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2019年2月

2019年2月21日 (木)

千種区の近代公園(名古屋市)

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<「大名古屋新区制地図」(昭和13年)より加工>

次は名古屋市の近代の公園を紹介します。
昨年の秋、名古屋市千種区の昭和戦前期の公園を見て回りました。
先にばらしてしまうと、これといった近代の遺構らしきものは見つけられませんでした。

昭和13年の地図では、このあたりです。
(場所は厳密ではありません)

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<「大名古屋市街地図」(昭和11年)>

ところが、わずか2年前はこんな状況で、鍋屋上野町には、旧村集落が残り、未開発地が広がっていました。
周辺には名古屋兵器廠、(三菱重工)名古屋機器製作所、名古屋製陶所、鐘ヶ淵紡績工場(鐘紡)、三菱電機製作所といった大工場が並び、相当多くの労働者が働き、住んでいたことが伺えます。

公園に割り当てられた場所は、だいたい旧村の周囲だったことが分かります。

(追記)地図に記載した公園のうち、弁天公園、下方公園の開設年は、『日本公園百年史・附表』から拾いましたが、それ以外の資料で確認できないので保留します。名古屋都市センター『名古屋都市計画公園緑地等の歴史(戦後〜S44)』によれば、下方公園は昭和40年、弁天公園は茶屋ヶ坂公園(昭和26年)から昭和42年に分離となっています。(2019.3.16記)

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まずは赤坂公園から。

「名古屋の公園」(昭和18年)によれば、鍋屋上野土地区画整理組合から寄附され、昭和12年に開園した公園です。
園内には松など165本、ブランコ、滑り台などがあると記されています。

現在の公園の表示は比較的新しいものです。

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公園は丘陵地に接するような場所にあります。
この写真は北東側から撮っています。
現在、東側にこのグラウンド、西側に遊具が配置されています。

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逆に南西側からの写真。
各種の遊具があります。大阪では使用禁止になっていることが多い回転するジャングルジムなども現役です。

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まんじゅう型の滑り台遊具。
板状のものの意味は不明。

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藤棚もありますが、新しいものでした。

国旗掲揚台などないかと思いましたが、確認できませんでした。

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西に歩いて、上野公園に移動します。
途中、緑道を越えて。

「名古屋の公園」(昭和18年)によれば、赤坂公園と同じく、鍋屋上野土地区画整理組合から寄附され、昭和12年に開園した公園です。園内には松など350本の木があり、滑り台、ブランコ2台、併用シーソー等の運動器具の他、パーゴラがあったと記されています。赤坂公園より設備が充実しています。

上野公園の表示はさらに新しい表示です。

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公園の北東側から見たところ。周囲を木々で縁取って、中央に広場があります。

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まんじゅう型の滑り台というのか、ヨーロッパの砦風の遊具がありました。

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公園の東側には高い区画があります。

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公園の中で変わった遊具として、これがありました。
タグボートのようなデザインの砂場、台です。

公園内に、近代のものらしきものは確認できませんでした。
周辺は戦災復興の都市計画で再整備されていますので、この公園も何か影響を受けているかもしれません。

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ここで次の公園に移動しても良かったのですが、水の道が気になって、少し寄り道しました。
周辺には古そうな長屋などもありました。

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洋館付き住宅。

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南に歩いて行くと、有名な東山配水塔(昭和5年)の下に出ました。
この屋根って、昭和58年に取り付けられたものなんですね。
もう少し古いものかと思っていました。

斜面に意味ありげに幅を取ってあります。
この下に水道管があるのでしょう。
この背中側に後で出てくる振甫プールなどがありました。

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逆に登っていきます。
東山配水場5号配水池(昭和9年)に出ました。
近代のデザインが残っています。

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そしてその近くに水の歴史資料館があったので、覗いてみました。

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展示物にあった、このあたりの水道施設の青焼き図面。
この水は遠く、犬山のあたりから引かれています。

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振甫プールの展示もありました。
水道の関連事業として、昭和8年に名古屋市で最初の市営プールとして建設されたそうです。
ずいぶん立派な飛び込み台、そして観覧席ですね。

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振甫プールの平面図。
本格的なプールであることがよく分かります。

もしかして、上に描かれているものが振甫公園なのでしょうか。

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残念ながら、現在プールはなく、区の施設などが建っています。

