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2012年5月

2012年5月27日 (日)

柴島の集落(大阪市東淀川区)

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以前、柴島浄水場を紹介したことがありますが、そのときに柴島(くにじま)の集落も歩きました。
写真は柴島神社の東の鳥居から。

柴島の話は、新之介さんの十三のいま昔を歩こう「囲まれた柴島」に詳しく紹介されています。
重複するところも多々ありますが、簡単に紹介します。

Kunijima
<大正12年 1万分の1「大阪」>
※クリックすると拡大します。

柴島は、明治29年から43年までの淀川改良工事により新淀川が開削され、大正3年に柴島浄水場ができると、これらに囲い込まれてしまいました。
集落は柴島と濱の2つがあり、周辺を見回しても大きな集落だと分かります。
この時点では阪急千里線(大正14年開通の新京阪鉄道)もなく、一見陸の孤島です。



現在の柴島周辺。
囲まれたまま、古いものも残っています。

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まず柴島神社から見ていきます。
柴島神社は、柴島の地名の由来のひとつだそうです。

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元々、柴島の地には標高3mほどの丘があり、仲哀天皇が祭られていた森があったそうです。
低い土地ですので、水が来ると村人はこの丘に避難します。
すると柴の束に乗った祠が流れ着いたのでお祭りしたというのが伝承です。
鎌倉時代の貞永元年(1232年)のこと。

右の白い鳥居が摂社の仲哀天皇社で、左の赤い鳥居は末社の住吉神社。
こういう元々あって祭られている摂社ってとても興味があります。

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ただ、その柴島神社の場所というのは、今の淀川河川敷で、改良工事の際に現在地に移されたのだそうです。昔の神社の写真が掲げてありました。

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また柴島晒(さらし)ゆかりの地の記念碑と解説板。
晒というのは、12mほどの木綿の布を水で洗い、日光に当てて白くしたもの。
柴島浄水場ができるまで柴島は晒の特産地だったそうです。

(参考)大阪市立図書館「柴島晒について」

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境内には国旗掲揚台もあり、木の柱の根元が残っています。
昭和10年に柴島の一部である調布の青年団が寄進したもの。
調布という地名に柴島晒の歴史がうかがえます。

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公園の西半分は柴島西公園となっているのですが、そこに面白いモニュメントがあります。

「この公園は
 辻善之助さんがお母さんの生れた
 この町のよい子たちのために寄付された。
   昭和39年1月 大阪市」

この文章自体が童話のようで、気持ちが温かくなります。
辻善之助さん(1877-1955)は、日本の歴史学者で、日本仏教史を専門とされていたそうです。
ご本人は姫路生まれなのですが。

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このモニュメントはもう一つ、柴島東公園にもあります。
この2つの公園は辻善之助さんの寄付でできたということですね。

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さて、もう一つ歴史ものでは、柴島城址の碑があります。
昭和3年に建てられたものです。奥は白龍を祭る碑。
新之介さんの写真と見比べて、木が切られてしまっています。

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大きなスペースの祠があって、薬師堂村の薬師如来と書かれています。
柴島を歩いていると祠がとても多く見られます。
それは一つには柴島村が狭められたときに移動してきたでしょうし、柴の束に乗った祠に限らず、いろんなものが流れ着いていたのではないでしょうか。

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柴島は囲まれているためか、古い街がよく残っていて、懐かしさを感じさせます。
パーマ屋さんのある並び。

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木の壁の家。

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井戸のポンプ。

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最後に柴島湯に入って帰りました。

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建物も古そうです。

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建築廃材の薪が山積み。
古いやり方を守っているというよりも、今は薪で焚かないと、高騰した石油を使っていては割に合わないという事情も聞きます。
解体された長屋など古い建物の廃材が銭湯の火をつないでいると思うと、感傷的な気分になります。

ちょうど訪れたとき、阪急広報誌の「TOKKに紹介されたんですよ」と見せていただきました。
記事によると明治27年創業で118年の歴史がある銭湯なのだそうです。
応対もとても暖かい、いいお風呂屋さんでした。

