« 2017年4月 | トップページ | 2017年7月 »

2017年6月

2017年6月30日 (金)

鳴門の近代建築など(2)

160911narutoeast01_1

近代建築などを中心に、鳴門の記事の続きです。
これも2016年9月11日の記事です。

まずは撫養川に架かる文明橋から。
この橋、昭和13年に架けられたもので、渦潮のデザインが良いです。
この頃から既に渦潮を推してたんですね。

160911narutophoto
出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
   「鳴門海峡」USAーM263-23 昭和22年米軍撮影 を加工

位置を確認します。
前回は撫養川の西側を紹介しましたが、今回は撫養川の東側から撫養港まで近代建築などを中心に紹介します。
お遍路さんの通り道である、撫養街道に沿う地域です。

160911narutoeast02_1
橋の欄干はアーチの連続です。

160911narutoeast19_1
橋の東側はちょっと広がって渦巻く装飾がありました。

160911narutoeast03_1
文明橋から撫養川に沿って少し北上すると、美奈登橋があります。こちらは昭和10年。「湊橋」と書けばよいところ、少し気取った漢字を当ててます。

160911narutoeast04_1
橋の下には雁木の荷揚場がありました。
左側の岸壁もアールの付いた縁石を使っていて古そうです。
ちなみに対岸右手に見えている丘は、これから向かう方向にある妙見山です。
その向こう側に撫養港があって、港の目印になる山です。

160911narutoeast05_1

撫養川を渡って、林崎の集落に入りました。
養老湯の跡を確認するためです。
ここには事前確認して行きました。
2009年末に廃業されたとのことで、緑の侵食を受けつつありました。

160911narutoeast06_1
2階の窓には色ガラスが使われています。
洋風の雰囲気です。

160911narutoeast07_1

この時はレンタサイクルでの移動なので、寄り道していると、北浜集会所というのがありました。昭和20〜30年代といったところでしょうか。潮風に色あせて味が出ています。

160911narutoeast08_1
撫養街道に沿って進んでいくと、モダンな住宅がありました。
古いようなのですが、かなりきれいにしています。

160911narutoeast09_1
玄関周り、水平、垂直の線で構成されていて、とてもシュッとしています。

160911narutoeast10_1
妙見山が近づいて来ました。
左側から回り込みます。

160911narutoeast11_1
港のすぐそばまで来ました。
これは元料亭などでしょうか。

160911narutoeast12_1
撫養港の周辺には今も旅館がありますが、関西方面から船でやってくるお遍路さんで賑わった昔は、もっとたくさんの旅館があったのでしょう。朽ちかけています。

160911narutoeast13_1
緑に埋もれている建物は、水の旅館の旧館です。
2棟のうち1棟は戦前の建物だそうです。
右に新館が建っています。

160911narutoeast18_1
小屋裏の換気口はちょっと変わったデザイン。
中を見学できれば良いのですが。

160911narutoeast15view_1
水の旅館の前で撮ったパノラマ写真です。
左に大毛島、遠くに淡路島が見えています。
ここが撫養の港です。

160911narutoeast14_1

昔は船が着いたのですね。
フェリー待合室が閉め出されてトマソン化しています。

160911narutoeast16_1
前に「渡船の記事」で紹介した岡崎渡船
の隣に元幼稚園らしき廃屋がありました。
下見板張りです。

160911narutoeast17_1
左側の建物。
下足箱があるので、幼稚園かなと思ったのですがどうでしょう。
気になります。

鳴門で気になった主な建物は以上です。
よほど生育環境が良いのか、植物の強さが印象づけられました。

<関連記事>
 「鳴門の近代建築など(1)」
 「隠れた名所・小鳴門公園」
 「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」
 「鳴門の石材」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月29日 (木)

鳴門の近代建築など(1)

160911narutomodern01_1
随分間が空きましたが、鳴門の記事の続きです。
訪問日は2016年の9月11日。
鳴門の近代建築などを紹介します。

160911narutophoto
出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
    「鳴門海峡」USAーM263-23 昭和22年米軍撮影 を加工

