« 2019年3月 | トップページ

2019年7月

2019年7月20日 (土)

西町公園・白鳥西公園(名古屋市熱田区)

181008nishimachi0

名古屋市の公園めぐりの続きです。
前回の神野公園に続き、熱田区の西町公園を訪ねました。

西町公園は、『名古屋の公園』(昭和18年)によると、西郊土地区画整理組合によって設置された公園で、昭和14年に寄附され、同年11月10日に開園しています。広さは3672.59㎡。施設にはブランコ、滑り台、国旗掲揚柱があり、桜などが植えられたそうです。

訪問日:2018年10月8日

181008nishimachi1

公園名は公園入口の真ん中に、手書き風の文字で刻まれた自然石として置かれています。
大きくはないですが。

181008nishimachi2

この公園で気になったのは「工場殉職者之碑」です。

「生前衆ノ模範トシテ職務ニ精励シ拮据産業ニ貢献スル所アリ
 不幸ニシテ終ニ其ノ職ニ殉ス
 真ニ感激痛悼ノ至ニ堪エズ
 乃チ愛知県下工場主並ニ従業員一同資ヲ醵シ碑ヲ営ミ
 以テ深ク哀弔ノ意ヲ表シ永ク英霊(ノ)冥福ヲ祈ル
 昭和十年乙亥四月               」

と書かれています。

181008nishimachi3

また裏面には、

「題 字 愛知県知事正四位勲三等 篠原英太郎
 撰 文      従五位勲六等 石田元季
 書 者         移山  佐分清之
 建設者 愛知県工場会           」

と書かれています。

工場で事故に遭った人を合同で慰霊しているのでしょうか。

181008nishimachi4

碑の横には石の橋のようなものがあってこれも気になります。
庭園のようになっていたのでしょうか。

古そうなのは以上で、後は比較的新しそうなものです。

181008nishimachi5

飛び石の遊具。

181008nishimachi6

ここにも個人的グッドデザインの水飲み場がありました。

181008nishimachi7

回転するジャングルジムもあります。

181008nishimachi8

こちらは幾何的な山型遊具。

181008nishimachi9

ベンチは木のシンプルなベンチがありました。

ここから南へ、白鳥西公園をめざします。

181008nishimachi10

途中、渋い木造アパートがありました。
成田荘と書かれています。
ネットで建築年は1963年(昭和38年)というデータが出ていました。

181008nishimachi11

玄関周り。装飾が多い訳ではないですが、直線的なデザインの中、玄関両脇に鉄平石を貼っているのがアクセントになっています。

181008nishimachi12

このあたり、和風の長屋がたくさんありました。

181008nishimachi13

白鳥西公園に着きました。
こちらも天然石に公園名が彫られています。
何となく書体が西町公園より新しく感じます。

白鳥西公園は、『名古屋の公園』によると白鳥線土地区画整理事業の際に整備されたもので、広さは2397.59㎡。昭和13年に寄附されて、同年12月12日に開園しています。公園には檜などが植えられ、施設として二人用ブランコ、滑り台、藤棚、露壇等があると記載されています。

181008nishimachi14

現在の公園はこんな感じ。置かれている遊具は新しいものです。
残念ながら古そうなものは確認できませんでした。

181008nishimachi16

公園と一体的に熱田社があります。この神社に合わせて公園を置いたのでしょう。
実はここが熱田社になったのは明治維新の時で、それ以前は三十番神だったそうです。
下記のページによると全国の有力神社から神様30柱を集めて、日替わりで1日1柱の神様に守られるという信仰だそうです。明治の神仏分離令の際にこの教えが禁止されて熱田社になったとのこと。
三十番神というのは初めて知りました。

→参照:名古屋神社ガイド「熱田社(二番町)」

181008nishimachi17

昭和●十二年(32年?)に薪炭商店に寄附されたかがり火の柱。

181008nishimachi15

公園隣の民家に公園に向けて時計が設置されていました。
こういう配慮いいですね。

181008nishimachi18

もうしばらく周囲の長屋などを見て回りました。
下見板張りの長屋です。

181008nishimachi19

こういう長屋が残っていて、周囲は落ち着いた住宅地でした。

熱田社の南側は幹線に面していて賑やかです。

 

