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2011年1月

2011年1月30日 (日)

上町台地地下ツアーに参加

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1/29(土)、「ここほれワンだぁ!上町台地地下ワンダーゾーンツアー」に参加してきました。
上町台地マイルドHOPEゾーン協議会の主催で2日間開催された「オープン台地 in OSAKA」のプログラムの1つです。
ツイッター仲間4人の方と一緒でした。
参加者は全部で20人です。
天満橋から近い北大江公園に集合します。

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北大江公園の下に眠る石町の通りについて説明を受けました。
ちょうどこの歩道の方向です。

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北大江公園から土佐堀通に下る味のある石段の途中。
前々から気になっていた、開かずの扉の向こうが何なのかが明らかに。
これを知りたいというのが今回参加した大きな理由でした。

後の茶話会で地元の方に伺ったところでは、ここは国方レースという会社の建物の地下室入り口だったそうです。上にも建物が建っていたとのこと。時々噂で聞く防空壕ではないそうです。
内部には窓や階段なども残っているそうですが、今のところ非公開です。
扉といい、周りの装飾といい凝っています。

以前はこれ以外にも、階段に沿って家が建っていて、それぞれ入りやすいように階段を改修していたそうです。階段が所々、非対称になっている理由はそれかもしれません。

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北大江公園の見学を終えると、島町の通りにある丸善ボタンビルに移動。
1960〜70年代のビルらしい階段デザインで思わず写真を。

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この日は「北大江今昔茶話会」が開かれていて、ツアーはそこに一部お邪魔する形で、戦前から戦後にかけてこの地に住んでおられた方に思い出話を伺いました。
マリアンさんのマドレーヌもお土産に。


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昭和30年代の住宅地図を投影しながら説明していただきました。

・北大江公園の階段を上がった脇には森に囲まれた大阪ハリストス正教会(明治43年〜昭和20年)があって、白系ロシア人が出入りしており、子供たちは中に興味を持ちつつも近寄りがたかったこと。京都ハリストス正教会と同じ設計図だそうです。
・島町の通りは戦前は木煉瓦の道で馬が歩いていたこと
・島町の夜店が賑やかだったこと
・八軒家の渡船で行き来して遊んだこと
・天神橋から天満橋でもカキ船があったこと
・昭和20年3月13日夜、空襲を受けて労働会館の地下壕に避難したこと
・果ては八軒家に水上警察があって、昔はよく死体が流れてきたこと(行き倒れた人が投げ込まれたらしい)まで

いろいろなお話を楽しくご紹介いただきました。
まだまだ聞いていたかったぐらいです。

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続いては地下鉄・谷町線で谷町四丁目駅まで。
地下ツアーなので、移動も地下鉄というのがこだわりです。
南大江小学校の西側に、太閤(背割)下水の見学施設があります。
今回は入れていただきましたが、普段でも上がガラスになっていて、のぞき込めます。

太閤下水というのは、秀吉が取り組んだ大坂の街の造成に伴い、1598年に建設が始まった素掘り下水道だそうです。建物の裏を流れていたので、背割下水ともいいます。
江戸時代後期に石積となり、明治22年には総延長350kmに。
現在も20kmが使われており、うち7kmは今後も使えるということで、文化財指定されているそうです。

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下水の断面図です。両脇をがっちり石積で固めています。
明治19年、23年のコレラ流行を受けて、目地がモルタルで埋められたそうです。

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さらに地下鉄で谷町九丁目まで移動。
北上して、上汐の花屋さん、花熊さんにお邪魔しました。
なんと1604年創業の大阪で一番古い花屋さん。寺町の仏花が専門です。
こちらの命が地下水です。見た目に分からないのですが、上の丸囲みのところに蛇口があって、地下水をお裾分けしてくださっているそうです。

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普通に流しですが、蛇口をひねれば地下水です。
実際に飲ませていただきましたが、まろやかでとてもおいしいお水でした。
地下水の層が4層あってその一番下から取水しているそうです。
元々の井戸はもっと西側の谷町筋の下あたりにあったのだとか。

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花の生け方の基本を示した絵。
3代目、1670年頃の絵ではないかとのこと。

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お花、そして井戸は地下室にあります。

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これが井戸です。かなり深く、フラッシュをたかないと分かりません。
pH6.8の弱酸性で、花が長持ちする水だそうです。

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と、地下室の片隅に日本酒が。
創業400年祭の記念品として恥ずかしくないものということで、ここの地下水を仕込みの水に使い、4年間低温熟成させた日本酒をつくられたそうです。
それが良かったのでまた作られて、現在熟成3年目というのがこのお酒「夢ごこち」。
山田錦を使った大吟醸だそうです。

なんとサプライズで、1本特別に開けていただくことになりました。
なぜかお酒好きの参加者が多かったようで、大盛り上がり。
非常においしいお酒でした。もちろん非売品です。

