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2012年1月

2012年1月28日 (土)

守山の駅前散歩(滋賀県守山市)

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滋賀県の守山は中山道の宿場町でした。
中山道は守山駅の西500mほどの所を通っています。
駅と中山道の間も、歩くと意外に面白いところですので、少し紹介します。

まず駅前ビルの北裏に小さいながら味のある建物があります。
三角形に近い形をしているようです。

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ベージュの色合いがいい建物。

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玄関の上には木製桟に型板ガラスがはまっています。
この建物は使われていないようで、元は何の建物だったのかもよく分かりませんでした。

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守山のまちなかは水路がたくさん流れていて、その流れも気ままですし、石垣の護岸があちこちに残っています。歩いていると、この水路と何度も交差して楽しくなります。

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水路の底にはたくさんのカワニナ。

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ホタルのモニュメントなども。
守山は明治時代からホタルを皇室に献上するほど、ホタルで有名だったようです。

ホタルが住めるように石垣護岸を残してきたのかと思ったのですが、ホタルは一度絶滅しているらしいので、そうともいいきれないかも。

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水路には赤煉瓦の護岸もあったりします。
左にはコンクリートで埋めた部分があって、さらに分岐する水路があったようですね。

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これはちょっと気になった橋のトマソン。
両岸を壁と柵で塞がれて、通れなくなっています。
その代わり鉢植えが並んでいます。

*トマソン→wikipediaの説明

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中山道まで歩いてきました。
ここでもまた一風変わった赤煉瓦塀に出会います。
街道沿いの医院の塀です。

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門柱の部分には陶製のライオンが。

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こんな顔です。

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煉瓦自体変わっていて、私にはグリコのアーモンドチョコに見えました。

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中山道沿いの家には凝ったものがあって、例えば玄関扉の鍵が巾着のようです。

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呼び鈴もまた凝っています。
同じ扉の別の部分です。

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中山道の宿場町は紹介できませんでしたが、水路や赤煉瓦にも魅力を感じた守山でした。


より大きな地図で 守山 を表示

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2012年1月25日 (水)

磯路の木造アパート(大阪市港区)

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大阪市港区の磯路というと、弁天町駅の南側です。
昨年、ここにある「ギャラリーはたなか」(磯路2-11-5)での永田収さんの写真展「大阪日常景」を教えてもらって出かけました。こちらのギャラリーは初めてです。

写真展は大阪の西成区やこの磯路の周辺など、ほんの少し前の下町風景を写したもので、実際の年月以上に懐かしさを感じさせる写真でした。

写真もさることながら、このギャラリー自体も、みなと通、つまり大阪で最初の市電が走った通りに面しています。大阪港から中之島に向かう幹線道路でした。

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ギャラリーの建物は改装されてきれいになっていますが、内部の柱や梁、天井は昔の木をそのまま見せています。意外と古いものが残っている地域のようです。

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帰り道、裏道を通ると木造アパートを何軒か見ることができました。
まずこちらは光陽荘です。

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正面から。2階建てで中廊下の典型的な形のアパートです。

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光陽荘で面白いのは2階の窓手すりです。
木製で意匠に凝っています。

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また向かいの美嶋荘は、外観こそ地味に改装されていますが、玄関扉から漏れる暖かみのある光は、昔の雰囲気です。

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また歩いて行くと、古い防火用水槽もプランターとして置かれています。

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片側廊下の藤影荘もちょっとレトロな雰囲気のあるアパートです。
今回見た3軒はすごく凝っているアパートではないですが、それぞれに味わいがありました。

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(おまけ)近くのマンション元町。60〜70年代風の角丸の開口部が面白いマンションです。


より大きな地図で レトロなアパート を表示

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2012年1月19日 (木)

大山崎の洋風ミニ散歩(京都府大山崎町)

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昨年、大山崎に用事があり、出かけた際、天気の悪い日でしたが、周辺をぐるっと回ってみました。
大山崎というと大山崎山荘ですが、見たところ洋風の要素をたくさん見ることができました。たぶん、見たのはほんの一部ですが、紹介しておきたいと思います。

まずJRの山崎駅。昭和2年の建物だそうで、ぱっと見たところは古さを感じさせないのですが、アーチなどはおそらく元のデザインで、よく見ると各所に古いデザインを留めていることが分かります。

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アーチに沿ってタイルが貼られています。
昆虫を思わせるタイル。

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天井の照明部にもちょっとした飾りがあります。

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線路の北側を東に歩いていきました。
洋館付きというより、洋風蔵付きという感じの住宅。

