« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月

2012年3月31日 (土)

阪神国道駅からの小道(西宮市)

120225hanshinkokudo1
先日、西宮北口に出る用事があったのですが、ふと思い立って阪急今津線の阪神国道駅で降りてみました。
駅の改札を抜けると阪神国道(国道2号線)をまたぐ鉄橋の下に出ます。

120225hanshinkokudo12
すぐ脇には今津橋という小さな橋がありました。「大正15年4月架」と書かれています。デザインはシンプルですがきれいです。
阪神国道は昭和2年に開通した大事業で、中央を路面電車の阪神国道線が走りました。
大正末の工事で多くの橋梁が一気に架けられ、十間(約18m)以上の橋だけでも51あったといいます。
まだたくさんの橋が残っていますので、いつか見て回りたいと思っています。

(参考)
 「大阪と神戸をつなぐ日本一の大道路」(大阪朝日新聞、大正15年3月3日)
 「九分九厘まで竣工した新阪神国道」(大阪毎日新聞、大正15年6月19日)

120225hanshinkokudo3
北に向かう小道があったので、たどってみました。
阪神今津線の高架を斜めにくぐっています。

120225hanshinkokudo4
その向こうにもほんの小さな橋。
橋の名前までは分かりませんが、昭和5年と書かれています。

120225hanshinkokudo5
小道の脇には水路があって、倉庫として使われている部分もありました。
ちなみにこの工場、木の窓枠の古い工場ですが、日本クーラー大塚工場さんと言ってアルミを引っ張る加工などされています。高校野球で使う金属バットの半分ぐらいがここの製品だそうです。

120225hanshinkokudo6
道の脇になぜか小さな円筒形の炉がありました。
隣の工場はガラス瓶の再生をされているらしいので、工場で使っていたのを焼却炉に転用したとかでしょうか。

120225hanshinkokudo7
円筒形に組み上がる形で焼き上げられた耐火煉瓦を鉄板で巻いています。

120225hanshinkokudo8
刻印はOYT。大阪窯業耐火煉瓦とか?
SK33なので通常の耐火煉瓦です。

120225hanshinkokudo9
JR神戸線をくぐります。
線路脇に作業用の小さな橋が架かっていて、下をのぞき込むとレールを曲げたような鉄骨で支えられていました。

120225hanshinkokudo10
さらに小道をたどっていくと、敷地の向こうに黒いものが。

120225hanshinkokudo11
貨車です。調べてみるとヨ8000形という貨物の車掌さんが乗るための貨車で、1970年代後半に作られたものだそうです。マニアックですね。

とくにあてがあって歩いた訳ではないのですが、面白い道はあちこちにあるものですね。


<関連ブログ>
 まちかど逍遙「阪急阪神国道駅のガード」
 ※偶然ですが、まちかど逍遙のぷにょさんも阪神国道駅を紹介されていました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年3月29日 (木)

近代化遺産の柴島浄水場(2)柵の外から

120325kunijimajosuijo1
大阪市の柴島浄水場に水道記念館(旧送水ポンプ場)を見に行ったついでに、柵の外から分かる範囲で浄水場に残る古い建築物などを見て歩きました。とくに展示で紹介されていた取水塔をぜひ見てみたいと思いました。

水道記念館から敷地の外周を東に進むと、見にくいのですが、近代建築らしきものが見えます。
後で調べると、昭和5年に建設された第1濾過池(資料館)本館、あるいは水質検査所という建物だということが分かりました。
建物も魅力的ですが、前庭にも水道関連の資料が屋外展示されているようです。
見学コースに入っているのでしょうか?

120325kunijimajosuijo2
入口のアーチなど、重厚かつ繊細です。

120325kunijimajosuijo3
その奥には池があって、木造の小屋なども見えます。

120325kunijimajosuijo4
南東の敷地外に鳥居が見えましたので寄ってみました。

120325kunijimajosuijo5
「現龍大神」とあって、龍神ですから水の神様ですね。
柴島浄水場一同による寄進が昭和44年に行われています。
「現龍」という名前が何を意味するのかは分かりませんが、まさにこの水という感じがします。

120325kunijimajosuijo6
東の敷地沿いには石積の壁が続いています。

120325kunijimajosuijo7
柴島の旧集落を見ながらかなり歩いて、浄水場の北東部に出ました。この辺りもよく昔の建物が残っています。
こちらは第1取水ポンプ場。改修されてきれいになっていますが、大正3年の建物です。
(これ以降、写真は実際に歩いた順番と異なります)

120325kunijimajosuijo8
屋外にもポンプのようなものが。

120325kunijimajosuijo9
別の角度から見ると、玄関部に「取水喞筒(ポンプ)場」という扁額が埋め込まれています。

120325kunijimajosuijo12
門からのぞき込むと、奥に三角屋根の建物が。古い建物を改修したものとも見れますが、実際に古い建物かは確認できていません。

120325kunijimajosuijo10
このあたりの建物は淀川の堤防上からよく見えます。
敷地沿いの道だと、延々と塀を見ながら歩くことになります。
作業用の通路が道をまたいでいて、こういうのがすごくうらやましく思います。