 >TOKKの記事「柴島」(PDF)

(関連記事)
 「近代化遺産の柴島浄水場(1)水道記念館が一時休館」
 「近代化遺産の柴島浄水場(2)柵の外から」


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2012年5月25日 (金)

駆け足で岸和田の近代建築

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以前、岸和田に用事があって出かけたときに、ついでに近代建築の写真などを撮っていました。どんな記事にしようかと思ううちに古くなりそうでしたので、駆け足で紹介します。

まず南海本線・岸和田駅の駅前。
西田クリニックさん(大正5年)が明るく迎えてくれます。
お隣の建物も、「続きを描いた」感じが面白い。

※建設年・旧名称などは基本的に『大阪府近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』(2007年)に従います。

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駅前の商店街に入ります。
そこには近畿大阪銀行岸和田支店があります。
交野無尽金融(株)岸和田支店(昭和4年以降)なのだとか。

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脇の城見橋筋商店街に入るとアーケードもぐっとレトロ感が増します。

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先が見通せない魅惑の路地。

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アーケードの端に平井皮膚科(昭和15年以前)?
右上の飾りが近代建築らしい意匠です。
元は窓?

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看板が消されていて、どうも医院はされていないようです。

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その近くに焦げ茶の下見板張りのお店があります。
白いペンキ塗りもいいですが、この色合いも好きです。

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再び駅前の商店街に戻ります。
アーケードが切れた先に寿屋さん(大正期)があります。
蔵のような造りにさらに洋風でがっちり固めています。

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人形屋さんなのですが、面白いのが陶器の人形を埋め込んでいるところ。
高砂の老夫婦のようです。
残念ながら熊手と箒は失われています。

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三角の土地に建つ三角の建物。
五軒家町のアリラン亭です。

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看板建築風で、ひょこっと飾りが頭を出しています。

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歩いて行くと旧紀州街道にぶつかります。
昔のメインストリートだけあって、立派な建物が並びます。
こちらはC.T.L.Bankで、旧和泉銀行本店(昭和8年)。

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岸和田中央会館(昭和10年)は、商店街の事務所として使われています。
旧岸和田貯蓄銀行とも。

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成協信用組合岸和田支店。すごく見にくい写真ですみません。
旧四十三銀行岸和田支店(大正9年)です。
和歌山を拠点としていた銀行らしいです。
この先に街道は続くのですが、この日はパスしました。

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これも近くから撮りすぎて見にくいのですが、池田泉州銀行泉州営業部。
旧泉州銀行本店です。昭和34年の戦後建築ですが、村野藤吾なのでついでに紹介しました。

岸和田はほんとに銀行が多かったのですね。

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その先にある小さな橋は昭和17年の架設で、少しモダンデザインが入っています。

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とりあえずの目的地は、自泉会館(昭和7年)です。
元岸和田市長で元南海鉄道社長の寺田甚吉氏が、岸和田紡績の創始者である父・寺田甚与茂の偉業を記念して建てたもので、当初は岸和田紡績などの社交場として使われたそうです。設計は渡辺節。岸和田産業界のシンボルという感じですね。早くも昭和18年に岸和田市に寄贈されています。
残念ながらこの日は閉まっていました。

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表に壁泉があります。
自泉と何か関係ありますでしょうか。

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帰りは(これまでの紹介も実際の順番ではないのですが)、ところどころ裏道もたどりながら歩きました。すると筋海町の細い道にこの建物が。

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少し傷んではいますが、素晴らしい建物ですね。
大正期に建って移築されたというT家住宅です。
豆タイルの玄関柱もすばらしい。

筋海町にはまだ他にも近代建築が集まっているようですし、他のエリアももう少しじっくり歩いてみたいと思います。

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2012年5月23日 (水)

香里園の住宅(寝屋川市)

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先日、円満字さんのスケッチ展にお邪魔するため、久しぶりに京阪・香里園の駅に降りました。
香里園といえば、藤井厚二の八木邸があると聞いていたので、この機会に見に行きました。
藤井厚二はご存じですか?大山崎の聴竹居を設計したことで知られる建築家です。
場所のヒントは成田山不動尊に向かって坂をのぼって突き当たりというものでした。

