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2012年4月

2012年4月30日 (月)

豊岡生田通りの近代建築

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豊岡では近代建築の集まっている通りが3つあります。
前回紹介した大開通り(駅前の東西方向のメインストリート)、今回はその一筋南に平行する生田通り、そして次回紹介予定の川沿いに南北方向の宵田通りです。

実際に歩いた順とは逆に、駅に近い方から紹介します。

まず最初は(株)経済協力会。
小振りな建物です。

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次にH家住宅。
元は事務所ビルなのでしょうか。
1、2階の窓の間に色違いのタイルを持ってきていて、セセッションのようなデザインです。

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和風の趣の但馬酒造。
明治38年頃だそうです。
板壁は広告を兼ねています。

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奥にも古い建物がありそうですが、中には入れませんので入口から眺めるだけです。

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そしてT家住宅。
2色の色使いにインパクトがありますね。
これもオフィスっぽい。

・・・とここまで資料と突き合わせてきて、光文舎印刷所がありません。
とても目立つ看板建築風の建物で、見逃すはずはありません。
どうも2010年の夏に原型を留めないぐらいに改築されてしまったようです。
見どころの多い建物で、とても残念です。

今回は生田通りの西半分しか歩いていませんが、東半分はまた次の機会に。
資料を見る限りはだいたい見れたようです。
この通りは事務所通りなのかなという印象を受けました。

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おまけに、大開通りと生田通りの間にある京極湯も紹介しておきます。
この日は残念ながら休業日でしたが、この古いたたずまいで今も元気に営業中のようです。古くても掃除の行き届いた建物というのは気持ちよいものです。


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2012年4月23日 (月)

豊岡大開通りの復興建築群

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豊岡の駅前通りは大開通りというメインストリートで、800mにわたって商店街が続いています。前回紹介した市役所もこの通りに面しています。
北但大震災(大正14年)後に復興都市計画が進められ、補助を出して鉄筋コンクリート建築への建て替えが推奨され、当時の建物がまだたくさん残っているそうです。とくに多い通りの一つが大開通りです。

どこまでが復興建築なのか分からないのですが、それっぽい建物を駅に近い方から順に簡単に紹介していきたいと思います。

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まず「つるや洋品店」さん。
昭和初期の3階建ての建物です。

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今の豊岡はコウノトリの天下ですが、つるやなので鶴のマークです。
SKは何でしょう。

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望楼のようなものが付いた建物。
分銅のマークが付いているので金融系?

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もう一つのマークはえべっさんでしょうか。
鶴岡のエビスビルを思い出しました。

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摩天楼のような、でも2〜3階建ての看板建築。
由利芳商店という昭和初期の建物です。
狭義の看板建築は和風建築の前面に洋風建築らしい壁が建ててあるものらしいですが、看板的なものは看板建築でも良いのかなと思います。

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こちらは3棟並びの看板建築。昭和初期です。
左からメンズショップBOB、谷川人形店、ベイクハウスパンプキン(空き家?)です。
それぞれに存在感があります。

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こちらは王冠のような看板建築。
スズキ自転車店という昭和初期の建物です。

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屋号が入っていたようなのですが、外されています。
レリーフが見事です。

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セセッションっぽい雰囲気がかすかにある建物。

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旧但馬銀行豊岡東支店。昭和初期の建物です。

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入口のあたりに石をたくさん使っています。
鉄筋コンクリートの建物の間にあると新鮮。

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そこからさらに3棟の3階建て建築が続きます。
昭和初期の建物らしいです。

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控えめながら近代建築らしい意匠が窓の周りにあります。
以前はビューティーサロンEIKOとなっていますが、今は空き家です。

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魚の骨を思わせる窓飾り。
窓より目立っています。
1階はブティックリモージュというお店です。

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右端はセセッション的なデザインです。
1階はブティックストーク。

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そこからさらに2軒。
左が十松屋仏具店、右がカワミ理容で、昭和初期の建物です。
軒蛇腹というべきか、持ち送りの浅いのというべきか。

と大開通りには、こんなふうにたくさんの近代建築(戦後建築も拾っているかもしれませんが)があります。これだけまとまってあるというのは本当に貴重ですね。

今回のデータについては、ほとんど『兵庫県近代化遺産総合調査報告書』を参照しました。見たままを書いているのは、私がそう感じただけですので、報告書とは関係がありません・・・

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2012年4月21日 (土)

豊岡市役所の建物たち

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豊岡には近代建築がたくさんあるのですが、とくに豊岡復興建築群といって北但大震災(大正14年)からの復興で建てられた鉄筋コンクリートの建築が有名だそうです。
その中からまずは豊岡市役所関係の建物を紹介します。

中心となるのは昭和2年に完成した豊岡市役所旧本庁舎(旧豊岡町役場)です。

(参考リンク)
 但馬情報特急「豊岡復興建築群」

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真正面から見た市役所旧本庁舎です。

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実は昭和2年にできたのは、この部分だけなんだそうです。
3階部分は昭和27年の増築。元のいかめしい感じから親しみやすい雰囲気に変わって、うまく増築したなあと思います。色も白ではなかったようです。