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この後、ツアーはハイハイタウンまで行って解散となったのですが、私たち5人は谷町九丁目の地下街にある純喫茶の「門」でお茶をして帰りました。
40年ほども営業されているそうで、コーヒー230円と非常に安いです。
周りにも気になる立ち飲みの店などもありました。

以上、サプライズも含めて非常に楽しいツアーでした。
また企画されることを願います。

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生野めん食会館の周辺(大阪市生野区)

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前回の記事の補足的な内容になります。
もともと勝山通を調べたきっかけは、「大阪 アホげな小発見。とか」で紹介されていた大阪府生野めん食会館でした。
結局、この会館を調べたことにはなってないのですが・・・

この会館周辺の風景もいい感じなので、写真で紹介します。
会館は勝山通に面しています。
この写真の左手が旧平野川の河道で、ここは右岸にあたるようです。

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まず会館そのもの。
スクラッチ風のタイルで覆われたレトロな感じの建物です。

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扉などもいい感じに古びています。

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窓には面格子が。

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向かいには3階建ての黒っぽいタイル張りの町家が並んでいます。
このように連続するのは珍しいのではないでしょうか。

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間には3階建ての医院。

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3階建て町家に入っているシャツの仕立屋さん?

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裏通りにも長屋が残っています。

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東には新平野川が北にまっすぐ流れています。
大正12年の付け替え。

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旧平野川の土手だったと思われる道を桃谷駅に帰る途中、大正6年の「神中通」の石標がありました。
大阪市が拡大していく時期の痕跡が残されています。

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2011年1月26日 (水)

農学校のあった丘(大阪市生野区)

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「大阪 アホげな小発見。とか」の山本龍造さんとの約束で、勝山通を見に行ってきました。
環状線の桃谷駅で降りて、面格子の多い道を南に抜けると勝山通にぶつかります。勝山通は明治33年に開通して昭和8年に拡幅された古い幹線で、両脇には古い建物も残っています。

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医院の建物。はっきり撮るには入り込まないといけないので遠慮していますが、庭に面する窓を見るとかなり古そうです。

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プール女学院・勝山キャンパス。明治12年、川口居留地で永生女学校として創立され、大正6年にこの地に移転してきました。当時はプール女学校です。

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※クリックすると拡大します

なおも勝山通を歩いて行くと、道の脇にこの記念碑があります。「大阪府立農学校跡」の碑。かつて、ここに農学校がありました。

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さらに歴史を遡ると、5世紀前半につくられた御勝山古墳があります。平野川から東は河内湖だったはずですので、湖を見下ろす位置だったのでしょう。その後、大阪の陣で秀忠の陣所が置かれて勝利したため、御勝山の名があります。勝山通の勝山もこの御勝山からです。

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<明治18年?大阪近傍図中部>
※クリックすると拡大します。

明治の中頃、このあたりは全くの郊外です。
上町台地から、猫間川の谷を挟んで伸びる尾根に古墳があります。
桃山停車場が描かれていますが、開業は明治28年だそうです。

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<明治33年大阪市街全図>
※クリックすると拡大します

明治23年、大阪府農学校(明治21年創設)が堺から移転してきます。敷地面積は4.3万坪で、御勝山古墳の前方部が開墾されました。
また、四天王寺東門通りが延長され、農学校道となりました。
まるで四天王寺と相対するかのような配置。
正面には木造様式建築の本館が建っていたそうです。

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<大正15年頃?大阪都市計画一覧図>
※クリックすると拡大します

大正時代を迎えると学校が次々と移ってきます。
大正元年に大阪高等商業学校(のち天王寺商業高校)が江戸堀から、大正6年にプール女学校が川口から、大正12年に生野高等女学校が泉尾から移転してきました。

大正7年に市区改正、大正12年に都市計画が施行され、大阪府農学校を貫通する形で道路拡幅が計画されました。農学校は大正15年、再び堺へと移転していきます(のち大阪府立大学)。

大正12年には平野川の付け替えも行われています。

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<昭和9年 大大阪市街全図>

大阪府農学校が移転した後、今度は様々な官庁が跡地に移転してきます。
昭和3年に鉱山局が上本町から。西日本の鉱山を監督していた役所で、生野鉱山や石見銀山などもここの監督です。
御勝山古墳の南には昭和4年に地震計室、昭和8年に測候所が港区からやってきます。
地盤がしっかりした土地だからでしょうか。
また消防署もできています。

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<昭和16年 大大阪市街全図>

昭和9年の地図には出ていなかったのですが、昭和2年には興国商業学校(のちの興國高校)が下福島から移転してきています。鶴橋警察署もできています。

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<昭和29年頃 最新大阪精図>

昭和18年には生野区役所、昭和23年には郵便局ができました。
生野簡易裁判所もできて、すっかり文教・官庁街の様相です。
その要因となったのが大阪府農学校ということです。

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ここで、再び現在の様子を紹介していきます。
御勝山のあたりから西に勝山通を見たところです。

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御勝山古墳だった場所の前方部は、御勝山南公園ですが、ここに大阪管区気象台があったことを示す記念碑が立っています。