鳴門を訪ねるにあたって、事前に空中写真で旧市街を確認しました。
写真を見ると東西に延びる市街地と南北に延びる市街地があります。
その交点が上の写真の場所です。
道路元標を置くならここしかないという場所ですが、道路元標は見あたりませんでした。

まず東西の道は撫養街道です。関西方面から船でお遍路さんに来るとまず上陸したのが撫養港で、そこから撫養街道をたどって札所を目指したそうです。
南北の道は渡船場につながっていて、その先は高島です。

160911narutomodern02_1
まず南北の道を北上しました。
すぐに現れたのがこのピンクの建物。
とても目立っています。
窓の桟や水平線も主張しています。

160911narutomodern03_1
玄関脇にはダイヤの窓も。

160911narutomodern04_1
途中で裏道に入って、造り酒屋の花乃春酒造さん。
登録有形文化財のプレートを掲げておられました。
創業文化11年(1814年)で、正面に見えている仕込み蔵と左手にある瓶詰め蔵は昭和18年のもの。
お酒の販売もされています。

160911narutomodern05_1
撫養小学校の裏門。
元は正門だったのではないかという重量感があります。

160911narutomodern06_1
小学校の向かいにある斎田集会所はそこそこ古いのではないでしょうか。
サイディングに覆われていますが、後ろに回ると下見板張りです。

160911narutomodern07_1
撫養街道まで戻ってきました。
ダルマヤ薬局の磨りガラス文字。

160911narutomodern08_1
医院の建物に隣接してピンクに塗られた下見板張りの建物がありました。
元は医院関係で使われていたのではという気がします。

160911narutomodern11_1
またこちらも裏通りにある、住宅にしては立派な建物。

160911narutomodern12_1
玄関上の破風部分に亀甲模様が入っていたり、漆喰細工のようなものがあったり、凝っています。

160911narutomodern13_1
再び撫養街道に戻って、西に向かいます。
初めて見るとインパクトのあるおたふくさんの鏝絵看板。

160911narutomodern14_1
洋風付き町家。
町家で部分的に洋風なのが面白いです。

160911narutomodern15_1
これはたぶん銭湯跡でしょう。
屋根が落ちていて残念です。

160911narutomodern16_1
西に歩いて行き、三拍子酒造の煙突に誘われていくと、レトロな浜田煙草店がありました。大正9年の建物だそうです。

160911narutomodern17_1
玄関脇のこの小窓は何でしょう。
たばこの販売窓口?
このあたりで引き返しました。

160911narutomodern20_1
鳴門市街中心部に戻ってレンタサイクルを借りた後、渡船をめぐって、小鳴門海峡の北の入口にある北泊まで走りました。その途中にあった、瀬戸小学校の門柱。左側の門柱には「瀬戸幼稚園」と書かれています。

160911narutomodern21_1
堂浦の集落にあるよろず屋。
漁村にしっくりきます。

160911narutomodern22_1
玄関上の磨りガラスと桟が凝っていました。

160911narutomodern23_1
モダンデザインの塀。
建物がかなり傷んでそうで気がかりです。

160911narutomodern24_1
再び市街地に戻ってきて、古い排水施設。

160911narutomodern18_1
今では鳴門で唯一の銭湯となってしまった東浜温泉。
1965年の開業だそうです。
私も入りました。たぶん開業時の雰囲気が今も残っています。

160911narutomodern19_1

最後にもう一つ。
鳴門市役所の建物がかっこいいなと思ったら、1963年に完成した増田友也設計の建物だそうです。
docomomo Japan選定。
鳴門は増田友也の建築がたくさん残っているそうですが、この時の旅行ではそこまで回る余力はありませんでした。
ご興味のある方はこちらもどうぞ。

「鳴門の近代建築など(2)」に続きます。

<関連記事>
 「隠れた名所・小鳴門公園」
 「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」
 「鳴門の近代建築など(2)」
 「鳴門の石材」