120325kunijimajosuijo11
こちらは水管橋。このあとさらに淀川を越えます。

120325kunijimajosuijo13
淀川の堤防上からはこんな建物も(見づらいですが)見えます。
第2取水ポンプ場と思われます。昭和2年の建物です。

120325kunijimajosuijo14
同じ建物を側面から。
葉が茂りだしたらほとんど見えなくなりますね。

120325kunijimajosuijo15
手前に見えている赤煉瓦(なんです)の2本の溝は、沈砂池と思われます。

120325kunijimajosuijo16
堤防上を歩いて行くと赤煉瓦の3本の筒が現れます。
これが取水塔です。その向こうには淀川水管橋。

120325kunijimajosuijo17
余談ですが、水管橋の向こうには橋脚が。

120325kunijimajosuijo18
取水塔は手前が昭和5年で、奥の2つが大正3年から使われているもので、今も現役!です。
ちょっとありがたく思いません?(私ぐらいか)

120325kunijimajosuijo19
これが大正3年の取水塔です。
3つの取水塔はメンテナンス用の通路で結ばれています。

120325kunijimajosuijo20
ここから眺めると赤煉瓦の取水塔の向こうに大阪のビル群や淀川大堰(昭和58年完成)が見え、左には淀川水管橋と実にダイナミック。
また季節や天気の違う日にも訪ねてみたい場所です。

120325kunijima_t12
<大正12年 1万分の1「大阪」>
※クリックすると拡大します。

開設後10年経たない頃の柴島浄水場。
今よりも大きな規模です。
川上で取水して、川下から送り出しています。
左下に2本伸びる点線は水道管のようです。


より大きな地図で 柴島浄水場 を表示

主なポイントをプロットしてみました。
参考までルートも載せています。
とくに淀川堤防に渡れる場所は限られていますので、取水塔を見に行かれるときは事前にルートを確認されることをお勧めします。
柴島浄水場は再開発の計画があり、今回回れなかった部分も何があるのか確認しておきたいと思います。

<関連記事>
 「近代化遺産の柴島浄水場(1)水道記念館が一時休館」

<関連ブログ>
 十三のいま昔を歩こう「ムーミンの家?」ほか
 ひろの東本西走!?「柴島浄水場の建物?」
 まちかど逍遙「柴島浄水場の小屋」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月26日 (月)

近代化遺産の柴島浄水場(1)水道記念館が一時休館

120325suidokinenkan1
大正3年から大阪市民に水を送り続け、今なお現役の柴島浄水場に出かけてきました。2回に分けて紹介します。
今回は水道記念館(旧送水喞筒(ポンプ)場)についてです。

120325suidokinenkan7
柴島浄水場自体、閉鎖して再開発される方針が出ていますが、水道記念館は4月から一時休館に入ると知り、慌てて出かけてきた次第です。期間も「当分の間」という表現で、いつまでだかよく分かりません。
いつでも行けると思っていてはいけませんね。

(追記)大阪市水道局と大阪広域水道企業団との統合協議で、柴島浄水場の東半分の廃止に着手することで合意との報道がありました。逆に言うと西半分(水道記念館などがあるエリア)は残すみたいです。今後どうなるか分かりませんが。→読売新聞の記事(2012.8.27記)

120325suidokinenkan2
さて、正門を入ると帽子をかぶったようなかわいらしい建物があります。
ここにあると守衛所みたいですが、違って、緩速濾過池の「節制井」上屋という、濾過速度を調整する装置が入っていた建物(明治41年建設)を移築したものだそうです。

120325suidokinenkan3
裏側に入口があります。
あまり装飾的ではありません。
これが1つだけあったわけではなくて、池ごとに設置されていたようです。

120325suidokinenkan8
記念館前にちょっと気になる亀池が。
龍山石のような素材でできた水のオブジェです。

120325suidokinenkan5
送水喞筒場の建物は、大正2年に竣工しました。
設計者は宗兵蔵です。大阪城公園にある水道施設も彼の設計です。

120325suidokinenkan4
「送水喞筒場」と難しい字で書かれています。
細かいところに装飾が入っていますね。

120325suidokinenkan6
照明器具の取り付け金具も妙に凝っていたり。

この日は家族連れで賑わっていました。
展示の大部分は、川の動植物と上水道の仕組みですが、私は自分の好みの部分だけ取り上げます。

120325suidokinenkan12
大阪の水道の始まりとして、名所図絵で高麗橋に水屋が描かれている場面が再現されています。

120325suidokinenkan13
水屋さんのマネキンも。

120325suidokinenkan15
大阪の近代的な上水道の始まりは、桜宮水源地です。
明治28年のことです。その模型が展示されています。

120325suidokinenkan14
奥にあるのは「横軸両吸込ディフューザポンプ」、水を送り出すためのポンプだそうです。大正10年から56年使われたものでスイス・ズルツァ社考案。
手前のハンドルが付いたものは「制水弁開閉台」。市内へ水を送る管に取り付けられた制水弁を開け閉めするための装置だそうです。

