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2018年12月24日 (月)

淡輪遊園(大阪府岬町)

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先日、大阪の岬町に大正時代に開かれた淡輪遊園(あたご山公園)があると知り、現地を確認しに行きました。
*淡輪は「たんのわ」と読みます。
かつて淡輪にラジオ塔があったという記録があり、その場所を確認したかったのもあります。設置場所として、淡輪遊園の可能性が高いのではないかということで。

淡輪駅に降り立ったのは初めて。
大正14年に建てられた洋風の駅舎で、観光地らしい雰囲気です。

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駅前の道を歩いて行くと、海のそばに丘が見えます。
この丘上に淡輪遊園(あたご山公園)はあります。

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丘の入口にはあたご山の観光看板。
つつじが咲き誇る季節の公園が描かれています。
この赤い橋は後で出てきます。

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丘を登っていくと、木々に隠れて煉瓦造の円形の貯水槽がありました。
いつ頃のものなんでしょう。色むらが少なく、新しめに見えましたが。

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また、煉瓦貯水槽の下には愛宕祠がありました。
おそらく、これがあたご山の由来なんでしょう。
この雰囲気、夜は怖そう。

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淡輪聖書教会もあります。
1959年にキャンプ場兼教会としてスタートしたそうです。
1980年にキャンプ場は閉鎖されました。


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栗本鐵工所の研修センターの横を抜けて、海の方へ歩いて行くと、海に向かって開けた丘に出ました。
至るところにコンクリート製のベンチが置かれていました。
このあたりが淡輪遊園です。
(ベンチの脚がかなり浮き上がっていて、施工時から土が流出したようですね)

南海鉄道の「開通五十周年」(昭和11年)、「南海鉄道株式会社大観」(昭和12年)、「南海沿線厚生施設編」(昭和16年)によれば、淡輪遊園の開発は、明治36年に大阪朝日新聞の西村天囚氏が山内愚僲画伯とともにこの丘に遊び、大阪朝日新聞紙上に「海風」と題して十数日にわたってこの地を賞賛する記事を掲載したことがきっかけだそうです。

有名になり、来訪客が増えたため、翌明治37年に黒崎海岸に海水浴場ができ、村営の案内所を設置、民家を開放(民泊ですね)しました。当初は駅がなく、箱作駅から村営連絡船で客を運んでいたそうです。

明治39年には淡輪の臨時停車場ができ、黒崎館・龍宮館など旅館がオープン、翌明治40・41年には海水を使った人工滝や汽車ホテル、菖蒲園などもできました。明治44年には駅側にスロープを付け、全山が一大遊園地に。また駅舎をスイス風に改築するとともに、上水道を通し、全山に電灯を灯しました。

大正時代、南海は地元とともに海水浴場を改修し、釣り舟料金を統一して釣り客を誘致するなど、積極的に来遊者を増やす取り組みをしていたようです。

また明治43年頃から数千本の桜、大正14年に数万本のツツジを植えて、季節の行楽地となり、休憩所や東屋、ベンチ等を整備しました。
対岸の淡路島の洲本との間には摂陽商船の定期船が毎日2時間で結んでいたそうです。
昭和12年にはたんのわ温泉がオープンしています。

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この日はお天気が悪かったのですが、天気が良ければかなりの眺めのはず。
海岸には大阪府立青少年海洋センターが見えています(昔泊まったことがあります)。

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テラスには藤棚も2つありました。

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丘上にはこれらいくつもの建物がありますが、以前は何らかの営業をしていた建物ではないかなと思います。

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歩いて行くと、谷間に看板で見た朱塗りの橋がありました。この両側がツツジです。

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この橋の名前は京橋でしょうか。

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下の方にももう一つ朱塗りの橋がありました。

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また別の丘に登って、こちらにもベンチが固まって置いてあります。
とにかくたくさんのベンチが散らばっています。

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ここちょっと変わっているのが、鉄筋の出たコンクリートの遺構があります。
休憩所か何か、建物が建っていたのではないかと思われます。

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歩き回ってもラジオ塔らしきものは見つけられないので、こちらの旅館・龍宮館でお話を聞いてみることにしました。
龍宮館、先ほど名前が出てきましたね。そう明治時代、この地に最初にできた旅館の1つです。
今も営業されています。一度泊まってみたいですね。

さて、最初奧さんが出てこられて、昭和一桁のお生まれのご主人も呼んでいただいたのですが、ラジオ塔は記憶にないそうです。
戦時中にレーダーの研究者がずっと泊まり込んでいたことはあったけれどもという話もあって、それはそれで貴重な話ですね(軍関係者では?)。

どこか近くでラジオ体操をしていた場所はないですか?と尋ねると、今は太陽光発電所になっている下の広場に集まってラジオ体操をしていたとのこと。
そこが可能性が高いのではないでしょうか?

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行ってみると、こんな感じ南海電鉄の南海淡輪発電所となっています。

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金網の隙間から見てみると、こんな感じ。
石柱がぽつんと立っていて、気になります。


グーグルストリートビューで見ると、2010年の画像しかなくて、その頃の広場の様子が分かります。
来るのが遅すぎました。
さっき見たのと似たような看板と、その右側に石柱があるのが見えますでしょうか。

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1961年撮影、MKK613-C24-43

また国土地理院の空中写真を見ると、この矢印の先のものが何だろうと思います。
とはいえ、全然違う場所なのかもしれませんが。
場所としては、このあたりにあるのが一番自然に思えます。

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今回の探索はここまで。
民家カフェのひろしげ珈琲倶楽部さんというのが気になって入りました。
ここ民家の土間や座敷を使って営業されていて、本格的なコーヒーをハンドドリップで入れてもらうこともできれば、手軽に飲みたい人にはセルフでコーヒーマシンで淹れてもいい(その場合は250円)という融通のきいた運営をされています。お菓子は障害者作業所のクッキーを一袋100円で販売。

私がいる間でも、若い人が来たり、おばあちゃんが土間で話し込んでいたり、子どもが座敷で勉強していたり、東南アジア系の外国人の方が豆を買いに来たりと、人が行き交ういい空間になっていました。
また次も行ってみたいと思います。

今回、淡輪遊園だけで終わってしまったので、集落の方も見てみたいというのと、淡輪遊園もまたツツジの時に見に来たいと思いました。

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