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2012年7月

2012年7月25日 (水)

高岡・山町筋の近代建築など

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高岡の探訪時間は1時間余りしかないということで、土蔵造りの町並みで知られている(らしい)山町筋まで行って戻ることにしました。駅からは徒歩10分ですが、今は駅ビル工事中なのでもう少しかかります。

駅からとっとこ坂を下りていき、「高岡」だなあと実感。
山町筋に到着しました。(途中見たものは次回に)

この道は当時の国道・旧北陸道で、大きな商家が軒を連ねています。
山町とは、祭に使われる「高岡御車山」(山鉾のようなもの)を所有・継承する10町で、そこを通るので山町筋と呼ばれています。
明治33年(1900年)に高岡の大火があり、その後、土蔵造りの建物が多く建てられました。

○山町筋については
 →高岡市教育委員会「山町筋の紹介」
○高岡御車山については
 →高岡御車山保存会公式サイト

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土蔵のように漆喰で厚く塗り込められた建物で、建物と建物の間に防火壁としてレンガの壁が立っています。

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こちらは山町筋から折れたところにある大きな商家です。

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同じレンガの防火壁といっても赤煉瓦と黒煉瓦の組み合わせが様々です。
こちらの場合は赤煉瓦でポイントに石。

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鮮やかなツートン。
目地の白もまぶしい。

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こちらは花崗岩の柱。

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通りの中ほどに、主のように大きな赤煉瓦建築が立っています。旧高岡共立銀行本店として、大正3年に建てられました。今は富山銀行本店。では高岡共立銀行が後の富山銀行なのかというと、後身は北陸銀行らしい。いずれにしても当時の高岡の経済力を示しているようです。
この写真を見せると大阪の人は「大阪市中央公会堂みたい」と口を揃えていましたが、共通点として設計に辰野金吾が関わっています。

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その銀行から向かいを見ると、奥に見える下見板の建物が気になります。
近代建築好きはたいがいそういうパターンらしい(笑)

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表に回ると「塚本小児科医院」と書かれています。
大正4年築との情報あり。

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下見板張りで木製建具の窓。

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右に張り出している建物には、「X光線室」のプレートがはまっています。
右から書いているのでもちろん戦前からでしょう。
外にPRしているみたいですね。

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あと面白いのが門柱の上の飾り瓦。
波乗りうさぎです。

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こちらはたぶん宝珠。
しかし、これは普通に屋根に乗せる瓦ですよね。
下ろされてきたのでしょうか。

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再び山町筋に戻ります。
外観が非常にインパクトのあるこの建物は、井波屋仏壇店(旧林屋茶舗)です。
明治38年(1905年)築らしい。

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ディテールが非常に細かい細工ですね。

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さらに進むと交差点の左右に近代建築があり、相呼応しているようです。
左は看板建築的な塩崎商衡(株)。明治40年(1907年)築です。

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右は大野屋菓子舗で、これも明治40年(1907年)です。

火事で焼けたことによって統一的な町並みができたわけで、財力があったからでもあり、貴重な町並みになっています。



※なお、ここにプロットしてあるのは、私が気になった建物だけで、これ以外にも近代建築はたくさんあります。

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2012年7月22日 (日)

高岡の駅前ビルと換気塔

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富山旅行の続きです。
砺波に泊まって伏木に向かう途中、高岡で1時間余りの乗換時間がありましたので、駆け足で近代建築などを見て回りました。
あいにく駅周辺は大改修工事中。すぐに外に出られなくて大変でした(5月の話です)。

高岡駅前で異彩を放っているのが、高岡駅前ビルです。
1961年の建築。上に艦橋のようなものが乗っています。

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裏側から見たところ。三楽会館の文字が見えます。
中も気になるのですが、時間がないのでパスしました。
他の方の記事を見ると、このビルはツインコリドール型(中央に吹き抜け、その両側に廊下がある)らしいです。

(追記)高岡駅前ビルは2013年11月から解体に入ったらしいです。
  北日本新聞「駅前ビル11月から解体」(2014.2.15記)

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高岡駅ビルはまさに解体中でした。1966年に改築された駅舎だったらしいです。

(参考)
 高岡市「高岡駅周辺整備事業について」

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駅前広場にもう一つ気になるもの、2本の換気塔がありました。

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こういうオブジェのような形をしています。

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丸いタイルがびっしりと貼られています。

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地下道の入口はガラスブロックで壁を作っていて、これも60年代でしょうか。