120325suidokinenkan9
水道記念館内部は、展示用に大改修してあってほとんど昔の様子を窺えないのですが、1ヶ所だけ、元の壁を残している部分があります。

120325suidokinenkan10
煉瓦とタイルの壁です。

120325suidokinenkan11
使われている煉瓦は大阪窯業のものだそうです。

120325suidokinenkan16
※クリックすると拡大します。

改修工事の解説を読むとかなり大がかりな改修工事をやったことが分かります。
この施設が今後どうなるのか分かりませんが、せっかくこれだけ手をかけたのだから、残しておいてほしいですね。

120325suidokinenkan17
広々とした芝生の広場。
見学を申し込めば、平日に浄水場内の見学ができるそうです。
見学自体は4月以降どうなるのかな・・・

<関連記事>
 「近代化遺産の柴島浄水場(2)柵の外から」
 「都島公園」・・・桜宮水源地について少し触れています
 「大手前遊歩道」・・・宗兵蔵による高地区配水喞筒場

<関連リンク>
 水道記念館公式ホームページ
 ひろの東本西走!?「柴島浄水場、高射砲跡住居」(2008.11.10)


より大きな地図で 柴島浄水場 を表示

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月23日 (金)

さよなら豊岡劇場

120320toyookagekijo1
先日思い切って豊岡市にある映画館、豊岡劇場に出かけてきました。希少な近代建築の映画館として、前々から行ってみたかったんです。
豊岡劇場は昭和2年に芝居小屋としてスタートし、戦後、映画館となりました。
大正14年に起きた北但大震災からの復興建築だそうです。

映画館は駅からは15分ほど歩いたところにあり、目立たないので、地元の人に道を聞いたりしながら、ようやくたどりつきました。

120320toyookagekijo4
建物は看板建築で、角に高い壁を見せています。

120320toyookagekijo2
正面には豊岡劇場のロゴマーク。

120320toyookagekijo3
星形の装飾も付いています。

120320toyookagekijo5
今回慌てて出かけたのは、閉館のお知らせを聞いたからです。
もともと今年の夏までに行こうかと漠然と考えていたところにこの知らせ。
3月末に閉館と聞いて慌てました。

神戸新聞「但馬唯一の映画館「豊岡劇場」3月末で閉館」

映画のデジタル化はこんなところに影響を及ぼすのですね。
建物は残るかもしれませんが、やはり映画館は映画を観なければ。

120320toyookagekijo6
スクリーンは200席、70席の2つあり、やはり大きい方で見たい気がします。
この日の映画は「ALWAYS三丁目の夕日’64」でした。
なんだかぴったり。

120320toyookagekijo20
こういう上映スケジュールです。

120320toyookagekijo7
ちなみにもう一つのスクリーンは、「マイウェイ」。

120320toyookagekijo8
小さな入場券売り場です。

120320toyookagekijo9
さて、入りましょう。

120320toyookagekijo10
チケットを売って下さった方がもぎりもする一人二役。
この方がオーナーさんなのだろうなあと思いつつ。
昔ながらの売店です。

120320toyookagekijo11
ロビーはそんなに広くなく、すぐ階段があります。

120320toyookagekijo12
うねるような廊下。

120320toyookagekijo13
昔ながらの重いドア。

120320toyookagekijo14
内部は意外にも(?)きれいでした。
椅子が新しいのを除けば、昔はこんなんだったなあという映画館です。

120320toyookagekijo15
観客席に向かって。

120320toyookagekijo16
椅子張りなどは比較的新しいのではないでしょうか。

120320toyookagekijo17
最後尾にはベンチも備えられています。

120320toyookagekijo18
最前列に座ってもスクリーンは余裕。

映画「三丁目の夕日’64」はもちろん3D上映などではないですが、64年という時代設定と合って、なんともいえない気分です。素直に入り込めました。

*出版社の外観として神戸税関が登場します。
 また病院の階段と丸窓が映るシーンは新港貿易会館ではないでしょうか。

ただ、閉館を聞いても15人ほどの観客で、経営の厳しさを感じました。
この広い空間を空調するだけでも大変でしょう。
これまで、よく頑張っていただいたと思います。

120320toyookagekijo19
ありがとうございました。

こういう記事を用意していたら、「十三のいま昔を歩こう」の記事で、天六のシネ5ビルも3月30日で閉館と教えてもらいました。やはり厳しいです。
(密かに行きたいと思っていた愛知県の西尾劇場も昨年11月に閉館したという噂が。でも3月にこの動画が撮られているのは??
 >産業遺産を歩く10 西尾劇場(動画)(音が出ます))
シネコンとミニシアターしか残らないのでしょうか。
機会を見つけてはこういう映画館を巡っていたのですが、やはり今のうちかもしれません。
洲本オリオン(なんと3D対応)にも行っておかねば。
(追記)大阪のタナベキネマも3月31日に閉館になったそうです。天六ユウラク座とセットで運用されていたようで、そのためでしょうか。(2012.3.31記)

