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2010年6月

2010年6月27日 (日)

湿地から宅地へ 〜近代の深江(大阪市東成区)

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ちょっと間が開きましたが、深江橋の続きです。
話が戻るのですが、深江橋の駅を降りると、まず駅の北側に出てみました。
(ぼやんとした写真ですみません)

ゆるく道がカーブしているのが分かりますでしょうか。
こういうのはたいがい川の跡です。
後で調べてみると千間川(せんげんがわ)という川の跡でした。
東成区と城東区の境をなしています。

<関連ブログ>
 大阪アホげな小発見。とか「『千間川』跡を知る」
 ※山本龍造さんが実際に千間川跡を歩かれています。

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千間川は昭和42〜46年にかけて埋め立てられ、緑陰道路となりました。この家などは川の畔に建っていたのでしょう。味のある住宅です。

この地域がどのように変化してきたのか、地図で確認してみます。

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<明治18年測量 大阪近傍中部>
※クリックすると拡大します

まず明治時代まで。
深江のあたりは旧大和川・平野川下流の低湿地で、微高地に集落の点在する地域でした。
深江村では奈良街道(伊勢街道)と中高野街道が交差しています。湿地帯のため、古代から菅の産地で、深江村は江戸時代に伊勢参りの旅人相手に特産の菅笠を売っていました。江戸中期に菅笠に代わって日傘が使われるようになると、皿敷なども作り出したようです。

地図で見ても、中高野街道の東側に湿地帯が広がっています。
1704年の大和川付け替え工事は、洪水のリスクを大きく下げましたが、それでも享和2年(1802年)、文化2年(1805年)など、しばしば大洪水に見舞われました。一方、平野や柏原に物資(農作物や肥料など)を運搬していた大和川・平野川の水運は、付け替え後の水量低下で衰退したそうです。

千間川は明治初年に、農業用水と農作物を舟で運ぶ水利のため、平野川と中高野街道を結んで開削されました。長さが千間(約1.5km)あったために、この名がついたそうです。幅は10mです。(参考:城東区HP)治水と水利の両面がこの地域の課題でした。

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<大正10年 1万分の1「大阪東部」>
※クリックすると拡大します

大正3年に大阪電気軌道(のち近鉄)が上本町〜奈良間の鉄道を開通させると大阪東部の都市化が進み、深江(当時は神路村)でも大正6年以降、人口が増えていったそうです。
もっとも地図で見る限りはまだまだ農村地帯で、兼業農家が多かったようです。
ちらほら工場が進出しています。

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<大正14年頃? 計画線入り大阪市街全図>
※クリックすると拡大します。緑の枠は前図の範囲

ところが大正14年に神路村が大阪市に編入されるとにわかに動きが慌ただしくなります。
深江では編入前にも一部耕地整理が行われていたのですが、土地区画整理が計画されました。
上の地図に表示されているのは計画線です。

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<昭和2年 大大阪市街地図>
※クリックすると拡大します

宅地化は東側の中高野街道沿い(=現在の東大阪市との境)から始まったようです。
この地図に表示されているのは耕地整理の区域でしょう。
まず深江の集落を取り込むように宅地化が進みます。
有名な今里ロータリーも現れます。

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<昭和5年 最新大大阪市街図>
※クリックすると拡大します

昭和3年に深江土地区画整理組合(面積75ha)が設立され、昭和4年〜10年まで工事が行われました。東今里町のあたりまでが宅地化しました。
建物は南の方から建っていったそうです。

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<昭和7年 大大阪市街全図>
※クリックすると拡大します

昭和7年になると深江土地区画整理組合の西側に、神路土地区画整理組合(面積87ha)が設立されます。昭和9年〜14年にかけて工事が行われました。
これで大阪の市街地と完全に一体化しました。
建物は北と南および既存集落の周辺部から建っていったそうです。

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<昭和16年 最新大大阪市街地図>
※クリックすると拡大します

少し時間がたって昭和16年の様子です。
昭和15〜17年にかけて幹線道路が開通し、地域の工業化が進みました。
この間、千間川以北でも宅地化が進んだことが分かります。

神路土地区画整理では、運河が計画に織り込まれていて、平野川分水路(城東運河)が描かれています。平野川分水路は昭和4年に着工して、戦争時の中断を挟み、昭和33年に完成しました。
治水のための大がかりな事業です。

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<昭和22年 大阪市街図(戦災消失区域入り)>
※クリックすると拡大します