<関連記事>
 日常旅行日記「近代の公園目次」

| | コメント (0)

2019年7月17日 (水)

井笠鉄道跡(岡山県笠岡市)

190630igasa0

笠岡のまちを歩いていると路地と交差してゆるやかにカーブする道。
これはもしかして?と思ったらやはり線路跡でした。
隅田川とはだいたい併走しています。

大正2年に営業を開始した井笠鉄道(当初は井原笠岡軽便鉄道)の跡です。
内陸の井原と笠岡を結んでいた鉄道だそうです。
廃止されたのは昭和46年なので意外と長く走っています。
軽便鉄道なのでこんなに線路跡も細いのですね。

鉄道関係は詳しいページがたくさんあるので、ここではさらっと現況を紹介します。

訪問日:2019年6月30日

190630igasa1

同じ交差点を逆方向に。こちらが笠岡駅方向です。

190630igasa2

笠岡山の山号を持つ威徳寺の門前から見下ろす。
この横切っている道が線路跡です。
踏切があったのでしょうか。

190630igasa3

しばらく進むと線路は高い所を走っていきます。
線路跡脇に3階建ての民家。

190630igasa6

さらに進むと石碑が見えてきました。

190630igasa7

表にはシンプルに「記念碑」
裏面には「道路新設世話人 昭和九年一月」その下には発起人12人の名前が並んでいました。
右手前の道が県庁通りに続くので、その道のことでしょうか。

190630igasa4

この近くに江戸時代の郷学「敬業館の跡」というものがありました。
寛政10年(1798年)にできて、明治16年まで存続したそうです。

190630igasa5

その一部、塾舎の一つが復元されています。

190630igasa8

線路跡に戻って、このあたりはまっすぐ。
多少の盛り土の上を走っていて、元々の道と並んでいます。
他の方のページを見ると、この先、鬮場(くじば)駅というのがあって、車庫もあったらしいのですが、1980年に放火により焼失という悲しい話が出てきます。

190630igasa9

このあたり建物の裏側をずっと。
町外れになってきたので、ここまでとしました。

ずっと先ですが、笠岡市井笠鉄道記念館というものがあったり、笠岡駅南の西ノ浜北児童遊園地には昔の車両が展示されているそうですので、ご興味のある方はどうぞ。

HP「井笠鉄道記念館」

今回の笠岡の紹介はここまでとします。
実は今回歩く時間がなかった、駅の南側の街(港)にも見どころがたくさんあるらしいですが、それはまたの機会とします。
北木島や白石島にも行ってみたいですし。

<関連記事>

 日常旅行日記「古城山公園」

       「笠岡駅前の建物など」

       「隅田川沿いの建物など」

| | コメント (0)

2019年7月14日 (日)

隅田川沿いの建物など(岡山県笠岡市)

190630sumidagawa0

笠岡の街歩きの続きです。
再び称念寺橋からです。
この下を流れるのが隅田川です。
この隅田川を上流に向かって歩いて行きます。

訪問日:2019年6月30日

190630sumidagawa13

川を遡る前に少し下流側。
ちょっと変わった建物がありました。
壁面が石貼りでアールになっていて、一部タイル貼りです。
関藤建設株式会社と書いてあります。
施工技術の宣伝も兼ねてのものでしょうか。

もしかして石材は北木石?

190630sumidagawa3

改めて隅田川を上流へ。
隅田川には所々石橋が架かっています。
かなり昔からありそうです。

190630sumidagawa1

変わった壁面のお宅がありました。休憩所のような設えで、所々本業タイルなどもはめこまれています。
お店なのかと思って伺うとお店ではないそうで、10年ほど前に(日本)鋼管の耐火煉瓦が県北で売りに出ていると聞いて買いに行き、工務店で施工してもらったそうです。日本鋼管は今はJFEスチールになっていて、笠岡やすぐ隣の福山の埋立地に巨大な工場があります。
地元にちなんだ素材をこうして活かしてるのは良いですね。