<関連記事>
□既にない映画館
 「最初で最後の新世界公楽劇場」
□今もある昔ながらの映画館
 「新世界国際劇場」
 「淡路東宝1」
 「トビタシネマ」
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月21日 (水)

東山植物園の温室(名古屋市)

120311shokubutsuen1
東山動物園を一巡した後は、その奥にある東山植物園に向かいました。
動物園との連絡通路は、ぐるっと回り込むことになります。

東山植物園は昭和7年に東邦瓦斯から寄付を受けたのを基礎に、昭和9年に着工し、昭和12年3月24日に開園しました。

120311shokubutsuen2
一番の目的はこの温室。
温室のうち5棟は開園時からあるもので、なんと温室なのに重要文化財です。
設計は名古屋市建築技師の一圓俊郎氏だそうです。
前面には池がありますが、当初はバラ園だったそうです。

120311shokubutsuen3
ロンドンのキューガーデンの温室をモデルにしたという美しい姿です。

120311shokubutsuen_ehagaki1
※クリックすると拡大します

手持ちの絵葉書を載せておきます。
温室は変わらないですね。この頃は石炭ボイラーの煙突があります。
手前に児童公園があったようです。

120311shokubutsuen_ehagaki2
※クリックすると拡大します

ついでにもう一枚。ほとんど同じですが。

120311shokubutsuen6
では中に入ります。

120311shokubutsuen16_map
※クリックすると拡大します

前面部分が昭和12年の温室で、後ろにも木造の温室があったのですが、戦災で焼失したのだそうです。
こんなところまで空襲されたのですね。
現在あるのは、その後に再建された温室です。

120311shokubutsuen15
入口には開園当初の写真などがたくさん掲示されていて、初期の様子が分かります。

120311shokubutsuen7
まず中央ヤシ室に入ると鬱蒼と植物が茂っています。
植物園の温室って独特のむせるような匂いがしますね。

120311shokubutsuen9
インドゴムノキは昭和12年からの生き残り。

120311shokubutsuen10
インドボダイジュも同じく昭和12年からあるものです。
当初からある植物にはこのようにプレートが掛けてあって分かるようになっています。
他にも、ピンポン、アメリカシャガ、ドクフジ、カンノンチク、カラタネオガタマ、ガジュマル、ゲッキツなど全部で10数種が開園時からある植物だそうです。

120311shokubutsuen8
構造を見てみましょう。
鉄骨造りの総ガラス張りで、鉄骨をつなぐのにリベット組みではなく、名古屋では当時初の電気溶接を使った最新工法が取り入れられたそうです。

120311shokubutsuen14
柱の基礎部分。高架下でも時々こういう形を見ますね。

120311shokubutsuen13
温室の上部。

120311shokubutsuen11_2
両翼をつなぐ低い部分の温室。
美しいです。

120311shokubutsuen12
モザイクタイルによるタイル絵などもありました。

120311shokubutsuen17
さて、再び温室の外へ。
植物園の入口近くに池があり、この橋の形は昭和12年頃の写真にも登場しています。

120311shokubutsuen18
動物園と結ぶ花園橋は昭和25年架設。
現在、改修中です。

120311shokubutsuen19
植物園は広くて、まだ奥に遊歩道がありますし、尾根の上まであるようです。

120311shokubutsuen20
植物園の池。移築された合掌造りの建物などもあります。

今回はあまり時間がなくて、ここまでで精一杯でした。
もしかするとまだ奥に見るべきものがあるかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012年3月18日 (日)

東山公園・動物園(名古屋市)

120311higashiyamakoen1_3
既に記事にしていますが、名古屋の東山公園(東山動植物圓)に行ってきました。
文字通り名古屋の東の山にあり、昭和12年に開園した古い公園です。
地下鉄東山線の東山公園駅を降りると、動物園の正門に向かって並木道が伸びています。

120311higashiyamakoen2_2
正門は石張りの太い門柱が並んでいます。

120311higashiyamakoen3_2
動物園内に掲示されていた古い写真によると、この門柱は開園当初のもので、その後、いろいろなものが付加されたようです。(両脇の高い柱はなくなっていますが)

120311higashiyamakoen4_2
正門を入ると中の島のある池があります。
この橋のデザインがアールデコっぽい流線型でかっこいい。
上部に出っ張りがあるのは、照明器具が付いていた跡ではないでしょうか。

120311higashiyamakoen5_2
その先には噴水があります。
台座と池の形が星形あるいは円と多角形を組み合わせた平面形をしています。

120311higashiyamakoen6_2
噴水には動物たちの陶板レリーフがぐるっと巻いています。
この噴水、昭和12年の写真にも載っていて、開園当初のものです。

Higashiyama_s7
<昭和7年修正測図 2.5万分の1「名古屋南部」>
※クリックすると拡大します。

この東山公園のある場所は、昭和7年の地図を見てもまだ里山でした。
名古屋大学や南山大学のあるあたりは区画が割られて都市化が進みつつあるのが分かります。

東山公園は下の現在の地図と比べると分かりますが、もともとの地形を活かしながら公園にされています。
東山公園の主要部は、北西-南東方向のため池のある谷を中心軸として、あとは両側の斜面や周辺の谷などに施設が配置されました。

