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2012年6月

2012年6月26日 (火)

尾山神社神門の石(金沢市)

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先月、富山旅行のついでに、金沢に立ち寄りました。
目的は金沢21世紀美術館を見ることで、後の予定もあるので脇目もふらず、のつもりが、道すがらの建物に寄り道しましたので紹介します。

まずは尾山神社の神門。明治8年の建築です。
第三層に五色のギヤマンがはまり、灯台として使われたとか。
避雷針は日本最古という豆知識もあります。

でも見たかったのはその石です。
「まちかど逍遙」で以前、尾山神社神門のカラフルな石材が紹介されていて、金沢に行ったときにはぜひと思っていました。

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神門に上がる階段もまたカラフル。

このカラフルな石は「まちかど逍遙」のぷにょさんによれば、戸室石(医王石)だそうです。
戸室石は金沢市の南東8kmにある旧火山・戸室山で産する角閃石安山岩だとのこと。赤っぽい赤戸室、青っぽい青戸室、そのバリエーションがあります。一度山が崩壊を起こし、石材は点々と土に埋まった状態であるので、石切場というより、石を掘り起こしてはその場で加工していたようです。
その現場、見に行ってみたい。
金沢城の石垣にも使われています。

(参考)
 >石川県「金沢城の石垣に用いられている「戸室石」について」(PDF)
  金沢大学理学部・石渡明助教授「戸室火山の大崩壊について」(防災市民講座)

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神門の真下にはもう少し堅そうな丸い大きな石がはまっています。

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もう一つ境内で気になったのは石の導水管。
江戸時代、この尾山神社の場所にあった金谷御殿の庭に、兼六園から水を引く仕掛けがあり、当初は木管だったのが、天保15年(1844年)に金屋石に取り替えられたそうです。

金屋石は庄川上流で、今の砺波市に産する緑色凝灰岩。
わざわざそんなところから運んだんですね。
ここで近くの戸室石を使わなかったのは、耐久性の問題なんでしょうか。

・・・マニアックな記事ですみません。

<関連ブログ>
 まちかど逍遙「金沢の石垣」


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2012年6月18日 (月)

新緑の疏水歩き(3)京都蹴上から鴨川まで

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琵琶湖疏水を山科まで歩いてきました。
車の往来が激しい、日ノ岡の低い峠を越えると、左手に蹴上の浄水場があります。
私たちは疏水を追っかけるので、右手の道を辿りました。

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すると古そうな建物があります。
地図では九条山町のポンプ所となっています。
奥にちらっと赤煉瓦の建物も見えます。
今回は寄っていませんが、奥の山上に九条山の浄水場があるそうです。
いったんポンプで汲み上げているのでしょうか。

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そして疏水の出口。
奥にさっきの赤煉瓦の建物も見えますね。
その横が第一疏水の出口です。
左手前に半ば隠れているのが第二疏水の出口らしいです。

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水はさらにトンネルで脇に抜けていて、疏水の延長上には線路があります。
名前は聞いたことがあるかもしれません。
インクライン(傾斜鉄道)というものです。
疏水を行き来する船を台車に乗せて昇降させるもので、ケーブルを電気で動かしていたそうです。

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インクラインの軌道は、今は遊歩道になっています。

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この一帯は疏水の記念公園のようで、琵琶湖疏水を指揮した技師の田辺朔郎(完成時28才)のさっそうとした像などもあります。

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水はというと、第4トンネルを抜けて横に流れます。
ここの門も立派。

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仕組みはよく分かりませんが、溢れた水が水路に流れ込みます。

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ここからパイプを通って流れ落ち、その先に蹴上の発電所があります。

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一方、溢れなかった水はさらに横に流れていきます。
このあたりの水路は複雑。

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かなり水量が減りましたが、南禅寺に続く水路に沿って歩いて行きます。

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歩けるのはここまで。
これ、南禅寺の水路閣を上から見たところ。
こんな風になっていたんですね。

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下から見るとおなじみの煉瓦アーチ。
(私は初めてでしたが)