190630sumidagawa2

本業タイルは20年ほど前に入手したとのことでしたが、出所の詳細は不明です。

190630sumidagawa14

隅田川の東側、少し入ったところにあった住宅。
下見板張りです。元は工場ではないでしょうか。

 

190630sumidagawa4

ここは元商店でしょうか。
短いアーケードがかかっています。

190630sumidagawa19

川は県道34号線を渡ってまた北上します。
このあたりからしばらく、川の両岸がきれいに修景されています。
大仙院の前に架かる大仙橋。
親柱と欄干が古くて、明治45年と書かれています。

190630sumidagawa5

川沿いに祠もありました。
水神さんでしょうか。

190630sumidagawa6

古そうな町家。
2階の腰の部分に漆喰で枝のような模様が描かれています。
この地域ではこの部分の装飾に凝っているのかもしれません。
鞆の浦でも各種見ました。

190630sumidagawa7

ちょっと隅田川から逸れますが、こういう連続模様があったり

190630sumidagawa8

こういう松皮菱の模様も見ました。
なまこ壁の変形と言えるでしょうか。

190630sumidagawa18

さらに上流に進むとノコギリ屋根の工場。

190630sumidagawa16

ここで旧道と隅田川がクロスして分かれます。
さらに別の道も交差しているので、欄干が双曲線を描くように配置されていて橋らしくなくなっています。

190630sumidagawa17

橋の親柱や欄干は昭和初期っぽいですが、橋名の板が金属供出されたのか名前はありません。

190630sumidagawa9

旧道が分かれているような場所がありました。

190630sumidagawa10

石橋がそのまま使われています。
この先は町外れになっていくのでこのあたりまでで引き返しました。

190630sumidagawa11

おまけ。笠岡で見かけた瓦。
菊の花が立体的な透かし彫りになっていてとても繊細です。

<関連記事>

 日常旅行日記「古城山公園」

       「笠岡駅前の建物など」

| | コメント (2)

2019年7月13日 (土)

笠岡駅前の建物など(岡山県笠岡市)

190630kasaoka0

笠岡の話の続きです。
JR笠岡駅を降りると駅前にあったのは区画整理された街。
どちらに行って良いものか迷います。
少し先に歩いて目についたのがこの建物。
装飾や縦長の窓が古さを感じさせます。
カフェモヨラと書かれていて、フリースペースらしいです。

訪問日:2019年6月30日

190630kasaoka1

角の装飾のアップ。装飾は洋風ですが、屋根は日本の瓦です。

190630kasaoka2

カフェモヨラの前の通りを東に向いたところ。
この通りが旧街道筋=メインストリートのようです。

190630kasaoka3

そこでその道を西に進んでみることにしました。
広幅員の県道34号線を越えるところで気になる建物が。
交差点に向かって壁面が逆アールを描いています。
ただ、傷んでいて柵に囲まれていますので、次に来たときにはないかも。

190630kasaoka4

同じく、隣の角には新しそうな建物で、やはり逆アールの壁面です。
反対側の二つの角は普通の建物でしたが、かつては円形の広場的な空間を作っていたのでしょうか。
見たところ、この県道34号線が区画整理地区の境目のようで、この先、急に細く趣きのある道になります。

190630kasaoka5
この建物は正面に何か紋章のようなものが付いていた痕跡があります。

190630kasaoka6

こちらの看板建築っぽい建物。
先ほどのカフェモヨラと共通性を感じさせる装飾が付いています。
190630kasaoka7

ただし、なんとなく和風。2羽の鶴に波、上は花菱です。
花菱は家紋でしょうか。

190630kasaoka8

さらに進むと昭和初期風の橋が現れました。
称念寺橋と書かれています。建設年は書かれていません。

190630kasaoka9

片側がぐっと開いているのが特徴的です。
こちらの道も大事ですよと示しているようです。
この川は隅田川です。大事な川のようなので、次の記事ではこの川筋をたどります。

190630kasaoka10

この先、街道はクランクして続きます。
井戸に隣接してレンガ積みの防火水槽(たぶん)。

190630kasaoka11

昔お店だったと思われる建物。
この先で旧街道はJR山陽本線をくぐり、建物もまばらになっていきますので、ここで引き返しました。

190630kasaoka14

(この間、あちこち歩き回りましたが)
カフェモヨラから旧街道を逆に東に向かうと、区画整理地区が切れたところにこの建物があります。
笠岡チボリというパン屋さん。情報が出てこないのは、営業されてないのでしょうか。