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窓の木製桟がきれいです。

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向かいの家の塀もモダンなデザイン。

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適当なところまで歩いて、阪急の線路を渡る道を探しました。
この橋が渡れそう。でもなんだか違和感。

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横からのぞき込むと結構分厚い通路です。

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渡ってから振り返ったところ。
水路橋なのですね。むしろ歩行者の方がついでに渡らせていただいているみたい。
線路の上を水路が越えているのは面白い。
JRの線路については、水路の方がくぐっています。

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今度は南側の道を戻りました。
これも洋館付き住宅の一種でしょうか。庭木に存在感があって面白い感じです。

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駅前に戻るとまたこれも洋館付き住宅でしょうか。

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ちょっと変わったガラスの玄関灯。

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建具が木製で味があります。
ぐるっと回っただけなので他にもあると思いますが、意外と洋風要素が多く思えました。

今回は一回りするだけの簡単な散歩だったのですが、大山崎で洋風といって大山崎山荘を入れないのもいけないと思いますので、ご参考まで付けておきます。

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(参考:大山崎山荘、2001年)

2001年に大山崎山荘美術館に行ったときの写真です。

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(参考:大山崎山荘、2001年)

庭に開かれたアーチの通路です。

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(参考:大阪咲きの洋風住宅、2008年)

こういう洋風の住宅もあります。

大山崎はいずれ歩き直したいと思います。

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2012年1月17日 (火)

なんばの千南荘(大阪市浪速区)

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南海高野線からもちらっと見えるのですが、南海難波駅の南(日本橋西1丁目)にあるレトロアパートが前から気になっていて、昨年見に行きました。ここだけ時代が違う感じでしょう?

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壁に「アパート 千南荘 空室あり」と読めます。
千日前の南ということでしょうか。

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こういう窓の出し方はモダンだったのかもしれません。

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でも何よりかっこいいのが玄関周りです。
屋根と支柱が、斜め、斜めのデザインになっています。
後からの改修でしょうか。

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北側にある出入り口はフェンスで塞がれてしまっていました。
人気がないような気もして、どういう状態なのだろうと思います。
街中なので商業施設になっても面白そうです。

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2012年1月16日 (月)

元喫茶店のギャラリー再会(大阪市浪速区)

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通天閣の近くに、元純喫茶のギャラリー再会という建物があります。
南欧風のしゃれた建物で、中も良いと聞いていましたので一度入ってみたかったのですが、昨年末にようやく機会を得て入ることができました。

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入口のドア。よく見ると浅い彫刻が施されています。

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入ってびっくり。決して広くはないのですが、ギリシャ風(?)の柱にアーチが連続。吹き抜けに階段がカーブを描いて2階へ(というところまで写ってませんね。すみません)。

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反対側には暖炉があります。

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天井を見上げ得たところ。

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部屋の片隅にある椅子までいい感じです。

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さて、階段です。手すりはもちろん、階段もカーブ。

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カーブを描いて、2階に続いています。

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2階にもまた暖炉の装飾があります。
どこかの別荘にお邪魔したみたいです。

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2階の扉。こちらも浅い彫刻がシンプルですが、入っています。

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2階の裏側の窓は高い位置にあって、なにか彫刻のようなものが飾られています。

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照明もつぼみのようで、非常に凝っています。

この建物は、昭和28年に当時大林組に勤めていた石井修氏の設計で建てられた純喫茶だったそうです。
戦後建築ながら、戦前の建物のようにも見えますね。
喫茶店の閉店後、幸いにも隣の銭湯の社長さんに引き取られ、石井修氏が再び改修をされて、平成9年にギャラリー再会として再出発したのだそうです。
とてもいいお話です。

今も貸会場として使われる他、毎月最終土曜日に定期的にジャズライブが開催されています。
また改めて訪ねてみたいものです。

ギャラリー再会の紹介(公式)

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2012年1月14日 (土)

住吉街道のコンクリートレンガ塀(大阪市住吉区)

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前回記事とは別の日なのですが、住吉東のちょっと東側の住吉街道(長居あたりから住吉大社裏に続く街道)を歩いていたところ、白っぽいレンガ塀がありました。

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近寄ってみると、どうもコンクリートをレンガの形にして積んでいるみたい。イギリス積みにしてあります。風化に弱そうで、目地より先に減っていっています。

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裏を見ると、途中から赤煉瓦の塀に変わっているようです。

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柔らかな色合いの石材とあいまって、いい風合いだと思います。

