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2019年1月

2019年1月31日 (木)

一条町児童公園(京都市上京区)

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西町児童公園の後は、天神川を西に越えて、一条町児童公園に行きました。

一条町児童公園は、昭和15年にできた公園です。
昭和13年に都市計画決定されて昭和35年に完了した西第五土地区画整理事業の区域内にある区画整理公園と思われます。京都の土地区画整理は、市街地を帯状に巻いてます。
京都市の土地区画整理事業施行区域図

さて、公園のある土地は若干傾斜しているらしく、南側では階段の入口になっています。

訪問日:2018年9月22日

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曲線を多用した門柱で、デザインだけからいうと、少しアールデコっぽいデザインです。

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西側の入口。こちらはほぼフラット。
見えているのがほぼ公園全体です。

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東北の入口。
ここもフラットです。
ここにきてやっと公園名が表示してあります。

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縦に「一條町児童公園」と花崗岩ぽい石に彫ってあります。
「條」は旧字体ですが、「児」の字が新字体なので、戦後のものではないでしょうか。

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公園内に国旗掲揚台跡などないかと思いましたが、それは見つけられませんでした。
縁の丸いコンクリートの砂場。

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コンクリートのベンチ。コンクリート自体に着色されていますし、座りやすいように窪ませているので、進化型のよう。昭和中期ぐらいではないでしょうか。脚はとても単純です。

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ここにも人研ぎの滑り台。

・・・ぐらいです。
ないというのも記録なので。

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公園の西側には道を挟んで、大将軍小学校があります。
このいかめしい名前は、地名です。
門柱がとても立派。

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また、すぐ近くに入口が唐破風の椿湯さんがありました。
一瞬営業されているのかと思ったものの、2018年の6月末に廃業されていて、訪問時点でも既に営業しておられませんでした。

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側面に煉瓦の壁が現れています。

今回の京都の近代公園シリーズはひとまず以上です。
実はこの日、あと2公園回ったのですが、写真が暗すぎるので、また出直します。
また1月にも京都の4公園を回っていますが、あまりこればかり続けてもなんですので、次の記事は場所も話題も変えます。

近代の公園については、自分のテーマと思って記録に回っていますので、またお付き合いよろしくお願いします。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2019年1月30日 (水)

西町児童公園(京都市上京区)

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衣笠南道児童公園の後は、紙屋川に沿って1.3km一気に下り、西町児童公園を目指します。
途中、北野天満宮の脇を通り、ここから天神川と名前が変わります。近くに小松原児童公園がありますが、それは以前に行きましたのでパス(ラジオ塔のある公園です)。

西町児童公園は天神川から道路を挟んですぐ東側です。
この写真は北西角からで、右側を天神川が流れています。

訪問日:2018年9月22日

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西町児童公園は昭和16年に開設された公園です。

見た瞬間、これは思うのは、公園のコンクリートの柵(塀?)。
この写真はメインと思われる北側の入口で、門柱に向かってアール、てっぺんもアール、門柱にはドームと何重にも丸みを帯びています。

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門柱から柵に連続する造形がそのまま残っています。
この写真では分からないかと思いますが、公園をぐるっと取り巻く柵が残っています。

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公園名は右からの文字で「西町兒童公園」。
完璧ですね。おそらくオリジナルでしょう。

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東側の入口。

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そして西側の入口も小さいながら、カーブして人を呼び込むデザインです。
所々にアクセントのように角張った柱が連続しています。

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公園全体を北東側から見たところ。
残念ながら中の見どころはそれほどないのですが。

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ここにも脚がアーチのコンクリートベンチがありました。
他にもあります。

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三本脚のコンクリートベンチ。
珍しいですね、三本脚は。

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ここまでくると意味不明な遺構。
何とも判断付きません。

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ここも人研ぎの滑り台。
要注意は、滑り台の横にコンクリートの基礎みたいなのがあること。
何の痕跡でしょう。

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砂場は変わった形です。状態が良く、比較的新しそうです。

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ちなみに途中で見た一条橋。
親柱は昭和14年と書かれていました。

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このあたりの天神川はまっすぐで随分、行儀の良い流れです。
しかし、恐らく昔は暴れんぼうだったんでしょうね。


地図を見ると、公園の東側の道が折れているのが気になります。
もう少し北の大将軍八神社のあたりでは、川が西に振ってますので、その次は東に振りそう、と考えるとこの公園のあるのは旧河道ではないのでしょうか。そういう場所に公園を持ってきているように思われます。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2019年1月29日 (火)

衣笠南道児童公園(京都市北区)

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紙屋児童公園の後は、紙屋川の右岸(西側)を下り、すぐ近くにある衣笠南道児童公園を目指しました。
右奥に見えているのがそうです。周囲は住宅地で囲まれています。

「京都市の近代化遺産・産業遺産編」、p70に載っている衣笠南通児童公園(昭和12年)と同じ公園ではないかと思います。
この辺りは、京都市の西第二土地区画整理事業(昭和9〜16年)の施行区域のようですので、区画整理に伴う公園かと思われます。