190630kasaoka15

ここも似たような洋風の装飾があります。
○の左が切れていて高というのは昔の屋号でしょうか。
「岡山県の近代化遺産」によると昭和20年の木造建築です。

190630kasaoka16

この先は東本町えびす通り商店街で、古い街並みが続きます。
こちらの池田時計店は、売り物だったのか、展示なのか、カメラがビニールに包まれて並んでいます。

190630kasaoka17

商店街の終わり近く、魚宮という魚屋さんがあります。
見方によっては古いのかもと思わせるモダンデザインです。

190630kasaoka18

商店街を振り返ったところ。
つい最近、平成30年2月まで笠岡で最後のアーケードがあったそうです。
他のアーケードは区画整理事業に伴って、平成10年前後に撤去されたといいます。

なお、この街道筋を先に進むと、前回記事の古城山公園の入口に出ます。

190630kasaoka13

街道から少し外れた所にも近代建築があって、こちらは日本基督教会笠岡教会。
「岡山県の近代化遺産」によると、明治26年建築、設計は浅野富平・小林芳太郎、施工は小林芳太郎とのことです。
たまたま通りがかりましたが、塔屋が45度ふっているのが、何これと目をひきます。
どういう意図なんでしょうね。

190630kasaoka12

最後にもう一つ気になったものを。
公園の中にぽつんと多宝塔。
実は区画整理事業で昭和52年、ここにあった遍照寺が西の浜の埋立地に移転し、多宝塔は隣のイチョウの木とともに取り残されたのだそうです。
もともとお寺は鎌倉時代末期の元弘年間にこの地に移されたと言われ、多宝塔は慶長11年(1606年)に建てられて、隣のイチョウもその時、記念に植えられたものらしいそうです。亀腹が瓦葺きなのは、明治時代の改変らしいという説明もあります。
将来的にはお寺に移される予定とのことですが、貴重なランドマークですし、周囲を整えてこの場所でも良いような気もします。

<関連記事>

 日常旅行日記「古城山公園」

| | コメント (0)

2019年7月12日 (金)

古城山公園(岡山県笠岡市)

190630kojo0

先日、尾道でトークショーを聴いた帰り、岡山県の笠岡市に立ち寄りました。
そこそこ大きな、行ったことのない街ということで、いつものように下調べせずの訪問です。

訪問日:2019年6月30日

線路の北側を一通り巡った後(その話は次回)、景色が良くて、サル舎がある古城山公園というのがあると知り、行ってみることにしました。動物舎のある公園は古い公園が多いので。

ただ地図を見てもどこが入口か分からず、とりあえず旧街道を山に向かって歩いて行くと、鳥居と山に向かう階段がありました。
この参道、JR山陽本線を越えながら高架道路をくぐるという変わったルートになっています。

190630kojo1

参道の手前左には手水舎。井戸もあります。
手水鉢が面白い形。

190630kojo2

そして、参道狛犬として岡山県らしく備前焼狛犬があります。
妙なバランスに見えますが、ひざを立てて前足を置いてます。
裏側の銘を見ると天保九年(1838年)の作です。

190630kojo3

参道を登っていって振り返るとこんな感じ(写真は帰りに撮りました)。
かなり急で、下りは手すりをもたないと不安です。

190630kojo4
古城山稲富稲荷神社の拝殿。
弘治元年(1555年)にこの山にあった笠岡城の城主・村上氏(いわゆる村上水軍の一族)によって城内の鎮守として勧請されたとのこと。
現在の拝殿は文政2年(1819年)に再建されたものだそうです。

190630kojo5

境内で目を引いたのがこの亀趺。
宝珠に干鰯仲買中の文字が刻まれています。
階段の登る途中にも干鰯の文字を見ました。
このあたりの有力な産業だったのでしょうか。

ここから山頂へは拝殿の右からでも左からでも登れます。
左から登った方が道が良いです。

190630kojo6_2

左の道を登っていくと、途中、芭蕉の句碑があります。
隣の案内板によると「世の中はさらに宗祇のやどりかな」と彫られています。
安永8年(1779年)に立てられたそうです。

