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2010年7月

2010年7月31日 (土)

新潟なつ歩き(5)7月18日の風景

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新潟旅行の続きです。
新津の油田を見た後は、新津美術館(植田正治写真展開催中)に立ち寄り、30分ぐらい?歩いて、古津駅から新津駅経由で新潟駅に到着しました。

今回の記事は、まとまった記事にはしにくい7月18日の小さな風景をお伝えします。

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まずはホテルにチェックイン。
翌朝、佐渡島に行く関係で、いつものホテル・イタリア軒ではなく、万代シルバーホテルに泊まりました。
1975年に開業したローカルなホテルです。

1975年は微妙な年に思えます。
60〜70年代のデザインと80年代のデザインの間で。
(まだあまり見る目ができていませんが)

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このホテル、ロビーが4階にあって、このラウンジがなかなかいいです。
向かいに1973年築のバスセンタービルがスカッと見えます。
この写真には写っていませんが、左には地区のシンボル・レインボータワー(1973年)があります。
この一帯は万代シテイといって、1970年代から80年代にかけて、新潟交通の車庫や整備工場を再開発したのだそうです。
そういう時代が好きな方はどうぞ。

眺めは北側の客室がおすすめです(たぶん)。

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ホテルを後に萬代橋(昭和4年)を歩いて渡ります。
新潟に来ると必ず来る場所で、儀式みたいなもの。
開放感が大阪の天神橋に似ていますが、もっと開けています。

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西大畑の新潟大神宮裏手あたりの路地。
板塀に懐かしさを憶えます。

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夕陽が当たるとさらに雰囲気が出ます。

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南浜通1番町のあたり、でしょうか。
凝った障子です。

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懐かしい町名看板なども。

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二葉町の宝持院裏の階段がいい感じです。

新潟の階段については以前にも少し書いたことがありますが、新潟には砂丘の名残があるので、ちょっとした階段があります。
今度、ゆっくり階段をめぐってみたい。

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以前にも来たことのある日和山まで歩いて行きました。
住吉神社の祭礼は翌日です。
航海の神様だから海の記念日に祭り?
社殿が新しくなっていました。

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日和山に登りました。この高さはちょうど屋根の高さです。
屋根の高さからの眺めっていいですね。

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ところで、この日は暑かったので、スーパーでアイスを買いました。
第一食品(燕市分水)の「もも太郎」という見慣れないものがあったのでこれに。39円ぐらいじゃなかったかな。
もも太郎といいながら、ほぼ氷みつのイチゴ味。最初は甘くなくて、食べていくうちに甘くなるという気の利いた作り方をしています。

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なんだか気になったので、後でまたセイヒョー(佐渡工場)の「もも太郎」というのも買ってみました。52円ぐらい?
先ほどのは無果汁。こちらは果汁6%と書いてあります。
果汁が入っている分、やや複雑なイチゴ味かな。
でも成分表示を見たら「りんご果汁」なのでした。謎です。

新潟県内でしか売ってないらしいですよ。

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新潟に来たら晩は魚でもと思うのですが、この日はたまたま新潟ジャズストリートの開催日でした。

砂丘館に行ったときに「今日はジャズストリートなので」と聞き、そこだけのイベントかと思ったのですが、実は大々的なイベント。気付くのが遅くて惜しいことをしました(不注意すぎ?)。この日は37会場で開催されていました。
2003年からで、なんと第16回(回数が多いのは年2回だから)。

1日フリーパス券が1000円で、あとは会場のお店で飲食してください(強制ではない)というシステムです。専用のメニューが用意されていました。
私はレストランのジョイアミーアとバーのカルムを回りました。
普段聴かないので全く疎いですが、ジプシージャズのSEBさんの演奏は良かったように思います。

会場にはうどん屋さんまであるんですよ。
高槻ジャズストリートに比べてしまうと熱気が・・・と思いますが、こちらはこちらで落ち着いて聴けますし、演奏者との距離感が近いのもいいなと思います。

ほんとにとりとめない記事になってしまいました。
まとまった話はこれから紹介していきます。

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2010年7月29日 (木)

吹田の垂水を歩く

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新潟の話が続きましたので、少し大阪の話題も。
夕方にちょっとした時間ができましたので、「十三のいま昔を歩こう」の記事で紹介されていて、とても気になっていた吹田市の垂水を歩きました。大阪に住んでいても垂水といえば神戸なのですが、水が滴っているところで、語源としては同じなのでしょう。

阪急の豊津駅を降りて、西へ旧吹田街道を歩き始めるとさっそく気になるものがあります。
逆光になるので通り過ぎてから写真を撮りました。
道路に向かって三角断面の斜面があります。

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真ん中にはコンクリート製の構造物。
用水路の跡?