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2012年1月13日 (金)

住吉街道の洋館付き住宅(大阪市住吉区)

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長居を散策した後、住吉街道をたどって帰りました。
住吉街道と呼ばれる道はいくつかあるようですが、ここでは長居あたりから住吉大社裏に抜ける道です。
すると、歩き出した途端に半切妻屋根の洋館付き住宅がありました。
長居西2丁目の旧村です。

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洋館付き住宅でも手の込んだ方で、持ち送り風の装飾にステンドグラスも入っています。
奥にはヴォーリズ風(?)の煙突も。

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ステンドグラスのアップ。
細やかなデザインです。

やはり旧街道を歩くといろいろあるものですね。


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2012年1月12日 (木)

長居のレトロアパート(大阪市住吉区)

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レトロアパートを見かけたら紹介するシリーズ、今回は大阪市住吉区の長居2丁目にある静和荘です。
奥に広がる三角の土地に建っているため、幾重にも重なるような形で、そこが面白くもあります。

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静和荘の書体も味があります。

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玄関周り。比較的開放的です。
腰の高さまで、青磁っぽい釉薬のスクラッチタイルが貼られています。

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玄関の敷石。

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側面にも開放されていて、ちょっとした中庭(横庭?)があります。
全体に改修されていますが、ところどころ古い建具などが残っていて、魅力を感じさせるアパートでした。

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おまけ。その近くの建物ですが、この部分にタイル装飾を持ってくるのは珍しいのでは?好きな配色です。

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2012年1月 9日 (月)

諏訪山公園の金星台(神戸市中央区)

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昨年、「海外移住と文化の交流センター」(旧神戸移住センター)で、同センターの記録映像の上映会があり、その機に諏訪山公園を駆け足で回ってきました。
諏訪山公園は元町からまっすぐ坂を登っていって、山に入るあたりにあります。

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諏訪山公園には、諏訪神社側からも登れますが、今回は東側の入口を使いました。
右手に擁壁が見えますが、これは個人のお屋敷の擁壁です。

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登っていくと、古そうな門柱が現れました。
柵の欄干などアールデコっぽいデザインです。

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続いての門には「子供の園」と書かれています。

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こういうダイナミックな滑り台があったりして、児童遊園になっています。

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さらに登ると展望広場である金星台に出ます。

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広場の山手には池、そして後ろに築山があります。

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諏訪山公園(諏訪山遊園)の古い絵葉書を見ると、もっとすっきりしていて、記念碑と後ろに東屋やベンチのある築山が写っています。

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さらに近寄ってみると池の向こうにチョーク状の記念碑が立っています。
これは解説によると「金星観測記念碑」です。明治7年に金星の太陽面通過を観測するためにやってきた観測隊のうち、フランス隊がここで観測を行ったそうです。(他には長崎でフランスとアメリカ、横浜でメキシコ隊が観測)
それで金星台という名前なんですね。

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<明治43年測量・大正2年発行 2万分の1「神戸」>

諏訪山公園は、明治6年に太政官布告によって諏訪神社境内が指定された、最初期の公園の一つで、整備は進まなかったものの絶好の眺望地として名所になっていたそうです。

その後、明治36年に神戸財産区の諏訪山遊園として開園、展望台が開かれ、次いで明治41年に金星台などの南部が開園しました。さらに昭和3年に動物園が設けられ、北野に近いことから内外人に親しまれたそうです(辰巳信哉著『神戸からの公園文化 兵庫の公園1868-2000』、2000年)

上の地図は諏訪山遊園として整備が終わった頃の状況で、広場と築山が描かれています。
(ちなみにトアホテル西側の墓地が、後に神戸移住センターになります)


より大きな地図で 近代の公園 を表示
現在の状況です。

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築山に登ってみました。
階段に丸い柱のような石が使われているのは、何かの転用でしょうか。

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築山の上には「海軍営之碑」が立っています。
江戸幕府の将軍家茂が勝海舟に命じて作らせた神戸海軍操練所(海軍の教育機関)の記念碑で、所内に設置するつもりが繰練所が早々に閉鎖されたため、神戸の豪商生島四郎太夫に預けられ、大正4年になってこの地に設置されたそうです。
神戸市HPの解説

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再び金星台へ。木が伸びているので、あまり眺望はよくありません。
しかし古い絵葉書を見るとかなり見晴らしが良いですし、柵の外の石柱は昔のものが残っているようです。
東北芸工大アーカイブスの「神戸諏訪山」絵葉書