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インクラインの下に赤煉瓦のトンネルがあるということで、それも見に行きました。
トンネル内部は、時々聞く、ねじりまんぽというひねった積み方をしています。

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またインクライン脇に気になる建物がありました。
何でしょう。

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屋根の端に誰かの顔がレリーフされていて、とても気になります。
誰なんだろう。

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下まで降りると琵琶湖疏水記念館があります。
ジオラマや図面などで琵琶湖疏水や当時の都市整備事業が展示されていて、とても興味深い展示です。

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さらに琵琶湖疏水をたどります。
京都国立近代美術館前はなじみのある場所です。
この日は船が運航されていました。

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大正12年の熊野橋。
橋脚がリベット打ちの鉄板です。

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ここで夷川発電所。第二疏水開発の際に建設され、大正3年に完成したそうです。
赤煉瓦が美しい建物です。

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最後は鴨川に合流して終了。
疏水の別ルートは北山や伏見の方に流れています。

通しで歩くと琵琶湖疏水がどんなものかよく分かりました。
今回企画していただいたGさんはじめ、一緒に歩いた皆さん、ありがとうございました。


(一緒に歩いた皆さんのブログ)
 気まぐれblog
 「琵琶湖疏水~昭和の日に明治の偉業を辿る~(4)」
 「琵琶湖疏水~昭和の日に明治の偉業を辿る~(5)」
 いっこうがこっそりブログ
 「琵琶湖疏水を辿ってみた(京都府編)」

<関連記事>
 「博覧会跡の岡崎公園」
 「講座「第四回内国勧業博覧会と京都」、京都会館にて」
 

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2012年6月 7日 (木)

新緑の疏水歩き(2)山科区間

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琵琶湖から鴨川までの疏水歩き、小さな小関峠を越えて、山科に向かって下ります。
疏水は地下をトンネルで抜けているのですが、そんな場所にも見るべきものがあって、それがこの第一竪坑です。
疏水まで50mの深さがあります。工事を捗らせるため、そして換気と採光のための坑道です。補修中でよく見えないのが残念。もう一つ第二竪坑があるのですが、それは見つけられませんでした。

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疏水は住宅地の中でふっと顔を出します。

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モミジそして桜が混ぜて植えられていて、堤の保護のためなのでしょうけど、立派に育った並木は季節ごとに美しく、粋な工事をするものです。

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橋脚に煉瓦の支えが残っています。

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ここで東海道線、湖西線の線路をまたぐ陸橋があって、皆さんそちらに電車を撮りに行かれたのですが、私はこちらの橋の方を。ここをまたぐだけなのに、味のある橋です。

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またトンネルがあって、手前に四宮船だまりがあり、水面が広くなっています。
このトンネルがそっけないのは新しいから。
昭和49年にできたそうです。

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元の水路は遊歩道になっていて、疏水の上を歩いているみたいなので、これはこれで面白い。

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遊歩道の途中、こういうシェルターみたいなものがありました。
作業員の練習のため、明治45年に造られた第2疏水トンネルの上部を複製として作ったのではないかとのことです。(みんな説明板に書いてあります)

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トンネル出口も船だまりのようになっています。

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ここでお昼。昼ごはんのために、山科の駅に寄り道します。
途中、気になるお屋敷がありました。近代建築みたい。
塀がスクラッチタイル張りです。

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昼食後、再び疏水へ。
疏水にかかる橋もそれぞれに違って面白いです。
天智天皇陵の側など通ったのですが、後で案内図の写真を見ると「御陵煉瓦工場跡地」という文字もあって気になります。

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旧鶴巻邸の側を通ります。
前に見学に来たとき、こんなに疏水の側なんやなあと思ったのですが、今回は逆の視線です。

(関連記事)
 「栗原邸(旧鶴巻邸)の見学会」

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ここに架かるアーチの橋もきれいです。
黒岩橋といって、日本最初の「本格的な」鉄筋コンクリート橋なんだそうです。明治37年のもの。