訪問日:2018年9月22日

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公園の北東入口には「衣笠南道公園」。

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しかし、公園の南西入口には「衣笠児童公園」
名前がいくつもあって、どれが正式名称なのか迷います。


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この公園も高低差があります。
公園の立入できる部分は一番低いところで平坦なのですが、斜面も含めて公園になっているようです。
ここもおそらくは紙屋川によって削られた段丘崖なのでしょう。

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公園の上から見るときれいに木々が並んでいます。
ずっと柵なので、公園には入れません。

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公園内の南端に崖を上がる階段があって、ここで見える石垣などはもしかしたら古いのかもしれません。


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公園の南入口。
水玉模様の痕跡があって、何の痕跡か気になります。
石でも貼り付けてあったのでしょうか。

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もう一つ不思議なのは、公園内が二重になっていて、空堀のようなもので囲まれていることです。

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こんな風に低い部分にベンチが置かれていて、不思議な構造です。
周囲の道路との間には柵があるので、このベンチに座ろうとすると大回りしないといけません。

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お地蔵さんもあります。
ここでは外を向いています。

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公園内は2段になっています。
下に広場、上に遊具が配置されています。

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砂場。コンクリートで平らな縁取り。

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ここも人研ぎの滑り台です。

この公園内では古そうなものは確認できませんでした。

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ただ、ちょっと気になったのは、この公衆便所。
コンクリートの本体に木造の屋根が乗っています。

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手洗いが内外どちらからでも利用できるようになっていて、そこが変わっています。

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ちなみに公園の上では、このような古い長屋が確認できました。
区画整理事業に伴う開発と言われればそう見えるような住宅です。

まだ公園の記事が続きます。

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2019年1月27日 (日)

紙屋児童公園(京都市北区)

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上柏野児童公園の後は、すぐ近くの紙屋児童公園に向かいました。
まっすぐ行けば近いのですが、少し回り道をして、北側から回り込みます。

近づいていくと立派なケヤキが枝を広げていました。
公園の入口に人が腰掛けておられるので、その大きさが分かりますでしょう。

紙屋児童公園は、昭和16年開設です。

訪問日:2018年9月22日

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しかし、公園の入口まで行ってびっくり。
とても高低差のある公園なんです。
紙屋川の谷の傾斜地を利用した公園で二段に分かれています。
つい最近知ったのですが、このあたり、紙屋川の左岸(=今立っている側)を京都を囲む御土居が通っていたらしいです。それで余計に高低差があるのかもしれませんね。

「京都歴史散策マップ 御土居跡」(PDF)

さっき見たケヤキは、ほぼ一番下の段から立ち上がっているので、なんと樹高は27mとのことです。
見えていたのは上の10mほど。
もう一本、樹高22mのケヤキもあります。

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公園の入口には「紙屋兒童公園」という大理石っぽい標示が掛かっています。
たぶん当初からのものではないでしょうか。

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まず上の段に降りて、探索していきます。
階段も天然石を使ったもの。

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背もたれ付きのコンクリートベンチです。
そこそこ古そう(たぶん昭和中期以前)ですが、足がアーチになっているベンチとはまた違います。
シンプルな2本足。

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見慣れてきた人研ぎの滑り台もあります。
しかし、注目すべきはその後ろです。

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これ。鉄筋が出ていて、国旗掲揚台だと思われます。
たいがい国旗掲揚台は後ろ側か真ん中に挟み込んでで固定していますが、ここは手前で固定しています。
それほど装飾的ではありませんが、アールの入ったモダンデザインです。

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こちらは何の遺構か不明。
パイプが2本出ていたようです。

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こちらは何か特別な木が植えられていたのでしょうか(記念植樹とか)。
公園のデザインになっています。

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滑り台はもう一台あって、見たところ幼児用です。
丸い砂場と一体型。周りを動物遊具が囲んでいるので、オアシスの水場のようです。

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続いて、下の段にも降りていきます。
この木が最初に見えていたケヤキです。

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独特なジャングルジム兼すべり台?
これ滑るのはかなり技術がいりますよね。
前に紫野柳児童公園でも同じタイプを見たことがあります。

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コンクリート枠の砂場もあります。
ここは縁が丸いタイプ。縁が丸いのと、直角のとどちらが古いというのはまだ分かりません。風化具合からすると縁の丸い方が古そう。

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公園の西側の入口を出て、紙屋川沿いを歩いていくと、波打った階段が現れます。
この上を通っているのが、鞍馬口通で、紙屋川にかかるのが金閣寺橋。
右に行くと金閣寺、左に行くと上柏野児童公園という位置関係です。

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階段から振り返れば、向こうの森が紙屋児童公園。
かなり湿気を感じます。

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金閣寺橋を、金閣寺の方を向いたところ。
親柱には昭和5年と書かれていました。

こんなに立体的な公園だとは、来てみないと分からないものです。

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2019年1月26日 (土)

元・代用公園の上柏野児童公園(京都市北区)