ピンクの網掛けが被災地です。
戦争により深江中・西で被災しましたが、多くの地域で無事だった=古いものが残っている可能性があることが分かります。

ここまで確認できたところで、実際の街を紹介します。

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この建物は神路1丁目で、平野川分水路のすぐ東です。
神路土地区画整理の区域内。
和風基調の建物ですが、洋風の要素もあります。
事務所として使われていました。
大きく育った庭木が歴史を感じさせます

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地域はすっかり宅地化して洪水も治まり、かつて低湿地だった面影はありませんが、この深江抽水所などを見ると、地域の成り立ちが思い起こされます。

深江土地区画整理地区の紹介などは長くなりますので、次回に続きます。

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旧神戸市立生糸検査所・地下

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旧神戸市立生糸検査所の見学の続きです。
集合時間も迫る頃、生糸検査所の地下に足を踏み入れました。

地下に降りる入り口には、
「OFF LIMITS TO ALL US PERSONNEL BY ORDERS OF SPECIAL SERVICE OFFICER ・・・・」(最後はよく分かりません)と書かれていて、何があったんでしょう。
米軍に接収されていた頃の注意書きのようです。

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地下に降りる階段。
地下は非常に暗いです。

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ぶれてしまったので小さく載せますが、このような廊下です。段差があります。

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地下の一室は機械室でした。
渋い工作機械などがたくさん並んでいます。
これは鍛造機?

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製造元を見ると、ドイツや日本です。
これは、SCHUCHARDT & SCHUTTE(シューハルト&シュッテ社、現シュッテ社)と書かれてあります。1880年創業で、今もあるドイツの工作機械メーカー。

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こちらは日本の唐津鐵工所。
元々は唐津の炭鉱会社の一部門で、明治42年から炭鉱機械・船舶修理部品を製造、明治44年から工作機械を作っているそうです。今もあります。

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部屋の片隅にはモーターがあり、大きな車輪につながっています。

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モーター。薄明かりで見る機械の質感っていいです。

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これは何の機械かよく分かりませんが、味があります。

地上部に比べて、全く実用のみのスペースですが、生糸検査所の記憶を留めるスペースとして、この部屋はこのまま残してもらえたらと希望します。

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地下の他の部屋はがらんとした部屋です。
ドライエリアから自然光が差し込んでいました。


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旧神戸市立生糸検査所・地上部

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<2008年>

近代化産業遺産探訪グループの神戸ツアーに参加させていただいて、神戸の街を歩いてきました。
そのうちの一部、旧神戸市立生糸検査所です。
全景写真が撮れなかったので、2年前に撮った写真を載せておきます。

旧神戸市立生糸検査所は、税関や倉庫が建ち並ぶ新港地区に、昭和2年(1927年)に建てられました。昭和6年に国に移管され、昭和7年には隣接して旧国立生糸検査所(新館)が建てられています。2008年度まで入っていた(独)農林水産消費技術センターが移転して、取り壊しの危機にありましたが、保存を求める方々の働きかけで、神戸市が買い取ったそうです。今年11月から工事に入り、2012年にデザインクリエイティブセンター神戸として再生されることになっています。

大阪でも江之子島アートセンター(仮称。旧大阪府工業奨励館)が2011年度オープンの予定(やや不安があるけど)ですので、同時期に近代建築を利用したデザイン、アート拠点が生まれることになりますね。

旧神戸市立生糸検査所については、最近も訪ねた方が多いので、専門的な説明は皆さんの記事を読んでいただくとして、私は印象だけ紹介していこうと思います。

<関連ブログ>
 ひろの東本西走!?「神戸市立生糸検査所」
          「国立生糸検査所」
 まちかど逍遙「二つの生糸検査所」

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<2008年>

正面玄関上には不思議な装飾が付いています。
蚕の頭をイメージしたと聞いたのですが、分かりますか?