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昭和40年代の写真も添えられています。

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古墳、農学校、気象台と歴史を重ねてきた土地も、今は静かな公園となっています。

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公園の南には戦前のものと思われる洋風の長屋住宅がありました。
屋根の瓦がそれぞれ違ってカラフル。

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農学校跡を離れて、勝山通りをさらに歩いて行くと生野めん食会館のレトロな建物があります。
元はといえば、山本龍造さんにこの会館のあたりを歩いてみますお約束したのがきっかけ。お話をいただいたために興味深い歴史を知ることになりました。

長くなりましたのでこのあたりは次回に紹介します。

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2011年1月16日 (日)

北田辺の戦前住宅地(大阪市東住吉区)

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これも北田辺の旧開高邸を見学したときのことです。
前回に続いて、周辺の街を紹介します。
どなたか忘れたのですが、「裏手にこんな建物があるよ」と写真を見せてもらって、後で見に行ったのが、この衣笠荘です。ヘビの柱の住宅の隣です。
アパートと言ったらいいのでしょうか。共通の玄関を入ってから、中の各部屋に向かうようになっています。
表は塗り直されていますが、側面が下見板張りで古そうなことは分かります。

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玄関部分はこんな感じ。玄関扉もレトロです。
タイル張りの円柱も古い建物でよく見かけるもの。

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「衣笠荘」のプレートも味のある字体です。

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裏側に回ると古い建物ということがよく分かります。
昭和初期に流行したという下宿風のアパートを見てみたいと思っているのですが、もしかしてこれがその一つなのでしょうか。

 >「アパート生活は果たして快適か」(新聞記事文庫、大阪朝日新聞、昭和6年10月16日)

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また、近くにはもう少し時代が下りそうな(戦後かな)、第二松栄荘というアパートがあります。
玄関が2つなのは男女別に分かれている?

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さらに西今川に未舗装の路地があり、気になる石柱が立っていました。
古い住宅地で時々見かけるものです。

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近寄ると、「紀元二千六百年記念 北田辺 東明町會」と書かれています。
裏側には「昭和十五年四月三日建之」とあります。

このエリアは田辺耕地整理の施行区域の一部です。
大正13年に設立認可され、既に昭和4年には換地処分が終わっているので、昭和初期に多くの住宅が建ち並んだと思われます。空襲の被害も比較的少なかったところなので、戦前から多くの住宅が残っているようです。

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周辺には戸建て住宅も多く、例えばこんな洋館付きの住宅。
塀の透かし模様も素敵です。

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同じ住宅の洋館部分。

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また別の洋館付き住宅。

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和9:洋1ぐらいの和洋折衷の長屋もあります。

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おまけで、ある住宅の妻の飾り。
(「水」とかよく書いてある。何と呼ばれるのか知りません)
和風の住宅に多い飾りですが、デザインが洋風です。

北田辺のあたりは、このようにモダンな住宅もある住宅地だったようです。

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2011年1月12日 (水)

ヘビが巻き付く家(大阪市東住吉区)

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新年早々、更新が滞っていてすみません。
ちょっと軽い記事をご紹介しておきます。
まだしばらく昨年の記事ですが、我慢してお付き合いください。

北田辺の旧開高邸に伺った折、ついでに周りも歩いてみました。
裏手にあって気になったのがこの住宅です。

柱がなんだかねじってある。

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すごい、こんな柱は初めて。
どう見てもヘビに見えますよね。
タイルが鱗に見える。

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そう思って2軒隣の住宅を見ると、ここは玄関の枠が気になる。

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やっぱりヘビ柄です。(正確には花柄?)

おそらく同じ人が作ったのでしょう。
インパクトのあるタイルの使い方です。

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2011年1月 2日 (日)

明けましておめでとうございます

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<止止呂支比売命神社(とどろきひめのみことじんじゃ)/大阪市住吉区>

皆さま、明けましておめでとうございます。
(既に2日になりましたが)

昨年の正月は抱負で新しい試みがしたいと書きましたが、
実際はばたばたとしたまま日が流れてしまいました。

結果的には、ひょんなことから面格子ファンクラブがスタートすることになり、
たくさんの方に参加していただくことになりましたので、
帳尻があったような、でも内心複雑な気分です。

今年の抱負はシンプルにいこうと思います。
一つ、歴史もので取り上げようと思っているテーマ(人物)があります。
ちょっと調べものがたいへんかもしれません。

ツイッターで知り合った方から「マイペースですね」と言われました。
昔からあって見過ごされているような素敵なものを見つけたいと思っていますので、そうならざるをえないところがあって、やはり私はこのテーマ、というのが見えましたので、ますますマイペースになるかもしれません。
オフ会などはむしろ好きですのでご理解ください。

もちろん読んでいただけるだけで大変ありがたいのですが、コメントをいただけるとなお励みになります。

本年も「日常旅行日記」をよろしくお願いいたします。

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