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高岡駅前ビルの裏には、駅前ビルと同じ匂いのするアドニスビルというビルもありました。
駅前改修で60年代の顔を見せていた高岡駅周辺も様変わりしそうです。

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2012年7月21日 (土)

岸和田の女学校校舎

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先日、岸和田市内を歩いていて、角がアールの建物が目に止まりました。南海本線・岸和田駅のすぐ東(裏側)です。
「岸和田市福祉総合センター」となっているので、入れそう。ちょっとお邪魔しました。
近くで見るといかにもなモダニズム建築です。
丸窓があり、ポールが立っていて、どこか船を思わせます。

後で調べてみると、昭和12年に建設された岸和田高等女学校(当時)の校舎です。
前身は泉南高等女学校、後身は府立和泉高校です。校舎は1971年に移転して、跡地は市立福祉総合センターとなり、校舎の一部が転用されて、福祉総合センター分館となっています。
ちなみにコシノミチコさんはこの校舎を使われたはず。

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少しだけ中を覗かせていただきました。
廊下にはアーチの梁が架かっています。

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2階へ上がる木の階段。
上がってみたかったのですが、それはやめておきました。
踊り場の壁にもアールが使われています。

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校舎外観。ちょっとふくらませたデザインがいいです。
解体された大阪市水道局扇町庁舎を思い出させます。

3階のサッシがオリジナルらしく、劣化したガラスの落下防止のためか、テープを貼られています。

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校舎の全景です。

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校舎の裏側は地味です。

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※クリックすると拡大します

1971年に移転した高校跡地を更地にせずに使っているのか、どうも変わった雰囲気のする空間になっています。

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福祉総合センターの本館も斬新な建物です。
壁面が斜め。

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温室があるのは、高校時代の遺物でしょうか。

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ゆったりした公園に建物が点在しています。

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池があったり、なんとも変わった空間。

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敷地の東境界には赤煉瓦の塀が残っています。
煉瓦の風合いから、女学校時代のものではないかと思います。

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煉瓦塀の崩れた部分も新しい赤煉瓦で補修してあり、大事にされているのを感じます。

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門のところにはなぜか耐火煉瓦の壁があります。
BTKの刻印があって、どこもメーカーでしょう。

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敷地の西側にもカーブした煉瓦塀が残っています。

福祉総合センターは、岸和田駅のすぐ東という一等地にあるので敷地活用を検討されつつ、財政が厳しいので手を付けられないのが現状らしいです。

 →岸和田市「福祉総合センター等の敷地活用について」
                          (2010.12.14)

 ※敷地の活用方法は何案か出されてますが、この校舎の説明とか、校舎を残して活用する案とか一切ないですね。

 この敷地全体として不思議な雰囲気があるので、ぜひ今のうちに体験してみてください。

<関連記事>
 「駆け足で岸和田の近代建築」
 「岸和田の木造市営住宅」

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2012年7月19日 (木)

岸和田の木造市営住宅

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たまたま岸和田を歩いていて、戦後復興期を思わせてはっとする一角がありました。
下野町一丁目の丘、墓地の北側です。ピンと来るものがあって、後で調べてみるとやはり昭和20〜30年代の市営住宅でした。下野町住宅といいます。

こちらの資料を見る限り、昭和23、25、28、36年度の竣工分があることが分かります。
どうも現存する岸和田市営住宅では一番古そう。

また、平成22年3月の岸和田市「地域住宅計画」(PDF)には、建て替えすべきことがはっきり書かれています。
昭和20〜30年代の市営木造住宅が約40%を占めているんですね。

戦後の市営住宅は、あまりいい思い出のない方もおられるでしょうし、ブログのテーマとして取り上げにくくはあるのですが、消えてしまう前に、時代の記録として紹介したいと思います。

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4つの年代に分かれていますので、建物の形式もいくつかあります。
また後の改修も加えられています。
左の住宅は半分モルタルで、腰壁に立て板を貼っていますね。

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前面横板の住宅もあります。
冒頭の写真などその完璧なもの。
瓦屋根もあれば、軽量化された屋根のものもあります。

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一部では空き地化して、畑になっています。

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畑を作らないようにという注意書きで、ここが市営住宅であることを知ることができます。

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所々、農地化して、木が育って、ある意味環境が良くなっているというのか・・・

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空き家化した家から新規入居者は入れないのかなと思います。