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裏側に回ってみましたが、やはり土地利用が妙です。

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近くに記念碑が立っていました。
河川が氾濫するので昭和15年に河川改修を行ったという記念碑です。

帰ってからネットで調べて分かったのですが、これがさっきのものと関係があったのでした。

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<昭和4年修正測図、昭和22年発行 2.5万分の1「吹田」>

こういうことです。
赤丸で囲んだ部分、上之川を道路がくぐっていますね。
つまり先ほどのは天井川の断面だったということです。
高さ4mほどでしょうか。この堤防が決壊したら被害が大きいのは明らか。
そこで、上之川を豊津駅の西側で糸田川に合流させる改修が行われたわけです。

神戸の湊川改修のミニミニ版です。
河川跡の吹田街道より南の部分はフラットになって商業施設が建っていましたが、この経緯を知るとなるほどと思います。

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もう少し先に進むと今回楽しみにしていた旧垂水公民館の大屋根が見えてきました。
緑色のフランス瓦で葺かれています。予想以上の存在感。

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入り口は南を向いていて、街道には背を向けています。

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玄関の装飾。明かり採りの窓の木製桟がいい感じです。

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柱頭部分。こちらは簡単な装飾です。

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ころがっている煉瓦は×印刻印の岸和田煉瓦製でした。

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旧吹田街道沿いには、他にも味のある建物が見られます。
福助温泉さんは、表は新しいですが、裏の建物は古そうです。

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久田歯科さんも昔懐かしい雰囲気のお医者さんです。

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あるお店の2階の戸袋には鯉の滝登り。

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そして垂水神社。
参道から丸い山が見えて、神南備山(かんなびやま=神の鎮座する山)らしい姿を見せています。

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神社は階段の上にあります。
霊的な雰囲気が濃く漂っています。

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それも気になりますが、これも気になる。
階段の手前に小川が流れていて、小さな石橋が架かっています。
明治40年に作られた早蕨橋(さわらびばし)です。

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この小川もたどっていくと、境内から流れ出しています。
この垂水神社で驚いたのは、階段の上の拝殿・本殿よりもむしろ、階段を上がらずに左手に行ったところ。次々に祠が現れて、うわぁ・・・という気分になります。

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ちゃんと行場があります。

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こんな風に、まだまだたくさんの祠があるんです。
高登社という祠が気になりました。
多くの信仰が深く堆積しているのでしょうね。

なお、この神社には高樋をつくって長柄の豊碕宮に水を送ったという伝承があり、先ほどの天井川のイメージと重なってきます。「十三のいま昔を歩こう」で古代の地図を紹介されていますが、長柄の対岸にあたる交通・防備の重要拠点で古代氏族の拠点だったのでは?と詳しくないながら想像します。
いろいろな意味で特別な場所だったようです。

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最後にもう一つ気になったもの。
住宅の塀の基礎部分に煉瓦が置かれていたのですが、どうも1.5個角のサイズのブロックになっていて、しかも金具が付いています。柱か何かの廃物利用ではないでしょうか。
元々何に使われていたものなのか、気になります。
旧垂水公民館の向かいにも気になる煉瓦の柱が立っていたのに写真を撮り忘れました。

古代も近代も楽しみの多い吹田の垂水です。

<参考ブログ>
 十三のいま昔を歩こう「吹田街道をゆく2 垂水町」

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2010年7月28日 (水)

新潟なつ歩き(4)油田のある風景

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前回の記事だけで油田の説明は完了なのですが、もう少し油田の風景を紹介しておきます。
これは旧木工場で、のち鉱業事務所として使用された建物。

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山の中にも油田関係者のものと思われる住宅があります。

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ナショナルポンピングパワーの側にある小屋。

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こういう樽っていい。

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小屋をのぞき込むとストーブが置いてありました。
管理要員の詰め所だったのでしょうか。

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明治38年に開坑したC-14号井(綱式機械掘り)。
木となっているようです。

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ブルホイルというピストン巻き上げ装置。
ポンプのピストンに巻く皮を取り替えるときに使われるらしい。

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今も石油がたまっています。

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こういうパイプは再利用でしょうか。

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やぐらを作り慣れていれば、火の見櫓なんてお手のもの、みたいな気がします。
昭和35年の製造。