先ほどの正門前の池はため池の名残ですし、奥の上池はほとんどそのままボートの浮かぶ池に転用されています。


より大きな地図で 近代の公園 を表示

120311higashiyamakoen7map
※クリックすると拡大します。

現在の園内マップです。
東山動植物圓には古い施設がながらく引き継がれてきましたが、現在、再生プランにもとづいて、改修工事が進んでいます。

120311higashiyamakoen8_2
ほんとは古い獣舎が解体される前にと思って出かけたのですが、既にいくつかの施設は解体されてしまっていました。ここに新たなアジアゾウ舎がオープンします。

120311higashiyamakoen_hagaki
※クリックすると拡大します。

手持ちの絵葉書から、東山動物園のものを紹介しておきます。
この檻も既にないものと思われます。

120311higashiyamakoen9_2
それでもいくつかまだ古い獣舎が残されています。
例えば、このライオン舎。参考にしたドイツのハーゲンベック動物園に倣い、当時先進的な柵のない獣舎です。
この距離と高さがライオンの怖さを印象づけている気もします。
現在はライオンの側に渡って、間近に見られるような改修が施されていて、行列ができていました。
このライオン舎は貴重な近代化遺産として、保存されることになっています。

120311higashiyamakoen10_2
ライオン舎は裏側から寝床の様子も観察できます。

120311higashiyamakoen11_2
こちらは現在のコンドル舎、かつての猿舎です。
斜面を活かしています。

120311higashiyamakoen12_2
メインエリアからは地下通路をくぐってきます。ちなみに壁のタイルはスクラッチタイルですのでオリジナルでしょう。

120311higashiyamakoen13_2
くぐってくると正面にばっと猿舎が見えるという印象的な動線になっています。

120311higashiyamakoen14_2
あとはどれが古い獣舎が分からないのですが、ホッキョクグマ舎は古いと書かれているものも。

120311higashiyamakoen15_2
北側の細い谷にあるドールシープ舎です。

120311higashiyamakoen16_2
ゾウ舎は抽象彫刻のようなデザイン。

120311higashiyamakoen17_2
各獣舎には動物のレリーフが張られています。
今の感覚だとちょっとおどろおどろしい。

120311higashiyamakoen18_2
正門脇外周にはスクラッチタイルの壁が残されています。
旧猿舎前にあったスクラッチタイルと同じタイプですので、同時期でしょう。

120311higashiyamakoen19_2
このコンクリートのガードレールも味わいがあります。

園内は非常に広く、まだ古いものが残っているのかもしれません。
昔はラヂオ塔もあったらしいです。
改修はされますが、新しい再生計画では、今回の正門や正門前の池、噴水、ライオン舎、前回紹介した旧モノレールや恐竜像など、昔のものを残すことになっていますので、古いものもうまく活かしながら新しい動物園になればと期待します。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月15日 (木)

東山動物園の恐竜像(名古屋市)

120311dinosaur1_2
名古屋の東山動物園は、昭和12年にオープンした古い動物園で、古くからのものがいろいろと残っています。
その一つが今回紹介する恐竜像3体と古代池です。

まずイグアノドン。
とても愛嬌のある姿です。
皮膚の表現もリアル。

120311dinosaur2_2
こちらはブロントサウルス。
今はアパトサウルスと呼ぶのが正式らしいですが。
ダチョウのようなとぼけた表情です。

120311dinosaur3_2
そして古代池に浸かっているトリケラトプス。
これもウロコの表現が細かい。

これらの恐竜像は動物園の開園1周年を記念して、昭和13年に鉄筋コンクリートで作られたそうです。
ドイツのハーゲンベック動物園の恐竜像をモデルにしたのではないかとのことです。

120311dinosaur4_2
ブロントサウルスを背後から。
今は老朽化により柵が作られていますが、昔は登ったりもできたらしいです。

120311dinosaur5_2
イグアノドンの背中を拡大してみました。
ウロコが丁寧に表現されています。

120311dinosaur6_2
トリケラトプスの顔のアップ。
しわの表現もですし、目玉はガラスか何かのようです。

120311dinosaur7_2
スロープシューターの前に古い絵葉書の写真が掲示されていました。
昔は着色されていたのでしょうか。

120311dinosaur8_2
現在の姿はこちら。位置関係は同じでしょう?
まだ今の季節だから見えますが、葉が茂るとほとんど見えなくなります。

この恐竜像3体は、動物園の改修計画でも保存されることになっています。
また名古屋市の認定地域建造物資産に指定されています。
昨年に始まった制度で、「地域の歴史的景観を特徴づけている、地域の方々が大切にしていきたいと思っている、など、一定水準以上の建造物」を認定して技術的、経済的に支援しているそうです。
学術的な基準だけでなく、「地域の方々の思い」が基準になっているというのはいいですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年3月14日 (水)