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月26日 (月)

ラジオ塔のある大曽公園(豊中市)

170211ooso_1_2
半年前のことですが、「ラジオ塔大百科」で紹介されていた豊中市の大曽(おおそ)公園に行ってきました。
訪問日は2017年2月11日です。


170211ooso02_1
大曽公園のメインの入口は南西角にあります。

170211ooso03_1
公園の配置図。
広場が大きな面積を占めていて、東側が一段高くなり、遊具コーナーなどがあります。

170211ooso04_1
広場とはこれぐらいの段差があります。
雨水の貯留施設にするために掘り下げられたのかは不明。

170211ooso05_1
古い雰囲気を残している場所です。
緩い大階段で一段上がったところに、藤棚とベンチがあります。

170211ooso06_1
この手前に大曽公園建設記念碑が建っていました。
裏側に説明があって、この公園が昭和16年に建設されたことが分かります。

書き起こすと(送りがなはひらがなに直しました)、
「本公園は本市連合町内会隣組の結成を記念し、之が敷地を大字桜塚よりの寄付に求め、其の資金は市民の篤志に俟ちて建設したるものなり。
 昭和十六年十一月十四日
 大阪府豊中市長 従五位勲六等 中川種治郎」

地域と市民の寄付で出来たんですね。


170211ooso07_1
そしてこれがラジオ塔。
表には「豊中市大曽公園」と書かれています。

170211ooso08_1
裏側には「大阪中央放送局」と書いてあります。
恐らく上にラジオの収納部分があったのでしょうが、欠損しています。


170211ooso09_1
また隣には国旗掲揚台らしき御影石の柱があります。

170211ooso10_1
つまり全体としてはこういう配置です。
国旗が揚がり、ラジオ塔からラジオ体操が流れ、右側に集まって体操するという位置関係ですね。
戦前の公園の様子が分かります。

170211ooso11_1
藤棚については、いつの時代のものかは分かりませんが、六角形のコンクリートのベンチがあります。

170211ooso12_1
また、現在の藤棚とは別に柱の跡がありますので、こちらがもともと藤棚のあった位置ではないでしょうか。

170211ooso13_1
何かの基準点らしきものもありました。


170211ooso14_1
たぶん戦後の整備ですが、砂場があります。
周囲にはよく見るラクダやキリンの遊具。

170211ooso15_1
象やカタツムリのコンクリート製遊具もあります。

170211ooso16_1
周辺は古い住宅地で、こんな木造住宅もありました。
うろこ状の戸袋がユニーク。

(関連記事)
*全国の近代公園
 「近代の公園」(目次)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月25日 (日)

加賀石の里めぐり(3)遊泉寺銅山跡

170503dozan_1_2
※クリックすると拡大します(以下同様)

鵜川・遊泉寺地区で3ヶ所目、遊泉寺銅山跡を見に行きました。
ここには江戸時代から銅山もあったんです。
鵜川石切場跡を案内してくださった鵜遊立活性化委員会の方など地元の皆さんがこつこつと遊歩道を整備して、2006年から銅山の遺構を見て回れるようになりました。


170503dozan_1_1

現状はというとこんな感じの森。
まさかここに銅山町があったなんてイメージできません。

170503dozan03_1
案内板によるとこんなに大きな町があったそうなんです。
大正5年頃には従業員1600人、人口5000人に達していたとか。

江戸時代の安永元年(1772年)に開坑し、盛衰はあったものの、加賀藩の有力な財源だったようです。

明治になると採掘権は、土佐藩の竹内綱のち長男の竹内明太郎氏に渡りました。
竹内明太郎氏は鉱山の近代化につとめ、明治40年には鉱山から小松までの軽便鉄道を敷設、神子清水発電所を建設して機械化を進めました。