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周辺はいたってのどかな風景です。

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まんが的なお地蔵さん。
いい表情です。

このあと、適当なバスがなかったので、夏の陽射しを浴びながら新津美術館経由で、古津駅まで歩いて帰ったのでした。
新潟まちなか編につづきます。

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2010年7月27日 (火)

新潟なつ歩き(3)油田を見学

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今回、新津に寄った主目的は、日本では珍しい油田遺構を見るためです。
新津駅から秋葉区の区バスで“石油の里公園”に向かいました。
30分ほど乗るのですが、区の補助があって、上限200円で利用できます。
ちなみに終点は「うららこすど」。日本語っぽく聞こえませんが、小須戸(こすど)にある農産物直売所・加工所・交流施設だそうです。

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途中、ショッピングセンター(ここの場合は駐車場を囲むパワーセンター)を経由するというのもよくある光景となりました。

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田園の向こうに新津丘陵が見えます。

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“花と遺跡のふるさと公園”の新津美術館などを経由しながら、谷あいの石油の里公園に到着しました。ちょっと誤解していたのですが、油田といっても平らな土地にどーんと油井がそびえているのではないのですね。家の横や山の中など至る所に油井のやぐらが立っています。想像以上に面白い光景。

このやぐらは、綱式機械掘りのC-86号井で、昭和16年に掘られたもの。平成8年まで実際に油を汲み上げていたそうです。

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まず、全体を把握するために石油の世界館に入りました。
見学無料で、資料も入手できます。ここを訪ねるなら必見です。

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“石油の世界館”の展示で紹介しましょう。
さきほど出発した新津(青で示した部分)の南に広がる新津丘陵、そのほとんどが新津油田と重なっています。現在地は南端の金津油田です。

ハンバーガーをイメージすると分かりやすいかもしれません。
新津丘陵をハンバーガーだとすると、ハンバーグの層にはたっぷり油(石油)が含まれています。油はレタスにはばまれて上には浸透してきません。昔は端の方から油がこぼれていて、それは細々と利用されていました。

本格的に石油が利用されるようになると、あちこちにぷすぷすとストローが刺されて、油を吸い上げるようになりました。

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※クリックすると拡大します

これは大正時代の金津油田を再現したパノラマです。
数m角あるかなり大きな模型です。
山の中も含めて、至るところに油井のやぐらが立っていることが分かります。

写真の下にある中野邸は、明治時代、金津油田の開発に成功して石油王となった中野貫一の邸宅です。
今は紅葉の美しい庭をもつ美術館して公開されていますが、夏期休業中でした。

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もともと江戸時代から明治にかけて、石油は水の井戸と同じように掘られていました。
しかし、水井戸と違って、石油にはガスが付きもので、危険も伴います。
中野貫一は明治27年に、千葉で開発された上総掘り(人力)、明治36年に綱式掘削機(動力)を導入し、大きく生産性を向上させて、金津油田を大発展させました。

この模型は上総掘りのやぐらで、竹が車に巻かれています。
竹の弾力と人力で掘り進む仕組みです。

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さらに掘られた油井からはポンプで石油を汲み上げるのですが、この装置が面白くて、ナショナルポンピングパワーという大きな車輪1つからいくつものワイヤーが伸び、同時にいくつものポンプを動かすらしいのです。上の写真は動きを見せるための模型です。

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これが実際のナショナルポンピングパワー1号機。
尾根の上に明治42年頃に設置され、なんと平成8年まで稼働していたそうです。
ここから四方八方にワイヤーが伸びていたのですね。
金津油田では16台のポンピングパワーが約140坑の石油井戸のポンプを動かしていたというので、その動いている姿を想像するとわくわくします。

たまたまここを見学していると、活用を検討中の地元の方が調査に来ておられて、「これが動いたら見に来たいですか?」と尋ねられましたので、思わず「はい」と答えると、「ほら、そういう人もいる」という話になっていたのはそれで良かったのでしょうか。そうはいいましたが、動かすとなるとあちこち入れ替えが必要だと思いますので、現状の姿のままも味はあると思います。

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こちらは動力部分。

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<石油の世界館友の会『石油の遺産めぐり』、平成18年発行より>

ナショナルポンピングパワー1号機が動かしていた石油井戸の図が紹介されていました。
継転機というのはワイヤーの方向を変える装置です。
この1台だけで同時に25坑ものポンプを動かしていました。