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入る前にちょっと面白がって撮影。
壁などきれいにされていますが、雨樋などは銅のままです。

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この日はコスプレイベントが開催されていました。
こちらに案内が出ているのですが、撮影のシチュエーションとして、旧グッゲンハイム邸、名古屋市公会堂、名村造船跡地など近代建築・産業遺産も利用されるようになっているんですね。
大阪の南港ではよく撮影風景を見かけますが、そういう動きを知らないもので驚きました。

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参加者は100人以上おられたのでは。
階段の手すりがいいななどと思って写真を撮るのですが、人を入れずに撮るのは困難でした。

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さて、入り口から紹介します。
正面玄関ホールの階段親柱。
各種の色の大理石がふんだんに使われています。
生糸を巻いて積み上げたものをデザインしたのかもしれませんが、私にはトッピングのあるソフトクリームにしか見えません。

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こういう階段のラインが近代建築らしい。

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一部、家具の残っている部屋もありました。
これも味わいがあります。

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旧国立生糸検査所へは、廊下でつながっています。
(実のところ、どこまでが市立で国立なのかよく分からなかったのですが)
なんとかつなげてあるので、廊下が徐々に折れているのが面白いところ。

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旧国立生糸検査所の階段。
窓にリズム感があります。

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換気口を裏側からのぞき込んで面格子を撮影する私たち。
穴にカメラを向ける私たちは、かなり怪しい人たちに見えたかもしれません。ここにまでデザインを施す感覚、好きです。

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こちらはもう少し立派な階段。
幾何学的ですが、踊り場の角に丸みがあったりする柔らかさが魅力です。

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2階の「2」。手書き風です。3階はまたデザインが違うんですよ。

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柔らかなデザインに和みながら先に進むと、突然目の前に工業的な大空間。

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金属の実用的な幾何学空間です。

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戸口の上部にもデザイン。
生糸の巻き取り機か何かをモチーフにしているのでしょうか。

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再び、旧神戸市立生糸検査所部分へ。
他の方の写真で見て、何だろうと思っていたスペース。
北側の小部屋を利用したギャラリーだったんですね。

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<2008年>

この部屋の外観もこんな風にアールデコの装飾がいっぱいです。

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非常階段は支えが橋の構造みたい。

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再び部屋に戻ります。
タイルは布目のついた柔らかな色合いです。

見学時間は1時間ほどだったのですが、館内はかなり広いのでとても回りきれません。ほかの皆さんの写真を見るとかなり見落としたようです。改修に入る前にもう一度ぐらい見てみたいものです。


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2010年6月23日 (水)

初めての大阪倶楽部(大阪市中央区)

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先日、初めて大阪倶楽部に入る機会がありました。
大正13年(1924年)に建てられた英国風社交倶楽部の建物です。設計は安井武雄。
今も社交倶楽部であり続け、しかもしばしばイベントで一般にも公開されているという、近代建築好きには理想的な活用のされ方です。

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この日はナカノシマ大学で、「みんなで橋の話をしよう!」というトークイベントでした。
中之島にかかる橋を中心に、大阪の橋について語るイベントです。

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玄関ホールに入ると正面には壁泉。
床の白黒市松模様は大理石です。

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壁泉の壁は陶製です。
インパクト大なデザイン。

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会場は4階のホールが使われていました。
梁は植物の柄で埋められ、照明器具は対照的に直線的でモダン。
こんなに装飾豊かな空間でお話を伺える、とてもぜいたくな講演会でした。
親切なことに、主催者の方は終了後にしばらく館内を見て回る時間を確保していただいていました。

大阪倶楽部については方々で詳しく紹介されていますので、私は写真で簡単に紹介することにします。

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梁が斜めに下がる部分には植物のレリーフが入っています。

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部屋によって植物のデザインは異なります。

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梁の両端の装飾もまた違う。

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シンプルな磨りガラス。

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階段の手すり子は玉すだれのよう。
裏面まできっちりしていますね。

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階段踊り場の窓にはステンドグラスもはまっています。

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手すり子の足下は1つ1つきっちりと。

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ドアのガラス越しに2階の部屋。

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ここも談話室の一部でしょうか。

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照明器具はそれぞれに違いながら、すっきりしたモダンなデザインは共通しています。

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1階には喫茶・バーがあります。

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上階から下階までそれぞれに凝った建築で、もっとじっくり見て回れば、まだまだ面白いものはありそうでした。

大阪倶楽部でのイベントは多いですし、ぜひまた再訪してみたい建物です。

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2010年6月21日 (月)

深江橋の工場建築(大阪市東成区)

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地下鉄中央線の深江橋駅の南側を歩いてきました。
深江土地区画整理事業(昭和3年認可)と、一部、神路土地区画整理事業(昭和7年認可)のエリアです。区画整理公園3つを見て回るのが目的で、さらっと記事にしようと思ったのですが、調べ始めると話が大きいことに気付きましたので、先にビジュアルな話を紹介しておきます。

