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2010年12月

2010年12月31日 (金)

2010年お世話になりました

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皆さま、今年2010年も『日常旅行日記』をご覧いただきありがとうございました。
また、コメントをいただいた皆さま、とても励みになっています。

今年を振り返ると大きなできごととしては、
・7月に3回目の新潟旅行(佐渡島)に出かけたこと。
・2月にツイッターを始めたこと
・面格子ファンクラブに参加したこと
 でしょうか。

 ツイッターを始めるとますます時間がなくなるのではないかとかなり迷ったのですが、始めて見るとまた新たな方と知り合うことができ、また連絡にも便利でとても良かったと思います。ブログとは相乗効果を出せると感じました。いくらかブログのアクセスも増えている気がします。

 また面格子ファンクラブもツイッターがきっかけだったのですが、細く・ゆるく・長く続けるつもりが、思いの外、賛同してくださる方多く、来年3月には写真展をしようという話になっています。また詳しくはお伝えします。

皆さまには今年もたいへんお世話になりました。
あとわずかですが、皆さま、良いお年をお迎え下さい。

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旧開高邸のこと(大阪市東住吉区)

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年内の記事は年内に全て消化しようと意識しているのですが、今年は持ち越し確定してしまいました。
最後の記事は、旧開高邸のご紹介にします。

作家の故・開高健さんが昭和12年12月(7歳)〜27年正月(22歳)まで暮らした長屋が、大阪市東住吉区の北田辺にあります(私も知らなかったのですが)。
その長屋が近々売却・解体されると聞いたのが11月の終わり。
12/4に内々の見学会があって参加してきました。

長屋といっても建て替えられて1軒のみになっています。
場所は近鉄南大阪線の北田辺駅からすぐ。
周囲にも多くの戦前からの長屋が残っています。

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長屋としては立派なもので、前後に庭があります。

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外観はサッシに変えられずに木製の桟が残っていて、非常にきれいな状態です。

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玄関を入ると市松模様のタイル。
その周りもまたカラーのタイルです。

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大阪歴史博物館の酒井さんが見つけられたという一枚だけ裏返されたタイル。
そんなところに気付くのはさすが。

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玄関を入るとまっすぐ2階に上る階段があります。
この背中側には台所があります。
近年までご親族が住んでおられましたので、台所はさすがに改修されていました。

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ここが一番見どころの和室。
大きな窓から庭が眺められます。
ちょっと残念だったのは、欄間など一部の部材は保存のため既に取り外されていることです(残されるのですから結構なことですが)。茅ヶ崎の開高健記念館や大阪の住まいのミュージアムに保管されるそうです。

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洗面所・お手洗い・浴室には庭を回り込む廊下の先にあります。

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この廊下もいい雰囲気です。

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洗面台はぜひ見て下さいと言われました。
古いもののようです。
後ろにお手洗い、奥に浴室があります。

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続いて2階(2回目、夜に訪問したときに撮りました)。
廊下をはさんで2間あります。奥の部屋に開高健さんがおられたそうです。

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2階の表の座敷。
床の間があります。

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この日はイベントのために一時的に欄間が戻っていました。
鳳凰の透かし彫りの欄間です。

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2階の表の廊下。

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ガラス戸開け放つとこんなふうになります。

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2階の物干し場から中庭を見下ろしたところ。

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ふすまが部分的にはがされて、下から元のふすまらしきものが出ていました。長らく覆われていたため、とてもきれいな状態です。

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こんな版画風の柄も。

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最後に昔懐かしい雨戸の鍵。

旧開高邸では、12/10に有志で「一夜限りのトリスバー」というイベントを開催して、開高ファンや縁のある方々が集まられました。

解体は残念ですが、人知れず消えていくのでなかったのは良かったと思います。
このような建物があった記念として少し多めの写真を入れた記事にしました。

なお、今回のイベントについては、毎日新聞さんや、皆さんが記事にされていますので、ぜひご覧下さい。
ずっと詳しく紹介されていますので。

<関連記事>

 毎日新聞「一夜限りのトリスバー:開高健さんしのび開店 大阪の旧宅で乾杯」(2010年12月11日・大阪)
 毎日新聞「開高健さん:旧宅でトリスバー 大阪・東住吉で10日、一夜限りの偲ぶ会」(2010年12月7日・関西)