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ワイヤーの先にあるポンプの一つです。
C-16号井(綱式)。明治39年掘削。深さ210m。

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このように集落の中にもあります。
C-3号井(綱式)。明治36年掘削。新津では最古だそうですが、これも平成8年まで動いていたそうです。

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さて掘られた石油がどうなるかも見てみましょう。
汲み上げられた石油はまず集油所(集油池)に集められます。
原油はおおまかに水と油に分けられ、油はポンプで集油タンクへ。

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集油タンク。ここでは自然沈下で油と水を分けます。

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濾過池。水を分けるといいましたが、その水にもいくらか石油が含まれています。
そこで濾過池で水・泥と油を分離し、油はまたタンクに戻します。

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2基の計量タンク。
ここで原油量を計り、さらに丸一日の自然沈下で油と水を分けます。

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第一・第二加熱炉。
新津の原油は比重が重く、水と分けにくいため、さらに約70度で一晩加熱し、水を除いたそうです。二つの加熱炉を交互に使用しました。
何度も分けるんですね。

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第一・第二水切りタンク。
加熱炉で処理された原油をさらに一日かけて水を除きました。
このタンクも交互に使用します。

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原油は出荷されるまで受け渡しタンクに貯めておかれます。

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原油積み込み場の一角。
そして、ここから原油は出荷されていきます。

昔の石油の採掘施設から集油・原油処理施設まで通しで見ることができるので、たいへん面白い見学でした。これが平成8年までは稼働していたというのですから、動いている姿も見てみたかった気がします。

○参考文献
 石油の世界館友の会『石油の遺産めぐり』
 石油の世界館『「石油の世界館」総合ガイドブック 石油の世界』

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2010年7月25日 (日)

新潟なつ歩き(2)新津駅前通り

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今回の新潟旅行では、急行きたぐにを新津駅で下車しました。
新津駅は非常に広々とした駅です。

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何十本もの線路が並び、列車が止まっています。

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1999年に復活したSLばんえつ物語号(C57-180)も止まっていました。

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<昭和5年 日本交通分県地図・新潟県>
※クリックすると拡大します

新津は秋葉丘陵の北にある町で、
名前の通り、かなり以前は港(河口港)だったそうです。

なぜ新津駅がこんなに大きいのかというと・・・
新津駅は、信州から新潟に向かう信越本線が通り、秋田に向かう羽越本線、福島県の郡山に向かう磐越西線の一方の起点のためです。昔から鉄道の要衝でした。
また新津車両製作所(旧国鉄新津工場)という車両工場もあり、鉄道の町として知られてきたそうです。

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ホームの一部には木造のしっかりした柱なども立っていて、歴史を感じさせます。

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新津は大正時代に全国一となった石油の町でもありました。
その油田の遺構を見に行くのが目的でしたが、バスの時間まで1時間ほどあるので、新津の町を少し歩いてみました。(帰りに撮った写真も混ぜています)
なお、新津市は2005年に新潟市に合併して、現在、新潟市秋葉区になっています。

駅前には懐かしい雰囲気のアーケード商店街が続いています。
店舗では、旅館とスナックが多い印象です。
出張者の多い街ということなのでしょうか。

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古そうな土田商店(酒の卸屋さんらしい)のビル。
青いタイルの3本ラインが目を引きます。

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少し脇道に入ると2軒並びの木造建築。
なんとキャバレーです。

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みのや旅館さんは60〜70年代風の建物で、
“柱以外はガラスブロック”という徹底が面白い。

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駅前通りから南に折れる本町通りにも商店街が並んでいます。
鎮守の掘出神社に向かっていて、ここがメインストリートのよう。

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この商店街の途中に昔の銀行建築がありました。
小振りながら、2本の円柱がすっくと立っています。
今は東洋館ホールとしてイベントスペースに使われているようです。

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一方、駅前通りをまっすぐ行くと小さな新津川を越えます。
新津川の川岸はきれいに整備されて、遊歩道となっています。

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新津川の向こうの新町・金沢町も戦前からの市街地です。
町のお医者さんらしい建物がありました。

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新津川沿いに下っていく道に引き込まれて、ちょっと入ってみました。

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このような木造住宅などがあります。

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こちらも住宅ではあるのですが、長屋の高級版なのでしょうか。
とてもいい風情を出しています。

もう少し先を見てみたい気もありましたが、
時間の関係でそろそろ戻らないといけません。

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ところで帰りに「昭和基地一丁目C57」という店を見かけました。名前だけでは何の店だか分かりませんね。
さっき調べてみると、7/15にオープンした駄菓子屋喫茶だそうです。