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まだ京都の近代の公園の記事が続きます。(この日だけで11公園回りましたので)
橘公園の後、北上して上柏野児童公園を目指しました。
紙屋川の両岸に近代の3公園が固まっています。

訪問日:2018年9月22日

千本鞍馬口から斜めに入る鞍馬口通を進むと、街を出て山道に入って行く趣きがあります。
大正末の地図を見ると、建物はぽつぽつで全くの田畑。

このあたり、気になる建物がいくつもありました。
例えばこれ、3つの住宅で1つの建物を構成しているように見えます。
一体的に設計されたのでしょう。

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またこちらの住宅も。
玄関まで結構高い階段があります。

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煉瓦積みの基礎に乗っている建物。
玄関まで直角に登る階段が付いています。
絵になる建物です。

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こちらの長屋、向こうに見えている緑が、上柏野児童公園です。
ちなみにこの道をまっすぐ行くと、紙屋川を越えて金閣寺につながります。

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この長屋も基礎部分に煉瓦が積まれています。
階段の取り付け方といい、さっきの建物と同じ造り。
お店が入っていましたが、時間がないので先を急ぎました。

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さて、上柏野児童公園です。

タイトルに元・代用公園と書きました。
土井勉さんの「京都市の公園形成史 -第二次大戦前まで-」(『土木史研究』、1991年)によれば、「代用公園」というのは、大正8年の都市計画法施行後も公園の整備が遅々として進まない中、寺院などの土地を借用してブランコや滑り台などの公園遊具などを置いたものらしいです。その時点で判明しているものとして、大正時代に6ヶ所(すべて寺院)、昭和時代に11ヶ所が挙げられています。公園の予算獲得が難しい状況で、臨機応変に場所を確保したため、後に消滅したものもありますが、いくつかは後に用地確保がなされて公園となったらしく、この上柏野公園もその一つです。

この公園は三角形をしていますので、道路除地だったのでしょうか。

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公園の門柱はちょっとアールがかかっていますが、そんな凝った風でもありません。
上柏野児童公園の文字は毛筆で書いたような書体。

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コンクリート柱に鉄パイプのフェンスで囲まれています。
これは昭和中期ぐらいか。

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敷地北側の入口。

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公園の北の端から見たところ。
公園に面した住宅があるのが古い公園らしいところ。

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地蔵堂もあります。

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公園は緩い傾斜地にあるので、途中数段の階段で上下に分かれています。
丸い砂場がありました。

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ここでもやはり人研ぎの滑り台。

代用公園という成り立ち上、もともとあまり凝ったデザインなどは期待できないのかもしれません。

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2019年1月21日 (月)

橘児童公園とラジオ塔(京都市上京区)

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次に橘児童公園を訪ねました。

料亭跡地を買収して、昭和14年に皇太子殿下御誕生紀念公園として整備された公園です。面積も6119㎡とそこそこ広い。
期待して行ったのですが、この公園表示を見ても分かるように真新しくなっています。

京都市のHPによれば、ワークショップにより公園デザインを決定し、リニューアルされたらしいです。その際、ケヤキの木が残され、多目的に使える、防災に対応した公園に生まれ変わったようです。2013年の3月に完成記念式典が行われています。

訪問日:2018年9月22日

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公園の大部分はグラウンドで占められています。
その向こうに何か立っているのが見えますか?

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そうラジオ塔です。街頭でラジオを聴けるようにしたもの。
『ラジオ塔大百科2017』のデータでは、昭和14年にできたとのことなので、公園整備と同時にできたようです。
裾がひろがって、側面には装置の格納スペースのようなものがあります。

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逆から見ると、灯籠とは違う、特徴的なデザインが分かります。
またこちら側の窓には桟が残っています。

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正面には大理石のようなものに「橘公園愛護會」のプレートがはめられています。


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遊具のゾーンを見てみます。
おや、黄色い規制線のテープが張られています。

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根こそぎ倒れてしまったケヤキ。
訪問時は9月ですので、9月初めの台風21号で倒れてものと思われます。

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逆方向から見ると、既に枝などは切断されていますが、手すりがぐにゃっと曲がっていて、倒れ込んできた様子が分かります。
公園のリニューアルでせっかく残されたケヤキが倒れてしまって悲しいことです。

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庭園風のエリア。

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ちょっとしたコンクリートの滑り台などもあります。

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砂場のコンクリートは真新しいので、リニューアル時のものかと思います。

ラジオ塔以外に昔の様子がよく分からないなと思っていたところ、2010年に訪問された方の記事を見つけました。

KYOTO徒然日記「3月16日(火)」

こちらを見ると、2010年には、
・篆書体や行書体で公園名の書かれた門柱
・階段状のデザインの水飲み場
・ベンチと一体化した扇形のテラス
・三角形の砂場
・脚がアーチのコンクリートベンチ
・ラジオ塔
などがあったことが分かります。
また別のサイトによれば、2007年までは25mプールが残っていて、保存運動が行われていたようです。
ラジオ塔しか残ってない・・・