でもこの程度の増築では全然間に合わなくて、建て増したり、周囲の建物を市役所の庁舎にしていきます。


<ニュース動画にリンク>

この市役所旧本庁舎は、今年2月に25mの曳家工事をしたことでも有名になりました。
ついに新しい庁舎を建設することになり、その用地を空けるために取った解決策はこの建物を前に移動させること(!)。こんな重いものを引っ張ってしまうのはかなり異例です。


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地図でも確認しておくと、元々はブロックの真ん中に旧本庁舎がありました。
市役所南庁舎の北半分と西別館、東庁舎などを解体し、旧本庁舎を手前に引っ張って新庁舎を建てるという大工事です。

(参考リンク)
 豊岡市役所「新庁舎建設」

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裏から見るとこんな状態です。

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次に市役所南庁舎を見ます。
縦長の窓が並ぶのが印象的です。
この建物は旧豊岡郵便局庁舎。本庁舎と同じ昭和2年の建物です。
北側にあった建物もその時のものなのでしょうか。

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正面から見ると、四角い中に入口だけアーチが使われています。

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スロープの屋根にアールデコ調の持ち送りが使われていますが、これは元々使われていたデザインを踏襲しているのでしょうか。

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さらに市役所北庁舎。
これは昭和4年に建設された旧豊岡税務署庁舎だそうです。
こちらは大きな窓ですね。

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四角い庁舎の後ろに切妻屋根の建物があります。

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柵につかわれている石柱も少しデザインが入って良い感じです。


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ついでに市役所南庁舎別館も紹介しておきます。
これは昭和9年にできた旧兵庫県農工銀行豊岡支店です。
渡辺節設計だそうです。

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柱頭や壁面のポイントポイントに装飾を入れていますね。

市役所ブロックの北には和風の旧豊岡町消防署(昭和4年)もあるらしいのですが、今回は確認できていません。警察署もあって、既に解体されているそうです。

元の姿を復元してみると、復興計画として整った官庁街が作られたことが分かりますし、その後縦割りの対応にならずにみな豊岡市庁舎に変わっていったことも面白く思います。
さすがに分散しすぎなのは明らかで新庁舎を建てるのも分かりますが、それでも残すべきものは残すという気迫を感じます。

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2012年4月18日 (水)

豊岡の達徳会館

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先月、閉館になる豊岡劇場を見に豊岡に出かけたのですが、せっかくなので豊岡の街や建物も見て回りました。
数回に分けて紹介します。最初は豊岡高校の達徳会館です。
少々傷んではいますが、パステルカラーのきれいな明治の擬洋風建築です。

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四角い本体から、玄関上の2階がぬっと突き出したような形です。

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豊岡高校の校門を入ると校舎より手前にあるので、高校生はいつも眺めて通るのでしょう。
現在も何かに使われているらしく、女学生が出入りしていました。

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玄関上には達徳会館の文字。
達徳会館はのちの呼び名で、当初は旧制豊岡尋常中学校の本館でした。
1896年(明治29年)の建物で、兵庫県内では姫路(姫路西高校)に次ぎ、神戸(神戸高校)に並ぶ2番目の旧制中学校だったそうです。当時の豊岡の存在感を感じさせますね。
しかし、コンパクトなものです。

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2つの校章が掲げられていて、一つは豊岡中学校(旧制)のもの。
これ、「ト中」ですね。鍵のようにも見えるユニークなデザインです。

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もう一つは豊岡高等女学校。
いずれも現在の豊岡高校のルーツです。

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※クリックすると拡大します

解説板によると、戦時中(昭和16年)、豊岡中学を全面改築したときに消滅しそうになったこの建物を、卒業生達が買い取って現在地に移築したのだそうです。
大事にされている建物はうれしいですね。

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ギリシャ建築風のアカンサスの柱頭。でも木製。花まで咲いてます。

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側面にも出入り口が用意されています。

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側面の上げ下げ窓を見上げたところ。
ぺたっとした感じではありますが、窓枠など丁寧に細工されています。

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床下換気口はのちに付け加えられた感じで、コンクリート製で幾何学デザインの面格子(といって良いのでしょうか)がはまっています。珍しい。MYS(YMS)の商標が入っているのは、富山の余川工業?

今回は中に入れずに残念でしたが、卒業生たちの記憶を残す建物が、こうして今も大事に活用されているのはうれしいことです。


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2012年4月17日 (火)

淡路のレトロアパート(大阪市東淀川区)

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いい感じのレトロアパートを紹介するシリーズ。
今回は再開発の進む淡路です。
先日、淡路駅の西側で素敵なレトロアパートを見かけたのですが、その時は時間がなかったので改めて出直しました。

それがこちらの満寿荘です。
重なってゆく屋根に木製のサッシ。

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この窓の感じ。

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玄関周りがとても昭和レトロです。
豆タイル張りの丸柱がいい感じでしょう?