それなら分かるかなと思って改札を出てみると、駅前再開発で何がなにやら。
ともかく坂を登り始めました。

細い坂道の奥に石の門柱が見えたので近づいてみると、あったのが最初の写真の住宅です。
これも近代の住宅のようですが、八木邸ではありません。

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成田山に向かうメインの通りを歩いて行くと、正面に古そうな住宅があります。

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洋館付き住宅ですが、これも違います。
シートがかけられていて、大丈夫でしょうか。

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近くの住宅地に入り込んで、これもまた洋館付き住宅。
八木邸ではありません。

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そのお隣にありました!八木邸です。
モダンな上にきれいに手入れされていて自信がなかったのですが、間違いなさそうです。
1930年(昭和5年)の建物に見えません。

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玄関から。美しいシルエットですね。

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背面の方から。グーグル・ストリートビューで見ると向かいにも2軒、近代建築らしき建物が見られますが、既に駐車場になっていました。
一帯が古い住宅地のようですね。

あまりじっくり眺めるのも不審者になるので、遠目に見る程度です。
きれいなので一安心しました。
見に行かれる方もマナーにご配慮お願いします。

(関連記事)
 講演会「藤井厚二の住宅・八木邸」
 ・今読み返すとスケッチの話など書いていて、いまだ手を付けていないのですが、今回、スケッチ展を見に行って出会ったのには縁を感じます。始めなさいということか。

(関連資料)
 INAXレポート「藤井厚二」
 杉本菜々さん「藤井厚二の設計になる住宅の考察」(「学術講演梗概集」、2006年)

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住宅地の中から、白いブロックを重ねたような塔が見えます。
カトリック香里教会です。聖堂は昭和6年の建立だそうです。

ちょうど出てこられたご婦人に、どうぞお入り下さいとお声がけいただきましたが、今回は時間が少なかったのでご遠慮しました。

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玄関脇にあった建物もフランス瓦で古そうです。

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ところで、坂の向こう側にこんなインパクトのある建物がありました。
ブロックを積んだような建物で、十字架が掲げてあるのは教会なのでしょうか。

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その建物の奥に、2階建て、煙出し付きの食品工場があります。
ちょうど坂の上から見えるのですが、何を作っていたのか気になります。

これは一例で、周辺は桜ヶ丘、紅葉ヶ丘という名のバス停もあり、バスから近代の住宅らしきものもちらほら見えましたので、もう少しじっくり歩き回ると面白そうです。


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2012年5月19日 (土)

豊岡のひまわり公園門柱

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これでほぼ今回、豊岡で見て気になったものは紹介しました。
あとひとつだけ、気になるものがあります。
それは宵田通りに近い、ひまわり公園の門柱です。

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公園の門柱にしてはデザインが立派で、どこかの橋の親柱を持ってきたのでは?という気がしてしまいます。


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2012年5月17日 (木)

豊岡の石垣

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長崎の下浦石、松江の大根島石や来待石、和歌山の紀州青石のように、各地に地域を特徴付ける地元石材(ときに船で運ばれる石材)があります。石材は石垣などに使われ、その地域のベースをつくっています。
そのことを知ってから、行く先々、この街はどこの石材を使っているのだろうと気になります。

豊岡の場合はどうも2種類ありそうです。
豊岡で見た石垣で一番気に入ったのが、豊岡小学校の側にあるこの石垣+煉瓦塀。

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とてもきれいでしょう?
下から黒い石、白い石、焦げ茶の煉瓦、赤煉瓦と積み上げています。

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側面はこんな風です。
今気付いたのですが、黒い石の部分、正面と積み方が違いますね。
六角形の断面を見せています。