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こちらも屋根以外は、よく原型を留めていそうな住宅。

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この玄関扉の矢羽根飾りは面白いです。
ガラスは型板ガラス。

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地区の西半分は、南北に列をなして棟が並んでいます。

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建物と建物の間が土の路地になっていて、こちら側から出入りする形です。
緑が多く、とても生活感があります。

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住宅以外では牛乳屋さんがありました。

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この建物は使われていませんが、おそらく商店か食堂だったと思います。

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昭和の空気あふれる空間。

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市営住宅の東隣にはのこぎり屋根の工場もありました。
繊維工場でしょうか。

質的に建て替えはやむなしかもしれませんが、記憶に留めたい風景です。

<関連記事>
 「鳳の堺市営住宅」
 *戦前の市営住宅
 「大阪市営杭全住宅」
 「大阪市営北畠住宅」
 「小阪町営住宅・東翠園」

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2012年7月16日 (月)

富山の岩瀬湊(5)夕暮れ散歩

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岩瀬の大町通りを離れ、今にも降り出しそうな空の下、夕暮れの岩瀬の街を歩き回りました。
まず見に行ったのは街の端にある旧東岩瀬駅舎です。

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東岩瀬駅は大正13年に、富山と岩瀬を結ぶ富岩鉄道の越中岩瀬駅として開業しました。
その後、国鉄・JRの駅となり、2006年(平成18年)からは富山ライトレールの駅になっています。
その大正時代の駅舎が、改装されながら現在も残っています。

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乗降口も残してあるのですが、富山ライトレールの駅舎は別にあって、現在旧駅舎は休憩室として利用されています。
窓の桟の切り方、型板ガラスの使い方がしゃれてます(大正時代に型板ガラスはないですが)。

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東岩瀬の駅から大町通りに向かう道の途中には、ロータリー的な広場があり、モダンな忠霊塔が立っています。昭和16年に建てられたものです。

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とりあえず集落の端っこまで確認しようと歩いて行くと、行く手に大きな近代建築が。
昭和タイタニウムの事務所です。
後で調べたところでは、昭和8年に試験操業を開始した日満アルミニウムの事務所でした(昭和12年築)。
国内でのアルミ精錬が始まったのは昭和9年とのことで、日満アルミニウムは、満州から輸入した礬土頁岩(アルミナ分の多い耐火物粘土)を原料にアルミニウムを生産しようとした、当時最先端の(軍需)工場の一つなのだそうです。
大陸への玄関口としての立地が生かされた訳ですね。

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裏にある工場の建物も古そうです。

内部の様子は、富山県ロケーションオフィスのHPで紹介されています。

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再び街中に戻ります。
古い町だけあって、岩瀬には造り酒屋の桝田酒造店の大きな醸造場があります。銘柄は「満寿泉(ますいずみ)」、「岩泉」です。
明治期に旭川で操業といいますから、北前船の町らしい話です。

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昔の繁栄の跡はいろんなところにうかがえて、例えば、岩瀬小学校を取り巻く石垣。扇形の石を組み合わせて積んでいます。
これが100mほども続いているので壮観です。
岩瀬小学校は昭和2年に富山県で初めて鉄筋コンクリートの校舎を建てたといいますから、先進的です。港町ならではの早さでしょうか。今は残っていないのが残念ですが。

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ちょっと面白いコンクリート塀を見かけました。
表面に渦巻き模様が入っています。初めて見ました。

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ちょっとした赤煉瓦の地蔵堂があったり。

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見事な細工の祠があったりします。

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今は静かな港町。

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なんとか天気が持ってくれればと思ったのですが、とうとう雨が降り出しました。
雨宿りがてら、岩瀬に行く機会があったらぜひ寄りたいと思っていた、紅茶の店「アナザーホリデー」にも行ってみました。
場所がよく分からなくて、いろんな人に道を聞きつつ。
紅茶とスコーンをいただいてほっとします。

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帰り道に見た老舗料亭の松月さん。
創業明治44年で、昔の賑わいを伝えるお店の一つです。
私は表から見ただけですが。

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再び岩瀬運河を越える頃、雲の切れ間から太陽が出てきました。
岩瀬に来て初めて見る太陽です。

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すると反対の空には鮮やかな虹が!
岩瀬運河をまたいだ架かっています。

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しかも外側にもう一本の虹が。
ここまできれいな虹を見たのは久しぶりです。

