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2012年9月

2012年9月30日 (日)

新潟さと歩き(1)大地の芸術祭2012

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毎年恒例になってきた新潟への旅行。
今回は「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」の開催年なので、初めて妻有地域に出かけてきました。私にとっては初めてなので、思い切って3日間使いましたが、それでも回りきるのは無理です(全部見るには1週間ぐらい必要らしい)。

大地の芸術祭は760km2のエリアに約360点の現代アート作品が散らばるスケール感。会期は7/29-9/17の51日間で、既に終了しています。
今回で5回目で、取り組みは15年にわたるそうです。

私は新潟から長岡で乗り換え、越後川口で乗り換え、ようやく芸術祭の中心地・十日町に到着しました。
新潟県の南部で、長野県まではもうすぐです。

写真はアート列車で、これも作品です。

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豪雪地帯のこの辺りですが、穏やかな山並みに、悠然と信濃川が流れ、夏の表情は穏やかです。

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また稲穂の波が、青空や夏雲とコントラストを見せています。

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そんな風景に映えるようにか、芸術祭のイメージカラーはからし色。パスポートもからし色。

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生活の場で行われる長期間のイベントなので、サイン類はシンプルでありながら、一目で認識できるものです。作品はエリアを示す英字+数字のコードで示されています。

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関連グッズもいろいろ。
公式ガイドブックから、マップ、デザインされたお菓子まで。

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十日町の休憩所では地域の方のおもてなしなども受けられます。
新潟特産の茶豆(枝豆)、スイカ、漬け物など。

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私のような車を使わない人のために、会場をめぐる巡回バスが走っていました。その一日乗車券。

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十日町にあるメイン会場の現代美術館「キナーレ」。
中庭全体を使った作品が展示されていました。
クレーンがUFOキャッチャーのように古着をつかんでは落とし、心臓の音がこだましています。

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かと思うと山間部の廃校を使った廃校プロジェクトがいくつもあります。
廃校、空き家、空き店舗なども会場に使われていて、こんなに廃校があるのかと驚かされます。気付いたから驚くだけで、これが今の普通なのかもしれませんが。

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パスポートのスタンプ欄はこんな感じ。
通常のスタンプ、空き家のスタンプ、学校のスタンプ。
ほとんど埋まってませんが、これが全部で6ページもあります。

今回は、概略の説明をしましたが、次回から芸術祭の中に入ったり、出たりしながら、妻有地域を紹介していきます。

<関連記事>
 ○新潟さと歩きシリーズ
 (1)大地の芸術祭2012
 (2)津南の木造工場など
 (3)十日町の木造工場
 (4)囲うと溶かす
 (5)大地の芸術祭・十日町会場
 (6)除雪車のダンス
 (7)文字通り小千谷
 (8)土の学校
 (9)眺める部屋
 (10)絵本の学校
 (11)泊まれる学校
 (12)松代の街道(完)

 ○これまでの新潟の記事の目次

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2012年9月24日 (月)

直江津でも途中下車(新潟県上越市)

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糸魚川に続き、直江津駅でも30分ほど乗換時間がありましたので、また途中下車をしてみました。
直江津駅は長いホームが何本も並んで立派です。
時代を感じさせる骨組み。

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駅構内に直江津の鳥瞰絵図の複製が展示されていました。
この頃、駅に地図や古い写真がよく展示されていてありがたいです。
絵図は大正14年のもので、海岸に海水浴場と旅館が並んでいて、これだけ見るとリゾート都市みたいですね。

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大きな駅前広場をはさんで、雁木風のアーケード商店街が続いています。

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空き地になった区画からふとのぞき込むと、立派な赤煉瓦塀が見えます。
気になりますので裏側に回り込んでみました。

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角に柱が立っていたり、煉瓦で屋根がついていたりします。
結構長い。

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裏門のアーチだったらしきものがありました。
使われなくなった後、きっちり煉瓦で埋めたのでしょうか。
美しい門です。これが見られただけでも降りた値打ちがあったかな。

後でネットで「いかや旅館」の煉瓦塀では?という情報をいただきました。

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先ほどの絵図にも、駅前に立ち並ぶ旅館の中に、いかや旅館が載っています。
和洋併置の本格的な旅館ですね。裏には庭園もあったようです。
いかや旅館は今もホテルセンチュリーイカヤとして立派に営業されています。

<関連サイト>
 ほぼ日刊イトイ新聞「美しき日本ー大正昭和の旅」展
 *いかや旅館の絵葉書が紹介されています
 
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裏通りを歩いて行くと、古そうな製氷工場がありました。

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町の氷屋さんよりは大型で、魚用なんでしょうか?