170503dozan04_1
この方が竹内明太郎氏です。
氏はまた機械工業の重要性を認識し、諸外国を視察して、遊泉寺銅山の私設鉄工所として小松鉄工所を設置しました。

鉱脈の不足や第一次世界大戦後の不況を受けて、遊泉寺銅山は大正9年に閉山に追い込まれますが、小松鉄工所は銅山の施設・物資と人員を引き継いで、大正10年に小松製作所として分離独立しました。これが今のコマツにつながっています。
ー以上、遊泉寺銅山跡記念碑より。

あのコマツはここから出発したんですね。
今回初めて知りました。


170503dozan05_1
銅山跡の入口には立派なトイレが整備されています。
また駐車場もあります。
駐車場はもっと奥にもあります。

170503dozan06_1
このあたりは公園になっていて、遊泉寺銅山のカラミ石も展示されていました。
ここのは四角柱になっているのが特徴だそうです。
他の鉱山では大型の煉瓦の形だったり、尾小屋鉱山の場合は六角柱だと聞きました。

170503dozan07_1
最初に現れる遺構は真吹炉です。
銅鉱質の分析炉と説明されています。

170503dozan19_1
周辺にはシャガが群生していて、ちょうど花の季節だったため、写真を撮りに来られている方もいました。

170503dozan08_1
銅山町の跡は、石垣で階段状になっています。


170503dozan09_1
次に現れるのは、この銅山跡のシンボルともいえる、巨大煙突と煙道窓です。
煙突は高さ20mあるそうです。

170503dozan10_1
あちこちに立入禁止看板が立っています。
鉱山跡なのであちこち穴が開いていたりして、危険があるようです。

170503dozan11_1
例えば、これは分かりにくいですが、窪地になっています。

170503dozan12_1
遊歩道の足元には煉瓦やカラミ煉瓦が落ちていたりします。


170503dozan13_1
これは何か分かりにくいですが、鍛冶屋の炉跡です。

170503dozan14_1
竪坑跡。深さは150mあったそうですが、危険なため、今はコンクリートで覆われています。

170503dozan15_1
ここから遊歩道は上りになります。
急な登り坂です。

170503dozan16_1_1
登り切れば、平坦な尾根道になります。
精錬所から出るノロ(不純物)を引き揚げた巻き上げ装置の台座が残っています。

170503dozan17_1
尾根筋からは小松市街と海が見えます。

170503dozan18_1
今度は谷筋を下っていくと、水源地跡があります。
ちょっと分かりにくいでしょうか。
谷が堰堤で堰き止められています。


170503dozan20_1
解説のないところにも、斜面に穴が開いていたりしましたので、まだ遺構は埋もれているかもしれませんね。

遊歩道は一周1.5kmで、所要時間1時間程度です。

なお、小松市ではこの6月に5000万円の予算を盛り込み、今後5年かけて遊歩道を整備するそうです。
北国新聞社「遊泉寺鉱山跡を整備 小松市、煙突や炉巡る遊歩道」
今でも見て回るのに不都合はないので、こういう森の中の遺跡の雰囲気が好きな方でしたら、今のうちに行っておいた方が良いかも。

<関連記事>
 「加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡」
 「加賀石の里めぐり(2)ハニベ巌窟院」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月24日 (土)

加賀石の里めぐり(2)ハニベ巌窟院

170503hanibe01_1

鵜川石切場跡の案内人の方を紹介していただいたお礼もあり、この地域一番の観光地であるハニベ巌窟院も見学しました。
入口の正面に立つ仏頭のインパクトが大きいです。私は詳しくないのですが、北陸随一の珍スポット、B級スポットとして有名なんだそうです。

ハニベ巌窟院は、昭和26年、鵜川石の石切場跡をアトリエとして、初代院主・都賀田勇馬氏によって開洞され、二代にわたってひたすら作り続けられた仏像などで満たされた空間です。ハニベとは、埴輪を焼く人、彫塑家のことだとか。