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現在、鍋屋上野浄水場と東山配水場を結ぶ水道の上は緑道になっていて、ちょうど赤坂公園と上野公園の間を横断しています。

両公園の周辺は水道に関わりの深い場所でもある訳です。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2019年2月16日 (土)

アールデコの紫野柳児童公園(京都市北区)

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話の流れで、3年前に訪ねた京都の紫野柳児童公園も紹介しておきます。
昭和10年に区画整理事業でできた公園です。
地下鉄の北大路駅から近く、訪ねやすい場所です。
周辺の住宅地には近代の住宅もあり、周りをぶらぶらするのも楽しいと思います。

住宅地を歩いて行くと、紫野柳公園の低く長い塀が現れます。
既に遅い時間だったので写真が暗くてすみません。

訪問日:2016年2月6日

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東西に長い長方形の紫野柳公園は、南側に2つの入口があり、どちらも同タイプです。
アーチ型の門柱に、塀がアールを描いてつながっています。これは下鴨森ガ前児童公園とも全く同じタイプです。
新しい公園表示がかかっているところまで同じ。

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西側の入口だけが小振りで、内側に4分の1の円弧を描いているのが違います。

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この公園での鑑賞ポイントは、やはりラジオ塔のあるテラスです。
恐らくオリジナルのデザインが残されています。

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スリットやラジオ塔の尖塔アーチ、丸窓に格子といったデザインが盛り込まれています。

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ラジオ塔の正面には面格子のような飾り。

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ラジオ塔の背後には国旗掲揚の柱が取り付けられていたようで、国旗掲揚台を兼ねたデザインになっています。

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丸窓に鉄格子のデザイン。
これは地蔵本児童公園でも似たようなデザインを見ました。
(いずれ記事にします)

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象を抽象化したようなジャングルジム兼滑り台。
紙屋児童公園で見たのと同タイプの遊具です。
滑る面が手のひらの幅ぐらいしかなくて、よくこれで滑ることができると思います。

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そしてこの公園のもう一つのポイントは、洛北中部五地区土地区画整理碑(昭和10年)と、その右にある池田新兵衛・舩越嘉右衛門顕彰碑です。前者は(たぶん後者も)公園開設と同時に設置されています。

ありがたいことに京都市歴史資料館のデータベースに、碑文が紹介されています。
○洛北中部五地区土地区画整理碑
○池田新兵衛・舩越嘉右衛門顕彰碑

洛北中部の紫野門前(T10〜S10)・賀茂(T15〜S11)・紫竹芝本(S4〜11)・東紫野(S4〜11)・上堀川(S7〜12)の5つの土地区画整理組合が共同で建てていて、共同で碑を建てるのは珍しい気がします。
ちなみにこの公園があるのは、東紫野土地区画整理事業の施行区域です。

石碑を囲む石は石庭のようで、何かを表しているのでしょうか。

【参考】下村康史氏・飯塚隆藤氏「京都市の土地区画整理事業地における町割方法の歴史的変化について」(『ランドスケープ研究』7(5)、p559〜564、2014年)

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区画整理の碑と書かれています。


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それに続く部分は、楕円形のスペースで、幼児用の滑り台やベンチが置かれています。

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ベンチは中央が低いタイプ。

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中央には藤棚があり、テーブルとベンチが置かれています。
テーブルの方は下鴨森ガ前児童公園のテラスで見たものと同じ形で、これはオリジナルなのかもしれません。

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土管を縦半分に割ったような遊具?
六条院公園で見たものと同じ形です。

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そしておなじみ人研ぎの滑り台も。

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もちろん地蔵堂もあります。
他の公園より立派な出世地蔵尊が祀られています。

他にも遊具はありますが、気付いたところはこれぐらいです。

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公園の周辺には古そうな住宅があります。
南側の住宅は煉瓦の透かし塀付き。

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西側の住宅は門扉、玄関のアーチや丸窓が古いデザインを示しています。

公園のデザインとともに、周囲の住宅も当時の区画整理事業の雰囲気を伝えています。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2019年2月11日 (月)

アールデコの下鴨森ガ前児童公園(京都市左京区)

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京都の公園の話はしばらく後かなと思ったのですが、興味深い公園があったので先に紹介します。
左京区の下鴨森ガ前公園です。位置的には、下鴨神社の北に当たります。