ほかにも、まちの駅・ぽっぽなどもあり、商工会議所がいろいろ仕掛けられているようです。
もう少し遅い時間だったらいろいろ見られたかもしれません。

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2010年7月23日 (金)

新潟なつ歩き(1)再び新潟へ

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7月の連休に引っかけ、3度目の新潟旅行に行ってきました。
最初が2008年5月、2回目が2009年2月です。新潟の街には面白さを感じることが多く、年に1回ぐらいのペースで、それぞれ違う季節に訪ねています。

 →以前の新潟旅行および今回の目次についてはこちらをご覧ください。

今回は1回目と同様、急行きたぐにを利用しました。
夜行の急行は以前より貴重になり、この急行きたぐにもいつまで走ってくれるか。
前々回より写真を撮る人が増えたような気がします。

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今回もB寝台を利用。狭い、けど横になれて、トイレ休憩などもないので、私には夜行バスより楽です。
窓の大きな下段を希望したものの空きがなく、やむなく中段。
アナウンスによれば、この日はA寝台、B寝台禁煙、グリーン車が満席だったそうです。

今回の旅行は往復に急行きたぐに寝台を利用して、新潟2泊の2泊5日?の旅行でした。

<今回の行程>
1日目:夜、大阪発、急行きたぐに車中泊
2日目:新津着、バスで金津油田、列車で新潟(まち歩き)
    新潟泊
3日目:ジェットフォイルで佐渡の両津、バスで佐渡金山
    バスで相川〜河和田泊
4日目:バスで河和田〜小木、レンタサイクルで宿根木、
    バスで赤泊、高速船で寺泊、
    列車で新潟(新潟のUさんらと再会)、
    急行きたぐに車中泊
5日目:朝、大阪到着

ざっとこんな感じ。佐渡島が今回の主な目的地です。
油田や鉱山など近代化産業遺産と港町を訪ねる旅ともなりましたが、それだけでなく、行く先々の町では(接続の悪かった寺泊を除き)まち歩きをしています。

ちなみに大阪〜新潟往復ではぎりぎり往復割引に足りないというJRの窓口の方のアドバイスに従い、大阪から寺泊までの往復切符を買いました。

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これからの旅のことを考えつつ、
朝目覚めると富山か新潟のあたり。
しかしここから先が長い。

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工事中の道路も。

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河口あり。

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松林あり。

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砂浜あり。

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くの字の飛行機雲を見たり。

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・・・しているうちに新津の駅に着きました。

今回の旅は新津から始まります。

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2010年7月19日 (月)

運河跡の公園(大阪市城東区)

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京橋の鴫野橋を渡ったあと、歩いていると、さくら公園という公園がありました。

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公園の入り口(正確には入り口の内側)に橋の親柱が立っています。

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城東橋という名前が付いています。
年代は入っていませんが、古そうなデザインです。

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さらに歩いていくと、公園の北の端にもやはり親柱がたっています。
道路と段差があるのも気になるところ。

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こちらは櫻橋という名前で、旧字体ですし、こちらのデザインもアールデコっぽくて古そうです。
他にも怪しいものがいっぱい。「何かありそう」とビリビリ感じました。

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<明治18年測図 大阪中部>
※オレンジの四角は次の図の範囲。クリックすると拡大します。

気になるので帰ってから地図を確認しました。
川が何本か流れていますが、ここは田んぼが広がるばかりです。

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<大正10年測量 1万分の1大阪東部>
※クリックすると拡大します
 紫の網掛けは工場、赤の網掛けは商業地

大正時代になると一気に都市化しています。
鐘淵紡績(カネボウ)の大阪支店(鴫野工場)があり、「h」字型の水路が登場します。
調べてみると、この水路は通称“カネボウ運河”と呼ばれる運河だということがわかりました。

大正2年、この地に朝日紡績が大阪工場を設立、大正4年に鐘淵紡績に合併されました。
大正8年に物資運搬のための運河の開削と工場用地の造成が図られました。この運河がカネボウ運河です。

カネボウ運河には8つの橋が架かっていたようで、その後の地図にはたいてい5つの橋の名前が記載されています。
そのうちの1つが城東橋で、今置かれている場所に近い位置です。
そして、さくら公園はカネボウ運河の跡(の一部)ということです。「h」の上に飛び出した部分が公園になっています。位置的には北端の橋が櫻橋だったのかもしれません。

