古い公園らしいところ。

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地蔵堂もあります。

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公園は緩い傾斜地にあるので、途中数段の階段で上下に分かれています。
丸い砂場がありました。

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ここでもやはり人研ぎの滑り台。

代用公園という成り立ち上、もともとあまり凝ったデザインなどは期待できないのかもしれません。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2019年1月21日 (月)

橘児童公園とラジオ塔(京都市上京区)

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次に橘児童公園を訪ねました。

料亭跡地を買収して、昭和14年に皇太子殿下御誕生紀念公園として整備された公園です。面積も6119㎡とそこそこ広い。
期待して行ったのですが、この公園表示を見ても分かるように真新しくなっています。

京都市のHPによれば、ワークショップにより公園デザインを決定し、リニューアルされたらしいです。その際、ケヤキの木が残され、多目的に使える、防災に対応した公園に生まれ変わったようです。2013年の3月に完成記念式典が行われています。

訪問日:2018年9月22日

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公園の大部分はグラウンドで占められています。
その向こうに何か立っているのが見えますか?

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そうラジオ塔です。街頭でラジオを聴けるようにしたもの。
『ラジオ塔大百科2017』のデータでは、昭和14年にできたとのことなので、公園整備と同時にできたようです。
裾がひろがって、側面には装置の格納スペースのようなものがあります。

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逆から見ると、灯籠とは違う、特徴的なデザインが分かります。
またこちら側の窓には桟が残っています。

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正面には大理石のようなものに「橘公園愛護會」のプレートがはめられています。


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遊具のゾーンを見てみます。
おや、黄色い規制線のテープが張られています。

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根こそぎ倒れてしまったケヤキ。
訪問時は9月ですので、9月初めの台風21号で倒れてものと思われます。

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逆方向から見ると、既に枝などは切断されていますが、手すりがぐにゃっと曲がっていて、倒れ込んできた様子が分かります。
公園のリニューアルでせっかく残されたケヤキが倒れてしまって悲しいことです。

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庭園風のエリア。

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ちょっとしたコンクリートの滑り台などもあります。

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砂場のコンクリートは真新しいので、リニューアル時のものかと思います。

ラジオ塔以外に昔の様子がよく分からないなと思っていたところ、2010年に訪問された方の記事を見つけました。

KYOTO徒然日記「3月16日(火)」

こちらを見ると、2010年には、
・篆書体や行書体で公園名の書かれた門柱
・階段状のデザインの水飲み場
・ベンチと一体化した扇形のテラス
・三角形の砂場
・脚がアーチのコンクリートベンチ
・ラジオ塔
などがあったことが分かります。
また別のサイトによれば、2007年までは25mプールが残っていて、保存運動が行われていたようです。
ラジオ塔しか残ってない・・・

思えば、京都でラジオ塔が再評価されたのは2009年頃のことです。
そのことが、ワークショップで何を残すか考える時に、ラジオ塔を残すことにつながったのでしょう。公園の他のモダンなデザインは消えていきました。もし2009年の再評価がなければ、よく分からないものとして、ラジオ塔も消えていた可能性はあると思います。

やはり、早く見に行っておくこと、発信して注目してもらうことの大事さを感じます。
過去の姿を記録しておくことも。

<関連記事>
 日常旅行日記「近代の公園目次」

       「萩児童公園とラジオ塔」

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2019年1月18日 (金)

名和児童公園(京都市上京区)

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続いて、名和児童公園を訪ねました。

開設は昭和15年で、現在の面積は492㎡という小さな公園です。
入口には鳥居があって、公園というよりも神社です。
その脇には「名和長年公遺蹟」と書かれた柱が立っています(昭和14年)。
そう、名和児童公園の名前は、名和長年から取られています。

訪問日:2018年9月22日

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さらに右手にもう一本、昭和11年の「此附近名和長年〜〜」という柱も。

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公園にはブランコとちょっとした乗馬型の遊具があるぐらいで、公園としての見どころは少ないと言えます。

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周りを囲む塀に赤瓦が載っているのが面白いですが。

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あくまで主役は隣にある「贈従一位名和長年公殉節之所」という碑です。
解説板があって、名和長年は、伯耆国名和(現在の鳥取県大山町)を拠点に海運業を行っていた豪族で、隠岐に流されていた後醍醐天皇が島を脱出した際、その湊に上陸し、以後、忠臣となって戦功を挙げたため、伯耆守に任ぜられ、帆掛け船の家紋を与えられた。その後、建武三年、足利尊氏と戦って、この地で討死したという説明があります。

成り立ちとしては、大阪の北畠公園と似ているように思います。明治維新後に再評価された人物ゆかりの地が、昭和15年頃に公園として拡張整備されるというパターンです。

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碑の前にはこういうものも。
奥が井戸、手前が手水鉢のようです。手水鉢は埋められてしまっています。
正面には「奉納 大日本國防婦人會」と右から。
側面には「昭和十」(その下は埋まっていて読めません)

四隅に礎石があって、以前は屋根がかかっていたようですね。
全く神社のようです。

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そして裏面には帆掛け船の紋が浮き彫りされています。

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南東隅には「紀元二千六百年竣工紀念」(昭和15年)の石碑。
こちらと一体で公園が整備されたのですね。

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北東には御大禮記念樹という標柱も。
何を植えたのでしょう。

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また、それだけでなく、この地は源氏物語ゆかりの一条院跡であるという解説板もあります。

とても小さいですが、ある種の歴史公園になっています。
公園としての見どころは少ないものの、特色ある公園になっています。

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ちなみに公園の北西の方にこのバーバーやまぎしの建物があります。

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2019年1月17日 (木)

内野児童公園(京都市上京区)

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京都の近代の公園、次は内野児童公園(大極殿公園)です。
二条城に比較的近い所にあります。

昭和15年開設で、現在の面積は1571㎡。
公園はT字型をしていて、三方に入口があります。
ここの公園名表示は昭和中期ぐらいでしょうか。

訪問日:2018年9月22日

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こちらはT字の一番下の入口。

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T字型の左の端。公園の境界は「7」字型のブロックを鉄パイプでつないだ形です。

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京都に限らずですが、公園の中にはお地蔵さん。

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金網で囲まれて、児童用プールが残っていました。
ここはそのまま残っています。

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シャワーの跡でしょうか。
コンクリートの柱が立っています。

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T字の真ん中には大極殿遺址碑が立っています。
明治28年、平安遷都千百年紀念祭において、大極殿がこの場所にあったと比定された記念碑だそうです。
実際には南東で遺跡が見つかったとのこと。

大極殿の跡ということが、この公園の一番の特色になっています。

 >京都市HP「大極殿遺址碑」

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T字の右の入口には、「大極殿遺址道」の標柱(明治28年)が立っています。
記念碑と同時期に設置されています。

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その先にひっそりとあるのが、おそらく国旗掲揚柱。正面には「南小山町」、左側面には「昭和十九年十一月建之」と書かれています。昭和十年代も終わりになると細い柱が多いような気がします。

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そして、もうひとつのお地蔵さん。
ここにも南小山町と書かれています。

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T字の横棒を左から。

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ここにも脚がアーチのベンチがありました。

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この公園の砂場は小振りです。
そして人研ぎの滑り台。

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古い公園の特徴として、公園に玄関を向けている家がありますね。他にもありました。
ここから家に帰ってくるなんて面白いですね。

すぐ近くに二條児童公園(昭和9年)があって、公園自体は新しく改修されていますが、周囲(主税町のあたり)に近代のものらしき住宅地があるのでそちらもお勧めです。

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