 十三のいま昔を歩こう「さよなら開高健の旧宅「一夜限りのトリスバー」

 ☆Connyなブログ♂♀「一夜限りのトリスバー」

 なお、新年2月11日〜20日には、なんばパークスで、
 「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」が開催されます。
 興味のある方、ぜひご参加下さい。

(追記)
 とうとう解体作業が始まり、1週間ほどかけて解体されました。
 今回のことが建物の保存活用について一石を投じることになれば良いのですが。

 <関連ブログ>
  十三のいま昔を歩こう「さよなら開高健が育った旧宅」
  十三のいま昔を歩こう「開高健旧宅解体」
(2011.1.25、2.12記)
 

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2010年12月23日 (木)

鉱石の道ツアー(3)明延の坑道に入る

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兵庫県の生野鉱山・鉱石の道モニターツアーの続きです。
神子畑に続いては、山を越えて明延(あけのべ)鉱山の跡に向かいました。
養父市大屋町にあります。

奈良時代の開山ともいわれる鉱山で、明治29年に生野鉱山が三菱に払い下げられた後の明治33年から本格的に開発されました。かつて日本一のスズ鉱山であり、スズ、銅、亜鉛、タングステンなど、約40種の非鉄金属鉱脈をもつ鉱山です。選鉱場のある神子畑(みこばた)とはトロッコ電車で結ばれていました。戦後も長く採掘が続けられましたが、円高と資源価格の下落で採算が合わなくなり、鉱脈を残しながら昭和62年に閉山してしまいました。

坑道総延長550kmのうち、650mが青少年教育用の探検坑道として整備されています。今回のツアーではここを見学させていただきました。案内は鉱山で働いておられた方です。

坑道の入り口は道の脇にあって、トロッコの線路が残っています。

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内部には照明が設置されていて、歩きやすくはなっていますが、それほど手を入れているわけではありません。トロッコの線路も残されています。

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線路の分岐。

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鉱脈を掘り進んだ跡。
明延は地盤がしっかりしているので、埋め戻したりしなくても大丈夫だそうです。

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人の通路。

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階段で下の層に降ります。

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ボーリング機。
このように坑道のところどころに、鉱山機械が自然な形で展示されています。

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オフセットストーパといって、手持ちで上に向かって掘削する機械。

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蓄電池式の機関車も展示されています。

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再利用としてお酒の長期熟成用の蔵が設置されています。
きちんと国税局に届けた蔵であることを強調されていました。

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大寿立坑という坑内のエレベータ。

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探検坑道の終わり近くになると坑道が広くなり、大型の作業機械が展示されています。

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ゆっくり説明していただいて出口に出ました。

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※クリックすると拡大します

坑内に坑道の地図が示されていました。
こういう坑道って方向感覚がまひしてしまって、こんなルートになっているとは思いもよりません。

この探検坑道は青少年教育用です。観光施設ではありません。単に博物館・資料館というわけでもありません。説明してくださった方は、明延鉱山は休山しているだけで、将来、資源が高騰したら再び採掘されることがあるのではないかという思いをお持ちのようでした。
そのときに掘る人を育てるための教育。
そんなふうにも感じました。

真摯な思いの伝わるいい施設だと思います。

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最後にツアーでは一円電車を見学させていただきました。
明延と神子畑の約6kmを結ぶ鉱石輸送用の線路があったのですが、その区間を一円で人を運んでいた電車です。非常にかわいらしい。

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中はこんな感じでやはり狭いです。
「護送されているみたい」という声も。

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ほんの短い区間ながら、実際に乗せていただきました。
なかなか楽しいものです。