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その時に隣のアパートも気になりました。
こちら側は側面です。

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正面に回るとこちら。「月光苑」といいます。

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右の細い路地を抜けるとさっきの満寿荘に抜けます。

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ペンキがはげてきていますが、落ち着いた赤、緑の屋根、グレーの扉ときれいな色づかいです。

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月光苑の表示。

隣に淡路荘というアパートもあって、外観からは分かりにくいのですが、中はいいかもしれません。

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もう一つ、近くにこちらのこだま荘があります。

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壁がきれいに塗り直されていますし、サッシがアルミに交換されていますが、本体は古そうです。

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玄関ひさしの持ち送りにも古さを感じさせます。

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足元にコンクリート製ごみ箱があるのもポイント。

これだけの木造アパートが集まっているのは、さすがに淡路だと思います。
省略しましたが、文化住宅などもあります。


より大きな地図で レトロなアパート を表示

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余談ながら、帰りに淡路駅東のダイヤモンド珈琲へ。
焼きりんごがおいしいです。国光の出回る秋から春までのメニューらしいです。

<関連ブログ>
 十三のいま昔を歩こう・淡路を歩くシリーズ
 ・再開発で変わりゆく淡路を記録されています。

<関連記事>
 「大正区のレトロアパート」
 「大阪のレトロアパートいろいろ」
 「磯路の木造アパート」
 「長居のレトロアパート」
 「なんばの千南荘」
 「岸里トライアングル」
 「新・福寿荘を探検」


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2012年4月15日 (日)

講座「第四回内国勧業博覧会と京都」、京都会館にて

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先月のことになりますが、京都岡崎公園の疎水のほとりにある京都会館に歴史文化講座を聴きに行きました。
テーマは「第四回内国勧業博覧会と京都」です。

以前、岡崎公園の記事を書いた際に、京都会館の担当の方からご案内いただいたことがあり、出かけたものです。もちろん第四回内国勧業博覧会に興味があったからですが。

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会場の京都会館は、1960年に前川國男の設計で建てられたホールです。
第一ホールを建て替える計画で全館閉館に入る前のタイミングでしたので、建物も紹介しておきます。

 >京都会館再整備(京都市)

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ものすごく大きな建物なので、なかなか写真に収まりません。
かなり力強い建物です。

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ピロティの向こうに今回建て替えになる第一ホールが見えています。

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京都会館の表示。

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今回の会場は、向かって右手の「会議場」でした。
かなりゆったりと空間を取っています。

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いったん階段で上がってから、また階段を下りて会議場、という動線になっています。
入口を入ると、ぱっと会場全体が目に入ります。

今回の講座は、京都会館主催の歴史文化講座の第4回です。
「第四回内国勧業博覧会と京都」のテーマで、首都大学教授の國雄行准教授のご講演です。

國先生は、第1回内国勧業博覧会から順に博覧会の研究を進められているそうです。
以下、講演内容を簡単に説明します。

明治維新で東京遷都が行われ、意気消沈した京都では元気を取り戻すため、早くも明治4年に西本願寺で京都博覧会が開かれました。この後も度々博覧会が開催されることになります。

第1回の内国勧業博覧会は明治10年に東京上野公園で開催されました。
なぜ「内国」なのかというと当時、日本の地位は外国と不平等。「外国人を呼んで何かあったら困る」から。真面目な産業の展示会でしたが、周辺の店はもうかったそうです。

第2回の内国勧業博覧会に京都が手を挙げますが、誘致失敗。再び東京・上野で開催。
第3回の誘致にも失敗。今度も東京・上野で開催されました。

では第4回はというと、今度こそ京都かと思いきや、真っ先に堺商業会議所が手を挙げ、これに大阪も乗ったらしいです。東京も立候補して京都は出遅れてしまいました。面白いのは、堺の案には大阪のほか熊本・広島も乗り、京都開催案には大津が乗り、神戸は神戸開催を主張し、仙台は東京以外でやろうと言ったらしいのですね。結局、第4回は京都、第5回は大阪、第6回は東京という形で回り持ち開催にしましょうということになりました。

しかし、京都市会と京都商業会議所は誘致に熱心だったのですが、京都市民は冷めていたらしいです。(なんとなく大阪のオリンピック誘致を思い出します)

第4回内国勧業博覧会の準備として、荒廃した寺社の整備(平安神宮の建設も)や悪質な旅館・人力車の取締強化、道路・橋梁などの整備、そして平安遷都千百年記念で二府八県聯合事業という広域の協賛事業が行われました。近畿だけでなく、岡山・広島・琴平・岐阜・名古屋でも開催されています。このときに神戸で遊園地整備、岡山や岐阜で公園整備・改修が行われたとのことです。

明治28年、悲願の内国勧業博覧会が京都で開催されました。
会場はここ岡崎公園です。
京都なので出展は工芸が多く、時代の特徴として電気関係の展示が増えたようです。黒田清輝の裸体画「朝妝」が物議を醸しました。
ただタイミングの悪いことに、開幕当初は日清戦争による自粛ムード、講和後も帰還兵からのコレラの蔓延などで盛り上がらず、既に博覧会が飽きられていたこともあり、来場者数100万人余りで前回より微増ながら、不振に終わってしまったそうです。

この不振を目の当たりにした大阪は、明治33年のパリ万博を視察、遊園地のような見世物を呼び込むことで、第5回内国勧業博覧会(明治36年)で来場者数500万人超の集客に成功したそうです。