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とてもうれしいお見送りでした。

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帰りも富山ライトレールで富山に戻ります。
富山ライトレールの便利さはありがたいですが、次回は富岩運河の船に乗りたいものです。
岩瀬を後に、宿泊地の砺波に向かいます。
(高岡編につづく)


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2012年7月15日 (日)

富山の岩瀬湊(4)廻船問屋の森家

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富山・岩瀬地区の大町通りに並ぶ廻船問屋の一つ、森家は一般公開されています。入場料は100円。ガイドの方が解説もしてくださいます。

明治11年に建てられたといいますから、北前船の全盛期です。
北前船の町を訪ねる楽しみの一つは、当時の贅沢を尽くした建物を見ることができることで、ここ森家は期待に応えてくれます。

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囲炉裏のあるオイという部屋は、見事な木組みが上に乗っています。
ここが商談スペースだそうです。

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座敷の奥から表側を見たところ。40畳余りの広さ。
背後に庭があります。

左にあるのは棟方志功の絵のレプリカで、本物は倉敷の大原美術館に入っているとのこと。
なぜかというと、昭和24年に倉敷レイヨン(クラレ)が富山に工場を建設する際、手放されようとしていた森家を大原總一郎社長が気に入って買い取り、全く手を加えることなく社員寮としたそうです。棟方志功の版画は、その床の間に飾るため、依頼されたものです。

クラレ富山工場が閉鎖される際、この建物は富山市に無償で贈られました。
今も大原總一郎氏の写真が飾ってあり、ガイドの方も感謝を込めて経緯を語っておられました。
いいお話です。

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表通りに面して、小さな前庭があります。
こちらにも戸がありますので、ここから特別なお客様をお通しすることもできます。
前庭に面してガラス戸がはまっているのですが、ここでポイントは角に柱がないこと。一つながりの窓として見せています。

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前庭に面する部屋の天井にはエドヒガンザクラ。独特の光沢があります。
この板を取れるのはかなり太い木ですよね。

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2階に上がる階段の一つは箱階段になっています。
これもかなりものがしっかりしてそう。

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ちょっとびっくりするのが(いろいろびっくりしてますが)、土間廊下に敷かれた巨大な石。奥まで数メートルの一枚岩なんです。小豆島産の石だそうです。

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庭に出てみます。
こういうところの日本家屋のしつらえはほんとにきれい。

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飛び石になっていますが、これがまた諸国の石。
京都の鞍馬石、緑が紀州青石、右奥は佐渡の赤石、あとは忘れてしまいましたが、日本全国と取引している自負を感じさせます。

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庭の奥に道具蔵が建っています。
見事な鏝絵(こてえ)が描かれていて、腰壁の松皮菱の模様といい、かなり凝っています。
昔はこの裏に米蔵、肥料蔵と続いていたそうです。

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鏝絵を拡大してみました。
松の木に止まる鷹でしょうか。
彩色もされています。
左手にもう一匹います。

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同じ蔵を内側から見ると、この扉の内側にも鏝絵が描かれています。

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飛沫とともに飛び出す龍の姿で、これも見事なもの。

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もう一つ別の蔵があって、こちらには一対の虎が描かれています。
龍虎ですね。勇ましい。

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例によって鴨居の釘隠(くぎかくし)も確認しますが、やはり凝った細工です。
まず鶴の釘隠。

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亀の釘隠。

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ウサギの釘隠。
釘隠なのに上から釘を打っているのが惜しい。
このほか、桃の釘隠もありました。

いずれも縁起物ですね。

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変わり種では、扇子型の屏風押さえも。

岩瀬にお出かけの際にはぜひ森家にお立ち寄り下さい。
ここで説明したよりもっと詳しい解説をしていただけます。


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2012年7月14日 (土)

富山の岩瀬湊(3)大町通り

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かつての東岩瀬のメインストリート、大町通りに来ました。
北前船の廻船問屋が軒を連ねていた通りです。
観光地化され、建物は適宜きれいに修景されていますし、多くはありませんが土産物店もあり、電柱は地中化されてカラー舗装です。
(とそこまで完璧だと、逆にわくわくしない天の邪鬼な私なのですが)

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奥行きだけでなくて間口も広いのがすごいところ。

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こんな立派な商家がいくつも。
右は公開されている廻船問屋の森家で、次回詳しく紹介します。

