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2013年2月

2013年2月25日 (月)

浜甲子園経営地あたり(西宮市)

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武庫川支流・枝川の廃河川跡に開発された住宅地を歩くシリーズです。
阪神甲子園駅を越えて、さらに海に向かいます。

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阪神甲子園駅前の両側には松林があるのですが、これはもともと川の堤防に植えられていた松のようですね。そう思うといくらか川の流れがイメージできます。

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甲子園といえば、甲子園球場。
こんな至近距離に団地があります。

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<甲子園開発後の状況。明治20年頃の2万分の1地図をベースに作成>
※クリックすると拡大します

今回の記事ではこの先の浜甲子園経営地あたりを紹介します。
昭和初期に阪神によって開発された住宅地です。『近代日本の郊外住宅地』所収の角野幸博氏「甲子園/西宮」の項で紹介されていますので、これを参考にします。

昭和元年には地区内を路面電車が走りました。

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<昭和7年修正測量 仮製版1万分の1地形図「西宮首部」陸地測量部発行をベースに追記>
※クリックすると拡大します。

昭和7年の時点では、まだ住宅が建っているのは一部のようです。浜甲子園の宅地は中甲子園住宅地より小さく、100坪未満の住宅も多かったといいます。さらに貸家経営のため、購入者による敷地分割も行われました。
この住宅地には上水道、都市ガスが通っていたそうです。周辺にレジャー施設がたくさんある状況も地図から分かると思います。

隣にある浜甲子園健康住宅地については、次回から紹介します。

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路面電車の走っていた通りをはさんで、まずは東側から歩きます。
これは長屋住宅です。石積にも昔の面影が残っています。

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丸窓のある住宅。玄関の支柱が階段状の持ち送りになっているのが面白いと思います。
きれいに改修されていて、古いかどうか分からない住宅が多いようです。

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富士家アパートの壁の飾り。
うっすら富士山が描かれています。

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一風変わった洋館部をもつ住宅。

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和館部分は杉皮張りの壁です。

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よく見ると古く見える住宅。
左に見える木造の小屋がいい雰囲気です。

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懐かしい板壁の住宅。

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板壁の木戸がいい感じに灼けています。
ノミ跡のような模様入りです。

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この住宅は古そうには見えないのですが、細部を見ると気になるところがあります。

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窓が格子のステンドグラスになっていたり、窓枠が木だったりしています。

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ちょっと見にくいですが、四角い洋館部付きの住宅。
路面電車通りに面しています。

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今度は通りの西側です。
西側には敷地の大きな住宅があります。

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門が非常に立派。
灯籠風というのか、甲子園住宅地でいくつか見かけたスタイルです。
その中でも一番立派かも。

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建物には丸いステンドグラスがはまっています。
バラと長方形分割デザインの組み合わせです。

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その隣もいいのですが、残念ながら空き家のようでした。

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門が昔のまま残っているようです。
ボーダータイルをずらしながら貼ってあるのがいかにもです。

浜甲子園経営地あたりまで歩いてきてようやく、近代の住宅地らしさを十分に感じることができました。

<関連記事>
 「上甲子園経営地を歩く」(2013年1月)
 「中甲子園経営地から七番町経営地とその周辺」(2013年1月)
 「甲子園住宅地の境目を歩く」(2008年11月)


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2013年2月11日 (月)

中甲子園経営地から七番町経営地とその周辺(西宮市)

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武庫川支流の枝川跡を開発した住宅地を歩くシリーズ2回目。
今回は国道2号線から阪神甲子園駅までの区間を歩きます。
最初におわびしておきますが、内容は「その周辺」がほとんどです。
「甲子園住宅地の境目を歩く」もあわせてご覧下さい。

以前紹介したように、大正の終わりに枝川が埋め立てられると、阪神が跡地をリゾート地や住宅地に開発しました。中甲子園経営地は昭和3年から5年にかけて開発されています。

歩いていると上甲子園米穀店という昔ながらのお米屋さんを見かけました。
木造下見板張りの店舗です。

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東に外れますが、アパートを発見。
さくら荘といいます。

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玄関のところに擬木が使われているのが面白い。

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大きなお屋敷で立派な門が残っています。

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住宅地の中央を貫く道沿いに北郷公園がありました。
少し高くなっていて、位置から考えると、昔の枝川堤防が残っているのだと思います。

