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2010年6月27日 (日)

湿地から宅地へ 〜近代の深江(大阪市東成区)

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ちょっと間が開きましたが、深江橋の続きです。
話が戻るのですが、深江橋の駅を降りると、まず駅の北側に出てみました。
(ぼやんとした写真ですみません)

ゆるく道がカーブしているのが分かりますでしょうか。
こういうのはたいがい川の跡です。
後で調べてみると千間川(せんげんがわ)という川の跡でした。
東成区と城東区の境をなしています。

<関連ブログ>
 大阪アホげな小発見。とか「『千間川』跡を知る」
 ※山本龍造さんが実際に千間川跡を歩かれています。

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千間川は昭和42〜46年にかけて埋め立てられ、緑陰道路となりました。この家などは川の畔に建っていたのでしょう。味のある住宅です。

この地域がどのように変化してきたのか、地図で確認してみます。

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<明治18年測量 大阪近傍中部>
※クリックすると拡大します

まず明治時代まで。
深江のあたりは旧大和川・平野川下流の低湿地で、微高地に集落の点在する地域でした。
深江村では奈良街道(伊勢街道)と中高野街道が交差しています。湿地帯のため、古代から菅の産地で、深江村は江戸時代に伊勢参りの旅人相手に特産の菅笠を売っていました。江戸中期に菅笠に代わって日傘が使われるようになると、皿敷なども作り出したようです。

地図で見ても、中高野街道の東側に湿地帯が広がっています。
1704年の大和川付け替え工事は、洪水のリスクを大きく下げましたが、それでも享和2年(1802年)、文化2年(1805年)など、しばしば大洪水に見舞われました。一方、平野や柏原に物資(農作物や肥料など)を運搬していた大和川・平野川の水運は、付け替え後の水量低下で衰退したそうです。

千間川は明治初年に、農業用水と農作物を舟で運ぶ水利のため、平野川と中高野街道を結んで開削されました。長さが千間(約1.5km)あったために、この名がついたそうです。幅は10mです。(参考:城東区HP)治水と水利の両面がこの地域の課題でした。

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<大正10年 1万分の1「大阪東部」>
※クリックすると拡大します

大正3年に大阪電気軌道(のち近鉄)が上本町〜奈良間の鉄道を開通させると大阪東部の都市化が進み、深江(当時は神路村)でも大正6年以降、人口が増えていったそうです。
もっとも地図で見る限りはまだまだ農村地帯で、兼業農家が多かったようです。
ちらほら工場が進出しています。

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<大正14年頃? 計画線入り大阪市街全図>
※クリックすると拡大します。緑の枠は前図の範囲

ところが大正14年に神路村が大阪市に編入されるとにわかに動きが慌ただしくなります。
深江では編入前にも一部耕地整理が行われていたのですが、土地区画整理が計画されました。
上の地図に表示されているのは計画線です。

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<昭和2年 大大阪市街地図>
※クリックすると拡大します

宅地化は東側の中高野街道沿い(=現在の東大阪市との境)から始まったようです。
この地図に表示されているのは耕地整理の区域でしょう。
まず深江の集落を取り込むように宅地化が進みます。
有名な今里ロータリーも現れます。

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<昭和5年 最新大大阪市街図>
※クリックすると拡大します

昭和3年に深江土地区画整理組合(面積75ha)が設立され、昭和4年〜10年まで工事が行われました。東今里町のあたりまでが宅地化しました。
建物は南の方から建っていったそうです。

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<昭和7年 大大阪市街全図>
※クリックすると拡大します

昭和7年になると深江土地区画整理組合の西側に、神路土地区画整理組合(面積87ha)が設立されます。昭和9年〜14年にかけて工事が行われました。
これで大阪の市街地と完全に一体化しました。
建物は北と南および既存集落の周辺部から建っていったそうです。

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<昭和16年 最新大大阪市街地図>
※クリックすると拡大します

少し時間がたって昭和16年の様子です。
昭和15〜17年にかけて幹線道路が開通し、地域の工業化が進みました。
この間、千間川以北でも宅地化が進んだことが分かります。

神路土地区画整理では、運河が計画に織り込まれていて、平野川分水路(城東運河)が描かれています。平野川分水路は昭和4年に着工して、戦争時の中断を挟み、昭和33年に完成しました。
治水のための大がかりな事業です。

1006fukae_s22
<昭和22年 大阪市街図(戦災消失区域入り)>
※クリックすると拡大します

ピンクの網掛けが被災地です。
戦争により深江中・西で被災しましたが、多くの地域で無事だった=古いものが残っている可能性があることが分かります。

ここまで確認できたところで、実際の街を紹介します。

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この建物は神路1丁目で、平野川分水路のすぐ東です。
神路土地区画整理の区域内。
和風基調の建物ですが、洋風の要素もあります。
事務所として使われていました。
大きく育った庭木が歴史を感じさせます

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地域はすっかり宅地化して洪水も治まり、かつて低湿地だった面影はありませんが、この深江抽水所などを見ると、地域の成り立ちが思い起こされます。

深江土地区画整理地区の紹介などは長くなりますので、次回に続きます。

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コメント

興味深いブログですね。とても勉強になりました^^
大阪市東成区を中心に町の魅力を探すブログを作ってます。
東成区の史跡や見所も紹介していこうと思ってます。
よかったら一度見に来て下さいね^^

投稿: たまぞうくん | 2010年6月28日 (月) 21:27

たまぞうくんさま、はじめまして。

コメントありがとうございます。
ブログ見せていただきましたが、東成区の魅力をつぶさに拾われていますね。

東成区はまだ歩き足りませんし、街道歩きなども好きですので、また出かけるときに参考にさせていただこうと思います。

これからもよろしくお願いします。

ご存じかもしれませんが、山本龍造さんの「大阪アホげな小発見。とか」ではよく大阪市東部の記事を取り上げられています。

投稿: びんみん | 2010年6月29日 (火) 00:03

びんみんさま
何とコメントしてええのやら…
「勉強になりました」では味気ないですしね。
何度か読み直して、地図見直して…ゆっくりと楽しませてもらうことにします。

それから、拙ブログ内“『千間川』跡を知る。”のところの追記で、このびんみんさんのこの回のこと、紹介させてください。

ほんま…さすがです。

投稿: 山本龍造 | 2010年6月30日 (水) 17:26

山本龍造さま

気軽にコメントしていただければ。
自分の整理のための記事で、これで気になることをまた現地に訪ねるという。

山本さんは『千間川』について書かれていたんですね。
しかも長編。追記させていただきました。
ほんま川の跡って面白いですね。

投稿: びんみん | 2010年7月 1日 (木) 00:42

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