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<昭和22年発行 大阪市街地図(戦災消失区域入=ピンクの部分)>

昭和20年の空襲で鐘淵紡績工場は全焼してしまいました。(ちなみに鴫野駅は昭和8年開設)
跡地は市営住宅などになります。
運河はというと昭和26年発行の地図までは確認できますが、昭和29年発行の地図では消えていますので、この間に埋め立てられたようです。

この地図から運河以西に古い建物が残っているのもわかりますね。

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・・・ということがわかったところで、さくら公園を見てみます。
前回の記事でも登場した少し高い位置の道路です。
右は寝屋川で、左はさくら公園=カネボウ運河跡。

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こうして見ると運河がイメージできますか?

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そういう目で見ると、これなどは増水したときに水の浸入を防ぐゲートです。

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こちらも同様。

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さくら公園が南端で少し斜めに広がっている理由も分かりました。
川の分岐部の形がそのまま残っているんです。

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公園としては他にもちょっと変わっています。
公園に向かって玄関があります。

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公園に向かって入り口がある路地。

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古そうな建物。

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これはいつのものか分かりませんが、気になります。

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手作りしたような塀です。
富嶽三十六景?
ちょっと本題離れていますが・・・

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こういう謎な一角も。
そもそもこのさくら公園、大阪市営の公園じゃないんです。
町会が管理しているみたい。
管理が難しいので砂場をコンクリートで固めたのかも。

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ほかにも古いものとして、大阪窯業の赤レンガも転がっていました。

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菱形にS字は耐火煉瓦の一種でしょうか。

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また、この公園やたらと遊具が多いのも特徴です。
あまりに多いので数えてみましたが、ブランコ5台、カゴブランコ3台、ジャングル・ジム5台(うち1台滑り台複合型)、雲梯類5台、滑り台3台、鉄棒1台、遊動円木1台、その他1台(ブランコを登り棒に改造)で、計24台もあります。このほか謎の屋根つきコンクリート敷きが2箇所、藤棚が2箇所も。

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中にはこういう電柱一体型のジャングルジムまであります。

その来歴から始まり、さくら公園、気になる人にはかなり気になる公園です。

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2010年7月11日 (日)

鴫野橋の向こう(大阪市城東区)

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6時前に仕事の終わった土曜日。
日も長いのでどこか近場でも歩こうと思い、
以前から気になっていた鴫野西に出かけてみました。

JR京橋駅を南口(あまり使わないですね)から出ると目の前に寝屋川。
ゆるいアーチの鴫野橋が架かっています。
この向こうが鴫野西です。

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鴫野橋には昭和11年と刻まれていました。
橋の欄干は造形的で、拡大解釈すればアールデコと言えなくもない・・・ぐらいのデザインです。
橋を渡れば古い町、という申し分のない演出です。

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寝屋川沿いの道はやや高く、階段を数段下りて入る家もあります。
道路はかさ上げされているのかも。

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こちらは路面の高さと合っています。
後から建ったのでしょうか。
重量感のある昭和初期の長屋。

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狭い路地ですが、ポールを立てているのは自転車が入らないようにでしょうか。

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回り込むと懐かしい路地の街並み。

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これはなんでしょう。
小さな蓋が付いています。

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やや離れますが、このような長屋も。
2階ベランダの白い格子がモダンです。

一見、住宅地のようでありながら、商店も多く、かつて賑わっていたことを感じさせます。
環状線をはさんで反対側は大阪ビジネスパーク(OBP)で、京橋駅のすぐ近くにこんなエリアがあることが面白く思えます。


今回のエリア。
櫻橋、城東橋の親柱については次回に紹介します。

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2010年7月 9日 (金)

六甲散歩(神戸市灘区)

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六甲散歩といっても、六甲山に登ったわけではなくて、阪急の六甲駅の周りをぐるぐると歩いたという話です。
阪神間は近代に開発が進んだため、少し歩いても面白いものがたくさんあります。

六甲の駅前には、赤煉瓦の六甲変電所があります。
大正9年の開業時のものではないかとのこと。

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<参考:神崎川変電所 2004年撮影。2005年解体>

解体された神崎川変電所(神崎川駅のそばにあった)と同時期のものらしいのですが、比べると六甲変電所の方がシンプルに見えます。

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六甲駅は坂の途中にあって、変電所は山側ですが、下っていくとH歯科という古そうな医院建築がありました。
折り目正しいというのか、角がぴしっと立っています。
やや荒れ加減なのが惜しいところ。