・・・概略、講演内容は以上です。
順番に研究を進められているということでしたら、次は第5回内国勧業博覧会のご講演も聴いてみたいなと思いました。

 なお、京都岡崎魅力づくり推進協議会からの告知として『地図で読む 京都・岡崎年代史』(仮)がこの春刊行予定だそうです。

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もう少し、京都会館を紹介しておきます。
2階の渡り廊下です。

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ここからは京都会館の第一ホールと京都市美術館別館(右)が並び立っているのが見えます。
京都市美術館別館は、もと昭和5年に建てられた京都市公会堂東館です。

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第一ホールの全景です。

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第二ホールです。

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ところで、今回、向かいの京都府立図書館の前にある記念碑が気になりました。
今までなぜか見過ごしていたのですが。

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外国人のレリーフがはまっています。

読んでみるとだいたい次のように書かれています。
(読みやすくしています)

「ドクトル・ゴッドフリード・ワグネル君はドイツ国ハノーヴェル州の人なり。維新の初、我邦に来り、科学を啓導し工芸を掖進すること二十余年。殊に本市においてもっとも恩徳あり。明治11年、君本府の聘に応じ来て理化学を医学校に、化学工芸を舎密(化学)局に教授し、かたわら陶磁・七宝の著彩、ホーロー、ガラス、石鹸、薬物、飲料の製造、色染の改善に及び、講演・実習並び施し、人才の造成、産業の指導功効彰著、官民永く頼る。大正十三年、本市「東宮殿下御成婚奉祝万国博覧会参加五十年記念博覧会」を岡崎公園に開く。初め本邦斯会に参加するや君顧問の任を帯びて本市に来り、頗る斡旋する所あり。是に至って市民益々君の功徳を思い、遂に遺容を鋳て貞石に嵌し、之を会場の一隅に建つ。庶幾はくは後昆瞻仰(子孫まで敬い慕う)して長に旧徳を記念せんことを京都市長従三位勲二等馬淵鋭太郎誌す」

大正13年の博覧会は、昭和天皇(当時皇太子)の御成婚と日本が初めてウィーン万国博覧会に出品して50年を記念する博覧会で、その万博の際にもお世話になったワグネル博士を顕彰する碑を会場の片隅に建てたということのようです。

これも博覧会の記念物なのですね。

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裏面。右下に「請負人 石工 吉村小右衛門 京都千丸角」と刻まれています。

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囲いの石も未来派のデザイン?

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帰りに疎水の西側にこんな洋風建築があるのを見かけました。
何度も近くを通っているはずなのに初めて気付きました。

<関連記事>
 「博覧会跡の岡崎公園」
 「中から京都市美術館」

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2012年4月14日 (土)

座談会「東日本の町と建物たち−地震前と後−」を聴きに行きました

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4月7日(土)、大阪港のカフェ「ハaハaハa」奥展示室で開催されていた「まちかどの近代建築写真展」の最終日、撤収のお手伝いとともに、座談会「東日本の町と建物たち−地震前と後−」を聴きに行きました。

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今回はいつも東京から来ていただく岡崎さん、前村さんに加えて、実際に福島県の文化財の被害状況の調査にあたられた田代さん、関東で調査されたTさんにお越しいただいて調査経過をお話いただく機会に恵まれました。

まず最初にどういう趣旨で調査が行われたのかということと、県ごと、建物の種別(木造、土蔵造、石造、鉄筋コンクリート造)ごとの被害状況と修理についてご報告いただきました。
文化財ドクター派遣事業という形で派遣されたそうです。

岩手・宮城での甚大な被害は言うまでもないのですが、秋田では雪の重みと地震とが重なって被害が出てしまった話も出ていました。振動周期の影響も考えられるものの、木造に比べて土蔵・石造などの被害が大きかったようです。

印象的だったのは、歴史の長い木造軸組工法の建物に比べて、土蔵造は「たかだか300〜400年の新しい技術」という人もいるので・・・という話。時間感覚の長さを感じました。大地震の起こる頻度に比べて、火災は頻繁に起こっていましたし、台風もあるので、どこかで割り切らないといけないのかもしれません。地震の際に瓦がずり落ちる構造は建物の倒壊をしにくくする効果があるが、軒下にいる人に被害ができるかもしれない、など。

木造にしても土蔵にしても作った人は修復もできる、土壁は素人でも教えてもらえば直せるが、鉄筋コンクリート造の建物は作った人が直せるとは限らないという話もありました。
判断できる知識のある人に見てもらえるかどうかが、建物の運命を左右してしまうようです。

この日に発表いただいた主な内容については、
「日本建築学会 建築歴史・意匠委員会 災害特別調査研究WG」のページで見ることができます。

後半は前村さんが地震の前と後に歩いた気仙沼、宮古、釜石などの町の比較をスライドショーで見せて下さいました。
近代建築でも昭和三陸地震(昭和8年)の後、高い土地に建てられた建物やその時に被害のなかった建物は今回も助かっていたりするようです。
ただ、たまたま津波の方向にあった建物でブロックされたり、流れに逆らわなかったりして生き残る建物もあり、ここの事情もあるものだなと分かりました。