黒い石は、玄武洞で有名な玄武岩ではないでしょうか。
六角形に割れる特徴があるようです。石材は地元では「灘石」と呼ばれているそう。

また白い石は柔らかい凝灰岩(火山灰の固まった石)っぽいですが、豊岡市城崎町に今津石、楽々浦石(ささうらいし)という凝灰岩があるらしいので、それかもしれません。

(参考)
 但馬の百科事典「但馬の地質」

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近くの図書館も新しい石垣をこの黒い石で高く積んでいます。

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街中でもこのように見かけます。

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神戸地方裁判所豊岡支部の石垣。
同様に黒い石の上に白い石を一段かぶせています。
これが基本パターンなのかもしれません。

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達徳会館(旧制豊岡中学校)の基礎に使われている石材は、若干色合いが違いますが、凝灰岩のようです。

最近は輸入石材が増えていますが、そうなるとどこでも同じになってしまうので、地元の石材を活かしてほしいなと思います。図書館を見る限り、豊岡では実際に活かしているようです。

※本文に関係ないですが、これで800本目の記事です。

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2012年5月16日 (水)

豊岡のふれあい公設市場

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前回、豊岡の水路にかかっていた新橋について触れましたが、その新橋はこのような場所にあります。左下の黄色いボードの左右にあるのが新橋の親柱、その下が暗渠、そして正面はふれあい公設市場です。建物の右端が通路で、どの部分が市場か分かりにくいですね。

この公設市場、昭和初期からの歴史がある木造市場だそうで、観光マップにも載っています。

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駅前通りに面して花屋さん。
奥に通路が続きます。

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通路を進んでいくと、町家の雰囲気をもつ市場になります。
2003年に庇を付ける改装が行われたそうです。
いわゆる公設市場という雰囲気ではないですが、明かり取りのアーケードを活かしながら、うまく改修されていると思います。

(参考)wikipedia「ふれあい公設市場」

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反対側に抜けるとこうなっています。
表側と見た目が違いますね。

公設市場はスーパーに衣替えしたり、なくなっていくところもありますが、歴史ある市場が、原型を残しつつ今のお客さんに対応しているのは貴重なことと思います。


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(関連記事)
 「椿井市場(奈良市)」
 「門司の老松公園と中央市場」

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2012年5月13日 (日)

豊岡のロータリーと水路

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豊岡にはこういうロータリー交差点があります。
それも大正時代にできたもので、「寿ロータリー」といいます。


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地図で見るととても目立ちますね。
私はロータリーも好きなので、見に行ってみました。
6本の道が合流していて、左下の道が豊岡駅に、下の道が市役所に向かっています。

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<1909年に作られたレッチワースのラウンドアバウト(98年撮影)>

円形交差点は19世紀後半から景観的な意味でヨーロッパで作られるようになったようですが、交通システムとしては20世紀に入ってからのようです(wikipedia情報)。イギリスのレッチワースのラウンドアバウト(ロータリー)も初期のもの。

日本の場合、大美野田園都市など昔の設計で使われていますが、流行らなかったので、むしろロータリーを見るとレトロに思えます。

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さてロータリーの中心は、寿公園という公園になっていて、真ん中にはおじいさんの銅像が座っています。

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後ろから見るとこんな感じ。
椅子までちゃんと作ってあります。

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誰だろうと思いますが、隣に大正13年に建てられた「頌徳記」という記念碑があり、明治・大正期に活躍した中江種造という実業家の銅像だと分かりました。

生野鉱山でフランス人技師に採鉱・冶金を学び、古河財閥の古河市兵衛の顧問として全国の鉱山を視察し、独立して各地の鉱山を経営、高知で杉檜を植林するなど実業に活躍した方のようです。
また社会事業として、明治35年に中江済学会(育英基金)の設立、大正10年に豊岡の上水道建設費36万円を全額寄付したそうで、上水道建設への感謝がこの銅像です。