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さらに下ると和洋折衷の住宅があります。
これ、売りに出ているんですよ。

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出窓などもあります。

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反対側からも撮っておきます。
洋館付き住宅の形であることが分かります。
誰か買わないかな・・・といっても高いでしょうね。

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また別の家です。
石垣が塀になっていて直接、屋根が乗っているのが面白い。

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こちらは下見板張りの住宅です。

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この地区には六甲八幡神社があります。
「摂津国八幡社」の標柱が立っていて、非常に格式が高そうです。

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このようにいまだに長い参道の森を抱えています。

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周りを住宅に囲まれているとは思えない雰囲気。

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時々見かける国旗掲揚台ですが、ここでは木の柱とセットで残っていました。
このような取り付け方なのですね。
「御大典記念」で昭和3年なので、昭和天皇即位の大典のときのものです。

奥の灯籠には八幡土地区画整理組合の名前が入っています。

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第1回国勢調査記録員の名前が石に刻まれています。
大正10年に建てられたらしい。
第2回、第3回の国勢調査も記念碑が残っていました。
記念に植樹をしたようです。

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何の一部か分かりませんが、近代風のデザインの石材。

古い歴史を持ちながらも、近代のものが見られる六甲八幡神社。
周辺の開けた雰囲気を反映しているようです。


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2010年7月 4日 (日)

赤煉瓦の湊川隧道(神戸市)

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近代化産業遺産探訪グループの神戸ツアーに参加させていただいて旧神戸市立生糸検査所に入った日の続きです。
私たちは地下鉄で湊川公園駅に移動しました。
目的は湊川隧道(会下山トンネル)という、川のトンネルです。

有名な話ですが、「なぜ川にトンネル?」というところから紹介しておきます。

○詳しくはこちらをご覧ください
 兵庫県「湊川隧道について」
 


湊川隧道は、明治後期の湊川付替えの際につくられたものです。
上の図で、濃い青が旧湊川、水色が新湊川、そして赤い線の部分が湊川隧道です。

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<明治18年測量 2万分の1仮製図「兵庫」>
※クリックすると拡大します

元々の湊川は、六甲山系から流れ出た石井川・天王谷川が合流した後、会下山にぶつかって東に流れていました。
旧湊川は普段の水量は少ないのですが、天井川のため大雨が降ると氾濫すること、流出した土砂が神戸港に堆積すること、東西の交通を分断していることから、明治の初期から付替えの要望がありました。しかし、当初の計画は会下山の南麓を通すものだったため、氾濫をおそれる新河道沿い住民の反対で話は進みませんでした。

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<明治43年測図・大正2年発行 2万分の1「神戸」>
※クリックすると拡大します

明治29年8月末の豪雨で湊川の堤防が決壊して大水害が起きたことで、付替えが決定、会下山の下をトンネルで通すことになりました。

付替え工事は民間会社の湊川改修株式会社が行い、費用は旧河川敷の売却、河口の埠頭整備の収益でまかなう計画でした。なんと民間事業だったんですね。
トンネル工事は、明治31年に起工し、明治34年に竣工。長さは603.5m(昭和3年に66m延長)、幅7.3m、高さ7.6mです。新たにできた新湊川は、湊川隧道をくぐって、別の川筋である苅藻川に合流するようになりました。
また上流部では水道事業として明治38年に烏原貯水池(立ヶ畑堰堤)が完成しました。

<関連ブログ>
 ひろの東本西走「烏原貯水池」
        「烏原貯水池(その2)」

旧河道では湊川遊園(湊川公園)や新開地が整備され、映画館や芝居小屋が集まる繁華街として発展することになります。



※赤が湊川隧道、緑が新湊川トンネル、紫が転流坑

こうして完成した湊川隧道ですが、平成7年の阪神淡路大震災で大きな被害を受けました。拡幅などいくつかの案が検討され、最終的には湊川隧道に平行して河道を掘り下げて新湊川トンネルが建設されることになり、平成12年に完成、湊川隧道は役目を終えました。

役目を終えた湊川隧道ですが、貴重な歴史遺産として保存が決まり、平成13年から地元の人も参加する「湊川隧道保存友の会」が組織され、毎月1回の一般公開など、保存活用が図られています。

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さて、湊川隧道の内部を見ていくことにします。
現在は、湊川隧道の見学用に新たな連絡通路が作られています。