(参考資料)
 Roof-net「日本初のRC橋と琵琶湖疏水」

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そして再びトンネル。
山科区間では、疏水は山裾の等高線に沿ってカーブしつつ、ときにトンネルでショートカットして流れています。

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船をもやうロープをかけたのでしょうね。
金具があります。

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トンネル出口は急に立派な煉瓦積みに。
ちょっと格が上がったように見えます。
こんな変化も通しで歩いて分かること。

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右に見えるのは新山科浄水場取水池。
元々はここも船だまりだったらしいです。
疏水を船が行き交う様子も見てみたい気がします。

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ここに日本初の鉄筋コンクリート橋がかかっています。明治36年。
記念碑なども立っていますが、小さいゆえに「これが最初」という感慨を呼ぶ気がします。
でも「試しに作ってみた」程度なんですね。

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再び疏水は長いトンネルに入ります。
先ほどのもそうですが、なんだかお城みたいです。

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私たちは疏水を離れ、再び峠を越えました。
これは昭和8年の京津国道改良工事の記念碑。
今気付いたのですが、側面に使われている石って車石?

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峠道の側面擁壁に記念保存されているのですが、車石というのは、すぐ近くを通っていた東海道を牛馬車が走りやすいように、車輪の幅にわだちを刻んだ舗石らしいです。

車道の向こうに米を積んで運ぶ牛車のモニュメントもあったのですが、なぜか写真を撮るのを忘れていました。

京都の街はもうすぐです。

(一緒に歩いた皆さんのブログ)
 気まぐれblog
 「琵琶湖疏水~昭和の日に明治の偉業を辿る~(3)」
 「琵琶湖疏水~昭和の日に明治の偉業を辿る~(4)」
 いっこうがこっそりブログ
 「琵琶湖疏水を辿ってみた(滋賀県編)」
 「琵琶湖疏水を辿ってみた(京都府編)」

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2012年6月 5日 (火)

新緑の疏水歩き(1)琵琶湖から三井寺まで

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もう1ヶ月前になりますが、ネットの仲間にお誘いいただいて、「疎水沿いに琵琶湖から鴨川まで山ゴエ 昭和の日に明治の偉業を辿る」という企画に参加しました。
かなり他の皆さんの記事と重なるのですが、私もご報告しておきます。

まずツアーの最初はJR大津駅から。
坂を下って、旧東海道を少し歩き、浜大津に出ました。
ここまで歩くだけでも結構楽しめます。
旧大津公会堂(昭和9年築)が昔の賑わいを感じさせます。
今はレストランになっています。

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広々とした浜大津港。
今は視界が開けているのですが、モデルルームがあるのはマンションが建つのでしょうか。

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実際には結構時間がかかってますが、琵琶湖疏水の取水口です。
高いマンションの方に水が流れています。

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向こう岸にいい感じの艇庫があります。
三って「三井寺」の三かと思ったら違って、旧第三高校(京大)の三なのだそうです。
大正元年に建てられたものなのですね。
ひろさんの記事で以前見ました。

>宮本慎宏氏・石田潤一郎氏・西澤英和氏
「旧第三高等学校端艇部(現神陵ヨットクラブ)艇庫について」
 2006年度建築学会(PDF)

(関連ブログ)
 ひろの東本西走「神陵ヨットクラブ艇庫」

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これは水位の監視塔をしているようです。
琵琶湖疏水第1水位局ってこれ?

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琵琶湖第一疏水揚水機場。
琵琶湖の水位が低いときはここのポンプで汲み上げるそうです。
ここから第一疏水をたどっていきます。

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途中の橋も古いものが架かっています。
これは三保崎橋といって、昭和12年と記されていました。

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京福石山線を越えます。

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やや古びた周辺の見取り図。
琵琶湖疏水は一直線に山に向かい、三井寺の下をくぐっています。

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ここで水が二手に分かれ、左が大津閘門、右が大津制水門です。
閘門の方は船が通るためで、制水門は水位調整のためのようです。
すぐ向こうで合流していて、あれっとなります。