思えば、京都でラジオ塔が再評価されたのは2009年頃のことです。
そのことが、ワークショップで何を残すか考える時に、ラジオ塔を残すことにつながったのでしょう。公園の他のモダンなデザインは消えていきました。もし2009年の再評価がなければ、よく分からないものとして、ラジオ塔も消えていた可能性はあると思います。

やはり、早く見に行っておくこと、発信して注目してもらうことの大事さを感じます。
過去の姿を記録しておくことも。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

       「萩児童公園とラジオ塔」

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2019年1月18日 (金)

名和児童公園(京都市上京区)

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続いて、名和児童公園を訪ねました。

開設は昭和15年で、現在の面積は492㎡という小さな公園です。
入口には鳥居があって、公園というよりも神社です。
その脇には「名和長年公遺蹟」と書かれた柱が立っています(昭和14年)。
そう、名和児童公園の名前は、名和長年から取られています。

訪問日:2018年9月22日

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さらに右手にもう一本、昭和11年の「此附近名和長年〜〜」という柱も。

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公園にはブランコとちょっとした乗馬型の遊具があるぐらいで、公園としての見どころは少ないと言えます。

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周りを囲む塀に赤瓦が載っているのが面白いですが。

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あくまで主役は隣にある「贈従一位名和長年公殉節之所」という碑です。
解説板があって、名和長年は、伯耆国名和(現在の鳥取県大山町)を拠点に海運業を行っていた豪族で、隠岐に流されていた後醍醐天皇が島を脱出した際、その湊に上陸し、以後、忠臣となって戦功を挙げたため、伯耆守に任ぜられ、帆掛け船の家紋を与えられた。その後、建武三年、足利尊氏と戦って、この地で討死したという説明があります。

成り立ちとしては、大阪の北畠公園と似ているように思います。明治維新後に再評価された人物ゆかりの地が、昭和15年頃に公園として拡張整備されるというパターンです。

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碑の前にはこういうものも。
奥が井戸、手前が手水鉢のようです。手水鉢は埋められてしまっています。
正面には「奉納 大日本國防婦人會」と右から。
側面には「昭和十」(その下は埋まっていて読めません)

四隅に礎石があって、以前は屋根がかかっていたようですね。
全く神社のようです。

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そして裏面には帆掛け船の紋が浮き彫りされています。

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南東隅には「紀元二千六百年竣工紀念」(昭和15年)の石碑。
こちらと一体で公園が整備されたのですね。

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北東には御大禮記念樹という標柱も。
何を植えたのでしょう。

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また、それだけでなく、この地は源氏物語ゆかりの一条院跡であるという解説板もあります。

とても小さいですが、ある種の歴史公園になっています。
公園としての見どころは少ないものの、特色ある公園になっています。

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ちなみに公園の北西の方にこのバーバーやまぎしの建物があります。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2019年1月17日 (木)

内野児童公園(京都市上京区)

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京都の近代の公園、次は内野児童公園(大極殿公園)です。
二条城に比較的近い所にあります。

昭和15年開設で、現在の面積は1571㎡。
公園はT字型をしていて、三方に入口があります。
ここの公園名表示は昭和中期ぐらいでしょうか。

訪問日:2018年9月22日

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こちらはT字の一番下の入口。

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T字型の左の端。公園の境界は「7」字型のブロックを鉄パイプでつないだ形です。

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京都に限らずですが、公園の中にはお地蔵さん。

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金網で囲まれて、児童用プールが残っていました。
ここはそのまま残っています。

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シャワーの跡でしょうか。
コンクリートの柱が立っています。

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T字の真ん中には大極殿遺址碑が立っています。
明治28年、平安遷都千百年紀念祭において、大極殿がこの場所にあったと比定された記念碑だそうです。
実際には南東で遺跡が見つかったとのこと。

大極殿の跡ということが、この公園の一番の特色になっています。

 >京都市HP「大極殿遺址碑」

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T字の右の入口には、「大極殿遺址道」の標柱(明治28年)が立っています。
記念碑と同時期に設置されています。

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その先にひっそりとあるのが、おそらく国旗掲揚柱。正面には「南小山町」、左側面には「昭和十九年十一月建之」と書かれています。昭和十年代も終わりになると細い柱が多いような気がします。

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そして、もうひとつのお地蔵さん。
ここにも南小山町と書かれています。

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T字の横棒を左から。

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ここにも脚がアーチのベンチがありました。

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この公園の砂場は小振りです。
そして人研ぎの滑り台。

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古い公園の特徴として、公園に玄関を向けている家がありますね。他にもありました。
ここから家に帰ってくるなんて面白いですね。

すぐ近くに二條児童公園(昭和9年)があって、公園自体は新しく改修されていますが、周囲(主税町のあたり)に近代のものらしき住宅地があるのでそちらもお勧めです。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2019年1月16日 (水)

鹿垣児童公園(京都市中京区)

京都市文化市民局編『京都市の近代化遺産・産業遺産編』(2005年)のp70に公園関連年表というのが載っていて、京都市内の戦前の公園の開設年が出ていますので、これを地図にプロットして見て回っています。