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さて、この諏訪山公園に来たのはもう一つ目的があって、それはラジオ塔を確認するためでした。
ラジオ塔はラジオの登場初期にラジオ放送の普及を図るため、公園などに設置されたラジオ放送設備です。最近、関西を中心に「再発見」が続いています。諏訪山公園のラジオ塔が「確認」されたのはなんと、2011年の10月です。昭和15年に設置されたようです。
神戸新聞「戦前〜戦中に街頭放送流す ラジオ塔、神戸で確認」

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ラジオ塔は分かったのですが、隣にももう一つ、謎めいたモニュメントがあります。
何かを取り外したようにも見えます。丸みを帯びたデザインから見て、これも古そうです。

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ついでに諏訪山公園のトイレ。

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また、金星台の一角には、ごく簡単なコンクリート製の神戸地図がありました。これは昭和38年の設置と書かれています。

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帰りに階段を下りていくと、途中にツタに覆われた「諏訪山会館」(昭和30年以前?、昭和34年改築)がありました。現在、閉鎖中です。

駆け足でしたが、非常に謎めいたものが多く、訪ねがいのある諏訪山公園でした。

<関連記事>
 ○ラジオ塔について
  「円山公園のラジオ塔」ほか
  「中崎遊園地(明石市)のラジオ塔」
  「大浜公園(堺市)のラジオ塔」
  「萩児童公園(京都市)のラジオ塔」

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生野駅周辺を散策(兵庫県朝来市)

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昨年の12月4日、「鉱石の道シンポジウム」のお誘いを受けて、兵庫県朝来市(生野銀山町の中心)を訪ねました。

シンポジウムは全国から産業遺産活用の関係者が集まる非常に中身の濃い内容だったのですが、せっかくなので2時間ほど早めに行って、生野駅周辺(口銀谷)を散策してきました。
ちょうど1年ほど前に鉱石の道モニターツアーがあり、口銀谷も案内していただいたのですが、その時には駅周辺には行きませんでしたので、その補完ということになります。

生野駅は町の南外れにあります。

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駅前、向かって左側に3階建ての古い旅館があります。
明治42年に建てられた旧日下旅館です(大正10年に3階を増築)。

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3階の壁には鶴、2階の壁には松?の開口部がありますが、これは料理や暖房に炭火を使っていた時代に換気のために開けていた穴だそうです。言われてみればなるほどですが、それを装飾にしてしまうあたり、しゃれていますね。

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向かいの建物も旅館だったのかもしれません。
こちらはひょうたん型の穴が開いています。

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玄関周りも松竹梅の(?)円窓など、なかなか凝っています。

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駅前通りを歩いて行くと、マルフク新聞舗という建物。いい感じです。

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私はどうしても洋風のものが気になってしまいますが、和風の雰囲気の良い建物が多くて、例えばこちらは明治時代の綾部邸です。格子の美しい建物が多いです。

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駅前通りの突き当たり、洋風の下見板張りの建物。

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こちらは洋風の住宅。住まれてないようなのですが。
なお、この日は1〜2時間のうちに天気が目まぐるしく変わって、小雨が降ったり晴れたりで写真に一貫性がないですが、別の日ではありません。

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美しい色合いの町家。

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こちらは旧海崎医院といって、明治20年の擬洋風建築(西洋建築を日本の大工が見よう見まねで建てた建築)です。

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玄関のあたりなど、よく残っています。
室内には極彩色の天井絵があるらしいのですが、公開はされていません。

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すぐそばを市川がながれています。
古びた水路橋が架かっていました。
向こうに見えるアーチはトロッコ道です。

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控えめな洋館付き住宅。
屋根を日本瓦にしてしまうと分かりにくいですね。
車庫にも洋風の持ち送り状の飾りが付いています。

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装飾の凝った家があって見ていて楽しいです。

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生野の史料館になっている、生野書院にも入ってみました。
大正時代に建てられた材木商の家だそうです。

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非常に繊細な細工の格子窓があります。

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引き戸の引手がコウモリ。
中国で吉祥模様らしいですが、ちょっとびっくりします。

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びっくりといえば、屋根瓦の上に鷹?カラス?。
とてもリアルに再現された鳥が低い屋根からこちらを睨んでいるので、通りがかるとどきっとします。

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こちらは鳩でしょうか。面白い瓦職人さんがいたようです。

前回に回ったところも合わせて、とても見どころの多い町です。公開の建物も多いですので、ゆっくり見て回られたらと思います。現地で「口銀谷時空旅散策絵図」という非常に詳しいマップが手に入ります(100円)。