今回のツアーはここまで。
朝早くから日が暮れるまでみっちりのツアーでした。
ここまで盛りだくさんではたいへんかもしれませんけど、定期的に開催されるコースになってもらいたいなと思います。

個人的には、今回のツアーでハイライト部分は見せていただいたので、鉱山施設や社宅など名残を訪ねる旅にまた来てみたいと思いました。

<関連記事>
 「鉱石の道ツアー(1)生野を散策」
 「鉱石の道ツアー(2)神子畑の選鉱場跡」

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2010年12月22日 (水)

玄関灯も楽しい(大阪市東住吉区)

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近代の建物を求めて街を歩いているといろいろ気になるものがあるのですが、その一つに玄関灯があります。とくにチョコレート型、かまぼこ型のものは戦前に流行ったスタイルなのではと思います。

先日、作家の開高健氏が少年・青年時代を過ごした長屋が売却されるということで、見学会にお邪魔した折に周辺を歩いていると、長屋の門の玄関灯のバリエーションがいろいろとありました。
今回はこれを紹介したいと思います。

まずシンプルなチョコレート型。
左右の桟を見ると、わざと削り跡を付ける昔流行ったスタイルです。
新しい玄関灯が芽吹いてますね。

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ちょっとした格子が入るタイプ。
隣の玄関灯を見ると縦2本の桟が1本だったりするのです。

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市松模様の入ったタイプ。

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面格子風の唐草模様が入ったタイプ。
銅製ですね。角が生えてます。

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かまぼこ型のタイプ。
しゃれたデザインです。

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全く違いますが、シンプルな半円状のものもあります。

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時期の分かる参考例として、阿倍野区阪南町の玄関灯も紹介しておきます。
大正15年に大阪市営の分譲住宅として建設された住宅です。
両側の桟とは半ば独立していて、六角形の門灯が次第に桟と一体化して片面だけのものになっていくのかななどと想像しますが、それはもっと時代と対応させながら見ないと分かりません。

玄関灯も比べて見ていくと楽しいものですね。

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2010年12月20日 (月)

鉱石の道ツアー(2)神子畑の選鉱場跡

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兵庫県・生野鉱山の、鉱石の道ツアーの続きです。
生野の町だけでも十分お腹いっぱいの内容でしたが、瀬戸内海・日本海の分水嶺を越えて(でも同じ朝来市内の)神子畑(みこばた)を目指します。

神子畑は、生野の鉱山が一時衰潮になった際、明治11年に優良鉱脈が再発見され、開発が進みました。そして、明治19〜20年に神子畑と生野が約16kmの専用道路で結ばれました。これが鉱石の道の始まりです。のち馬車鉄道軌道が敷設されます。

専用道路には5つの鋳鉄橋が架けられ、うち2つが現存します。
その1つが写真の神子畑鋳鉄橋です。現存する鋳鉄橋としては日本で一番古いので、重要文化財に指定されています。近くで見ると鋳鉄らしい質感がありました。
(ちなみに現存最古の鉄橋は鶴見緑地に移設されている心斎橋らしいです)

(参考)
「鉱石の道がつなぐ三鉱山」(社宅研究会編著『社宅街 企業が育んだ住宅地』、p143〜156、2009年)、以下も。

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続いて、神子畑の選鉱場跡に到着しました。
神子畑の鉱山は明治の終わり頃には次第に枯渇し、代わって開発された山向こうの明延鉱山にシフトする形で、大正3年には一部工場を残して休止。大正8年には明延の鉱石を選鉱する大規模な選鉱場として再生しました。しかし、それも昭和62年の明延鉱山閉山ともに操業を終え、平成16年に建物も撤去されました。

今回の参加者の中には建物が残っていた頃を知る人もいて、このツアーの企画につながった感慨深い場所だそうです。

私はこのところなぜか選鉱場づいていて、新居浜の星越選鉱場、佐渡・相川の北沢選鉱場と見てきましたが、ここの選鉱場は高さがあります。

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インクラインの線路と一部の建物が残っています。
インクラインというのは「産業用のケーブルカー」と考えていいみたいです。