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途中、たくさんの解説板が掲示されていて、手ぶらで行っても詳しいことが分かります。
(ここの斜路では平衡感覚がなくなってへんな感じ)

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使われていた煉瓦の実物も展示されていました。
これは貝塚煉瓦ですが、他にも泉州の煉瓦が使われているそうです。

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坂道を下りきって、いよいよ湊川隧道。

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一般公開部分は、ボードウォークになっています。
この日はコンサートが開かれていたそうです。
右側は地震による補修部分。

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ここから先は元のままです。
断面は馬蹄形で、常に水の流れる下部には花崗岩(岡山県の北木島など瀬戸内産らしい)、上部には煉瓦が積まれています。今はしみ出した水がたまっているだけです。

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煉瓦はイギリス積み。

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外は20度を超えていたのに、内部は16度です。

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人が立っているのでスケール感が分かりますでしょうか。
前日に雨が降ったので霧が出ています。

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地震でひび割れたため、補強された部分。
いくつかの補修方法が使われています。

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足下が悪いのでけっこう長く感じられます。

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最終的に、湊川隧道は転流坑につながっています。
排水のための坑道のようですが。
なんだかSF的な眺め。

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最後にはこの扉で行き止まり。
この向こうは新湊川トンネルです。

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再び、湊川隧道を戻ります。

ひんやりと湿った空気の中、薄明るい電灯に照らされた煉瓦と石のトンネルは、外とは別世界で、歴史的価値は置いておいても、そこに身を置く価値があると感じられます。
よく残されたものと思います。

ご案内いただいた友の会の皆さまなど、お世話になった皆さま、ありがとうございました。


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2010年7月 2日 (金)

深江橋の近代公園(大阪市東成区)

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深江橋の話のつづき。
前回の、深江の歴史の記事や、深江の工場の記事も併せてご覧ください。

街を歩くとき、私がとりあえずの目的にしているのが近代の公園です。「とりあえずの」というのは、近代の公園の周りは、たいてい近代の街で、公園のあたりを歩けば面白いものが見つかることが多いからです。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
深江橋では3つの近代の公園を巡りました。
深江公園、南深江公園、西深江公園です。
いずれも区画整理事業によって昭和10年代に開園した公園です。

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まず初めに深江公園。
昭和10年にできた公園です。
古い公園は大樹があるのも見所ですが、ここはそうでもありません。
ただ、ひょこひょこした木が公園を横切るように並んでいるのが面白い。



空からみるとよく分かります。

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ここのベンチは木製。

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公園では、誰かが花を植えたりして、境界が溶けていることがあります。ここもそうでしょうか。どこまでが公園管理者の働きか分からないことも。

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深江公園の近くに面白い建物がありました。
恐らく高度成長期の建物。
以前から、なぜ皆、戸袋にダイヤモンドの模様を入れるのだろうと疑問でした。
右側の戸袋がそうですね。
しかし、「皆」ではなかった。


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ここまで大胆な戸袋デザインは初めて見ました。
まさに弾けてます。

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周辺には懐かしさを感じさせる建物がいっぱい。
これは洋館付き住宅の一種でしょうか。
コンクリート製の防火水槽なども見かけます。


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街並みを楽しみながら歩いて、南深江公園に着きました。
昭和19年にできた公園です。

この公園では木がよく育ち、中央の丸い砂場を囲んでいます。
最近は(猫除けの)フェンスで囲まれていない砂場も貴重かもしれません。



ちなみにこの公園の東に旧の深江集落があります。

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円弧状の藤棚も見どころ。

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深江の歴史をしのぶ菅も植えられています。
(昔、湿地帯で菅が特産品だった)

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公園の向かいに銅板張りの住宅がありました。

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亀甲張りの上に、橘(たぶん)の紋。
家紋でしょうか。一つだけ入っています。

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公園通りは昭和の雰囲気が残る通りです。

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この建物は、正面が店舗で、背面はアパートのようです。

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3つめは西深江公園です。
昭和11年の公園。
まんじゅう型滑り台があります。

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この公園が面白いのは中央に地下貯水槽があること。
水はけが悪いことと関係があるのでしょうか。

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さらに貯水槽を囲むように藤棚があって、貯水槽をじっくり眺めながら休憩できるという不思議なレイアウトです。


今回、公園自体にはそれほど面白いものはなかったのですが、周辺には懐かしい街並みや面白いものがありました。
東成区にはまだ近代の公園がありますので、そちらも回ってみようと思います。

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