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こちらが大津閘門。

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※クリックすると拡大します

琵琶湖疏水に沿っては、この詳しい案内板が随所に立てられています。
設置者は京都市上下水道局なんですね。いま気付きました。

この琵琶湖第一疏水は、琵琶湖から京都の蹴上まで、明治18年から23年まで5年がかりで掘られた水路で、全長は9kmあります。
京都市の飲料水、発電、物資輸送、農業用水など多目的利用のために立案されたと解説板には書かれています。

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桜や紅葉の季節も美しいそうですが、新緑もまたきれいです。
一直線に山に向かっています。

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第1トンネルの入口。
このように各トンネルの入口・出口には立派な門が造られ、当時の有力者の扁額が掲げられています。
ここの場合は、伊藤博文。
設計者の田辺朔郎の名前も刻まれています。

疏水はトンネルでくぐりますが、私たちは峠を山越えしました。

(一緒に歩いた皆さんのブログ)
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 「琵琶湖疏水〜昭和の日に明治の偉業を辿る〜(1)」

 「琵琶湖疏水〜昭和の日に明治の偉業を辿る〜(2)」
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 「琵琶湖疏水を辿ってみた(滋賀県編)」


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2012年6月 2日 (土)

浜口西の洋風住宅(大阪市住之江区)

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住之江公園を見に行った後、そのまま東へ、住吉公園・住吉大社の方に抜けました。
途中の浜口西には洋風の住宅がたくさんあります。
住吉公園のすぐ西側です。
「ひろの東本西走」の記事で紹介されているものと大部分かぶりますが、現況報告として見ていただけたらと思います。

まずこちらの洋風長屋から。
4軒長屋+4軒長屋で、一番奥は増築されています。

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2階の花瓶風の手すりや丸窓が特徴的です。
格子の窓も面白い。
近くの西住之江の洋風長屋に通じるものがあるかも。

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同じく。こちらは1階にも花瓶状の柵があります。
2階には立方体を斜めから見たような六角デザインがあって、元は窓だったのか、もともとこういう飾りなのか。

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少し南にも洋風の入った4軒長屋があります。
八重桜がきれいでした。

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庭木が生い茂ってうっそうと。
飾りはシンプルですが、モダンです。

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少し西にもこの4軒長屋。
かなり改修されていますが、○に十字の窓があります。
側面の仕切り壁をカーブさせてあるのは先ほどの長屋と共通。

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左端の住戸には1階の柵が残っていて、最初の長屋と同じデザインですね。
同じ会社が作ったのでしょうか。
クリーム色のタイルも当初のものかなと思います。

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もう少し南に移動するとこんな立派なお屋敷があります。
昭和初期のI家住宅です。

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堂々としたスパニッシュで、見飽きません。
玄関(こちらは通用口のようですが)も味わいがあります。

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さらにはす向かいにはこの建物。
表通りに洋風の住宅が2軒並んでいます。

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とてもいい感じなのですけど、近くで育った方の話では、昭和の新しい時期に建ったとのことです。
レトロ趣味で建てられたのか、あるいは移築されたということはないでしょうか。

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さらに南に進みます。丸窓のある住宅。
洋風長屋によく使われている窓です。

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もう少し時代が下ってダイヤモンドの戸袋。
細胞分裂しているみたいで、こんなのは初めて見ました。

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ここにL字型に並ぶ住宅があります。
元は駐車場の部分も住宅があったのかもしれませんが。

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そのL字の通路の両端に、「園南住宅」という石柱が立っています。
住吉公園の南だから園南でしょうか。

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こちらもこんな感じで。
どういう由来の住宅地なのでしょうね。
設置年などは彫られていませんでした。

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木製サッシ、モルタルの住宅で、戦前のデザインではない気がしますので、昭和30年代の住宅地なのかなあという印象です。

ここから西住之江の住宅地にかけて、大阪の中心から見ると南国のイメージなのか、洋風が強いのが面白く思います。(もちろん、堺の浜寺はさらに南国ですが)