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解体直前の神子畑選鉱場の姿。
建物があるとないでは印象が違います。
新居浜の星越選鉱場も解体が進んでいるのでしょうか。

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神子畑には明治4〜5年に生野に建設された外国人宿舎の1つが、明治20年に事務所として移築されています。
現在はムーセ旧居の名前で資料館として公開されています。
ベランダを巡らせたコロニアルの建物で、ここはそこまで暑くないだろうと思うのですが。

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瓦屋根には菊の紋章。
明治22〜29年まで皇室財産だった名残です。
瓦は赤い生野瓦ですが、最近復原されてそれっぽく焼きむらをつけたものみたいです。

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館内には往時の神子畑の街並みがジオラマで展示されています。
選鉱場だけでなく、川沿いに多くの建物が建ち並んでいました。

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こちらが力作の神子畑選鉱場の模型。
屋根を取っ払った内部の様子が模型になっています。
これはとても参考になります。上から砕いて、鉱石を順に取り出していって、泥が残ります。
最後に右下にある円盤状のシックナーで水分を除きます。

鉱石は精鉱となり、銅精鉱は直島経由で大阪へ。亜鉛精鉱は秋田へ。錫精鉱は生野経由で直島へ送られ、精錬されたそうです。

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神子畑には2基のシックナー跡が残っています。
今回は特別にシックナーの下に入れていただきました。

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このようにステージがあります。

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コンクリートの柱が林立しています。

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一部ポンプなどの機械も残されていました。
屋外の資料館として展示されていても良さそうです。

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泥を運んだ(?)トロッコの台車も残されています。

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シックナーの操作盤。

廃墟好きの方が多かったので、シックナーはかなり面白い撮影ポイントだったと思います。

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周辺の建物は何軒かの住宅を除いてほとんどないのですが、古そうな小屋が残っていました。
赤いランプが付いているのは、もしかして消防車庫?

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かつてはこの道沿いに建物が並んでいたはずですが、すっかり空き地になっています。
それでもここに町があり、たくさんの人が暮らしていた記憶はなんらかの形で残ってほしいものです。
その手段が観光であってもいいのかなと思います。

<関連記事>
 「鉱石の道ツアー(1)生野を散策」
 「鉱石の道ツアー(3)明延の坑道に入る」

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2010年12月13日 (月)

鉱石の道ツアー(1)生野を散策

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先日、J-heritageさんからお誘いを受けて生野鉱山の「鉱石の道」モニターツアーに参加してきました。
生野鉱山は、江戸時代の生野銀山をもとに明治時代に開発された、生野・神子畑(ともに朝来市)・明延(養父市)の3鉱山の総称です。
そして3鉱山を結ぶトロッコ、専用道路が「鉱石の道」と呼ばれています。

鉱石の道は、積出港である飾磨(しかま)につながる「銀の馬車道」・播但鉄道に接続しています。
飾磨は以前に紹介しました。

ツアーは神戸発着の一日みっちりのコースで、若い人を中心に45人が参加していました。
生野の町は兵庫県の真ん中あたり。最初に生野の玄関口・口銀屋(くちがなや)地区に到着しました。奥に見えるのが古城山といって江戸時代、最初に銀山が開発された山です。

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生野鉱山は昭和48年に閉山しました。
いま生野では産業観光に力を入れています。
中でもこの宮町通りでは街路の修景が進んでいます。

左は江戸時代に役人が泊まった郷宿の一つ、井筒屋です。母屋は天保3年。江戸時代は管理が厳しく、一般の旅人は生野に宿泊できませんでした。平成14年から、生野まちづくり工房として活用されています。
(口銀屋地区をガイドの方に案内していただきましたが、回った順ではなく、おおよその時代順に紹介します)

