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2011年9月

2011年9月30日 (金)

増田清建築ツアー(1)三木楽器本店

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先日、精華小校舎愛好会の建築勉強会1周年記念として開催された、大阪に残る建築家・増田清の作品を巡るツアーに参加しましたので、その報告をします。

精華小校舎愛好会は、なんばに近い旧精華小学校校舎の敷地が売却されることになっているため、この非常に価値のある建物を広く皆さんに知ってもらおう、自分たちも勉強していこうということで活動されています。
 →旧精華小学校についてはこちら
  「大阪の誇り・旧精華小学校」

旧精華小学校を設計したのが増田清なので、今回の企画になったそうです。
集合場所は、本町から心斎橋筋を南に下ったところにある三木楽器本店・開成館です。
ここでのレクチャーと見学会からスタートしました。
手前に見えているのが心斎橋筋のアーケードです。

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北面が近代建築らしい顔を見せています。
入口に「書籍 楽器 大阪開成館 三木佐助」の文字が刻まれています。
三木楽器は江戸時代の文政8年(1825年)に書籍業で創業し、書店であった頃の屋号が「開成館」なのだそうです。明治21年にオルガンなど楽器の販売を始めました。書店としても楽譜や音楽教科書を扱いました。

そして大正14年(1925年)に創業100周年(!)を記念して建てられたのが現在の三木楽器本店・開成館なのだそうです。
(以上は、勉強会で教えていただいたことで、基本的に以下も同様です)

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窓と窓の間に四角い装飾が入るのは、大正時代に流行したセセッションという形式です。
この建物はベルリンのスタンウェイ本社を参考に建てられたらしいそうです。

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こちらは心斎橋筋側の入口です。奥まっている壁面の濃い色のタイルが元々のものだと教えていただきました。

設計にあたっては、構造は増田清、内装はこれも有名建築家の本野精吾が担当しています。
本野精吾は山田耕筰と同時期をベルリンで過ごしたことがあり、当時ベルリンのスタンウェイ本社ができたばかりで、増田清は本野精吾の東京大学の後輩という関係だそうです。

 >本野精吾の建物では、以前、旧鶴巻邸を紹介しました。

大正14年というのは、関東大震災(大正12年)の直後で、建物の耐震性が注目された時期で、増田清は当時珍しい鉄筋コンクリート建築の設計ができる「構造の専門家」として抜擢されたのではという話が出ていました。精華小学校についても同様の事情と推測されています。

増田清は広島でもたくさん設計をしているのですが、爆心地近くでも倒れなかったらしく、いかに堅牢な建物を建てたかということが知れます。

順に内部を紹介していきます。

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入口上部にはステンドグラスがはまっています。
山か森と鳥が描かれています。

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入口のドア。
カットガラス風のガラスといい、取っ手といい、みごとです。

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1階の売り場です。
このしっかりした梁が増田清ならではなのでしょう。
奥に見える本棚は上部がオリジナルで、引き出し式になっています。

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柱頭部分。細かく装飾が入っています。

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柱に付いている照明はキツツキ。
非常に凝ったデザインです。

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2階へ上がる階段。大理石がふんだんに使われています。

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階段手すりの装飾。ハープでしょうか。

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また別の階段です。人造石研ぎ出しで仕上げられているのですが、滑らかな仕上がりで、これは現場で職人さんが削るため、大変な作業だそうです。

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美しい曲線。階段の裏側も手を抜きません。
作業する人はたぶん大変。

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吹き抜けの階段が屋上階まで上がっています。

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吹き抜けの中央にはフック。
滑車を付けて、楽器を運び上げたのでは?という話でした。
心許ないフックですが。

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上から吹き抜けをのぞき込みます。
引き込まれるようなゾクゾクする階段です。

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逆に地下にも案内してもらいました。
オリジナルらしきタイルが残っています。六角形や長方形のタイル。

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エレベーターの階数表示板はクジャク風といっていいのでしょうか。

今まで三木楽器本店は、近代建築としてあるということは知っていましたが、内部がこんなに見事な建築だとは知りませんでした。強さも兼ね備えた素晴らしい建築だと思います。

つづきます。


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2011年9月24日 (土)

まちかどの警ら連絡所ら

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先日、堺を歩いていて、印象的な交番がありました。
深いひさしに木製サッシの窓です。
よく見ると交番ではなくて、「並松町警ら連絡所」と書かれています。
「ら」? 警察官たちということ? そうではなくて、「警邏」(けいら:警戒して見回ること)の「邏」が難しいので平仮名になっているだけでした。交番よりもっと簡易で、警察官は常駐せず、巡回の時に立ち寄る場所です。