写真は北側の入口です。こちらが正面のようで、唯一、公園名が表示されています。
正式な入口は南側にもう1ヶ所。あとは道路に面する三方を大人の腰の高さの低い塀で囲んでいます。

訪問日:2019年2月9日

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門柱はオリジナルっぽいですが、公園名表示は新しいものです。

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(「今昔マップ on the web」より加工。25000分の1地図「京都東北部」、昭和6年部分修正、昭和7年発行)

ここで公園の位置を確認しておきます。
下鴨神社の西側には昔から下鴨村がありましたが、下鴨神社の北側は、大正時代頃にようやく都市化した所です。
下鴨森ガ前児童公園があるのは都市化の境界部分で、ここから北が昭和5年から下鴨地区土地区画整理事業の施行区域として、今の北大路通の整備と一体的に急速に都市化していきます。言い換えると自然発生的に都市化した地域と計画的に都市化が進められた地域の境界です。その土地区画整理事業の公園として、昭和10年にできました。

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公園に戻ると、公園の門柱や塀にアールデコの雰囲気が感じられます。
門柱に穴が開いていて、何が取り付けられていたのか(内側は門扉かと思いますが)、気になります。

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【参考】紫野柳児童公園(2016年2月6日撮影)

ちなみに同じくアールデコの意匠のある公園として紫野柳公園もそうだったなと思い、写真を確認したところ、門柱と塀のデザインが全く同じでした。同じ昭和10年開設で、こちらもお勧めです。ラジオ塔があります。

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ここからまた下鴨森ガ前公園の写真です。
南側の入口についても全く同じデザインです。

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敷地の南西より。交差点部分は隅切りされています。

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デザイン的に面白いのは、塀に所々入っている帯状の装飾が、外側では途中で止まっているのに対して、内側では地面まで降ろされて柱のようになっています。

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あとこの公園のユニークなのは公園の真ん中にこういう植え込みに囲まれた区画があることです。

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真ん中に十字型の砂場と、それを囲むL字型×4の植え込みがあります。
開設当初のものかどうかは分からないのですが、この十字型の部分は噴水池などではなかったのでしょうか。

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また公園の北西側には半円形の藤棚のテラスがあります。奥にベンチとテーブル、両端に花壇が配置されています。

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ベンチの脚が逆アールを描いているのもポイントです。テーブルは角餅を載せたようなシンプルな形。

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テラスの背後から。公園全体が見渡せます。
保護者がここから子どもを見守ることを想定して設計しているのでしょう。
ただ、今の季節は寒いので、お母さん方は陽の当たる向こうの砂場に腰掛けておられました。

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もう一つ見どころはこの国旗掲揚台。
シンプルながら、しっかりアールデコのデザインが入っています。

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裏側。柱を支えていた金具がまだ残っています。

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テラスと国旗掲揚台の位置関係はこんな感じ。

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あと気になる痕跡としては、公園北東部にこういう囲みがありました。
ありえるものとしては水飲み場でしょうか。

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あと公園西側に踏み台のようなもの。
子どもの避難用の踏み台というのは考えすぎでしょうか。

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人研ぎの滑り台もあります。

ふんだんに施されたアールデコのデザインが残っていて、興味深い公園でした。
このままデザインを踏襲して使われていくと良いなあと思います。

なお、こんな風に障害物が多いので、かくれんぼや鬼ごっこで遊んでいる親子が多くて、楽しそうでした。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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加賀石の里めぐり(7)滝ヶ原の石橋群

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勢いで続けます。
小松市の滝ヶ原町では、滝ヶ原石という凝灰岩の石材が採れ、その石を使ったアーチ石橋群があるということで、見に行きました。
交通手段を調べたところ、滝ヶ原町に直接行くバスはなく、地図を見ると、那谷寺から低い峠越えの道を2kmほど歩けば着くということで、加賀周遊バス「キャン・バス」で那谷寺まで行き、そこから歩くことにしました。

実際、この写真ぐらい緩やかな峠で、「熊に注意」の看板さえ気にしなければ楽な道です。

訪問日:2017年5月5日

※今回の分も、カメラの設定がずれていて解像度が低いです。見づらくてすみません。

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滝ヶ原町の谷に降りると、観光案内地図がありました。
滝ヶ原のアーチ石橋群はこの地域の観光の目玉なので、5つの石橋をめぐるウォーキングルート(約6km・3時間)というのが示されています。結果を先に言ってしまいますが、バスの時間の都合で、ルートを短縮して約1時間で回りました。

