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2020年1月15日 (水)

長等公園(滋賀県大津市)

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ほぼ1年前になりますが、ラジオ塔の探索のため、滋賀県大津市の長等(ながら)公園を訪ねました。
長等公園は浜大津の南西500mほどの山麓にあり、明治35年に国有林の払い下げを受けて大津市の公園として開園したものです。
先に結果をお伝えしておくと、ラジオ塔は見つけられませんでした。もっとも上のマップを見て分かるように敷地は非常に広いので、「ラジオ体操する場所はこのあたりかな」と目星をつけて回っただけで、全域を回った訳ではありませんので、ないとも言い切れずです。

以下の話は、このマップを参照していただければ多少位置関係が分かりやすいかなと思います。

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公園の一番下から見たところ。
右は滋賀県神社庁ですが、左はおそらく見えている範囲の山まで長等公園です。

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下から順に紹介していきます(実際の回り順は逆でした)。
公園の主要部分は谷に沿って作られており、段々になっていて、いくつかの池をせせらぎがつないでいます。
おそらく後年改修の手が加わって、上の写真のような現代的な庭園になっています。
あるいは石組みは当初からかもしれません。

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下から2段目にある石橋。
コンクリートではなく石橋なので古いのではないでしょうか。

 

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片方は石段になっています。

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橋を下から眺めたところ。
池には鯉が泳いでいます。

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主要部分の一番上の段。とはいえまだまだ序の口。
この公園は桜の名所として知られているそうで、この周りは桜かなと思います。

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振り返ると東屋。新しいものです。

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流れの底には玉石が敷き詰められていて、飛び石や所々の岩などは古いものかもしれません。

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せせらぎの最上部は滝のようになっています。
このあたりも古いかも。

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そして階段を登って振り返るとこんな景色。
向こうに大津市街と琵琶湖が見えます。

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この谷の反対側にはゲートボール場があります。
奥に見えるのは何だろうと近づくと。

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こういう構造物でした。
近づいても何かよく分かりません。

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園内で見かけたやや古そうな柵。
こういうのは残りやすいですね。

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改めて先ほどの階段を登ったところ。
ちなみにここの道、東海道自然歩道のルートの一部になっています。
谷の奥は長等不動尊になっていて、その両脇にさらに上に登る階段があります。

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左側の階段を登っていくと、桜広場というところに出ます。
ここには展望台と平忠度(ただのり)の歌碑「さざ波や志賀の都は荒れにしをむかしながらの山桜かな」が置かれています。
大正天皇御大典記念として、大津市により大正3年に建てられたものです。

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展望台からの琵琶湖。
ここまで登ると結構遠くまで見渡せます。

公園はまだまだ奥まで続きますが、山なので引き返しました。

公園内には、長等創作展示館・三橋節子美術館といった施設もありますが、今回は行っていません。

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再び公園の入口。最後に2つの記念碑を紹介します。
ここに柳谷観音両国寺というお寺があり、境内に「興利養化」と書かれた記念碑が立っています。
後で(というより最近)読んでみると、冒頭に「宇野保太郎君碑」と書かれています。
宇野保太郎という方は、日本の製麻業に貢献された方のようです。明治時代に海外の情勢を見て麻業振興の必要を感じて、近江麻絲紡織会社の設立(明治17年創業)に関わり、北海道製麻会社(明治20年創業)の取締役にもなり、合併により帝國製麻会社(現・帝国繊維(株))になってからも取締役として経営に腕を振るわれた方のようです。この記念碑は彼が大正6年に56歳で亡くなった後、大正8年に建てられています。
日本の製麻業が滋賀県から始まったというのは初めて知りました。

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この公園にはいくつか入口があって、先ほどの入口から東側にもひっそりした階段があります。
その途中、脇に登る階段があって、何か石碑があったので見に行ってみました。

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これも後で確認したのですが、「孝子宇野修自之碑」と書かれているそうです。
明治40年に建てられています。宇野修自がどんな方かというと、大垣の人で、幼くして母をなくし、兄も病気で失って、病弱な父を看病しながら大津地方裁判所の給仕として働いて家計を支えていたそうです。看病と家事と職務に励みながら努力が認められて職員に採用されたものの、22歳の若さで病気でなくなったということです。十年一日という言葉が出ていて、それが言葉通りなら12歳ぐらいから働いていたのでしょうか。碑文は大阪控訴院の部長が寄せていて、22歳の若者にこんな立派な石碑を建てたということに、職場の人の優しさ、彼を可愛がっていたこと、惜しむ気持ちを感じます。先ほどの石碑とは違って、歴史に名を残している人のものではないですが、印象深いものです。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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コメント

興味深いレポートありがとうございました!
ラジオ塔が無かったのは残念ですが、古写真があります。
http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/db/shashin/detail.html?6811

投稿: イチマン | 2020年1月15日 (水) 21:05

イチマンさん、ありがとうございます!
古写真があるんですね。
この位置だと、東屋の左側あたりっぽいです。

投稿: びんみん | 2020年1月15日 (水) 23:02

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