この「警ら連絡所」という言葉、そういえば今までの記憶にある、と思い返して、以前に気になって撮った交番の写真を確認すると、どれもこれも交番ではなく「警ら連絡所」でした。

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「浜寺公園警ら連絡所」(2008年7月撮影)

昭和7年にできた旧浜寺公園派出所です。
公園の立地を考えて和風建築風で、屋根をかぶせてあります。
視界を確保するために窓が大きくとられています。

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「東天下茶屋警ら連絡所」(2008年4月撮影)
 
最初に「警ら連絡所」という言葉を見たのはここでした。
阪堺電車の脇に立っています。木製サッシが使われ、かわいらしくて、いい雰囲気やなあと思っていました。

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「御幣島警ら連絡所」(2009年9月撮影)

バランスが良くて好きな建物です。
今は白く塗り込められていますが、下の方はスクラッチタイルが張られています。スクラッチタイルなら昭和初期の可能性も?

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「白鷺警ら連絡所」(2009年12月撮影)

東住吉区の白鷺公園近くの警ら連絡所です。
スチールのサッシで、1950年代の建物といった雰囲気です。シャキッとしたデザイン。

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「梅香交通警察官詰所」(2009年6月撮影)

似たようなものに「交通警察官詰所」というのもあります。
交差点に建っていて、交通警官が詰めるようです。
モダンデザインが入っています。ちょっと開口部が狭すぎるような気もしますが。

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「八戸ノ里交通警察官詰所」(2010年4月撮影)

なんでこんなところに建っているのだろうと思った交通警察官詰所です。
かなり広く窓をとっています。

ネットで調べると堺市には警ら連絡所は3つ、吹田市には5つしかないとか、警ら連絡所は廃止の方向で、並松町警ら連絡所の存続運動があることなどが分かってきました。

さらに「警ら連絡所」で検索しても大阪のものしかあがってこないということは、大阪府警独自のものなのか、よそでは別の名前で呼ばれているのか、などなど興味が尽きません。

せっかくだから見に行けるだけ見に行ってみよう、と出かけてみました。

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「三軒屋西警ら連絡所」

最初は大正にある警ら連絡所です。
大きな通りに面しています。金光教会に隣接しての配慮でしょう、和風の屋根をかぶせています。

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「相川警ら連絡所」

次いで大阪市東淀川区の相川です。相川の駅前から放射状・円弧状に街路が伸びているのは、昭和4年に新京阪(鉄道会社)が開発した計画的な郊外住宅地だからで、いずれじっくり歩いてみたいと思っていました。今回は駅前だけです。

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洋風の屋根がかかっていて非常にかわいらしい。
JRの東淀川駅に通じるものがあります。

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足元に布目のタイルが張られ、入口に石材が使われるなど、古い建物のように思われます。

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森ノ宮に移動しました。
ここの角に「森ノ宮警ら連絡所」が建っていたはずなのですが、既にありません。
グーグル・ストリートビューで見ると在りし日の姿が映っています。



(グーグル・ストリートビューより)

とてもいい感じだったようですが。
ホームセンターができるそうで、開発に飲み込まれてしまった形です。

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「中道本通警ら連絡所」

玉造まで歩いて、こちらの警ら連絡所。
近代建築関係では有名な建物です。暗越奈良街道沿いで、とてもいい味を出しています。

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ボーダーのタイルや豆タイルが使われています。
この建物は昭和12年に建てられたものです。

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「中道町警ら連絡所」

その近くの大通りに面してあります。
モダンでスクエアな建物です。

さらに玉津2丁目に「大成通警ら連絡所」があったようなのですが、確認できませんでした。

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「大今里警ら連絡所」

今里方面に歩いて、最後はこちらの警ら連絡所です。
ちょうど赤いランプがつく瞬間に立ち会いました。
赤い丸ランプもいいですね。

どの建物も味があるなあと思いながら帰ってきてさらに調べていると、やはりというか、既にこの警ら連絡所を取り上げている方がおられました。

「野里町歩紀 〜摂河泉をゆく〜」というブログで、
「愛しき警ら連絡所たち 〜静かに街を守る赤い門灯〜」という記事を書かれています。

丹念にたくさん回っておられて、すばらしい記事です。
連絡手段がなかったので、気付いていただけると良いのですけど。

あまりないのではと思っていたのですが、まだしばらく楽しめそうです。
「野里町歩紀」さんの紹介されているものも含めて、いま分かっている範囲でグーグルマップに落としてみました。

○中津警ら連絡所 
 これも前を通って、気になっていました。
○南田辺警ら連絡所
 これは更地になっている?
○柴島警ら連絡所
 2006年に放火されたらしいですが、無事でしょうか。
○通天閣下警ら連絡所
 通天閣の下にもあったんですね。