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口銀屋地区の一番奥には4棟の旧鉱山官舎が残っています。
手前の3棟は明治9年に建てられたもので、日本最初の社宅ではと言われているとか。
鉱山は官営(明治元年〜22年)、宮内省御料局(明治22〜29年)、三菱(明治29〜)と経営が移っていきますが、官舎・社宅は引き継がれました。
三菱時代は甲社宅と呼ばれていました。

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玄関側から見たところ。

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裏側から見たところ。きれいに復原整備されて今年から公開されています。
なお、名脇役で知られた故志村喬氏は明治38年、甲社宅の1軒(既に解体)で生まれたそうで、記念館もできています。

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こちらの建物も甲社宅の一部でしょうか。
まだ住んでいる方がおられます。

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生野の街の特徴として、このカラミ石があります。
鉱石を溶かして銅などを取り出した後、型に入れて固めたものです。
明治に入って鉱石の生産量が増えると鍋で固めて捨てるようになりましたが、そのうち捨てる場所もなくなり、ブロック状に固めて売り出されました。
生野の街ではこのように塀や家の土台などで見かけます。

1個の重さが100kgほどもあって非常に重たいので外に出ることはありませんでした。
煙害のため、大正11年に銅の精錬施設が瀬戸内海の犬島に移転するとカラミ石の生産は終わりました。

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カラミ石はベンチにも転用されています。
こういうのいいですね。

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もう一つ特徴的なものに赤い生野瓦があります。
生野の瓦は3種類あるという説明で、黒い瓦、赤い瓦、白いコンクリート瓦です。
赤い瓦というと石州瓦をイメージしますが、同じように寒冷地の使用条件に耐えるため、高温で焼かれた瓦です。
生野瓦の生産は昭和10年に終わりました。

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街は次第に賑わい、明治19年には和田山警察署生野分署の擬洋風建築が建てられました。
現在は一区公民館となっています。

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破風には漆喰細工(?)で警察マーク、また旧生野町の町章が入っています。
車輪のように見えますが、イが9つにノが1つ="いくの"という語呂合わせだそうです。昔の紋章にはこのパターン多いですね。

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口銀屋地区の南には市川が流れていて、ここで折れて南流しています。
ここからの景色は非常に良いです。

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川縁に護岸のようなものがありますが、実は大正9年にできたトロッコ道です。金香瀬(かながせ)坑道の鉱石を旧生野駅に運搬するためのトロッコが走っていました。
ところどころアーチもあります。

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この建物は井筒屋の斜め向かいにある昭和7年の洋館付き住宅です。外壁はスクラッチタイル。
江戸時代に地役人だった浅田家の邸宅で、昭和28年に生野カトリック教会に売却され、平成19年に朝来市に譲渡されて公開されています。

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洋館部分のシャンデリアと天井飾りは見事な装飾です。

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近くには三区公民館があります。
昭和初期の鉱山施設を移築したものだそうです。
(逆光で見にくくてすみません)

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生野鉱山は3つの鉱山からなると言いましたが、生野自体もいくつもの地区に分かれています。
市川に沿って川を遡っていきました。
古い橋と対岸に白い建物が見えます。白い建物は(株)SUMCOの関西事業所(生野工場)で、シリコンウェーハを製造しています。
この建物がある場所には、かつて昭和4年にできた鉱夫の福利施設「協和会館」(共栄会館)がありました。

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少し先には生野鉱山本部(三菱マテリアル生野事業所)があります。
背後の山は明治の初めに金銀山として開発された太盛山(たせいやま)です。
構内の奥に洋風建築が見えますが、事業所が営業中なので入ることはできません。

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ここからバスに乗って金香瀬(小野地区)に向かいます。
金香瀬坑口の門は菊の御紋付きの立派な門で、宮内省御料局時代(明治22〜29年)のものであることが分かります。

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門の脇に気になる建物がありました。
これも鉱山関係の建物ではないでしょうか。

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この先に金香瀬坑口があります。
現在、観光施設として坑道の一部が公開されています。
後で別の坑道を見学するので、今回のツアーでは見学なし。