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水路の上に作られたような通路。なぜ人工芝?

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時間の許す限り(あまり許してもらえなかったけど)歩いて行くと、味のある木造の建物。
裏にももう一棟あります。

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近寄ってみるとメグミルクの看板が出ていて、牛乳屋さんのようです。
こちらも通常の牛乳屋さんよりちょっと大きめ。

もっといろいろ見たかったのですが、電車に乗り遅れてはいけないので駅に戻りました。
今回は後日の再訪のための下見ということで。
あとは新潟まで快速で一本です。

<関連記事>
 「糸魚川で途中下車」
 「新潟さと歩き(1)大地の芸術祭2012」
 ○これまでの新潟の記事の目次



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2012年9月23日 (日)

糸魚川で途中下車

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先月、新潟に「大地の芸術祭」を見に行きました。
行きは青春18きっぷで新潟まで1日がかりで。
上の写真は富山県東部の海岸を走っているときの車窓です。
こんな小屋が点々と並んでいました。

途中、糸魚川の乗り継ぎで40分ほど途中下車したときのことを紹介します。

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糸魚川の駅は、北陸新幹線の高架化工事の真っ最中でした。
もともと山が迫っているのですが、駅の中に壁が出来ています。

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糸魚川駅は開業100周年だそうです。
真ん中の絵は、高架化工事によって2010年に解体された赤レンガ車庫です。
ただ一部部材は保存されて、正面アーチや壁の一部が新駅南口に復元されるそうです。

<関連ブログ>
 まちかど逍遙「糸魚川をうろつく」
 *解体前の赤レンガ車庫を紹介されています。

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観光案内所には巨大なひすい原石。
観光では糸魚川世界ジオパークに力を入れているようです。

糸魚川では山が海に迫り、長野県に至る断層帯を姫川が流れ注いでいます。

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観光案内所でもらった地図に登録文化財の表示があったので、まずはそちらに行ってみました。
これではありませんが、隣の庭園とセットでとてもインパクトのある建物です。

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紋章のような飾りが付いていたり、洋風の意匠がちりばめられつつ、屋根は和風の赤瓦です。

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看板建築でなくて、側面までパッケージされている建物です。
この建て方だと木造の建物ではないでしょうか。

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隣の庭の入口。
塀の模様が植物模様?
洋風の幾何学模様も入っています。

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近くには洋館付き住宅っぽいものも。

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マップには赤煉瓦塀も載っていました。
奥の建物は壁面を新しくしていますが、古い形を留めています。

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こちらが登録文化財の写真館。
菱型の連続パターンなど、デザイン的に似ていますね。

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町中で見かけた蔵。
妙にひさしが立派です。

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糸魚川は東西に北陸街道が通っていて、そこに相馬御風宅があります。のぞき込むと、「見ていきませんか」とお誘いを受けましたが、あまりに時間がないのでご遠慮しました。

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糸魚川本町通り商店街の案内板。
街道沿いの商店街で、立体模型の案内板がありました。

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加賀の井酒造さんという、随分立派な酒屋さんもあります。
新潟最古とも。

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こちらも立派な酒屋さんで、池田屋酒造。
糸魚川には5軒の酒蔵があるそうです。

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糸魚川は駅周辺にスナックが多いような気がしたのですが、気のせいでしょうか。
交通の要衝であることと関係があるのでしょうか。

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またマップに市内最古のアーケードという表示があったので、そこまで見に行ってみました。
左側の軒下です。

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通路から見るとこんな感じ。
そんなに目立つ通りではないのですが。