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※クリックすると拡大します

東岩瀬の廻船問屋の特徴について、解説板がありました。
屋号の入った軒先瓦など撮り忘れています。

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そんな和風の重厚な街並みの中に、わずかに軽快な洋風建築も混じっています。
こちらの建物はまちあるきマップにも掲載されています。
私は洋風の建物中心に撮るのですが、意外と洋風の建物は多くありません。

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玄関周り。これはこれでいい感じに改修の手が入っているようです。

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オリジナルらしき菊花の?玄関灯に味があります。

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もっとも横から見るとこの建物も和風の建物に付け足した形の洋風建築であることが分かります。

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こちらは本館の脇にある応接間でしょうか。

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門の飾りが洋風。

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富山の蔵には、扉に鳥居のような飾りが付いているものがあって面白く思います。
鳥居枠と呼ばれ、ぜいたくなものはこの部分にさらに鏝絵(こてえ)まで描かれているそうです。

(参考)
 富山県教育委員会『富山の土蔵 -富山県伝統的建築技術調査報告書-』2003年

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もっと時代の下るものですが、街並みにある鉄工所も木の桟で味わいがあります。

大町通りは一軒一軒が大きいので維持するのも大変だと思いますが、観光客も訪れているようでしたので、うまく引き継いでいかれればと思います。


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2012年7月 9日 (月)

富山の岩瀬湊(2)港の風景

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岩瀬に着くと、今にも降り出しそうな雨雲の下、まずは富山港展望台を目指しました。
やはり上から見てみるに限ります。
この展望台は高さ25m。昭和60年にできました。
この形は金刀毘羅社(琴平神社)の常夜灯を模しているそうです。

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こちらがオリジナル。似てますか?
北前船時代の常夜灯、今でいう灯台です。
こちらは高さ6m。

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富山港展望台の1階には富山港と東岩瀬に関する展示があり、その意味でも見に行くと良いです。
江戸時代の絵図のパネルも展示されています。
これまで「岩瀬」と説明してきましたが、長らく東岩瀬と呼ばれてきました。もともとは神通川河口の西岩瀬という所に港があり、江戸時代の初めに神通川の流路が変わって現在の東岩瀬に港の機能が移転したそうです。

この絵図は安政5年(1858年)の東岩瀬です。
中央を流れるのが神通川で、左が日本海、上が東岩瀬です。
江戸時代、東岩瀬には加賀藩の米蔵が置かれ、今でいう富山県の東半分の米を大坂へ積み出していたそうです。

また江戸時代から明治中期にかけて、北前船で栄えました。

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また、鳥瞰図師として知られる吉田初三郎も、昭和11年に東岩瀬の鳥瞰図を描いています。

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一通り見たら階段を上って展望室へ。
吹き抜けの転落防止ネットに漁網を使う演出がいいです。

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こちらは東岩瀬の集落の方向。
大きな屋根の商家や寺院が並んでいます。
晴れていれば立山連峰が眺められるはずなのですが。

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※クリックすると拡大します。

位置関係はこうなっています。
現在地の表示が富山港展望台のあたりです。
オレンジ色の網掛けが東岩瀬、左から右下に伸びるのが富山ライトレールです。

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こちらは伏木富山港(富山地区)の岸壁。
富山と岩瀬を結ぶ富岩運河が流れていて、神通川は堤の向こうです。

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同じく伏木富山港(富山地区)の岸壁。海に向かって。

現在の富山港は主に、完成自動車や金属くずを輸出して、製材、原油を輸入しているそうです。
一番の相手先はロシア。
国内向けには重油・石油製品を出し入れしています。
(入港船の船籍の一位がカンボジア船籍で、二位がモンゴル船籍というのにちょっとびっくり)

見た目にも車や金属くずが目立ちます。

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展望台から外に出て、こちらは港湾倉庫。
日本通運の文字が残っています。

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看板は英語のほか、ロシア語、中国語、韓国語の表記。

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消防艇もあります。

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港の潮風に焼けた倉庫の風情はとても好きです。

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金属の鍵もいい感じ。

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東岩瀬は歴史的な港だけに、神社がいくつもあります。
こちらは集落の北にある諏訪神社、恵比須社。
漁業関係者からの尊崇が厚いそうです。
祭の準備中のようでした。

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こちらは集落の南側で、常夜灯のある金刀毘羅社(琴平神社)。
船方衆(船乗り)の尊敬を集めていたそうです。

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境内の一角には、石碑の山のようなものがあって面白いです。
中央は海上安全祈願塔、右が昭和11年の築港記念碑です。