今回は(おそらく戦前の)工場の建物を紹介します。
まず最初は阪陽公園の北側にある木造の工場です。
白くそびえるマンションをバックにとても目立っています。

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こちらもその近くの建物です。
小屋裏の換気口はやはり「目目」の形が多いですね。

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こちらは瓜生製作(株)という中堅の会社の事務所です。
戦前から空気圧工具を作っていたという会社。内環状線沿いにあります。
1934年(昭和9年)に現在地に移ってきたそうです。事務所は見た目には新しいのですが、寄せ棟の屋根や縦長の窓のプロポーションなどからみて、本体は当初のものではないかと想像します。

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こちらは元々事業所だったのか住宅だったのか微妙なところですが、洋風の雰囲気を出している工場事務所です。深江公園の近く。門柱もモダンです。

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上の写真の斜め前にある金網工場。
天井に明かり取りの窓がついています。

こういった古い工場に限らず、深江橋の周辺ではたくさんの工場が見られます。
住工混在ですので、やりにくい時期もあったかもしれませんが、自然に溶け込んであるのが東成区らしい風景なのかなと思います。


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2010年6月18日 (金)

春の彦根(7)芹川の並木

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彦根の街を南に歩いて行くと、土手にぶつかります。
芹川(せりかわ)の土手です。


より大きな地図で 彦根 を表示

上図で緑に着色したところが芹川ですが、もともとは彦根城の東を北流して、松原内湖に注いでいました。それが井伊家の城下町建設に伴い、慶長8年(1603年)に現在の河道に付け替えられたそうです。

(参考)ひこねっと「芹川の観察ガイド」

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芹川付け替えのとき、土手の補強のため、ケヤキ、エノキなどが植えられました。その木が今も残っています。樹齢400年余り。

その後に植えられた木もあり、現在はエノキ、ケヤキ、アキニレ、サクラ、ムクノキ、サイカチ、カジノキなどが混在する並木道となっています。

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それにしても、ここの木は何度折れては再生してきたか分からないほどの節くれ立った姿で、長年の苦労を感じさせます。森の中ならこんな姿にはなっていないでしょう。

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どの木もです。

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土手の上は車道ですが、河川敷はいい散歩道です。
でも私は木々の肌を間近に見られる車道を歩きました。

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河川敷は春色で菜の花の季節。
並木は両岸に続いています。

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河原の外では田植えが始まっていました。
この田んぼも芹川の並木に守られてきたのでしょう。

長くなってしまいましたが、今回で彦根編は終了です。
また大阪に戻ります。

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2010年6月14日 (月)

春の彦根(6)気になる石

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彦根の歩いていて、気になる石がありました。
一つは観光地図にも乗っている腹痛石です。
触ると腹痛になるという。

腹痛石のあるのはちょうどお城に向かう道筋です。
お城のある山には平安時代以来、彦根寺という観音霊場があったそうです。
参詣者がこのあたりに来ると、背負ってきた荷物を下ろし、このあたりにあった石に腰掛けて休憩したのですが、そのうち石がなくなっていき、残された石を守るために腹痛の話ができたのではとのことです。

前掛けの腹痛石は分かりますが、その前にある丸い石はなんでしょうね。

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またこちらはお地蔵さんです。
ここにもお地蔵さんの前に丸い石が置いてあります。
持ち上げると願いがかなうという石でしょうか。

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さらに両側に吊されているもの。
身代わり猿は分かりますが、石もまたいくつか吊されています。
港町を訪ねると祠に石を積んであることがあり、これも琵琶湖漁民に関わりがある風習かもしれません。

彦根は城下町・商人街ですが、それ以外の要素もあることを、こういう石を見ると感じます。


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2010年6月13日 (日)

春の彦根(5)桑畑の測候所

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滋賀県立大学経済学部の近くにこのような近代建築があります。何か分かりますか?