詳しくは下記に全文を掲載しますのでお時間のある方はどうぞ。

 →関連 但馬の百科事典「中江種造」




           頌徳記

寿山・中江種造翁は豊岡藩士・河本筑右衛門氏の第六子
なり。弘化三年二月十五日その藩邸に生る。出て同藩・
中江晨吉氏を継ぐ。明治元年京都付近兵乱に際し、豊岡
藩士として京都御所警衛の任に当たり、たまたま大垣藩
士久世治作氏と知り、同氏に就いて理化学の教授を受け
得る処あり。明治元年、官業生野鉱山に勤務して、仏人
コワニー、セボースの両氏に就て採鉱冶金の学術と実地
を修め、益得る処あり。明治四年二月、病気のため休暇
を請け、帰国の上、辞職す。同年八月造幣局御用召に付
き上阪。九月病気のため出仕を辞す。同八年八月古河市
兵衛氏の嘱託となり、同二十年、これを辞す。その間、
全国の鉱山を視察し、明治十八年以来、岡山県国盛鉱山
徳島県東山鉱山、熊本県五木鉱山、和歌山県飯盛鉱山、
愛媛県千原鉱山を経営す。経営みなその宜しきに適い、
かつ勤倹力行を以てして、鉅富を得、而て之を国家の有
用に資せんことを思い、或いは高知県土佐郡及び長岡郡
に於いて杉檜三千余町歩を造林●●は明治三十五年、金
十万円を投じ、中江済学会を創め、学生を養い学士を出
すこと三十五人なり。その他、公共の事に資材投じたる
こと挙げて数うべからず。大正十年予が懇請を容れ、豊
岡上水道費全額金三十六万円を寄付し、以て豊岡町民の
保健と町将来の繁栄の素地を作らる。町民歓喜して翁の
徳を頌く●所に翁の像を作り、永くその徳を伝う。

大正十三年八月銅像原型成るの日


 ※旧字体は新字体に、句読点や送りがなを入れ、
  難しい漢字は平仮名にしています。
  読み間違いがあるかと思いますので、
  おおまかに意味を取る程度でお願いします。

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 もう一つ記念碑があって、洪益(多くの人々にゆきわたる利益)とありますが、これは豊岡町地区整理碑といって、耕地整理事業を記念した碑です。

 地主や県の説得に随分苦労がありつつ、町長・助役の意思、町民の後押しで成し遂げられた事業のようです。大正10年に始まって、昭和6年に完成したとのことです。その間、北但大震災をはさんでいます。

 詳しくは、これも全文を載せておきますので、お時間がありましたら。




        豊岡町地区整理碑

豊岡の地たる山陰山陽の要衝に当たり、海陸の形勝(景
勝)を占め、古来侯国の治所たり。然れども水災頻至や
やもすれば漂没を免れず。廃藩以来百事革新、世態とみ
に変じ、鉄路大に開け修河の議決し、事業興り、戸口殖
じ、殆将に県下小都市を凌駕せんとす。恨むらくは市区
狭隘、東南円山川に割られ、西北卑湿居るべからず。故
を以て鬱屈伸ぶる能はず。町長・佐川恒太郎すこぶる新
道開発に志あり。未だ成すに及ばず。任満ち、職を去り
由利三左衛門これに代わる。即時勢を達観し、市区を拡
張せんと欲す。而して工鉅費大にわかに変じ難きを思い
躊躇、未だ決せず。助役・伊地智三郎右衛門おもえらく
此を実に当今の急務なり、百年の長計なり、宜しく耕地
整理法を利用し、以て工を起こすべしと。町長、その策
を用い、地主を会し、之を謀る。衆皆左袒(味方)せざ
るなし。是において市区改正の意を寓し、以て設計を定
む。地主これを非とし、県また法にもとると為し敢えて
許さず。事まさに壊裂せんとす。町民これを聞き、みな
曰く我が町隆替(盛衰)の繋がるところなり。以て成立
せしめざるべからず。宜しく自ら奮って資を納れ、費を
助け、地主をして釈然たらしめ、協力以て請うべし。県
いまだ必ずしも聴納(聞き入れる)せずんばあらずと、
町長・助役とその間に周旋し、遂に町において新道市街
接続の衝に当たる人家移転費負担の議を決し、大正十年
五月十日、申請允可(許可)を得たり。すなわち、耕地
整理組合を組織し、町長を組合長とし、組合副長二名、
評議員九名を置き、部署以て事に従うより三年、功まさ
に就らんとす。而して組合長にわかに没し、助役推され
て町長となり、組合長に任じ、以てその緒を継ぎ、昭和
六年一月十三日成を告ぐ。費やしたる十四万八百余円、
整理面積九十三町六反余歩、鴻路四通、畦畔整斉、卑湿
の悪土ことごとく美田良圃に化す。衆皆額手相慶し、
その地主はすなわち曰く、区画井を潅すべきなりと。是
より先、大正十四年五月、地大に震い、家倒れ、火起こ
り、市街十の七強を失い、死傷またすくなからず(北但
大震災)。雨時難を新道に避け、仮屋を構じ、生命財産
を保全せるものすこぶる多し。以て耕地整理・市区改正
の余恵と為し、益々望を将来に属し、鋭意興復、以て今
日の盛を致せし。顧うに地要衝によるといえども、交通
開け、而して治水功畢るといえども、市区狭隘、昔日の
ごとくならば、安ぞ能くこのごとくなるを得ん。すなわ
ち斯挙の利するところ既に多し。その後、昆に益すると
ころ推して知るべきなり。頃者(近頃)碑を寿公園に建
て、文を余に嘱す。因ってその梗概を叙する。このごと
くもし夫を組合副長以下諸役員の氏名に至っては之を碑
背に勒し、以て不朽を期すという。