東山動物園の旧モノレール(名古屋市)

120311monorail1
唐突に出会ったこの光景。
何か分かりますでしょうか?
名古屋の東山動物園の廃止されたモノレールなんです。

120311monorail2
このシチュエーションがまたすごくて、階下では売店が普通に営業しています。

120311monorail3
※クリックすると拡大します。

説明板も残っていました。
昭和39年にできた初のサフェージュ式懸垂型モノレールなのだそうです。
三菱重工製です。

現在、東山動植物圓は再生プラン(改修工事)を実行中ですが、この東山モノレールは、

「昭和 39 年、世界で初めての本格的なサフェージュ式懸垂型モノレールが東山公園内に開通。動物園駅(現:アムールトラ舎)と植物園前駅(現存)471mを結ぶ。昭和 49 年に運休、廃止されたが、当時の車両が植物園前駅に保存されている。今後も産業遺産として保存する。」(名古屋市『東山動植物圓再生プラン新基本計画』、平成22年3月より)

として、保存すべき13施設の1つにあげられています。
安心しました。

>もっと詳しくは、ウィキペディアの解説

120311monorail4
このモノレールは周りのいろんな角度から見ることができます。

120311monorail5_2
こちらから見ると「植物園前駅」のホームがよく確認できます。

120311monorail6
その脇を現在のモノレール(昭和62年開業)が通っていて、間近に眺めることができます。

120311monorail7
スカイビュートレインの正門駅。

120311monorail8
ついでながら、遊園地にはスロープシューターがあります。

120311monorail9
昭和36年の開業で、昨年50周年を迎えています。
名古屋市「認定地域建造物資産」に指定されているそうです。

120311monorail10
池にはスワンボートもたくさん。

こうしてみると懐かしい乗り物の宝庫ですね。
歴史的に大事なものを残すのはもちろん大切ですが、こういう記憶に強くつながっているものを積極的に残していくことは、モノを残すことに留まらない非常に大事なことなんじゃないかと思い、名古屋市さんはよくやっておられるなと思います。

東山動植物圓(東山公園)には、モノレールを見に行ったわけではありません(正直に言うと知らなかった)。
昭和12年に開業した動物園、植物園で、古いものが残っているのを探そうというのが目的です。
何回かに分けて紹介します。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2012年3月13日 (火)

霞ヶ丘住宅地(堺市)

120219kasumi1
JR上野芝駅の西、1kmほど先に霞ヶ丘住宅地があります。
昭和8年に阪和電鉄によって開発された小さな住宅地です。
何か残っているものはないかと歩いてみました。

メインの通りではないですが、住宅街には不似合いなほど幅広の道が通っています。

120219kasumi2
その先(背後)には賢明学院。
最初にできたのは1954年の幼稚園。続いて小学校(1960年)、中学校(1966年)、高校(1969年)と子供の成長に合わせるように増設されたようです。
いずれにしても住宅地よりは後で、地区外ですが。

120219kasumi3
住宅地の端に来ると、霞ヶ丘という地名が実感できます。
意外と高低差があって、見晴らしが良く、開発当初は大阪湾がよく見えたのではないでしょうか。

120219kasumi4
こちらの建物、戦後の(?)比較的古そうな建物です。

120219kasumi10
リヴィエの家という表札が出ています。リヴィエは賢明学院の母体となった教会の創立者の名前ですので、学校関係の建物だろうと思います。

120219kasumi5_2
さて、霞ヶ丘住宅地の中では、明らかに古いと分かるのはこの建物ぐらいです。
両翼が突き出しています。

120219kasumi6
玄関に丸柱が立っていて、その脇には円窓。
明らかに近代の住宅です。

120219kasumi7
こちらの建物は1階が下見板張りの住宅です。

120219kasumi8_2
これも古いかもしれません。
腰までが板壁の和風住宅です。
なぜか門柱は洋風。

120219kasumi9
この住宅は判断しにくいです。
木造住宅です。

120219kasumi11
この門柱と塀の石張りは古そうです。

120219kasumi12
昭和30年代ぐらいの住宅でしょうか?
このタイプの住宅はよく見かけるので、年代が分からないかなと思います。

結論としては、霞ヶ丘には戦前の住宅はほとんど残っていないのかなと思います。
まだ言い切れるほどの経験がないのですが。


| | コメント (2) | トラックバック (1)

2012年3月10日 (土)

上野芝住宅地(堺市)

120219uenoshiba1
JR阪和線の上野芝駅周辺には、いくつか戦前の郊外住宅地があります。
そのうち西側の上野芝住宅地を歩いてきました。
今回紹介するのは、上野芝町4丁・6丁あたりの住宅です。

まず4丁から。
駅を降りると西側にまっすぐ伸びる道があります。
しばらく歩くと両側に大きな屋敷が続き、ここがメインストリートのようです。
例えばこの住宅、石張りの門が見事で、塀越しに半円のサンルームらしき部屋が見えます。