入口にある仏頭は二代目によって制作途中の大仏で、完成すると高さ33mになる予定だそうです。

巌窟院自体はここではなくて、右手にあります。

170503hanibe02_1
洞窟に至るまでも彫像などが並んでいます。
これは金沢市金石浜に立つ銭屋五兵衛の銅像の原型で、昭和8年、初代によるものだそうです。

170503hanibe03_1
洞窟は丘の中腹にあるので、階段をあがっていきます。
途中、斜面を利用したかっこいい建物も。

170503hanibe04_1
メインの洞窟の他にも周囲に小さな洞窟があって(こちらも採石場跡)、塑像などが祀られています。

170503hanibe05
ここがメインの洞窟の入口です。
仁王様が門番です。

170503hanibe06_1
入ると石切場跡というのがよく分かる通路で、壁や天井など、そのまま使われています。
洞窟の全長は約150mです。

170503hanibe07_1
床に耐火煉瓦が敷き詰められている場所もありました。
窯に使ったものの再利用でしょうね、たぶん。

170503hanibe08_1
洞窟はいくつかのパートに分かれていますが、たぶん一番人気のあるのが地獄を再現したパートでしょう。
この地獄門から始まります。

170503hanibe09_1
鬼たちの食事風景。
食べているのは人間の目玉とか耳とか血とか。
洞窟の中という状況がぴったりですね。

洞窟の様子をレポートしておられる方はたくさんおられますので、そちらをご覧下さい。
悪いことをすると地獄でこうなりますよという教訓で、面白いといえば面白いです。


170503hanibe10_1
こういう通路があちこちにつながっていて、所々、柱として石が残されています。


170503hanibe11_1
最後は切り出された階段を登って地上へ。

170503hanibe12_1
丘の上に上がると広場になっていて、涅槃仏がおられます。
後から来た若い女性が「これが見たかったんです」と駆け寄っていたので、有名なものみたい。

170503hanibe13_1
私はこちらの方が気になりました。
天神牛の台座だけ残っているもの。
上野公園に代表作の天神牛があったとのことなので、そのレプリカなのか、もしかすると金属供出されて台座だけが戻ってきたのか。

170503hanibe14_1
台座の下段はひときわ大きな煉瓦で、半分隠れているので刻印が読めませんが、HASEGAWAと書いてるのかなと推測します。

他にもたくさん紹介記事があるので、簡単にはしょりましたが、多くの彫像・塑像があって、見応えがある施設です。
石切場跡の見学としても良いと思います。

<関連記事>
 「加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月22日 (木)

加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡

170503ugawa01_1
※クリックすると拡大します

ゴールデンウィークの3日間、石川県の小松市・加賀市を、石をメインテーマ、北前船の里をサブテーマに巡ってきました。
どれだけ紹介できるか分かりませんが、ランダムに紹介します。

今回訪問した先は、
小松市の東酒造(神泉)、遊泉寺町・鵜川町、観音下、尾小屋、那谷寺、滝ヶ原、
加賀市の大聖寺、吉崎、塩屋町、瀬越、橋立、片山津温泉、動橋などです。

今回の旅行では一日だけ珍しくレンタカーを使いました。
回る場所が散在していたためです。

石切場跡や鉱山跡が集まる鵜川・遊泉寺・立明寺地区(鵜遊立地区)をめざして、その中でも観光地になっているハニベ巌窟院に車を停めました。
そこで目にしたのが、上の看板。
「珠玉と歩む物語」小松 〜時の流れの中で磨き上げた石の文化〜というストーリーで、平成28年度に日本遺産の認定を受けています。

170503ugawa02
※クリックすると拡大します

その右側には、鵜川・遊泉寺・立明寺地区の真新しい案内板があります。
この鵜川石切場跡を見てみたいなと思って、ハニベ巌窟院の売店のお姉さんに「ここを見学できませんか?」と聞いてみました。すると案内人の方に連絡を取って下さって、すぐに来ていただけました。急にお呼び立てすることになってしまって申し訳なかったのですが、せっかく来てくれたのだからと歓迎して下さいました。
鵜遊立地区の活性化委員をされている方だそうです。