より大きな地図で 鉱石の道(生野銀山) を表示

<関連記事>
 「鉱石の道ツアー(1)生野を散策」
 「鉱石の道ツアー(2)神子畑の選鉱場跡」
 「鉱石の道ツアー(3)明延の坑道に入る」

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2012年1月 8日 (日)

木津川の雨樋(木津川アート2011の周辺で)

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昨年11月に開催された木津川アート2011の会場をめぐる中で、最初の記事でも触れましたが、気になるものがありました。それは民家の銅の雨樋です。

よそでも雨樋の凝っている民家はあるのですが、木津川市の加茂や上狛では、凝り方が相当な域に達しています。
まずは加茂地区から紹介します。

まずはこの花の飛び出したような雨樋。
どういう意図があるのでしょう。
家紋らしきものも入っています。

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その上の部分ですが、ウロコのような表面です。雨→龍の連想でしょうか。
燈籠のような飾りまで付いています。

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こちらは「水」の字の透かし入り。

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こちらは蝶の透かし。

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扇の文様。

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こちらは雲形というのでしょうか。

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網代が入っていたり。
ただ、調べてみると網代が入っているのは既製品でもあるのですね。
→例:パナソニックのいぶし雨とい「匠」シリーズタニタハウジングウェア

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さらにはリアルに竹を模している雨樋。

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ここまで来るとかなり複雑です。
(これは銅ではないかも)

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続いて、上狛のお茶問屋街の銅雨樋です。
「大阪 アホげな小発見。とか」の山本龍造さんが紹介されている龍の雨樋。

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この細工の細かさは凄いですね。
ここでもラッパのようなもの。

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房のような装飾入り。

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また装飾もさることながら、軒のラインにぴったり合わせるのも職人技の見せどころです。

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そんな細かいところはええやんと思うところでも、ぴったり合わせて作ってあったりします。
なぜ木津川の雨樋はここまで凝っているのでしょうね。

<関連記事>
 「木津川アート2011が始まりました」
 「木津川アート2011・加茂篇(1)」
 「木津川アート2011・加茂篇(2)」
 「木津川アート2011・上狛篇」
 「木津川アートの周辺で」(2010年)

<関連ブログ>
 ○大阪アホげな小発見。とか「"木津川アート2011"へ行って、雑感あれこれ」

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2012年1月 6日 (金)

長谷屋さんを探して(5)再び図書館へ

大正時代に世界一周旅行をした大阪の長谷屋為五郎さんを訪ねる旅、その5。
今回は補足的な情報です。最初の記事はこちら

後日、再び大阪市立図書館を訪ねました。
今度は司書の方に相談して、日本紳士録を調べていただきました。

すると、
「第29版日本紳士録」(大正14.12.5)に
「長谷為五郎 洋服商 天王寺区上本町6-15 電話:南4512」

 とあるのが確認されました。まさに帰国後の時期。
 電話番号が広告と一致するので間違いありません。

また、
「第40版日本紳士録」(昭和11.4.10)に
「長谷ハル 長谷屋洋服店 天王寺上本六-26」

 とありました。
この時点で、長谷為五郎さんは亡くなられていたのでしょうか。住所が違うのは、この時点で店が移転していたのか、住所変更か。


さらに、ハセヤのポテトに関しては、
たまたま郷土資料コーナーにあった、岡本・まさひろ著『上町台地百年』という本に記述がありました。
この本は、明治39年生まれの岡本正雄さんが、「明治百年」を契機に、祖母や自身の上町台地を中心とする思い出を語った本です(昭和41年発行)。

「高津線から上本町六丁目へ1」という項で(p16〜17)、

「上本町六丁目附近も、大正年間の半ば頃までは、当時まだ奈良行き電車といった古い木造の小さな駅が市電高津線の突きあたりに西向きに建っていた。その頃は市電は上六が終点で、ここで折り返しであった。」

そして、著者の中学時代に「いとはん学校、ぜいたく学校」といわれていた近鉄小坂の私立樟蔭女学校の生徒さんが、上六で大軌電車(近鉄)から市電に乗り換えていて、その明治スタイルの銘仙にグリーンの裾の服装が、若い中学生や商大生に魅力的でわざわざ見に行ったというエピソードの後に、