などいろいろ気になるものがあります。
皆さんも小さな交番を見かけたら、ぜひ立ち止まってみて下さい。
「見つけたよ〜」という報告もお待ちしています。マップに追加したいと思います。


より大きな地図で 警ら連絡所・交通警察官詰所 を表示

<関連ブログ>
 野里町歩紀 〜摂河泉をゆく〜
 「愛しき警ら連絡所たち 〜静かに街を守る赤い門灯〜」

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2011年9月22日 (木)

山形の旅(18)余目の倉庫群

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鶴岡と酒田の間に余目という駅があります。
酒田から山形に行くとき、ここで乗り換えましたが、山形から新潟に向かう帰りにもここで乗り換えになり、1時間弱の待ち時間があったので外に出てみることにしました。

ここは庄内平野の真ん中で、庄内町といいます。
平成17年に余目町と立川町が合併してできた新しい町です。

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(この写真は余目からではないですが)駅からは雪をかぶった鳥海山がきれいな姿を見せていました。
山形は山がきれいです。

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駅前にはどっしりした旅館があります。
交通の要衝だからでしょうか。

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前にも倉庫の記事で紹介しましたが、ここ余目には巨大な農業倉庫があります。
4階建てぐらいの高さがありますね。

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倉庫の事務所は下見板張りのレトロな建物です。

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隣の白い倉庫も味わいがあって、とくに「余目町農協」の太い文字がいいです。扉も渋い。

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巨大倉庫を横から見てみました。
山形の他の農業倉庫と同様、雨除けのひさしが大きく突き出ています。

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隣にも倉庫?と思ったら、これがなんと庄内町新産業創造館の賃貸オフィス。情報通信企業が入っています。
昭和12年(1937年)に土蔵造りで建てられた新堀農業倉庫雑品庫(床面積435平米)をきれいに改装、2008年にオープンしたものだそうです。

隣の巨大な倉庫は、新堀農業倉庫の本倉庫(床面積1350平米)で昭和9年(1934年)に建てられたものらしい。これも土蔵造り。両方とも旧余目町長の故高梨四郎さんが設計されたそうです。調べていくと、酒田の山居倉庫に対抗して農民自ら経営する倉庫として建てられたようですね。

本倉庫も観光案内所を併設する形で整備される方針のようですが、既に3年が経過。どうなっているのでしょう。

<参考>
 庄内日報「農業倉庫を改装 新産業創造館 賃貸オフィスが完成 情報発信のシンボルに」(2008年3月4日)
 「庄内町新産業創造館整備基本計画」(平成19年9月、平成21年2月)(PDF)

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また旅館のような建物がありました。これも古そうです。

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町の中心に向かって歩いて行くと、また別の倉庫がありました。こちらもかなりの規模です。
(取り壊し中の家ごしに撮っていますので、ちょっと不思議な図ですが)

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広々とした敷地。

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ずらりと並ぶひさし。

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裏側に回ると小さな蔵のようなものが建っていました。
それにしても広い敷地です。

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ちょっと変わったものを見つけました。
軒下の妻の部分に縄を吊っています。地元の人に聞けば分かるだろうと、通りがかりのおばあさんなどに尋ねるのですが、「さあ」という感じで、そんなに馴染みのあるものでもないようです。

電気屋さんで写真を見てもらってようやく、出羽三山で神事に使った引綱を、魔除けとして掲げているものだと分かりました。

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まちなかで見かけた蔵。とても凝った造りになっています。

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洋館付き住宅?

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1時間もない待ち時間は、あっという間に終わり、特急いなほで新潟に向かいました。

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車窓からは水を張って田植えを待つばかりの水田が続いていました。
もう日も暮れかかっています。

山形の記事はこれで終了。次は新潟に移ります。


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<関連記事>
 「酒田の百年農業倉庫」

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2011年9月20日 (火)

山形の旅(17)山形の旧県庁・議事堂

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山形市の霞城公園でゆっくりして、昼にそばを食べるともう残り時間はわずか。
時計を見ながら大慌てで自転車を飛ばしました。
ここだけはということで、行き先は山形県郷土館「文翔館」です。

通りの突き当たりに建つ立派な建物です。

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見た目にもお役所っぽいですけど、その通りで、旧山形県庁舎です。
大正5年(1916年)に完成した建物です。
時計塔がぬっと突き出しているのが独特ですね。
(その時はそんなこと考えている余裕がなかったのですが)

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この建物の面格子はなかなか立派です。
シンプルなようでいて芸が細かい。