190630kojo6

またその隣には、宗祇の休石というのがあります。
連歌師の宗祇が明応3年(1494年)に山口に向かう途中、笠岡の陶山一族を訪ねて「山松のかけやうきみる夏の海」と詠んだという説明があります。石碑は寛保2年(1742年)です。

それぐらい、古くから名勝だったのですね。

190630kojo-1-19

さて、山頂に登ると、こんなグラウンドのような場所になっています。

190630kojo16

こちらの説明板を読むと、明治40年末に、なんと埋立用土砂採取のために削られて城の遺構が消滅してしまったそうです。
笠岡市のHPによれば、経緯としては明治39年に保安林として官有地が払い下げられ、明治40年に山頂部が削られ、明治42年2月18日に保安林解除、8月31日に笠岡町の公園となったという流れになります。明治42年に開園した非常に古い公園です。

190630kojo7

公園の一角には恐らく展望台として削り残された岩山があります。

190630kojo8

裏側には日本庭園があり、石橋なども架かっています。

190630kojo9

入口には古城山という記念碑。

190630kojo10

側面には「岡山縣十勝地 昭和十年十一月 山陽新報社選」という金属プレートがはまっています。
「岡山県十勝地」って何かな?と思って調べると、岡山県立図書館が質問に答えているものがありました。

岡山県立図書館「岡山県十勝地について」

山陽新報社という新聞社の企画で、昭和10年に県内の十勝十五景の投票を行ったそうで、その結果を引用しておくと下記の通り。

  10,502,570票 鹿久居島(和気)
   7,344,577票 吉備津彦神社(御津)
   5,522,521票 天王山(和気)
   5,020,922票 高松常昌院瀧(吉備)
   4,979,351票 少林寺山(岡山)
   4,861,750票 井原の櫻(後月)
   4,762,763票 笠岡古城山(小田)
   4,276,528票 福山城址(都窪)
   4,022,049票 酒津水門(都窪)
   3,617,329票 三野公園(岡山)

笠岡の古城山は第7位です。
それにしてもトップの鹿久居島は1000万票超え、古城山でも500万票近くで、投票の白熱ぶりが伺えます。

また、選ばれた十勝地には金属製記念額を贈ったということで、さっきのプレートがまさにそれですね。

以前、徳島の鳴門の小鳴門公園で、昭和3年、徳島日日新聞が主催した大典記念の徳島名所十五景の記念碑を見ましたが、この頃、各地で同様の投票が盛んに行われていたのでしょうか。

190630kojo11_1

この岩山に登るとなかなかの眺めです。パノラマで。

190630kojo11

もう少し拡大するとこんな感じ。
この先にも新しい展望台があります。
向こうに見えるのはJFEスチールの巨大な工場とその先には鞆の浦の仙酔島?

手前には緑の土地が広がっていますが、実はこれ埋立地なんです。

試しに戦後の埋立地をブルーに塗ってみるとこんなことに。
海辺の街だった笠岡がすっかり内陸の街になってしまっているのが分かります。
また今は地続きの神島地区が大きな島だったことが分かります。

190630kojo12

さて、古城山公園の探索を続けます。
こちらがサル舎。数匹のサルがいます。

190630kojo13

東屋は何カ所かありました。

190630kojo14

古城山公園でも特異なのは東側のこの一角です。
戦争の慰霊碑などが集まっています。
この門柱は紀元二千六百年記念(昭和15年)に建てられたものです。

190630kojo15

こちらの招魂碑は明治34年なので、日清戦争の戦没者を祀っているようです。
他に征清記念碑(明治31年)や日露戦役記念碑もあるようですが、この時は見落としていました。

明治期以来の公園らしく、石碑類がたくさんありました。
何より眺めがいいので、機会ありましたら訪ねてみて下さい。
車で上る道もあります。

<関連記事>

 日常旅行日記「近代の公園目次」

| | コメント (0)

« 2019年3月 | トップページ