 前村さんの写真については、こちらに掲載されています。
 →前村記念博物館ブログ「近代建築・東北地方カテゴリ」

 とても貴重なご報告をいただき、感謝です。

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<まちかどの近代建築写真展 駅舎特集 の様子>

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2012年4月12日 (木)

大阪中央郵便局の見学会に参加(大阪市北区)

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4月8日の日曜日、旧大阪中央郵便局の見学会に参加しました。JR大阪駅の真ん前にあるこのビルです。大阪の人には説明無用ですね。

モダンデザインなので見た目には分かりにくいのですが、逓信省(のちの郵政省)の吉田鉄郎の設計で昭和14年に竣工した近代建築です。
私も郵便局は何度となく利用しました。

再開発されることになり、高層複合ビルに建て替えてオリエンタルランドの劇場が入る計画が2010年に頓挫し、工事の囲いがされたまま、しばらく音沙汰がなかったのですが、昨年末に「玄関部分を残した解体と3年間の広場としての暫定利用」が発表されました。
 
 朝日新聞「旧大阪中央郵便局、玄関残し取り壊しへ」 (2012.1.3)

 これに対応して、「大阪中央郵便局を守る会」の活動が組織され(以前から保存運動はあったのですが)、解体中止と庁舎の活用を求める運動が行われている状況です。

 解体業者が決まり、当初3月に解体開始という話でしたが、今のところ解体は始まっていません。

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<庁舎の東側。非常に窓が広く取られています>

 4/6(金)に突如、日本郵政主催による内部見学会の案内が流れ、90人の枠がその日のうちに埋まるという勢いで見学会が行われました。関心の高さが分かります。
 3回に分けて開催された見学会のうち、16:30開始の3回目に私は参加したのですが、知っている人がいっぱいでした。

 内部写真の撮影はOKだったのですが、ブログ等での公開は禁止ですので、写真はお見せできません。すみません。外の写真だけ載せておきます。

 集合場所は、南側の職員入口。
 中庭に面する天井の高いエレベーターホールです。壁には郵便局の赤い文字盤の時計。
 ここでヘルメットを渡されます。簡単な案内資料と絵葉書もいただきました。

 そこから、吹き抜けのある階段を6階まで上がります。
 ここも中庭に面して広い窓があるので明るい階段です。
 階高が高いので普通の6階よりかなり高さがありますが、写真を撮りながら、眺めながらなので苦にはなりません。さすがに6階から吹き抜けを見下ろすと足がすくみます。

 6階にも屋内部がありますが、周囲が屋上になっています。
 ここも広いガラスの窓で、互いに見通せます。
 屋上はグレーの滑り止めタイルが敷かれていて、郵便局時代には昼休みに休憩に使われていたのかなという感じのスペースでした。大阪駅や周辺のビルを見渡すことができて絶景。ほとんど手を入れなくても使えそうな感じです。
 「ここをビアガーデンにしたら最高」と参加者の意見が一致していました。
 
 外壁に張られている明るいグレーのタイルを間近に見ると、角の丸いタイルが使われていて、昔の建物の細やかさには感心します。
 
 最上階に「室械機機降昇」?、「室段階」の文字も。

 今度は大阪駅を見下ろせる階段を降りていきます。
 溢れるほどの夕陽が差し込んでいます。

 3階の現業室に入ります。
 ここは積み木のようなタイルが敷き詰められた大空間で、八角形の柱が間隔を置いて並んでいます。
 四角い柱では感じない、ちょっと特別な空間。かつては大量の郵便物とたくさんの人が忙しく動き回っていたはずですが。広く取られた窓を通して、駅前のビルや大阪駅が広がっています。

 木の床の感触も良いです。
 皆、夢中でこの空間を味わい、写真を撮り、案内される郵政の方も誇らしげに見どころを教えてくださいます。

 西側に回ります。こちらにも大きな部屋があり、やはり八角形の柱が並ぶのですが、西日が静かな木の床に奥深く差し込み、なんともいえない、いい感じです。この時間で良かったと思います。

 また階段を下りて、1階の現業室と裏の発着場。
 ここは営業時に料金別納郵便を出しに来たことがあります。
 裏の土地が傾いているのは、地下水のくみ上げで1mほど地盤沈下したためという説明。
 発着場のプラットホームの下には四角いガラスブロックが並んでいます。残念ながらその先の地下室は今回の見学コースには入っていません。

 最後に公衆室(窓口ロビー)へ。
 ここがもちろん一番馴染みのある場所です。
 こうして見学にやってくるのは不思議な感覚です。
 ハンドルを回すと12枚の窓が一斉に傾いて開いたり、閉じたりする様子も見せていただきました。

 これで1時間の見学時間は夢のように終了です。
 私の知っていた大阪中央郵便局はほんの一部でした。

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 大阪中央郵便局の内部は、その見上げる空も含めて、今から経済性などを考えたら実現しないような空間で、計画が決まっているならともかく、とりあえず広場にするなら、同じ暫定でもこのまま使ってもらった方が魅力的なのになと思います。