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「西門」という渋い門柱。

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枝川跡の開発にあたっては元々堤防に植わっていた松の木は活かして開発されたそうですので、この公園の松もその流れではないでしょうか。

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堤防跡の向こう側に義民塚というものがあります。
安土桃山時代の天正3年(1591年)、旱魃に苦しむ鳴尾村の住民は、天井川だった枝川の向こう、瓦林村側からこっそり水を引く水路をつくりました。当然、両村の争いになり、関係者25人の命と引き換えにこの北郷用水が認められました。
このときの義民を称えて昭和18年、取水口跡に建てられたのがこの義民碑です。
かつては半夏生(7月初め)に法要が営まれ、前日には瓦林村に用水料として酒と蛸が送られていたそうです。

 →西宮ふるさと民話「鳴尾の義民」

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<昭和7年修正測量 仮製版1万分の1地形図「西宮首部」陸地測量部発行>
※クリックすると拡大します。薄く水色に塗った部分が旧河道・堤防です。

既に旧河道を阪神甲子園線が走っていますが、昭和7年時点でも堤防が原型を留めていて、そんなに建物が建っているわけではないですね。

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さて、この区間に古そうな住宅は少ないのですが、東側に1つは確認できました。

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裏から見た方がよく分かるのですが、大きな屋根の住宅です。

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阪神甲子園駅の東側に、旧河道の外側ではありますが、古い住宅がありました。

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逆から。ちょっと分かりにくくてすみません。
空き家っぽかったのが残念です。

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最後に阪神甲子園駅北側にある住宅。
古いタイプの門があり、なぜか手前にスクラッチタイルの低い壁があります。
門脇の部屋も用途が不明ですし、気になる建物です。

門や塀などは古いものも見られるのですが、この区間の建物に関してはあまり古いものが残っていないようでした。

<関連記事>
 「上甲子園経営地を歩く」
 「甲子園住宅地の境目を歩く」(2008年11月)

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2013年2月 6日 (水)

上甲子園経営地を歩く(西宮市)

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以前、西宮市の近代の住宅地である甲子園住宅地の境目を歩いたことがあります。
そのうちちゃんと歩こうと思いながら5年が過ぎ、久しぶりに甲子園住宅地を歩きました。何回かに分けて紹介します。今回もJRの甲子園口駅からのスタートです。

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駅前の商店街に気になる建物がありました。
古いタイルが使われていますし、2階の窓の桟は木製ですので、ぱっと見た感じより古い建物ではないかと思います。

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さて、まずは武庫川の堤防にたどりつきました。
向こうに見えるのはJRの鉄橋です。
このあたりから分かれて、枝川が流れていました。

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<甲子園開発後の状況。明治20年頃の2万分の1地図をベースに作成>
※クリックすると拡大します

前に作った地図に追記しました。
以前の記事で説明したように、武庫川の支流である枝川を締め切ってできた土地に、阪神電鉄が住宅地や娯楽場を開発しました。

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奥が下がっているのが分かりますでしょうか。
かつての川(堤防)の痕跡は今も確認できます。
昭和5年に開発された上甲子園経営地がここから始まっています。
堤防にあった松林は住宅地に活かされたそうです。

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古そうな住宅を確認しました。
残念ながら経営地の西外側です。

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これも外側ですが、松山大学・温山記念会館です。
もとは大阪でベルト工業(現ニッタ(株))を営んでいた新田長次郎(温山)翁が、娘婿の建築家・木子七郎に依頼し、昭和3年、嫡孫利国氏のために建てた住宅だそうです。
なぜ西宮なのに松山大学かというと、松山高等商業学校(松山大学)は新田長次郎翁が故郷の松山に設立した学校で、故新田利国氏夫人から平成元年に邸宅が寄贈されたためです。
立派な門があります。

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スパニッシュの広い邸宅です。
時々ツアーコースに組み込まれていますが、まだ中に入ったことはありません。

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勝手口横の建物も古そうです。

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ある程度古いようですが、戦前とまでは断定しづらい建物が多いです。

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再び武庫川の堤防に近寄ると、水路跡がありました。

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枝川樋門の文字に、大正12年の文字が見えます。
武庫川の支流だった枝川が締め切られた後も、枝川の樋門から水が取り込まれていました。