ということで引き続き、京都の近代公園の紹介です。
今回は昨年9月に西側の公園を回った中から、まず鹿垣児童公園を。

訪問日:2018年9月22日

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今回、JR嵯峨野線の円町駅から歩きました。
2000年に開業したばかりの駅なので、近代期の都市化に影響は与えていません。

東に歩いて行くと、天神川にぶつかり、西ノ京橋という古そうな橋が架かっています。
親柱には江戸時代の名残を残す紙屋川の名称が書かれています。現在は北野天満宮から上流のみが紙屋川と呼ばれるそうです。

地図にプロットしてみるとこの天神川の両側に近代の公園がいくつもあります。
上流では意外と深い谷をなしていますので、ここが都市化の前線だったのでしょうか。

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川を渡ったところにレトロ感のある散髪屋さんがありました。
BARBER オオヤギと書かれています。
玄関が丸っこくて柔らかい表情です。

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鹿垣児童公園にはすぐ着きました。
昭和13年開設で、現在の面積は796平米の小さな公園です。
たぶん面積は変わってないのでは。

南北で接道していて、両側に入口があります。

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門柱は古いデザインが残っているようで、花壇を抱き込むようなデザインになっています。
この時代らしくあちこちが丸い。

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鹿垣児童公園の文字も右から書かれていて、古そうです。
金属製らしく見えるので、復刻版かも。

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北側の入口は花壇がない分、あっさりしていて、南側が正面のようです。

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道路との仕切りは透かしブロックを積んだ塀で、面白いデザインです。

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北東側から見た公園。
小さい公園なので、段差などはありません。

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公園の中を古そうなものから見ていきます。
まずこのベンチ。
アーチを描く脚がきれいです。
重量感があって、ある程度古いのではと思わされます。

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こちらはもう少しシンプルなベンチ。
さっきのより材料が節約されているような。

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昔ながらのコンクリートの砂場。

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よく見る人研ぎの滑り台。昭和中期でしょうか。
そんなところです。

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周辺には近代の住宅地らしい雰囲気も少し残っていました。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2019年1月10日 (木)

南部児童公園(京都市伏見区)

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昭和12年の皇太子殿下ご誕生記念公園からもう一つ。
京都市伏見区にある南部児童公園です(昭和17年開園とも)。ここは名前に児童公園が入っています。
これも土井勉さんの「京都市の公園形成史-第二次大戦前まで-」(土木史研究、第11号、1991年6月)からの情報です。

面積は2619㎡で、伏見商業学校の跡地利用とのこと。
私立伏見商業学校は、大正5年の創立で、手狭になったため、昭和5年に現在の市立桃山中学校の位置に移転したということです。

訪問日:2018年2月25日

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公園の入口はアールを描くデザイン。
この部分は新しそうに見えます。

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公園の2つある入口はどちらも通路になっていて、中庭のような公園です。
この写真は東側から見たところ。

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古そうなデザインが残っていて、例えば、公園の北側にあるこの部分。
これだけでは何か分かりませんが、この形だと、中央に壁泉があったのではと思えます。

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砂場は年代不明。その奥に何か見えますでしょうか?

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これです。明らかに古そうなコンクリート。
所々にアールが入っています

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裏を見ると金具が出ていますので、国旗掲揚台だと思います。

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人研ぎの滑り台。昭和中期でしょう。

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公園の東側の通路接続部分。ここのコンクリートのデザインにも若干のアールが入っていて、古いものと思われます。

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敷地東側の通路。ここは民家に挟まれています。
花壇部分もデザインされているような。

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東側入口。明確な門柱などはないですが、門の痕跡があります。

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もう一つ、この公園の特徴として、公園の北側にも鉄柵があります。
これが何かというと。

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その向こうにはプール!
この時の児童公園にはプールが併設されていたという説明通り、(戦前のという感じではないですが)25mプールが残っています。
残念ながら2000年頃から閉鎖されているようです。

使われていないとはいえ、プールを併設する公園という形を残している点で貴重な公園だと思います。

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2019年1月 6日 (日)

富小路殿公園(京都市中京区)

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昨年の2月のことですが、京都の富小路殿公園を見に行きました。
これも土井勉さんの「京都市の公園形成史-第二次大戦前まで-」(土木史研究、第11号、1991年6月)に、昭和12年の皇太子殿下御誕生記念公園のひとつとして紹介されているものです。
3381平米で、実習商業学校の跡地とのこと。

京都御所の南で、ほんとにまちなかです。

訪問日:2018年2月18日

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公園の裏側(東側)。こちら側からは細い通路が通じています。

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裏側の入口に京都市立商業實修学校の跡地であることを示す案内板があります。
明治33年から昭和11年までこの地にあったのですね。
そして、昭和12年に公園が開園ということは、ちょうどタイミングが良かったということでしょう。

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さて表に戻って、門柱には右からの文字で富小路殿公園と表示されています。
大理石に彫られているようですし、戦前のものでしょう。
薄い石を貼って、上に御影石の石材を乗せる形式です。