 昭和六年六月中浣(中旬)
 枢密院顧問官従二位勲一等男爵 久保田譲題額
                木村發撰並びに書


 ※旧字体は新字体に、句読点や送りがなを入れ、
  難しい漢字は平仮名にしています。

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寿公園は石柱で囲まれていて、これももしかすると古いかもしれません。

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さて、寿ロータリーの少し西に南北の水路があります。
第二壽橋という小さな橋があって、昭和11年の架設です。

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水路はまっすぐ延びていて、これも耕地整理事業でできたものでしょうか。

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ずっとたどっていくと、駅前通りのあたりで暗渠となり、ここにも古い橋の親柱が残っています。

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大正15年の文字がある新橋という橋です。
アールデコのデザインですね。

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建物の下を暗渠がくぐっていて、その先にもやはり橋の欄干が残っています。

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その先は「あおぞら市場」になっています
こういう川の上に市場というパターン、時々見かけます。

震災復興以前から取り組まれていた都市計画の記録として、ロータリーや水路(及び橋)が残っていて興味深く思います。


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2012年5月 6日 (日)

松崎町のレトロアパート(大阪市阿倍野区)

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レトロアパートシリーズの採れたてです。
天王寺に用事があり、ついでに庚申街道を南に歩いていったところ、建物の向こうに気になる瓦屋根が見えました。どこから入るのかなと、すれ違えないぐらい細い路地を見つけて入ったところ、そこにあったのがこれです!
近代建築っぽい風格。

地図で確認すると一富士荘というそうです。

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2階はアールで、ここは何のスペースなのでしょう。
タイルの縁取り付き。

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1階は白く塗られています。
木製の扉や桟も美しい。

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この玄関灯のかっこいいこと!

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目隠しの壁に、モザイクタイルもあります。

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隅にもわざわざ目隠しの(?)壁を立てて、ストライプのタイルをつなげています。

部分的に板で応急補修されていますが、元の状態に戻せれば、かなり魅力的な物件になるのではないでしょうか?
あまり住んでおられる気配を感じなかったのが気になります。
中が気になりますが、入ってはいません。もしかして中庭があるでしょうか。

まだまだ魅力的なレトロアパートがあるものですね。


より大きな地図で レトロなアパート を表示

(追記)
近代建築好きな皆さんと一富士荘を再訪しました。
玄関に木製の下足箱が残っていることも確認できました。
ちょうどご近所の方が通りがかられ、このアパートが昭和10年代、この地域では最初期に建てられたもので、竣工時には新聞にも取り上げられたほどだったこと、壁面の突出部は後に増築された物干しスペースであることなどを教えていただけました。
洗濯物が干されていて、今も住民の方がおられるようです。
(2013.3.2記)