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お隣にはこれも立派な県会議事堂が建っています。
見た目には違いますが同時期で、明治44年の大火で以前の県庁・議事堂が焼失した後、大正2年に着手、大正5年に完成しています。設計は田原新之助で、顧問が中條精一郎です。
中條精一郎はともかく、田原新之助の名前は知らなかったのですが、この建物の完成直後に40歳で亡くなっているそうです。そうでなければ、もっと名前を残した方だったのでしょうね。

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旧県会議事堂の面格子はシンプル。

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どちらを見学しようか迷って、時間がないので、さっと見学できそうな旧県会議事堂の方を見学しました。両館は昭和61年から10年がかりで修復されたそうです。

広い議場ホールはイベント会場にも使われています。
床はこれも天然素材のリノリウムです。日本では作られていないのでドイツ製で修復したという徹底ぶり。

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2階に上ってみます。
美しい階段の親柱。カーペットも復原されています。

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なぜか透かしがハートマーク。

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柔らかな光が差し込んでいて、いいですね。

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来賓室のシャンデリアもカーテンも復原。

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旧県庁舎と旧県会議事堂は渡り廊下でつながれています。
アーチ窓が連続していて、夕陽が差し込む頃が良さそうです。

名残惜しいのですが、これだけをささっと見て離れました。

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駅への道を急いでいると、ものすごくインパクトのある建物があり、思わずブレーキをかけました。
吉池小児科皮膚科医院となっていて、とても医院とは思えないのですが。
後で調べると、設計はなんと中條精一郎で、大正元年ですから県庁・議事堂の仕事より先です。中條精一郎は米沢出身らしいので縁があったのでしょうね。

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床下換気口の面格子がなかなか細かい細工です。

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敷地のずっと奥に建っていて、教会か何かのように思えます。

今回は柄にもなく、建築家の紹介などもしてしまいました。
山形市には他にもいろいろ見るべきものがあるのですが、今回は様子見ということで、ほんの一部だけの見学に終わりました。また改めて訪ねたいと思います。

<関連HP>
 山形県郷土館「文翔館」
 
<関連記事>
 中條精一郎の設計では、
 「札幌農学校昆虫及養蚕学教室、図書館」などがあります。


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2011年9月19日 (月)

山形の旅(16)山形の擬洋風病院

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山形でレンタサイクルを借りて、まず霞城公園内にある山形市郷土館を見に行きました。
霞城公園は山形城の城址公園で、山形市郷土館は明治11年に建てられた済生館という病院を移築したものです。

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当時の県令(知事)・三島通庸が建てさせ、大工が西洋建築に倣って建てた擬洋風建築です。たった7ヶ月で建てたそうです。見た目には3層ですが、内部は4階です。とても風変わり。

病院として使われていたので改修の手も加わっていたのですが、昭和44年に移築する際、明治期の姿に復原されました。

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正面から見ると、扇形の色ガラスが連続して見えます。

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礎石や土台には柔らかそうな石材が使われています。

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下見板と鎧戸を近くから。

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山形市郷土館は無料で公開されています。

当初は医学校が併設され、教頭として招かれたオーストリア人のローレツが西洋医学を教えていました。そこで建物自身の資料はもちろんですが、医学資料を中心に、郷土資料が展示されています。

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建物はユニークな形をしていて、丸い中庭をぐるりと囲むように部屋が配置され、回廊がめぐっています。当初の復原なのか知りませんが、枯山水や和風の植栽の庭です。

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回廊がこのように。
風通しと日当たりが良さそうです。

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この建物でもう一つ面白いのが2階に上がる階段です。
ジェットコースターのような階段です。
ちなみに床は天然素材のリノリウムだそうです。

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正面から見たときは見えませんが、実はここに階段があります。

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振り返るとこんなルートです。
とても長い階段。

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公開部分は2階までですが、さらに上に螺旋階段が伸びています。

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階段も装飾的で、和風の細工が施されています。

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天井のシャンデリア。

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廊下の照明。植物の実を思わせるかわいらしい照明です。

展示物の撮影は禁止だったので撮っていませんが、展示も建物のかつての様子や山形市内の写真・地図などがあり、参考になりました。

<関連HP>
 山形市HP「山形市郷土館」(みどころ解説あり)


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2011年9月17日 (土)

山形の旅(15)山形市内をサイクリング

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酒田を午後に出て、列車を乗り継ぎ、夕方山形市に到着しました。
山形国際ホテル泊で、この写真はホテルからの眺めです。
山形は遠く山に囲まれた盆地です。

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山形駅はメタリックな駅ビルです。
県庁所在地らしい立派な駅。

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駅前からイオンショッピングセンター行きの無料シャトルバスが出ているのが今風でしょうか。

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街並みはすっきりしていて、きれいという印象です。
一部しか見られませんでしたが、街路はいたるところ、きれいに整備されています。

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今回、山形市内で使える時間は半日だけでした。
あまりに時間が短かったかも。

「城下町やまがた観光レンタサイクル」があるので、これを利用しました。
観光客は無料で利用できます。山形駅観光案内所など、8ヶ所の貸出返却ステーションのどこで借りても返してもいいシステムです。

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山形市内中心部の七日町に社会実験の自転車道があってびっくり。
思い切った実験をしています。
反対もあるようですが。

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新しい山形については以上ですが、私はもちろん古い街の方に興味があって、それに関しても山形市は力を入れているようでした。
「城下町やまがた探検地図」というものがあり、これは街の看板ですが、大判のマップやウェブでも配布されています。
 →HP「城下町やまがた探検地図」

江戸時代の城下町だけでなく、近代の街もカバーされています。

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香澄町で見かけた立派な洋館。

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和風の古そうな住宅。

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街中にも石造の蔵があります。

今回、山形市に関しては少ししか回れなかったのですが、2回に分けて紹介します。


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2011年9月15日 (木)

石切の信仰の道(東大阪市)

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3回にわたって石切の紹介をしてきましたが、一般的には石切と言えば石切神社(石切さん)、そして門前の濃密な商店街でしょう。占いの店が特徴的です。近鉄奈良線の石切駅から石切神社まで坂道を下る商店街ですが、逆に登っていくとどうなるでしょうか。

実際に歩いたルートとは順不同ながら紹介します。

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線路の向こう側には静かな町がありました。

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下見板張り、白ペンキ塗りの酒屋さん。

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裏側に回ると古い長屋で、古い布団屋さんがあります。
奴のマークが面白い。

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長屋と長屋の間に下に降りる階段。
のぞき込んではっとしました。
井戸だったのでしょうか。
長屋の基礎がレンガです。

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道を登ります。
今度は赤レンガの工場があります。

(追記)
工場ではなく、大正14年の元銭湯だそうです。
kousenさんからの情報で、ナムダーさんのブログ「河内彷徨 〜郷土を見に行く〜」の「レンガ積みの建造物」に紹介されていました。kousenさん、ナムダーさん、ありがとうございます。(2013.1.3記)

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さらに進むと左から登ってくる道と合流する辻。
一番大師堂があります。

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石造物がアール・デコっぽい。

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その向かいには四光地蔵尊、爪切地蔵尊(弘法大師が爪で刻んだという伝説)の地蔵堂があります。
大事な辻だったようです。

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ちょっと左の道の方も見てみましょう。
風情のある石垣と土塀が続いています。

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古いお医者さんがあります。

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玄関灯もレトロです。

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さて、地蔵堂のある辻から上は数mごとといっていいぐらいにお地蔵さんが現れます。
この道は生駒山を越えて宝山寺(生駒聖天)まで続く信仰の道で、途中、石切神社の奥の院もあります。

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この谷(辻子谷)には寺院も点在しています。
アール・デコのような門柱。

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洋風の木造小屋などもあります。
この谷にはかつて水車がたくさんあり、製薬会社などもありました。

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振り返ると河内平野です。下りは夕方には夕陽を眺めながらになります。

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石切神社の上之宮にも寄ってみました。
奥の院や元宮といった場所を訪ねるのは実はとても好きです。

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いろいろなお社や滝の行場などがあるのですが、面白い(?)のが、こちら。石切神社で願掛けに亀の置物を納め、願いが叶うとこちらの神社にまた別の亀の置物を供えるらしい。
ですからここにある亀はみんな願いが叶った証です。
めでたいですね。

宝山寺まで歩くわけにいかないので、このあたりで引き返しました。

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おまけ。石切神社の参道から少し外れたところに木造下見板張りの長屋住宅がL字型に並んでいました。

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2階と別々の入口になっているのでしょうか。
とても味わい深い長屋です。

石切編はこれで終わりとします。
次からはまた山形編です。

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2011年9月10日 (土)

ブログ6周年御礼

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<新潟の坂道>

このブログは本日、6周年を迎えました。
日常旅行日記を見ていただいている皆さま、コメントをいただいている皆さま、ありがとうございます。

本人はもっと長く続けている気がします。
この記事で708本目ですので、この1年の記事は69本。
年に100本を目標としていますので、ちょっと不本意な数字です。

震災の影響も多少はありますが、活動範囲が広がり、ペースを崩してしまったことが大きいかなと思います。でもペースを取り戻しつつあるので、波はありますが、続けて行きます。
気長にお付き合いください。

昨年の5周年でこれまでを振り返りましたので、今年はこの1年を振り返ります。


 ●2010年
  2月にツイッターを始め、ツイッターを通しての
  やりとり、活動、アクセスが増えました。
  夏から面格子ファンクラブがスタートして、
  大勢でコレクションを作り上げる楽しみを覚えました。
  旧開高邸の取り壊しの件や旧精華小学校活用の件では、
  ご縁が広がりました。

  ・1月 相生旅行
  ・2月 東京旅行
  ・5月 飾磨旅行
  ・5月 彦根旅行
  ・7月 夏の新潟・佐渡旅行
  ・11月 生野区に農学校跡を訪ねる
      門司・下関旅行
  ・12月 生野銀山の鉱石の道ツアー
      旧開高邸のこと
  
 ●2011年
  ブログは低調ながら活動の幅が広がった年です。
  3月に面格子写真展を開催することができました。
  大阪の中の西日本を探すシリーズをぼちぼちと開始。
  仕事帰りの銭湯めぐりも始めました。
  新潟とのご縁が続き、行ったり、迎えたり。
  密かに調査中の記事がありますが、
  それはまとまれば報告します。
  
  ・3月 旧精華小学校のこと
      東日本大震災
      面格子写真展開催
  ・5月 山形・新潟旅行
      みなとQさんを訪問(大阪の西日本シリーズ)
  ・7月 洋裁学校のギャラリー(新潟からお客さん)
  ・8月 石切探訪(遊園地跡と住宅地)

 これからもよろしくお願いいたします。
 コメントをいただけるととても励みになります。

<関連記事>
 5周年の記事

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2011年9月 8日 (木)

石切の眺望住宅地(東大阪市)

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石切に出かけたのは、日下遊園地跡を見るのが目的でしたが、もう一つ見ておきたい場所がありました。
それは石切の郊外住宅地です。

大正3年に上本町〜奈良間の大阪電気軌道(今の近鉄奈良線)が開通すると、沿線で郊外住宅の開発が進みました。瓢箪山から石切にかけての生駒山麓にいくつもの住宅地ができ、石切の住宅地もその一つです

現在の東石切4丁目で、石切山荘地会社による石切山荘園(1928年(昭和3年))に当たるのかと思いますが、確実なことは分かりません。
近鉄奈良線・石切駅の西側の斜面にあります。。

ご覧の通り、桜並木の配された緑豊かな住宅地で、斜面に平行する平坦な道と直交する坂道・階段で区画されています。

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たぶん眺望を売りにしていた住宅地で、この傾斜ですから、どの家からもかなりの絶景が期待できます。その点、六甲山麓の住宅地と立地が似ているともいえます。六甲は南斜面、こちらは西斜面という違いはありますが。

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傾斜のきついところではこんな坂があって、今はこんな道の付け方はしないでしょうね。

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メインストリートはおそらくこの桜並木の坂道。これに次ぐのがたぶん最初の写真にあげた平坦な桜並木です。

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まず洋風の住宅から見ていきましょう。
最初に見つけたのがこの洋館付き住宅です。
和瓦と洋瓦の屋根が組み合わさっているのが分かりますか?

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こちらは洋風っぽい住宅。
屋根が腰折れになっています。

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この住宅などいい洋風住宅なのですが、屋敷森に覆われてほとんど見えません。この住宅地は大区画のお屋敷も多いようです。

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これでも裏門です。瑠璃色の瓦が少し見えています。

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和風の住宅はもう少し外からも確認しやすくて、例えばこんな住宅があります。

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蔵付きの住宅があるのは、古い住宅地の特徴です。

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あまりに緑豊かで建物がよく見えない住宅も多いのですが、門ならよく見えます。
こちらの門は門扉の上に模様入りのアーチがかかって、凝っています。門を入ると右に登り道があり、建物は左奥にあるようでした。

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門柱のベストはたぶんこれ。半円の庭のようなスペースに屋根付きの門柱。タイルをずらしながら貼っています。

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左右高さの違う、スクラッチタイルの門柱。

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丸い石を積んだ門柱。見事に立体的な生け垣です。

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昔のオーソドックスな門柱と門扉。家が見えません。

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木彫りの門扉です。

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リズムをもって流れるような塀。

外からでも街並みを楽しめましたが、一度お屋敷の中から河内平野を眺めてみたいものです。

<関連記事>
 「少しだけ額田山荘」

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2011年9月 4日 (日)

日下遊園地の周辺(東大阪市)

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前回の記事で日下(くさか)遊園地について紹介しましたが、今回はその周辺で気になったものを紹介します。

まず天女ヶ池の南側。ちょっと感じの良い住宅が並んでいます。

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ここでツボにはまったのが玄関口。
モルタルに赤い石や白い小石を並べているのですが、これは洲浜(曲線の砂浜)を表現しているのでしょうか。隣の玄関も似たようなデザインでしたので、統一的にやっていたようです。

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天女ヶ池の西側には古そうな木造住宅がありました。

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通路から玄関までが遠いので近づけないのですが、焦げ茶の下見板張りの壁、白い木の窓枠、さらに丸窓という近代洋風の住宅です。門から続く壁も煉瓦積み。

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こちらも並びにあって、和風の古そうな住宅です

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旧鷲尾駅に向かう旧坂にあった永楽橋の石柱。
左の細い通路を抜けると日下遊園地です。

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旧鷲尾駅の側にあった橋と階段。
とても丁寧に仕上げられている橋です。
門柱が立っていますので、どこかの家に至るのでしょうが、遠くてうかがえません。

周辺を見てもモダンな郊外の雰囲気が伝わってきます。

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大正時代の日下遊園地(東大阪市)

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夏の太陽が照りつける先週、石切(いしきり)に出かけました。
近鉄奈良線の石切駅は生駒山をくぐる直前の駅で、大阪平野が見下ろせる山麓にあります。

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<大正15年発行 2.5万分の1「生駒山」>

目的はこの地図に表示されている日下(くさか)遊園地です。
調べてみると大正4年から昭和初期にかけてあった遊園地だとのこと。
何か痕跡がないか確認したくて出かけたのでした。



当時の線路は現在の線路の北側を走って、大正3年に開通した旧生駒トンネルをくぐっていました。大正15年の地図に示される鷲尾駅は大正3年に日下駅として開業し、大正7年に鷲尾駅と改称、昭和15年にさらに孔舎衛坂(くさえざか)駅と改称して、昭和39年に新生駒トンネルの開通とともに廃止されました。石切駅の位置も今より南です。

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昔の線路跡に沿って歩いて行くと、古い変電所が現れました。
いつのものかは分かりませんが。

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昔の線路跡は予想外にはっきり残っていて、駅舎こそありませんが、プラットホームはそのままです。
トンネル入口は厳重に管理されていました。

旧生駒トンネルや孔舎衛坂駅について紹介されている方は多いので、そちらをご覧下さい。
生駒トンネル工事は相当な難工事で、多くの犠牲者を出し、大阪電気軌道(近鉄)や工事を行った大林組の経営を危うくさせるほどのものだったようです。

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駅前には「くさかみち」(日下道)の道標が立っていました。もう少し上にもう1つあります。

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鷲尾駅跡から住宅地を抜けて道をたどると、天女ヶ池(日下新池)のほとりに出ました。この周りが日下遊園地です。

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<大正15年発行 2.5万分の1「生駒山」>

さきほどの地図を拡大して細かく書き込んでみました。

大阪商業大学商業史博物館さんのバーチャルミュージアムの記事(リンク切れ)によれば、日下遊園地は大正4年(トンネル開通の翌年)に地元の手で開設され、メインは池の北側の日下温泉でした。池の東岸には料理旅館「永楽館」、少女歌劇団の舞台がありました。池には貸ボート、堰堤には桜、ミニ動物園もあり、南側には乗馬クラブもあったとのこと。



現在も天女ヶ池はそのままありますが、遊園地の跡をしのぶのは難しそうです。
当初は大阪電気軌道も日下遊園地に協力的でしたが、大正15年には独自に菖蒲池遊園地、昭和4年に生駒山上遊園地を開園し、日下遊園地自身の経営トラブルも重なって遊園地は衰退していきました。

日下遊園地を開発したのがどんな会社だったのかについては下記の文献があります。
小川功氏「生駒山麓の遊園・観光開発計画の蹉跌 −日下温泉土地を中心として−」(生駒経済論叢、2009年7月)(PDF)

温泉浴場本館のできたのは大正10年なのですね。

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桜の堰堤から。今は静かな池です。
もともとは多くあった、ため池の一つなのでしょうね。

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池の東岸を見たところ。背後は草香山でしょう。

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もう少し目を凝らすと、古い石垣が見えます。
大正15年の地図で東岸に3つの建物が描かれていますが、たぶん一番北にある建物の土台ではないかと思います。

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池の南東に立っている建物のあたりが料理旅館「永楽館」の跡ではないかという気がします。奥のあたりにボート乗り場でしょうか。

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池の北岸まで歩くと古い石垣と階段が現れました。

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登ってみるとちょっとした公園になっています。
明らかに建物の跡です。

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ここは「パンドラの丘」と名付けられています。
説明によれば、なぜパンドラなのかというと、
日下遊園地が衰退した跡、温泉旅館の建物を利用して、昭和12〜17年まで孔舎衛健康道場という結核療養施設があり、ここで療養していた太宰治ファンの手記をもとに太宰治が「パンドラの匣」という小説を書いたことにちなむそうです。

ここを整備されたのは森林ボランティアの「日下山を市民の森にする会」で、このパンドラの丘を活動拠点にされています。

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孔舎衛健康道場の写真なども掲示されていました。

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パンドラの丘の裏手に、気になる構造物がありました。
どうも貯水槽のようです。

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割れたモルタルの下から煉瓦が覗いていて、煉瓦積みであることが分かります。日下温泉会館または孔舎衛健康道場の時代のものではないでしょうか。
三角の刻印が入っています。

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その上にももう一つの貯水槽らしきもの。

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さらにその上にも煉瓦の小さな構造物がありました。

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改めて北側から池を眺めます。

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少し高いところまだ上がると、池の堰堤越しに大阪平野が眺められます。
とても気分爽快な遊園地だったでしょうね。

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帰りは北西の道から出ました。
堰堤を切り通すように道が作られています。

あまり日下遊園地をしのぶものはありませんでしたが、有志の方が再び公園として整備しているようで、今後が楽しみでもあります。

<近くの記事>
 ○枚岡神社に初詣
 ○元演習林の枚岡公園
 ○東大阪ものづくりの源流-豊浦界隈
 ○少しだけ額田山荘

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2011年9月 3日 (土)

山形の旅(14)酒田の2つの商家

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酒田の記事の最後に、江戸時代の2つの商家を紹介します。
北前船のことを考える上でも大事な場所です。
まず最初は、酒田のみならず、戦前には日本一の大地主だったという本間家の旧本邸。

本間家は佐渡を支配した本間氏の流れで、江戸時代の初期に酒田に移り、「新潟屋」の屋号で商売を始めたようです(向かいの別館「お店」の場所)。
海運業が主業で、金融業も営んでいたのですが、稼いだお金で代々田地を買っていったことで大地主となりました。また、砂丘への植林や港の整備など公益事業や、藩への資金援助なども積極的に行っていたそうです。

この本間家旧本邸は三代光丘(1733-1801)が幕府の巡見使を迎えるための本陣宿として明和5年(1768年)に建て、藩主酒井家に献上した建物です。役目を終えると建物は再び本間家に与えられ、本間家の屋敷となったため、武家屋敷と商家が一体の珍しい建物になりました。

四代目の光道(1757-1826)が6隻の船を造って北前船交易を行ったことは日和山公園の記事で紹介した通りです。

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非常に立派な門構えです。

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植わっている松なども立派なもの。
玄関から入ります。

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玄関周りや壁の石垣には福井の笏谷石(しゃくだにいし)が使われているようです(違いが分かりませんが)。

内部撮影禁止でしたので、写真はここまで。
本間家旧本邸は、昭和20年まで本間家が住み、昭和24〜51年まで公民館として使われ、今は観光施設として有料公開されています。
本間家旧本邸ホームページ※音が出ます

広い屋敷内はガイドの方が、武家屋敷部分と商家部分の作りの違いなど、見所を案内して下さいます。
昭和51年の酒田大火のときには屋敷の蔵が火を食い止めて、類焼を免れたそうです。

酒田には旧本邸以外にも、今は本間美術館となっている本間家別荘「清遠閣」・庭園「鶴舞園」などがあります。

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続いて同じ通りの旧鐙屋へ。
旧鐙屋は酒田を代表する廻船問屋で、井原西鶴の「日本永代蔵」にも登場するそうです。
現在は市が管理する観光施設として公開されています。

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展示されていた旧鐙屋の屋敷図です。
現在公開されているのは左のピンク色の部分で、元々は4倍の敷地でした。
現在の建物でもかなり広いですよ。

現在の建物は弘化2年(1845年)の火災直後に再建された建物を修復したものだそうです。

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こちらは内部撮影もOKだったので、紹介します。
入口を入ると帳場があって、商売の様子が再現されています。

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土間がずっと奥まで続いていて、土足で行き来できます。

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奥行きが長いでしょう?

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庭も眺められます。明かり取りは十分。

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見事な桟の細工です。

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台所では昔の料理なども再現されていました。

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旧暦の大の月の看板?

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釘隠の金具はやはり凝っています。

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土蔵が資料館になっていて、取り外された金具などが展示されていました。
縁起物です。

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庭に出てみました。
奥の建物がさっきまでいた建物です。
ゆったりしています。

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庭の敷石も緑っぽいので笏谷石かも。
屋根には石が乗っていますでしょう。

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この地方特有の石置杉皮葺屋根という形式の葺き方です。
同じものを鶴岡の丙申堂で見ましたが、風が強いからかもしれませんね。

酒田については、旧花街の料亭なども見どころなのですが、今回は回る時間がありませんでしたので、またの機会としたいと思います。


より大きな地図で 山形旅行 を表示

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