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2010年12月13日 (月)

鉱石の道ツアー(1)生野を散策

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先日、J-heritageさんからお誘いを受けて生野鉱山の「鉱石の道」モニターツアーに参加してきました。
生野鉱山は、江戸時代の生野銀山をもとに明治時代に開発された、生野・神子畑(ともに朝来市)・明延(養父市)の3鉱山の総称です。
そして3鉱山を結ぶトロッコ、専用道路が「鉱石の道」と呼ばれています。

鉱石の道は、積出港である飾磨(しかま)につながる「銀の馬車道」・播但鉄道に接続しています。
飾磨は以前に紹介しました。

ツアーは神戸発着の一日みっちりのコースで、若い人を中心に45人が参加していました。
生野の町は兵庫県の真ん中あたり。最初に生野の玄関口・口銀屋(くちがなや)地区に到着しました。奥に見えるのが古城山といって江戸時代、最初に銀山が開発された山です。

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生野鉱山は昭和48年に閉山しました。
いま生野では産業観光に力を入れています。
中でもこの宮町通りでは街路の修景が進んでいます。

左は江戸時代に役人が泊まった郷宿の一つ、井筒屋です。母屋は天保3年。江戸時代は管理が厳しく、一般の旅人は生野に宿泊できませんでした。平成14年から、生野まちづくり工房として活用されています。
(口銀屋地区をガイドの方に案内していただきましたが、回った順ではなく、おおよその時代順に紹介します)

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口銀屋地区の一番奥には4棟の旧鉱山官舎が残っています。
手前の3棟は明治9年に建てられたもので、日本最初の社宅ではと言われているとか。
鉱山は官営(明治元年〜22年)、宮内省御料局(明治22〜29年)、三菱(明治29〜)と経営が移っていきますが、官舎・社宅は引き継がれました。
三菱時代は甲社宅と呼ばれていました。

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玄関側から見たところ。

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裏側から見たところ。きれいに復原整備されて今年から公開されています。
なお、名脇役で知られた故志村喬氏は明治38年、甲社宅の1軒(既に解体)で生まれたそうで、記念館もできています。

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こちらの建物も甲社宅の一部でしょうか。
まだ住んでいる方がおられます。

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生野の街の特徴として、このカラミ石があります。
鉱石を溶かして銅などを取り出した後、型に入れて固めたものです。
明治に入って鉱石の生産量が増えると鍋で固めて捨てるようになりましたが、そのうち捨てる場所もなくなり、ブロック状に固めて売り出されました。
生野の街ではこのように塀や家の土台などで見かけます。

1個の重さが100kgほどもあって非常に重たいので外に出ることはありませんでした。
煙害のため、大正11年に銅の精錬施設が瀬戸内海の犬島に移転するとカラミ石の生産は終わりました。

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カラミ石はベンチにも転用されています。
こういうのいいですね。

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もう一つ特徴的なものに赤い生野瓦があります。
生野の瓦は3種類あるという説明で、黒い瓦、赤い瓦、白いコンクリート瓦です。
赤い瓦というと石州瓦をイメージしますが、同じように寒冷地の使用条件に耐えるため、高温で焼かれた瓦です。
生野瓦の生産は昭和10年に終わりました。

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街は次第に賑わい、明治19年には和田山警察署生野分署の擬洋風建築が建てられました。
現在は一区公民館となっています。

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破風には漆喰細工(?)で警察マーク、また旧生野町の町章が入っています。
車輪のように見えますが、イが9つにノが1つ="いくの"という語呂合わせだそうです。昔の紋章にはこのパターン多いですね。

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口銀屋地区の南には市川が流れていて、ここで折れて南流しています。
ここからの景色は非常に良いです。

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川縁に護岸のようなものがありますが、実は大正9年にできたトロッコ道です。金香瀬(かながせ)坑道の鉱石を旧生野駅に運搬するためのトロッコが走っていました。
ところどころアーチもあります。

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この建物は井筒屋の斜め向かいにある昭和7年の洋館付き住宅です。外壁はスクラッチタイル。
江戸時代に地役人だった浅田家の邸宅で、昭和28年に生野カトリック教会に売却され、平成19年に朝来市に譲渡されて公開されています。

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洋館部分のシャンデリアと天井飾りは見事な装飾です。

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近くには三区公民館があります。
昭和初期の鉱山施設を移築したものだそうです。
(逆光で見にくくてすみません)

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生野鉱山は3つの鉱山からなると言いましたが、生野自体もいくつもの地区に分かれています。
市川に沿って川を遡っていきました。
古い橋と対岸に白い建物が見えます。白い建物は(株)SUMCOの関西事業所(生野工場)で、シリコンウェーハを製造しています。
この建物がある場所には、かつて昭和4年にできた鉱夫の福利施設「協和会館」(共栄会館)がありました。

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少し先には生野鉱山本部(三菱マテリアル生野事業所)があります。
背後の山は明治の初めに金銀山として開発された太盛山(たせいやま)です。
構内の奥に洋風建築が見えますが、事業所が営業中なので入ることはできません。

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ここからバスに乗って金香瀬(小野地区)に向かいます。
金香瀬坑口の門は菊の御紋付きの立派な門で、宮内省御料局時代(明治22〜29年)のものであることが分かります。

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門の脇に気になる建物がありました。
これも鉱山関係の建物ではないでしょうか。

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この先に金香瀬坑口があります。
現在、観光施設として坑道の一部が公開されています。
後で別の坑道を見学するので、今回のツアーでは見学なし。

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ここで名物のハヤシライスをいただきました。
都会から来た鉱山職員の奥さんが社宅で作って広めたのが生野ハヤシライスだったそうです。
おいしかったですよ。

山の中でありながら、モダンな文化があったことを興味深く感じます。
まだツアーは続きます。

<関連記事>
 「鉱石の道ツアー(2)神子畑の選鉱場跡」
 「鉱石の道ツアー(3)明延の坑道に入る」
 「生野駅周辺を散策」(2011年)

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