「なつかしい思い出の一つで、交差点南側の長谷洋服店の「ハセヤのポテト」の味とともに昔恋しい思い出の一つである。」
 
 と書かれています。
この話の流れでは、既に大正中頃(=出発前)には、ハセヤのポテトが売られていたということでしょうか。「交差点南側」という表現も、昭和26年頃の長谷屋洋服店の位置からすると違和感があり、その後移転した可能性もあります。

広告にあった「大阪名物」の表現も手前味噌ではなかったようで、ハセヤのポテトについてももう少し調べてみたい気がします。
 

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2012年1月 5日 (木)

長谷屋さんを探して(4)上六へ

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大正時代に世界一周旅行をした大阪の長谷屋為五郎さんを訪ねる旅、その4です。
(「(3)長谷屋さんの世界旅行」は今のところ未完成。最初の記事はこちら。)
昨年6月、まず現在の上本町六丁目の交差点に行ってました。
この写真は北西側から南東方向を撮っています。
交差点の南東には近鉄の上本町ターミナル、南西にはハイハイタウンがあります。
「長谷屋」という屋号は周りを見渡してもありません。

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まずは何か知っていそうな人ということで、近くの喫茶プランタンでお話を伺いました。
この喫茶プランタンは、プランタングループの一員で・・・という話は今回の話に関係ないので端折りますが、この地で喫茶店をされて30周年です。ただ、マスターはよそから来たので、昔のことは分からないそうです。

それでもいろいろと親切に教えていただけました。
「長谷さんという名前に心当たりはない」
「付近で長く商売をされている方はあまりいない。
 マルマツ(株)さん、町会長のチャンピオンスポーツさんなどが古い。」
「町会に当たったり、無量寺さんや西海寺さんに聞いてみてはどうか。」

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アドバイスに従って、この日、開いていた西海寺さんに伺いました。
ただ、このときは昔を知るお母様がご不在だったため、1ヶ月後に再訪しました。

7月、西海寺の奥様(お母様)にお話を伺うことができました。
「昔から住んでいるのはうちぐらい」
「父は大正元年生まれで、大正8年に寺に入った。既に亡くなっているが、父なら知っていたはず。」
「昭和20年3月11日の空襲で寺は燃えてしまった」
といった話だったのですが、

いろいろお話するうち「長谷屋さん」という名前に反応されて、
「そういえば、安田薬局の東隣に、構えの大きい長谷さんという洋服屋さんがあった。長谷という名前が珍しくて「はせ」と読むんやでと聞いたのを覚えている。」とのこと。
「建物は2階建てぐらいだったが洋風だったと思う」
「生魂小学校に行く途中にあったので覚えている。昭和27、28年頃のこと。」

これはきっとそう!

また付近で古いことを知っていそうな方として、
料亭天繁の奥さんを挙げていただきました。

110611yasuda
安田薬局さんにも聞いてみましたが、さすがにご存じないようでした。
この左隣にあったということです。

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反対側から。アパマンショップから手前のあたりです。
ハンコ屋さんがあります。


より大きな地図で 長谷屋為五郎さん関連地図 を表示
ここで現在の地図に位置関係を落としてみました。
ここを上本町交差点というには苦しい気がするので、移転されたのでしょうか。

昔の地図でも位置を確認してみます。

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<「大阪市パノラマ地図」(大正13年)より>

長谷屋為五郎さんが世界旅行に出た頃の上六交差点付近です。
この時点で長谷屋さんがどこにおられたのかは分かりません。
もともと近鉄(この頃は大阪電気軌道)は右上の道路部分を走っていて、大正13年時点ではまだ上六交差点はT字路だったのではと思うのですが、計画を先取りしていたのでしょうか。

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<「大大阪市街図」(昭和5年改正)より>

長谷屋為五郎さんが本を出版したころの上六交差点です。
本に貼られていた広告がいつのものか分かりませんが、博覧会の開かれた昭和3年から出版された昭和5年の間ではないでしょうか。
この頃には店はあったはずです。

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<「最新大阪市街地図」(昭和26年)>

そして、西海寺の奥さんが長谷屋洋服店を見かけた頃の上六交差点です。
地図にはそんなに詳しい情報がありませんが、位置をプロットしてみました。

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最後に料亭天繁さんへ。
老舗の天ぷら料理屋さんです。
ここでも奥様から貴重な情報を伺えました。

「長谷屋さんは学生服などを売っておられて、店は昭和40年代まであった。」
「姉妹が店を継いでおられたが、店を売った後は宝塚に移られた。」
「その後に店を買った人は喫茶店をされていた。」