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慌ただしく糸魚川駅前を見てまわった後、駅でパッケージにひかれて、いのや商店の「牛乳パン」というものを買ってみました。爽やかなミルククリームをサンドしたパンで、思いの外(?)味も良いパンでした。

<関連記事>
 「直江津でも途中下車」
 「新潟さと歩き(1)大地の芸術祭2012」
 ○これまでの新潟の記事の目次


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2012年9月20日 (木)

阿佐ヶ谷住宅の残照(東京都杉並区)

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6月、東京に行った機会に杉並区にある阿佐ヶ谷住宅を訪ねました。
『奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅』という本が出ているぐらいで、非常に有名な団地です。
日本住宅公団が昭和33年に開発した住宅・・・ということは、前回の記事で紹介した香里団地とほぼ同年代、ということに記事を書いていて改めて気付きました。
見た目にはかなり違うのですが。ゆったりと建てられた阿佐ヶ谷住宅はもっと昔のものに感じられます。

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敷地の片隅には、大規模開発事業のお知らせが掲げられていました。
建て替え計画のため、既に多くの方が退去して、あちこちにロープが張られ、寂しい団地となっています。付近の反対運動もあって進んでいないようです。

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木々は貫禄を備えて、これからというところなのですが。

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シロツメクサの咲き誇る中央の広場には子供たちが遊んでいました。

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※クリックすると拡大します。

阿佐ヶ谷住宅は、住棟が流れるように配置されていて、真っ直ぐの道というのがありません。

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こんなふうに。
そして建物と建物の間は緑で満たされています。

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ちょうどアジサイの季節。
大きく育ってテラスハウスがミニチュアに見えます。
前川國男が設計したという傾斜屋根のテラスハウスは、この団地の特徴的な建物です。
コンクリートブロックの壁が外観からも分かります。

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住戸に通じる道は庭のようです。

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一番高い住棟でも4階建てです。
昔5階建ての団地に住んでいた私には懐かしいサイズ。

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住棟の番号はタイルで表現されているのでしょうか。

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この玄関扉はオリジナルかもしれません。

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ブランコを外された白いトラスが寂しい。

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こちらは、公団本所設計課によるテラスハウス?
庭から外に出る扉が付いています。

解説はもっと詳しい方がたくさんおられるので譲るとして、この記事では印象だけ記しました。この団地の空間の豊かさと寂しさを味わう訪問になりました。


<関連ブログ>
 商都たてもの大学校「阿佐ヶ谷住宅」(2012.4)

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2012年9月19日 (水)

香里団地の戦争遺跡(大阪府枚方市)

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今年5月のことですが、香里団地で円満字洋介さんのスケッチ展があり、この機会に香里団地の戦争遺跡を確認しました。

香里団地は枚方市南部の丘陵地にある団地で、周囲を低い衝立のような丘で囲まれています。
この地形のため、昭和14年に火薬を製造する宇治火薬製造所香里工場が建設され、昭和17年には東京第二陸軍造幣廠香里製造所という、全国一の火薬工場になったそうです。
当時230棟の建物、5000人が働いていたとか。

その中心部にあった建物は、団地になってからも団地施設に転用されました。
しかし、その建物も一つ一つ建て替えにより解体が進み、今回、中心部で確認できたのは、枚方病児保育室となっている旧収函室のみでした。

この戦争遺跡に関しては多くの人が書いておられますので、詳しくはそちらをご覧下さい。

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収函室を反対側から。
網目状の模様が当初のものかは分かりません。
斜めに持ち出されたひさしが特徴的です。

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反対側にも同様のひさしがあります。

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隣に仕上室があったはずですが、この様子では解体の真っ最中です。

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この火薬工場は、戦後、朝鮮戦争時に再び火薬工場として使われる計画が持ち上がったのですが、地元の反対運動があり、結果、日本住宅公団による香里団地建設につながったそうです。
この表示板は昭和30年代の建設当時のもの。

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スターハウスも4棟残っています。

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ここの地形の特長である衝立状の丘は公園となり、団地の景観に変化を付けています。

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一方、敷地の東には工員寮らしきものが残っているとのことで、見に行ってみました。

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敷地内には入らないように表示がありますが、東側の道路から全体が見渡せます。