170503ugawa03_1

ヘルメットと懐中電灯を用意したら、軽トラに乗せていただいて、数百m東にある近くの石切場跡へ。
この擁壁の向こう、森の中にあります。ぱっと見には分かりません。

170503ugawa04_1

上に上がるとこのこの坑口。
冒険活劇映画のシーンのような。
案内者の方は子供の頃によく遊びに来たそうです。
松明をたいて洞窟探検をしたり、この崖にロープをかけて登ったり、地下水でスイカを冷やして食べたり。
夏は涼しく、冬は暖かいようですし、私がここの子でも絶対入り浸ります。


170503ugawa05_1
入口付近の空間。人工の洞窟なので、広々としています。

170503ugawa06_1
※クリックすると拡大します

何よりいいのが、採石跡の四角い穴に澄んだブルーの水が湛えられていること。
ほんときれいです。

170503ugawa07_1
こちらは土砂が流れ込んでいます。
ぐるっと一回りしたのですが、未整備なので、足を滑らせたら水没です。
どきどきしながら、進みました。

170503ugawa08_1
※クリックすると拡大します

水中に没していく石の階段。
どこから水中なのかよく分からないぐらいで、底まではっきり見えています。
ここが一番気に入りました。

170503ugawa09_1
あと洞窟にはコウモリがいます。
固まってぶら下がっているので、シャンデリアみたいです。
昼間なので全く動きません。

170503ugawa10_1
ここの湧き水は飲めるぐらいきれいな水らしくて、ここから水道が引かれています。
また、水を引いてワサビの栽培などもしていたそうです。

鵜川で採れる石材は鵜川石という角礫凝灰岩で、飛鳥時代の古墳の石室から小松城の石垣、近代建築に至るまで、長い期間にわたって利用されてきました。
この石切場が現役だった時代には、集落の中まで長いスロープが作ってあって、切り出した石を引っ張り降ろしたそうです。

昔の様子や遊んだ思い出なども語っていただいて、とても興味深い見学になりました。
大変お世話になり、ありがとうございました。
一般の観光利用のためには転落防止対策をしたり、照明をつけたりしないといけませんが、やりすぎるとつまらなくなるので、どの程度にするか考えておられるところだそうです。

ぜひ宣伝してくださいとのことでしたので宣伝します。
何といっても地下水のプールがきれいです。

直接ハニベ巌窟院に来てもらっても、空いていたら案内するけれど、できれば小松市の観光交流課に「鵜川の石切場跡が見たい」と申し込んでください、とのことでした。

なお、鵜川の集落の下にも坑道が走っていて、何度か小学校のグラウンドが陥没したことがあるそうです。
ハニベ巌窟院も石切場跡ですし、向かいの山には遊泉寺の石切場跡といって、戦時中は中島飛行機が地下工場として使っていた総延長10kmに及ぶ坑道があるそうで、そちらも見てみたかったのですが、天井が崩落している場所などもあり、危険なので観光客には勧められないとのことでした。(ネットではいくつかレポートなども上がっています)

170503ugawa11_1
※クリックすると拡大します

鵜川の集落内にも石の蔵がありました。
地元だから鵜川石なんでしょうか。よく分かりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月20日 (火)

旧天下茶屋郵便局電話分室の解体(大阪市西成区)

170611tengachaya_1

先日(6/11)、天下茶屋を歩いていると、大きな空き地が。
旧天下茶屋郵便局電話分室(NTT西日本天下茶屋第1ビル)が解体されていました。
地味なのですが、昭和2年に建てられた近代建築で、設計者は逓信省技師の山田守とのことです。
写真を撮っていたはずですが、見つけられず。

解体されるといって注目されることなく、ひっそり消えていくのは寂しいことですね。

ストリートビューでは、まだ残っている状態です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2017年4月 | トップページ | 2017年7月 »