残念ながら、もう長谷屋さんの御子孫は地元にはおられないようです。

その後、図書館で調べて若干の追加情報もありますが、
今のところ、調査の進展はこれぐらいです。

今後の進め方としては、
○さらに上六で聞き込みをする
○生國魂神社で話を伺う
○関西大学で話を伺う(大学の派遣なら記録が残っている可能性があるので)
○当時の新聞にあたる

といったことが考えられるなあとは思っています。
また続報がありましたら記事にしていきます。

 


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2012年1月 3日 (火)

長谷屋さんを探して(2)世界一周図絵

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大正時代に世界一周をした大阪の長谷屋為五郎さんを訪ねる旅、前回の続きです。
『世界一周圖繪』という著書があることを知った私は、大阪市立図書館を訪ねました。
禁帯出ではありましたが、すぐに書庫から出して見せてもらえました。
B4横ほどの大判で重みのある書物です。

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ついでながら、なんと中から長谷屋為五郎さんの書状が出てきました!
大阪市にこの本を献本したときの書状です。
達筆な筆書きで書かれています。

「はしがき」や「緒言」を読むとおおよそどのような旅だったのかは分かりました。
要約すると次の通りです。

<旅に出た理由>
 ○皇太子殿下の御外遊(注:大正10年3月3日〜9月3日まで、皇太子時代の昭和天皇がイギリス・フランス・イタリア・バチカンなどを史上初めて訪問)が刺激・動機となった。
 ○その際、当時隠居していた母親からの
 「おまはんもひまが出来たら行っておいでなはれ。西洋も一ぺんは見とかんと話にならん。又、御維新からこっちはなんでも西洋の真似ばっかりやけんど日本は神国やけに向こうの正体も見届けずに真似ばっかりしとってもどむならん。又、私も同行二人で行きたいのやけんど、年寄りではどむならん。おまはんが行って珍しい写真や何や送ってつかはるとええ」
 との言葉があった。
 ○母はその冬の風邪がもとで翌年(大正11年)の夏に亡くなった。
 ○その翌年(大正12年)の秋、西洋の正体を見届け、母の生前楽しんでおられた写真などを集めようと、旅行に出発した。
 ○この本は道中に各所から無人の隠居所に送ったものを整理して額面となし、本として母の霊前に供えまつったものである。

<道中について>
 ○外国語は青年時代に習ったばかりで使用せぬ英語が少しだけ。この旅行にはかなり困難な場合もあり、又、滑稽なこともあった。
 ○しかし、国内に居て外国を眺めるよりも国外に出て日本を振り返り見る方が遙かに尊い教訓を得た。機会があれば出かけることを世の諸賢にお奨めする。
 ○この旅行では、関西大学当局から、世界の各大学との交歓のための訪問ならびに各種の視察を嘱託され、関西大学の一員として特派される形式で、米国10校、欧州6校の著名大学を歴訪し、非常に便宜が得られた。

<この本のできたいきさつ>
 ○もともと製本する目的で編集したわけではない。
 ○御大礼奉祝記念の大阪市主催交通電気博覧会(昭和3年10月1日〜12月3日。会場は天王寺公園。入場者数100万人)の開催にあたり、世界旅行の交通に関する資料出展を求められ、当時集めた図絵写真など、米国経由で欧州をめぐり帰朝するまでを、縦2尺×横2尺6寸の36枚に編集し、参考館内に陳列した。
 ○その後、業務の合間に世界の著名美術館・博物館の代表作、各国の風俗・風景・地理・歴史・経済・統計・貨幣・切手・ラベル等の蒐集品を27枚を増補した。計1600余点。
 ○一目瞭然、欧米を知る本、自分の備忘録、諸賢には読む旅行記としてコロタイプ版で出版した。

 以上が概略です。

 なお、実際の旅は、大正12年の秋に出発し、大正13年3月29日に帰国する半年間の東回りの旅で、およそカナダ・アメリカで60日、ヨーロッパで60日、船中で60日だったそうです。
 旅行の内容については、後日、別の記事でまとめておこうと思います。
 
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<長谷屋為五郎編『世界一周圖繪』より目次>
※クリックすると拡大します

本は旅の順序で編集されているので、目次を眺めればおよその旅程は分かると思います。

120103shanghai
<長谷屋為五郎編『世界一周圖繪』より「香港と上海」>
※クリックすると拡大します

本は現地で収集した写真などを貼っているページと解説のページが交互にあります。
写真のページの例が上のコピーです。
この場合は、旅の最終盤、「香港と上海」についての記録が書かれていますが、このように見て楽しい内容になっています。

ところで、です。
この「香港と上海」のページに気になるものが貼ってありました。右の方です。

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<長谷屋為五郎編『世界一周圖繪』より>

これです。

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 長谷屋洋服店階下
 ハセヤテイルーム(ティルーム)
 大阪名物        7908
 ハセヤのポテト  電話番6014
 大阪上六交差点     4512
*****************************************

これは長谷屋さんのお店では?
本業が洋服店で、ティールームも兼営していてポテトが名物。
あるいは欧米で見たティールームに触発されて自分でも始めてみたのでしょうか?