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彦根地方気象台です。

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もっとも建てられた当時は、滋賀県立彦根測候所でした。
昭和7年のことです。その後、昭和14年に国に移管され、昭和32年に地方気象台に昇格しました。

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放物線に近いアーチの窓が使われているのが特徴的でこれは表現主義のスタイル。内部の階段にもセセッションの装飾が使われているそうです(この日は中に入るのは遠慮しました)。(参考:『湖国のモダン建築』)
玄関周りも装飾が入ってますね。

ぷにょさんが内部を紹介されています。
まちかど逍遙「彦根を歩く」(後編

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裏側に回るとこうなっています。
階段室に縦に窓が並んでいるようです。

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こんな小屋もまた古いもののよう。

ところで、今は市街化している気象台ですが、昔はどうだったのでしょう。

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<昭和28年修正 2.5万分の1「彦根西部」>
※オーミケンシ彦根工場の位置は少し違うかもしれません

昭和28年なのでまだ戦前の街の様子を引き継いでいるはず。
桑畑に着色してみるとこんなになりました(緑の部分)。
彦根では明治以降、養蚕が盛んだったので、その原料としてでしょうか。遮るもののない桑畑の中というのは測候所にはいい場所かもしれません。
(当初から桑畑だったかどうかは不明)

近くには近江絹絲紡績(株)の工場もありました。
のちのオーミケンシです。大正6年に絹の屑糸を利用した製糸を目的に設立されました(近江絹綿(株))。
大きな工場でしたが、1998年に閉鎖されて、今はカインズモール彦根というショッピングセンターになっています。

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しかし、今もオーミケンシの彦根工場は一部残っています。
見たところ古そうな建物が並んでいます。

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この建物なども下見板張りが似合いそうですね。

今もかつて盛んだった製糸工業の名残を伝えています。


より大きな地図で 彦根 を表示

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2010年6月11日 (金)

春の彦根(4)スミス記念堂

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彦根城の中堀(現外堀)のお堀端に、スミス記念堂という建物があります。
遠目には和風のお堂。でもスミスって?
実はキリスト教の礼拝堂なのです。
昭和6年に、アメリカ人牧師で、彦根高商(現滋賀大学経済学部)の英語教師でもあったパーシー・アルメリン・スミス氏が建設したものです。

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細部を見ていくと、とたんにキリスト教らしい意匠がふんだんに現れます。
これは側面の入母屋破風のてっぺんですが、鬼瓦にはぶどうが2房。懸魚(垂れ下がっている部分)にもさりげなく十字架が抜かれています。

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正面の唐破風の鬼瓦はさらに手が込んでいます。
ぶどうと十字架の透かし彫りも繊細です。

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周囲の瓦全てに十字架のデザインが使われています。

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虹梁にもぶどうと鳩?の文様がレリーフされています。

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扉の十字架とぶどう。

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装飾が全てキリスト教関連かというとそうでもなくて、扉には松竹梅に菊の和風文様もレリーフされていました。

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ついでながら、石造の雨水枡にも十字架が入っています。

ところで、昭和6年にしては新しいのでは?と思われましたか?
実は2006年に再築されたばかりです。

スミス記念堂は、道路拡幅により、平成8年に一度は取り壊しが決まったのですが、保存する会が立ち上げられ、多額の募金により無事移転再築がなったとのこと。
しかも、昨年(2009年)12月25日には再築費用を完済したそうです(今後の補修のため募金は継続中)。
保存の難しいケースの多い中、うまくいった、いいお話だと思います。

以上の説明については、下記のNPO法人スミス会議のHPを参考にさせていただきました。
彦根の近代化遺産についても多数紹介されています。

○参考HP
 NPO法人スミス会議


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2010年6月 7日 (月)

荒本のミニ消防屯所(東大阪市)

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東大阪の荒本の集落を歩いていて、いい感じの会館がありました。

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荒本春宮青年会館といいます。

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建物の形から見ても戦前のものだろうとは思います。「昭進会寄付 昭和11年11月」という石柱が立っていますので、おそらく昭和11年の建物なのでしょう。

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この会館の前に小さな小屋がくっついています。
額が掛かっていて、春宮消防屯所と読めます。
消防屯所とは消防団の詰所のことです。
この中に手押しの消防車が入っていたらうれしいのですが。

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電柱を見上げると簡易な火の見櫓のようなものがくっついていました。
最小構成ながら、ここが荒本の消防を担っていたようです。

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荒本の集落はこの会館以外に、このように古くて大きなお屋敷がいくつもあり、かつての豊かさがうかがえます。荒本の東には旧大和川の渡し場があったそうです。

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(おまけ)
車庫の上に蔵が乗っかっています。
元々蔵があって、車庫を増築するときに蔵を再現したのではないでしょうか。蔵への並々ならない愛着を感じます。


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2010年6月 6日 (日)

春の彦根(3)滋賀大学の近代建築

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彦根城の西側、お堀の向こうに滋賀大学の経済学部があります。ここに2つの近代建築があるので見に行きました。
1つは手前に見えている塔屋のある建物です。