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西側から。かなり改修されてはいるようですが。

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敷地南境界の丘にも登ってみました。

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丘の上に牛石(牽牛石)があり、もっと古い時代のもの。
七夕にはこの牽牛と、天の川の対岸、交野市倉治の機物神社の織女が、天の川の逢合橋で逢瀬をたのしむという七夕伝説があるそうです。

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観音山公園のこのあたりに陸軍用地の境界石があると聞いたのですが、文字の入ったものは見つけられませんでした。

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観音山公園の西側の階段には、蒸気管の跡というものがあります。

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地上に出ているのは一部ですが、金属の留め金が残っています。

このほか、今回は行けませんでしたが、煙突が残っているとのことです。
これらが戦争遺跡であるという標識はなく、何か表示があってもいいのにと思います。


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2012年9月17日 (月)

北の玄関・伏木港(9)六渡寺へ

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伏木を回った後、今度は小矢部川を越えて対岸にある六渡寺(ろくどうじ)に向かうことにしました。
以前は渡し船があったらしいのですが、今は上に伏木万葉大橋がかかっています。
渡船があったときの船着き場。建物は撤去されています。

源義経が奥州に落ちのびるとき、「如意の渡し」を渡るときに見破られそうになったため、弁慶が義経を打ちすえて難を逃れたというのがここだそうです。

<関連ブログ>
 まちかど逍遙「如意の渡し」・・・渡船のあった頃

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伏木万葉大橋は平成21年開通。
十分な歩道もあります。
伏木でレンタサイクルを借りて対岸に渡るというのも手かもしれません。
歩くと結構遠いです。

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橋の上から河口の眺め。
左が伏木で、右が六渡寺です。
この日は次第に雨が降り出しました。

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対岸は吉久という集落で、江戸時代以来の町並みがあるそうですが、今回はパスして先を急ぎます。

六渡寺の南には、JFEマテリアルの巨大な工場があります。元々は日本鋼管富山製造所で、大正6年に設立された電気製鉄株式会社がルーツだそうです。
その敷地に労働組合の建物が建っていていい感じです。

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JFEマテリアルの北に、路面電車の万葉線・六渡駅があり、駅前に近代建築が建っています。
(株)牧田組本社、旧南島商行本店があります。南島家は江戸時代から廻船業を営み、会社を近代化する過程で大正4年にこの立派な本店を建てました。煉瓦造かと思わせて、実は木造だそうです。

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玄関部分です。
石のゲートになっています。

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ここから運河の内川を渡ると六渡寺の旧集落になります。

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※クリックすると拡大します。

前に紹介した昭和11年の地図を再び。
下に見える池は貯木場跡と思われます。

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路地を抜けていくと、板張りの建物が並ぶ空間に出ます。

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ここが六渡寺の集落で、中世の北陸道にあたる道筋だそうです。
対岸の伏木とともに北前船の湊町でもありました。
近くに貯木場があったので、製材関係の会社もあったでしょう。

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よろず屋さん的なお店。
左右にショーウィンドウがあります。

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石造の凝った祠。

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木造の鉄工所。
裏は造船所ですので、鉄工所といっても船関係でしょう。

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六渡寺の港から対岸の伏木を眺めます。
昔はここに船がずらっと停泊していたのでしょう。
左手前が運河の入口です。

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北陸道の街道沿いに歩いて行くと、日枝神社がありました。
灯籠が街道に一列に並んで壮観です。

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山王鳥居の凝ったものがあります。
瀬戸内海の御影石で江戸時代に建てられたものだそうです。

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私には六渡寺で一番の収穫だったのが、運河に沿って並ぶ八嶋合名会社の倉庫群。
こういうものが残っているって素晴らしいですね。

明治25年創業で、「昭和7年に鉄筋コンクリート造倉庫を建設」となっているので、その頃の倉庫が残っているのではないでしょうか。政府米、肥料、海産物、セメントなどを収めたそうです。

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倉庫の側面に回ると煉瓦の層が見えます。

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六渡寺はここまで。
万葉線に乗って庄川を渡りました。

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万葉線の電車です。
新湊出身という立川志の輔さんのアナウンスが流れていました。