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門柱から階段状に下がりながら、カーブして公園を縁取っています。
このあたりまで古いデザインを留めているのでしょう。
なんとなく、船岡山公園で見たデザインにも似ているように思います。

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また、中央の藤棚周辺にも元々のデザインと思われる部分があります。
藤棚自体は新しいと思います。

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もう少し近くから。
門柱とも共通するデザインです。

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中央のこれは、後ろに溝を切ってあるので、水関係、水飲み場か噴水と思われます。
児童公園なので、子ども用の水飲み場でしょうか。

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後ろから見るとこんな感じ。
後ろにも花壇が巡らせてあります。

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藤棚の下にはベンチ。反対側にもあります。
これは古いのかどうか判断しにくいところ。

古そうな部分は以上です。

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公園の西半分です。

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顔の付いた、ユニークな富士山型遊具。
顔に足をかけて登るようになっています。

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人研ぎの滑り台。
昭和中期っぽい。

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コンクリートの砂場もあります。

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さてここまで、あえて見てませんでしたが、敷地の北側境界には煉瓦塀があり、その向こうには教会があります。

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京都ハリストス正教会生神女福音聖堂です。
案内板によれば、明治34年に建物は完成していたものの、ロシア正教会から寄附された聖障(イコノスタス)、教鐘、大燈明などの到着が遅れたので、オープンは明治36年だそうです。
京都市立商業實修学校とはほぼ同時期にできたのですね。

教会をバックに、開設時のデザインも残っていると思われるまちなかの公園。
貴重だと思います。

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2019年1月 3日 (木)

六条院公園(京都市下京区)

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昨年の8月の終わりに、京都の六条院公園に行きました。
以前から、近代の公園を見て回っているのですが、京都については、土井勉さんが「土木史研究」に投稿された「京都市の公園形成史-第二次大戦前まで-」という論文を参考にしています。

その中で、昭和12年に皇太子誕生にあたり、京都市では50万円で記念事業を行うことになり、子どもの誕生を祝う事業としては子どもための公園が良いだろうという提案が通って、市街中心部に7つの児童公園が計画されたと紹介されています。

富小路殿、六条院、橘、玄武、南部、小坂、坊城の7つです。
このうち坊城の用地は交通局の車庫になり、実現しなかったそうですので、できたのは6公園です。

これらの児童公園は当時としては整備水準が高く、プールを併設していたということで、ぜひその公園をみたいなと出かけた次第です。

同論文によれば、六条院公園は2317㎡。旧下京区役所の跡地に作られたとのことです。
旧下京区役所というのはこれでしょうか。
(株)津田甚建設HP「京都市下京区役所(木造)」
大正6年にできています。

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公園の北東の入口。
六条院公園の表札や周囲のデザインは古いのではないかと思います。
下の方は鉄平石が貼られています。

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北西入口の全体。

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南東入口も同様のデザインです。やや改修されているよう。

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公園の中にはいくつか気になるものがあります。
これは水の流れるようなデザインなので、水飲み場でしょうか。

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こちらにはベンチ。

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ベンチの後ろにあるのは、形からいって国旗掲揚台でしょう。
後ろに半円状の窪みと柱を固定する穴があります。
デザインもアールデコといえなくもない曲線です。

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敷地の南端は何段か上がって、テラス状になっています。

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階段の真ん中には花壇があったようですが、木が育ちすぎて破壊された模様。木も刈られてしまっています。

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そんな写真を撮っていると、公園に面して工事をしていた方に声をかけられました。
さすがにあやしいですよね、公園で何もないようなところを写真撮っていたら。
この方、「そのうちカフェ」というお店を作ろうと準備されているところなんだそうです。
ユニークなことに、公園に面して利用する代わり、公園の草刈りなどの管理を請け負っているそうです。

そして、地元の人に聞いたという、この公園の昔の姿を教えていただきました。
先ほどのテラスのようなところにかつてプールがあったそうです。
立派な公園だったとのことです。

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そして隅にあるこの扇形の区画。
部分的に柵で囲まれていて、角に何かあります。

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近づくとこんな感じ。
明らかに水が出ていたように思われます。
私は壁泉と池かなと思ったのですが、幼児用プールの跡だそうです。

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低い壁には鉄平石が貼られていました。

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プール跡の方も見てみます。

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周囲を見て回ると、南端の中央部に柱の跡のようなものがありました。

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それ以外にも砂場があったり。

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コンクリートの遊具があったりします。
この遊具は以前、紫野柳公園でも見ました。

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1ヶ月ほどたって再訪してみると、「そのうちカフェ」がオープンしていました。古い建物が大工さんの手でリノベーションされています。
ご夫妻がきのこ採りが趣味とのことで、場合によってはきのこ料理があったり、本格的な中国茶があったり、面白いお店です。冬には囲炉裏が使われるそうです。
何より、公園から出入りできるというのが良いです。

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ついでながら、公園の東側には東本願寺の高倉会館があります。