(追記)
一富士荘が解体されてしまいました。
内部はかなり傷んでいたようで、利用は難しそうではありましたが、せっかく残っていたこういう建物がひっそり消えていくのは残念です。
(2013.2.24記)

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豊岡宵田通りの近代建築

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豊岡で近代建築が集まる通りの3つめは宵田通りです。
大正14年の北但大震災後の復興建築として建てられた看板建築が特徴的です。

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この宵田通り(宵田商店街)は、現在カバンストリートとして売り出しているようで、カバンの自販機なども置いていました(駅などにもあります)。

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※クリックすると拡大します。南が上なのでご注意。

この宵田通りは豊岡でも由緒ある商店街ではないかと思います。
というのは、街中で江戸時代の城下絵図を見たのですが、豊岡の城下町は特徴的です。今より町寄りを流れていた円山川に向かって尾根が突き出して、そこがお城。周囲が武家屋敷で、川に沿って長く伸びるのが町屋です。今の中心市街地はこの地図を見る限り田畑です。
この南北の通りが、宵田通りになっていったのではないでしょうか。

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そこに並ぶ近代建築(主に復興建築)を北から順に紹介します。
まず橋本商店。結納用品屋さんです。

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続いて、名前が分かりませんが、この建物。
なんとなく雰囲気が似ていますね。

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橋本酒造。裏通りに酒蔵もありました。
洋風を感じさせる和風建築です。

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この建物、桟も面白いですが、このカラフルで手作り感溢れるボーダータイルが魅力的です。

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こちらは旧但馬貯蓄銀行本店です。
但馬労働基準監督署として使われていたこともあります。
きれいに改装工事中だったので、何になるのかなと思っていたら、オープンなギャラリー「豊岡画廊」と精神科診療所「高石医院」になったようです。2012年の4月29日スタート。
 
 朝日新聞・兵庫版「旧但馬貯蓄銀、画廊と診療所に/豊岡」(2012.5.1)
 毎日新聞・但馬版「旧但馬貯蓄銀行本店:北但大震災の復興建築再出発、
          診療所兼ギャラリーに 来月6日まで記念美術展開催
          --豊岡 /兵庫」
(2012.4.30)

 これも北但大震災の復興建築で昭和初期のもの。
 これを読むと35年も空き家だったのですね。
 それを復活させてオープンな形で活用されるとは非常にありがたいことです。
 県のヘリテージマネージャーも活躍されています。

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柱頭部分など和風の木組みとギリシャ建築の柱頭を組み合わせたような面白い形。

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こちらは名前が分からないのですが、近代建築の表情です。
セセッション風といえるでしょうか。

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天辺にメダル、2・3階の間にワラビの芽のような装飾が入っています。

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その向かいあたりに素敵な2軒の看板建築。
ミントグリーンがさわやかです。
右はクリーニングキヌガワで、左は分かりません。
喫茶店にもなりそうですね。

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左のお店、2階部分にはステンドグラスが入っています。

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その隣も天辺に飾りを乗せています。
手持ちの資料では青柳赤ちゃん店となっていますが、今はぎゃらりーサルードと看板が出ていて、(株)サルードというソフト会社が入っているようです。

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これも同じ並びで、クロワッサンという洋服店が入っています。
2階の窓の桟が面白いでしょう?

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隣が空き地なので側面も見ることができます。
大胆に窓を開けていますが。

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こんな窓の桟は初めて見ました。
とてもユニークなデザインです。

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向かいに昭和レトロな雰囲気の建物。
床屋さんとかだったんでしょうか。

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表通りはモルタルやタイルで覆われていますが、路地をのぞき込むと板壁がずーっと続いていたりして、地震の前はこういう街並みだったのかもしれません。

古い復興建築などもなんとか活用していこうという意思が感じられて、豊岡はがんばっておられるなと思いました。


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この戸牧川のあたりまで、昔は円山川の本流だったのではと思います。

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