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2010年4月21日 (水)

東翠園の周辺(東大阪市)

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東翠園の旧小阪町営住宅地を見た後、少し近くの旧集落も歩いてみることにしました。
南に回ると、こんな立派なお屋敷があります。

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屋敷が庭ごと低い石段で囲まれているのは、浸水を防ぐためでしょうか。

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道を歩いて行くと愛宕社があります。
愛宕社というと火除けの神様ですが、ここではやや意味合いが違うようです。
・・・といったことが案内板に書かれています。

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※クリックすると拡大します。

お堂に左にあるのが東大阪市の案内板で、あちこちで見かけました。
それによるとここは中小阪村の入り口だそうです。この集落が環濠集落であったとか、西を長瀬川(旧大和川本流)の支流が流れていたとか、興味深いことが書かれています。

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<明治19年 大阪近傍中部・東部> ※クリックすると拡大します

明治19年の地図に位置関係を落としてみました。

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さらに西に進むと、いい感じの下見板張りの建物が。
床屋さんの床寅さんです。「床○」というネーミングは関西では珍しいような?

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辻になっていて、地蔵堂があります。
床寅さんはこの日も営業していて、中には絵皿などが飾ってあるようで、内部も興味をひかれます。
「床寅」さんについて検索すると、ナムダーさんの「万華鏡 〜無音の爆走〜」(※現在は閉鎖)の記事がヒットしました。

ナムダーさんが調べられたところによると、ここはなんと元村営の床屋(村床)だったそうです。明治27年創業で、現在の建物は昭和9年のものだとか。なんとも歴史のある建物、しかも現役というのが素晴らしいです。一度散髪に行ってみようか。

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さらに西へ。
脇道に目を向けると、どんどん誘い込まれそうになります。

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弥栄神社に来ました。元は牛頭天王といいますから、明治の神仏分離で神社になったパターンですね。牛頭天王→八坂神社はよくありますが、弥栄神社も表記が違うだけでしょうか。
この左(西)を長瀬川(旧大和川本流)の支流が流れていたようです。高低差があります。

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ここから弥栄神社を抜けて北へ。
途中ユニークなお宅がありました。
W洋館付き住宅です。左右で小屋裏換気口のデザインなどが異なり、格子のデザインなど、凝って建てられた住宅のようです。

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それにこのお宅に続く道は緑あふれる道です。

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小坂神社に着きました。
説明板によれば、この神社は江戸時代の元禄年間に、このあたりの原野を開拓した開拓民が吉野の水分神社を勧請したもの。大和川の氾濫だけでなく、後から来た開拓民のため、日照りの時も水の優先権が低く、干ばつの被害を受けやすかったようです。それゆえの水の神様です。
ここで引き返しました。

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近くに旧司馬遼太郎邸(司馬遼太郎記念館)があるのですが、それはまた今度にします。
近くにあったこの住宅も古そうです。

(余談)
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八戸ノ里駅前に珈琲工房という喫茶店がありました。
見た目にはとくに変わった喫茶店ではありません。

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見ると閉店のお知らせが貼ってありました。
この珈琲工房というのは、司馬遼太郎さんの命名なのだそうです。
お店の方に伺うと、実際珈琲を飲みにこられたりもしたようです。
お昼ご飯をここでいただきましたが、オムライスは普通においしく、珈琲はマイルドで、落ち着いたいい感じのお店でした。店を引き継いでくださる方がうまく見つかればよいのですが。


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コメント

びんみんさん 八戸ノ里第2弾のレポートありがとうございました。地元民でも知らない情報ばかりでした。中小阪って環濠集落だったんですね!!!初めて知りました。古地図の環濠(逆さL字)は、現在の八戸ノ里UFJ交差点を東に進み、第二寝屋川の橋のタモトで南に折れ、八戸ノ里東小学校の東の道と酷似していますね。八戸ノ里東小の北東のウネウネ道が、古地図の環濠とそっくりです。
 グーグルマップ

びんみんさんのレポートは、要所要所のポイントをしっかり おさえてくれてます。流石です!
小坂神社の写真の下の家は、F家というらしいです。どういう由緒ある家か わかりませんが、近代建築として趣のあるお宅ですね。
ちょっと古地図を見て疑問に思ったことなんですが、小坂神社と弥栄神社を結ぶ 旧大和川堤防の道は、地図で確認できるのですが、茨木から続く枝切街道が地図では確認できません(笑)たしか両神社の西側にあるはずなのですが・・・

投稿: なおき | 2010年4月21日 (水) 12:48

趣のあるところですねえ。

以前、河内小阪近辺を歩いたことあるんですが、
司馬遼太郎記念館あたりで引き返してしまいました。

そのうち、ここらへんも歩いてみたいです。

投稿: Bassman | 2010年4月21日 (水) 21:19

なおきさん
補足情報をありがとうございます。
たしかにウネウネ道がありますね。
これが環濠なんでしょうか。

最初は最小限の範囲で旧版地図を載せたのですが、これだけでは分かりにくいですね。範囲を拡げてみました。
この河川敷を斜めに突っ切る道でしょうか。

※勝手ながらお名前は伏せ字にさせていただきました。
 ご了承ください。

投稿: びんみん | 2010年4月21日 (水) 23:09

Bassmanさん

私もぐるっと一周しただけですので、もう少し旧集落に入り込めばいろいろあると思います。
機会がありましたらぜひ。

投稿: びんみん | 2010年4月21日 (水) 23:11

びんみんさん わざわざ古地図を拡大して頂きありがとうございました。
そもそも古地図を見る事が少ないので、古地図の見方がわかりません(笑)
小坂・弥栄両神社の北側にある小坂村(村坂小)の文字の「小」を南北に通ってる道が、枝切街道になるのでしょうかね?枝切街道と旧大和川右岸堤防跡の道とは別ですよね?
本題から外れてしまいまして申し訳ございません。

投稿: なおき | 2010年4月22日 (木) 17:47

私もいまいち古い地図の表記などはよくわかっていないですが。

枝切街道は実は初耳。
地図に街道を落としてみましたのでご覧ください。

「大阪の街道を歩こう」の東大阪市の地図を参考にさせていただきました。
すごいですね、このマップは。

投稿: びんみん | 2010年4月23日 (金) 00:47

私のブログにコメント頂き、また御参考になった様で有難う御座いました。
「小阪」と言う地域は子供の頃から私にとっては馴染みのある場所で、今も良く出向きます。
「東翠園」辺りはそれ程昔と変わらないと言う感じがしないでもないんですが、小阪駅周辺はかなり寂しくなってしまいました。昔は駅前にビヤガーデンがあったほど賑やかでしたし、南側の商店街も沢山の人通りがありました。
でもそれは、小阪に踏切があり、近鉄バスにまだボンネット型があった時代の話ですが…
これからもお邪魔致しますので、宜しくお願い致します。
有難う御座いました。

投稿: ナムダー | 2010年4月25日 (日) 16:09

ナムダーさま

こちらでは初めまして。お越しいただいてありがとうございます。
この件ではたいへん参考になりましたし、もっとよく読ませていただければ、他にもいろいろ参考なる記事を書かれているのではと思います。

小阪駅のアーケードの規模をみると、かつての賑わいを伺えます。実際に体験されていることはナムダーさんの強みですね。私はボンネットバス自体、あまり記憶にありません。

今後ともお気軽にコメントください。
よろしくお願いいたします。

投稿: びんみん | 2010年4月25日 (日) 20:06

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