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案内板によれば、高倉会館は東本願寺の学場「高倉学寮」の講堂を始まりとし、現在の建物は、幕末の兵火で焼失した後、明治16年に本格的に再建されたものです。
真宗大学(現大谷大学)の講堂だった時期もあるそうです。
大学移転後の大正時代には一度荒廃しますが、大正11年、新たな聞法道場「高倉会館」として復興しました。昭和5年には高倉保育院が併設されています。

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2019年1月 2日 (水)

石切場跡の岡公園(和歌山市)

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昨年6月に行った和歌山の岡公園を紹介します。
和歌山の公園といえば、和歌山城のある和歌山公園が有名ですが、その南にそれより古くて見どころも多い公園があるんです(後で知ったのですが)。

灯籠形の門柱の左奥に見えている山は、天妃山と呼ばれているようです。

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この公園、紀州青石(緑色片岩)の露頭があって、それが遊具になっているというもユニークです。

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そしてこちら、割られているのが分かりますでしょうか。
和歌山城築城時の石切場跡です。ここから切り出された紀州青石が天守閣や本丸周辺の石垣に使われているそうです。
ロッククライミング禁止の立て札も立っていました。

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次に触れますが、紀州藩時代には天妃山(弁天山)の周辺を屋敷が取り巻いていたので、その名残でしょう、井戸があります。

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そして岡の登り口の右手に岡公園碑がありました!。明治29年に建てられ、公園開設の経緯が記されています。
まずは原文から。漢文調で書かれているので、文の切れ目もなく、ずらずらと書かれています。


 岡公園記

岡公園辨天山𦾔址也初元和中徳川頼宣封於
紀伊也諸士第宅環繞山麓而辨天
山秀乎其中一登為則城内可俯視也以故藩制
不許登臨維新以降第宅頽敗鞠為
茂艸而辨天山草樹弥茂灌莽弥深終為狐狸蛇
蝎之窟矣明治十三年𦾔藩主徳川
茂承縣令神山郡廉及陸軍大佐岡本兵四郎諸
人憑弔佐賀熊本臺灣西南四役殉
難者為建記念碑於此相地興工艸樹去而奇石
出灌莽除而清泉迸旬是縣民漸有
遊覧於斯者十七年縣令松本鼎等又於山下設
亭榭以為遊息之所及二十七年縣
議始請於官以辨天山為公園併山下亭榭附属
之地在岡山之東國史云
聖武天皇神亀元年幸玉津島造離宮於岡東盖
斯地也命曰岡公園者所以用古名
也然有公園之名而未有公園之實焉去載予又
欲於山巓建我縣討清軍人紀功之
標詢之一縣吏民同聲一辞莫不賛襄者焉於是
園工又大作而公園之實始完矣盖
山勢雖不甚高而樹木蓊然以深導山之餘浸以
為坡池岡山之凸石以為丘阜惟要
去樔翳以就修潔不以人工而破天然老松古栢
有深山之氣奇花異艸有幽谷之美
其廣可以逍遙為其樂可以盤桓焉而前臨古城
則思念封建将士尚武之形況左顧
岡山則敘仰往古 帝王右文之氣象近誦記念
碑碣則知國家三百年養士之有素
則凡遊於斯園者非持花晨月夕俯仰徘徊以養
生也而其於左右顧肇之閒養氣者
亦為不尠焉

明治二十九年夏五月
 和歌山縣知事従四位勲三等沖 守固 撰
          正五位日下部東作書并篆額


 ※不正確かもしれませんので参考程度にご利用下さい。

 これでは意味が分からない人も多いと思うので、私なりに現代語訳してみます。
 ざっくりしてますので、部分的には間違っているかも。
 
 岡公園記

 岡公園は弁天山の旧蹟である。元和年間に徳川頼宣公が紀伊に封ぜられ、武士の邸宅が山を取り巻いた。弁天山に登ると城内を見下ろすことができるので紀州藩時代は山に登ることが禁止されていた。明治維新以降、邸宅は荒廃し、雑草が茂り、弁天山には草木が生い茂り、ついには野生動物の巣窟となってしまった。
 明治13年、旧藩主の徳川茂承、県令の神山郡廉、陸軍大佐の岡本兵四郎らは、佐賀・熊本・台湾・西南の四役の殉難者を弔うため、この地に記念碑を建てた。草木を取り除くと奇石が現れ、雑草を取り除くと清泉が迸った。ここでようやく遊覧する者が来るようになった。
 明治17年、県令の松本鼎らはまた山の下に東屋を設け、遊びや休憩の場所とした。
 明治27年には県が弁天山を正式に公園として請願した。山の下の東屋附属の地は岡山の東にあり、これは国史にいう、聖武天皇が神亀元年に玉津島に行幸し、離宮を岡の東に造営したというのがここであると。岡公園の命名はこの由緒ある名前からとったものである。しかるに公園の名前はついたが公園の実はなく、山上に我が県軍人の日清戦争での功績を称えるモニュメントを県の役人・県民全員が賛同して、公園の工事を大々的に行い、公園の実が初めて成った。山はそれほど高くないとはいえ、樹木の陰は深く、山の湧水を池とし、岡山の突き出た石を丘として、茂みを刈って整えれば、人工によらなくとも天然の老松古柏には深山の雰囲気があり、珍しい草花には幽谷の美がある。広く逍遙して楽しみ、歩き回り古城に向かって封建時代の武士の武を貴ぶ様子を思い、左に岡山を見ては、古を思い、帝王が文章を重んじた気配を記念碑を読むことで思い、国家300年の士を養うもととなる。
 およそこの公園に遊ぶものは、花(春)の朝方、月(秋)の夕暮れでなくとも、見上げ見下ろし、歩き回って養生し、左右の碑文に鋭気を養うものが少なくないはずだ。