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案内板の近くには、鞍掛山アーチ型石橋由来碑というものが建っています。つい最近立てられたものです。

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目指す石橋はあの山の麓。
広い谷で、歩く道はほとんど平坦です。

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川を覗いてみると、岩盤が露出しています。
見慣れた川の風景ではありません。

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川に沿って歩いて行くと、さっそく最初の石橋、西山橋が現れました。
シダなどに覆われていて、見た目はきれいです。橋本体は見にくいですが。

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橋を保護するためか、欄干は設置されていなくて、注意看板が置かれています。
上から見たら道路が川を渡っているだけに見えます。
横から眺めないといけません。

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分かれ道に建っていた下見板張りの建物。
倉庫でしょうか。

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川の左岸を歩いて行くと、道の脇に石材が置かれているのが目に入りました。
この上に石切場跡があります。最後に紹介します。

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我山橋に到着。
この橋が一番さりげないかもしれません。
よく見ないと見落としそうです。

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我山橋が架かる川とは別の流れの川に残りの橋は架かっています。
丸竹橋は一番きれいに整えられた橋です。
かつ、平行して新しい橋が架かっていますので、よく観察できます。
この写真も隣の橋から撮りました。
アーチ部分は青い石、本体は赤っぽい石で組まれていて、コントラストがきれいです。
5橋の中でもこの橋がメインと言えるでしょう。

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この橋の所に、小松市指定文化財「滝ヶ原アーチ石橋群」の説明板がありました。
解説を読むと、架橋年代は明治後期から昭和初期にかけて、地元石工により建設されたそうです。かつては11橋があったと書かれています。

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先に進むと、石材店の看板がありました。
ここは現在も滝ヶ原石を採掘されている荒谷商店さんです。

東京のブルーボトルコーヒー品川カフェで、滝ヶ原石が使用されていると紹介されています。興味のある方はどうぞ。

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道の脇に石材が積まれていて、滝ヶ原石を観察できます。
青みがかった上品な色合いですね。

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この奥に現役の本山採石丁場があるようです。

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また近くの「石の里水と緑のふれあい公園」には、小松市により「珠玉と石の里」滝ヶ原の案内板が立てられています。

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さらに一番奥の東口橋に行きました。
省略しましたが、ここまでの石橋も橋名を記した柱が設置されています。
上から見るとこれだけ?という感じですが。

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この橋は下に降りやすく、近くから観察できるのでお勧めです。なんならくぐることも可能。
5つの橋の中でも野性的な雰囲気。丸竹橋の看板にあった「壁石上部に方柱状の石を等間隔に突出させて地覆石を支える「貫石構造」を持つもの」の例になっています。

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東口橋が一番奥なので引き返し、帰りに大門橋を見ました。
ここは隣の丸竹橋同様、整った橋です。
これで5つ全部回れました。
隣の菩提町にもう1つあるらしいですが、それは離れているのでまたの機会に。

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帰り道、川の右岸を歩くと、西山石切場跡がよく見えます。
実際のスケール感は写真で見るよりもっと大きく感じられます。
この柱でよく支えていますね。

狭い地域に新旧の石切場と石橋が固まっているので、石を見に行くにはいい場所だと思います。

<関連記事>
 「加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡」
 「加賀石の里めぐり(2)ハニベ巌窟院」
 「加賀石の里めぐり(3)遊泉寺銅山跡」
 「加賀石の里めぐり(4)大聖寺の近代建築など」
 「加賀石の里めぐり(5)那谷寺」
 「加賀石の里めぐり(6)那谷の建物など」

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2019年2月10日 (日)

加賀石の里めぐり(6)那谷の建物など

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2017年5月5日の記事です。
那谷寺に行ったのは那谷寺自体を見たかったこともありますが、ここを起点に石橋や石材で知られる滝ヶ原に歩くのも目的でした。その途中、気になる建物がありました。