 たんなる保存運動ではない、活用の知恵がたくさん出てくることも、大阪中央郵便局に留まらず、大阪にとって貴重な経験になるはずです。

 まずは他の人にも空間を体験してほしい。
 わずか1日で90人が集まったのですから、もっともっと見たい人はいるはず。
 今回の見学機会があったのはうれしかったのですが、今回見られなかった方にも見学の機会があるよう、再びの開催をお願いしたいと思います。

<関連サイト、記事>
 大阪中央郵便局を守る会
  ※過去のシンポジウムなどもアーカイブされています
 ゴリモンな日々「大阪中央郵便局の建物内部見学会」
  ※同じ回での見学でした

(追記)
 大阪中央郵便局は、一部を残して解体されました。
 また研究者の皆さんが重文指定を求めていた訴えも却下されました。
 (2012.12.30記)

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2012年4月 9日 (月)

深江文化村とその周辺(神戸市)

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芦屋市の平田町から少し足を伸ばして神戸市東灘区の深江へ(といっても隣町ですが)。ついでに深江文化村も見に行きました。
トンガリ屋根のいかにもな洋館が建っています。
大正14年にロシア人建築家ラジンスキーの設計で建てられた古澤家住宅です。

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生け垣に囲まれていて、道の真ん中に松が残っていたりして、部分的に昔の面影を残しています。

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※クリックすると拡大します。

隣の公園に深江文化村の解説板が設置してありました。
ここに書かれている通りで、また他にもあちこちに書かれていますので、私は簡単な紹介に留めます。
中央の芝生を13軒の西洋館が囲む住宅地で、大正13年から14年にかけて、地主の坂口磊石と(ヴォーリズの弟子であった)吉村清太郎によって具体化されたそうです。ロシア革命を逃れたロシア人音楽家らが移り住んだので、深江(芦屋)文化村と呼ばれました。(『兵庫県近代化遺産総合調査報告書』、p162-163)

昭和の終わりまではほとんど維持されていたらしいのですが、その後の阪神淡路大震災などを経て、現在は2軒が残るだけです。


深江の地名は、深い入り江から来ているらしく、入り江の奥まったところにこの深江文化村はあります。

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古澤家住宅は角地にありますので、周囲から眺めることができます。
屋根はかなり急勾配かつ複雑です。

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屋根には天然スレートが葺かれています。

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中庭だったところは駐車場や家が建て込んで昔の様子をイメージするのは困難です。
駐車場の向こうにもう一つの現存家屋の冨永家住宅が見えます。

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拡大。こちらは裏側にあたりますが、こちらからの方がきれいに見えます。
施主は鈴木商店のシアトル、ポートランド支店に勤めていた社員だそうです。大正末年の竣工で、アメリカ人建築家ペイリーの設計により建築資材をポートランドで揃え、大工の吉田勝二郎という方が建てたというので、アメリカ直輸入のツーバイフォー建築です。

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冨永家住宅を表から。
こちらにも松がありますね。

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深江文化村は以上ですが、周辺にも興味深い建物があります。
こちらはすぐ北隣にある住宅。広々した敷地に長い塀が続いています。門柱が煉瓦積みですが、塀の白く塗られたブロックもよく見ると煉瓦です。

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北の方に歩いていくと森に囲まれたお屋敷があります。
門も古いとは言い切れないのですが、一風変わった洋風です。

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裏側の塀が低くて駐車場になっているので、よく様子をうかがえます。
旧岡田茂義邸といって、昭和13年に建てられました。
学校だった時期もありますが、今はミモザという会社の所有です。どのように使われているのかは分かりません。

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窓にステンドグラスも見えます。

今回は訪ねていないのですが、神戸深江生活文化史料館という施設もあるようです。
独自の文化を持っていた地域のようですね。

<関連ブログ>
 ひろの東本西走!?「深江文化村」
 ※既に解体された住宅も紹介されています。
 

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2012年4月 8日 (日)

芦屋川の西側

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芦屋市の芦屋公園や松浜町などを歩いた後、芦屋川を渡って西岸も歩いてみました。
芦屋川の東岸は芦屋公園の松林ですが、西岸はお屋敷と屋敷森が連なっています。
この写真は、ぬえ塚橋から上流を見たところです。

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例えばこんなお屋敷があります。
塀の石積も古そうです。

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ぬえ塚橋を渡ったところには一際大きな洋館が立っています。

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正門に回ってみました。
あまり様子がうかがえません。
サンアール不動産(株)芦屋寮となっています。
寮としてはすごく立派。

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さらに回り込むと正面側の2階部分が見えます。

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出窓にはステンドグラスもはまっています。
古い状態をよく残しているように見えます。

『兵庫県近代化遺産総合調査報告書』によれば、この建物は旧田中家住宅と紹介されていて、大正12年に松井貫太郎(横河工務店)の設計で建てられた建物です。鉄筋コンクリート造で、延床面積は41,800平米もあるらしい。松井貫太郎は、既にない東京の三信ビルを設計した人らしいです。

どう活用されているのか気になります。

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勝手口も小振りながら面白いです。

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道を歩いていると、道の中に松の木が立っていたりして、松林を切り拓いた住宅地なのでしょうか。