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ここで名物のハヤシライスをいただきました。
都会から来た鉱山職員の奥さんが社宅で作って広めたのが生野ハヤシライスだったそうです。
おいしかったですよ。

山の中でありながら、モダンな文化があったことを興味深く感じます。
まだツアーは続きます。

<関連記事>
 「鉱石の道ツアー(2)神子畑の選鉱場跡」
 「鉱石の道ツアー(3)明延の坑道に入る」
 「生野駅周辺を散策」(2011年)

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2010年12月 4日 (土)

奈良の工場跡のカフェ

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前回の記事では、近鉄奈良駅から「きたまち」を通って、喫茶「工場跡事務室」に至るルートを紹介しました。
しかし、実際は行きはお店の方がお勧めしているルートを通りました。
こちらは県庁前を通って登大路町の交差点から、吉城園・依水園に向かう道に入ります。観光客は多いですが、急に落ち着いた道になります。

庭園のあたりは水が豊かです。
その名も水門町には、写真の水門橋が架かっていました。
大正13年の橋です。奈良の橋は古い橋でもシンプル。

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東大寺戒壇堂に向かう道。

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戒壇堂の階段下には「大界外相」という結界石がありました。
階段を上ります。

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さらに戒壇堂と戒壇院の塀の間を抜けます。
なんだか抜け道みたい。

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門を出ます。

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すると目の前に「工場跡」の建物が。
たしかにお勧めされるだけあって素敵なルートです。

話が飛びますが、以前、イギリスのヨークのB&Bに泊まったときに、駅に行く道を尋ねると、近道でも分かりやすくもないけれど、遺跡公園の中を抜けていく道を教えて下さいました。
ほんとに素敵な道でした。
そういう道を教えられるのも文化だと思います。

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さて喫茶「工場跡事務室」に到着。
ここは大正14年に建てられ、昭和55年までフトルミンという乳酸菌飲料の工場だったそうです。
昨年、カフェとして生まれ変わり、今はギャラリーも併設されています。
ゲストハウスも計画されているようです。

(参考)
 >ブログ「フトルミン工場跡再生の軌跡」
  工場跡のHP

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向かいにはNATIVE WORKSという日常着のショップもあります。

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工場跡の入り口。

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通路をはさんで右が喫茶室の「工場跡事務室」、左がギャラリーの「工場跡研究室」。
「工場跡研究室」は内部撮影禁止です。
喫茶室の方はOKなのですが今回はなし。

喫茶室は小さなスペースですが、順番待ちをするぐらいお客さんが来ていました。
靴を脱いで上がるお店です。工場の休憩室のイメージ?
ランチは過ぎていたのでコロッケパンをいただきました。
鹿の焼き印が入っていたり、凝っています。

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工場跡の周辺にも気になる建物があります。
こちらは隣にある民家で、恐らく戦前の洋風建築ですね。

(追記)
 agenさんのご教示によると、この建物は大正14年頃に建てられた喜多家住宅で、登録文化財に指定されているそうです。調査不足でした。コメント欄をご覧ください。
 また、奈良新聞に関連記事がありました。所長さんのお宅ということなんでしょうか。

 奈良新聞「グラフ【やまと建築詩】旧奈良食品工学研究所」
(2010.12.7記)

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平屋の住宅が連続で。
玄関周りのデザインとか、二本線の小屋裏換気口のデザインとか、ちょっと変わっています。

奈良の中でも大正時代以降、開発の進んだエリアみたいです。
きたまちのあたりは、もう少し歩いてみるとまだ発見はあると思います。

さて、工場跡については以上なのですが、余談を2つほど。

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余談1。銭湯の売り物件。
こちらは「ならまち」で、「寧楽湯」という銭湯が売りに出ていました。
銭湯がそのまま売りに出るというのは、転用期待でしょうか? 今までなら更地にしてから売りに出されていたところと思うのですが。
隣も土産物屋さんですし、いまから銭湯を開業する人もいないでしょうが、お店にでもなったらうれしいと個人的には思います。
もう買い手はついたのかな。