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終点の越の潟。
ここから先は渡し船ですが、今回は下見のみで、ここで引き返しました。

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見上げると吊り橋の建設が進んでいました。
次に来るときにはまた様子が変わっているかもしれません。
今回、六渡寺までしかじっくり見られなかったので、次は新湊なども回ってみたいと思います。

いつもながら、春の話を秋まで、長々とした話にお付き合いありがとうございました。

<関連ブログ>
 まちかど逍遙「万葉線と沿線の建築」


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<関連記事>
 北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅
 (2)北前船資料館
 (3)伏木気象資料館
 (4)港の風景
 (5)メインストリート
 (6)看板建築など
 (7)工場建築
 (8)気になるもの
 (9)六渡寺へ(完)

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2012年9月16日 (日)

北の玄関・伏木港(8)気になるものたち

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伏木の街を歩いていて、細々と気になったものがいくつかありましたので最後に紹介しておきます。

その1:石材
写真は勝興寺という浄土真宗の名刹の塀です。
(お寺自体はパスしたのですが)
六角形に整えられた石できれいに組まれています。

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たぶん凝灰岩だと思います。
いくら柔らかい石とはいえ、高い精度の職人仕事ですね。
どこ産なのか気になります。可能性としては、砺波の金屋石か福井の笏谷石かなあと思うのですが。

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同様に伏木測候所の階段や玄関柱基礎部分にも、緑の凝灰岩っぽい石が使われていました。

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その2:職人技
伏木では路上の祠の細工レベルが高いです。
寺院建築のミニチュアのように細かな彫り物が施されています。

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これなどもすごいでしょう?
勝興寺に関わった職人が技を見せつけているという感じがします。
ちなみに瓦には普通の屋根瓦が載せられていました。

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町中にあった、瓦師故吉久善右衛門君之碑。
伏木は明治時代には瓦産地で、明治42年に勝興寺が瓦葺きになった際、共同で瓦を寄進した中心人物だそうです。ここでもお寺と職人の関係が見えます。

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明善寺の壁の漆喰細工。
非常に凝っています。
右は蓮の花、中央は一見普通の花頭窓ですが、よく見ると枠が龍になっています。

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その3:存在感のある煙突
伏木浄化センターの隣にある、使われてなさそうな煙突です。
焼却場があったのでしょうか。

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その4:ゲタのような地盤。
伏木の街の北の方では、ゲタのような地盤の上に建物が建っているように見えます。

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こちらもそうですね。
どういう経緯でこういう構造になっているのかなと思います。

また次に訪れるときに分かることがあるかもしれません。
できれば再訪したいと思います。


<関連記事>
 ○2012富山旅行の記事の目次
 北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅
 (2)北前船資料館
 (3)伏木気象資料館
 (4)港の風景
 (5)メインストリート
 (6)看板建築など
 (7)工場建築
 (8)気になるもの
 (9)六渡寺へ(完)

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2012年9月10日 (月)

ブログ7周年御礼

Ichifuji
<大阪市阿倍野区・一富士荘>

皆さま、いつも『日常旅行日記』をご覧いただきましてありがとうございます。
本日、ブログ7周年を迎えました。

これで833本目の記事なので、この1年で125本。
今年は年に100本の目標はクリアできました。
質はともかく量的には復活できたかなと思います。

おかげさまでアクセスも増え、ご依頼やお問い合せをいただくこともちらほらあって、うれしいことです。

最近、近代建築・近代化遺産をめぐる解体/保存活用や閉鎖をめぐる動きが多いので、できるだけ取り上げていきたいなと思っています。
今回もこの1年を振り返っておきます。

●2011年後半

 「まちの日々180」が大きなできごとでした。
 レトロアパートシリーズは大事なシリーズと思っていて、これからも継続的に取り上げたいと思います。

・9月 警ら連絡所シリーズ 
    増田清建築ツアー
・10月 はならぁと(五條・八木・ならまち・大和郡山)
・11月 大正区のレトロアパート(レトロアパートシリーズ)
     木津川アート2011(木津・下狛・加茂)
    「まちの日々180」に載せてもらう
・12月 室津(2010年10月)
   