<関連記事>
 「西住之江の洋風長屋」
 「大阪で最初の住吉公園」

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2012年6月 1日 (金)

代わりにできた住之江公園(大阪市住之江区)

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以前から気になっていた住之江公園に出かけました。
便利なのは地下鉄・四つ橋線の住之江公園駅です。
ここから見える森は大阪護国神社で、住之江公園ではありません。
昭和15年にできた神社です。

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玉垣と一体化した燈籠が面白い。

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住之江公園駅から歩くと、公園の裏口から入る感覚です。
入ってすぐ児童遊戯場があります。

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※クリックすると拡大します。
<大屋霊城『公園と運動場』口絵、昭和5年(佐藤昌『日本公園緑地発達史(下)』、p407所収の図)>

この住之江公園、住吉公園と深い関係があります。
なぜかというと、大正時代に住吉公園の西側を国道が横断することになって、運動場が廃止され、その代償として造られたのが住之江公園だからです。

設計したのは著名な公園設計者の大屋霊城。
大正15年に用地買収完了、昭和2年に着工して昭和5年に完成し、工費25万円のうち21万円は阪堺電鉄(6万円)と南海鉄道(15万円、南海電鉄)が寄付したそうです。
(→阪堺電鉄というのは、当時芦原橋と浜寺を結んでいた鉄道、新阪堺のことでしょうか)

昭和7年に北尾鐐之助は『近代大阪』の中で、
「まだ多くの人に知られていないけれど、昭和五年の暮れに七十万円を投じて出来上がった、総面積四万三千坪の住之江公園=大阪の公園として珍しく立派なプレー・フィールドを持っている」(p371)と書いています。(仮名遣いを現代風に改めました)

(工費が食い違いますが)当初から野球場がありました。
図面を見ると陸上競技場、テニスコートもあるようです。

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横倒しで見にくいですが、現在の公園案内図と比較しても、公園の園路、野球場の位置、池の形など、あまり変わっていないことが分かりますでしょう。
児童遊戯場のあたりは戦後の1948年〜1964年、競輪場になっていたそうですが。

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公園西側の園路は、木々が育っていい散歩道になっています。

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現在の野球場です。

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昔からある池を西側から。広い池です。
ご近所の方の話では、昔はもっと深かったそうです。

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池中の小島も当初の図面に記載されています。

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島には小さな小屋風のものが置いてあります。

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池の中でも見どころはこの太鼓橋です。
多少アールデコっぽいデザインですので、当初からあるものではないでしょうか。

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欄干の穴が砲弾型です。

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また池の北の端にはテラスがあります。
もっちりした欄干がついていて、これも古そうなデザインです。

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ここに「住之江公園」のプレートがはまっていたかとも思えますが、残っていません。
こちらの方が正面玄関の趣があります。
大池と野球場を眺められるテラスです。

「大阪府営公園デジタルアーカイブス」に昭和8年頃の住之江公園の写真が載っていて、園路の東側にも同様のテラスがあったようです。今はありませんが。

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大池の源流部の石組み。

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一番源流になる場所の近くにこんなものがありました。
小さいながら、水飲み場ではないでしょうか。
源流部に水飲み場を配するのは一つのパターン?

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公園の北入口を出てすぐ、細井川を渡る寄波橋があります。
これも古そうです。

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今は人工的な細井川。
上流にたどっていくと、住吉公園、住吉大社に至ります。

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ところで公園東口にはこんな面白いものもあります。
ポプラの木が横たわり、スチールのベンチがあります。

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※クリックすると拡大します。

実は「きのむかうところ」という伊原セイチさんの作品です。
公園内に昔からあったポプラの木が危険木として切り倒された際、通常は処分されてしまうのですが、そのまま作品化されたそうです。
おおさかカンヴァス推進事業の一つなのですね。

昭和初期からの歴史がある住之江公園。
意外と古そうなデザインが残っていて楽しめました。

(関連記事)
 「大阪で最初の住吉公園」
 「近代公園」(公園記事のインデックス)

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