120219uenoshiba2
かなり長い直線道路です。

120219uenoshiba3
古そうな洋風の車庫です。
大美野田園都市でも古い車庫を見ましたが、もっと原型をとどめているようです。

120219uenoshiba4
渋い木製の門扉。

120219uenoshiba5
広々とした空き地の隣に洋風のT家住宅があります。

120219uenoshiba6
壁に丸くコテの模様があってスパニッシュ。
玄関ポーチがあります。

120219uenoshiba9
直線道路の終わりあたりには煉瓦塀に囲まれたY家住宅があります。
家の正面に列柱があって、住宅というより銀行っぽいですが。

120219uenoshiba7
メインストリートから中に入ると楕円形の不自然な公園がありました。

120219uenoshiba8
実は、ここは大塚山古墳の跡。
解説板によると全長168mという百舌鳥古墳群でも5番目に大きな古墳だったのですが、昭和20年代の宅地造成のために大部分がなくなった、とのことです。
公園は棺のあった部分に家を建てるのを避けたのではないでしょうか。
古墳のカーブに沿った道もあります。

120219uenoshiba21
古そうな木造の小屋。

120219uenoshiba10
続いて、上野芝町6丁の方へ。
洋館付き住宅があります。

120219uenoshiba11
そして驚かされるのが2つの大きな洋館。
まずこちらのH家住宅。
複雑な形をしています。

120219uenoshiba12
ステンドグラスが見事で、格子模様の中にさらに紋章のような模様が入っています。

120219uenoshiba13
この住宅より1本北の筋にもH家住宅があります。

(追記)コメント欄でおさむんさんに教えていただいて、阪和電鉄社長・木村清旧宅で昭和5年の建物だそうです。設計は関西土地(株)の下村喜三郎(大美野田園都市に関わった建築家)。(2012.3.31記)

120219uenoshiba14
表に回ってみました。
負けず劣らず立派な洋館です。門も面白い。

どちらも近代建築総覧に掲載されている住宅です。

(追記)MANAZOUさんのブログによれば、木村清旧宅は既に解体されたそうです。無念。(2014.2.19記)

120219uenoshiba15
ここにも洋館付き住宅らしきものが。

この後、霞ヶ丘住宅地を歩いたのですが、それは別の記事にします。

120219uenoshiba16
帰り道に見かけた瑠璃色の瓦の住宅。
妻の部分にある模様が面白いです。

120219uenoshiba17
駅に近い住宅地。

120219uenoshiba18
再び上野芝町4丁に戻ってきて、ここにも立派な門構えのお屋敷がありました。

120219uenoshiba19
ここで注目は洋風の東屋です。
テラコッタの模様が貼り付けてあるようです。

120219uenoshiba20
屋根のてっぺんにある瓦は噴水のようなデザイン。

上野芝住宅地は大きな住宅が結構残っているようです。
ただ、敷地が広すぎて、庭木越しに部分的にしか見られないのは個人的に残念でした。

<関連ブログ>
 ひろの東本西走!?「堺市・上野芝探訪−1」
          「堺市・上野芝探訪−3」

<関連記事>
 「霞ヶ丘住宅地」

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2012年3月 7日 (水)

万代の牡丹湯(大阪市住吉区)

120103mandai2
万代の牡丹湯に入ってきた報告です。
南海高野線の住吉東駅から東へ徒歩5分ほどの所にあります。

120129botanyu1
仕事帰りに立ち寄りました。
夜はこんなふうになります。

120129botanyu2
玄関には木の靴箱。
パステルカラーのタイル敷きです。

120129botanyu4
さて入りましょう。

120129botanyu5
番台には「よう来なさった」と、温和なおばあちゃんが座っていました。
貸しタオルをお願いすると、干してあるタオルを「それ持って行き」と。

120129botanyu6
脱衣所も渋いです。使い込まれたベンチもいいですね。
先客はお一人でした。
(写真は帰られてから撮っています)

120129botanyu7_2
木製のロッカー。
番号は漢数字でふられています。

120129botanyu12
風呂場へ。タイル張りの手洗い場があります。

120129botanyu13
お願いして浴室内も撮らせていただきました。
女風呂との境目に仕切りのある浴槽が一つ。

120129botanyu16
明るいタイルが張られています。

120129botanyu14
浴槽側面のタイル。ガマ?

120129botanyu17
洗い場はなんとなく余裕があるような気がします。

120129botanyu15
女湯とまたがる形で上がり湯用の湯鉢があるのは大阪の古い銭湯のスタイルで、
近所の万代湯は現役で使われているそうです。

120129botanyu18
湯上がりにはせっかくなのでみかん水をいただきました。

120129botanyu19
壁には富山の五箇山のポスター。
実は番台に座っているおばあちゃんは40年ほど前、この合掌造りの村から大阪に出てこられたそうです。大正生まれで9人姉妹のおばあちゃんです。
息子さんもこの銭湯を手伝っておられて、娘さんは岸里温泉でされているのだとか。
会話を行きつ戻りつ。

息子さんにもお話を伺いました。
なぜこの銭湯が昔のままなのかというと借家だからだそうです。
長屋でも借家だと昔のままだったりしますね。
大家さんはいくつもの銭湯物件を貸しておられたとのこと。