●2012年前半
 お正月から長谷屋さんでスタートダッシュしました。
 よくあちこち出かけたなと思います。解体や閉鎖の情報をもとに出かけたところもたくさんありました。富山の岩瀬・伏木は念願の訪問です。

・1月 長谷屋さんを探してシリーズ・・・未完
    生野鉱山町
・2月 鳳の市営住宅(市営住宅シリーズ)
    加古川のニッケ社宅街など
・3月 まちかどの近代建築写真展「駅舎」
    名古屋の東山動植物圓
    豊岡劇場閉館
    柴島浄水場
・4月 芦屋遊園周辺
    大阪中央郵便局解体問題
・6月 琵琶湖疏水ウォーク
    金沢・富山(岩瀬・伏木)旅行
・8月 高槻の京大農場移転へ
・9月 精華小学校の利活用を考えるフォーラム

 ちなみに今後の記事としては、越後妻有、東京の荻窪などを予定しています。
 このところ訪問時と記事掲載時のタイムラグが広がりつつあるので、改善したいところです。

いつもお伝えしていることですが、お気軽にコメントをいただけるとうれしく思います。
今後ともよろしくお願いします。

<関連記事>
 ブログ5周年の記事
 ブログ6周年の記事

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2012年9月 7日 (金)

北の玄関・伏木港(7)工場建築

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伏木の町を探訪中、カメラの電池を切らしてしまいました。
「町の南にコンビニがあるよ」と喫茶店の方に教えてもらい、ようやくレンタサイクルを借りて買いに走った次第です。しかし、そのおかげで収穫もありました。

町の南の鉄道沿いに、東亞合成(株)高岡工場(工場紹介PDF)があります。
看板が出ていて、どうも瞬間接着剤「アロンアルファ」を作っている工場らしい。

高岡工場は、大正7年に設立された北海曹達(株)の電解工場をルーツとしています。
北海曹達は、和歌山の南海晒粉(現南海化学)が立ち上げた会社の一つで、豊富な電力と港を求めての進出だったのかもしれません。欧米で盛んだった電気分解法による苛性ソーダ、副産物の晒粉製造が国内に普及する前に先手を打っての進出だったそうです。戦前までは軍需化学工場でした。
南海化学100年史
 ※いろんな意味で面白い!

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そんなことは後から知ったことで、その時に気になったのは工場建築です。
まず正門脇にある事務所。
モダンな佇まいです。木造でしょう。

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玄関部分。

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正門入って右にも切妻屋根の研修室があります。

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そこに掲げられていた工場配置図。
鉄道をはさんでかなり広いです。
この記事では表から見えるところだけ紹介します。

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向かいの駐車場に残っている建物。
どういう用途か分からないのですが。

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外にあるので近くから見ることができます。
出窓の屋根が古いので、もともと出窓だったようです。

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玄関部分。玄関扉の枠の部分は恐らく木製で古そうです。

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床下換気口はコンクリートタイプの面格子。
これって豊岡の達徳会館と同じ

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再び敷地の方で、正門より南側にある建物。
下見板張りです。

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正門から北には何棟か古そうな建物が続いています。
まず事務所の裏に低い赤屋根の建物。

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その隣に下見板張りの工場。

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また隣に小さな倉庫のような建物をはさんで。

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少し大きな工場。

中に入ると他にもあるのかなあ。
列車からも見えるはずです。


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<関連記事>
 ○2012富山旅行の記事の目次
 北の玄関・伏木港
 (1)伏木駅
 (2)北前船資料館
 (3)伏木気象資料館
 (4)港の風景
 (5)メインストリート
 (6)看板建築など
 (7)工場建築
 (8)気になるもの
 (9)六渡寺へ(完)


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2012年9月 6日 (木)

北の玄関・伏木港(6)看板建築など

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今までの記事にも少し登場しましたが、伏木では看板建築のような建物もあちこちにありました。
私は何でもかんでも看板建築と言い過ぎている気もして、私の言う看板建築は、「和風建築の正面の壁のみ洋風を装っているもの」ぐらいの感覚ですので結構ゆるいです。

トップ画像はあまり異論がないかもしれません。
銅細工で有名な高岡が近いからか、銅板で覆われた建物はたくさんあります。

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こちらも同じく銅板で覆われた建物。
看板建築と言うには微妙ですが。

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現在、駅に平行して幹線道路が伸びていますが、その1本陸側に旧道があります。

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そこにある愛美容室。狭い幅でぎゅっと洋風を表現しています。

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こちらは2軒並びの洋風意匠の建物。
左は表具屋さんです。

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右は堀田鮮魚店。
どちらの建物も同じようなデザインです。

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柱の上につく飾りは何かの花でしょうか。

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この建物も正面から見ると端正ながら、正面のみです。

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小さいながら看板風の建物。

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最後にこれは看板建築ではないのですが、金属板の使い方の面白い例。
遠目には金属板に覆われていることしか分からないのですが、

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近くで見ると場所ごとにいろんなパターンで金属板を貼ってあることが分かります。

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窓の上の部分はまた違います。

正面の飾り方を見ていると、富山の岩瀬で見た和風の構えと違って、伏木では洋風の装いをしている建物がたくさんあります。これも外国航路の影響でしょうか。
しかし、本格的な洋風の建築は少なく、この看板建築風の折衷の仕方が伏木らしさなのかもしれません。

<関連記事>
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 (2)北前船資料館
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2012年9月 4日 (火)

北の玄関・伏木港(5)メインストリート

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伏木の現在のメインストリートは、駅前の南北の通りのようですが、かつて港が賑わっていた頃は、港から伸びる道がメインストリートだったようです。

上の写真でいうと、手前が港で、大正時代の地図によると、このあたりに税関がありました。

Fushikimap_t15
<「日本交通分県地図 富山県」(大正13年)より>
※クリックすると拡大します。青い線が今回取り上げた道

120504fushikimain1
この通りには今もレトロな建物が残っています。
港側から順に紹介していきます。
こちらは廣田石油(株)。看板建築っぽいですね。

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凝灰岩を組み合わせた門柱が面白いです。持ち送りも立派。
屋根が銅板張りなのは銅細工の盛んな高岡が近いからでしょうか。
後日紹介しますが銅板張りの建物は伏木にもたくさんあります。

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現在は丸進商事(株)となっている建物。
道路拡幅でセットバックした建物によく見られる形です。
実際のところどうなのでしょう。

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伏木のシンボルといえるのが、この高岡商工会議所伏木支所、かつての伏木銀行です。
明治43年に建てられました。当時は黒漆喰塗りの土蔵造りでしたが、後にスクラッチタイルが貼られたそうです。

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玄関部分。ギリシャっぽい柱です。
屋根は和風で和洋折衷ですね。

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背面から見たところ。

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分銅を3つ組み合わせた床下換気口の面格子。
分銅というと銀行ですから、伏木銀行のマークでしょうか。

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その向かいには松岡旅館があります。

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戸袋に扇子の絵と松岡旅館の文字が残っています。

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銅板張りの看板建築。

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もう一つ、交差するメインストリートとの角にこれも看板建築っぽい建物があります。
尾山フォートという写真館で、納得。
この場所にぴったりですね。

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ここで右に曲がるとやや上り坂で、正面に伏木福祉会館/高岡市役所伏木支所があります。
大正5年の地図を見るとここに伏木公会堂が建っていました。
洋風のかっこいい建物だったようです。

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福祉会館前の植え込みにひっそりと「皇太子殿下御野立所」の碑が建っています。
ここでいう皇太子は後の大正天皇で、明治42年に伏木に行啓されたそうです。
実際には今の岸壁のあたりに御野立所があったらしく、昭和9年の伏木港第2期拡張工事の際、移されたそうです。この場所も、行啓の際に休息所となった場所らしいので、ゆかりの地です。

今は静かな通りなのですが、丁寧に見ていくと、伏木の賑わいをしのぶことのできる通りだと思います。


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<関連ブログ>
 まちかど逍遙「伏木の近代建築」

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2012年9月 2日 (日)

精華小学校の利活用を考えるフォーラム

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先週開催されたフォーラムへの参加報告です。
以前にも取り上げたことがありますが、なんばの駅前にひっそりと、統合により閉鎖された精華小学校の校舎があります。
地域市民からの多額の寄付によって昭和4年に建てられた立派な校舎で、暫定利用で市民の学習ルームや小劇場として使われていましたが、今は特別な許可がないと入れません。
 →詳しくはこちらをご覧下さい「大阪の誇り・精華小学校」

この敷地を大阪市は売却する方針です。
時期やどのような条件が付けられるかは未定です。

これまで精華小学校の保存・活用を求める活動が続いてきて、地元有志からの提案や「精華小校舎愛好会」による勉強会、見学会など行われてきましたが、先週8/26に、新たに精華小学校校舎の利活用を考える「SEIKA市民フォーラム2012 〜精華小学校保存活用の可能性〜 大大阪モダンタイムズスクエア」というイベントが開催されました。

新たに組織された、「精華校園利活用事業コンソーシアム」によるイベントです。

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プログラムとしては、まず日本のほとんどの市町村を訪ねて、観察と統計に基づいた提言をされている藻谷浩介さんの基調講演です。
・関西圏は、世界でも数番目の人口集積をもつ都市圏である
・人口は高齢化が進み、これまで通りの開発はうまくいかなくなる。既に大阪では新築のビルでも床が埋まらなくなっている
・この土地には6階建て程度の建物しか建てられない
・無条件で敷地を売れば、最終的に「パチンコ店」になる可能性が高い
・それより既存の精華小学校の校舎を活用した方がもうかるのではないか?
・小学校校舎の活用事例は京都や神戸にたくさんある。
というお話でした。

次に関西大学建築学科教授の西澤英和先生の事例報告です。
・この建物は増田清という構造に強い建築家が建てたもので、非常に質が高い。関東大震災の教訓が生かされている。
・増田清が広島に建てた大正屋呉服店(現広島市レストハウス)は、原爆の爆心地直近にあったにもかかわらず破壊されず、地下にいた人は助かった。(それぐらい頑丈)
 などなど

つづいて、京都烏丸電話局をリフォームした京都新風館の佐々木伸也副館長から、新風館の活用の様子が紹介されました。

増田清のお孫さんにあたる阿川佐和子さんからメッセージの後、
第2部はパネルディスカッションで、先ほど登場された方に加えて、コーディネーターの鳴海邦碩先生、和歌山大学の帯野久美子さん、淀屋橋WESTを仕掛けた(株)ケイオスの澤田充さん、関西ウォーカーの玉置泰紀編集長、そして、精華利活用事業コンソーシアム事務局で今回の主催者であるいちびり庵の野杁育郎さんが登場されました。
全体として校舎の活用をした方が良いという話になっていました。

最後に野杁さんから、現在の校舎を生かしつつ、一部新築をして、商業、劇場、ミュージアム、公園などの複合施設とする「大大阪モダンタイムズスクエア」構想が紹介されました。
今後、事業者の方と組んで、精華小跡地の利用がコンペにかけられたときに、コンペに勝てる提案をしたいとのことです。

※デリケートなことなので、関係者の方、間違ってたらご指摘お願いします。

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いったんリセットしての新築ではなくて、既存の有形・無形の資産の活用をしていくことは、これからの大きな流れのようです。

フェスティバルゲートやWTCの顛末を見て、また、レトロビルや中崎町・空堀のにぎわい、裏通りのにぎわいを見ても、既に結果が出てきているような。

新しいものを建てても、もっと新しいものが建てば古びますし、梅田や天王寺の店のお客さんをなんばに引っ張ってきても、大阪市としてはあまり意味のないことかなと思います。まして、パチンコ店では、千日前やHIPSからお客さんが移るだけかも。

古い建物の活用はまだまだ新たな発想の余地がありそうです。
まずはこんな貴重な建物があることを広く知ってほしい。

別に関係者の利害が対立するわけではないと思います。
精華小学校の校舎を活用することで、新しい大阪の都市開発の方向を見せてもらえたらと思います。

○今後の情報については
 「精華校園利活用事業コンソーシアム」

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