 明治29年夏5月 和歌山県知事 従四位勲三等 沖守固 撰
                      正五位 日下部東作 書ならびに篆刻

 最後の方、分かりにくいですが。

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ということで、公園内を見ていきます。
紀州青石の広い階段を上っていきます。

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オブジェのような石の水盤がありました。

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途中、たくさんの記念碑がありましたが、きりがないので省略します。

こちらは岡公園記に出てきた、四役戦亡記念碑(明治12年)。
幸い、解説板がありますので、そこから抜粋します。
四役とは、明治7年から10年の間に起こった佐賀の乱、台湾出兵、熊本神風連の乱、西南戦争のことで、和歌山県出身者では491名が戦死したそうです。

隣には「四役戦亡記念碑側記」(明治16年)が立っています。


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そして一番高いところには、巨大な槍先のモニュメントが空に聳えています。
これが岡公園記に出てきた征清記念標(明治28年)というものです。
大阪砲兵工廠で作られたものです。
運び出せなくて、金属供出を免れたのでしょうか。

登ってみたかったのですが、モニュメントの下は学生のたまり場になっていて、遠慮しました。

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近くにはモニュメントの説明である征清記念標碑(明治28年)があります。

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足元からでも、結構眺めが良いです。

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東側に降りてみます。
古そうな石橋があります。
こちら側に東屋があったとのことでした。

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庭園のような流れが作られていて、弁天さんなどがあります。
弁天山に祀られていた弁天さんなのでしょうね。

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岡の南の池。
石切場跡に水がたまったものかもしれないとのことです。

もともとあったものは以上ですが、昭和になって移築されてきたものもいろいろあります。

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こちらは武徳殿。武道館です。

和歌山県建築士会さんの記事によると、明治38年に和歌山市真砂町に建設された後、昭和36年に現在地に移築されたそうです。

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「大和歌山市街地図」(昭和6年)

昔の地図を見ると、岡公園の西の方に武徳殿と記されています。
岡山の場所もこれで分かりますね。

ここに描かれている公会堂は今はありません。

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また北側には旧大村家住宅 長屋門があります。
解説によると、江戸時代末期、現在の東坂ノ上丁に建てられ、明治30年頃に所有者が変わって堀止東に移築、解体されそうになったところを和歌山市が引き取って、2017年に現在地に移築され、公開されています。

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公園の東には茶室 夜雨荘があります。
江戸時代後期の武家の茶室で、昭和62年に移築されました。

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また建物以外にも蒸気機関車も保存されています。
昭和14年に製造され、大阪、白河、大宮、鹿児島、宇治山田などを回って、最終的に昭和47年まで紀勢線・和歌山線を走って引退したものだそうです。そして昭和48年に岡公園に移されました。

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もう一つ、チンチン電車三二一号というのもあります。
解説によれば、昭和46年に市電が廃止になり、この1台と海南市にある1台を除いて、海底に魚礁として沈められたそうです。

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最後に、大型の滑り台。
随分急角度で、高さも通常の1.5倍ぐらいあるのではないでしょうか。
子供たちに大人気でした。

これ以外にも記念碑など数多くありますし、地形的にも面白く、かなり見応えのある公園でした。

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2019年1月 1日 (火)

2019年もよろしくお願いします

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2019年、明けましておめでとうございます。
今年もあちこち積極的に出かけていきたいと思います。

このブログの今年の方針としては、
・既に取材してある記事をできるだけ載せていくこと
 (とくに公園関係。たくさんあります)
・近代の公園の調査、ラジオ塔の現存確認
を最重点にしていこうと思っています。

昨年ほど更新が少ないということはないと思います。

また、最近、記事にした建物の解体が多くなっています。
気付いた時は記事に追記していますが、自分で書いた記事も全体に目を通せてなくて、追記漏れがあることと思います。もちろんなくなったことを知らない建物もあります。
お気づきのものがありましたら、コメント欄やメール、SNS等でお知らせいただければ対応します。

感想などもいただけるとうれしいです。

本年もよろしくお願いいたします。

なお、タイトル写真はお正月ということで、昨年撮った写真の中から、おめでたい写真を選びました。
場所はJR吉野口駅前(奈良県御所市古瀬)です。

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