漁業と船運関係で神社が分かれているのが面白いところです。
次は東岩瀬の街並みを紹介します。


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2012年7月 5日 (木)

富山の岩瀬湊(1)岩瀬へ

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金沢への寄り道の話で止まっていましたが、今回の旅行の目的地は富山の北前船の港です。
金沢からは再び電車で富山駅に到着しました。
北陸新幹線開通に向けた高架化工事が進行中です。
ここから、平安時代から既に主要な湊で、北前船で栄えた岩瀬湊を目指します。

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駅の裏、といっては失礼ですが、北側に降りると、富山ライトレールのホームが駅前広場に組み込まれてあります。ホームはフラットでとてもすっきり。

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富山ライトレールの「ポートラム」が入ってきました。
2両連結の、国産の低床式路面電車です。
2006年に開業したばかりですので真新しい。
元はJRの路線でしたが、新たに路面電車を導入したことで全国的に有名です。

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※クリックすると拡大します。

これが富山ライトレールの富山港線の路線図。
私の目的地は終点の岩瀬浜です。
気になるのは平行して走る富岩(富山-岩瀬)運河。
物資輸送のため、昭和9年に完成した運河です。

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富岩水上ラインという電動の遊覧船が走っていて、次はぜひ乗ってみたいです。
途中、中島閘門(こうもん)をくぐるのも魅力的。

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新しい路線だけあって、駅舎のサインなどもきれいです。
途中に「粟島(大阪屋ショップ前)」という駅がありました。
船運を通じた大阪との縁を感じさせます。

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終点の岩瀬浜には北前船を解説する企業提供看板が設置されています。
駅ごとに工夫を凝らした観光看板が掲げられていました。

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駅を降りるとフィーダーバスといって、富山ライトレールに接続する路線バスが待っています。
使い勝手がよく考えられています。
私は徒歩で回るので関係ないのですが。

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駅前は思ったよりきれいに整備されています。

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遊歩道を歩いて行くと、岩瀬カナル会館という観光施設がありました。
ここで無料レンタサイクルを貸していたとはその時の私は知るよしもありません。

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岩瀬カナル会館は裏が岩瀬運河に面していて、水上バスはこの奥に着きます。
私は徒歩で岩瀬の町の探索に向かいました。


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2012年7月 1日 (日)

旧石川四高と旧石川県庁(金沢市)

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金沢の尾山神社を過ぎて、赤煉瓦の美しい建物の前を通りがかりました。
石川四高記念文化交流館という建物で、旧第四高等学校本館です。明治24年にできた建物。
(とか後で調べて書いているのですが)
のちの金沢大学です。

今は石川四高記念館と石川近代文学館が入っています。
今回はあまり寄り道する時間がなく、簡単に見て回りました。

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入口の門衛所は下見板張りのきれいな建物です。明治26年築。
昔はもっと校舎の前に余裕があり、この門衛所は大正時代に市電を通す道路拡幅の際に移築、昭和42年に現在地に再移築されたそうです。

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車寄せのひさしを支えるのは細身の鉄柱。

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建物の周りには多数のモニュメントが並んでいて、例えば溝淵先生像。
第7代の校長先生だそうです。

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建物の中も一応覗いてみました。
石川四高記念館も面白そうで、また改めて来ることにします。

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どこから見ても格調があります。

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新緑が美しい季節で、赤煉瓦によく映えています。

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裏側は中央公園になっています。
昭和38年に校舎が移転した後に整備された公園なので開設は遅いですが、こんなに美しい公園はなかなかない気がします。

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※クリックすると拡大します

全体としてはこのような配置です。

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旧石川四高の隣にも近代建築があって、旧石川県庁です。
大正13年に建てられた鉄筋コンクリートの建物。スクラッチタイル張りです。
平成15年まで県庁として使われていて、現在は石川県政記念しいのき迎賓館となっています。
裏側から見ると全く違うガラスの表情らしいのですが、裏までは回っていません。

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「しいのき」というのは、正面にある2本のシイノキのこと。
樹齢三百年といいますから、江戸時代からある木です。

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それがこのように維持されているというのは素晴らしいことですね。

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正面玄関を見上げたところ。
堂々とした建築です。

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文様を拡大してみました。
植物文様と幾何学紋様の組み合わせになっています。

今回はついでに寄っただけなので、外観しか見ていませんが、またゆっくり金沢の建物も見て回りたいものです。

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