雰囲気があるため、鉄腕ダッシュなど何度かTVにも出ているそうです。
『関西のレトロ銭湯』にも出ていると本を見せていただきました。

120129botanyu20
この銭湯は昭和22、23年頃、廃材を使って建てられ、そのころから福助さんが見守ってこられました。
おばあちゃんは前の人から引き継いだので詳しく知らないそうですが。

120129botanyu10
定休日は第3木曜日ですが、1月は休み無し。
息子さんは「休めないんですよ」とおっしゃっていました。
廃材を燃やすのでなんとかやっていけるというお話。

120129botanyu11
ドライヤーの箱も年代物ですね。

この後、女湯も無人になったので、少し見せていただきました。
赤ちゃんを乗せる台が並んでいて、さらにすごい。

120129botanyu8
番台の時計はボーン、ボーンと鳴る時計で、おばあちゃんの家を思い出しました。
時代を忘れさせる音です。

この渋い銭湯、素敵なおばあちゃんとお話しに来ませんか?
私は帰り道に寄れるので時々寄ることにしようと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年3月 4日 (日)

万代の洋風長屋など(大阪市住吉区)

120103mandai3
昨年末に長居を歩いた帰り、万代で洋風の長屋などを見かけました。
その日は日が暮れていたため、年明けに改めて出直しました。

このエリアは大阪市住吉区で帝塚山に隣接しています。万代池の南側です。
大正14年に認可が下りた「住吉第二耕地整理組合」の区域南西部ですので、昭和初期に開発が進んだ地域と思われます。

まずは、あべの筋に面した大きなお屋敷から。

120103mandai4
中華風の混ざったような立派な門です。

120103mandai5
敷地北端に建物が並んでいて、きれいに補修されていますが、本体は古そうです。

120103mandai6
幾何学模様の木製桟が入った町家。

120103mandai7
トンガリ屋根の洋風長屋が3棟連続しています。

120103mandai8
こちらは重量感のある和洋折衷の2軒長屋。

120103mandai20_2
正面から見るとこうなっています。

120103mandai9
円窓に斜めの桟が入っています。

120103mandai19
もう一つの円窓は分割の仕方を変えてあります。

120103mandai1
映画館のような存在感のある銭湯の牡丹湯さん。
建物は戦後すぐに廃材を使って建てられたそうです。

120103mandai2
かっこいいデザインでしょう?
後日、お風呂に入りに行きましたので別の記事にします。

120103mandai10
少し洋風の入った長屋。

120103mandai11
洋館付き住宅の洋館部分。
塀が高いのでよく見えません。

120103mandai12
ちょっと牡丹湯さんのデザインに通じるものがありますね。
これも洋館付き長屋と言っていいでしょうか。2軒長屋×2です。

120103mandai14
洋館付きの4軒長屋。

120103mandai15
塀のデザインが面白い長屋です。
恐らく左がオリジナルで、右は煉瓦を使って改修したのでしょう。

120103mandai17
もちろん洋風のもの以上に和風の長屋もたくさんあります。
このように立派な長屋もあるのですが、残念ながら無人で荒れています。

120103mandai16
長屋の玄関灯。

120103mandai18
※クリックすると拡大します

長屋の2階の木製手すり。
風景画のような透かしが入っていて、とても凝っています。



<住吉第二耕地整理組合の位置>

帝塚山の周辺ということで、このような地域を歩いて行けば、洋風デザインの波及が面として感じられるのかなと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2012年3月 2日 (金)

今年も大阪でまちかどの近代建築写真展「駅舎」3/3から

080706hamadera
<南海本線・浜寺公園駅 2008年>

今年も大阪港の天満屋ビルで、春の恒例、まちかどの近代建築写真展が開催されます。
今回のテーマは全国の『駅舎』です。

「まちかどの近代建築写真展 IN 大阪Ⅶ」(第25回)
テーマ:『駅舎』

会期:3月3日(土)午後から 4月7日(土)午前まで
   ※水・日はお休みです。
会場:天満屋ビル2階「お茶と雑貨のハaハaハa」
   大阪市港区海岸通1-5-28 奥展示室

企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
入場料:無料

●近代建築座談会
 
今回はイベントとして、近代建築座談会が2回あります。
*参加ご希望の方はできれば、ハaハaハaさんまで連絡をお願いします。
(06-6576-0880)

◎3月3日(土)17時~19時(当日の通常営業は17時まで)
『まちかどの近代建築の残り方、残し方』座談会 
 お茶とお菓子付 500円

◎4月7日(土)17時~19時(当日の通常営業は17時まで)
『東日本の町と建物たち-地震前と後-』座談会 
 お茶とお菓子付 500円

*同時開催『天満屋ビル展』(第2回)
 竣工当時の立派なビルやなつかしい写真を紹介します。

小道さんの告知をアレンジさせていただきました。
※写真はイメージで、たぶん浜寺公園駅も出されているはずですが、出している写真ではありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »