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2011年8月

2011年8月22日 (月)

貝塚の昭和のまちかど(2010年9月)

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前回の記事では貝塚の旧遊郭という極端な場所を紹介しましたが、もう少し普通のいい風景もありますので、少し紹介します。
再び駅前通り。ひさしが互いに調整したようにカラフルですね。

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駅前通りの本屋さんです。
塵芥箱が写っていることに最近気付きました。

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このタイルがなかなか凝っていて、基本1×2のタイルなんですが、スパイス的に1×1のタイルを入れているのがちょっとしゃれています。

「ヘビが巻き付く家」のタイルの使い方と似てません?

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レトロな玄関灯。

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シンプルで清々しさのある玄関。

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とても懐かしさを感じさせる掲示板のある壁。

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貝塚は願泉寺を中心とする寺内町で、格子戸の街並みがあります。

このとき願泉寺は平成の大修復工事中でした。
願泉寺については省略しますので、公式HPをどうぞ。
願泉寺HP

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願泉寺は丘の上にあり、紀州街道が丘の下を通っています。

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貝塚の産土神の感田神社です。

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境内には小さな堀があって、環濠の名残なのだそうです。
石橋がかかっていてちょっと面白い。

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もう一つの石橋。

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街中で見かけた外科医院。
木製の文字がいい感じです。

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街中で見かけたちょっと気になる煙突。
電線を避けているんでしょうね。

貝塚は懐かしいまちかどがたくさんあります。

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2011年8月17日 (水)

貝塚遊郭の跡(2010年9月)

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昨年の9月4日なので、もう1年近く前になりますが、貝塚を歩きに行きました。
南海本線の貝塚駅を降り、海に向かって歩くと、緩くカーブする昭和の商店街があります。
この左側に貝塚遊郭跡があります。(後で知ったのですが)

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<明治31年 5万分の1地図>

明治の地図を見ると、そのあたりはまだ空白で、ミカン畑だったという話も。
大正3年に移転してきたそうです。

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<昭和22年 2.5万分の1地図「岸和田西部」>

昭和22年の地図で斜線で塗られているあたりが旧遊郭ではないかと思います。

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現在も遊郭跡の雰囲気を偲ぶことはできます。
例えばこの割烹。立派な構えをしています。
昭和37年創業らしいですが、それ以前からあったような風格。
この通りがメインストリートだったようです。

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縦のボーダーが印象的な建物。
柱の部分にはびっしりタイルが張られていますし、玄関周りもまたタイルです。

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こちらもちょっとひねりのある建物。
1解の目隠し風の壁も変わっていますが、2階にタイルの飾りがあります。

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拡大してみるとこんな感じ。
タイル見本のように渋いタイルが集められています。

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換気口の面格子が竹。凝ってます。

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こちらも洋風のカフェー建築。ちょっと和風。

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ここまでくると大がかりです。
塗り直してきれいに使われていますね。
書き割り風。

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こちらもアーチの窓が連続で。
裏を小川が流れています。

総じて洋風のカフェー建築が多くあるようです。

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ところでこれらの建物は、ちょっとした台地の上にあります。
台地の下に回ってみると、高い煉瓦の擁壁が!

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境界部分を横から見たところです。
計画的に造成されたことが感じられます。

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遊郭跡に抜ける情緒のある路地。
坂道と落ち着いた街並みが魅力的な貝塚です。

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2011年8月13日 (土)

山形の旅(13)酒田の日和山周辺の建物

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酒田の日和山周辺には、他にもいろいろ興味深い建物があります。
例えばこの4階建てのビルのような建物。
旧白崎医院の目の前に建っています(この裏が旧白崎医院)。

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旧白崎医院側から見るとこんな感じ。
4階に、屋上に出る外階段があります。

旧白崎医院の事務所の方に「これは何の建物ですか?」と尋ねると、「それを聞かれるのは3人目です」と笑いながら、料亭で屋上にお客さんを上げていたことを教えて下さいました。

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4階部分には凝った装飾が施されています。
後で調べたところでは、「割烹はら」の洋館というのが正式な名前で、昭和10年の建物だそうです。

日和山公園の北には「新町」の町名案内板が立っていました。料亭・割烹などの建物が斜面に集まっていて、海を望む遊興の地であることが分かります。大阪も新町は旧花街ですね。

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建物にはめこまれた色ガラス。
夜にはぼんやりと光ったのでしょうか。

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また、日和山の東側(市街地側)には、旧割烹小幡があります。奥に見える和館部分も。
昭和元年頃の建物だそうです。

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映画「おくりびと」で葬儀社・NKエージェントの事務所として使われ、今は観光施設となっています。(時間がなかったので内部はパスしましたが)

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旧割烹小幡の側壁に、旧白崎医院で見たような型押しの鉄板が使われていました。

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これは日和山公園に西にあった理髪店の廃墟。
タイル張りの柱が面白かったので。

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日和山の隣にある元砂丘の上には下日枝神社が鎮座しています。
日枝神社は酒田の鎮守で、現在の社殿は、砂丘の植林などを行った本間家の本間光丘が天明4年(1784年)に建立しています。

酒田の街の構造として、西側の松の丘(旧砂丘)に下日枝神社など神社が並び、街の北側に寺町が連なって、東の端に上日枝神社があり、南側は最上川から入り込んだ水路に面していたようです。

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下日枝神社の社殿は、神使のサルの彫刻が目を引きます。
生々しい。

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下日枝神社の参道の一つはそのまま街の軸になっています。

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この丘には、大正14年に本間光弥が建てた私設図書館である光丘文庫もあります。その後、市立図書館としても使われ、寄贈されて現在は市立光丘文庫となっています。

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光丘文庫からは酒田市街が眺められます。

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丘の東側にあった下見板張りの建物。

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同じく丘の東側にある洋館。

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法律事務所で、とてもいい雰囲気の洋館です。
周辺には他にもあるのかもしれません。
こんなところも新潟と似ていると思ったりします。

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少し離れますが、丘の北東には日本基督教団酒田教会があります。
赤いトンガリ屋根が目印。大正13年(1924年)の建物です。

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酒田日本基督教会のプレートが玄関上にはまっています。

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向かいにも洋風下見板張りの建物がありました。

日和山の周辺には華やいだ建物が多く集まっているようです。


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2011年8月 6日 (土)

山形の旅(12)酒田の大正医院 〜ディテール編〜

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前回、酒田の大正時代の洋館である旧白崎医院を紹介しました。
今回は旧白崎医院のディテールを紹介したいと思います。
白い世界です。

まず玄関の照明器具。当時は珍しい国産らしいという話でした。

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診察室の表札。ホーローでしょうか。
墨で書いたような字体に味わいがあります。
ここだけでなく、手術室など、それぞれの部屋の入口に部屋の名前が留められていました。

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手術室の洗面台。年代物です。

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手術室の照明。
そのままの状態で壁に付いていました。

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前回の記事でも書きましたが、天井にはドイツ製ではないかという模様入りのプレス鉄板が張られています。
北九州の門司麦酒煉瓦館(旧サッポロビール門司工場事務所棟)でも同じようなものを見ました。

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これが部屋ごとに違うんです。

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それぞれに違いますでしょう。

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さらに拡大。

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部屋の隅の部分には帯状に模様が入っています。

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ちょっとした留め金にまで模様が入っています。

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部屋の角を覆う鉄板。
模様を石を思わせます。

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ドアノブはどら焼き風。

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階段の手すり金具も丸みを帯びたデザインで、渋く光っています。

細々したところまで、よく昔の状態で残してきたものだと思います。

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2011年8月 5日 (金)

山形の旅(11)酒田の大正医院

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酒田の日和山公園裏の松林に白い洋館が立っています。
大正8年(1919年)に建てられた旧白崎医院(外科医院)です。
元々はまちなかの本町通りに建っていたのですが、昭和51年の酒田大火後、復興土地区画整理のため、昭和55年に移築されました。

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油問屋を営んでいた白崎敬之助氏が、遠くまで(横浜ではないかという話)洋館を視察に行き、自ら設計したそうです。棟梁は小松友治郎氏。

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建物に入る前に。向かいにも小さな付属建物があります。
小さいながら、手前から便所、供待所、人力車庫と部屋が並んでいます。

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持ち送りや軒の装飾なども丁寧です。

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床下換気口面格子も忘れずにチェック。
シンプルなタイプです。

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この建物は酒田市の所有で、入館は無料です。
中では管理の方が丁寧に解説してくださいました。
玄関を入ると真っ直ぐ廊下があり、突き当たりが手術室です。
左は手前から薬局、診察室。右は手前から控室、看護婦控室。手術室の右に消毒室があります。
それにしてもきれいに移築してあるものです。

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玄関には往診用のそり(!)が展示されていました。
さすがは雪国ですね。

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廊下を反対側から。

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廊下の窓越しに控室をのぞきこむ。畳敷きです。

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手術室。実際にこの手術台で外科手術をしていたそうです。
想像はやめておきましょう。

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2階への階段。とても急です。
手すりも当初から付いていたもので、輸入品では?とのこと。
壁の角が鉄板で保護されています。石積み風?でしょうか。

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階段の途中から振り返って見上げたところ。
天井にもドイツ製らしいという装飾入り鉄板が使われていて、ここからだと間近に見ることができます。

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2階の階段の手すり。ここは洋風です。

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2階は家族の住居だったそうです。
奥は一段高い物置。左右は居間です。

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2階は和風で畳敷きです。住むのは和室なんですね。廊下をはさんで居間が並びます。

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物置の窓は足元から立ち上がっています。

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居間の窓からは松林越しに海が眺められます。
いい場所に移築したものです。

素人の設計で建てたとは思えない、しっかりした建物です。他にお客さんもいないので、私はゆっくり写真を撮りながら楽しみました。

次回はディテールを紹介したいと思います。


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2011年8月 3日 (水)

山形の旅(10)酒田の日和山公園

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酒田の日和山公園は、今回の旅行で押さえておきたかった行き先の一つです。
日和山は天候で出航の判断をするために船乗りが上った小高い山で、港の近くにあります。さらに日和山公園は明治6年に指定された最初期の公園の一つでもあります。さらに言うと、既に江戸時代から藩の土地でありながら庶民に開放されていた、公園的な場所だったようです。

日和山の位置に行くとさすがに見通しが良く、現在も港を眺めることができます。
正面に見える灯台は後で紹介します。

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ここには寛政6年(1794年)に設置された最古(と解説には書いてある)の方角石が据えられています。

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日和山公園には常夜灯もあります。(公園内ではないようですが)
文化10年(1813年)に船頭や廻船問屋が航海安全を願って設置した「灯台」です。

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日和山にある神明神社。
他に航海の神様の金比羅神社もあります。

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この神明神社から港に下る階段は、神明坂といって、文化14年(1817年)に本間家が船頭や人夫が荷物を運ぶ便を考えて作ったそうです。港の機能の一部と言えますね。

本間家は別の記事でお屋敷を紹介しますが、農地改革で解体されるまで全国一の大地主だったそうです。この文化14年の頃は四代目で、北前船の事業に乗り出し、6隻の船を持っていたそうです。それ以前、砂丘に植林をしたのが三代目だとか。

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日和山六角灯台(宮野浦灯台)までやってきました。
江戸時代以来の灯台は常夜灯でしたが、明治27年の庄内大地震を機に、明治28年、対岸の最上川河口に建てられた洋風灯台です。大正12年にこちら岸に移され、昭和33年に新しい灯台ができたときに、「町内会連合会の熱意で」公園に移設されたそうです。
港に働く人たちにとってシンボルだったということでしょうか。

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こんな記念碑もありました。
石井虎次郎という人の紀功碑です。
石井は千葉県の松戸出身でオランダ人技師ファン・ドールンに学びました。明治18年に酒田港の改修工事が始まると工事監督に当たり、故郷の工法にオランダの工法、独創を加え、熱意をもって工事を進めました。明治34年に完成。その後、洪水被害がなくなったそうです。

記念碑は明治34年に建てられています。
このように労に報いることは大事なことですね。

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※クリックすると拡大します。
詳しいことを知りたい方はこちらの案内板をお読み下さい。

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雨こそやんでいましたが、あいにくの空模様。
日和山公園の入口からの眺めです。
右奥に灯台が見え、奥が日和山です。

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酒田といえば、河村瑞賢。
高い台座から海を眺めるように、きりっと立っています。
河村瑞賢は寛文12年(1672年)、出羽の国の幕府米を酒田港から大坂・江戸に送るため、西回り航路を開発しました。

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1/2サイズの千石船(日吉丸)も池に浮かべられています。

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公園の駐車場には河村瑞賢庫跡のモニュメントが立っています。
この場所に天領米の御米置場(通称、陣屋)があり、その広さは150m×82mあったそうです。
川船で運ばれてきた米はいったんこの蔵に納められ、海路の船に積み替えられて送られました。

日和山公園に来ると、酒田の港の歴史を濃厚に感じることができます。


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