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他にも立派なお屋敷が立ち並んでいます。

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こんなユニークな門灯も。

このあたりは堤防の高さなので周囲よりも高く、芦屋川を眺められて、良好な住宅地といえます。

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2012年4月 6日 (金)

松浜町あたりの住宅(芦屋市)

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芦屋公園を見た後は、東側の松浜町あたりを探訪しました。
芦屋というと山手のイメージが強いのですが、浜手にも昔ながらの住宅地があります。
しかしながら、きれいに改修されている住宅も多く、古い住宅なのかどうか迷うものもたくさんありました。
例えばこんな感じです。門柱などは明らかに古いタイプです。

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海側から山側を眺めたところ。

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もちろん近代和風の住宅もあります。
あまり比率は多くない気もしますが。

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この建物なども面白い屋根の形です。

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こちらのお屋敷は凝った洋風住宅です。
門柱にも屋根がかかっていますよね。

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ステンドグラスがたくさんはまっていて、ガラスで保護されています。

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車輪のようなステンドグラスの丸窓。

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明らかに近代建築なのはこちらです。
今回松浜町で訪ねた中で一番印象深かった建物です。
玄関扉なども良いのですが、そこまで紹介するのは遠慮しておきます。

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松浜町の東の端には大振りな木が並んでいて、意味ありげです。

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その先には松並木も。
並木の向こうは社員寮などが並んでいます。

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モザイク状に積まれた石垣。
立派なお屋敷が建っていたことが想像できます。

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モダンデザインの門扉。
家とよくマッチしていると思いませんか?

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この住宅も木製の鎧戸などが付いているところを見ると、古いモダニズムの建築なのかもしれません。

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こちらも新しいとも古いとも言い難い住宅。

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クラシック風に建てているだけでしょうか。
窓がみな上げ下げ窓です。

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こういう住宅も気になります。

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この住宅も古そう。
こんな感じで、小屋裏の換気口などを見ると古そうなのですが、全般にきれいなのですよね。

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さらに東の方に歩いて行くと、古い集落に出ました。
蔵などが建ち並んでいます。伊勢町のあたりです。

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浜芦屋町のあたり。
小川が流れていたのかも。

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浜芦屋町・松浜町地区は緑の保全地区に指定されています。
大きなお屋敷も多く、かすかに海辺の明るさを感じさせる静かな街でした。


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2012年4月 4日 (水)

芦屋遊園から芦屋公園へ

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さて、今回の目的地、芦屋公園を紹介します。
芦屋川下流の左岸にある松林の公園です。
道路にも覆いかぶさる勢い。

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遊歩道部分と松林の部分が縁石できっちり分けられています。
ちょっと面白い感じです。

ちなみに松林は昭和10年に、海岸から業平橋まで約2kmに約350本が植林されたそうです。
桜は昭和22年3月から1年がかりで植栽されたとあります。

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北から歩いて行くと最初の碑がありました。

「猿丸君彰功碑」と書かれています。
 漢文調で書かれているので、できるだけ読みやすく書き直してみます。

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猿丸又左衛門安明君は累世芦屋の名門にして明治五年四月五日、家の嫡子に生る。性聡明闊達にして事を処する敏捷なり。かつて精道村長二回、芦屋郵便局長、県会議員等に選ばれて令名あり。つとに世の推移に着目し、官線芦屋駅の創設、芦屋川の改修及び耕地整理の如き公共事業を企て、率先努力して遂に素志を貫徹せり。しかも此れみな本村発展の基となり、近時諸般の膨脹驚くべきものあるに至る。しかるに大正九年四月病て歿す。年四十九衆。皆その功績を称え、天寿の足らざるを惜しむ。是を以て闔邑裏(?)に報るに村葬の礼を以てす。今またあたかも十周年に当たり村会の議決に依り、偉績の梗概を勒してここに称頌すと爾云う。
昭和五年四月

正三位勲一等 犬養毅先生題額
元武庫郡長正五位勲四等 安達儀一郎撰書
**************************************************

猿丸又左衛門安明さんという功労者を称える碑です。
芦屋の開発に尽力された方のようですね。
ここで昔の芦屋の地図を見てみます。

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<明治18年測図 2万分の1 芦屋>

緑で囲ったあたりがだいたい現在の芦屋公園に相当します。
この時の芦屋川は水が見えず、涸れ川のようですね。西国街道が北側を通っていますが、周囲に人家はあまりありません。
芦屋公園はもとは明治40年に当時の精道村(のち芦屋市)が芦屋遊園として開発したのですが、開通したばかりの阪神電気鉄道が手厚い補助をしたそうです。

(参考)白水社:連載・エッセイ 今尾恵介さんの
    「日本を定点観測する」
     第17回 浜沿いの農村から住宅地へ−芦屋市
     (2012.1.13)

 *非常に面白いのでリンク先を読んでみてください。

Ashiyapark_s20s
<昭和20年代後半? 2万分の1 神戸市/阪神間地図>

戦後になるとこのような状況です。
緑で公園部分を着色しました。
芦屋川の東岸が住宅地として開発が進んでいるのが分かります。

そして現在。
埋め立てられて、海はすっかり遠くなりました。

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さて、先を進みます。
芦屋公園の石碑が立っています。

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公園には碑がたくさんあります。
これは阪神淡路大震災の震災記念碑。