こちらの建物。那谷校下公民館と呼ばれています。
「校下公民館」という言葉は耳慣れないですが、小松市の説明によると
「小松市の「 校下公民館」とは施設のことではなく、各地域の文化や地域特性に応じて住民が主体的かつ独自に運営・活動を行っている団体です。市内の小学校校下ごとに、 校下公民館25館、各町分館(校下公民館の分館)228館が存在します。」(小松市HP

※今回、デジカメの設定がずれていて、低解像度です。すみません。

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2階建て、ほぼ左右対称の建物で、正面は縦板張り、側面は下見板張りになっています。

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中央の車寄せと垂直方向の突出部分。

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窓越しに見える階段は木造で、親柱はシンプルながら装飾が入っています。

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すぐ横にも物置っぽい、下見板張りの建物もありました。

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扉のガラスの桟の入れ方が洋風ですね。

今のところ、私には詳しいことは調べられていません。

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つづいて、那谷小学校。
校門の門柱が古く見えます。

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石材の土台は花崗岩のようですが、本体には凝灰岩を使っているように見えます。

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その隣には御大典記念の何かがありました。
昭和3年と書かれています。

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この小屋も気になります。


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校庭には二宮金次郎像が立っていました。

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あと全く違うのですが、那谷の建物で気になる点として、このタイプの平らな瓦(巴瓦で合ってますでしょうか)をよく見かけました。この場合は波乗りうさぎです。

たまたま滝ヶ原に歩いて行ったためにこれらに出会うことができ、拾いものだったと思います。

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 「加賀石の里めぐり(2)ハニベ巌窟院」
 「加賀石の里めぐり(3)遊泉寺銅山跡」
 「加賀石の里めぐり(4)大聖寺の近代建築など」
 「加賀石の里めぐり(5)那谷寺」

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2019年2月 8日 (金)

加賀石の里めぐり(5)那谷寺

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2017年5月の加賀旅行の続きです。
まだ終わってなかったのかという感じですが。

かなり以前から行ってみたかった那谷寺に行きました。
加賀の山手で、粟津温泉と山代温泉の間にあります。

那谷寺自身の紹介によれば、このあたりは弥生時代からの碧玉の産地です。養老元年(717年)、白山を開いた泰澄大師が同年秋にここに岩屋寺(那谷寺)を開きました。その頃から白山信仰の地の一つとして神仏習合しています。
平安時代になって、花山法皇が西国三十三番観音霊場の最初の那(智山)と最後の谷(汲山)から一字ずつ取って、那谷寺と命名したそうです。もともと那谷という地名ではないのですね。
その後、安土桃山時代に兵火によって焼失しますが、江戸時代になって小松に隠居していた前田利常公が復興して、現在に至っています。

境内は谷間を利用して作られていて、参道は鬱蒼と湿気が感じられます。

※この時、カメラの設定がずれていて、解像度が低い写真が多いです。すみません。

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まず名勝の庭園から見学しました。
これは三尊石といって、阿弥陀三尊になぞらえられた天然石の岩面です。
このように地形を活かした庭園が作られています。
この山は凝灰岩のかたまりで、境内のあちらこちらで露出しています。

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岩肌と一体化した岩の祠。
弁財天像が祀られているようです。

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ここから金堂に向かってトンネル通路が掘られています。

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こんな風に素堀ですので、大きな岩のかたまりであるのが分かります。

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次に奇岩遊仙境へ。
自然の岩を彫って、階段や岩屋を作っています。
昔は中に入って歩けたようですが、この時点で既に立入禁止。

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奇岩遊仙境の説明。
「自然智を象徴する自然景観」と説明されていて、自然崇拝の、仏教らしからぬ世界です。

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本堂に上がって行って、振り返った所です。
境内は緑に埋もれています。

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こちらが本殿。大悲閣といって、岩に掛けられた舞台のような建築になっています。
本殿内部では胎内くぐりができるようになっていました。

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本堂から先、岩をくぐって外に出ます。
谷の高い所をめぐるように参道がつながれていますので、上がってしまえば楽です。

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谷の奥にはため池がありました。

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谷の反対側に回り込むと、奇岩遊仙境を舞台から見下ろせるようになっています。

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参道は地盤から直接削り出された階段が彫られていて、面白い眺めです。

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鐘楼など、江戸時代の建築も残っています。

奇岩に、眺めるルートも整備されていて、体感する要素の強いお寺でした。

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