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滋賀大学の正門にやってきました。
この大学はちょっと変わっていて、経済学部は彦根ですが、教育学部は大津です。
それぞれルーツも違い、経済学部は彦根高等商業学校(彦根高商)、教育学部は滋賀師範学校・滋賀青年師範学校の系譜をひいています。商人の街・彦根らしいですね。

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まず滋賀大学経済学部講堂。
彦根高商は大正11年に開校するのですが、大正13年に完成したのがこの大講堂です。
南側が正面です。

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この建物は4面それぞれの表情を見せてくれます。
東側も正面らしい構えです。
演台は西奥にあるので、こちらから入ると正面に演台を見ながら入ることになります。

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北側はお堀越しに講堂を眺めることができます。
こちらから見られることも意識されているでしょう。

(追記)
1954年の卒業生さんの情報で、講堂の右側に見える平屋部分は「合併教室」と呼ばれる階段教室だったとのことです(コメント欄をお読みください)。

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「合併教室」の窓。

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「合併教室」の裏口。
(2010.6.8記)

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もう少しクローズアップしてみましょう。
屋根の丸いドームは銅板張りの凝ったつくり。
緑青と木に塗られたパステルグリーンが合っています。

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東玄関の装飾。
全体に派手な装飾はありませんが、大正時代らしい幾何学模様が入っています。

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銅の雨樋にもさりげなく植物のデザイン。

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外観だけでなく、座席も木製で、味わいのある講堂だと思います。
平日なら予約すれば見学できるそうですが、この日は休日だったので外からだけです。

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もう一つの近代建築は陵水会館。
陵水会というのは、神戸高商の同窓会で、その会館でした。
昭和13年の建物で、設計は滋賀にゆかりのあるヴォーリズです。
桜並木があったというこのアプローチも含めて良いです。
左に少し見えているのは池で、後で紹介します。

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スパニッシュの建物で、入り口周りのタイル、そして2階のバルコニーと、とても暖かみを感じさせます。壁面ももこもこした感じ。

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入り口の階段にも楽しげに豆タイルが張られて、歓迎ムードにあふれています。

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2階のバルコニー。
一足に先に到着した卒業生が、後から来た同窓生に手を振っていたのでしょうか。

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裏側に回るとまた違った印象を受けます。

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最後に、これもいいなと思った壁泉を紹介します。
陵水会館とセットではないかと思います。

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このときは止まっていましたが、陶製のライオンから水がはき出されていたはず。

小さいながら、暖かみを感じさせる空間でした。


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2010年6月 2日 (水)

春の彦根(2)湖岸の風景

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彦根は琵琶湖岸の街です。
せっかくなので、湖岸まで歩いてみることにしました。

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松原の集落の方に歩いて行くと、琵琶湖に通じる水路が小さな船だまりになっていました。私には何を獲るのか分かりませんが、漁船がつながれています。

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そして作業用のコンクリート枡が並んでいます。

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リヤカーも壁に掛かっていて、のどかな風景。

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右の建物は、家畜医院と書かれていました。

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湖岸には並木道。
昔はそれこそ松原があったのではないでしょうか。

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琵琶湖めぐりや多景島行きの観光船のりばがあります。
多景島は「誓いの御柱」について調べていたときに知りました。私には未踏の島です。

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瓦の製造所があるのは、ここから船で出荷したのでしょうか。

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湖岸の昭和の喫茶店。

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こちらも。
なぜか心にじんときます。

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歩いて行くと小さな林があります。松原下屋敷(お浜御殿)という井伊家の屋敷です。
11代当主の井伊直中により、文化7年(1810年)頃に造営されました。
明治4年の廃藩置県後、井伊家はこの屋敷に住んだそうです。
この玄関棟は明治22年の増築。

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持ち送りは井伊家の「井」の字入り。

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この玄関棟の裏に国名勝の庭園があります。
この日は特別公開されていました。

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しかし、彦根城の賑わいと対照的に、ここを訪ねる人はわずか。

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やや荒れた庭園は非常に静かです。

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庭は新緑にあふれていました。

この庭園は琵琶湖の水位に連動して汀線(波打ちぎわ)が変化する汐入形式の庭園だそうです。
いずれ整備が進んで常時公開されるのかもしれませんが、この日は静かな庭園をぜいたくに楽しませていただきました。


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