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日中友好平和之塔。
1973年に建てられています。

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ぬえ塚。ぬえというのは頭がサル、身体がタヌキ、手足はトラ、尾はヘビという怪鳥です。
源頼政の鵺(ぬえ)退治で死骸を丸木船に乗せて桂川に流したところ、芦屋の浜辺に漂着したため、りっぱな墓をつくったという伝説によるものだそうです。

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その先には芦屋公園テニスコートがあります。
芦屋にはテニスコートが似合いますね。何面も連なっています。

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今度は芦屋遊園の碑がありました。
公園として面白いのはここからの公園南部です。

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公園の隅に日本庭園風の区画があります。
恐らく奥が滝で、そこから水が流れ出しているイメージでしょう。
左の石の円柱は水飲み場でしょうか?左にパイプがあり、また円柱から「川」に向かってパイプが伸ばされています。排水用かと思われます。

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「川」をたどると擬木の橋があります。

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さらに石橋が2つ続きます。

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その先に2つの小山があって、橋が架かっているという趣向です。
ロッククライミング遊びなどもできるようになっています。

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公園の最南部は少し高台になっていて、東屋があります。

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今回の目的地の中でも一番見たかったのがこれです。
「旧芦屋遊園乗合バス待合所」というもので、兵庫県の近代化遺産報告書に紹介されていました。

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すっきりしつつ、メリハリのある色使いです。
芦屋の浜に海水浴に来た人たちがバスを待っている姿を想像すると良い感じです。

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待合所の周辺は遊歩道の跡のようなものが残っています。

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ちょっとした石橋も架けられていて、庭園風になっています。

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その先には防波堤がまだ残っています。
現在は埋め立てられて、その先にも家が並んでいますが、この先の砂浜を想像することができます。

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さて、芦屋公園の北から南まで歩いてきたわけですが、芦屋公園に関してもう一つ興味深いできごとがあります。

それは1955年の7月25日から8月6日まで開催された「真夏の太陽にいどむモダンアート野外実験展」です。
私は全く詳しくないのですが、1954年に発足した前衛美術の具体美術協会が初めて開いた屋外展だそうです。
ここで昨年亡くなった元永定正さんが、ビニールに着色した水を入れて松の枝に吊したりしたというのを想像しながら松を眺めるのもまた面白いですね。
日本の美術史にも意味のある場所ということで、せっかくならそういう解説板もあったらいいのにと思います。

(参考)「生誕100年記念 吉原治良展」解説(愛知芸術文化センター)

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2012年4月 2日 (月)

芦屋川と芦屋警察署

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先日、芦屋公園を見に行きました。
ついでに芦屋警察署なども見ましたので簡単に紹介しておきます。

最寄駅は阪神芦屋駅です。芦屋川をまたぐようにホームがあり、橋と駅が一体化しています。
現在の駅は阪神大水害(昭和13年)後の昭和15年に建設されました。壁のくぼみや橋脚の出っ張りに時代を感じさせます。

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北側の橋から山の方を見ると、松林が伸びています。

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これが芦屋警察署です。
昭和2年に建設された旧庁舎を一部残して増築されています。
正面玄関部分に集中する装飾と空に伸びる柱が印象的です。
設計は兵庫県営繕課(置塩章)で、この前に見た旧加古川町公会堂などと同じです。

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玄関部分だけ石造の建物をくっつけた感じです。

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玄関アーチの上にはミミズクの彫像がはまっています。
(フクロウかと思ったのですが、耳のような羽毛がピンと立っているのはミミズクらしいです)
愛らしい姿ですが、夜警の象徴だとか。

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玄関は狭くて圧迫感があります。
ぬめっとしたタイルと黒い大理石が美しいですね。

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警察署らしからぬ(?)きらびやかな玄関扉。
ステンドグラスもはまっています。

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玄関脇の窓を見ると地面すれすれで半地下になっているようです。

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つぼみを連ねたような面格子も面白い。

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ところでこの芦屋警察署は堤防の高さにあり、交差点から先は急に下っています。
いわば50m幅の堤防上に警察署があるようなものです。
警察署ができたのは昭和2年。阪神大水害は昭和13年。被害はなかったのでしょうか。
調べてみると、阪神大水害の時には阪急の鉄橋に流木や土石がせき止められて両側に氾濫したので、真正面の阪神芦屋あたりは被害が軽かったようです。

 →六甲砂防事務所「阪神大水害・芦屋川の被害状況」

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この堤防上には芦屋の官公庁が集まっていて、警察署の下流にはこの芦屋市役所があります。
上流には芦屋税務署があります。

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護岸には古そうな階段なども残っています。

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河川敷は遊歩道やランニングコースになっています。松林は海の方まで続いていて、左側の松林が芦屋公園で、こちらを次回に紹介します。

※芦屋川周辺の景観は、2012年4月1日に市の文化財として指定されました。「芦屋川特別景観地区」として、特に厳しく景観が保護されます。

 →神戸新聞「芦屋の景観初の文化財指定へ 芦屋川流域」
  (2012.3.26)


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