これは現地に行って確かめてみなくてはなりません。
上六交差点へ!

→長谷屋さんを探して(3)世界一周旅行、(4)上六へ、
に続く

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2012年1月 2日 (月)

長谷屋さんを探して(1)15ポンドの奉納石柱

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皆さん、長谷(屋)為五郎さんをご存じですか?
私は今、彼のことを調べています。
有名人ではないので、知らない方が多いと思います。
実は私もまだよく知りません。

そんな長谷屋さんのことをなぜ調べようと思ったかというと、2008年6月、大阪の生國魂神社で、写真の奉納石柱を見かけたことがきっかけです。
神社の境内、向かって右手の方にあります。

書かれている文字が、正面に
***************************************************
 奉納 世界一週記念   上本町六丁目
    英貨十五パウンド 長谷為五郎
    邦貨換算 百六十八圓
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そして、側面には
***************************************************
 大正十三年三月下旬帰朝
***************************************************

大正時代ですからまだ海外旅行は一般的ではないでしょう。
意気揚々と日本に帰ってきて、残ったお金をポンドで奉納したのだろうなと想像し、どんな人なんだろうと気になりましたので、ブログでも「生國魂神社の境内にて」という記事の中で少し触れました。

気になって「長谷為五郎」で検索してみたりするのですが、ヒットしません。
(現在は古書がヒットします)
結局、そのままになっていました。

ところが翌年のある日、ブログ解析を見ていて、「長谷為五郎 世界一周図絵」という検索キーワードがありました。「世界一周図絵」? どうも長谷さんは本を出しているらしい。

大阪市立図書館なら持っていそうということで、蔵書を調べると確かにあります。
○長谷屋為五郎編『世界一周図絵』1930年(昭和5年)

私は手がかりになりそうなその本を見るため、大阪市立図書館に出かけました。

長谷屋さんを探して(2)に続く


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2012年1月 1日 (日)

新年を迎えて

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皆さま、あけましておめでとうございます。
事前に準備して新年とともに更新されるブログ仲間の皆さんには感心します。
私は新年になってから考えています。

今日は珍しくカメラを持って出るのを忘れたので、昨年末の写真を使いました。
ひょうたんが多少おめでたい雰囲気があるかなと。
今年もこういう、まちなかにある気になるものを取り上げていきたいと思います。

ツイッターなどでいろんな方にお会いする機会も増えて、さて自分はどんな活動をしていくべきなのだろうと考えるようになりました。年齢も考えるともう少し計画的に回らないと、とも。

今年も次のテーマを追っていきます。
○近代の公園めぐり
○近代の郊外住宅地めぐり
○北前船の寄港地めぐり
○大阪の中の西日本を探る
○レトロアパートの現存確認
○まちなかで気になったもののピックアップ など

個人住宅に関しては、お住まいの方の心証との兼ね合いもあって、探せばたどり着ける程度で場所を明示しないことが多いのですが、それでは十分な記録にならないので、必要な方には情報提供できるようにマップ化しておくべきかとも思っています。

あと、トピックスとして、昨年から調べている、ある人物について、途中経過報告をしておこうと思います。中途半端なのですが、公開することで調べが進む可能性もありますので。

ブログ以外では、
面格子ファンクラブで面格子の収集
○Instagramで、毎日、気になる扉の写真、時々塵芥箱、街の気になるものの写真を掲載
(iPhone,iPad,iPod touch専用アプリなので申し訳ないですが、ツイッターにも流しています)
 をしていきます。
 そのほか、面白そうな企画には乗ります。

業務連絡のようになってしまいましたが、
記事はできるだけ分かりやすく、見た目に楽しめる内容にしたいと思っています。

見ていただけるだけでもうれしいのですが、コメントをいただけると非常に励みになりますので、できましたらコメントもいただけると幸いです。

今年も日常旅行日記をよろしくお願いいたします。


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