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余談2。気になる看板。
石鹸問屋さんの看板です。
駒の形、なんでしょうか。

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2010年12月 3日 (金)

奈良のきたまち

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奈良というと近鉄奈良駅の南側に広がる「ならまち」がイメージされますが、反対に駅の北側は「きたまち」と呼ばれています。さっき初めて知ったのですが。
先日、私が歩いたあたりも「きたまち」に入るようで、そのあたりで気になったものなど紹介してみたいと思います。(実際には逆ルートで歩きましたが、分かりやすいように駅から順に紹介します)

(関連サイト)
 「きたまち歴史のモザイク 〜奈良きたまちの観光・歴史探訪〜」
 
観光客であふれる東向商店街から、大宮通をはさんで北には東向北商店街が続いています。

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突き当たりにはぐっと古い町家が建っています。
こう見えて洋装店と書かれています。
スクラッチ風タイルが張られているので昭和の初めぐらいでしょうか。

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古い交通安全看板なども。

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奈良女子大学の角を曲がったところに古い交番の建物がありました。
屋根を葺き替えて塗り直せば、さらにいい感じになりそうです。
この左に奈良女子大学のキャンパスがあり、中には近代建築もあります。

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交番の角を曲がってさらに進むと、シュロの木がある若干スパニッシュな町家がありました。
これも看板建築の一種と言っていいのでしょうか。

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そのお隣は、ならまち文庫・古書喫茶「ちちろ」さんです。
築90年近い町家らしく、改めて来たいと思います。

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その先には半田アパートという渋いアパートがありました。
右から書いてあるということは戦前?
ここで北に向かいます。

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通りで見かけた植木鉢。
なんだかインパクトのある。

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突き当たりのT字路に石の柱が立っています。
そう、橋の親柱です。

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「北なんとか橋」ですが、私には読めません。
 何と読むんでしょう。

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<昭和8年 奈良市街地図>
※クリックすると拡大します

この橋の場所は現在、暗渠になっていますが、上で○で囲った部分です。
吉城川でしょうか。以前、率川(いさがわ)跡を歩きましたが、元々少ない川が暗渠になってさらに減っています。

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右にカーブしているのが川の跡のようです。

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今回は川の跡は追わず、まっすぐに。
ひのりという会社の建物、角がアールになっていて、別の意味で渋いビルです。
面格子も付いています。

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このまま東に進むと「喫茶 工場跡事務室」に着きます。
いや話が逆で、このお店に行った帰り道なのでした。
ここについては次回、紹介します。


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2010年12月 2日 (木)

奈良県庁の屋上広場

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新潟の記事を書いているうちに12月になってしまいましたが、
10月に奈良に行ったときのことを3回ほどで紹介します。

私は現代建築にはそれほど興味がないのですが、
奈良県庁の横を通りがかったとき、屋上を開放していますという案内に目が止まり、立ち寄ってみました。

奈良県庁は1965年の竣工ですから60年代建築です。
時代の雰囲気は結構濃厚。

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屋上に上がってみるとこんな感じ。
塔屋がかっこいい。
下から予想した以上の眺めです。
コンクリートしか見えない外観からは想像できません。

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近くに高い建物がないので、遠くまで見通せます。
奈良公園の森が芝生の向こうに続くようです。

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西側には無料の双眼鏡があって、ボランティアの方が説明をしてくださいました。
この時はまだ平城遷都1300年祭の会期中でしたので、大極殿や朱雀門に集まる人波を見せていただきました。

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若草山などは目の高さで見ることができます。
こちらもそのまま続いているみたい。

結構すいているしいいなあと思っていたら、私と入れ替わりにツアーの団体さんが上がってこられました。

平日はいつでも開いていますが、土日はいつでも開いている訳ではなくて、春・夏・秋の一定期間だけです。
奈良県のHPに開放日が記載されています。

高すぎない空中庭園の良さというのもあるんだなと気付かされました。
周りの建物の高さが抑えられているのも一因なのですけどね。

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