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階段状の水門。これも昔のデザインに見えます。
柵を越えて見に行きたかったのですが、それはやめておきました。

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水路は二手に分かれて、一方は住宅地の中に入っていきます。
橋の跡が残っていました。

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枝川樋門に隣接して、甲子園配水所と鳴尾浄水場があります。
水源は井戸です。

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隣には武庫川女子大学・甲子園会館、旧甲子園ホテルがあります。
旧甲子園ホテルは、以前見学に来ました。

「陰影ゆたかな旧甲子園ホテル」2008.12

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<昭和7年修正 1万分の1地図「尼崎西部」>
※クリックすると拡大します

昭和7年の地図には、昭和5年にできたばかりの甲子園ホテルが描かれています。
この地図で見るとホテルは、枝川の堤防に乗せる形で建てられたのですね。

枝川樋門に隣接して配水池が見えます

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甲子園会館の向かいに古い住宅がありました。

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また甲子園会館前の道をそのまま行くと、木立に隠れたN家住宅があります。

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門のカーブや豆タイル、角に取られた木製建具の窓などがモダンデザインを感じさせます。

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丸窓もついています。

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家型の門灯付き門柱がありました。
甲子園住宅地では他でもこのタイプの門柱が見られます。

上甲子園経営地内では、もしかしてというのはあっても、明らかに近代の住宅というのはあまり見つけられませんでした。それでも近代を感じさせるデザインはところどころで確認できました。


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2013年2月 4日 (月)

丘の上の佐井寺(吹田市)

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これも昨秋の話なのですが、吹田市立博物館に「千里ニュータウン半世紀展」を見に行った際、ふと思い立って、古い集落である佐井寺経由で行ってみることにしました。

阪急千里線の千里山駅から歩きます。
解体の進む公団千里山団地を横目に歩いて行くと、木造の建物が見えてきます。
これは千里第二小学校の旧木造校舎を「再現」したという図書館です。2004年に開館した、吹田市立千里山・佐井寺図書館の西館です。木造で再現してしまうというのがすごいですね。

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玄関の前にはオリジナルの門柱が残してあります。

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あくまで再現なので新築ですが、昔の教室風に作ってある部屋もあります。
どう評価していいのか。

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この先、住宅街を抜けていきます。
すると開けた尾根道に出て、古そうな(昭和20〜30年代?)住宅などもありました。門扉のデザインが面白いです。

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意味ありげなコンクリートの短い柱。
ここには田圃が残っています。
抜け道のような道が佐井寺につながっています。

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佐井寺の集落に入りました。
かなり高台にある丘の上の集落のようです。
奥の屋根は茅葺きだったのでしょう。妻の飾りに面白いデザインを見かけました。

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集落内は坂道の連続で歩いていてとても面白く感じられます。

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ユニークなモミジの戸袋。
こんなデザインは初めてです。
この季節にはぴったりでした。

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さらに丘の上に続く階段と鳥居があったので登ってみました。

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上には小さな社があって、眺めが良いです。
周囲でも最も高そうな場所で、古代には特別な意味を持った場所だったのではと感じさせられます。

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道の途中に井戸がありました。
佐井寺に「井」の字が入っていますが、いい水が出たようです。

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小さな峠道。
ドイツ壁風の塀が続いています。

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門も洋風です。
塵芥箱が残っていました。

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昔のたばこ屋さんの跡。
右から書いてあるのでかなり古いですね。

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近代建築で見るようなアーチの門。
門柱も溝が入っています。

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もう一つの神社、伊射奈岐神社にも寄ってみました。
先ほどの神社よりは低い丘ですが、こちらも丘のてっぺんにあります。比較的大きな神社です。

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※クリックすると拡大します

下っていくと面白いものがあります。
くりぬき水路の跡というのがあるそうです。
昔佐井寺は水が豊かだったのですね。あふれる排水を冬場に水不足の岸部に送るために、江戸時代にわざわざ釈迦が池までのトンネルを掘ったのだそうです。そしてここはトンネルに入る前に泥を除く、沈砂池だったとのことです。

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水路ルートの地図。

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奥に水路の入口がありますが、よく確認できませんでした。

丘の上の佐井寺には様々なものがあります。
探せばまだ面白いものが見つかるのではと思います。


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